リンカーンは共和党から立候補した大統領です。いつの間に共和党は南部で強くなり、民主党は東部で支持を集めるようになったのでしょうか。

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回答(9件)

id:taknt No.1

きゃづみぃ回答回数13539ベストアンサー獲得回数11982004/11/05 17:19:42

ポイント50pt

http://tanakanews.com/e0721secondcoming.htm

キリストの再臨とアメリカの政治

1970年代後半からキリスト教原理主義など保守系の教会と共和党が結びつきを強めた結果、共和党支持が増えたそうです。

id:hkt_o

参考になりました。

2004/11/05 17:20:53
id:tkyktkyk No.2

tkyktkyk回答回数2183ベストアンサー獲得回数252004/11/05 17:41:06

ポイント100pt

http://www.info.sophia.ac.jp/amecana/Journal/3-5.htm

Contemporary Politics in the American South

> 黒人層の政治的影響力は、南北戦争後の「再建の時代」に連邦政府のあとおしによって強まったが、その連邦政府は「リンカーンの政党」つまり共和党が支配力を持つものであった。その意味で歴史的にも南部黒人投票者と共和党との間には共生的関係が存在していた。

超極論的にまとめてしまうと、黒人VS白人という図式が見えるかと。

参考にしてください。

id:hkt_o

なるほど。南部の状況がたいへんよくわかる。では東部は……?

2004/11/05 18:01:30
id:nisshi_jp No.3

nisshi_jp回答回数12ベストアンサー獲得回数02004/11/05 17:58:45

ポイント80pt

↑の「◆苦戦予想」以下の記述や、

(%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB)

↑にもあるように、公民権運動の時の対応が大きいのではないかと思います。

id:hkt_o

ありがとうございます。南部で共和党が支持を拡大した理由は、十分理解できました。しかし、南北戦争後、いかにして東部州全勝となるまで支持を拡大したのかが、残る謎です。

2004/11/05 18:07:42
id:yukitugu No.4

yukitugu回答回数446ベストアンサー獲得回数102004/11/05 18:01:38

ポイント50pt

南部<>東部と言うより東西海岸部<>内陸部或いは都会<>田舎という構図のようです。takntさんの補足になりますが、60年代にケネディに象徴される反戦、ヒッピー等のサブカルチャーといった古き良きアメリカの価値観に反する価値観が台頭した時、それを取り込んだ民主党とそれに反発する保守的な層を取り込んだ共和党と言う図式が出来たと考えられます。

id:hkt_o

現在の構図は、なるほど仰る通りでしょう。しかしながら、どのような過程を経て、基盤地域が逆転したのかが知りたい、というのがこの質問の趣旨です。例えば、なぜ「新しい価値観」が生じ、それが東西海岸部で、その価値観を反映する政党が民主党だったのか。もともと南部に地盤を持っていたのに、なぜ「新しい価値観」に柔軟な対応を見せたのかがよくわからない。

2004/11/05 18:24:22
id:tkyktkyk No.5

tkyktkyk回答回数2183ベストアンサー獲得回数252004/11/05 18:25:13

ポイント50pt

すいません、先ほどは民主党への指示について言及漏れしました。

> 南部白人層の離反(レーガン・デモクラット)を招くこととなる。また女性の権利をめぐる中絶論争で進歩的な政策の立場から、保守的な白人層や宗教右派などの離反も招いた。

とあるように、共和党に反発して、という背景が一番大きいようです。

結果として黒人に対向する白人というのを様相を呈しているということです。

参考:民主党の歴史

id:hkt_o

ううむ……民主党は南部に地盤を持ち、もともとは保守的な価値観を掲げていたはず。それがフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領の時代になると、進歩主義に変わっている。なぜ地元の反発を甘受してまで「新しい価値観」にとびついていったのか……。結果的に、共和党が圧倒的に強かったはずの東海岸は現在ではすっかり民主党の地盤となった一方、南部は今回の大統領選挙で全滅の憂き目を見ている。人々は変わらないのに民主党が変わったように見える。共和党も同じ。都市型政党から田舎型政党へと舵を切り、地盤を民主党と交換してしまった。

