哲学に関してです。

「私(23歳男)の考え」を書きますので皆さんの知恵を教えて下さい。
私は、人間とは「生きるカラクリ」だと考えています。「カラクリ」とはどういうことかと言うと、自分という「機械(カラクリ)」の中に情報※(この情報には、人からの感情なども含みます)が入って、それを他に伝えることで成り立っている「機械(カラクリ)」という考え方です。
「鬱」というのは、カラクリに、情報(人からの感情も含む、例えば愛など)が入って来ない、もしくは、カラクリの外に情報が出て行かない状況だと考えています。
なので、鬱を打開するには、情報を入れるか、情報を外に出すことをすれば良いと思っています。
この考えをどう思いますか?
また、このような考えの哲学者、またこのような考えを否定する哲学者がいればいずれも教えて下さい。

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回答(17件)

id:dmm No.1

dmm回答回数19ベストアンサー獲得回数02004/11/11 16:22:56

ポイント12pt

http://www.hatena.ne.jp/1100157236#

人力検索はてな - 哲学に関してです。 「私(23歳男)の考え」を書きますので皆さんの知恵を教えて下さい。 私は、人間とは「生きるカラクリ」だと考えています。「カラクリ」とはどういう..

URLはダミーです。

鬱の場合、自分で頑張ろうとするとさらに悪化する可能性がありますので、症状にもよりますが、まず医者に相談されてはどうでしょうか

id:yorunomijinnko No.2

yorunomijinnko回答回数4ベストアンサー獲得回数02004/11/11 16:40:02

ポイント12pt

http://www.ic-net.or.jp/home/tsato/

 ★▲●人間はなぜ悩むのか●▲★ 

人間が生きるカラクリという考えは面白いと思います。ですが「鬱」を考えた場合には、必ずしもそれが当てはまるとは思えません。あまり関係ないかもしれませんが、今まで私がお付き合いしてきた女性は全員鬱でした。(別に鬱の人しか愛せない訳ではないですよ笑)彼女たちと接していて感じたのは、決して彼女たちは不器用でもなければ、馬鹿でもないという印象でした。むしろ彼女たちは過去に自分の弱さゆえに傷を負ったことを改善しようと勉学(心理学、哲学などを含め)に励み日々強くなろうとしていました。はたして機械と考えた場合この行為は成り立つのでしょうか?機械は長い年月をかけ情報を与えていけば、その中での成長はあるのかもしれません。ですが与えられた情報以外の事、つまりは新しく生み出す力はカラクリの中には含まれないものだと考えます。それにカラクリを定義するのであれば必ずそこにはそのカラクリを創るモノが存在するはずですよね。もちろん同時にそのカラクリを利用する人もいなくてはおかしいですね。勝手な意見ですが、なにか参考になればして下さい。応援してますよ(^-^)

id:rrr3

ありがとうございます!カラクリの私なりの定義を説明しますと、人間とは、「何かを入れて」「何かを出す」という仕組みでできている。ということです。ただこの行為を繰り返す。というのが「カラクリ」だと定義しています。日々強くなろうと勉強できることはすごいと思います。鬱な状態でそこまでなかなかできませんよね。私の言い方では、インプットしてアウトプットしようとしているように思います。

「新しく生み出す」と教えて頂きました。このことに関しても、何も無いところから生み出すのは不可能だと私は考えています。インされた情報(感情)がアウトされた結果「全てのものはできる」と考えています。

いかがでしょうか?

2004/11/12 11:05:36
id:abyss No.3

abyss回答回数37ベストアンサー獲得回数02004/11/11 18:20:55

ポイント12pt

一言で言うと、稚拙だと思います。

確かに人間は他者から教えてもらったこと(情報)を得て次第に人格形成されていくものだとは思いますが、環境や経験によって得ることや影響も大きいわけです。

で、「鬱」ですが、現在、というより10年近くこの病気に悩まされています。が、rrr3さんのいう情報(または感情)が入ってこない状態ではありません。情報(感情)・・・。愛を例にあげてますが、憎しみや悲しみ、喪失感などによって鬱になることもあるし(これはきっかけに過ぎないかもしれませんが)鬱状態の場合でも情報やら感情はちゃんと入ってきますよ。それによって現状鬱であるにも関わらずさらにどん底に突き落とされることもあるし、逆の場合もある。鬱病患者は僕に限らず人からの情報や感情に過敏だと思います。っていうか、鬱の人(じゃなくてカラクリ、ですか)に情報を入れるのは危険なんじゃないかな。下手な情報を与えたら、普通に自殺(未遂)しますよ。「ダラダラしてないで頑張れ」なんて情報を与えたら結構危ないと思うし。過敏で思い込みが激しい人だったら自分を責めて自分を傷つけたり自ら命を絶ったりと・・・。(←自分のことなんですけどね)

