こんばんは、というかおはようございます?
URLはダミーではありません。三月三日の
日記を見てみてくださいませんか。
/
お尋ねしてよいですか。
・どこの国の小学生でしょうか
・知的障害児も飛び級をして大学院入学が
決まっている12歳もともに小学生でありえ
ますが、両者にともにフィットする(=難し
すぎず、易しすぎない)説明を御所望ですか
・その掲示板のURLを教えてくださいませんか
・何ポイントいただけましょうか。
以上、お答えいただければ幸いです。
失礼致します。
http://homepage3.nifty.com/iromono/kougi/timespace/node54.html
アキレスと亀--``無限''のパラドックス
やはり小学生には少し難しいでしょうか。「時間的に永遠に追いつけないことはあり得ないが、試行を永遠に繰り返すことは可能」であることが説明する際のポイントだと思います。
ほぼ同感しますが、ゼノンから2200年のちも、彼に反論できないのは
シャクですね。以下の後半部分に関連記述をまとめています。
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20030827
《舌を噛んだ人々 20030827》
人力検索はてな - 質問一覧
仮に亀の速度を秒速1m、アキレウスの速度を秒速2mとして、初めの両者の距離を2mとします。
初めにアキレウスが亀に追いつくまでに1秒。その間に亀は1m逃げます。今度アキレウスが亀に追いつくまでには0.5秒かかります。亀は0.5m逃げます。
これを続けていれば、いつまで経ってもアキレウスは亀に追いつかないように思えます。ですが、アキレウスが亀に近付くに連れ、アキレウスが亀に追いつくまでの時間が短くなっていっているのです。
いつまで経っても追いつかないように見えていたのですが、実は時間も経っていなかったのです。
時間と距離の関係を、簡潔に指摘された模範解答だと思います。
いま思うに、おぢいさんが孫に語るような口調で、どうしょうか。
「昔々、ギリシャという国にアキレスという若者がおってな」とか。
http://www.hatena.ne.jp/1064514314#
ゼノンの詭弁「アキレウスと亀」について、小学生が理解できるような、やさしい具体的な説明を知りたいのです。私の仮説を、一週間後の「いわし掲示板」で追記しますが、論.. - 人力検索はてな
URL はダミイです。
アキレスと亀のパラドックスでは
「アキレスが亀のいる場所に行くまでにかかる時間は0秒ではない。
そして、さっき亀のいた場所に着いても、そこから今亀がいる場所へ行くまでに
かかる時間も0秒ではない。」
という過程が無限に繰り返されるというのがポイントですね。
0よりおおきいものを無限回足し合わせたら(直感的には)無限大になるから
アキレスは亀に追いつけないという結論が導かれます。
ここまでは小学生でも理解できる(騙される?)でしょうけど
上の議論の欠点を指摘するのは決して容易ではないと思います。
もともとゼノンのパラドックスは、ゼノンの師のパルメニデスが
唱えていた「万物は一である」という説を擁護するために、
「万物は多である」という説での無限に多くの部分への分割が
如何に危うい考えであるかを示唆したものです(確か)。
だから、簡単に欠点を指摘されても困るわけです ^^;
実際無限をどのように扱うべきかがちゃんと定式化されたのは
19世紀ですから、無限の扱いというのは難しいです。
# 18世紀の大数学者のオイラーも、無限大の扱いを御座なりにしていて
# いろんな間違いを犯していたようです。
高校に入って、等比級数の和の極限が有限に収束するなどの
例を知り、「無限個の正の数の和は必ずしも無限にならない」という
事実を学習しないと本当に意味では理解できないと思います。
いよいよ専門家の登場か(?)と思われるような高度な回答ですね。
しかしながら、深夜から早朝にかけて、かくも眠らない哲学者が多い
ことに驚きました。さすがの私も疲れてしまったので、しばし休ませて
いただきます。それでは皆さん、おやすみなさい。
明日はまた《朝まで生テレビ》を観るつもりなので……。
(回答は受付中ですが、コメントが遅れます)
URI?は「時は流れず」(大森荘蔵)です。再販されていないようなので、ご関心がああれば、図書館を利用されるといいかと思います。大森は哲学者です。
以下、ご期待している回答ではないと思われるのでポイントは要りません。
まず、この命題がなにか、ということは、丁寧に説明すれば小学生が理解できると思います。
問題は、その矛盾を解消するというかたちで小学生が理解できるか?かと思われます。
一般にゼノンの逆理(詭弁ではない)は、誤りだと考えられ、その誤りを多くの人が説明しています。
しかし、先の大森はゼノンの逆理が誤りではない、という観点からこの問題を説明しています。
その説明が子供に理解できるか?となると難しいのですが…いずれにせよ、矛盾を解決するという方向の説明はもしかすると、前提が間違っているかもしれません。
「時は流れず」というタイトルは、まことに魅力的ですね。
“時間の哲学”に関する私の愛読書は、《アウグステイヌスの告白》