共和党については、民主党に押され、党勢が衰弱する中で新しい支持層として政治と距離を置いていた福音派を取り込み、変質していったことを理解しましたが、民主党の変節は何が原因だったのか。ルーズベルトの時代には既に、共和党の方が保守的になっていたのだけれども、では南北戦争以降、どのような経緯があったのか。民主党の支持層には北部移民があり、これが現在の海岸部の支持の核となっているとして、彼らが南北戦争時代をいかに生き延び、そして戦後には南部から主導権を奪うに至るのか?

もう少し、回答を募集したいと思います。

2004/11/05 19:17:28
id:hensyuushi No.6

hensyuushi回答回数262ベストアンサー獲得回数02004/11/05 22:29:01

ポイント800pt

3.のWikipediaの解答は誰が書いたかは知らないのですが、この問題の要点を実に的確に書いています。

ポイントの一つは「民主党は歴史的にその支持勢力に北部と南部に分けることができる」という点です。

「北部は大都市の移民集団で、カトリック系やユダヤ系移民に支持される」

一方で、

「南部は奴隷制廃止に反対し」

ということがこの謎を解く大きなポイントです。

それを念頭に置いてこのリンク先をみてください(Macなどで文字化けした場合はテキストエンコーディングで日本語(EUC)で見てください)。

1860年代に蒸気船が就航して移民が増加したことが書いてあると思います。1840年代にアイルランドで飢饉がおきて、小作農たちはどんどんとアメリカへ移住しますが、しかし本格的に移住できるようになったのは蒸気船が定期通航しはじめてからです。そして1800年代のロシアからのユダヤ人大量移民、またその他欧州各国からの移民は、N.Y.のエリス島からアメリカに入ることになります。

では,アメリカに入った移民たちはどうしたか?既得権益で固まった南部には入れません(「解放」奴隷で労働力は固められているわけです)。そうすると必然的に東部で都市労働者になるか、西部で人生の一勝負に賭けてみるわけです。

このあたりハリウッド映画ですがトム・クルーズとニコール・キッドマンの「遙かなる大地へ」が比較的面白く描いているので興味ある方はどうぞ。

http://www2m.biglobe.ne.jp/~shotaro/no396.html

気になることはことは調べよう

このリンク先は先住(?)していた中国人との絡みの話ですが、西部へ移住したアイルランド系アメリカ人のエピソードとしては面白いです。

まとめると東部都市部と西部に分かれてアイルランド系は住み着きます(中部には先住の人々(ここで使う「先住」はいずれも本来のアメリカ人である「アメリカ・インディアン」諸部族は除かれる)がいたので,ここを通り抜けます)。

当然その後の諸移民は同様のルートを通ります。但しもともと商才のあるユダヤ系は(あまりこういう書き方は好みませんが)どちらかといえば、わざわざ西部までいかず東部に住み着きます。

東部はあとでも書くように元々WASPの本拠地で「共和党」優位でした。しかし、移民の数が増えてくると共和党支持者よりも民主党支持者の方が多くなります。また必然的に民主党の設立以来の伝統的支持基盤だった南部層の数に対し北部層の発言力が増していきます。

なぜ北部都市部の発言力が増したか。それは都市部は集票組織が発達したからです(移民層はレイナルド・ディカプリオの「ギャング・オブ・ニューヨーク」に示されるように団結が強く、「遙かなる大地へ」でも出てくるように地域のボスが票をとりまとめたのわけです)。移民の発言力は「数」のパワーとして国政に反映されます。

そこでこういう言葉が出てきます「良きカトリックは良き民主党員」。アイルランド人は伝統的なカトリックで、アイルランド系が民主党の大きな支持基盤だということを示すものです。