カラクリの外に情報が出て行けば、というのはある程度頷けますが、それは今更特に声高にいうべきものでもないです。鬱病の人は死にたい、という情報をカラクリからカラクリへ伝えているわけで、さらに言えば、鬱状態が過度になれば精神科にかかるでしょうから自分の情報を医者という名のカラクリに吐き出しているわけで。無気力ではありますが、常にヘルプを求めているわけです。頷けると書いたのは、鬱病や精神病を持つカラクリ同士が病気のことをわかりあう為に情報を共有するって点で。しかし、ことはそう簡単ではないですけどね。人と分かち合えて治る病気なら深刻に悩む必要もないと思いますし。

つまりは

>「鬱」というのは、カラクリに、情報(人からの感情も含む、例えば愛など)が入って来ない、もしくは、カラクリの外に情報が出て行かない状況だと考えています。

鬱とはそういう状況じゃないということです。

そして、

>鬱を打開するには、情報を入れるか、情報を外に出すことをすれば良いと思っています。

鬱病の打開策としては安易過ぎると思います。

そもそも、人間はカラクリじゃないと思いますけどね。機械として捉えているなら、何故人の考え方はここまで多様化したのか。情報が入ってきたりそれを伝えるだけじゃ性格や癖、好き嫌いの違いなんかは画一的になってしまいませんか?

「生きるカラクリ」なら、何故情報や感情だけでいろいろ悩まされたり、逆に幸せになれたりするのか。

僕にはカラクリという言葉を使ってごく普遍的なことを大げさに置き換えているだけにしか見えません。

で、以上のこともまた、機械(カラクリ)ではなく一人の人間としての一つの考えです。

id:rrr3

おもしろい!!(たしかに、環境や経験で違う反応をします。それも理解できます)

ではカラクリに「色」を付けましょう。

いろんな「色」がある「カラクリ」でどうでしょうか?その「色」は「遺伝子」が決めているとします。

「遺伝子」をつくったのは、「父」や「母」という「色」を持つ「カラクリ」。(「カラクリ」から「カラクリ」が生み出される。ということはまた別の次元の問題が含まれていると思います。ので保留とします)

2点目、文章を拝見しまして「なるほど!」と思った点です。

情報が入ってくることは幸せですよね。(鬱の方でまったく情報すら受け付けない人もいますもんね)私が疑問に感じたことは、あなたが本当に情報(感情)を外に放出できているか?いう点です。あなたは人を「愛している」と感じているでしょうか?(これは非常に知りたい。愛という情報は1つの判断基準です。「もしかしたら世界の全てを支配しているんじゃないのか?と思うところはあるのですが、これは保留。私は、宗教家ではありません!)

人間が「人を喜ばせよう」と思い、行動すれば、この行為は「情報の放出」に繋がると思います。

(世間話じゃ真の放出にはならないので注意です!)

どうっすかね??

(ほんとにあなた様からのメールに感謝してます。私は嬉しさをもらいました。鬱直ってこない??)

2004/11/12 11:23:18
id:DONOVAN No.4

DONOVAN回答回数18ベストアンサー獲得回数02004/11/11 19:05:24

ポイント12pt

 「人間とは自分という「機械(カラクリ)」の中に情報が入って、それを他に伝えることで成り立っている「機械(カラクリ)」という考え方」は、少なくともデカルトの人間機械論まで遡って考えなければならないと思います。「我思う故に我あり」の「我、いわば心」と、「身体」とはまったく別のものだというのがこの考え方で、心身二元論ともいわれます。

 もちろん、この考え方が行き詰まるのは必至で、たとえば現代の「心の哲学」といわれる領域では、唯物論や物理還元主義(すべては物質であり、心や精神、あるいは感情といわれるようなものも、一切合切物理学的に還元できる)と呼ばれる立場があります。大雑把に言ってそこでは、「脳の中にあるものもすべて、自分という意識も、(脳細胞の働きなどで説明できる)物理的な情報伝達にすぎない」とされます。

 たとえば、チャーチランド(

)などが、かなり極端な物理還元主義者といっていいかと思います。

 しかし、「それでは〈最終的に〉その情報を見たり感じたりしているのは誰?」という問題が発生します。単純に言うと、「赤いものを見ていても、脳味噌(脳状態)が赤くなるわけではない。脳の中の情報を、いったい『誰』が、〈赤い〉と感じているのか?」という問題(クオリア問題)などです。

