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政治・社会
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中絶についてどう思いますか。
ippo
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政治・社会
中絶についてどう思いますか。
回答の条件
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男性,女性
20代未満,20代,30代,40代,50代,60代以上
登録:
2004/06/01 10:27:36
終了:--
※ 有料アンケート・ポイント付き質問機能は2023年2月28日に終了しました。
回答
(
500
/ 0件)
Q01
(択一)
生まれる前も人間なので、してはいけない。
44
生まれる前も人間なので、できるだけ避けるべき。
309
生まれる前も人間だが、かまわない。
36
生まれる前は人間ではないが、してはいけない。
5
生まれる前は人間ではないが、できるだけ避けるべき。
41
生まれる前は人間ではないから、かまわない。
14
その他
51
合計
500
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コメント
(31件)
todo_todo
2004/06/01 10:40:00
その他
肉体的精神的ダメージを考えない安易な議論は避けるべき。
きゃづみぃ
2004/06/01 11:16:34
Re:その他
産まれて不幸になるなら中絶もやむをえないかも。
yasukana
2004/06/01 11:43:11
Re:その他
中絶は出来ればしないに越した事は無いですよね。
でも、育てる事に関して責任が持てない場合、
自分の体半分を失う程の覚悟を持って中絶するなら
仕方の無い事だと思います。
受精、着床した生命が育っていれば、これはもう一つの生命です。
これが人間であれ、その他の生物でも、一つの個体が成長している過程です。人間の場合も、これはその個人が育っていると考えていいでしょう。
ただ、そうしてしまうと、中絶手術が「殺人」になってしまうので、色々考慮した結果妊娠5ヶ月未満を中絶可能に「取り決めた」わけです。
日数が経過してからの中絶は母体に対するダメージが大きいので、
法律が無くても現在制限されている日数以降の中絶は避けるべきだと思います。
ASHURA
2004/06/01 11:56:46
生まれる前も人間だがかまわない
産まれて不幸になるの主語が子どもである社会は「かなしい」
産んで必ず幸せになるとも限らない
母胎の中の命より、母体となる人間の生活を優先してしまえ、
としかいえない
kodomono-omocha
2004/06/01 12:01:53
Re:生まれる前も人間だがかまわない
生まれてから餓死させるぐらいなら生まないほうが良いと思う。
難民キャンプで生まれる子供は、食料と言うものはどこからの知らないおっさんが毎日持ってきてくれるものだと思う。難民キャンプはいわゆる社会制度というものがない孤立した不思議な原始世界であり、学校で教育を受け、働いて対価を得ていきて行くという概念が育たない。
人として、社会に出て行けないもうどうしようもない。
ASHURA
2004/06/01 12:24:07
生まれる前も人間だがかまわない
強姦されても中絶なんてできないという社会もある
日本の知人が話してくれた経験:某女子医科大付属病院を訪ねたところ、
「ここはあなたのような(お産でなく中絶する)人が来る所ではないのよ」
と看護師に言われて(当時は「看護婦」)個人病院で中絶した
建前と本音で2項対立するのと違う方法をはてなで学びたい
各自の思いこみや感情から出発して
ていねいな対話までじわじわと10年がかりで変容していけるところ
「いわし」に望みを託してみるテスト
michik0s
2004/06/01 15:30:18
一応
2番を選びましたが、「生まれる前が人間であるので」という理由で選んだわけではありません。「できるだけ避けるべきだと思う」からです。答えない方が良かったでしょうか・・・?
きゃづみぃ
2004/06/01 16:11:41
Re:生まれる前も人間だがかまわない
>産まれて不幸になるの主語が子どもである社会は「かなしい」
>産んで必ず幸せになるとも限らない
奇形児とかだと 不幸だよね。
yasukana
2004/06/01 16:28:20
同意します
私も、「生れる前が人間であるので」の意味は理由に含みませんでした。
「出来るだけ避けるべきだと思う」の意味で2番に入れました。
ASHURA
2004/06/01 23:39:07
恋人の誕生日に
6月6日を「死者の日」とすることを提唱しています。
一足先に死んでいった(種をとわず)知己たる生き物たちの誕生日を祝う、
そのほうが命日の儀式よりも好きで、実際にやっています。
6月6日を選んだ理由は単純です。
誕生日がそんな日だったらイヤなひとも多かろう。
ぼくは、「死者の日」のほうが、「家庭の日」にされるより対数的に好い。
註:1979年ころ、残されたぞろ目のひとつである「6月6日」を、
家庭の日にしようと言い出したひとたちがおりました。
それなので、ぼくと、昔通った函館白百合幼稚園の担任であった
若く厳しい修道女、スール・エフレムさんの誕生日である6月6日を。
ぼくは2年間カトリックの教育を受け、5歳ころから中1のある日まで、
秘蹟をともなう一神教としてのキリスト教を信仰していました。
幼稚園の遠足でトラピスト修道院を見学しました。
労働と祈りに明け暮れる修道士(「自然と」性別を選んでいた)
..幼稚園時代の理想の職業でした。
ノーベル平和賞を受けたカトリックの修道女、
故・マザーテレサは中絶に絶対反対だったと聞き及んでいる。
クリスチャンホーム出身でなかったので、洗礼は受けなかった。
たしか小学校6年くらいのときにそのことが気になりだした。
USAからきたカトリックではない、小さな宣教師の家庭を訪れ、
洗礼を授けている、そこの家のバスタブを見せてもらった。
中1のとき、同級生のイラ姫(現・漫画家)に誘われ、
「聖書の勉強」に行った。1度きりついて行った。
生徒は僕達2人きりしかいなかった。
弟の通った帯広藤幼稚園の神父さんだった。
ずらずらと男の名前が連なる、見慣れていたはずの福音書の冒頭を、
初めて男性の聖職者にじかに教わったとき、
「男の宗教」
と感じた瞬間、
純粋 で なくなった その 宗教体系 は
はじめて見た「キャリアウーマン」は修道女だったのに、
新約聖書の中では預言者は男ばかり、上司に神母はなく、神父だけ、
一番えらいのは「パパ」。気づいた。
「逃げなければつかまる!」
少年のこころの雲行きはあまりにもはやくながれ、一気に棄教。
新約を含めたキリスト教の神を否定しようと日夜条件反射と戦う。
「神様! っと、いない、だめ、そんなのいない」
デモクリトスの原子論、ヘルマン・ヘッセの『デミアン』、
断崖の命綱、闇夜の灯篭だった。
中3になってから萩尾望都『トーマの心臓』を知った。
ユリスモールが大好きだけど、一棄教者の同年代の少年であるぼくには、
プロット全体の論理展開が意味不明だった。
ユーリに似た隣のクラスの男子にひそかに恋焦がれる苦しい日々、
アーシュラ・ル・グウィン『闇の左手』が救いだった。
かのじょは「児童文学」『ゲド戦記』で知られる作家である。
当時の米国SF界に『闇の左手』は衝撃的だったと思う。
米国の第2次女性解放運動がもっとも活発だった頃ではないだろうか。
インタビューで「わたしはフェミニストではない」と発言している。
だが、のちにフェミニストに回心したと告白した。
その後の著書で、女性の中絶権を文学的に理論化したものをかつて読んだ。
そこでかのじょは、他の動物をひきあいに出し、
不良な遺伝子は淘汰されるのが自然の掟という意味あいで、
優生思想にもとづく妊産婦の中絶を肯定した。
ぼくはフェミニストだけれど、価値観があさっての方向的に違うと感じた。
『ゲド戦記』の新刊、読むのがとても楽しみにとってあるんだけど..
でも、かのじょの生命哲学も、アースシーの描き方の変化のように、
さらなる軌跡を描いているのだろう。ねがわくばそうあってほしい。
金持ちとエリートと健常者だけの社会にするためのナチス的中絶権や、
生殖技術への資金投下には積極的に反対する。
中絶の是非の陰で、障害者に育ちそうな命をあらかじめ選別したり、
好みの性別(ジェンダーでもある)を選別する技術が日常化している。
それには反対だ。母体の問題がなければ「障害児でも男でも」
産むなら産む、産まないなら産まない、そう思える社会にしたい。
..質問が終了し、ぼくの発言にレスがついているのがわかり、
これを書き始めてから随分時間が経ちました。もう日付がかわります。
読ませていただくまえに、この投稿をいたします。
生命観、そのよりどころとなる哲学や信仰、
ひとりひとりのそれが質問や回答やいわし投稿の背景にあると考え、
長い投稿を試みました。
リンクしたのは「さるさる日記」のほうのぼくのブログです。
立命館大学の教員、立岩氏のアーカイブが、優生思想、
障害学、を網羅しています。面識はありません。
http://www4.diary.ne.jp/user/416884/
yasukana
2004/06/02 02:18:52
Re:恋人の誕生日?
ASHURAさん及び、このスレッドを読んでいらっしゃる方に
m(__)mまず最初にお詫びしておきます。
以下の文章はかなり失礼な内容となるかもしれません。
いえ、失礼だと思います。理解した上で書き込みしています。
苦情、その他有りましたら苦情レス入れてもらってもいいですし、
そのまま流してもらってもかまいません。
単刀直入に申し上げまして、ASHURAさんの文章が理解出来ません。
何が、、言いたいのですか?
命日よりも誕生日を祝う考えは同感です。
ですが、6月6日は何なのでしょう。恋人の誕生日?
「対数的に好い」と言うのはどんな状態なのですか?
「家庭の日」が誕生日だと辛い(と言う意味でしょうか?)とは
どう言う意味でしょうか?
たとえば誕生日が「針供養の日」だったら辛いとか?
たとえば誕生日が「クリスマスイブ」だとうれしいとか?
意味がわからないです。
キリスト教が男の宗教?何が嫌だったのですか?
いや、私は宗教に対してなんらポリシーを持っていませんので、宗教論にこだわりはありません。
が、キリスト自身男性ですよね。生まれ変わりたる預言者が男性で在ることの何が気に入らないのでしょうか。
>それには反対だ。母体の問題がなければ「障害児でも男でも」
>産むなら産む、産まないなら産まない、そう思える社会にしたい。
現在、男女産み分けは法律で認可されていませんよね。
産むなら産む。産まないなら産まない社会でしょう?
産み分けの為の中絶が横行していると言う事でしょうか。
それなら、それは良くないですね。
キリスト教が嫌いになった事を何故中絶について話し合っている
スレッドで出してくるのですか?