共和党の支持基盤はそれに対して「先住」者であるWASP(ホワイトアングロサクソンプロテスタント)です。

東部と西部で共和党より民主党が有意になったのは、移民の数を背景とした民主党支持基盤の増加があります。

ここまでの時点で何故民主党がある時期から東部と西部に力を伸ばしたのかは分かるかと思います。

では、どうして都市部の移民たちの支持が「共和党」ではなく「民主党」に向かったのか?という疑問が出てくるかと思います。それを考えるには南北戦争の意味合いをもう一度洗い直す必要性があります。つまり奴隷問題ではなく、貿易と労働力という経済の観点からです。

ということで、私事でネットでここだけにとどまれないので、取り敢えずここまで書かせてもらいます。もしどなたかこの後のストーリーを書いて頂けるのなら、宜しくお願いします。

もしどなたも書かないで、質問者が興味があるようでしたら、このまま質問を開放しておいていただければ明晩また続きを書き込みます。

id:hkt_o

たいへん勉強になります。

米国は、英国政治の流れを汲みつつ、さらに先鋭的に2大政党を志向した制度を組み立て、事実上、共和党か民主党のいずれかしか選択肢のない状態を作ってきた……という前提条件がまずあって、それゆえにプロテスタントとカトリックが共和党と民主党に分かれ、同様に東部と南部、都市と田舎、進歩主義と保守主義、といった二項対立が共和党と民主党にそれぞれ収斂していく。

共和党の方は出自も転変もわかりやすいのだけれど、民主党はまだよくわからない。南部の支持層と北部の支持層とでは、価値観がかなりずれているように思うので。なぜそれが、言葉は悪いけれど野合することになったのか。続きのお話は、ぜひお伺いしたいところ。楽しみに待ちたいと思います。

2004/11/06 02:06:04
id:db3010ss No.7

db3010ss回答回数599ベストアンサー獲得回数112004/11/06 01:36:40

ポイント100pt

アメリカ大使館のページの記事です。

http://www2.wbs.ne.jp/~ms-db/other%20data/us%20president%20elect...

アメリカ大統領選挙 二大政党獲得州

これを見てると、北東部がほぼ民主党一色になったのは92年以降。南部は76年以前はバラけていたことが見て取れます。

北東部+中西部+太平洋岸=民主党、それ以外=共和党とはっきり2分されてしまったのは2000年以降です。

http://www.kaho.biz/president.html

アメリカ合衆国大統領列伝

歴代のアメリカ大統領のエピソードを呼んでみると、現在の共和党、民主党のイメージは一時的なものなのかもしれません。

id:hkt_o

たしかに、色分けが明確になったのは不景気から回復したあたりからなのですが、割と古いアメリカ映画を見ても、現在の状況を導く萌芽は観察できます。いくつか前の回答へのコメントにも書きましたが、地域の文化は変化せず、政党の主張の方が変化している、その結果、優位な地域が時とともに変化している、そう見えるわけです。

ところで大統領選挙の結果を見ると、ジョンソン、ニクソン、レーガンの人気が凄まじかったことがわかって興味深いですね。あと、カリフォルニアなど西海岸がハッキリ民主党寄りになったのはパパ・ブッシュの選挙のときからなんですね……。そして東部で民主党が優位になるのはクリントンの選挙のときから。そんなに最近のことだったのか。参考になります。

ところで5番目のリンク先は、ちょっとなんというか……。

2004/11/06 02:57:38
id:kkmakino No.8

kkmakino回答回数1ベストアンサー獲得回数02004/11/06 11:02:04

ポイント50pt

BBCのサイトですが、選挙毎の両党の勝敗推移がわかって面白いです。徐々に共和党が13州から支持基盤を南部に移した、というのではないことがよくわかります。

リベラルで女性の権利を守ることに重きを置く民主党が、妊娠中絶を認めたことから、キリスト教原理主義の反発を買い、それを共和党が取り込んだことが中西部での支持基盤を固めた大きな理由の一でしょう。

日本でも保守基盤は地方で強い、というのは同じ状況ではないかと思います。民主党が強いのは東部だけでなく、Californiaを始めとした太平洋沿岸部もそうです。私は現在California州に在住していますが、周りを見ると、資本家(金持ち)は共和党、有色人種は民主党、その他も民主党に理解を示す人の方が多いようなかんじです。