 最近では、茂木 健一郎が、脳の中の情報を最終的に、見たり、感じたりする「脳の中の小人〈ホムンクルス〉」について論じています。(

 また、そもそもこのような問題が発生すること自体が近代〜現代科学の間違い、とする考え方もあります。

 心身二元論も、物理還元主義も否定する大森庄蔵は、著書「流れとよどみ」の中で、『他人をして心あるものにする、それはあなたがするのです。あなたが他人に心を「吹き込む」のです。他人の心を「信じる」のではなく、あなたが他人の心を「創る」のです』と書いています。大森荘蔵は、残念ながら数年前に亡くなりましたが、「他人の心の問題」(他我問題)を徹底的に追究した現代日本の哲学者です。大森からすれば、rrr3 さんの考えは根本的に否定されると思います。この本はわかりやすいので是非読んでいただければと思います。

 また、鬱というのは哲学的というより心理学的、精神分析学的な問題かと思います。

 取り急ぎ書き散らしましたので駄文乱文ご勘弁ください。参考にならなければ、ポイントは結構です。

id:rrr3

うわー。

自分の考えを書かないことにもあなた様の「哲学」が存在するのですよね?

俺の理解できない範囲です。

流石です?(あなたになんて答えていいのかわからない)

ご返答お願いします。

2004/11/12 11:26:59
id:neoarcheologist No.5

neoarcheologist回答回数776ベストアンサー獲得回数02004/11/11 20:54:17

ポイント12pt

人間を機械とみる考え方は、西洋ではよくあります。古典的なものでは、デカルトが有名です。

コンピュータのもとになる概念を作ったチューリングという人のチューリングマシン。

ドラメトリの「人間機械論」。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4326100478.html

人間機械論の哲学: 紀伊國屋書店BookWeb

ドゥルーズ/ガタリの「欲望する機械」など。

>「鬱」というのは、カラクリに、情報(人からの感情も含む、例えば愛など)が入って来ない、もしくは、カラクリの外に情報が出て行かない状況だと考えています。

ここの部分はエントロピーという考え方にも似ているかな。

参考になりましたでしょうか。

id:rrr3

ありがとう。

もっと詳しく書いてくれたら嬉しかったのに〜。

お時間無い中、すんまそ。

2004/11/12 11:28:09
id:So-Shiro No.6

So-Shiro回答回数580ベストアンサー獲得回数02004/11/11 21:02:00

ポイント12pt

横浜国立大学人間科学部教授の室井尚さんの『情報宇宙論』の考え方と良く似ているように思います。

『情報宇宙論』は現在絶版ですが、著者が「個人的使用」に限ってDLを認めております。よろしかったら、どうぞ。

id:rrr3

ありがとうございます。

so-shiroさんの鬱の見解も聞きたかったなぁ〜。

2004/11/12 11:29:18
id:sami624 No.7

sami624回答回数5245ベストアンサー獲得回数432004/11/11 22:22:47

ポイント12pt

URLはダミーです。

人間は生きるからくりであるという考え方は、別におかしな考え型ではないと思います。但し、この考え方は精神的な面のみしか捕らえていないので、肉体的な面の細くも必要でしょう。例えば、人間はトレーニングをすることで体力増強をし、物事を達成することで自信を持ち、達成感という快感を得ることで、鬱な状態から脱却が出来るということです。

脳に情報を取り込み問題解決をしながら生きていくという意味では、からくりという考え方は、変なものではありません。但し機械は動作不良や故障があるということも視野に入れるべきではないでしょうか。例えば、4時までに目的地で人に会わなければならないという場合、目的地に4時につく手段を選定しなければならないわけですが、交通手段を見つけられないと、問題解決が出来ず鬱になることがあるのです。用は、自分の頭だけでは解決できない場合、機械の歯車がかみ合わなくなった場合、鬱状態が発生するという側面も考慮すべきではないでしょうか。

情報を出すことで、鬱状態から脱却できる。仰るとおりです。但し、鬱状態の人は思考がまとまらないので、情報を外に出せないので、問題解決策を提供する方法を考えて挙げなければならないのではないでしょうか。

同様の考え方をする哲学者・反論者は、私の記憶ではありません。

id:rrr3

すごい!!

肉体面は面白い!

では、鬱の人が肉体改造で鬱を脱却したとして、3ヶ月間誰にも会わないでいたとしたら、鬱にはならないのでしょうか?私はなると思います。ならないとしたら、1年間誰にも会わない場合はどうでしょうか。なると思います。

何が言いたいかというと、精神があり、肉体が機能すると私は思います。(鬱では無い状態の時は、精神も肉体も連動して動いてくれるので問題ないのですが)

思考がまとまらないというのはすごい!

私の考えでは「カラクリ」からうまく情報が吐き出されない。ということですね?