>産まれて不幸になるの主語が子どもである社会は「かなしい」
>産んで必ず幸せになるとも限らない
>母胎の中の命より、母体となる人間の生活を優先してしまえ、
>としかいえない
産み分けに反対しつつ、「産む側の生活を優先するべし」
とは正反対の意見だと思います。
産み分けとは「産む側の生活を優先」した結果でしょう。
以上、感想です。
文学的な表現を好む方にはなんとも無骨な批判だと思いますが、
素直に思った事を書きました。
なお、この書き込みに対して、私の理解を超える反論や論理的で無い反論などは能力的に返答の仕様がありませんので、全て返答しない形で受け入れたいと思います。
m(__)m駄文にお付き合いいただきありがとうございます。
morimoyuka
2004/06/02 02:57:19
Re(2):生まれる前も人間だがかまわない
・・・・・奇形児の何を見て、不幸というのか。
実に高飛車な意見です。
奇形児だからなんなのだ。
全ての人間が一緒でなくてはならないのか。
はてなでこのような発言をしたことはありませんが、あまりな意見だったもので。
実に意義あり。
sakyo
2004/06/02 10:52:29
Re(2):恋人の誕生日?
中絶と銃規制は、アメリカ大統領選では両党候補とも避けたがる微妙な問題だと聞きます。
実際、最近、アメリカ議会が一部の中絶を認める(だか認めない)法律を可決した時に、裁判所が異例の判決(というか処理)をした話も記憶にあります。(詳細は覚えてませんが)
日本では、(銃規制はともかくとして)中絶が政治的な議題にのぼることはあまりありません。少なくても、年金や憲法改正、自衛隊、税金などと比べれば、明らかに注目されていません。
もちろん、最近では出産前診断のケースなどで、生命の意味、死生観、幸福、人権などについて語られることはありました。しかし、多くの場合、当事者や専門家の意見、それと個別のケースに即した意見が述べられるだけで、一般論としての議論はあまりされていないように感じます。少なくても、私の周囲では。
ので、この質問の結果、より正確にはいわしの成り行きには興味がありました。ただ、私としては身近で、本などで、色々なケースを見聞きしていますし、気軽に書ける問題とは思えず、投稿はしないつもりでした。今もしないつもりです(気が変わるかもしれませんが)。ので、以下は「中絶」とは関係ありません。
以上、前置き。
以下、yasukanaさんへ。
主に、
> キリスト教が嫌いになった事を何故中絶について話し合っているスレッドで出してくるのですか?
について。
ASHURAさんの投稿について。私も、読み始めたとき「ん?」と思い、正直、九割読んだ時点でも、「ん?ん?ん?」という感じでした。(読みにくいという理由と、内容の両方で)
ただ、「生命観、そのよりどころとなる哲学や信仰、ひとりひとりのそれが質問や回答やいわし投稿の背景にあると考え、長い投稿を試みました。」を、
「生命観、そのよりどころとなる哲学や信仰、ひとりひとりのそれが質問や回答やいわし投稿の背景にあると考え、<直接は関係のない>長い投稿を試みました。」と読み替えることにしました。
生命観、哲学、信仰について、論理的に説明できる人はなかなかいないと思います。ということで、「読み流す」ということでどうでしょう。
いわし(や回答)にどのようなことを書くかはそれぞれの判断ですし、回答であれば質問者がポイントなりコメントで評価できますが、いわしについてはかなり自由な場にならざるをえないわけで。(6月6日〜は、生命観でも哲学でも信仰でもないですから、さすがにどうかと思いますが…信仰か?)
最後に。とは言え、書かれているような経験と中絶との直接的な関係、また書かれていると思われる生命観・哲学・信仰とASHURAさんの体験の因果関係などは、私も読み取れませんでした(もしくは、論理矛盾や記述不足を感じました)ことはつけくわえておきます。ついでに、私は「文学」と言われるものを全くといっていい程読みませんが、「文学的」なわけではないと思います。抽象的なことを書いているので、分かりにくいだけでしょう。まあ、私の中では「文学性」とは「分かりにくい」ことだと思ってるんで、私から見れば「文学的」ですが。
ASHURAさん、yasukanaさん、及びこのスレッドを読んでいらっしゃる方に、最後ではありますがお詫びしておきます。
以上の文章はかなり失礼な内容と思われるかもしれません。いえ、失礼だと思います。理解した上で書き込みしています。
苦情、その他有りましたら苦情レス入れてもらってもいいですし、そのまま流してもらってもかまいません。
Rainmaker
2004/06/02 11:09:59
Re(2):恋人の誕生日?
マザーテレサの絶対反対の立場に共感します。
例え望まれずに授かった命だとしても、
きっと彼女は迷わずに産むべき、と応えるのでしょう。
人間、何がきっかけで幸せをつかむかは分かりません。
産まれても幸せになれないから。
産むと幸せになれないから。
それは本当は誰にも分からない事です。
あるいはもしかしたら、殺人の罪を背負った方が
幸せになれる場合もあるのかもしれません。
でも、死んだらそこまでです。その後は何もありません。
出典を知らないのですが、
「おまえを殺してしまわぬものは、全てお前を強くしてくれる」
という言葉に強く共感します。
全ての人が幸せになるために生きているのだとしたら、
産まれないよりも産まれた方が幸せになるチャンスは多いはず。
それが例えどんなにつらい選択だったとしても、生きなさい。
彼女が言っていたのはそういう事なのだと私は感じます。
ただ、それに共感はしつつも私は2番を選びました。
そこまで強い人間ではありません。今のところ。
yasukana
2004/06/02 18:58:26
奇形児
>奇形児だからなんなのだ。
morimoyukaさんに同意です。そのとおりですね。
まあ、かなり年齢の若い人の書き込みだと思ったので、私の場合は読み流しました。
ちなみに「異議あり」ですよね。
私も中学生の頃は奇形児や障害者は社会にとって無駄な存在だと素で思っていました。
今はそんな風には思っていませんが、それでも「難しい問題だ」と思っています。
少なくとも今健康な人でも、障害者になる可能性は少なからず在るわけです。
明日にでも立って生活する事が出来なくなるかもしれないのです。
もし自分がそんな立場になったら、少なくとも「無駄な存在」だと思われたくありません。
yasukana
2004/06/03 01:58:35
Re(3):恋人の誕生日?
sakyoさんレスありがとうございます。
「読み流す」という事で問題ありません。
私もそのつもりだったのですが、どうしても真意を聞きたくなったのです。
6/6に何があったのでしょうね。
それにしても、「いわし」は書き込みをしている当の本人でも、追いかけて行くのが面倒ですね。わざわざIEの「お気に入り」に入れるとかしないと見るたびに質問を捜さないといけません。
いわしの名前検索や、Myはてなからのいわし取りだしや、アクセス上位「いわし」ランキング等あると助かったり面白かったりするのですが。
aki73ix
2004/06/03 09:11:36
6・6
「対数的に好い」と言うのちょっと分かりませんが、文面からとらえると『フィーリング的に自分は気に入っている』でしょうかね^^;
でも、もし自分の生まれた日が「死者の日」だったらどうしますか?
ちなみに、1/1,3/3,5/5,7/7等が特別な日になっているから、単純に同じぞろ目の 6/6も・・・って言うことなのでしょう。あまり深い意味はないように思えました
ちなみに 6/6は24節気の一つ芒種です。 太陽黄経が75度のときで、西日本でいう梅雨入りのころで五月節。とも言います
ちなみに、それぞれの月の節は
1/5[小寒],2/4[立春],3/6[啓蟄],4/5[清明],5/6[立夏],6/6[芒種],7/7[小暑],8/8[立秋],9/8[白露],10/8[寒露],11/7[立冬],12/7[大雪]といった具合です
http://www.kyugetsu.com/sekku/culture.html
yasukana
2004/06/03 13:03:17
Re(3):恋人の誕生日?
絶対反対、ですか。
私は、「絶対」には反対です。
人間は基本的におろかだと思います。
全ての人に聖人君子になれ、と言っても無理な注文だと思いますし、私自身も、聖人君子にはなれません。
だから、中絶を法律で禁止するべきでは無いと思います。
私は中絶には反対ですが、人間、どんな事が起こるか分かりません。
「現実は小説より奇なり」と言います。
「その子が産まれる事」が産む人間の人生に取って「生きる意味を無くすほどの衝撃」をもたらす事が「絶対にあり得ない」と言えるでしょうか。
私は想像を絶する事態はあり得ると思いますので、中絶には反対ですが、法律で禁止すべきで無いと思います。(妊娠五ヶ月以降の中絶はこれまで
どおり禁止すべきだとは思いますが。)
これは完全に余談ですが、殺人などで実刑が確定した犯人にたいして、被害者の遺族は実刑に処する上に、江戸時代まであった敵討ち、「決闘」を
申し込む事を許可して良いのでは無いかと思います。
大事な家族を傷つけられ自分の身を裂いても感じないほどの痛みを犯人に味あわされたのに、犯人は「刑務所」に守られて仕返しする事も出来ない
とすれば、何の為の法律か分かりません。
近年のモラルハザードも「犯した罪に対する代償」を感じる事が出来ないのが原因の一つになっていると思います。
つまり、受刑者の痛みと被害者の痛みが現実感を伴ってメディアのこちらがわに伝わって来ず、「捕まらなければ大丈夫」と言う空気を作っている
と思います。刑務所は「快適な場所」であるべきではありませんし、死刑はひっそりと人知れず行うべきではないと思います。
死刑にしても、普段食べている動物の屠殺にしても、どんな風に行われているか知らず私達は日常を過ごしています。
犯罪者であっても、その人の生命を奪う死刑はもっと一般人に知られるべきで、死刑について考えることで、つまりは罪、犯罪について、もっと私
達は考える事になると思います。
そして、屠殺の現場も知る事で、自分たちが他の生命を奪って生きている事を知る事が出来ます。自分たちが食べている肉が、感情を持つ動物の生
命を奪った結果である事をもっと知るべきです。自分の飼っている猫や犬と同じように牛や豚なども感情を持っているのです。(私は菜食主義者ではありません)
漫画などに「完璧に見えるが、実は何処かおかしい楽園」のようなものが登場する事がありますが、今の日本はそんな感じではないでしょうか。
汚い物には蓋をするだけ蓋をして、世の中は物にあふれ、食料にあふれ、路上では仕事を持たずに生活しても生きていけます。これはもしかすると「楽園」なので
はないでしょうか。
しかし、汚い部分が無いのではなく、隠しているだけ。
結果そのゆがみが犯罪などになって現れていると思います。
大半が余談ですね。m(__)mすみません。
yasukana
2004/06/03 14:02:16
4・4
>「対数的に好い」と言うのちょっと分かりませんが、文面からとらえると『フィーリング的に自分は気に入っている』でしょうかね^^;
そうですね。そうかもしれません。私は読んだ時に「僅差でこっち」と「圧倒的にこっち」の二通りに取れるなーと思ってしまったので、どうしても聞きたくなったのです。
>でも、もし自分の生まれた日が「死者の日」だったらどうしますか?