Bush勝利後、Canadaの移民局のページへのアクセスが急増したそうです。現在のアメリカで政治を理由に移民を真剣に考える人がどれだけいるのか分かりませんが、確かにminorityに取っては住みにくくなるように感じます。

id:hkt_o

参考になりました。ただし大統領選挙では、ジョンソン、ニクソン、レーガンの大勝利や、カーターが当時としては例外的に南部諸州を抑えるなど、個別事情がかかわっていることには注意が必要だろう、とは思っています。

なお、私が興味を持っているのは、なぜ民主党がリベラルなのか、ということです。リベラル路線を追求したから、民主党は南部や田舎で票が伸び悩んでいる。かつての票田で勝てない。そのあたりが気になるわけです。

それにしても、かっこいいですね、BBC のフラッシュは。

2004/11/06 16:18:55
id:hensyuushi No.9

hensyuushi回答回数262ベストアンサー獲得回数02004/11/07 02:40:10

ポイント1000pt

まず、6の続きからいきます。民主党成立の理解については、多分言葉の問題なのかもしれませんが,

>「米国は、英国政治の流れを汲みつつ、さらに先鋭的に2大政党を志向した制度を組み立て」云々

という前提条件に大きな誤解があります。アメリカは二大政党制は志向したわけではなく、これも必然として出てきたところが大きいからです。ここから話を始めると本当にアメリカ史になってしまうので,手身近にいきたいところですが。リンク足りなくなったら、自分のblogで書き足すという形でいいでしょうか。あとは黒人の立場をどう理解するか、これは学校で学習した世界史では不十分で、判断を誤らせる大きな原因になります。

I. 独立戦争までの対立軸

「王党」vs. 「独立党(愛国派)」

対立軸:課税権、対英関係、独立

推移 :アメリカ独立戦争

結果 :王党派はイギリスと共に敗北し、「アメリカ」外へ脱出。財産没収。

    独立党が残る。

「重商主義」「印紙条例」「代表無くして課税なし」「ボストン茶会事件」などこのあたり有名どころなので、読んで頂ければ分かるかと思います。もともと支配層として親英勢力の「王党」が存在していましたが、やがて新植民地で経済力をつけた商業層移民が発言力を増していきます(貿易により資本力を増していくわけです)。彼らはイギリスの横車が「アメリカ」の経済発展に有害であることを知っていましたので(イギリスは自国の経済を支えるために過度の課税を植民地に課していたからです)、「王党」に対する「アンチ」として「独立党」が成立します。この「王党」vs.「独立党」の対立軸は明確です。ただこの争点の一つが独立の有無であるのは当然として、そのきっかけは課税権をめぐる争いであることは注意すべきです。

独立戦争の結果としてイギリス側についた王党は敗北し、「アメリカ外」へ脱出(フロリダなど当時の13州以外など)、財産は没収され、この段階でアメリカの政治勢力は一度「独立派」に一元化されます。

http://homepage3.nifty.com/ap1967/sakusaku/1_1.htm

アメリカ大統領のあらましと格付け

II.独立戦争〜初代大統領ジョージ・ワシントンの理念〜二党化の曙

「連邦派(フェデラリスト)」vs.「アンチ・フェデラリスト」の出現

対立軸:連邦制vs.州権制度、課税制度、中央銀行の位置付け、対英関係

推移 :この時代はワシントンがいることで辛うじてバランスを保っていた。

結果 :ワシントンが退陣すると共に連邦派が一時的にアンチを上回る。

この頃の「北部」「南部」はまだ後の「北部」「南部」ではないことに注意してください。

独立したアメリカは「国家」としてまとまる必要性があります。そのために憲法制定などの作業を行っていきます。ただここから問題点が生じていきます。独立した各州の経済状況が対等ではなかったのです。これはある意味当然の帰結で、入植してからの年月も異りますし、各州の風土も(和辻哲郎的な意味合いで)異なります。憲法制定を行ったメンバーの中でも、連邦制度を維持することを重視する一派がまず発言力を増します。それがニューヨーク州の代表で初代財務長官アレグザンダー・ハミルトンです率いる「フェデラリスト」です。