なるほど!勉強になります。

私が一番気になったのは、sami624さんはどのような職業をされている人ですか?ということでした。(おかしな質問だとお思いかもしれませんが・・)

よろしければ教えて下さい。

2004/11/12 11:43:40
id:tomo031208015 No.8

tomo031208015回答回数147ベストアンサー獲得回数02004/11/11 23:52:48

ポイント12pt

http://www.mapion.co.jp/

地図検索 マップはMapion

入ってこないというよりは、入ってきた情報を処理できくなってしまう状態ではないでしょうか。

情報を入れるだけではきっとカラクリは上手く動きません、複雑なモノですから。

きっと情報の取り入れや発進を行おうとする部分自体が弱っている状態、だと思います。

その状況をどう打開するか、はますます難しくてきっと私にわかるようなものじゃありませんが、まずはそのキカイの状態をよく見ることからはじめることが一番だと思います。

id:rrr3

ありがとうございます。

すごい!助かります。

2004/11/12 11:44:34
id:threecloudjp No.9

threecloudjp回答回数139ベストアンサー獲得回数62004/11/12 02:23:44

ポイント12pt

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/4143038642c550...

オンライン書店ビーケーワン:心は機械で作れるか

すみません、読んだことないけどたまたま見つけただけの本です。

私自身も個人的にrrr3さんの考え方に近いように思います。

うつの人は、周囲からの「受容」とか「承認」をある程度一方的に注ぎ込んでもらわないと回復に向かうことは困難なのだろうと思いますし、それらが本人の中でプラスに作用するような思考回路を構築していくことも含めて周囲の務めであるような気がします。

うつのことに限らず、自分が日々アウトプットしているものはすべて、今までインプットしてきたものが自分の中で何かしら形を変えたものだというような気がします。

その「何かしら形を変える」過程そのものも外部からのインプットの影響は免れません。

が、カラクリの回路の基本は生まれ持った性向だと私は思っています。

もともと存在する回路を、後からインプットされた情報が肉付けして補強していくイメージです。

ときどきまったく異なる方向に向かう回路ができたりしますが、でも一番太くてよく使われてる回路はやっぱりもともとあるところなのかなぁ。

id:rrr3

なるほど〜。

じゃあ、まぁ、俺の意見は、あなたにとって

「そんなことはわかってるわ!」レベルのものでしたか・・

苦節23年・・。

ほげ〜。

2004/11/12 11:47:08
id:So-Shiro No.10

So-Shiro回答回数580ベストアンサー獲得回数02004/11/12 12:48:05

ポイント12pt

http://square.umin.ac.jp/tadafumi/CINP2004.htm

第24回国際神経精神薬理学会(CINP)(2004年6月20〜24日、パリ)報告

>So-Shiroさんの鬱の見解も聞きたかったなぁ〜。

という暖かい言葉に勇気付けられて、再び登場。

鬱病というと一般にセロトニン仮説が支持されていて、実際に脳内のセロトニンを増やす薬(いわゆるSSRIですね)とよくなる鬱病、鬱状態も存在しますが、SSRI無効の鬱病、鬱状態もかなりの数、存在するわけで、精神科の治療に携わっている方たちの悩みの種になっています。

ところばが、最新の「国際神経精神薬理学会」に参加された方の報告を読んでみると、

”「tianeptine」という抗うつ薬についての状況が興味深かった。この会社は今回、学会上のブースにも「Neuroplasticity」と大きく掲げ、うつ病では神経細胞が萎縮し、これをtianeptineが改善する、と宣伝していた。(中略)

この薬の存在は、「うつ病ではセロトニン神経伝達が低下しており抗うつ薬がこれを改善する」というセロトニン仮説よりも、「うつ病では神経細胞が萎縮したり神経細胞新生が低下しており、抗うつ薬はこれを改善する」という神経可塑性仮説の方が支持されることになる。”

とありまして、うつ病の病態自体、まだ完全に解明されたわけでもなく、神経細胞新生の低下=情報のやりとりの低下ということを考えている研究者もいる、ということです。

しかも、rrr3さんのいう

”「鬱」というのは、カラクリに、情報(人からの感情も含む、例えば愛など)が入って来ない、もしくは、カラクリの外に情報が出て行かない状況だと考えています。

なので、鬱を打開するには、情報を入れるか、情報を外に出すことをすれば良いと思っています。”

という考え方は、SSRIが無効な鬱病の方に試みられる心理療法、カウンセリング療法の基本的考えと異ならないと思います(むしろ、わかりやすく整理されていると思います)。