私は、、イヤですね。まだ「先祖の日」とかだったらマシですけど、明確に「死」の状態を指して記念日としたくは無いです。
>ちなみに、1/1,3/3,5/5,7/7等が特別な日になっているから、単純に同じぞろ目の 6/6も・・・って言うことなのでしょう。あまり深い意味はないように思えました
そうですか。それは面白くないなぁ(ぼそ)
余談ですが、子供の頃3/3は女の子の日 5/5は男の子の日だから、4/4はオカマの日だ!と冗談言っていました。今思うと、おなべに失礼だったと後悔。
>ちなみに 6/6は24節気の一つ芒種です。 太陽黄経が75度のときで、西日本でいう梅雨入りのころで五月節。とも言います
>ちなみに、それぞれの月の節は
>1/5[小寒],2/4[立春],3/6[啓蟄],4/5[清明],5/6[立夏],6/6[芒種],7/7[小暑],8/8[立秋],9/8[白露],10/8[寒露],11/7[立冬],12/7[大雪]といった具合です
さすがakiさんですね。。私は季節の表記やそれに伴う太陽や天気の移り変わりに疎いです。山登りをしていた人間にあるまじき行為。。
honoka2004
2004/06/04 02:16:41
(投稿者削除)
Rainmaker
2004/06/04 03:35:24
絶対反対?
レスありがとうございます。余談の方も興味深く読ませていただきました。
yasukanaさんの意見にほぼ同意します。
なので反論というほどのモノは特に無いのですが、
せっかく返答くださったので少しだけ。
唯一意見の相違があるとすれば、私は人間をおろかだと思っていない
ということでしょうか。どちらかと問われれば素直に性善説を採ります。
特に根拠もなく非常に楽観的ではありますが、
人間生きてさえいればいつか再び赤子の頃の無垢さを
手に入れる事が出来ると思っています。
確かに、毎日の様に凄惨な事件や悲しい出来事が起こっています。
人は他者の命を奪わずには生きていけません。
1日生き延びるごとに私たちの罪は重くなっていきます。
それでも、生きることは喜びなのだと私に信じさせてくれるのは、
子供の笑顔や、無償の優しさや、過去と現在の偉大な人々の存在です。
それらに相対した時の感動が、私に世の中そう捨てたもんじゃ無いよ、
と思わせてくれます。
そういった訳でマザーテレサに共感はしていても、
諸手を挙げての賛同が出来ないのは
私自身の力で他人を守る自信(覚悟?)が無いからです。
自らに「おいおい」とツッコミたくなりますが、
そんな状況で他人に対して「絶対」とは言えません。すいません。
ところでせっかくなので、ASHURAさんの返信もお待ちしています。
ちょっと話題が中絶の是非からそれてきた気もしますが、
もともとが難しい問題なのでこういうのもアリかな、と思います。
もし未だこのいわしをご覧になっていたら、よろしくお願いします。
URLは余談の方に関係しますが、NHKのドキュメンタリーに関するものです。
DVD化していますので、もし興味があればどうぞ。
それでは。
http://www.1101.com/what_eat/2003-02-24.html#darling_top
ASHURA
2004/06/04 11:38:18
Re:6・6はぼくの誕生日です
>でも、もし自分の生まれた日が「死者の日」だったらどうしますか?
まさに、それが6月6日を選んだ理由で、すでに書いてあります。
「誕生日がそんな日だったらイヤなひとも多かろう。
ぼくは、「死者の日」のほうが、「家庭の日」にされるより対数的に好い。
(=これは数学の「対数」をもとにした詩的造語です。散文に直すと「何千倍も」くらいの意味合いです)
註:1979年ころ、残されたぞろ目のひとつである「6月6日」を、
家庭の日にしようと言い出したひとたちがおりました。
それなので、ぼくと、昔通った函館白百合幼稚園の担任であった
若く厳しい修道女、スール・エフレムさんの誕生日である6月6日を。
↑ ↑
ああっ、たしかに『本多勝一の作文(?)技術』で読みにくい例として引用されそうな文だ。
「ぼくが昔通っていた函館白百合幼稚園の担任だ若く厳しい修道女、スール・エフレムさんの誕生日でもあり、ぼく自身の誕生日でもある6月6日を(「死者の日」としたい)。」と書けばよかったんだ。みなさんご指摘ありがとう。
>ちなみに、1/1,3/3,5/5,7/7等が特別な日になっているから、単純に同じぞろ目の 6/6も・・・って言うことなのでしょう。あまり深い意味はないように思えました
奇数のぞろ目を珍重するのは、中華思想の影響らしい。
9/9は「菊の節句」ではありませんでしたか。
>ちなみに 6/6は24節気の一つ芒種です。 太陽黄経が75度のときで、西日本でいう梅雨入りのころで五月節。とも言います
>ちなみに、それぞれの月の節は
>1/5[小寒],2/4[立春],3/6[啓蟄],4/5[清明],5/6[立夏],6/6[芒種],7/7[小暑],8/8[立秋],9/8[白露],10/8[寒露],11/7[立冬],12/7[大雪]といった具合です
24節季でしょうか?
芒種、立秋は偶数のぞろ目ですね。
気候の違う中国大陸から来たとしたら不思議ですが、日本列島で成立したものでしょうか?
ASHURA
2004/06/04 11:45:37
Re:4・4は「トランスジェンダーの日」として記念日協会に登録済みです
>>でも、もし自分の生まれた日が「死者の日」だったらどうしますか?
>私は、、イヤですね。まだ「先祖の日」とかだったらマシですけど、明確に「死」の状態を指して記念日としたくは無いです。
ぼくは「死者たちといっしょに生きている」感覚があるので、平気なのです。いま41歳ですが、35歳の誕生日から、そんな感じに変わってきたような記憶がうっすらとあります。
>余談ですが、子供の頃3/3は女の子の日 5/5は男の子の日だから、4/4はオカマの日だ!と冗談言っていました。今思うと、おなべに失礼だったと後悔。
1999年から、記念日協会に登録されています。
「トランスジェンダーの日」
こどものころに考えつくなんて、すごいですね。
http://www.geocities.co.jp/MusicStar/9962/tg/tg-44.html
ASHURA
2004/06/04 11:55:42
Re(3):恋人の誕生日?
>中絶と銃規制は、アメリカ大統領選では両党候補とも避けたがる微妙な問題だと聞きます。
日本では中絶は違法です。「堕胎罪」が存在し、女性が罰されます。
その抜け道として使われているのが旧優生保護法(当時日本の同盟国だった独逸のナチスによる「優生法」を参考につくられたとききました。名称が露骨なためか、最近「母体保護法」になりましたが、中身はほとんどかわりません。堕胎罪を撤廃する運動があります
>ASHURAさん、yasukanaさん、及びこのスレッドを読んでいらっしゃる方に、最後ではありますがお詫びしておきます。
>以上の文章はかなり失礼な内容と思われるかもしれません。いえ、失礼だと思います。理解した上で書き込みしています。
>苦情、その他有りましたら苦情レス入れてもらってもいいですし、そのまま流してもらってもかまいません。
親友の「げに恐ろしきはROM専」氏から、ぼくの長文書き込み(2ちゃんねるなら「スレ違い、スレ汚し」だと思います。「掲示板いわし」はひとつの話題についてツリー構造をとっており、たとえば連歌の伝統のように、連想や飛躍を楽しんでよい場所だと考えております。
http://www.arsvi.com/b11100c1.htm
ASHURA
2004/06/04 12:06:02
強姦は大反対だが、妊娠したら産みます
>マザーテレサの絶対反対の立場に共感します。
あれだけ影響力の大きいカトリックの宣教師?が公の場で反対することに、
強く反対します。会えたら、質問したかった。強姦のばあいどうするのか、
父親に妊娠させられても産めというのか、誰が育てるのか。
>人間、何がきっかけで幸せをつかむかは分かりません。
>産まれても幸せになれないから。
>産むと幸せになれないから。
>それは本当は誰にも分からない事です。
>あるいはもしかしたら、殺人の罪を背負った方が
>幸せになれる場合もあるのかもしれません。
ええ、ぼくもそうおもいます。
>でも、死んだらそこまでです。その後は何もありません。
それが個々人によって違うから、中絶の議論は難しいと思うのです。
たぶん、経験なくカトリック教徒であるマザーテレサ氏は、
「死後裁きがある」という教義を踏まえて発言していらっしゃいます。
日本のマスコミ報道は、ほかのこと〜警察発表などについてもそうですが、背景について独自取材が足りないときがあります。
宗教には、とても疎いように思えます。
だから、カトリックの死後の世界〜天国と地獄のほかに煉獄というのもある〜
など、マザーテレサ発言の根底にある宗教観を知らずに、ことばが一人歩きし、「愛」が情緒的にしかうけとめられないように感じております。
>出典を知らないのですが、
>「おまえを殺してしまわぬものは、全てお前を強くしてくれる」
>という言葉に強く共感します。
>全ての人が幸せになるために生きているのだとしたら、
>産まれないよりも産まれた方が幸せになるチャンスは多いはず。
>それが例えどんなにつらい選択だったとしても、生きなさい。
>彼女が言っていたのはそういう事なのだと私は感じます。
>
>ただ、それに共感はしつつも私は2番を選びました。
>そこまで強い人間ではありません。今のところ。
ASHURA
2004/06/04 12:13:27
失礼、文章がとぎれました。
ゆうべ、親友の「げに恐ろしきはROM専」氏から、ぼくの長文書き込みを批判するレスが2つついている由連絡がありました。
少し話し合ったのですが、どこのブログにも登録しない丹念なROM専である親友も、質問の主旨からそれているという意見で、物別れに終わりました。
たとえば2ちゃんねるなら、ぼくの6月6日の書き込みは「スレ違い、スレ汚し」だと思いますから、しません。再書き込みも「粘着」「ウザい」というのが相場でしょう。
しかし、「掲示板いわし」は「2ちゃんねる」とは別世界だと考えて使い分けを試みている最中です。
「掲示板いわし」はひとつの話題についてツリー構造をとっており、たとえば連歌の伝統のように、連想や飛躍を楽しんでよい場所だと考えております。
ASHURA
2004/06/04 12:24:45
ご提案に激しく同意します
>6/6に何があったのでしょうね。
はい。ぼくの誕生日があったのです。
幼稚園からの仲良しの女の子の誕生日が、8/6でした。
NHKで原爆投下の祈念式典を見てから登校してくるので、
誕生日の朝は、なんだか神妙な顔をしていました。
「誕生日おめでとう」と言っていいのは給食時間が終わってから、
そんな状態がかなりながいことつづきました。
閑話休題。
>それにしても、「いわし」は書き込みをしている当の本人でも、追いかけて行くのが面倒ですね。わざわざIEの「お気に入り」に入れるとかしないと見るたびに質問を捜さないといけません。
>
>いわしの名前検索や、Myはてなからのいわし取りだしや、アクセス上位「いわし」ランキング等あると助かったり面白かったりするのですが。
ぼくも昨日から「人力検索」の「ASHURAさんの質問回答履歴」のようなものを「はてな」につくってもらいたいと考えはじめていました。
「ID検索」、ぜひほしい。文体がめちゃくちゃなときがあっても、それが自分のそのときだから。あと、「いわし」のレスのところから「いわしレス一覧」を参照できると、その書きこみの背景や前提がわかるし、1度の議論や不幸な勘違いで、「あのIDは××なやつだ!」と思い込む心配も減る。
インターネットがすべてそうなるのには反対ですが、匿名掲示板の恩恵とともに、「はてな」のような「よみ人知りぬ」なワールドもほしい。
ASHURA
2004/06/04 13:08:41
(投稿者削除)
ASHURA
2004/06/04 13:16:17
たしかにわかりにくい文でした
>単刀直入に申し上げまして、ASHURAさんの文章が理解出来ません。
単刀直入なレス、ありがとうございます。まわりくどい文を書いていてこういうのもなんですが、ぼくもひとの文意がとれないときがあるので、このフレーズ、これからはつかわせていただきます。
>命日よりも誕生日を祝う考えは同感です。
それはありがとう。
>ですが、6月6日は何なのでしょう。恋人の誕生日?