実は独立戦争勝利後、憲法はできたものの、前述した各州の格差によりこれを批准するかどうかという迷いを生じる州が生じていました。バージニア州などの南部諸州は、プレンテーションのような大農場による綿花生産などで比較的潤っていました(ワシントンもバージニア出)。一方で、マサチューセッツのような北部は南部の綿花にあたる輸出品がないため、債務超過に陥っていました。州債を完済し終えた富裕な州は、連邦制度になることで貧しい州の債務を引き受ける必要性が出るので当然渋ります。これを解決するために、ポトマック河畔に新首都を設けるという取引を持ちかけ、州債を国が肩代わりすることになります(ただ北部も基本的には独立戦争時の「独立派」の支持基盤となった富裕商業層がいます)。

そのような連邦制度を論争する過程でハミルトンはニューヨーク州の意見をまとめるため「ザ・フェデラリスト」という論文を刊行。これがきっかけになってニューヨークを始めとする諸州が順に憲法を批准していきます。この論文の名前をとってハミルトンら連邦制度を支持する層は「フェデラリスト」と呼ばれます。

この頃のフェデラリストの中心は、州権主義より連邦制度の方が徳をする(北部を中心とした)富裕商業層です。この連邦制支持派の主張の根拠は、現代のヨーロッパ統合の理念と類似します。つまり個々の州が課税すると、商品の流通コストが上がってしまい、競争力を失います。一方で,もしも各地域社会が団結して大きな「国家」を創りあげられるならば、当然ながら商業圏が各州の「地域」レベルから連邦全体に広がりますから、マス・エフェクトも加わります。商業層は貿易相手を重視しますので、独立戦争の怨念はさっさと忘れて大きな貿易相手国であるイギリスに親近感を抱きます。

連邦派は課税システムを中央にまとめるため、憲法理念を拡大解釈することでこれを推し進めます。

しかし、やがてこれに意を唱える一派がでます。ハミルトンらと同様に憲法成立にかかわった、トーマス・ジェファーソンです。次でまとめるように彼らは「フェデラリスト」のアンチとして出現し、「アンチ・フェデラリスト」の一派を創り上げます。特に合衆国銀行設立問題では、議会に設立権限なしとする「憲法の厳格解釈」を主張するジェファソン率いる民主共和勢力と「憲法の拡大解釈」を唱えるハミルトン率いる連邦派との対立が顕著になっていきます。

III.ワシントン時代の終焉後のフェデラリストとアンチ・フェデラリストの対立

「連邦派(フェデラリスト)」vs.「アンチ・フェデラリスト」の出現

対立軸:連邦制vs.州権制度、課税制度、中央銀行の位置付け、対仏関係

推移 :フランス革命の理念を受け継いだジェファーソンの1800年革命

結果 :フェデラリストは内部抗争・有力者の決闘死などにより自然消滅。

    民主共和派の一党体制に

独立戦争の英雄で初代大統領でもあるワシントン自身は「王党」と「独立党」にアメリカが分断され,一種の内戦状態になったことを反省し,更に自分の任期中にフェデラリストとその反対勢力が蠢動したことに危惧を覚え,「告別の辞」で地域立脚型の政党対立をいさめる言葉を残し退陣しました。

国をまとめるという観点からワシントン個人は,フェデラリストとして有名なアレクサンダー・ハミルトンの政策を支持したものの,後継者は同じフェデラリストとしても比較的多くの人に受け入れられやすいジョン・アダムズを選出します(反対派もある程度納得させるには,極論を言う人がリーダになるとだめなわけです)。同じ連邦派内のライバル同士だたアダムズとハミルトンの因縁の対決が始まります。何とハミルトンはアダムズを大統領職に当選させないために副大統領候補のピンクニーに肩入れし、アダムスは3票の僅差で当選。副大統領はジェファーソになります。その後もアダムズ程度の政治力ではハミルトンを押さえきれず、議会はハミルトン一派が牛耳り始めます。この両者は対仏関係での意見が分かれているのはリンク先に書いてある通りです。