情報のやりとりに着目して、鬱病の治療に突破口を開くひとつの可能性、とさえ思います。ぜひ、この方向で少し考えを深めていただくと良い、と思います。

SSRIは万能の薬ではありません。SNRI(ノルアドレナリン仮説に基づいた、同様の抗うつ薬)も効果は一定しません。

治らない、ということで悲観されている方もたくさんいるのですから、新たなアプローチが必要と思います。

以上、哲学というか、神経薬理学みたいになってしまいましたが、人間の脳というのはまだまだ判らないことが多いと思います。その中で「情報理論」的アプローチは大いに有効と思います。

id:rrr3

ありがたいです。感謝の言葉を省略してお礼申し上げます。

2004/11/12 15:09:56
id:korox2 No.11

korox2回答回数81ベストアンサー獲得回数02004/11/12 13:40:40

ポイント12pt

えっと まず 僕は 哲学の研究者ではないので そういう考えに否定的肯定的な哲学者というのは 知らないです。

が 哲学というのは それぞれが 自分で考えないと 無意味だと思ってるので 哲学者=単に 考え込んでる人というのが 僕の解釈で 一般に 哲学を専攻するのは 哲学を考え込む人々を 研究する学問だというのが 僕の考えです。

話を 質問に戻しますね。

僕(18歳 男)の 考え方なのですが、僕も 同じように 人間は 精密な カラクリだと思います。

人間に限らず 生き物はすべて。

情報を仕入れて それを処理して 外へ出す。

その繰り返しで生きていると思います。

ただ 僕は「鬱」というのは その 内部での 情報処理の仕方の違いかなと思ってます。

そして その情報処理の違いは 情報を処理するソフトウェアの違いだと思ってます。

同じ情報を 入力されても 中に内蔵されたソフトによって 様々な 解釈・処理をする。

そして そのソフトというのは 今まで生きてきた中で その 人間の内部で 作り出された 自前のソフトだと思ってます。

中には 親から 入れられたソフトもあるでしょうけど それを 環境に合わせたり 環境に左右されて カスタムして 作動させていると考えてます。

ですから「鬱」になるというのは その「鬱」処理をする プログラムを インストールされたのか もしくは「鬱」処理するように 自分で カスタムしてしまったのか どちらかかなと考えます。

なので「鬱」から 脱出するのには その ソフトを アンインストールするか もう一度 調整し直すか どちらかの作業が必要で しかも 人間は 修正を反映させるのが とても困難な カラクリなんだと思います。

rrr3さんの考えでは 情報は カラクリを作動させるための エネルギーという考えで それが 停滞すると カラクリは止まるという考えだと解釈しましたが この解釈で 合ってますか?

で、ここから ちょっと 逸れますが。

人間の才能とかいうのは インストールされた ソフトの種類と そのソフトの使いこなしによるものじゃないかと思ってます。

なので 世の中の親は そのソフトをインストールし易い 幼少期に やっきになって ソフトを詰め込みます。

ですが スペック(体や精神の容量)がしっかりしていない状態で 多くの 雑然としたソフトを詰め込みすぎると メモリ不足に陥り すべての処理が鈍くなって バグが起こりやすくなる。

PCでも そうですよね。

最初から 何に使うのか分からないソフトのお陰で 処理スピードが落ちたり。

かといって うっかり捨てると 要るモノまで・・・

もしかすると「鬱」というのは 要らないソフトまで起動してしまって 情報を 思うように 処理出来なくなった状態かもしれません。

id:rrr3

わー。俺よりわかり易い。

カラクリは止まる。というのは、そうね、飯食わなければ死ぬ。からね。

ねぇさ、今の18歳はそんなこと考えてるの?

そっちの方が面白い。

ありがとう!

2004/11/12 15:17:47
id:genkiswitch No.12

ヤマシタ ユタカ回答回数1ベストアンサー獲得回数02004/11/12 21:55:12

ポイント12pt

僕は人の体を修正する仕事をしています。種別で言えば整体業に当たります。

いままで人を観てきた結論は、確かにある意味でカラクリです。

ただしそれは、肉体と精神は分離できない一つのものであって、相互に影響しているカラクリ。

例えば鬱になっている人、もしくはなりかけている人、そこまで行かなくとも物事をいい方向に考えられない人には、共通した筋骨格系の特徴があります。それをいくつかの方法で修正していくと鬱から脱していける場合があります。

それが「精神的な衝撃」から生じている場合もありますし、強い尻餅や事故のように「物理的な衝撃」がきっかけになっている場合もあります。体にも精神的な情報が影響を与え、心にも物理的な情報が出入りするとでも言えばいいでしょうか?

その状態になっていると

>情報を入れるか、情報を外に出すことをすれば良いと思っています。

すら、自分でできない状態になります。

ですから僕の立場では、体の修正を通して心を修正をしています。「健全な肉体に健全な精神が宿る。」ではなく、「健全な肉体は健全な精神そのもの」だと考えています。ただし俗に言う運動神経がいいとか、何かの競技が上手ということが、健全な肉体をあらわしているのではなく、体の内外の変化に対して敏感で柔軟であるからだが健全だと思っています。

半ばで書きましたが、私たち人間は、精神的なものと物理的な情報が出入りし、それが相互に作用しあうカラクリというのが私の考えです。

id:rrr3

よくわかります。

しかも鬱の方に特有の禁骨格というのは良い知恵になりました。すごい!