ぼくの誕生日です。ほかのレスに書きましたが、書き始めてから1時間以上かかって書いたせいか、文意がとりにくい文章になってしまいました。
>「対数的に好い」と言うのはどんな状態なのですか?
ごめんなさい。「好きの度合いが指数的(何倍より何乗のほうがどんどん大きくなる)」と書いたほうが飛躍の度合いが少なかったと思います。それでも飛躍が過ぎるのも認めます。ぼくにとっては、他のひとのそれぞれの文体とたいして変わらないつもりなのです。
お手数でしょうが、今回のように質問をいただいたのがありがたい。
批判や質問が出ているのがわかれば、調子のよいときに、なんとか日本共通語に翻訳を試みます。自分にもよい勉強になります。
>「家庭の日」が誕生日だと辛い(と言う意味でしょうか?)とは
>どう言う意味でしょうか?
日本政府がそのころ考えていた「家庭」というのは、「父らしい男性と母らしい女性と子供たち」というものでした。いまもたいして変わらないと思います。
こないだフランスが法律を変え、事実婚だけでなく、友人も含めて「家族あつかいの登録」が可能になりました。
日本で急速に進んでいる少子化の問題も、「シングルマザーでは子供がかわいそう」という偏見さえなければ、もっとゆるやかになると主張しているひとたち(たとえば精神科医の斎藤学さん)がいますが、為政者たちは戸籍制度の崩壊をおそれているようです。
6月に「国民の休日」がないので、単に記念日協会に登録する以上の、政治的論議があったのでした。なぜ話が流れたのか、どこか政党が反対したのか、そこまでは知りません。
ぼくはトランスジェンダーでバイセクシャル、おまけにポリガミーを一律には非難しないシリアルモノガミー(「一度にはひとりとつきあう、ほかのひととは一定以上の性的行為はしない」という信条を実行中)です。
独り親家庭、独身中年、通い婚、同性愛結婚、トランスジェンダー同士、そんな「家庭」と実際つきあってくると、1979年ころ国会に新しい祝日として法案提出されそうになった「家庭の日」から数年前の「国際家庭年」についての日本政府のキャンペーンまで、「きまったカタチ以外は崩壊家庭扱い」というのがみえすいているので、反対なのです。
>が、キリスト自身男性ですよね。生まれ変わりたる預言者が男性で在ることの何が気に入らないのでしょうか。
チベット仏教のえらいさんとちがって、キリスト教の預言者は「うまれかわり」ではないし、「正統・多数派」のキリスト教会は生まれ変わりの教義を異端としていると思います。
>産むなら産む。産まないなら産まない社会でしょう?
>産み分けの為の中絶が横行していると言う事でしょうか。
>それなら、それは良くないですね。
男女産み分けは医学的にあるていど実用化され、横行しています。
「中絶につながる産み分けお断り」と断りがきがしてある産み分けサイトも、
責任逃れの感が否めないものが見受けられます。
医学の「進歩」と「中絶の横行」についての詳細は、リンクを張っておきます。
http://am.tea-nifty.com/ep/2004/02/post_9.html
ASHURA
2004/06/04 13:39:58
また文がとぎれました。失礼。
>>出典を知らないのですが、
>>「おまえを殺してしまわぬものは、全てお前を強くしてくれる」
>>という言葉に強く共感します。
>>全ての人が幸せになるために生きているのだとしたら、
>>産まれないよりも産まれた方が幸せになるチャンスは多いはず。
>>それが例えどんなにつらい選択だったとしても、生きなさい。
>>彼女が言っていたのはそういう事なのだと私は感じます。
>>
>>ただ、それに共感はしつつも私は2番を選びました。
>>そこまで強い人間ではありません。今のところ。
ぼくはたいして強い人間でないことをことわったうえで、最近、子どもが産みたくなってしかたないのです。生まれて初めての感覚です。3歳ころから「結婚しない。子どもは産まない」と宣言して、親たちも尊重してくれていたのに。その不思議さを楽しんでいます。
一度、「スイカをあげるから遊びにおいで」といわれて爺いに強姦されたことがあって、そのときは妊娠しなくてほんとうによかったし、まちがいなく中絶を選んでいたと思います。
ところが、中絶の質問がだされる少し前から、一般にひとがどうするべき、というのでなく、たとえ今の恋人との間の子でなくても、妊娠したら産みたい、という気持ちがあるのに気づき、恋人と長話をしました。
恋人は、僕がそうしたいなら支持するし、そんなことで僕と別れるようなことはしないし、できる範囲で協力すると言ってくれました。「子どもに事実を知らせるか?」など、延々と電話でシミュレートしました。なんだかとても心が楽になりました。
強姦はいやだし、妊娠を継続すると、裁判で和姦ととられ、裁判の進行上不利になると思っても、せっかく最近になって子どもを産んでもいいと思えたことを思うと、「もったいない」と思ってしまう。われながら不思議なので、報告しておきます。
ご批判ご質問ご感想罵詈雑言、お待ちしております。
それにしても「発言者検索・発言履歴」の機能、たしかにほしい。
yasukana
2004/06/06 06:38:13
ASHURAさんへ
沢山のレスを一度に頂きましてありがとうございます。m(__)m
さて、、どこから手をつけたものか。。
まず、正直な所、もう回答はいただけないものと思っていました。
私の書き込みはうざったい、かつ挑発的な事内容になっていました。
こんな場合、大抵、返答は面倒だからか、そのまま自然消滅するのです。
>>「対数的に好い」と言うのはどんな状態なのですか?
>
>ごめんなさい。「好きの度合いが指数的(何倍より何乗のほうがどんどん大きくなる)」と書いたほうが飛躍の度合いが少なかったと思います。それでも飛躍が過ぎるのも認めます。ぼくにとっては、他のひとのそれぞれの文体とたいして変わらないつもりなのです。
ああ、やっぱりそちらでしたか。
文脈が僅差っぽかったですが、「対数」にこだわっているなら大差あるだろうと思いました。
余談
『「対かず的」と読ませるなら僅差でも使えるか?』とも考えました。
>お手数でしょうが、今回のように質問をいただいたのがありがたい。
>批判や質問が出ているのがわかれば、調子のよいときに、なんとか日本共通語に翻訳を試みます。自分にもよい勉強になります。
「変だ」と思うと質問しますので、ご心配なく。
あと、「見過ごせない」と思ったときも批判します。
調子の良い時といいますと、お加減が悪いのでしょうか。くれぐれも無理はなさらないように。。
あと、今回のレスの一部に例え事実としても余り書くべきでない個人的な事が書かれているように思います。
その書き込みも含めて読んだ結果、ASHURAさんのハンドル(はてな?)ネームの意味が理解出来たように思います。
私の生ぬるい人生とは比較出来ない程の「闘い」の人生なのだと感じました。
>>「家庭の日」が誕生日だと辛い(と言う意味でしょうか?)とは
>>どう言う意味でしょうか?