でした。いまは「時間について語るときには、よく分ったつもりでも、
ひとりになって考えるとき、なにも分っていない」と自戒しています。
さる女流哲学者いわく「哲学は、大学の研究室や図書館にあるのでは
なく、われわれの心のなかにあるのです」という指摘に、すっかり同感
してしまいました(受売りのため、著者名・出典ともに失念)。
もはや“老いたるアキレウス”となったので、あたらしいカメを発見
したとしても、追いかけるだけの時間がないのです。最近のWeb日記
にも「さらば、図書館」「さらば、百科事典」などを書いたほどです。
←《与太郎文庫 20021206》
なお、あらかじめ期待した回答よりも、思いがけない意見に期待して
います。せっかくの機会ですから、さまざまな発言をお寄せください。
── 池田 晶子《14歳からの哲学 考えるための教科書 20030320 トランスビュー》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4901510142
Ikeda, Akiko 作家 19600821 東京 20070223 46 /慶應義塾大学卒
http://q.hatena.ne.jp/1532908916#a1268317(No.3 20180730 14:24:13)
ゼノンに、アウグスティヌスもウィトゲンシュタインも追いつけず。
Yahoo! JAPAN
URLはダミーです。
わたしは小さい頃、父から「うさぎと亀」という形でこの話を聞きました。
うさぎが亀の100メートル後ろからかけっこをスタートします。
うさぎは亀の2倍の速度で進みますが、永久に亀を追い抜くことができません。
なぜなら、うさぎが100メートル進むと、亀は50メートル先にいっています。
うさぎがさらに50メートル進むと、亀は25メートル先にいます。
うさぎが25メートル進むと、亀は12.5メートル・・・
私がわけが分からなくなって、いらいらしましたが、母が助け舟をくれました。
変なこといって子供を混乱させちゃかわいそうでしょ。
それって時間をどんどん小さく区切ってるからずれていくのよ。
うさぎが200メートル進んだら、その間に亀は100メートル進むんだから追いつけるわよね。
幼心に、なるほど、と思いました。
すばらしい実例ですね。父母の対比、または男女の論理が、くっきり
浮かびあがっています。それ以来あなたは、お母様の意見に納得された
まま、現在にいたっているのですか?
http://www.hatena.ne.jp/1064514314
ゼノンの詭弁「アキレウスと亀」について、小学生が理解できるような、やさしい具体的な説明を知りたいのです。私の仮説を、一週間後の「いわし掲示板」で追記しますが、論.. - 人力検索はてな
URLはダミーです。
原理としては無限級数の和が必ずしも無限ではないということを知らなければ本当の意味では理解されないかも知れませんが、
実際の数字で示してやれば理解しやすいと思います。
アキレウスの秒速を10m、亀の秒速を1m、最初の両者の距離を10mとします。
初めに亀のいたところまでアキレウスが到達するのに1秒かかり、その間に亀は1m進みます。
この時亀のいた位置までアキレウスが進むのに0.1秒かかり、その間に亀は0.1m進みます。
ここまでにかかった時間は1.1秒です。
さらにこの時亀のいた位置までアキレウスが進むのに0.01秒かかり、その間に亀は0.01m進みます。
ここまでにかかった時間は1.11秒です。
このように繰り返していくと、トータルでかかる時間は1.111秒、1.1111秒、1.11111秒…
と増えていきますが、果たしてこれを繰り返してトータルでかかる時間が1.2秒を越えるでしょうか?
…というと、絶対に越えることはありません。
「これを繰り返していくといつまでも追いつけない」というふうに、ものすごく長い時間が経過しているように書いてあるのですが、
実際のところどんなに繰り返していっても少なくとも1.2秒より短い時間でのことだったのです。
といった感じでしょうか。基本的にはkamisamaさんと同じですが、例として与える数を調整したので
感覚的に無限にならないということがわかりやすくなっていると思います。
この説明はこうやって文字で表すよりも実際に生徒を目の前にして黒板を使ってリアルタイムに解説した方がわかりやすいかも知れません。
説得する相手の反応を見ながら、ときには図を示しながら説明する、
というスタイルは、学校だけでなく、企業のプレゼンテーションなどで
最優先に活用されています。
しかるに、数学ぎらいの劣等生だった私の経験によると「何かが分る
瞬間」というものは、順序だった理路整然の成果であるよりも、突然に
やってくるのです。
もうひとつの問題点は、このテーマを数学として教えるか、あるいは
論理学、または雄弁術、はたまたジョークとしてとらえるべきか、よく
分らないのです。
最近の私は「議論に勝つと、(負けた相手を)説得できない」と考え
はじめています。とくに《朝まで生テレビ》からの印象ですが……。
http://www.infoseek.co.jp/OTitles?lk=noframes&qp=0&st=0&nh=10&co...