しりもちとかの例もすごくわかりやすかったです。

ただ、体が先か、精神が先か、はたまたまったく一緒?なのか。

この問題はもっと難しそうですね。

2004/11/13 00:28:06
id:unknown_7 No.13

unknown_7回答回数8ベストアンサー獲得回数02004/11/12 22:43:18

ポイント12pt

>私は、人間とは「生きるカラクリ」だと考えています。

まず、あなたのその”カラクリ理論”を俺(20歳♂鬱病持ち)に当てはめて考えてみます。

>「鬱」というのは、カラクリに、情報(人からの感情も含む、例えば愛など)が入って来ない、もしくは、カラクリの外に情報が出て行かない状況だと考えています。

今、自分には恋人はいませんが、ウザいくらいに親切な友人達がいます。

俺は彼らを心から信頼していて、毎日のように誰かしらやってきては俺に”情報”を与えては帰っていきます。

そして、俺はバンドをやっていて、そこで作詞をして歌っているのですが、それは間違いなく俺の”情報”を吐き出す作業だと思います。

>なので、鬱を打開するには、情報を入れるか、情報を外に出すことをすれば良いと思っています。

俺の解釈が間違っていなければ、”カラクリ理論”の”情報を入れ、そしてそれを吐き出すという作業”を俺はしていますね。

けれども俺は鬱病患者です。

精神安定剤も常用しています。

友人が帰れば過剰な孤独を感じますし、想いをどれだけ詞にぶつけても、叫んでも鬱は直りません。

これを考えると、(俺においては)”カラクリ理論”は破綻してしまいますね?

絶えず”情報を得ては吐き出すという作業”をしているにも関わらず、”鬱”です。

どうしてでしょう?

つまり、”カラクリ”そのものがいかれてしまっているのに、通常業務の”情報を入れ、そしてそれを吐き出すという作業”だけでは、対処しきれないと思います。

むしろ風邪をひいた人間を無理矢理働かせるようなもので、悪化の可能性はあっても、回復はしないでしょう。

そこで抜本的な解決策は…。

あったら教えてください。(泣)

ちなみに精神病の解釈に関しては、彼の理論を俺は信じています。

id:rrr3

情報ありがとう。お疲れ!!!!!!!!

そこなんだよ!何がそこって、「本当に吐き出す作業」をしているのかってこと。

前に回答をくれた方に書き込んだんだけど、「吐き出す」って作業が本当に行われているのだろうか?ってことです。

「吐き出す」ってことは誰かに「伝わら」なきゃいけないんです。そうすることで自分(カラクリ)から「情報」が「抜け出す」と思うんだ。

例えば、unknown_7の思いのたけ(詩)は誰か(カラクリ)に伝わったかな?

ここに1つの鬱解決の糸口が見えると思うんだ。

ロッカー?なら愛はテーマの1つだろ??「愛」はわかりやすく「伝わる」もの。unknown_7が真の意味で愛やら何やらを「伝える」必要があるんじゃないかな。どうだろう?

有名になってrrr3に感謝してくれ!

2004/11/13 00:38:50
id:unknown_7 No.14

unknown_7回答回数8ベストアンサー獲得回数02004/11/13 01:22:15

ポイント11pt

http://oops-music.com/info/view.html?oid=3584

アーティスト : Syrup 16g ( シロップ・ジュウロクグラム ) とは - OOPS!

愛を説くだけがロックじゃないよ。

id:rrr3

なるほど。

流石です。

了解。

2004/11/13 14:34:49
id:DONOVAN No.15

DONOVAN回答回数18ベストアンサー獲得回数02004/11/13 02:44:51

ポイント11pt

  (URLはまったく関係ありません)

 「ご返答お願いします。」とのことでしたので、簡単に愚考を述べさえていただきます。

 結論から言いますと、「人間とは、自分という「機械(カラクリ)」の中に情報が入って、それを他に伝えることで成り立っている「機械(カラクリ)」という考え方」は、「哲学的には」まったく、同意できません。

 もし、「人間がカラクリである」とすれば、「あなた」は、そのカラクリの中の、いったいどこにいるのでしょう?

 部品の総体が「あなた」ですか? だとしたら、もし「あなた」が事故で身体の一部を失ったら、それはもう「あなた」ではなくなってしまいますか?

 そうではなくて、部品の一つ一つ、たとえば脳味噌が「あなた」ですか? こう考える人が意外と多いのですが、だとしたら、今後科学技術が進んで、脳細胞の一つ一つまで完璧にコピーできるようになったとしたら、コピーされた脳味噌にも「あなた」は宿ることになりますか?