>
>日本政府がそのころ考えていた「家庭」というのは、「父らしい男性と母らしい女性と子供たち」というものでした。いまもたいして変わらないと思います。
>
>こないだフランスが法律を変え、事実婚だけでなく、友人も含めて「家族あつかいの登録」が可能になりました。
>
>日本で急速に進んでいる少子化の問題も、「シングルマザーでは子供がかわいそう」という偏見さえなければ、もっとゆるやかになると主張しているひとたち(たとえば精神科医の斎藤学さん)がいますが、為政者たちは戸籍制度の崩壊をおそれているようです。
この話しは、、面白いです。
実は私はこの件に関しては保守的です。
複雑な立場のASHURAさんを前にしてこの意見は言いにくいですが、
性差による役割の差は有るべきだと考えています。
それは男が家庭に入るのが良くないと言う意味ではなく、
「男女を平等に扱うのは無理がある」と言う意味で、つまり
「男女を平等に扱うのは不公平だ」と言う事です。
この件をこれ以上具体的に書くのは、申し訳ないですが、時間が掛かりすぎますので、省略します。(実際はもやもやっとしている考えなので、まとめ直す必要があるので書けない)
あえて、一つ言いますと、平等とは老若男女を同じ一つの人間として扱うことです。
公平とは差を考慮してハンディをつけて扱うことです。
私は性差がある限り、ハンディは必要だと考えているのです。
>6月に「国民の休日」がないので、単に記念日協会に登録する以上の、政治的論議があったのでした。なぜ話が流れたのか、どこか政党が反対したのか、そこまでは知りません。
まあ、お金の動く所にしか、政治は動きませんから、6月制定に関するどこかからのお金がSTOPしちゃったのでしょう。
>ぼくはトランスジェンダーでバイセクシャル、おまけにポリガミーを一律には非難しないシリアルモノガミー(「一度にはひとりとつきあう、ほかのひととは一定以上の性的行為はしない」という信条を実行中)です。
>
>独り親家庭、独身中年、通い婚、同性愛結婚、トランスジェンダー同士、そんな「家庭」と実際つきあってくると、1979年ころ国会に新しい祝日として法案提出されそうになった「家庭の日」から数年前の「国際家庭年」についての日本政府のキャンペーンまで、「きまったカタチ以外は崩壊家庭扱い」というのがみえすいているので、反対なのです。
人間、朝起きて、夜寝て、運動と休息と勉学と趣味が必要です。
これは人間としての「基盤」です。
社会生活を送る生物として、「家庭」と言う最小単位の「社会」も
「国家」と言う「社会」の基盤だと考えているわけです。
基盤がしっかりしていれば国家もしっかりするだろう、と言う考えですね。
これは難しい問題です。将来もこれまで通りの「家庭」像が維持出来るとは到底考えていませんが、「じゃあ、お前、これからの理想の家庭像をイメージしてみろ」といわれても何もうかばない。
逆さにしても鼻血くらいしか出ません。
でも、思うのは、人間は「基盤」をあまりいじりたくないのです。
「俺の孫には試験管発生して、培養槽で育って、バーチャルで愛を学んで欲しいんだ」
とは思わないでしょう。(少なくとも私は、ね。)
やっぱり愛の溢れた家庭で育って、野山を駆け巡って友達と大笑いして育って欲しいと思います。
だから私は「新しい家庭像」について、
「決まったかたち」はまず、大事にしたい物として横に置いておいて、
「新しいかたち」はどんな物なのか、模索して研究する事は良いことだと思います。
「決まったかたち」にも問題点は山のようにあるのです。
「新しいかたち」にはそれを上回る問題点が出てくるでしょう。
それにはまず、パイオニアたる「先導者」が事例を世に示していくしかないのだと思います。
>チベット仏教のえらいさんとちがって、キリスト教の預言者は「うまれかわり」ではないし、「正統・多数派」のキリスト教会は生まれ変わりの教義を異端としていると思います。
m(__)mそうですか。
ただ、キリストも預言者なんですよね。いや、まあいいです。どちらにしても宗教も群集を従えさせる為の洗脳道具です。そして今までの文明は大半が男性上位の社会ですので、「主」は男であるのは当然の流れだったわけです。
>医学の「進歩」と「中絶の横行」についての詳細は、リンクを張っておきます。
人間は本当に浅はかですよね。。。そして欲深い。
余談ですが
先日坊さんの説教を聞く機会があったのですが、
「人間には欲は有るものだけど、ほどほどにする必要がある。」
と言っていました。私にも沢山の欲があります。
みんなが欲を出せば人類は滅びます。欲を全く出さないとやはり滅びます。
私たちは人類を滅ぼさせないために欲を調整するのでしょうか。
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コメント(31件)
肉体的精神的ダメージを考えない安易な議論は避けるべき。
産まれて不幸になるなら中絶もやむをえないかも。
中絶は出来ればしないに越した事は無いですよね。
でも、育てる事に関して責任が持てない場合、
自分の体半分を失う程の覚悟を持って中絶するなら
仕方の無い事だと思います。
受精、着床した生命が育っていれば、これはもう一つの生命です。
これが人間であれ、その他の生物でも、一つの個体が成長している過程です。人間の場合も、これはその個人が育っていると考えていいでしょう。
ただ、そうしてしまうと、中絶手術が「殺人」になってしまうので、色々考慮した結果妊娠5ヶ月未満を中絶可能に「取り決めた」わけです。
日数が経過してからの中絶は母体に対するダメージが大きいので、
法律が無くても現在制限されている日数以降の中絶は避けるべきだと思います。
産まれて不幸になるの主語が子どもである社会は「かなしい」
産んで必ず幸せになるとも限らない
母胎の中の命より、母体となる人間の生活を優先してしまえ、
としかいえない
生まれてから餓死させるぐらいなら生まないほうが良いと思う。
難民キャンプで生まれる子供は、食料と言うものはどこからの知らないおっさんが毎日持ってきてくれるものだと思う。難民キャンプはいわゆる社会制度というものがない孤立した不思議な原始世界であり、学校で教育を受け、働いて対価を得ていきて行くという概念が育たない。
人として、社会に出て行けないもうどうしようもない。
強姦されても中絶なんてできないという社会もある
日本の知人が話してくれた経験:某女子医科大付属病院を訪ねたところ、
「ここはあなたのような(お産でなく中絶する)人が来る所ではないのよ」
と看護師に言われて(当時は「看護婦」)個人病院で中絶した
建前と本音で2項対立するのと違う方法をはてなで学びたい
各自の思いこみや感情から出発して
ていねいな対話までじわじわと10年がかりで変容していけるところ
「いわし」に望みを託してみるテスト
2番を選びましたが、「生まれる前が人間であるので」という理由で選んだわけではありません。「できるだけ避けるべきだと思う」からです。答えない方が良かったでしょうか・・・?
>産まれて不幸になるの主語が子どもである社会は「かなしい」
>産んで必ず幸せになるとも限らない
奇形児とかだと 不幸だよね。
私も、「生れる前が人間であるので」の意味は理由に含みませんでした。
「出来るだけ避けるべきだと思う」の意味で2番に入れました。
6月6日を「死者の日」とすることを提唱しています。
一足先に死んでいった(種をとわず)知己たる生き物たちの誕生日を祝う、
そのほうが命日の儀式よりも好きで、実際にやっています。
6月6日を選んだ理由は単純です。
誕生日がそんな日だったらイヤなひとも多かろう。
ぼくは、「死者の日」のほうが、「家庭の日」にされるより対数的に好い。
註:1979年ころ、残されたぞろ目のひとつである「6月6日」を、
家庭の日にしようと言い出したひとたちがおりました。
それなので、ぼくと、昔通った函館白百合幼稚園の担任であった
若く厳しい修道女、スール・エフレムさんの誕生日である6月6日を。
ぼくは2年間カトリックの教育を受け、5歳ころから中1のある日まで、
秘蹟をともなう一神教としてのキリスト教を信仰していました。
幼稚園の遠足でトラピスト修道院を見学しました。
労働と祈りに明け暮れる修道士(「自然と」性別を選んでいた)
..幼稚園時代の理想の職業でした。
ノーベル平和賞を受けたカトリックの修道女、
故・マザーテレサは中絶に絶対反対だったと聞き及んでいる。
クリスチャンホーム出身でなかったので、洗礼は受けなかった。
たしか小学校6年くらいのときにそのことが気になりだした。
USAからきたカトリックではない、小さな宣教師の家庭を訪れ、
洗礼を授けている、そこの家のバスタブを見せてもらった。
中1のとき、同級生のイラ姫(現・漫画家)に誘われ、
「聖書の勉強」に行った。1度きりついて行った。
生徒は僕達2人きりしかいなかった。
弟の通った帯広藤幼稚園の神父さんだった。
ずらずらと男の名前が連なる、見慣れていたはずの福音書の冒頭を、
初めて男性の聖職者にじかに教わったとき、
「男の宗教」
と感じた瞬間、
純粋 で なくなった その 宗教体系 は
はじめて見た「キャリアウーマン」は修道女だったのに、
新約聖書の中では預言者は男ばかり、上司に神母はなく、神父だけ、
一番えらいのは「パパ」。気づいた。
「逃げなければつかまる!」
少年のこころの雲行きはあまりにもはやくながれ、一気に棄教。
新約を含めたキリスト教の神を否定しようと日夜条件反射と戦う。
「神様! っと、いない、だめ、そんなのいない」
デモクリトスの原子論、ヘルマン・ヘッセの『デミアン』、
断崖の命綱、闇夜の灯篭だった。
中3になってから萩尾望都『トーマの心臓』を知った。
ユリスモールが大好きだけど、一棄教者の同年代の少年であるぼくには、
プロット全体の論理展開が意味不明だった。
ユーリに似た隣のクラスの男子にひそかに恋焦がれる苦しい日々、
アーシュラ・ル・グウィン『闇の左手』が救いだった。
かのじょは「児童文学」『ゲド戦記』で知られる作家である。
当時の米国SF界に『闇の左手』は衝撃的だったと思う。
米国の第2次女性解放運動がもっとも活発だった頃ではないだろうか。
インタビューで「わたしはフェミニストではない」と発言している。
だが、のちにフェミニストに回心したと告白した。
その後の著書で、女性の中絶権を文学的に理論化したものをかつて読んだ。
そこでかのじょは、他の動物をひきあいに出し、
不良な遺伝子は淘汰されるのが自然の掟という意味あいで、
優生思想にもとづく妊産婦の中絶を肯定した。
ぼくはフェミニストだけれど、価値観があさっての方向的に違うと感じた。
『ゲド戦記』の新刊、読むのがとても楽しみにとってあるんだけど..
でも、かのじょの生命哲学も、アースシーの描き方の変化のように、
さらなる軌跡を描いているのだろう。ねがわくばそうあってほしい。
金持ちとエリートと健常者だけの社会にするためのナチス的中絶権や、
生殖技術への資金投下には積極的に反対する。
中絶の是非の陰で、障害者に育ちそうな命をあらかじめ選別したり、
好みの性別(ジェンダーでもある)を選別する技術が日常化している。
それには反対だ。母体の問題がなければ「障害児でも男でも」
産むなら産む、産まないなら産まない、そう思える社会にしたい。
..質問が終了し、ぼくの発言にレスがついているのがわかり、
これを書き始めてから随分時間が経ちました。もう日付がかわります。
読ませていただくまえに、この投稿をいたします。
生命観、そのよりどころとなる哲学や信仰、
ひとりひとりのそれが質問や回答やいわし投稿の背景にあると考え、
長い投稿を試みました。
リンクしたのは「さるさる日記」のほうのぼくのブログです。
立命館大学の教員、立岩氏のアーカイブが、優生思想、
障害学、を網羅しています。面識はありません。
http://www4.diary.ne.jp/user/416884/
ASHURAさん及び、このスレッドを読んでいらっしゃる方に
m(__)mまず最初にお詫びしておきます。
以下の文章はかなり失礼な内容となるかもしれません。
いえ、失礼だと思います。理解した上で書き込みしています。
苦情、その他有りましたら苦情レス入れてもらってもいいですし、
そのまま流してもらってもかまいません。
単刀直入に申し上げまして、ASHURAさんの文章が理解出来ません。
何が、、言いたいのですか?
命日よりも誕生日を祝う考えは同感です。
ですが、6月6日は何なのでしょう。恋人の誕生日?
「対数的に好い」と言うのはどんな状態なのですか?
「家庭の日」が誕生日だと辛い(と言う意味でしょうか?)とは
どう言う意味でしょうか?
たとえば誕生日が「針供養の日」だったら辛いとか?
たとえば誕生日が「クリスマスイブ」だとうれしいとか?
意味がわからないです。
キリスト教が男の宗教?何が嫌だったのですか?
いや、私は宗教に対してなんらポリシーを持っていませんので、宗教論にこだわりはありません。
が、キリスト自身男性ですよね。生まれ変わりたる預言者が男性で在ることの何が気に入らないのでしょうか。
>それには反対だ。母体の問題がなければ「障害児でも男でも」
>産むなら産む、産まないなら産まない、そう思える社会にしたい。
現在、男女産み分けは法律で認可されていませんよね。
産むなら産む。産まないなら産まない社会でしょう?
産み分けの為の中絶が横行していると言う事でしょうか。
それなら、それは良くないですね。
キリスト教が嫌いになった事を何故中絶について話し合っている
スレッドで出してくるのですか?