ただし、前述したようにワシントン在任中から連邦制度を維持するために憲法を拡大解釈することに危惧する一派が現れました。実はワシントン在任中に欧州では大事件がおきていました。それがフランス革命です。もともとフランス駐在歴もありフランス革命の理念に共感したジェファーソンの一派は、フランス革命の理念をアメリカに取り入れようとします。これを支持したのは労働者や農民で、当時は南部プランテーション側に偏重していましていました。

アダムズはその後内政面で失策を繰り返し、連邦派はハミルトンとアダムスの対立の内に内部疲弊を呈します。一方、「アンチ・フェデラリスト」を糾合した民主共和派はジェファーソンを大統領候補として争いますが、ここでアダムスとジェファーソンが同票になるということがおきます。下院での決選投票が行われ僅差でジェファーソンが勝利。これを「1800年革命」と言います。

ジェファーソンが大統領就任後は、連邦派は内部抗争を繰り返し、一方最有力者のハミルトンが政敵バーとの決闘で死亡してしまいます。民主共和派は4代にわたって大統領職を独占します。この間にイギリスとの米英戦争が生じます。フェデラリストは選挙に負け続け、ついには1816年モンローの対立候補を立てられずに消滅してしまいます。ここでまた一党体制に戻るわけです。

但し、モンローなどの頃から民主共和党が今度は変質を始めます。一つのポイントはフランス革命の影響で出てきた「奴隷制度」の問題、もう一つが戦争の後遺症である経済不況の問題です。

http://eurekajwh.hp.infoseek.co.jp/kougi/kougi/eur/ame/USA02.htm...

5.欧米史(参考2.アメリカ史)2.19世紀のアメリカ

IV,ジャクソニアン・デモクラシー

「民主共和党」vs.「国民共和党」

対立軸:新勢力(西部などの労働者層)vs.旧勢力(南部エリート)

結果 :民主共和党は「民主党」を結成.

    国民共和党(ホイッグ党)との二党体制に

1824年の大統領選挙は民主共和派から四人が立候補して争われるという異例な展開になりました。フェデラリストから民主共和派に移り、ジェファーソンを支持したハーバード出のばりばりのエリート、ジョン・Q・アダムズ、米英戦争の英雄で西部出身、アイルランド系移民で、これまでのエリート型大統領と異り独学で道を切り開いてきたアンドリュー・ジャクソン、H.クレー、W.クロフォード。選挙人投票で一位を勝ち取ったジャクソンはしかし過半数に達せず下院での決選投票。この時のアダムズとクレーの裏取引疑惑で、ジャクソンは「民主共和党」を設立します。一方で、大統領派は「国民共和党(ホイッグ党)」を設立。ここでまた二大政党に戻ります。

アメリカ政党史を考える上での大きなターニングポイントはアンドリュー・ジャクソンの登場にあります。初の西部出身大統領として有名ですが、大飢饉前のアイルランド系出身者でもあります。1829年の米英戦争の英雄であり、インディアン戦争での勝利者という名声の元で、大統領まで上り詰めました。

ジャクソンはこれまでのワシントン以降歴々と続いていた南部エリート支配層が大統領職を占拠した歴史を始めて断ったということで評価されます。アイゼンハウアー(もしかすると将来はパウエルも?)と同じく軍事功績を挙げたことで名声があがり勝利したことは忘れてはいけません。

ジャクソンがやったことは猟官制度(今の大統領選挙でも同じですが、大統領派に貢献した党人材を要職につけるシステム)の採用で、これでいわゆるエリート人材のみならず、党に貢献した人が政治中枢に入り込む先鞭をつけたことになります。彼自身は伝統的な民主共和党の考え方通りの「憲法解釈の厳格解釈」「州権主義」を踏襲します。1832年このジャクソンの「民主共和党」が「民主党」を名乗り、ここに「民主党」が成立します。