�����쥦�� - Infoseek ハイブリッド検索
アキレウスが追いつくまでに亀は少し逃げる。また追いつくまでに亀は逃げる。
というのは、アキレウスが本当に亀に追いつくまでを細かく区切って見ているのです。
追いつくまでを説明しているわけですから、その説明の中では追いつくことはありません。
つまり、自信たっぷりのゼノンに向かって「あなたの比喩は、カメに
追いつかないための説明だから、アキレウスが追いつくはずがない」と
反論できるのでしょうか。ほかの人たち(群集)が「そうだ、そうだ」
と云ってくれれば、ゼノンを黙らせることもできそうですね。
さらに、つねに論理は自立していて、誰かの利益にくみしないという
定義が、実際の問題解決には適用されないという現実も、しばしば経験
しています。くやしいことですが……。
説明と言うかゲームなんですが…。
このサイトの自作ゲーム内、【走者と亀のフレイム】というソフトがアキレスと亀についてのゲームです。
一度やってみてはどうでしょうか?
私自身は「ゲーム音痴」なので、ちんぷんかんぷんですが、この質問
の読者には、大いに参考になるかもしれませんね。私の次男がゲームに
くわしいので、ちかいうちに代行させましょう。
なお、単なる自慢ばなしですが、任天堂の“ゲーム・ボーイ”を開発
した“グンペイ”こと故・横井軍平は、中学高校での後輩です。
→《与太郎文庫 20030910》“グンペイ”生る 〜 子供らの時間泥棒 〜
初めまして。E.A,Poeと申します。
URLはダミーです。
哲学科卒業で長く塾講師をしておりましたので興味をそそられ、一例を示したいと存じます。
「1個のチョコレートケーキ(例えば100g)を永遠に食べ続ける方法って知ってる?」
「知らない」
「1日目に半分(50g)食べる。2日目に残りの半分(25g)食べる。3日目にはそのまた半分(12.5g)を食べる。これをずっと繰り返していけば、永遠に食べられるよね?」
「・・・」(ここでわかる生徒とわからない生徒が出てくると思いますが、わかると仮定します。
黒板にチョコレートケーキ(レンガ型)をどんどん分割して行く絵を描いてみると理解が深まるかも知れません)
「で、このチョコレートケーキの数はムゲンだよね?でもみんな合わせると1個のチョコレートケーキ(合計100g)に戻るよね?」
「わかんない」
「だって、もともとチョコレートケーキは1個(100g)しか用意してないんだから、元に戻せば必ず1個(100g)に戻るはずでしょ?」
「そうかなあ?」(ここでも理解できる生徒と理解できない生徒が現れるかも知れません。そこで強引に話を進めます)
「そういうもの。」
「さて、アキレスと亀を、アキレスは亀の2倍の速度で走るとしよう。
それを図に書くと、こうなるね?」
(さっきのチョコレートケーキの絵の下に直線を書いて区切っていく)
「なんか似てない?」
「似てる・・・」(というか、上手に同じように描いてください)
「つまり、どんどん小さくなっていくものをムゲンの数だけ足しても、ひとつに戻っちゃうことがあるんだよ」
「『どんどん小さくなっていく』と『たくさん足していく』がうまくかみ合わさって、ひとつになるの?」
「そう、その通り」(上記の発言を引き出すように、工夫してください)
「アキレスと亀の問題も、実は『アキレスが亀に追いつくまでの時間』をどんどん小さくしていってるからムゲンに見えるけど、実はひとつに収まるものだったんだよ」
「すごーい」(というかどうかはわかりませんが、上述の発言が全てです)
さて、きちんとフォローと入れます。分数の足し算がわかっていることが前提です。
「でもね、どんどん小さくなっていくものをたくさん足しあわせても、いつもいつも上手にかみ合わさってひとつに収まるとは限らないんだよ。」
「どういう意味?」
「分数の足し算をしよう。
1/2 + 1/4 + 4/8 + 1/16 + ・・・ ってやると答えは1になる。これはうまくかみあう例だ。チョコレートケーキがそう。
でも、どんどん小さくなっていく場合でも
1/2 + 1/3 + 1/4 + ・・・ は、なんといくらでも大きくなるんだ」
「わかんない」
「わからないよ。先生だってなぜそうなるか知らないもん。でも、ウラワザがあって、
大学ぐらいの算数になると(数学と呼び名が変わるよ)『これは噛み合う』『これは噛み合わない』ってわかるようになる。
このウラワザを『収束条件』と言って、習俗条件が○なら噛み合う、×なら噛み合わないんだよ」
「シュウゾクジョウケン・・・?」
「名前なんかどうでもイイ。大事なのは『噛み合うか噛み合わないかを決める方法がある』ってこと。
で、ゼノンの時代にはこのウラワザを誰も知らなかったからわけがわからなかったんだ。
今は、えらい数学者(ニュートンでもライプニッツでもいいです)がちゃんとウラワザを開発してくれたんで、見分けがつくようになった。」
「で、アキレスと亀は、ウラワザを使うとどっちなの?」
「噛み合う方になるんだよ。これは答えだけ。『なぜ噛み合うか』が知りたいなら、このまま算数をずっと勉強していって、大学までがんばればわかるようになるよ、きっと。
そのときには先生を追い越してるな。先生は答えだけ知っていて、ウラワザのやり方は知らないから」
(ジョークが欲しいなら「これはアキレスと亀と違って、キミが先生を追い越すことはできる(笑)、というのは難しすぎますでしょうか?)
