「反論」ではありませんが、おかまいなければ。
私が思うに、事件の最初からこの三人の行動ならびに家族の言動に特定の政治思想や意図がみえかくれするところが問題だと思うのです。
江川氏は雲仙普賢岳の噴火災害を例に出しておられますが、そのときのジャーナリスト自身やその家族・関係者がヒステリックに自分の主義主張を繰り返し、押し通そうということはしていない筈です。
世論といわれるものも、今回の事件の経緯を見つめていて感じた何ともいえない不快感を「自己責任」という言葉に仮託して表現しているだけではないかと思います。
三人も人間ならば、救出する側も人間、傍観するものも人間です。人間は感情の動物といわれますが、感情を逆撫でする要素があることを抜きにして「自己責任」の意味を論ずることは意味のないことのように考えます。
江川氏のおっしゃること自体に反論はまったくなく、まさに卓見そのとおりであると思いますが、世論は報道記事には左右されておらず、テレビ映像をみて家族や三人の言動を見聞して沸き起こった感情から発言しているのであり、報道が世論を煽動、という次元ではなかろうと思う次第であります。
以上です!編・集・長!(←古っ!)
URLはダミーです。
>>しかし、人の命に対して、どうしてここまで鈍感でいられるのか。
日本の歴史を見ても、また世界的に見ても、人間は人の命に敏感だったことは無いのではないでしょうか。理想ではありますが、それは押し付けられるものでは無いと思います。
>>そんな中で、家族が待機している北海道東京事務所の電話とFAXの番号を公表した。多くの人たちの協力を求めるためというが、家族が傷つけられ、心労を増やすだけの結果にならなければいいのだけれど……。
これに関してはほぼ同意します。匿名の暴力が噴出してた悪例です。
>>冬山での遭難にたとえて自己責任を論じる人がいるが、仮にその例えに沿って話を進めたとしても、その捜索にあたる警察の山岳救助隊が、救助作業の途中で遭難者の「自己責任」を云々するだろうか。そんなことはありえない。
雪山での遭難は天災です。今回の事件は人災です。
総括として、3人に同情の余地は十二分にあります。しかし、避難する人の根底には「政治的なカードを切られた」という思いがあるのではないかと思います。日本国ひいては自分が不利な状況に陥るという思い、それは自分勝手なことかも知れませんが、それを否定する権利は誰にもないでしょう。
マスコミ・政府が「自らの管轄外で勝手なことをして不利な状況に陥っている」という見解を示し、またそれに追随するように国民が罵詈雑言を吐く。この図式は容易に想像できます。
今回の事件で誰が悪いということも無いですが、強いて言えば拉致された方の家族のマスコミ対応が脅迫的で「視聴者の反感をかった」のではないでしょうか。
自分がその立場にたったら、と考えると難しいことかもしれませんが、もし、家族が同情を請うようにに発言していたのならばここまで大事にならなかったでしょう。切羽詰まった状況でこそ、「自分が求める結果を得るための、人の動かし方」を見誤ったと思います。だから、自作自演説なども浮上したのでしょう。
>雪山での遭難は天災です。今回の事件は人災です。
うーん、このへんはいかんとも。
予測できたのではという点では似たようなものだと思います。
でも、いただいた回答でもやはり
本人や家族の態度が問題のようですね。これは全く納得です。
回答ありがとうございました。
まず、三邦人と亡くなった外交官を同列に扱うことに無理があるでしょう。
イラクが危険な状態であることを知った上で、ボランティアとは言え私用で入国した民間人と、政府の業務により国の仕事のために滞在していた官吏ですから、後者は政府の責任であっても、前者は当人が自己の責任のみで活動していたはずです。
「彼らは立派な仕事をしていた」というのはそうかもしれません。しかし「だから政府は何にかえてでも彼らを救う義務がある」というのは論理の飛躍でしょう。政府が委託した業務でもなく、退避勧告すら出していたのですから。個人的には「自己責任」はせいぜいこの辺までと思います。もし万が一犠牲になっていたとしても政府の責ではない。けども、同時に漠然と「世間に迷惑をかけて」と責めるための言葉として「自己責任」を使うのもおかしい。かかった費用の賠償云々については、政府が検討して適切に処置すればいい。それだけのことと思います。
「自己責任」論による弾劾もおかしくはありますが、それに反発し、三人が自己判断で退避勧告の出ていた地域に入ったことは棚上げした上で、政府が悪い、的反応も間違っていると考えます。また、以下の記事では
<i>>安田さんらは拘束された3日目に、犯人グループから「お前を殺した場合に日本の首相は責任をとるか」と聞かれ、「それはないと思う」と答えたという。</i>
という記述もあり、自警団的性質の強い安田・渡辺両氏を拘束していたグループではありえなさそうですが、法人拉致・殺害で政権がひっくり返るとなれば、それを実行するグループもありうることが示唆されています。
「なぜ自衛隊を撤退しないのか」という人たちは、安易に要求を飲む、政権をゆるがすことにより逆に法人の危険を高める可能性についてどう思っているのかは逆に気になります。
ふむふむ、この回答も納得です。
全てではないが、やはりある程度は
本人たちにも責任があるということでよいでしょうか。
僕は最初、自衛隊は撤退するべきかなと思いましたが、後半のコメントも納得です。
派遣自体は反対でしたが、いったん派遣したものを
ああいう理由で覆すのはよくないのだなと考えを改めさせられました。
(イタリアみたいに人が死んだらまた考えも違うかもしれませんが、
そのへんはなってみないと正直わかりません。すみません)
みなさま漠然とした質問にも関わらず、
長文での理性的な回答ありがとうございました。
本当に感謝。
Egawa Shoko Journal
自己責任、自己責任と何だかとっても大層な事を言っているように思いますが、要は世の中の多くの方が「常識」「当たり前」「言わなくてもわかる事」と思う事を悉く家族の人達が「助けて下さい」と赤の他人に物を言う際に「要求」だの「条件」をつけてトンチンカンな状態になっただけではなく、その状況が「普通の人」「一般的な人」にとって「非日常的」であり「無礼」であり、「意味不明」だったのではないでしょうか?
専門家は難とでも言えますが、「まさかこんな事を言い続けるとは・・・」と呆れる世論を専門家的に常識的に言うから「自己責任」と言う話に飛んでしまうのだと思います。
人に何かを頼むときは頭を下げる、お礼を言う、お手数をお掛けしたと謝罪する、この常識がどこかで吹っ飛んだ事が悲劇の始まりだったのでしょう。
回答ありがとうございました。
ポイントがなくなってきたのでそろそろ終了したいと思います。
すばらし〜い。
自分は普段テレビを見ることが無いので
あまりわからなかったのですが、
いわれてみれば確かにそのとおり。
個人的には世論は感情で動いてもまだわかるんですけど、
政治家が苦言を呈すのはやっぱりまずかったのかなーと思いました。
この回答をいただいてすごく納得です。
本当にありがとうございました。