>産まれて不幸になるの主語が子どもである社会は「かなしい」
>産んで必ず幸せになるとも限らない
>母胎の中の命より、母体となる人間の生活を優先してしまえ、
>としかいえない
産み分けに反対しつつ、「産む側の生活を優先するべし」
とは正反対の意見だと思います。
産み分けとは「産む側の生活を優先」した結果でしょう。
以上、感想です。
文学的な表現を好む方にはなんとも無骨な批判だと思いますが、
素直に思った事を書きました。
なお、この書き込みに対して、私の理解を超える反論や論理的で無い反論などは能力的に返答の仕様がありませんので、全て返答しない形で受け入れたいと思います。
m(__)m駄文にお付き合いいただきありがとうございます。
・・・・・奇形児の何を見て、不幸というのか。
実に高飛車な意見です。
奇形児だからなんなのだ。
全ての人間が一緒でなくてはならないのか。
はてなでこのような発言をしたことはありませんが、あまりな意見だったもので。
実に意義あり。
中絶と銃規制は、アメリカ大統領選では両党候補とも避けたがる微妙な問題だと聞きます。
実際、最近、アメリカ議会が一部の中絶を認める(だか認めない)法律を可決した時に、裁判所が異例の判決(というか処理)をした話も記憶にあります。(詳細は覚えてませんが)
日本では、(銃規制はともかくとして)中絶が政治的な議題にのぼることはあまりありません。少なくても、年金や憲法改正、自衛隊、税金などと比べれば、明らかに注目されていません。
もちろん、最近では出産前診断のケースなどで、生命の意味、死生観、幸福、人権などについて語られることはありました。しかし、多くの場合、当事者や専門家の意見、それと個別のケースに即した意見が述べられるだけで、一般論としての議論はあまりされていないように感じます。少なくても、私の周囲では。
ので、この質問の結果、より正確にはいわしの成り行きには興味がありました。ただ、私としては身近で、本などで、色々なケースを見聞きしていますし、気軽に書ける問題とは思えず、投稿はしないつもりでした。今もしないつもりです(気が変わるかもしれませんが)。ので、以下は「中絶」とは関係ありません。
以上、前置き。
以下、yasukanaさんへ。
主に、
> キリスト教が嫌いになった事を何故中絶について話し合っているスレッドで出してくるのですか?
について。
ASHURAさんの投稿について。私も、読み始めたとき「ん?」と思い、正直、九割読んだ時点でも、「ん?ん?ん?」という感じでした。(読みにくいという理由と、内容の両方で)
ただ、「生命観、そのよりどころとなる哲学や信仰、ひとりひとりのそれが質問や回答やいわし投稿の背景にあると考え、長い投稿を試みました。」を、
「生命観、そのよりどころとなる哲学や信仰、ひとりひとりのそれが質問や回答やいわし投稿の背景にあると考え、<直接は関係のない>長い投稿を試みました。」と読み替えることにしました。
生命観、哲学、信仰について、論理的に説明できる人はなかなかいないと思います。ということで、「読み流す」ということでどうでしょう。
いわし(や回答)にどのようなことを書くかはそれぞれの判断ですし、回答であれば質問者がポイントなりコメントで評価できますが、いわしについてはかなり自由な場にならざるをえないわけで。(6月6日〜は、生命観でも哲学でも信仰でもないですから、さすがにどうかと思いますが…信仰か?)
最後に。とは言え、書かれているような経験と中絶との直接的な関係、また書かれていると思われる生命観・哲学・信仰とASHURAさんの体験の因果関係などは、私も読み取れませんでした(もしくは、論理矛盾や記述不足を感じました)ことはつけくわえておきます。ついでに、私は「文学」と言われるものを全くといっていい程読みませんが、「文学的」なわけではないと思います。抽象的なことを書いているので、分かりにくいだけでしょう。まあ、私の中では「文学性」とは「分かりにくい」ことだと思ってるんで、私から見れば「文学的」ですが。
ASHURAさん、yasukanaさん、及びこのスレッドを読んでいらっしゃる方に、最後ではありますがお詫びしておきます。
以上の文章はかなり失礼な内容と思われるかもしれません。いえ、失礼だと思います。理解した上で書き込みしています。
苦情、その他有りましたら苦情レス入れてもらってもいいですし、そのまま流してもらってもかまいません。
マザーテレサの絶対反対の立場に共感します。
例え望まれずに授かった命だとしても、
きっと彼女は迷わずに産むべき、と応えるのでしょう。
人間、何がきっかけで幸せをつかむかは分かりません。
産まれても幸せになれないから。
産むと幸せになれないから。
それは本当は誰にも分からない事です。
あるいはもしかしたら、殺人の罪を背負った方が
幸せになれる場合もあるのかもしれません。
でも、死んだらそこまでです。その後は何もありません。
出典を知らないのですが、
「おまえを殺してしまわぬものは、全てお前を強くしてくれる」
という言葉に強く共感します。
全ての人が幸せになるために生きているのだとしたら、
産まれないよりも産まれた方が幸せになるチャンスは多いはず。
それが例えどんなにつらい選択だったとしても、生きなさい。
彼女が言っていたのはそういう事なのだと私は感じます。
ただ、それに共感はしつつも私は2番を選びました。
そこまで強い人間ではありません。今のところ。
>奇形児だからなんなのだ。
morimoyukaさんに同意です。そのとおりですね。
まあ、かなり年齢の若い人の書き込みだと思ったので、私の場合は読み流しました。
ちなみに「異議あり」ですよね。
私も中学生の頃は奇形児や障害者は社会にとって無駄な存在だと素で思っていました。
今はそんな風には思っていませんが、それでも「難しい問題だ」と思っています。
少なくとも今健康な人でも、障害者になる可能性は少なからず在るわけです。
明日にでも立って生活する事が出来なくなるかもしれないのです。
もし自分がそんな立場になったら、少なくとも「無駄な存在」だと思われたくありません。
sakyoさんレスありがとうございます。
「読み流す」という事で問題ありません。
私もそのつもりだったのですが、どうしても真意を聞きたくなったのです。
6/6に何があったのでしょうね。
それにしても、「いわし」は書き込みをしている当の本人でも、追いかけて行くのが面倒ですね。わざわざIEの「お気に入り」に入れるとかしないと見るたびに質問を捜さないといけません。
いわしの名前検索や、Myはてなからのいわし取りだしや、アクセス上位「いわし」ランキング等あると助かったり面白かったりするのですが。
「対数的に好い」と言うのちょっと分かりませんが、文面からとらえると『フィーリング的に自分は気に入っている』でしょうかね^^;
でも、もし自分の生まれた日が「死者の日」だったらどうしますか?
ちなみに、1/1,3/3,5/5,7/7等が特別な日になっているから、単純に同じぞろ目の 6/6も・・・って言うことなのでしょう。あまり深い意味はないように思えました
ちなみに 6/6は24節気の一つ芒種です。 太陽黄経が75度のときで、西日本でいう梅雨入りのころで五月節。とも言います
ちなみに、それぞれの月の節は
1/5[小寒],2/4[立春],3/6[啓蟄],4/5[清明],5/6[立夏],6/6[芒種],7/7[小暑],8/8[立秋],9/8[白露],10/8[寒露],11/7[立冬],12/7[大雪]といった具合です
http://www.kyugetsu.com/sekku/culture.html
絶対反対、ですか。
私は、「絶対」には反対です。
人間は基本的におろかだと思います。
全ての人に聖人君子になれ、と言っても無理な注文だと思いますし、私自身も、聖人君子にはなれません。
だから、中絶を法律で禁止するべきでは無いと思います。
私は中絶には反対ですが、人間、どんな事が起こるか分かりません。
「現実は小説より奇なり」と言います。
「その子が産まれる事」が産む人間の人生に取って「生きる意味を無くすほどの衝撃」をもたらす事が「絶対にあり得ない」と言えるでしょうか。
私は想像を絶する事態はあり得ると思いますので、中絶には反対ですが、法律で禁止すべきで無いと思います。(妊娠五ヶ月以降の中絶はこれまで
どおり禁止すべきだとは思いますが。)
これは完全に余談ですが、殺人などで実刑が確定した犯人にたいして、被害者の遺族は実刑に処する上に、江戸時代まであった敵討ち、「決闘」を
申し込む事を許可して良いのでは無いかと思います。
大事な家族を傷つけられ自分の身を裂いても感じないほどの痛みを犯人に味あわされたのに、犯人は「刑務所」に守られて仕返しする事も出来ない
とすれば、何の為の法律か分かりません。
近年のモラルハザードも「犯した罪に対する代償」を感じる事が出来ないのが原因の一つになっていると思います。
つまり、受刑者の痛みと被害者の痛みが現実感を伴ってメディアのこちらがわに伝わって来ず、「捕まらなければ大丈夫」と言う空気を作っている
と思います。刑務所は「快適な場所」であるべきではありませんし、死刑はひっそりと人知れず行うべきではないと思います。
死刑にしても、普段食べている動物の屠殺にしても、どんな風に行われているか知らず私達は日常を過ごしています。
犯罪者であっても、その人の生命を奪う死刑はもっと一般人に知られるべきで、死刑について考えることで、つまりは罪、犯罪について、もっと私
達は考える事になると思います。
そして、屠殺の現場も知る事で、自分たちが他の生命を奪って生きている事を知る事が出来ます。自分たちが食べている肉が、感情を持つ動物の生
命を奪った結果である事をもっと知るべきです。自分の飼っている猫や犬と同じように牛や豚なども感情を持っているのです。(私は菜食主義者ではありません)
漫画などに「完璧に見えるが、実は何処かおかしい楽園」のようなものが登場する事がありますが、今の日本はそんな感じではないでしょうか。
汚い物には蓋をするだけ蓋をして、世の中は物にあふれ、食料にあふれ、路上では仕事を持たずに生活しても生きていけます。これはもしかすると「楽園」なので
はないでしょうか。
しかし、汚い部分が無いのではなく、隠しているだけ。
結果そのゆがみが犯罪などになって現れていると思います。
大半が余談ですね。m(__)mすみません。
>「対数的に好い」と言うのちょっと分かりませんが、文面からとらえると『フィーリング的に自分は気に入っている』でしょうかね^^;
そうですね。そうかもしれません。私は読んだ時に「僅差でこっち」と「圧倒的にこっち」の二通りに取れるなーと思ってしまったので、どうしても聞きたくなったのです。
>でも、もし自分の生まれた日が「死者の日」だったらどうしますか?