なお「ムゲン」をカタカナにしたのは、生徒にさらっと流してもらうためであり、
無限の段階があるとか始まると本当に泥沼になると思いましたので、注記しておきます。
今気がつきましたが、この説明は野矢茂樹先生の「無限論の教室」の第2週と第3週を
まとめたもののようです。
参考までに本の入手先のURLを記しておきます。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061494201/hatena-q-22/ref%3...
Amazon.co.jp: 無限論の教室 (講談社現代新書): 野矢 茂樹: 本
あくまで一例ですが、お役に立ちますかどうか。
臨場感あふれる授業風景ですね。
たぶんあなたの人生における象徴的なシーンではないでしょうか。
つられて思いだしたのは、タレント・島田紳助の“悪ガキ伝説”です。
京都にある仏教系高校では、僧職の教諭による法話の授業があって、
「この世の他に、あの世がある」というような内容だったのでしょう。
そこですかさず手をあげて、悪ガキ代表が発言したそうです。
「センセ、その極楽たらいうとこ、こんどの修学旅行に皆で行こや!」
なお、無限という概念は、極小および極大に向かって、おなじ原理で
説明できるのでしょうか。たとえば、有名な秀吉の“初日一両”では、
第一日に一両、二日目に二両、三日目に四両と倍々して、最後は無限に
達すると考えるべきでしょうか。
数学教育の現場では、約束ごととしての数学的概念を教えるべきだと
いう主張と、成績を上げるためには、ひたすら練習問題をこなすべきだ
という立場に分かれているのではないでしょうか。
私は、もちろん概念に賛成です。なぜなら、練習問題は宿題になるが、
概念の習得なら、宿題にならないからです。
URL addressは、ダミーです。わたしの経営するwebsiteの名前です。
アキレスと亀の話のどこがおかしいかを、わたしならば、小学生に次のように説明します。
この話が正しい場合と間違っている場合のふたつの場合があります。
1.正しい場合
(1)アキレスが、亀と同じ歩幅か、それ以下の歩幅であれば、この話は正しい。
(2)亀が、アキレスと同じ歩幅か、それ以上の歩幅であれば、この話はただしい。
2.間違っている場合
(1)アキレスの歩幅が、亀の歩幅よりも大きいのであれば、この話は間違っている。
(2)亀の歩幅が、アキレスの歩幅よりも小さいのであれば、この話は間違っている。
大人に説明せよといったら、次のように説明します。
実は、この話の間違いは、意図的に、時間と距離を同じものとみなしているところにあります。というよりは、速度という概念を論じていないのです。すなわち、a x b = cという数式の意味を考えないようにさせているのです。
1時間に100キロ走る自動車A(アキレス)と、1時間に10キロ走る自動車B(亀)とを比較してみるとよいのではないでしょうか。わたしは、自動車を運転しながら、これを計算して、あと何分で目的地につくのか、あるいはあと何分以内に目的地につくには、時速幾らにするためにアクセルを踏めばよいのか、頭の中で計算して、いつも事故を起こしそうになります。新しくこの世に生まれてくる人間が無限であるならば、永遠に謎であり続ける課題、永遠の課題です。
もし、速度を問題にしたら、アキレスの帰属する座標軸と、亀の帰属する座標軸が異なるということに直ちに気づく訳ですから、何がおかしいかは、すぐわかると思います。
禅問答と同じで、ある命題に対しての回答は、ふたつあり、いづれの座標軸を主体にして、他方の座標軸を客体として見るかということから、その命題が真の場合と偽の場合とがいつもあり得ると答えることができます。
上の答えは、時間と距離を同一視しているゼノンの意図をそのまま活かした回答になっているのではないでしょうか。子供達が、歩幅とは何かという問いを立てて、考え始め、自分の人生の目的地との関係で考えたならば、それが、思考の始まり(哲学)となるのではないでしょうか。
同じことは、この私たちの現象の世界にも毎日のように起きていて、それが私たちの悩みなのではないでしょうか。だから、私たちは、ゼノンのこの命題がいつもこころに引っ掛かる。
わたしの回答が永遠の時間をかけて質問ページに到達しないことを願っています。
すべての回答に対して、なるべくもっともらしいコメントをしたいの
ですが、だんだんむずかしくなってきました。すると、つけっぱなしの
テレビから、こんなセリフが聴えてきたのです。
「眠りについたら、議論する夢を見よう。そして、せいいっぱい誠実な
態度で友人たちと語りあって、目ざめたら、すぐに実行しよう」
うたたねしていたので、前後のストーリーは不明ですが、すばらしい
表現ですね。海外ドラマ《ザ・ホワイトハウス 20030928 NHK》より。
禅問答云々には同意しかねますが、あなたの回答によって永遠の議論
が続くよう願っています。
つぎの引用は、いかがでしょうか?
