ここに上げたもの以外にも色々調べてみましたが、こういうことらしいです。
1922年 フォークトが局所生体染色法を開発し研究を始める
1924年 シュペーマンが予定神経域と予定表皮域を交換した実験を行う
1929年 フォークトが局所生体染色法により原基分布図を完成させる
ということです。
つまりフォークトの業績を、局所生体染色法を開発したことと見るか、それによって原基分布図を完成させたことに見るか、の違いにより、シュペーマンとフォークトの名前の出てくる順番が変わってしまうということです。
実際にはシュペーマンの実験はフォークトの局所生体染色法の開発のあとですので、それぞれの予定域を特定することはできたでしょう。しかし原基分布図の完成には至っていなかったということです。
丁寧な回答有り難うございます。回答によりますと、フォ−クトが局所生体染色法を開発し、原基分布図を完成、発表する前に、シュペ−マンは、神経域と表皮域についての情報をてにいれたということになりますよね。おなじドイツ人ということもあり、頻繁に情報交換をしていたのでしょうか。