日本人(だけかどうかは疑問ですが)は、ナゼ科学には寛容で芸術には不寛容なのでしょうか?

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  • 登録:2004/11/21 02:51:16
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回答(10件)

id:ymlab No.1

ymlab回答回数508ベストアンサー獲得回数342004/11/21 03:08:20

ポイント10pt

この本の中に、とても興味深い内容が書いてありました。

引用はじめ

科学が芸術と本質的に異なるのは、ある程度努力しさえすれば誰にでも理解できるものだ、というところにあると思います。ある人の感動する音楽が別の人には騒音にしか響かないとしても、それはどうしようもないでしょう。科学は違います。確かに、科学の創造に携わってきたのはニュートンやアインシュタインといった天才たちでした。少なくとも、相当な基礎訓練をへた専門家たちです。しかし、そうして得られた科学の成果は、それが正しいものであれば、きとんと順序だてて学べば誰にでも理解できるはずです。誰にでも理解できるものでなければ、それを科学的な真理とよぶことはできない、といってもいいのだと思います。

引用おわり

いかに科学が難しかろうが、勉強さえすれば、誰もが理解できるのだということを本能的にしっているからではないでしょうか。

 芸術は勉強してもまったくわからんもんはわからんという意識が潜在的にあるので、

科学には、寛容で芸術には不寛容なのだと思います。

id:komasafarina No.2

1500曲を突破♪回答回数1662ベストアンサー獲得回数42004/11/21 06:41:10

ポイント30pt

明治にはじまる日本の近代化がちょうど科学の時代、科学の世紀と呼ばれる時代と重なっていたことも大きいかもしれない。あるいは、もっと遡って織田信長による鉄砲の導入などからこの回答をはじめることもできるかもしれない。一方、芸術というのは本質的に表現ということであり、そのためそれぞれの文化とともに育まれるものであるのだが、日本にはすでに独自の芸術はあったのではあるが、それらが諸外国と(まず地理的近距離範囲)の自然な交流の機会を欠き(朝鮮の陶芸ぐらいか?)芸術としての「枠」の自意識を持ちえなかった。反面、明治の近代化の中で「小説」「詩」「演劇」「絵画」「彫刻」「音楽」などの西欧近代の「枠」への模索とそこへの表現の実現という奇妙な展開を示した。

だが、芸術は「風流」などのかたちで否定しがたく文化、生活の中に行き続けた。それに反し、近代科学は(例えば軍事利用の例をみても)文化を超越する実用性として普及したこともあるかもしれない。

おまけに「近代化」ということは、明治以降の日本の国家目標(そのスローガンは有名な「富国強兵」である)とされ、当面の政治課題として旧幕府(徳川政府)と諸外国との間で締結されたいわゆる「不平等条約」の改正が浮上し、「鹿鳴館」に代表されるようなかたちでの「生活文化」の「西欧化」は要請されたが、西欧近代的な意味での「芸術」もけっきょくは政治的法制的社会的にはその域を出るものではなかった。というようなことを口からでまかせで綴ることができたが、こんなレポートでどんなものでしょうか?

(底流としての裏チャンネル番組紹介・・・風流、花鳥風月、わびさび、ハレとケ、風狂、諸行無常、八百万、、、、、

id:kamo62 No.3

kamo62回答回数35ベストアンサー獲得回数02004/11/21 06:58:37

ポイント40pt

何故、日本人は芸術に対して不寛容なのか?

現代を生きる人たちが果たしてそうなのかどうか実態は私にも判りません。科学は物理現象や自然現象を定義して法則や真理を見出す学問であり、芸術は人の心の中の発露を音や色彩、形として表すことが基本です。