── すべての三角形の三つの角の和は二直角に等しい。この仮定は、
ユークリッド幾何学を構成しているものだ。いま一つの別の仮定がある。
それは、すべての三角形の内角の和は二直角より小さい。この仮定は、
特別な幾何学の基礎となります。わたくしはこれを『仮想幾何学』と名
付けた。(非ユークリッド幾何学の講演 18260211 カザン大学)
── リワノフ/松野 武・訳《ロバチェフスキーの世界 19・・ 東京図書》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J9ZYDK
── リワノフ/松野 武・訳《ロバチェフスキーの世界 1975‥‥ 東京図書》
上記サイトは、adlib さんのHPでしょうか?
全く同様の問いが投げ掛けられ、それに対して様々な考えが提示されております。
と、ここまで書いてふと先の方の回答を再確認しましたら、2.の方の3番目URLのトップページのようです。
このページ下の「解決編へ」から既登録URL含め6ページに渡って関連ページがあります。
それはともかく、私なりに興味深くいろいろな方の説を一所懸命に読んでみました。
けれども、小学生どころか、いい年をした大の大人?ながら、正直理解できませんでした。(苦笑)
ド文系末席に甘んじていた私には、6.の方のお母様のことばが唯一やさしく響きます。
あのようなご両親に育てられたら、私にも相当に違った人生があったかと思うのですが。
これだけでは何の回答にもなりませんので、悪ガキのへ理屈を一席。
「そんなの、鬼ごっこだと思えばいいんだよ。
完全に追いつかなくたって、手を伸ばしてタッチすれば・・・君が鬼!」
大変失礼致しました。
もちろんポイントなぞ不要ですので、どうぞご容赦くださいますよう。
あなたの「手を伸ばしてタッチ」という発想は、重要だと思います。
── 哲学上の疑いにとらわれている人は、部屋の中にとしこめられて、
どういう風にして抜け出せばよいかわからない人に似ている。窓から抜
け出そうとしても窓は高すぎる。煙突は狭すぎて出られない。そういう
ときに、もし一八〇度うしろを向くと、ドアがはじめからずっと開きっ
ぱなしだったことに気が付く。哲学もこれと同じだ。
── ノーマン・マーコム/藤本 隆志・訳
《放浪 〜 回想のウィトゲンシュタイン 〜 199301・・ 法政大学出版会》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4588050281
── Malcolm, Norman/藤本 隆志・訳《放浪 ~
回想のウィトゲンシュタイン ~ 199301・・ 法政大学出版局》誤=マーコム
はてなを利用するのはこれが3日目ですので、1人の回答者が2度回答するのは
マナー違反かどうかを存じ上げません。もしそうのようでしたらお詫び申し上げます。
>なお、無限という概念は、極小および極大に向かって、おなじ原理で説明できるのでしょうか
恐らく、できないと思います。
「無限の段階がある」と申し上げたのはその点に関わりがあり、
「加算番付」「不可算番付」という、無限にも種類があり、それを「濃度が違う」と表現します。
#なぜ「個数」と呼ばずにで「濃度」と言うかというと、数えることが不可能であるが無限であることがわかっている段階の無限が存在するからです
「加算番付」とは「整数の個数」であり、数えられる無限です。これを「アレフゼロ」と呼び、無限の中でも最小濃度の無限と考えられています。
それに対して「実数全体の集合」は「整数の数」より濃度が濃い(一対一集合を作ろうとすると、必ず実数全体の方にあまりが出てしまう)ことがわかっています。
従って、これを「アレフワン」と呼ぶことにしています。
さて、次は多少難しくなりますが「アレフワン」の冪集合(ベキ集合)を考えると、必ず「アレフワン」より濃度が濃くなるので「アレフツー」、「アレフツー」のベキ集合を考えると今度は「アレフスリー」・・・と、
いくらでも無限の段階を上っていくことができます。
以上はURLで紹介させて頂いた「ゼロから無限へ」のラスト「・・・の話」と「無限論の教室」からお互いに用語を拝借して小生がまとめたのものです。
さて、
>無限という概念は、極小および極大に向かって、おなじ原理で説明できるのでしょうか
に戻りますと、極大に向かう場合は恐らく加算番付であり(このあたりは数学は全くダメなので全くの推測です)アレフゼロであると思いますが
極小に向かう場合は、チョコレートケーキの例のように「加算番付=アレフゼロ」であるとき(ちなみに分数全体の集合は驚くことに「アレフゼロ=整数の個数」と同じです)と、
実数全体を考えるときのように「不可算番付=アレフワン」であると考えられているので、違うものと認識すべきでしょう。
このとき、「『アレフゼロ』と『アレフワン』の間の濃度を持つ無限集合が存在するかどうか」という問題が提出されました。
もしそのような集合をΦとすると「アレフゼロ=整数の個数」「アレフワン=Φ」「アレフツー=実数全体の集合」と
名前を変えないとおかしくなります。従って「実数全体の集合はアレフワンと『呼ぶ』」ことにしており、Φが発見され次第名称が変わるはずです。
この問題を「連続隊仮説」と呼び、「Φのような集合は存在しない」という仮説が有力で、この証明が求められています。
恐らく、これを証明するとフェルマーの大定理の証明と同じくらいのお手柄になるでしょう。