つまりこの時点での「民主党」の基本理念は

(1) 州権主義

(2) 憲法理念の厳密解釈

につきます。そしてもう一つの重要な要素が、先ほども書いたように党派人材を要職に付けるというシステム。

ジャクソン個人の支持基盤はその出自もあり、西部などの労働者層だったのですが、民主共和党の理念の支持基盤そのものは南部にありました。ここから「民主党」の妙な連立関係が出てくるわけです。

敢えてホイッグ党との対立軸を挙げるとすると、アメリカ創立以降の名家を中心とした旧体制vs.新体制ではあるものの、基本は同じ民主共和派だったのですね。現代日本で言えば、自民党から新自由クラブが分裂して戻ったり、その後自民党から新党がどんどんと生まれては消えていったような本当の意味での「政策」の対立点がないままに出現した、ジャクソン個人の人気にのっとった政党であるのが、その後の混乱をまねきます。

で、やっとここで南北戦争に突入するのです。

がさすがにこれで力尽きたので、余力ができたら自分のblogに続きを書いてトラックパッドをこちらにはります(2回以上解答はできないのと、いわしでは膨大すぎます)。

実はコメントを読んで、多分「二大政党」にこだわられすぎているのが混乱の始まりだと思いましたので、長々と書いてしまいました。

歴史的にはこの後共和党が成立するわけですが、ある時期まではこのように全然二大政党制でもなんでもなかったわけです。

後半の「リベラル」云々を理解するには奴隷解放後に黒人が一時参政権を得たものの、その後文盲の投票権を認めないという一文が修正条項として入り、黒人層がほとんど投票権を失い、それを回復するのにもの凄い年月を要したということが大きなキーワードになります。つまり政治勢力としては黒人層は実は南北戦争後一時勢力があったものの、その後は大きな発言力を失っているのが実情です。奴隷解放を支持した北部を単純に黒人層が支持という話ではありません。

もう一つ重要なキーワードが世界大恐慌とその対応です。

仕事しながらなのでぼちぼち書いていきますので、すみませんが、ここまでで。

id:hkt_o

なにぶん、勉強不足で申し訳ありません。なるほど、そうだったのか、と思う一方、正直なところ、うまく消化できておりません。何度か読み直したいと思います。

積み残しのキーワードがありますので、もしよろしければ続きをお願いします。

2004/11/07 18:35:54
  • id:hensyuushi
    hensyuushi 2004/11/07 22:41:41
    アメリカ独立から民主党成立まで

    ここまでのポイントは、

    (1) アメリカの政治史は(ある時期まで)「主流派」に対する「アンチテーゼ」を掲げる対抗勢力が出現し、長期政権の「主流派」が混乱する間に「アンチ」が主流になる歴史の繰り返しでした。いわゆる純然たる二大政党制へを目指して二大勢力が争ったわけではなく、歴史的必然(経済・対外関係の側面から)として生まれてきたものだということを覚えておいた方がいいのかもしれません。
          
                    フランス革命
          独立戦争      憲法制定     米英戦争          
            V         V        V
    主流  王党派ー>X  ー>連邦派 --->X  ー>民主共和派ー>国民共和党ー>X
         I     /   I     /       I    
         V    /    V    /        I   
    反主流 愛国派ーーー   反連邦派ーーー         ー>民主共和党ー>民主党

    大統領 ワシントン    ジェファーソン           ジャクソン
       「米独立革命」   「1800年革命」    「ジャクソニアン・デモクラシー」

    現代的な意味での「政党」政治がつくられたのは、ジャクソン大統領の時。党大会を開いて選出するというシステム、猟官制度など現代アメリカの政党政治の基本がここで創られ始める(そういう意味ではそれ以前は「党」というより「派」で呼称した方が理解が容易いかもしれませんので、そういう形に統一してみました(これは歴史をどう捉えるかという考え方で違います〜書籍や文献でも訳し方が異っています)。

