明治維新期、会津家老山川家の当主だった山川大蔵(のちに浩と改名)、に触れた小説・歴史書があれば教えてください。
ただし、下記のものはチェックずみです。
『男爵山川先生伝』『男爵山川先生遺稿』
『会津将軍山川浩』『山川健次郎伝―白虎隊士から帝大総長へ』などの星亮一氏の著作、『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松』
つまり、他の方の評伝や歴史小説で、山川大蔵(浩)に触れたものがあれば教えてほしい、という趣旨です。
よろしく御願いします。
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/40fd39643d7630...
オンライン書店ビーケーワン:獅子の棲む国
こちらはいかがでしょう。
http://www.geocities.jp/irisio/bakumatu/bbs/iridiary_log2.htm
何時往来 "It's All Right!"
西郷隆盛評伝 投稿者:いりしお 投稿日:01/21(水) 03:41 PC No.240 [返信] [削除]
デジタルライブラリにある「西郷隆盛詳伝」。明治36年発行。西郷さん死後22年たってからの本です。
…題名だけ見ると西郷さんの伝記であり、実際そうなんですが、戊辰戦争の経緯が詳しいです。官軍側の記述なのに、えらく旧幕側に沿ってかかれてます。
実は黒田が鳥羽伏見でどうしてたんだろう、と思って読んだのですけど、出てきませんでした…。変わりになぜか、佐川官兵衛、山川大蔵、山田市之充、伊庭八郎あたりが暴れてます。
--------------------------------以上引用--
とのこと
こういう情報を求めていました。
これまで読んだ範囲でも、山川家が斗南藩で苦しんでいたときに、北海道開拓使の黒田清隆の口利きで、弟の健次郎がエール大学に留学したり、谷干城(この人は土佐出身)の推薦で陸軍に入ったり、妹の捨松を大山巌(薩摩藩砲隊長として、鶴ヶ城に砲弾を撃ち込んだ人物ですからね〜)の後妻にやったり、はたまた文部大臣森有礼の要請で東京高等師範学校の校長を引き受けたりとか。
薩摩藩と会津藩は一度連合したこともあってか、憎しみ合っているようで、力のある相手は尊敬しているような、そんな関係だったみたいですね。
早乙女貢
「会津士魂」「続 会津士魂」
「続」の5巻が検索で引っかかりましたが
他の巻にも登場していそうです
ああ、早乙女貢さんの大河小説がありましたね。
どちらかというと会津落城後の山川浩の方が興味あります(とくに斗南藩の開拓の夢破れて、その後、陸軍に入るあたり)。
http://homepage3.nifty.com/koyosho/index.htm
向陽處:松平容保と会津
このサイトはすでにご確認済みでしょうか?
ここの「さくら山集について」のリンクに、山川家関連の文献案内が充実しています。
谷干城「山川浩君乃傳」も、一次資料として貴重かと思います。
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/41ad59a5d1a7a0...
オンライン書店ビーケーワン:ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書 中公新書 252
これも基本文献かも知れませんが・・斗南時代の窮乏が詳しいです。
2番目の『ある明治人の記録』は知っていましたが、1番目の谷干城関係は知りませんでした。ありがとうございます。
谷干城は、山川浩が陸軍に入るきっかけを作った人ですから、要チェックですよね。
あと、山川健次郎が編集責任者の『會津戊辰戰史』の存在も確認できました(未入手ですが)。
ひとまず、出揃ったというところでしょうか?
山川捨松関係で、山川兄弟について調べているのですが、姉の二葉、操もそれなりの人物ですし、興味はつきないです。
また、『女学雑誌』を刊行した巌本善治夫人の若松賤子とか、新島襄夫人の山本八重子とか、明治時代に活躍した人が多いのは、逆境に耐え抜く強さがあったからでしょうか?
いずれにしても、回答してくださった皆さん、ありがとうございました。優劣つけがたいので、ポイントは均等割りにします。
おおっ!これは面白そうです。
早速、bk1へ。