あれ、よく考えたら「極大と極小に向かう場合は、無限の濃度が違うものの、同じアプローチで接近できる」ことになりましたね。失礼いたしました。
最後に、「秀吉の“初日一両”」は、最終的にアレフゼロになると考えられます。
--
>数学教育の現場では、約束ごととしての数学的概念を教えるべきだと
>いう主張と、成績を上げるためには、ひたすら練習問題をこなすべきだ
>という立場に分かれているのではないでしょうか
これは、その通りだと思います。小生は塾講師という関係上後者に属していましたが、
夏期講習中に中学生から学校で出された数学自由研究課題(20問の数学問題を解くこと)を持ち込まれたときにこれを痛感いたしました。
全てを解き終わり、結果をレポートとして生徒に渡して「これを参考にしなさい」と言ったとき、小生は自由研究課題を出された先生に当てて次のような内容の手紙を書きました。
「数学は『原理を考えること』と『解き方を暗記すること』を重視する立場がある。
これは、『畑を耕すもの』と『収穫した穀物を倉庫にためておくもの』の関係に似ている。
前者は貧乏に甘んじ、後者の方が大金持ちになれるが、後者は前者の感じる『収穫するときの喜び』を感じることは決してできないだろう。
小生は塾講師という立場上、後者の育成に力を注いでいるが、できることであれば『両方を兼ね備えた人間』の育成に当たりたいと願っている」
手前みそながら、この手紙は学校の先生に対しておおきな共感を得られたようで、
後日生徒が「学校の先生があの手紙を印刷して全員に配ったよ。これがその手紙。塾の先生に渡すように言われた」
と言って、生徒全員に配ったプリントを頂きました。
しかしながら、小生は塾の方針が、建前は前者でありながら実際の行動は後者であり、決して両者を兼ね備えた人間を育成する方針ではないと思いこみ、
絶望して塾の講師をやめてしまいました。
現在、うつ病で休職中です(笑)。
現実に理想だけで立ち向かうと、ドンキホーテのようになってしまうという実例です(笑)。
なので、決して万人にお勧めできるものではないことを追記しておきます。
かなり脱線してしまい、殆どお役に立てないとは存じますが、
お役に立ちますかどうか。
「アレフゼロ」「アレフワン」「アレフツー」のベキ集合など、初耳
でしたので、大いに参考になりました。
先のコメントに引用したウィトゲンシュタインのエピソードを、読み
かえしていたので、もう一箇所、引用させてください。彼の教師として
の姿に、わたしの小学校での恩師をかさねて思いだしてしまったのです。
── ケンブリッジにおけるウィトゲンシュタインの講義は、下準備も
ノートの類もなしに、その場で新しく思索された内容を、そのまま披露
に及ぶといったものだった。それは次のように激しい真理への憧憬、安
らぐ間もない哲学上の苦闘の連続だった。生徒たちはすっかりウィトゲ
ンシュタインの人柄に圧倒され、彼の身ぶりや手つき、あるいは口調や
強調のしかたを、知らず知らずのうちに真似するようになるほどであっ
た。 ── 十川 治江「ウィトゲンシュタイン」《世界をつくった人々
の伝記・自叙伝の名著・総解説 19780301 自由国民社》P107
「はてな?ルール」によれば、1質問で同じ人は2回しか回答できま
せんが、回答の補足訂正、質問者へのメッセージなどは「いわし掲示板」
に投稿することができます。ここで議論を(公開しながら)続けること
もできますが、ポイントは受けとれません(別の手続きをすれば可能)。
(履歴をみると E.A.Poeさんは、すでに経験されていますから、むしろ
ご自身の新しい質問として開示されるほうが合理的ですね)
わたし宛の連絡先は、わたしの仮説(?)とともに、後日このページ
最下段の「いわし掲示板」に公開します。
人力検索はてな - 質問一覧
URLはダミーです。
とりあえず、「時間は同じ速さで流れ続ける」を前提とします。
これは相対性理論から先では通用しない概念ですが、小学生相手ならネグっちゃっても良いでしょう。(^^;
ゼノンの説における矛盾は、ステップを何回続けても(到達距離が収束するのに合わせて)、時間が収束することです。
ステップを無限回繰り返した後の時間が、無限遠に向かわない時点でアウトですね。
演繹で求められるプロセスを帰納法に置き換えるときに、ごまかしがあるのは明らかです。
これを小学生に分かるように、どうやって説明するか、ですね…。
アキレウスが亀に追いつこうとする度に時間が停止するはずが無いことは、直感的に誰にでも分かります。
時間の進み方を一定にすれば、普通に亀を追い越せることも、簡単に理解可能ですよね。
したがって、ゼノンの説における時間の進み方さえ理解させれば、この説の矛盾は説明できます。
距離と時間の進み方の説明は、具体的な数字や図・グラフを使えば、分かりやすいかと思います。
わたしなら、アキレウスと亀の走る距離や時間を動画で見せるでしょう。
時間は、アキレウスが亀に追いつくところで、針が一回りすると分かりやすいですね。
これでゼノンの説と実際のパターンを見せれば、時間の流れの奇妙さが分かりやすいかと思います。(無限という概念は表に出しません)
ただ、この回答はあまり面白くないんですよね。
これでは、何が矛盾しているのか、何故こういうゴマカシが可能なのかを説明していませんし、理解もさせていません。
数学的な面白さに欠けます。(というか、台無しにしているかも)
締め切りまでにもっと良い答えを(奇跡的に)思いついたら、もう一度回答しても良いでしょうか?
