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物語の冒頭。どちらの文章が好きですか。ちなみに一番目が川端康成のもの。…
shikakun
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生活
物語の冒頭。どちらの文章が好きですか。ちなみに一番目が川端康成のもの。理由をいわしに書いてくれると嬉し。
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男性,女性
20代未満,20代,30代,40代,50代,60代以上
登録:
2004/05/18 17:19:47
終了:--
※ 有料アンケート・ポイント付き質問機能は2023年2月28日に終了しました。
回答
(
101
/ 0件)
Q01
(択一)
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
21
国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国であった。
79
その他
1
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コメント
(27件)
todo_todo
2004/05/18 17:22:37
上
日本語の特徴は、わかっていることはあえていわないところにあり、また代名詞を使用しないことにあるので、上のほうが日本語らしいと感じます。
wintarsnow
2004/05/18 17:23:41
2番目です。
抜けると、そこは…
と、「間」があった方がどきどきするので好きです。
heno4
2004/05/18 17:23:59
下
リズミカルだから。
耳になじんでいるから勝手に音程がついてそう感じるだけかも知れませんが。
shikakun
2004/05/18 17:24:48
Re:上
早速の返信ありがとうございます。
上の方がすっきりしてますよね。プロなら、上って言う気がするんです。
ただ、リズムは二番目の方がいい気がしないでもないんですよねー。うーん。
satosu
2004/05/18 17:26:24
下
上のは、説明文みたいだと感じました。あの道を行くと雪国へ着くんだよ。というような。
下のは、実際に長いトンネルを抜けた感じがしました。
ましたってのは、実際に読んだときに思った感想。確か2度目に読んだときです。1度目は、ふーん。雪国かい。と思ったのを覚えています。
shikakun
2004/05/18 17:31:46
Re:下
なるほど。心持ち・感情といったものは確かに二番目の方が行間に流れているような気がしますね、はい。
ああ、それと、
国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。
というのも選択肢に入れておくべきでした。
nagisa00a
2004/05/18 17:32:40
下
文学的にも、耳にきれいに届くのは下ですね。
リズムがいいせいですかね。読点のおかげで。
pepen
2004/05/18 17:35:14
原文を知っているから
日本らしさというか情緒みたいなものが感じられるので下ですね。
最近の小説に使うんなら上でしょうけど。プロとか素人とかじゃなく本の内容にあった文が必要なのではないでしょうか?
shikakun
2004/05/18 17:38:47
Re:原文を知っているから
確かにこの文章だけ抽出しても、とりとめのない回答しか得られないでしょーね。
そもそも、
①国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
②国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった。
③国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。
④国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国であった。
と、すべきでした。
hiwamatanoboru
2004/05/18 17:39:21
上
今の自分が書くとそういう文章になると思うから。
dzf03173
2004/05/18 17:43:07
上
シンプル。説明的でない。そしてオリジナルの美しさがあります。
nagisa00a
2004/05/18 17:43:49
あと。
上は耳にひっかかりませんが、下はワンクッションおくことで、
自然と「雪国」が強調されています。
shikakun
2004/05/18 17:45:01
Re:上
オリジナルの美しさとは……?
pepen
2004/05/18 17:46:07
補足
当初は「国境のトンネルを抜けると、窓の外の夜の底が白くなった。」となっていたようです。改定を重ねどんどん内容が変わっていったらしいですね。文を比べるなら主観の入らない創作ものの方がよいかも。やはり点ひとつ字間ひとつで雰囲気が変わると思います
blueleaf
2004/05/18 17:50:58
国境の読み方
川端康成は「くにざかい」と読ませたかった、とどこかで読んだ記憶がありますが(というか皆さんはそう読んでおられるのかもしれませんが)
こっきょうと発音すると、下のほうがリズム感があって私的には読みやすく感じるのです。(下に投票しました)
でも、「くにざかいの長いトンネルを抜けると雪国であった」とするならやはり上の方が情緒を感じるような気がします。
shikakun
2004/05/18 17:51:32
Re:補足
その文章は知りませんでした(「窓の外の夜の底」はちょっと言いづらい)。
確かに有名すぎて先入観が先立ってしまいますね。
個人的に、読点よりも「そこは」に重きを起きたかったので、今回のアンケートは少しく失敗でした。
shikakun
2004/05/18 17:57:05
Re:国境の読み方
「こっきょう」と読んでました。
「くにざかい」なら――確かに、上の方がいいような気がしないでもないです。うるる。
mitimasu
2004/05/18 18:01:46
上です。
悩みました。
下の方が読みやすくてわかりやすいのですが、それゆえに小説の出だしとしては説明的すぎて印象に残らないような気がしました。
原文の方が文章として歯ごたえがあります。
名文として歴史に刻まれることはあるな、と思いました。
yasukana
2004/05/18 18:03:59
私は下だけど。。
私は文章能力が無い(らしい)からか、下の方です。
理系人間だからかもしれないです。
「トンネルを抜けると雪国だった。」
と言われると
「え?何処が?何が?」
とか考えちゃいます。
でも、本を読んでる最中で「その作者のリズム」
に酔ってる時には微塵も思わないですね。
多分それが「文学」なんじゃないですか。
私には難しいですね。
coxcomb
2004/05/18 18:09:33
Re:どちらの文章が好きですか。
あの小説に関しては、あれでいいと思います。
後者では「そこは雪国であった」がどうしても強調されてしまいますよね。
他の方の意見にもありましたが「ちょっと劇的な感じ」になります。
ポンっと投げ出されたと言ってものいいくらいに雪国への場面転換に注目が集まってしまう。
でも、ここでそこまでの動揺があるかな?と考えると、
もうちょっと自分自身の心持ちに対して意識がいっている。
自分としても前者を選ぶかなと思います。
shikakun
2004/05/18 18:14:22
Re(2):どちらの文章が好きですか。
全くの話、まだ「雪国」を読了していないんですけれど、上の場合、なるほど主人公の心情が冷めているような感じになってますね。
むつかし。
dalian3
2004/05/18 18:23:46
私も理系だから?