私は、、イヤですね。まだ「先祖の日」とかだったらマシですけど、明確に「死」の状態を指して記念日としたくは無いです。
>ちなみに、1/1,3/3,5/5,7/7等が特別な日になっているから、単純に同じぞろ目の 6/6も・・・って言うことなのでしょう。あまり深い意味はないように思えました
そうですか。それは面白くないなぁ(ぼそ)
余談ですが、子供の頃3/3は女の子の日 5/5は男の子の日だから、4/4はオカマの日だ!と冗談言っていました。今思うと、おなべに失礼だったと後悔。
>ちなみに 6/6は24節気の一つ芒種です。 太陽黄経が75度のときで、西日本でいう梅雨入りのころで五月節。とも言います
>ちなみに、それぞれの月の節は
>1/5[小寒],2/4[立春],3/6[啓蟄],4/5[清明],5/6[立夏],6/6[芒種],7/7[小暑],8/8[立秋],9/8[白露],10/8[寒露],11/7[立冬],12/7[大雪]といった具合です
さすがakiさんですね。。私は季節の表記やそれに伴う太陽や天気の移り変わりに疎いです。山登りをしていた人間にあるまじき行為。。
レスありがとうございます。余談の方も興味深く読ませていただきました。
yasukanaさんの意見にほぼ同意します。
なので反論というほどのモノは特に無いのですが、
せっかく返答くださったので少しだけ。
唯一意見の相違があるとすれば、私は人間をおろかだと思っていない
ということでしょうか。どちらかと問われれば素直に性善説を採ります。
特に根拠もなく非常に楽観的ではありますが、
人間生きてさえいればいつか再び赤子の頃の無垢さを
手に入れる事が出来ると思っています。
確かに、毎日の様に凄惨な事件や悲しい出来事が起こっています。
人は他者の命を奪わずには生きていけません。
1日生き延びるごとに私たちの罪は重くなっていきます。
それでも、生きることは喜びなのだと私に信じさせてくれるのは、
子供の笑顔や、無償の優しさや、過去と現在の偉大な人々の存在です。
それらに相対した時の感動が、私に世の中そう捨てたもんじゃ無いよ、
と思わせてくれます。
そういった訳でマザーテレサに共感はしていても、
諸手を挙げての賛同が出来ないのは
私自身の力で他人を守る自信(覚悟?)が無いからです。
自らに「おいおい」とツッコミたくなりますが、
そんな状況で他人に対して「絶対」とは言えません。すいません。
ところでせっかくなので、ASHURAさんの返信もお待ちしています。
ちょっと話題が中絶の是非からそれてきた気もしますが、
もともとが難しい問題なのでこういうのもアリかな、と思います。
もし未だこのいわしをご覧になっていたら、よろしくお願いします。
URLは余談の方に関係しますが、NHKのドキュメンタリーに関するものです。
DVD化していますので、もし興味があればどうぞ。
それでは。
http://www.1101.com/what_eat/2003-02-24.html#darling_top
>でも、もし自分の生まれた日が「死者の日」だったらどうしますか?
まさに、それが6月6日を選んだ理由で、すでに書いてあります。
「誕生日がそんな日だったらイヤなひとも多かろう。
ぼくは、「死者の日」のほうが、「家庭の日」にされるより対数的に好い。
(=これは数学の「対数」をもとにした詩的造語です。散文に直すと「何千倍も」くらいの意味合いです)
註:1979年ころ、残されたぞろ目のひとつである「6月6日」を、
家庭の日にしようと言い出したひとたちがおりました。
それなので、ぼくと、昔通った函館白百合幼稚園の担任であった
若く厳しい修道女、スール・エフレムさんの誕生日である6月6日を。
↑ ↑
ああっ、たしかに『本多勝一の作文(?)技術』で読みにくい例として引用されそうな文だ。
「ぼくが昔通っていた函館白百合幼稚園の担任だ若く厳しい修道女、スール・エフレムさんの誕生日でもあり、ぼく自身の誕生日でもある6月6日を(「死者の日」としたい)。」と書けばよかったんだ。みなさんご指摘ありがとう。
>ちなみに、1/1,3/3,5/5,7/7等が特別な日になっているから、単純に同じぞろ目の 6/6も・・・って言うことなのでしょう。あまり深い意味はないように思えました
奇数のぞろ目を珍重するのは、中華思想の影響らしい。
9/9は「菊の節句」ではありませんでしたか。
>ちなみに 6/6は24節気の一つ芒種です。 太陽黄経が75度のときで、西日本でいう梅雨入りのころで五月節。とも言います
>ちなみに、それぞれの月の節は
>1/5[小寒],2/4[立春],3/6[啓蟄],4/5[清明],5/6[立夏],6/6[芒種],7/7[小暑],8/8[立秋],9/8[白露],10/8[寒露],11/7[立冬],12/7[大雪]といった具合です
24節季でしょうか?
芒種、立秋は偶数のぞろ目ですね。
気候の違う中国大陸から来たとしたら不思議ですが、日本列島で成立したものでしょうか?
>>でも、もし自分の生まれた日が「死者の日」だったらどうしますか?
>私は、、イヤですね。まだ「先祖の日」とかだったらマシですけど、明確に「死」の状態を指して記念日としたくは無いです。
ぼくは「死者たちといっしょに生きている」感覚があるので、平気なのです。いま41歳ですが、35歳の誕生日から、そんな感じに変わってきたような記憶がうっすらとあります。
>余談ですが、子供の頃3/3は女の子の日 5/5は男の子の日だから、4/4はオカマの日だ!と冗談言っていました。今思うと、おなべに失礼だったと後悔。
1999年から、記念日協会に登録されています。
「トランスジェンダーの日」
こどものころに考えつくなんて、すごいですね。
http://www.geocities.co.jp/MusicStar/9962/tg/tg-44.html
>中絶と銃規制は、アメリカ大統領選では両党候補とも避けたがる微妙な問題だと聞きます。
日本では中絶は違法です。「堕胎罪」が存在し、女性が罰されます。
その抜け道として使われているのが旧優生保護法(当時日本の同盟国だった独逸のナチスによる「優生法」を参考につくられたとききました。名称が露骨なためか、最近「母体保護法」になりましたが、中身はほとんどかわりません。堕胎罪を撤廃する運動があります
>ASHURAさん、yasukanaさん、及びこのスレッドを読んでいらっしゃる方に、最後ではありますがお詫びしておきます。
>以上の文章はかなり失礼な内容と思われるかもしれません。いえ、失礼だと思います。理解した上で書き込みしています。
>苦情、その他有りましたら苦情レス入れてもらってもいいですし、そのまま流してもらってもかまいません。
親友の「げに恐ろしきはROM専」氏から、ぼくの長文書き込み(2ちゃんねるなら「スレ違い、スレ汚し」だと思います。「掲示板いわし」はひとつの話題についてツリー構造をとっており、たとえば連歌の伝統のように、連想や飛躍を楽しんでよい場所だと考えております。
http://www.arsvi.com/b11100c1.htm
>マザーテレサの絶対反対の立場に共感します。
あれだけ影響力の大きいカトリックの宣教師?が公の場で反対することに、
強く反対します。会えたら、質問したかった。強姦のばあいどうするのか、
父親に妊娠させられても産めというのか、誰が育てるのか。
>人間、何がきっかけで幸せをつかむかは分かりません。
>産まれても幸せになれないから。
>産むと幸せになれないから。
>それは本当は誰にも分からない事です。
>あるいはもしかしたら、殺人の罪を背負った方が
>幸せになれる場合もあるのかもしれません。
ええ、ぼくもそうおもいます。
>でも、死んだらそこまでです。その後は何もありません。
それが個々人によって違うから、中絶の議論は難しいと思うのです。
たぶん、経験なくカトリック教徒であるマザーテレサ氏は、
「死後裁きがある」という教義を踏まえて発言していらっしゃいます。
日本のマスコミ報道は、ほかのこと〜警察発表などについてもそうですが、背景について独自取材が足りないときがあります。
宗教には、とても疎いように思えます。
だから、カトリックの死後の世界〜天国と地獄のほかに煉獄というのもある〜
など、マザーテレサ発言の根底にある宗教観を知らずに、ことばが一人歩きし、「愛」が情緒的にしかうけとめられないように感じております。
>出典を知らないのですが、
>「おまえを殺してしまわぬものは、全てお前を強くしてくれる」
>という言葉に強く共感します。
>全ての人が幸せになるために生きているのだとしたら、
>産まれないよりも産まれた方が幸せになるチャンスは多いはず。
>それが例えどんなにつらい選択だったとしても、生きなさい。
>彼女が言っていたのはそういう事なのだと私は感じます。
>
>ただ、それに共感はしつつも私は2番を選びました。
>そこまで強い人間ではありません。今のところ。
ゆうべ、親友の「げに恐ろしきはROM専」氏から、ぼくの長文書き込みを批判するレスが2つついている由連絡がありました。
少し話し合ったのですが、どこのブログにも登録しない丹念なROM専である親友も、質問の主旨からそれているという意見で、物別れに終わりました。
たとえば2ちゃんねるなら、ぼくの6月6日の書き込みは「スレ違い、スレ汚し」だと思いますから、しません。再書き込みも「粘着」「ウザい」というのが相場でしょう。
しかし、「掲示板いわし」は「2ちゃんねる」とは別世界だと考えて使い分けを試みている最中です。
「掲示板いわし」はひとつの話題についてツリー構造をとっており、たとえば連歌の伝統のように、連想や飛躍を楽しんでよい場所だと考えております。
>6/6に何があったのでしょうね。
はい。ぼくの誕生日があったのです。
幼稚園からの仲良しの女の子の誕生日が、8/6でした。
NHKで原爆投下の祈念式典を見てから登校してくるので、
誕生日の朝は、なんだか神妙な顔をしていました。
「誕生日おめでとう」と言っていいのは給食時間が終わってから、
そんな状態がかなりながいことつづきました。
閑話休題。
>それにしても、「いわし」は書き込みをしている当の本人でも、追いかけて行くのが面倒ですね。わざわざIEの「お気に入り」に入れるとかしないと見るたびに質問を捜さないといけません。
>
>いわしの名前検索や、Myはてなからのいわし取りだしや、アクセス上位「いわし」ランキング等あると助かったり面白かったりするのですが。
ぼくも昨日から「人力検索」の「ASHURAさんの質問回答履歴」のようなものを「はてな」につくってもらいたいと考えはじめていました。
「ID検索」、ぜひほしい。文体がめちゃくちゃなときがあっても、それが自分のそのときだから。あと、「いわし」のレスのところから「いわしレス一覧」を参照できると、その書きこみの背景や前提がわかるし、1度の議論や不幸な勘違いで、「あのIDは××なやつだ!」と思い込む心配も減る。
インターネットがすべてそうなるのには反対ですが、匿名掲示板の恩恵とともに、「はてな」のような「よみ人知りぬ」なワールドもほしい。
>単刀直入に申し上げまして、ASHURAさんの文章が理解出来ません。
単刀直入なレス、ありがとうございます。まわりくどい文を書いていてこういうのもなんですが、ぼくもひとの文意がとれないときがあるので、このフレーズ、これからはつかわせていただきます。
>命日よりも誕生日を祝う考えは同感です。
それはありがとう。
>ですが、6月6日は何なのでしょう。恋人の誕生日?
ぼくの誕生日です。ほかのレスに書きましたが、書き始めてから1時間以上かかって書いたせいか、文意がとりにくい文章になってしまいました。
>「対数的に好い」と言うのはどんな状態なのですか?