 それとも、脳味噌の中の「情報」が「あなた」ですか? だとしたらその「情報」とは何ですか? 脳の中の電気信号ですか? それは、数値化できるものでしょうか? もし、できるとしたら、その数値が「あなた」ですか? その数値をコピペしたら、それも「あなた」になるのでしょうか?

 つまり、「あなた」は、コピー可能な物質や情報ですか?

 だとしたら、「あなた」がもし「あなたのコピー」と出会ったら、どうなりますか? 両方とも「あなた」ですか。

 もしこの場合、「あなたのコピー」は「あなた」ではなく「他者」である、と考えるのならば、「あなた」は、コピー可能な物質や情報ではない、ということになります。

 では、「あなた」は、コピー可能な物質や情報ではないとしたら、いったい何ですか? たとえば、あなたの身体から出たり入ったり出来る、霊魂みたいなものですか?

 それとも、そもそも「あなた」なんていないのですか? カラクリの中でプログラムが走っているだけですか?

 それならば、一切何も悩むことはありません。人間は単なるロボットだということになりますから、放っておいても「ただ単に」プログラムが走るだけです。(もちろん、学習機能を持ったプログラム、あるいは、並列分散型のシステムかもしれませんが、どれでも同じです)悩むロボットもいるかもしれませんが、そもそも「あなた」がいないのなら、「あなたが悩む」ということ自体無意味でしょう。

 結局、人間がカラクリだと考える発想は、上記のような結論にならざるを得ないと思います。

 で、これは、発想の「出発点」からして根本的に間違っている、と、僕は思うわけです。

 二回目なので、ポイントは結構です。

 率直に述べさせていただきましたが、お気に障ったらお許し下さい。

 あとこれは、哲学の話ではなく、まったく素人の無責任な思いつきですが、鬱状態からの脱出には、「人間はカラクリである」のような、「機械のような身体」の中に、心(とか、内面とか気持ちとか)を押し込めて考える、という発想そのものを変えてみた方が良いのではないかと言う気さえします。

 じつはこれがとてもとても難しいのですが、たとえば一切合切全面肯定するわけです。(宗教を奨めているわけではありませんよ。念のため)

id:rrr3

「色があるカラクリ」

でもダメですか?

色は52億種類以上あります。

そのカラクリの繰り返していることは「情報を入れ→吐き出す」

という意味で同じと「くくった」のです。

肯定は、面白いと思いました。

そうですよね。自分を許す、ほめる。

大事なことですよね。

了解。

2004/11/13 14:45:13
id:sami624 No.16

sami624回答回数5245ベストアンサー獲得回数432004/11/13 12:17:17

ポイント11pt

どぉ〜もっ…

先ず人と長期間会わなかった場合、鬱になるというのは事実でしょう。但し、その前にそのような状態になったとして、衣食はどのように調達することを考えているのでしょうか。仮に世界的な規模の核戦争で自分以外の人類が絶滅したとしたら、鬱になる前に食がなくなり死ぬでしょう。

もし他の生物がいれば、その生物例えば犬とか猫とかと、一緒にいることで安堵感を得ようとしていくでしょう。

そして独り言でも何でも言いながら(情報を外に出すことで)、鬱から脱却できるのではないでしょうか。

何かを解決することで鬱状態からは脱出できると思いますよ。

でっ・・・職業ですか。金融機関です。職業と思考はあまり関係ないですけどね。職種の法が関係あると思います。企業全体の企画は別セクションで行い、決定したコスト削減学を実行するための企画を担当しています。

id:rrr3

なるほど。「実験するぞ!」と決めて、3ヶ月分の食事を用意した密室を想定していました。

(しかし、もうこの条件が鬱を作る条件かもしれませんねぇ〜。なるほど。)

解決することで鬱から脱出できる。

これは面白いですね。全てを現しそうですね。

職業了解です。

なるほど。

2004/11/13 14:50:05
id:wabi_sabi No.17

wabi_sabi回答回数4ベストアンサー獲得回数02004/11/13 17:39:34

ポイント11pt

色のついたカラクリという見解、大変面白いです。ただ、僕は精神(rrr3さんの言う情報)だけでなく、物質の交換も生命間で常時行われていると考える為、個人の肉体的な枠組みすらあるとは思っていません。僕の吐いた息は、抜けた髪は、壁にこすりつけてきた細胞の一つ一つは常に宇宙規模で循環していますから。