ぜひとも奇跡的な名答をお寄せください。
締切に関する「はてな?ルール」は、よくわからないのですが、昨日
つぎのようなメールが届きました。
>>
Mail’2003/09/29 (月) 3:30
「はてな 質問を終了してください」
はてなから、質問終了のお願いです。
adlibさんが質問を登録されてから、3日が経ちました。
質問情報
〜〜〜〜〜〜〜〜
質問内容:(略)
下記URLから質問ウィンドウを再表示し、回答を見て、質問を終了さ
せるか、次を探して!を選択してください。
http://www.hatena.ne.jp/1064514314
なお、質問が10日間放置されますと自動的に質問を終了させて頂きま
すので、ご注意ください。
<<
「次を探して!」とは「次の回答を見たい!」のことらしいので、今
までと同じ操作をすると、元どおり回答を受けつけることができました。
「3日が経ちました」という催促と「10日間放置されますと云々」には
論理の飛躍が感じられますが、おいおい改善されるよう期待しましょう。
まるで、回答者=アキレウスに、質問者=カメが追われているようで、
うっかりするとアキレウスがカメの頭上を飛びこえてしまいそうですね。
三番煎じですが、みたびウィトゲンシュタインのエピソードから。
── 歩きながら私たちは天体の運行について話していた。と、ウィト
ゲンシュタインが思いついて、われわれ三人がそれぞれ太陽・地球・月
の立場になって、たがいの運行関係をやってみようと言いだした。私の
妻が太陽で、ずっと同じ歩調で草の上を歩く。私は地球で妻の回りを駆
け足でまわる。ウィトゲンシュタインは、いちばんたいへんな月の役を
引き受けて、妻の回りを走ってまわった。ウィトゲンシュタインは、こ
の遊びに熱中し、走りながらわれわれに大声で指示を与えた。そして、
息が切れて目がまわり、くたばってしまった。
── ノーマン・マーコム/板坂 元・訳
《ウィトゲンシュタイン 〜 天才哲学者の思い出 〜 19・・ 講談社》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4061157450
── Malcolm, Norman/板坂 元・訳《ウィトゲンシュタイン ~
天才哲学者の思い出 ~ 197401・・ 講談社》誤=ノーマン・マーコム
http://d.hatena.ne.jp/lastline/
最終防衛ライン2
URLはダミーです
わたしのはてなダイアリーです
ゼノンの詭弁は
無限小数と分数の関係なのだと思います
1/3=0.3333・・・・・・・
と同じように
7.回答者:Wutugu0276さんを例に取ると
アキレスがカメに追いつく時間は
1.111・・・・・・=10/9秒後ということになります
実際に連立方程式を立てて解くと良く分かるのですが
小学生では確か習わなかったのでダメですね
あなたの日記を拝見しました。
「周りの人や自分の歩く速さが明らかに常態よりも速く感じる(0925)」
この感覚は年令によって変化することもあり、高校時代の友人なども
「むかしは一日が長かったのに、近頃は、あっというまに一年が過ぎる」
と云っています。
一説によると、若いころは脈拍が速くて、年をとれば遅くなるので、
おなじ時間経過に対する速度感覚が変化するそうです。
年令とは別に、自動車を運転していて、信号待ちで停車しているのに、
なぜかバックするような錯覚もあります。この場合、となりの大型バス
などが前進したため、むしろ自分の車が後退したように体感するらしい
のです。
これを、物理学で説明するか、生理学や心理学でとらえるか、または
「光陰矢のごとし」などと説教調にすりかえることもできます。
あなたの回答から感じたことを、思いつくまま書いてしまいましたが、
ある人が「時の科学」を語っているのに「光陰矢のごとし」と答えれば、
対話そのものが成立しないかもしれませんね。
ことし夏のCM「お前の話は、つまらん!」は、なかなかの傑作だと
思ったので、スポンサーの「制作意図」を読んでみたところ、まったく
つまらないのです。→《与太郎文庫 20030927》
ゼノンの説で、アキレスが亀に追いつかないのは、足してる時間が少なすぎて追いついてない
=追いつく以前の時間を細かく分割してる
ということを、小学生に分かってもらうのですよね?
上記URLに説明を書いてみました。
う〜ん、どうでしょう?