ごめんなさい。「好きの度合いが指数的(何倍より何乗のほうがどんどん大きくなる)」と書いたほうが飛躍の度合いが少なかったと思います。それでも飛躍が過ぎるのも認めます。ぼくにとっては、他のひとのそれぞれの文体とたいして変わらないつもりなのです。
お手数でしょうが、今回のように質問をいただいたのがありがたい。
批判や質問が出ているのがわかれば、調子のよいときに、なんとか日本共通語に翻訳を試みます。自分にもよい勉強になります。
>「家庭の日」が誕生日だと辛い(と言う意味でしょうか?)とは
>どう言う意味でしょうか?
日本政府がそのころ考えていた「家庭」というのは、「父らしい男性と母らしい女性と子供たち」というものでした。いまもたいして変わらないと思います。
こないだフランスが法律を変え、事実婚だけでなく、友人も含めて「家族あつかいの登録」が可能になりました。
日本で急速に進んでいる少子化の問題も、「シングルマザーでは子供がかわいそう」という偏見さえなければ、もっとゆるやかになると主張しているひとたち(たとえば精神科医の斎藤学さん)がいますが、為政者たちは戸籍制度の崩壊をおそれているようです。
6月に「国民の休日」がないので、単に記念日協会に登録する以上の、政治的論議があったのでした。なぜ話が流れたのか、どこか政党が反対したのか、そこまでは知りません。
ぼくはトランスジェンダーでバイセクシャル、おまけにポリガミーを一律には非難しないシリアルモノガミー(「一度にはひとりとつきあう、ほかのひととは一定以上の性的行為はしない」という信条を実行中)です。
独り親家庭、独身中年、通い婚、同性愛結婚、トランスジェンダー同士、そんな「家庭」と実際つきあってくると、1979年ころ国会に新しい祝日として法案提出されそうになった「家庭の日」から数年前の「国際家庭年」についての日本政府のキャンペーンまで、「きまったカタチ以外は崩壊家庭扱い」というのがみえすいているので、反対なのです。
>が、キリスト自身男性ですよね。生まれ変わりたる預言者が男性で在ることの何が気に入らないのでしょうか。
チベット仏教のえらいさんとちがって、キリスト教の預言者は「うまれかわり」ではないし、「正統・多数派」のキリスト教会は生まれ変わりの教義を異端としていると思います。
>産むなら産む。産まないなら産まない社会でしょう?
>産み分けの為の中絶が横行していると言う事でしょうか。
>それなら、それは良くないですね。
男女産み分けは医学的にあるていど実用化され、横行しています。
「中絶につながる産み分けお断り」と断りがきがしてある産み分けサイトも、
責任逃れの感が否めないものが見受けられます。
医学の「進歩」と「中絶の横行」についての詳細は、リンクを張っておきます。
http://am.tea-nifty.com/ep/2004/02/post_9.html
>>出典を知らないのですが、
>>「おまえを殺してしまわぬものは、全てお前を強くしてくれる」
>>という言葉に強く共感します。
>>全ての人が幸せになるために生きているのだとしたら、
>>産まれないよりも産まれた方が幸せになるチャンスは多いはず。
>>それが例えどんなにつらい選択だったとしても、生きなさい。
>>彼女が言っていたのはそういう事なのだと私は感じます。
>>
>>ただ、それに共感はしつつも私は2番を選びました。
>>そこまで強い人間ではありません。今のところ。
ぼくはたいして強い人間でないことをことわったうえで、最近、子どもが産みたくなってしかたないのです。生まれて初めての感覚です。3歳ころから「結婚しない。子どもは産まない」と宣言して、親たちも尊重してくれていたのに。その不思議さを楽しんでいます。
一度、「スイカをあげるから遊びにおいで」といわれて爺いに強姦されたことがあって、そのときは妊娠しなくてほんとうによかったし、まちがいなく中絶を選んでいたと思います。
ところが、中絶の質問がだされる少し前から、一般にひとがどうするべき、というのでなく、たとえ今の恋人との間の子でなくても、妊娠したら産みたい、という気持ちがあるのに気づき、恋人と長話をしました。
恋人は、僕がそうしたいなら支持するし、そんなことで僕と別れるようなことはしないし、できる範囲で協力すると言ってくれました。「子どもに事実を知らせるか?」など、延々と電話でシミュレートしました。なんだかとても心が楽になりました。
強姦はいやだし、妊娠を継続すると、裁判で和姦ととられ、裁判の進行上不利になると思っても、せっかく最近になって子どもを産んでもいいと思えたことを思うと、「もったいない」と思ってしまう。われながら不思議なので、報告しておきます。
ご批判ご質問ご感想罵詈雑言、お待ちしております。
それにしても「発言者検索・発言履歴」の機能、たしかにほしい。
沢山のレスを一度に頂きましてありがとうございます。m(__)m
さて、、どこから手をつけたものか。。
まず、正直な所、もう回答はいただけないものと思っていました。
私の書き込みはうざったい、かつ挑発的な事内容になっていました。
こんな場合、大抵、返答は面倒だからか、そのまま自然消滅するのです。
>>「対数的に好い」と言うのはどんな状態なのですか?
>
>ごめんなさい。「好きの度合いが指数的(何倍より何乗のほうがどんどん大きくなる)」と書いたほうが飛躍の度合いが少なかったと思います。それでも飛躍が過ぎるのも認めます。ぼくにとっては、他のひとのそれぞれの文体とたいして変わらないつもりなのです。
ああ、やっぱりそちらでしたか。
文脈が僅差っぽかったですが、「対数」にこだわっているなら大差あるだろうと思いました。
余談
『「対かず的」と読ませるなら僅差でも使えるか?』とも考えました。
>お手数でしょうが、今回のように質問をいただいたのがありがたい。
>批判や質問が出ているのがわかれば、調子のよいときに、なんとか日本共通語に翻訳を試みます。自分にもよい勉強になります。
「変だ」と思うと質問しますので、ご心配なく。
あと、「見過ごせない」と思ったときも批判します。
調子の良い時といいますと、お加減が悪いのでしょうか。くれぐれも無理はなさらないように。。
あと、今回のレスの一部に例え事実としても余り書くべきでない個人的な事が書かれているように思います。
その書き込みも含めて読んだ結果、ASHURAさんのハンドル(はてな?)ネームの意味が理解出来たように思います。
私の生ぬるい人生とは比較出来ない程の「闘い」の人生なのだと感じました。
>>「家庭の日」が誕生日だと辛い(と言う意味でしょうか?)とは
>>どう言う意味でしょうか?
>
>日本政府がそのころ考えていた「家庭」というのは、「父らしい男性と母らしい女性と子供たち」というものでした。いまもたいして変わらないと思います。
>
>こないだフランスが法律を変え、事実婚だけでなく、友人も含めて「家族あつかいの登録」が可能になりました。
>
>日本で急速に進んでいる少子化の問題も、「シングルマザーでは子供がかわいそう」という偏見さえなければ、もっとゆるやかになると主張しているひとたち(たとえば精神科医の斎藤学さん)がいますが、為政者たちは戸籍制度の崩壊をおそれているようです。
この話しは、、面白いです。
実は私はこの件に関しては保守的です。
複雑な立場のASHURAさんを前にしてこの意見は言いにくいですが、
性差による役割の差は有るべきだと考えています。
それは男が家庭に入るのが良くないと言う意味ではなく、
「男女を平等に扱うのは無理がある」と言う意味で、つまり
「男女を平等に扱うのは不公平だ」と言う事です。
この件をこれ以上具体的に書くのは、申し訳ないですが、時間が掛かりすぎますので、省略します。(実際はもやもやっとしている考えなので、まとめ直す必要があるので書けない)
あえて、一つ言いますと、平等とは老若男女を同じ一つの人間として扱うことです。
公平とは差を考慮してハンディをつけて扱うことです。
私は性差がある限り、ハンディは必要だと考えているのです。
>6月に「国民の休日」がないので、単に記念日協会に登録する以上の、政治的論議があったのでした。なぜ話が流れたのか、どこか政党が反対したのか、そこまでは知りません。
まあ、お金の動く所にしか、政治は動きませんから、6月制定に関するどこかからのお金がSTOPしちゃったのでしょう。
>ぼくはトランスジェンダーでバイセクシャル、おまけにポリガミーを一律には非難しないシリアルモノガミー(「一度にはひとりとつきあう、ほかのひととは一定以上の性的行為はしない」という信条を実行中)です。
>
>独り親家庭、独身中年、通い婚、同性愛結婚、トランスジェンダー同士、そんな「家庭」と実際つきあってくると、1979年ころ国会に新しい祝日として法案提出されそうになった「家庭の日」から数年前の「国際家庭年」についての日本政府のキャンペーンまで、「きまったカタチ以外は崩壊家庭扱い」というのがみえすいているので、反対なのです。
人間、朝起きて、夜寝て、運動と休息と勉学と趣味が必要です。
これは人間としての「基盤」です。
社会生活を送る生物として、「家庭」と言う最小単位の「社会」も
「国家」と言う「社会」の基盤だと考えているわけです。
基盤がしっかりしていれば国家もしっかりするだろう、と言う考えですね。
これは難しい問題です。将来もこれまで通りの「家庭」像が維持出来るとは到底考えていませんが、「じゃあ、お前、これからの理想の家庭像をイメージしてみろ」といわれても何もうかばない。
逆さにしても鼻血くらいしか出ません。
でも、思うのは、人間は「基盤」をあまりいじりたくないのです。
「俺の孫には試験管発生して、培養槽で育って、バーチャルで愛を学んで欲しいんだ」
とは思わないでしょう。(少なくとも私は、ね。)
やっぱり愛の溢れた家庭で育って、野山を駆け巡って友達と大笑いして育って欲しいと思います。
だから私は「新しい家庭像」について、
「決まったかたち」はまず、大事にしたい物として横に置いておいて、
「新しいかたち」はどんな物なのか、模索して研究する事は良いことだと思います。
「決まったかたち」にも問題点は山のようにあるのです。
「新しいかたち」にはそれを上回る問題点が出てくるでしょう。
それにはまず、パイオニアたる「先導者」が事例を世に示していくしかないのだと思います。
>チベット仏教のえらいさんとちがって、キリスト教の預言者は「うまれかわり」ではないし、「正統・多数派」のキリスト教会は生まれ変わりの教義を異端としていると思います。
m(__)mそうですか。
ただ、キリストも預言者なんですよね。いや、まあいいです。どちらにしても宗教も群集を従えさせる為の洗脳道具です。そして今までの文明は大半が男性上位の社会ですので、「主」は男であるのは当然の流れだったわけです。
>医学の「進歩」と「中絶の横行」についての詳細は、リンクを張っておきます。
人間は本当に浅はかですよね。。。そして欲深い。
余談ですが
先日坊さんの説教を聞く機会があったのですが、
「人間には欲は有るものだけど、ほどほどにする必要がある。」
と言っていました。私にも沢山の欲があります。
みんなが欲を出せば人類は滅びます。欲を全く出さないとやはり滅びます。
私たちは人類を滅ぼさせないために欲を調整するのでしょうか。