60〜80年代に左翼過激派が起こした爆弾事件についての質問です。


1.アパート・マンションなどの集合住宅、もしくは住宅密集地で爆発
2.民間人(警察官・公務員を除く)に犠牲者が出た(即死とは限らないので「重傷」も含む)
3.爆発現場は過激派の隠れ家またはアジト/密造爆弾の製造中に爆発

以上3項目のいずれかに該当する事件を教えてください。リンクは必須ではありません。うろ覚えの記憶でご回答いただいてもかまいません。

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回答(5件)

id:kimudon No.1

kimudon回答回数1909ベストアンサー獲得回数1712004/11/12 12:51:43

ポイント20pt

http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage104.htm

三菱重工ビル爆破事件(東アジア反日武装戦線)(事件史探求)

三菱重工ビル爆破事件です

id:hkt_o

これは私の質問が悪かったですね。以降、2.のみ該当する事件は除外していただけるとありがたいです。

2004/11/12 13:05:05
id:tenida No.2

tenida回答回数334ベストアンサー獲得回数132004/11/12 13:23:34

ポイント150pt

http://www.npa.go.jp/kouhousi/biki2/sec02/sec02_0202.htm

「テロ、ゲリラ」を展開し暴力革命を目指す過激派 2(警察庁)

実際に爆発事故のあった例は、これと次の二件

http://plaza.rakuten.co.jp/deztec/diary/2004-01-01/

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民間アパートをアジトとして利用していた例として次の例。

id:hkt_o

横須賀市緑荘爆発事件ですね、私が探していたのは。事件の状況、被害者などからみて、ほぼ間違いないと思います。ありがとうございました。

2004/11/12 13:51:39
id:c_rest No.3

c_rest回答回数112ベストアンサー獲得回数02004/11/12 13:24:02

ポイント50pt

中核派が、75年9月に起こした、「横須賀市緑荘爆発事件」ではないでしょうか。

横須賀市内で製造中の爆弾を誤爆させ、木造二階建てのアパート1棟が全壊、活動家3人と市民2人が死亡する事件です。

この事件の後、中核派は一時爆弾闘争を中断しましたが、60年には再開し、より凶悪化したようです。

id:hkt_o

ほぼ間違いないと思います。私の父が親友を殺害された事件です。

2004/11/12 13:53:44
id:kucci No.4

kucci回答回数135ベストアンサー獲得回数12004/11/12 13:26:42

ポイント20pt

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/nihon.htm

日本赤軍と東アジア反日武装戦線

 ここに事件の一覧があります。

id:TomCat No.5

TomCat回答回数5402ベストアンサー獲得回数2152004/11/12 13:28:42

ポイント50pt

1975年9月4日、中核派活動家が横須賀市のアパートで

爆弾製造に失敗して爆発事故。

5人が死亡。

ほかにも似たような事件があると思うんですが、

なかなか見つかりませんのでとりあえずひとつだけ。

id:hkt_o

いや、これで間違いないと思います。過激派の活動の巻添えで市民が亡くなった事件は無数にあるわけではないので。ありがとうございました。

2004/11/12 13:56:08
  • id:c_rest
    父上のお友達の

    ご冥福をお祈りします。
  • id:hkt_o
    質問の意図

    母は父がこの事件について語るのを好ましく思っておらず、必ず父の話を途中で遮るので、断片的な知識しかありませんでした。一方、父は何かと話を大げさにする性格で、どこまで本当のことなのか、ハッキリしない面もありました。

    そこで、今回の質問に至ったわけです。

    おかげさまで事件の概要と発生年月日などが判明しましたので、折を見て当時の新聞や雑誌の記事などを調べたいと思います。ネット上には大した情報がないようですね。

    ちなみに、父は母と結婚してから30年近く、成田空港の機内食メーカに勤めてきました。70年安保後、左翼過激派が最後の決戦場として選んだ成田の地で、1市民として戦い続けてきたのだと思います。街の発展と過激派の衰退を現場で目の当りにしてきた父にはしかし、今も勝利の感慨はないでしょう。悲しみだけがあるのだと思います(その証拠に、父が左翼過激派について語るのは、親友を亡くした悲惨な事件についてだけです)。

    ただ、私は父の静かな生き方を尊敬しています。私にそれ以上のことができると思うのは、思い上がりでしょう。

    放火事件が頻発し、警官が何人も殺され、民間人にも大勢の死傷者が出た成田で育った者として、テロは遠い世界の話ではありません。じつは父は、70年安保の初期には周囲に押し流されるように左翼運動の一端を担い、単なる数合わせとはいえわけもわからずデモに動員されたりしていたのでした。その後、ノンポリ学生として登山にハマり、左翼闘争について、きちんと考えてこなかったといいます。その父が、新生活の地として敢えて成田を選ぶまでに至ったその原点が、この事件です。

    だからこそ私は知りたい。一体、どんな事件だったのか。回答の中で、衝撃的な写真が出てきました。父の親友のほか、もう一人の方が亡くなっていたことを知りました。犠牲者と、自爆した3人の犯人の冥福をお祈りします。

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