平清盛の弟で歌人としても有名な薩摩守忠度という人がいますよね。この人は確か熊野出身で鹿児島へなんか行ったことがあるとも思えないのにどうして薩摩守なのでしょうか?それともこの薩摩は鹿児島とは関係のない別の薩摩なのでしょうか?この悩みが解決しないと安心してキセル乗車も出来ません・・・。

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  • 登録:2004/01/20 22:54:24
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回答(7件)

id:auauauaupyon No.1

auauauaupyon回答回数602ベストアンサー獲得回数02004/01/20 23:09:20

ポイント20pt

現在の鹿児島県の西部にあたる地域の長官をしていた人とありますので、普通にそのままの意味のようですね。

id:onojima

なるほど、やはり鹿児島の薩摩の長官だったんですね。

しかしまた、なんでそんな遠くの土地の長官に任命されたのでしょうか?

2004/01/20 23:28:59
id:shuubi No.2

shuubi回答回数103ベストアンサー獲得回数02004/01/20 23:13:45

ポイント20pt

ここで言う薩摩とは出身を表すものではなくその役職を表すものですね

薩摩の守護の忠度ということですね

id:onojima

ううむ。

しかし、薩摩の守護なら薩摩にいなければ勤まらないと思うのですが、忠度が住んでいたのは都ですよね。そこが疑問なのですが・・・?

2004/01/20 23:32:14
id:toronei No.3

織田聡史(おりた)回答回数64ベストアンサー獲得回数12004/01/20 23:14:20

ポイント20pt

例えばリンク先の上杉の家臣直江兼次が山城守のように、戦国時代や江戸時代には、完全に「守」という役職は名目だけの名誉職となっていました。

要するに序列のための名前みたいなものです。

その傾向はもうこの時期からあったということで説明になっているでしょうか?

「守」に限らず、例えば信長も関東になんか行ったこともないのに、「上総介」ですしね。

id:onojima

なるほど。

実際にその土地の守護をしていたわけではないんですね。

行ったこともない土地の長官だと言って当時の政治家はいばってたわけですな。

2004/01/20 23:35:42
id:delunnehr No.4

delunnehr回答回数50ベストアンサー獲得回数02004/01/20 23:15:55

ポイント20pt

簡単な略歴がこちら。

こちらが少し詳しいもの。伯耆守だったこともあるのがわかります。

どうも、形式的なもののようですが、当時は代理人を派遣することもできましたから(目代モクダイといいます)、問題はないようです。平氏は西日本が地盤でしたから。

id:onojima

なるほど。

平氏にとって九州は無縁の土地というわけでもないのですね。

そのわりには、都落ちして逃げ込んだときに九州勢にはあっさり裏切られてますけど・・・。

2004/01/20 23:39:34
id:leningradcowboy No.5

leningradcowboy回答回数43ベストアンサー獲得回数02004/01/20 23:17:46

ポイント20pt

平家一門の平忠度(たいらのただのり)が薩摩守に任ぜられ、薩摩守忠度となりましたが、忠度は京に留まり、替わって薩摩での政治を実際に行う留守役に平盛俊が赴任したとあります。

id:onojima

おお、ちゃんと留守役を派遣して統治していたんですね。

これを見ると当時薩摩は重要な防衛拠点だったようですから、薩摩守はあながち名ばかりの名誉職ではなかったわけですな。

2004/01/20 23:47:04
id:mi-si No.6

mi-si回答回数207ベストアンサー獲得回数02004/01/20 23:18:58

ポイント20pt

国司は中央の役人が任じられて、地方に派遣されます。大体は本人の階級や前職などで、決められます。なのでたまたま薩摩守に任じられただけでしょう。

平安時代には、上級貴族出身者は、国司の官位についても実際に任地に赴くケースはほとんど無くなります。さらに時代が下り、律令制が崩壊すると唯の名誉職みたいに成ってしまいます。薩摩守忠度も役職として薩摩守に任じられただけで、実際には任地に赴いていないでしょうね。

id:onojima

なるほど、時代によって国司のありかたも変化していったのですね。

2004/01/20 23:49:57
id:Wutugu0276 No.7

Wutugu0276回答回数99ベストアンサー獲得回数22004/01/20 23:20:03

ポイント20pt

URLはダミーです。

「薩摩守」とは薩摩国を納める長ということで、今で言うと鹿児島県知事のような官位です。

従って、別に薩摩出身とかである必要はないわけです。今だって、必ずその都道府県の出身者が知事をやっているわけではないですし。

特に、平清盛は一族を日本全国の国の守に任命しましたので、出身とかにこだわってはいないと思います。

一族なんだからほとんどみんな出身地が同じなわけですし。

清盛が一族をやたらと任命した理由は収入を多く得るためです。

ですので、任命する国は石高の大きい大国が優先されたと思います。

薩摩は戦国時代の検地では34万石。決して豊かな国ではなく官位も低いのですが、

平家の知行国が全国の半分にも及んだこと、藤原氏などの貴族の知行国の存在、忠度が末弟であったことなどを考え合わせると多少納得がいくかもしれません。

id:onojima

末弟だから僻地しか残されていなかったのかな?

租税を得るというのも守護職として重要な任務だったわけですね。

さて、皆さんおかげさまで長年の疑問が解けました。

これで安心してキセル乗車をすることが出来ます。(違っ!

2004/01/20 23:58:13

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