理系だからかどうか分かりませんが、下の方が好きです。
「抜けると、そこは」と来ると、自分も文章と一緒にトンネルを抜けて
「そこ」に着いたような感覚を受けます。
説明っぽいと言えばそうかも知れませんが、素直に感情が入っていきます。
yokikotokiku
2004/05/18 19:29:59
(投稿者削除)
yokikotokiku
2004/05/18 19:43:41
当初は2
当初はこの文章のアトに、逗留予定先のなじみの芸者駒子との情事の回想が続き、
「指の匂いをかいでみたりしながら」なんてキワドイ描写もあったそうですが、時節柄(1937年刊行)いろいろ検閲されて全てばっさりカット、今のこの有名な文章に変えた、んだそうです。
(モト資料が手元にないので記憶で書いてるので細かいトコ違うかも)
意識的にシンプルな「説明だけ」の文にしたのかもしれません。
yokikotokiku
2004/05/18 20:55:29
あと
この後の文章は
「夜の底が白くなった」だと思います。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。
でひとつのフレーズだと思います。
そういう見方だと「そこは雪国であった」という文は主張が強すぎて後の文とのバランスが悪くなるかと思います。
自分の印象だと「そこは雪国であった」と強調して言われると、昼間の景色、一面の銀世界を思い浮かべてしまいます。
でもこの文章では場面は夜で、夜だという説明と視覚的なインパクトは全て後半の文章に負っています。
ですから前半の文章はむしろ説明だけで十分な気がします。
shikakun
2004/05/18 22:42:12
Re:あと
なるほど。確かに前後(といっても後ろだけ)の文章も併記しておくべきでしたね。
言われてもれば、「夜の底〜」のことも考慮すると、上の方がしっくりくるような気がします。
shikakun
2004/05/18 22:48:31
Re:当初は2
ああ。彼が随意に行儀のよい文章にしたわけではないんですか。
揣摩臆測ですけれど、たとえば、太宰治にしても、情事のシーンなんてないですよね。多分。
それに引き比べて、現代はよほど開放的な小説が多い(と思います)。
これは時節柄の所為ですか。
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コメント(27件)
日本語の特徴は、わかっていることはあえていわないところにあり、また代名詞を使用しないことにあるので、上のほうが日本語らしいと感じます。
抜けると、そこは…
と、「間」があった方がどきどきするので好きです。
リズミカルだから。
耳になじんでいるから勝手に音程がついてそう感じるだけかも知れませんが。
早速の返信ありがとうございます。
上の方がすっきりしてますよね。プロなら、上って言う気がするんです。
ただ、リズムは二番目の方がいい気がしないでもないんですよねー。うーん。
上のは、説明文みたいだと感じました。あの道を行くと雪国へ着くんだよ。というような。
下のは、実際に長いトンネルを抜けた感じがしました。
ましたってのは、実際に読んだときに思った感想。確か2度目に読んだときです。1度目は、ふーん。雪国かい。と思ったのを覚えています。
なるほど。心持ち・感情といったものは確かに二番目の方が行間に流れているような気がしますね、はい。
ああ、それと、
国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。
というのも選択肢に入れておくべきでした。
文学的にも、耳にきれいに届くのは下ですね。
リズムがいいせいですかね。読点のおかげで。
日本らしさというか情緒みたいなものが感じられるので下ですね。
最近の小説に使うんなら上でしょうけど。プロとか素人とかじゃなく本の内容にあった文が必要なのではないでしょうか?