    よくある間違いが「国民共和党(=ホイッグ党,選挙に敗北したのでイギリスにあやかって名前を変えただけ)」がそのまま共和党になったというような主流派が連続的に続き、反主流派は反主流派で連続的に続いて、現代の共和党vs.民主党になったという考えです(ネット上でもそういう間違えが書いてあるところが結構あります)。実は共和党は主流派となる民主党と党勢の衰退著しいホイッグ党に対する第三党として成立しています(理念は民主党へのアンチです)が、これは後の話で。
      
    (2) アメリカ移民は、先住者が既得権益を得、自分の既得権益を侵そうとする後続する民族に対立していく構造を持っているということが次のポイントになっていきます。但し、移民の増殖率は、その移民の「民族性」でずいぶん異るため、東部に留まる民族もいれば、西部まで足を伸ばす民族もいるわけです。また着の身着のままでアメリカに到着した各民族は、定着していく過程で「先住」民族と権益を争いながら、その一部はやがて「先住」層に取り込まれていきます(同じ民族でも当然成功する者と成功しない者がいるわけです)。基本的に歴史的に後にアメリカに来た民族ほど都市部に住む形になります。これは工商業中心の都市部が「労働者」という形で移民を受け入れたことが原因です。
    貧しい頃は体制に対してアンチだった人々は、成功するに従って体制側に移行します。但し、その割合は各民族で異ります。またユダヤ人のようにある段階まではどうしても成功しつつも、差別される民族がいたりします。これと宗教問題が複雑に絡み合っていくのが、南北戦争後の理解を困難にする原因かもしれません。

    さすがに平日にがんがんと書き込むだけの余力があるか分かりませんが、とりあえずある程度形がついたらトラックパッドを張ります。ここまでの時点で分からないところがあれば、書いて頂けるとこちらもどう話を進めるべきかという指診になりますので、すぐにレスできるかは不明ですが、投稿いただければ幸いです。
  • id:hensyuushi
    hensyuushi 2004/11/08 23:14:44
    Re:アメリカ独立から民主党成立まで

    一応書き始めました。小泉反対を掲げているのでサイトを見て「ひく」かもしれませんが、歴史は歴史ということで政治的立場を気になさらずにみてくさい。
    読んでいて分からないところや間違いがあればご指摘いただければ幸いです。
    http://d.hatena.ne.jp/hensyuushi/20041108
  • id:hkt_o
    追いつきました

    何度か再読しまして、ようやく話の流れに追いつきました。暗誦できるほどしっかり頭に入ってはおりませんが、現代アメリカ民主主義の礎がいかなる経緯で成立したか、どんなルーツを持っているのかについて、大筋で把握できたように思います。

    ところで、「解放」されたはずの黒人層が政治的にいったんフェードアウトしていくくだりなど、まったく抜け落ちていた部分で、目からうろこが落ちました。なぜ南北戦争後に人種対立が解消に向かわず、例えばキング牧師らが登場しなければならなかったのか、不思議だなと思いつつ不勉強を放置していたのでした。

    さて、南北戦争までもう一歩ですね。

    今すぐという話ではありませんが、最終的にこれらの問題について「なるほど」と思えれば満足といえる、到達目標をあらためて記します。

    1.南北戦争における共和党と民主党の立ち位置
    2.戦中・戦後の北部民主党支持層
    3.なぜ民主党が進歩的価値観を代表し、共和党が保守的価値観を代表する政党となったのか
    4.アメリカの政党が地盤よりも価値観を優先しているように見えることについて

    以上4項目から、自ずと共和党と民主党の支配地域(仮称)が南北戦争当時からほぼ逆転したことは理解できるのではないかと思います。ただ今回、私はいささか無学を実感しておりまして、もう少し前提知識がないと説明できないということであれば、少々時間をおいてもかまわないと思っています。
  • id:hkt_o
    11月8日分を拝見しました

    >一応書き始めました。

    どうもありがとうございます! 楽しみにしていますので、お時間に余裕のあるときに書き進めていただければと思います。

    正直、私には間違いを指摘できるような学がないのですが、年代のミス程度でしたら発見次第お知らせします。

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