歴史的に見れば、日本人は江戸時代科学に非寛容で芸術には寛容であった時期があったと考えていますが、その事が幕末になって仇となり明治新政府の樹立に繋がった一因と思います。今の日本人に明治新政府の意思が残ってるとは思えませんが、こういった部分で情緒より科学優先の世の中がその意思を継いでいるのかも知れません。

id:juliannaoki No.4

juliannaoki回答回数184ベストアンサー獲得回数02004/11/21 07:24:48

ポイント20pt

私は日本人は芸術に「不寛容」というよりは

むしろ「興味」というものが失われているのではないかと考えます

私の友人達も美術館に行くよりは遊園地

といった感じの人が多いです

何故美術に興味を失ってしまったのかはわかりませんが・・・

おそらくそれは現代人の心が常に刺激を求めている

つまり外界からの強い刺激を求める病にかかっているせいなのかもしれません

id:sami624 No.5

sami624回答回数5245ベストアンサー獲得回数432004/11/21 08:22:04

ポイント10pt

http://tokyo.cool.ne.jp/momo/unousanou_q.html

あなたは、右脳型?左脳型?

殊に日本の場合は、学歴偏重主義がまかり通っているため、幼少の頃から塾・勉強と左脳を使うことが多く、音楽を聴いたり・絵を書いたりという、右脳を使う学習が欠如しています。このため、物の考え方自体が左脳中心の考え方となり、右脳による考え方が軽視される傾向にあるわけです。

予断ですが、ノーベル賞のように天才的な能力は右脳から生まれるため、日本人にはノーベル賞受賞者が少ないのもうなずけます。

id:NAPORIN No.6

なぽりん回答回数4723ベストアンサー獲得回数8742004/11/21 08:55:04

ポイント20pt

↑ダミーです。

日本人は科学に寛容でしょうか?(学者は全員十分にお給料や研究費をもらえていますか?)

芸術には不寛容でしょうか?(音楽家は尊敬されていないでしょうか?アニメだって尊敬を勝ち得ていませんか?)

一般に実学(お金になる、機械工学とか)がわりと好きな国民性というのは、日本が明治に開国し技術を輸入した先が主にドイツであったことに関連があるといわれています。ドイツ人は、もともとものすごく厳格で、お金は無駄なものには一切出さないという国民性があったようにいわれています。そのかわり、自動車などの実用性の追求に美学を見出していたのかもしれませんね。

回答になっているといいのですが。

id:dinonyx No.7

dinonyx回答回数116ベストアンサー獲得回数02004/11/21 12:52:00

ポイント10pt

http://www.geocities.jp/

Yahoo!ジオシティーズ - 容量50MBのホームページスペース。日記やゲストブック、アバターなどの機能。

urlはダミーです。

ヨーロッパやアジアで生活した経験があります。

その経験からすると、日本はすぐ新しいもののため古いものを壊す習慣があるようです。

ヨーロッパでは建物には精霊が宿っているということで壊しません。 アジアもその傾向があります。

日本は伝統とかそういう有象無象を軽んじているため科学には目を向けやすいけど芸術には疎くなるような気がします。

日本にはオペラ座ないですものね、たまにオペラやってても目の玉飛び出るくらい高いし、日本人が芸術を愛するのはあと100年くらいかかると言った芸術家もいましたっけ。

まだ精神的に到達していないだけという説もあります。

id:db3010ss No.8

db3010ss回答回数599ベストアンサー獲得回数112004/11/21 13:37:54

ポイント20pt

日本人が科学には寛容で芸術には不寛容だと感じたことはありませんが・・・

少なくとも、テレビ、小説等のマスコミ情報では、芸術のほうがよほど持ち上げられていると感じます。若い女の子にも芸術家のほうが圧倒的にモテます。

逆に、親とか教師とかは、科学には寛容で芸術には不寛容でしょうね。そのような立場から見ると芸術家というのは(経済的に)不安定だから支持できない、ということなのでしょう。

芸術も科学も、大昔はパトロンに養ってもらって成立していた芸事です。その後の産業革命によって科学は実業の基礎として自立しました。

芸術は今でも支援者の存在なくして成立しません。みもふたもありませんが、芸術家として成功している人の多くは、裕福な出自か、パトロンの支援があるのではないでしょうか。

