[アンケート]あなたの性についての考え方を教えて下さい(男性限定/100人)

回答の条件
  • 途中経過を非公開
  • 男性
  • 20代未満,20代,30代,40代,50代,60代以上
  • 登録:2004/10/21 12:33:42
  • 終了:--

回答(100 / 0件)

Q01(択一)

男性は男らしくあるべきだし、女性は女らしくあるべきだ。同性愛も許さないと思う。13
男性は男らしくあるべきだし、女性は女らしくあるべきだ。しかし、同性愛は認められるべきだと思う。15
男らしさ、女らしさといった文化的規範は、流動化している。男女のあり方は、もっと自由であってよいはずだ。しかし、同性愛は許さないと思う。19
男らしさ、女らしさといった文化的規範は、流動化している。男女のあり方は、もっと自由であってよいはずだ。同性愛も認められるべきだと思う。47
質問の意味が分かりません。6
合計100

集計

×
  • id:ddr300sr
    危険ですねぇ。

    ジェンダーフリーは危険ですねぇ。
    自己の役割・責任を果たせない一部の自分勝手な人たちの反社会的な行為を正当化させているだけじゃないの。
    反対してるのがかっこいいみたいな。古いなぁ。

    役割を果たさないのなら人間である必要ないじゃないの。
    リンクを見よ!
    http://www.samurai-hiroshi.com/itto_2.html
  • id:tikutaku
    らしさの危機

    男女のあり方は流動的・・・OK
    性差によって差別はできない・・・OK
    同性愛も認めるべき・・・OK
    と、各論はOKなんだけど

    だから男らしさとか女らしさとか言っては行けない・・・あれ?

    糺すべきは性差に由来する差別であって性差そのものを否定できないと思うよ
    だって性差は現実に存在する者なんだから「ないことにすればOK」とはならないでしょう?
  • id:neye
    Re:危険ですねぇ。

    うーん。確かに、この質問は危険だったかも。(^^;

    個人的には「ジェンダーフリー=無責任」というのは、
    論理が三段とびしているような気がします。

    責任という文脈でとらえるならば、ジェンダーというのは責任のあり方の問題で、
    その変容を認めるのことが「ジェンダーフリー」だとするならば、
    責任のあり方が変わることと、無責任になることとは別の問題です。

    ちなみに、ジェンダーフリーが「性差の存在しない社会」という意味だとすれば、
    そのような社会は、人類には存在しないと考えます。
  • id:TomCat
    真剣な恋愛なら

    ストレートだろうがゲイだろうが真剣に受け止め温かく見守る。
    そのへんに男らしさがあると私は思っちょります。はい。
  • id:neye
    (投稿者削除)

  • id:neye
    お礼と結果

    男性:
        性差について保守的(28%)
        同性愛に否定的(32%)
        性差について保守的 かつ 同性愛に否定的(13%)

        質問の意味が分からない(6%)

    女性:
        性差について保守的(12%)
        同性愛に否定的(11%)
        性差について保守的 かつ 同性愛に否定的(2%)

        質問の意味が分からない(1%)


    男性の方が性差に保守的であり、かつ同性愛にも否定的であるという結果でした。

    質問の意味が分からないと回答された方が、やや男性に多かったという点も
    あるいは男女差とみてよいのでしょうか。

    アンケートにご協力下さった皆様、どうもありがとうございました。

    ※ご指摘を頂き(トラックバックを参照)、一部訂正致しました。
     ご指摘下さった方、感謝です。どうもありがとうございました。

     うーん。最近、どうにもミスが多い私。
     ご迷惑をおかけしました。m(_ _)m
  • id:jo_30
    ポイントは

    性差が「無い」社会ではなく、
    性差が「ハンデにならない」社会、でしょう。

    「男らしさ/女らしさ」という言葉は、ある時にはその人の
    プライドにもなり得ますが、ある時にはハンデにもなり得ます。
    その意味で、微妙な言葉か、と。

    たとえば、「空を飛べる人」と「飛べない人」がいる社会で、
    「空を飛べる人」は「飛べない人」の代わりに色々な仕事を
    するのがデフォルトだったとします。「飛べる人」は「飛べる
    人『らしく』○○すべきだ」みたいな考え方がデフォルト。

    ところが、その社会である時「誰でも自由に空が飛べる機械」が発明されたとしますね。
    「飛べない」ことが「ハンデでは無くなった」、と。

    その場合、その「ハンデ」を前提に作られていた「〜らしさ」を
    守ることが、本当に必要で大切なことなのでしょうか?

    我々が無自覚に「○○らしさ」だと考えていることの中に、そういう
    「ハンデ」を前提にした考え方はないでしょうか?

    それとも…そんな「空飛ぶ機械」なんて発明されない方が良かったんでしょうか…?

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