鬱の因子は、多かれ少なかれ誰でも持っています。引きこもりや暴力も生き方の一つでしょう。自殺もです。明るく楽しく食っちゃ寝して死ぬ人もいます。雨の日には雨を味わい、風邪を引いたら風邪を味わう。人生自体刹那的なものですから、短い期間にその状態を味わえる事はラッキーです。どんな生き方、考え方をするかは、選択できます。善悪も、優劣もありません。とても簡単で、難解。謎を解いていく人生もまたよろし。僕はそれを選びます。

id:rrr3

なるほど。

了解です。私も循環は考えていました。

ありがとうござんす。

2004/11/15 10:01:04
  • id:DONOVAN
    続きです。

    書き込もうと思っていたのですが、システム上同じユーザーは2回以上書き込めないみたいですね。
    …知らなかった。

    で、
    >「色があるカラクリ」でもダメですか?
     僕的には駄目ですねえ。

     「色」というのは非常に難しい問題で、僕にはちょっとわかりません。たとえば、仏教で言う「色即是空」の「色」とは、光の三原色といった場合の「色」とは違いますし、あるいは、「色」を物質の属性として考えるのか、光学的な情報として考えるのか、心に浮かぶ表象として考えるのか、などなど。
     なので、「色は52億種類以上あります」というのは、すいませんが意味不明です。網膜のレセプターで認識可能な色の種類ですか? RGBの16進法色表記の組み合わせの数のことですか? あるいは「赤」とか「青」とか「黄緑」「鼠色」といった、色を表すことばの数のことでしょうか? それとも、「人間の数だけそれぞれの私的感覚がある」ということですか?
     「色があるカラクリ」といわれても、「色」ということばを共有できないってことです。
     だから、どういうメタファーなのかわからない。

     「情報を入れ→吐き出す」ということに関しては、一般的にそのような「言い方」は可能であるとは思います。「映画を見て感想を言う」とか「画鋲を踏んづけて痛いと叫ぶ」とか。
     ただ、その場合、情報とは何ですか?
     ことばにせよ、画像にせよ、音声にせよ、コンピュータのハードディスクに保存できるような種類の、(要するにコピー可能な)データですか?
     でも、rrr3 さんの最初の質問にあるように「人からの感情も含む、例えば愛など」も情報なんですよね。「愛」というテキストデータはコピー可能ですが、それとは別に「愛そのもの」が存在するとお考えですか? もし存在するなら、それもデータとしてコピー可能な情報ですか? (もちろん「○○さんを愛してる!!」という「脳状態」(として記述できるもの)が「愛」という情報であるとするばらば、それはコピー可能ということになってしまいます)
     情報って、なんでしょう?

     なんというのか、rrr3 さんの議論を読んで感じるのは、たとえば紙に、丸をたくさん書いていって、それぞれが「人間」です、と。で、その丸印同士が、矢印とかで結ばれていて、それが「情報」です、という具合に感じるのですが、どうでしょう?

     もし、そうであるならば、
     まず、「色」や「情報」といったことばの使い方が僕には了解しかねる、というのが第一点。
     次に、もっと重要なのは、「では、たくさんの丸の中のどれかひとつが《あなた》なのですか」という問題。

     「どれかひとつが《あなた》である」わけがないのです。なぜならば、《あなた》はその紙を俯瞰しているわけですから。
     しかし、「ひとつひとつの丸が人間だ」とするのなら、「どれかひとつが《あなた》である」しかないのです。
     この矛盾、というか困った状況にどう向き合うのか、というのが哲学の出発点ではないかと僕は思ったりするのです。
     そこを素通りされると、何が言いたいのかわからないのです。

     なので、敢えて言えば、「肯定は、面白いと思いました。そうですよね。自分を許す、ほめる。」と書かれていますが、僕の言いたいこととは、全然違います。
     《私》を、(私を含む)誰かに許される「対象」、(私を含む)誰かに褒められる「対象」としてしまって良いのか、というのが、大いに疑問なわけです。

     書き飛ばしているので、乱文ご勘弁ください。
     率直に書かせていただいただけで、意地悪や揚げ足取りをしようというのではありません。失礼があればお許しください。

     あと、追加ですが、僕の考えは稚拙な上にきっと偏っています。rrr3 さんが言いたいようなことを論じているのは、(心理学や精神医学ではなく)哲学でいえば「心の哲学」「科学哲学」「生命の哲学」といった領域(という言い方もナンセンスですが)で議論されているような気がします。Amazonで「哲学 脳」で検索してひっかかるような本を参考にされてはいかがでしょうか。たぶん、ゲノムとか情報とか、rrr3 さんがピンと来ることばが出てくると思います。「色」についても、認知哲学とか、脳の哲学とかやってる本では必ず話題にされています。

     最後に一言。
     これも哲学とは関係ない無責任な文章ですが、「情報がすんなり伝われば鬱が治るのではないか」という考え方そのものが、強迫観念となって、精神に良くないのではないかとも思うわけです。
     最近は「愛をあげた」とか「勇気をもらった」などという言い方をよく耳にしますが、「愛」だの「勇気」だの「感情」だのが、コピペするみたいにするっと伝わるもんだ、という感覚は、毒にこそなっても薬にはならないような気がするのです。

     長々とすいませんでした。
     それでは。

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