ほのぼのとしたスケッチ、この質問のために描いてくださったようで、
感謝します。
「こうやって時間を積み重ねると、どこかで追い越せるんだよ」という
結論ですが、「どこかで」というあたりが難関ではないでしょうか。
AとBの速度比が2倍のとき、始点距離(ハンディ)の2倍地点で、
追いつきます。また、両者の速度比が2倍以上ならば、始点距離の2倍
以内の地点で、AはBを追い越すはずです。
あるいは速度に関係なく、Aの歩幅が「Bの体長+始点距離」よりも
大きければ、最初の一歩で追い越すはずですが……。
というような堂々めぐりを、もっと楽しみたいのですが、またも催促
メール「7日が経ちました」ので「質問を終了してください」が到着、
「未読の質問があります」とあるので(残念ながら)つぎの質問を最後
としなければならないようです。
URLはダミーです。(が、私の説よりずっと良いです)
懲りずに再チャレンジに来ました。
以下、「アキレスとカメ」の疑問についての説明 sasada版<Ver.2>です。
まず、問題を
(1)アキレスと亀が再接近するまで
(2)その後
に分けます。
(1)について:
アキレスが亀を追いかけている間、その間の距離はドンドン狭くなります。
STEP 0:
回答3に倣って、亀の速度を秒速1メートル、アキレウスの速度を秒速2メートルとして、初めの両者の距離を2メートルとします。
初期状態で両者の差は2メートルです。
STEP 1:
アキレウスが(亀がいた)2メートル先に進んだ時(1.0秒後)、亀は1メートル進んでいます。
この時点で両者の差は1メートルです。
STEP 2:
アキレウスが(亀がいた)1メートル先に進んだ時(0.5秒後)、亀は0.5メートル進んでいます。
この時点で両者の差は0.5メートルです。
STEP(n):
この時点で両者の差は2/(2^n)メートルです。
STEP(無限):
この時点で両者の差は2/(2^無限)メートルです。
分子は有限かつ分母は無限ですので、この値はゼロになります。
したがって、無限ステップ後の両者の距離はゼロメートルになります。
(1)の結論:
最接近の結果、アキレウスは、みごと亀に追いつきました。
(2)について:
(1)の後で、アキレウスと亀は同じ位置にいます。
同時スタートでアキレウスの方が早い以上、アキレウスが先に進みます。
(2)の結論:
(1)の開始時点で亀の後ろにいたアキレウスが、(2)の時点で亀の前にいて差を広げています。
アキレウスは、ついに亀を追い抜きました!!
解説
この説明は、二つの点でゼノンの仮説を出し抜いています。
・全体のステップを亀に追いつくまでと、亀に追いついてからに分けています。
ゼノンの説は、正の量しか扱えないところに問題が有ります。
正と負が逆転するタイミングで、「存在」の定義を入れ替えています。
・(1)のSTEP(無限)で、両者の距離をゼロメートルとしています。
ゼノンのいう「部分は全体より小さくなければならない」を踏襲するならば両者の距離は限りなく小さくなるにしても、ゼロにはなりません。
ただ、「飛んでいる矢は止まっている」の論理を受け入れるなら、ここをゼロメートルとするのは間違いとは言えないでしょう。
この説の中で「無限分の一の移動はゼロに等しいが故に、矢は止まっている」とされています。
この説の特徴:
・時間の概念を導入せず、「存在」だけを用いて説明している。
・ゼノンの矛盾を突くのに、別のゼノンの説(飛んでる矢)を用いている。
・結局、小学生には難しい話になっている。(哀
以上です。
お粗末様でした。
ご紹介のURL(ダミー)、横井直高《本当のことを知りたい》は、
親しみやすい文章で、ユニークな労作ですね。
あなたの再チャレンジ説も、ゼノンに一矢報いんとする意欲にあふれ、
最終回、決死のダブル・スチールみたいですね。
質問者のコメントがおくれて、回答者のみなさんには失礼しました。
はてな管理者から再度の「終了勧告」があり、誤操作によるものか、
コメントを入力する前に、回答が締切られてしまいました。
このままでは「強制終了」となり、ポイントも「均等処理」されて
しまいそうなので、大急ぎでポイント配分しておきます。
このつづきと、私の「仮説」は、すべて下記のURLに掲載します。
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20031003
(adlib 宛のメールは、下段 [MAIL] から起動できます)
いただいたメッセージは《与太郎文庫》に引用されることがあります。
ご意見を公表される場合は「いわし掲示板」に追記してください。
(ポイントおよびコメントは差しあげられません)
ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。
Yours faithfully until we meet again.
日記拝見しました。
「上の説明では分かりにくいの思うので、検索すれば納得行
く答えが見つかるかもしれません。」というのが、あなたの
回答でしょうか?
(わたしが検索したところでは、見つからなかったのです)
お尋ねについて。
1=世界中の小学生です。
2=設問を理解できる小学生に限ります。私が、この詭弁を
家庭教師の大学生に教わったのが小学校6年生のときで、
それから35年後、ようやく仮説にたどりついたのです。
3=お尋ねの「掲示板」とは「さるHPに公開済み」のこと
でしょうか。そのURLは、一週間後の「いわし掲示板」
に掲載する予定です。「いわし掲示板」は、それぞれの
質問と回答が終了したあとに続きます。
(小見出しをクリックすると、ツリーが開きます)
4=ポイント&回答終了は、質問者が(同時に)決定します。
どのような配分にすべきか、いつも迷うところですが、
回答者の品位を尊重したいので、寛容なユーモア精神で
受けとってください。