確かにこの文章だけ抽出しても、とりとめのない回答しか得られないでしょーね。
そもそも、
①国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
②国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった。
③国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。
④国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国であった。
と、すべきでした。
今の自分が書くとそういう文章になると思うから。
シンプル。説明的でない。そしてオリジナルの美しさがあります。
上は耳にひっかかりませんが、下はワンクッションおくことで、
自然と「雪国」が強調されています。
オリジナルの美しさとは……?
当初は「国境のトンネルを抜けると、窓の外の夜の底が白くなった。」となっていたようです。改定を重ねどんどん内容が変わっていったらしいですね。文を比べるなら主観の入らない創作ものの方がよいかも。やはり点ひとつ字間ひとつで雰囲気が変わると思います
川端康成は「くにざかい」と読ませたかった、とどこかで読んだ記憶がありますが(というか皆さんはそう読んでおられるのかもしれませんが)
こっきょうと発音すると、下のほうがリズム感があって私的には読みやすく感じるのです。(下に投票しました)
でも、「くにざかいの長いトンネルを抜けると雪国であった」とするならやはり上の方が情緒を感じるような気がします。
その文章は知りませんでした(「窓の外の夜の底」はちょっと言いづらい)。
確かに有名すぎて先入観が先立ってしまいますね。
個人的に、読点よりも「そこは」に重きを起きたかったので、今回のアンケートは少しく失敗でした。
「こっきょう」と読んでました。
「くにざかい」なら――確かに、上の方がいいような気がしないでもないです。うるる。
悩みました。
下の方が読みやすくてわかりやすいのですが、それゆえに小説の出だしとしては説明的すぎて印象に残らないような気がしました。
原文の方が文章として歯ごたえがあります。
名文として歴史に刻まれることはあるな、と思いました。
私は文章能力が無い(らしい)からか、下の方です。
理系人間だからかもしれないです。
「トンネルを抜けると雪国だった。」
と言われると
「え?何処が?何が?」
とか考えちゃいます。
でも、本を読んでる最中で「その作者のリズム」
に酔ってる時には微塵も思わないですね。
多分それが「文学」なんじゃないですか。
私には難しいですね。
あの小説に関しては、あれでいいと思います。
後者では「そこは雪国であった」がどうしても強調されてしまいますよね。
他の方の意見にもありましたが「ちょっと劇的な感じ」になります。
ポンっと投げ出されたと言ってものいいくらいに雪国への場面転換に注目が集まってしまう。
でも、ここでそこまでの動揺があるかな?と考えると、
もうちょっと自分自身の心持ちに対して意識がいっている。
自分としても前者を選ぶかなと思います。
全くの話、まだ「雪国」を読了していないんですけれど、上の場合、なるほど主人公の心情が冷めているような感じになってますね。
むつかし。
理系だからかどうか分かりませんが、下の方が好きです。
「抜けると、そこは」と来ると、自分も文章と一緒にトンネルを抜けて
「そこ」に着いたような感覚を受けます。
説明っぽいと言えばそうかも知れませんが、素直に感情が入っていきます。
当初はこの文章のアトに、逗留予定先のなじみの芸者駒子との情事の回想が続き、
「指の匂いをかいでみたりしながら」なんてキワドイ描写もあったそうですが、時節柄(1937年刊行)いろいろ検閲されて全てばっさりカット、今のこの有名な文章に変えた、んだそうです。
(モト資料が手元にないので記憶で書いてるので細かいトコ違うかも)
意識的にシンプルな「説明だけ」の文にしたのかもしれません。
この後の文章は
「夜の底が白くなった」だと思います。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。
でひとつのフレーズだと思います。
そういう見方だと「そこは雪国であった」という文は主張が強すぎて後の文とのバランスが悪くなるかと思います。
自分の印象だと「そこは雪国であった」と強調して言われると、昼間の景色、一面の銀世界を思い浮かべてしまいます。
でもこの文章では場面は夜で、夜だという説明と視覚的なインパクトは全て後半の文章に負っています。
ですから前半の文章はむしろ説明だけで十分な気がします。
なるほど。確かに前後(といっても後ろだけ)の文章も併記しておくべきでしたね。
言われてもれば、「夜の底〜」のことも考慮すると、上の方がしっくりくるような気がします。
ああ。彼が随意に行儀のよい文章にしたわけではないんですか。
揣摩臆測ですけれど、たとえば、太宰治にしても、情事のシーンなんてないですよね。多分。
それに引き比べて、現代はよほど開放的な小説が多い(と思います)。
これは時節柄の所為ですか。