経済的に十分な余裕のある人々の間では、芸術家は大事にされます。それ以外の人々にとっては、飯の食えない仕事はやめたほうがいい。ってことなのだと思います。

id:psyching No.9

psyching回答回数29ベストアンサー獲得回数02004/11/21 13:42:47

ポイント40pt

それは「科学」と「芸術」の持つ性質の根本的な違いによるものです。

「科学」は客観性と普遍性を持っている理論体系によってによって成り立っています。

つまり、誰が見ても(なるべく)同じ結論に達するように作られているということです。

したがって、数学などの体系には反論の余地がありません。

しかし、自然現象の観測や、実験結果の考察などには主観的な要素が入り込んでしまうので、反論される可能性が大いにあります。

ましてや、心理学や社会文化研究などは、主観だらけなので反論バリバリの世界です。

「芸術」は見る人の心に何かを訴える作品(音楽、絵画、映画、マンガ、アニメ、小説、ゲーム…等、ありとあらゆる創作物)によって成り立っています。

作品を見た人が、何かをそこから感じ取る、という部分が重要であり、何の関心も持たれない物は芸術として成り立ちません。

俳句、書道、プラモデル、電車、食玩のオマケ…など、人によってはどうでもいい物もありますが、

それに関心を示す人が(ある程度)いる以上、芸術(的なもの)として見なされているわけです。

しかし、人が何に関心を持つかは、人それぞれによってかなり違いますよね。

中には、嫌い・生理的に受け付けない・人間として醜い・自分の倫理感覚に反する…などの理由で不快な印象を持ってしまう作品もあるでしょう。

例えば、あるミュージシャンが作った不倫相手に捧げる歌だとか、

ある宗教の聖者を貶める目的で描かれた絵画などは、必ず賛否両論になりますよね。

また、芸術的作品を作った動機が何であれ、それを作った芸術家本人のことが嫌いであるために、作品もみんな嫌いだと主張する人も多いでしょう。

しかし、科学技術や研究内容は、研究者がどんな人間で、研究動機が何であったとしても、

正しく有益に利用する価値がある以上、人は「研究者・研究動機が気に入らないから研究結果を信じない、使いたくもない」

などとは言わない(言えない)でしょう。

例えば、元々は人を大量に殺傷するための方法を編み出すために研究が行われた分野である、

原子力、レーダー、毒物などに関する研究は、結果的に見れば現在の生活にかなり役立っており、

その開発の際の動機が汚れたものであるがために、これら技術を使いたくないと主張する人はいないでしょう。

(いたとしたら、かなり潔癖症的性格の人です)

人を殺したいという欲望を持っている人が科学者になった場合でも、

その研究結果の中で正しく有益に利用する価値がある部分は評価されるでしょう。

(とはいえ、人間を生きたまま解剖した…など、惨たらしい、発想が汚れているような研究などを行った場合は、

研究者本人とその研究結果は軽蔑されるでしょう)

しかし、人を殺したいという欲望を持っている人が芸術家になった場合は、

その芸術作品には「人を殺したい」という衝動が現れてしまうため、(通常の)人はそれを野蛮なものとして忌み嫌うでしょう。

芸術的作品には、製作者の主観的な感覚や意見などの自己主張がモロに現れているため、受け付けずに反発する人も当然いるはずです。

現れていなくとも、作品そのものに対して不快な印象を持ってしまうものがありますよね。

しかし科学的理論には、製作者の主観的な感覚や意見などの自己主張が(一部残ってはいますが、ほとんど)排除されているので、

心にわだかまりなく頷くことが出来ます。

仮に望ましくない結果だったとしても、それ否定すると事実から目をそむけることになってしまうので受け入れざるを得ません。

ここが科学と芸術の大きな違いでしょう。故に、一部の芸術には不寛容な人がかなりいるわけです。

なお、寺田寅彦が、科学と芸術について言及していますのでそのURLを貼っておきました。興味があったら読んでみてください。

http://mirror.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2345_4624.html

青空文庫版・寺田寅彦随筆集第二巻「科学について」

id:kuramoto No.10

kuramoto回答回数273ベストアンサー獲得回数52004/11/21 18:53:38

芸術は直接、金とか、命とかに関係しないからだと思います。

  • id:kuramoto
    おいおい

    ゼロポイントかい
    小難しいのが良かったか、、、。
    わしゃ、小難しく分かり憎いのは
    すかん!

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