例えば)
有名どころで 坂本竜馬
意外なところで むつごろうさん
ネット上で
http://www9.ocn.ne.jp/~uji/
(この方の「旅行記」を見ていただけると激しさが伝わってくるかと。)
なるべくURLは付けてください。
友人や知人の生き様を紹介していただく場合、URLはダミーでも構いません。
エバリスト・ガロア(1811〜1832)
天才的な数学者でありながら、政治の激動に翻弄されて、21歳で決闘に斃れる。
そして、こんなにも早く逝ってしまったにもかかわらず、数学史に燦然と名を残す。
まさに激しい生き様だと思います。
最近、私も知ったのですが、若干23歳にして、家老職を命じられ、会津田島で土佐の谷干城と戦い、よく是を抑えた山川大蔵の生き様はすごいと思います。
会津藩の主従が青森の下北半島付近に転封(斗南藩)されたときは、幼児である藩主を補佐して、実質的に指導者となりますが、このときで25歳、しかも斗南藩は気候風土も厳しいなか、藩士を良くまとめます。
結局、斗南藩は崩壊し、山川浩(大蔵より改名)は、上京し、戊辰戦争で戦った谷干城の推挙で、陸軍に入るのですが、ここでも目覚しい活躍をします。
朝敵として蔑まれた会津人の心のささえになったことは疑いないし、最後は爵位を授けられるのですから、明治政府側も一目置いていたことは間違いありません。
坂本竜馬や高杉晋作、西郷隆盛の生き方もすごいですが、陽の当たらない敗者の方にも激しい生き様の人士は多数いたようです。
やはり世界を体験した人というのはすごい力を発揮しますね。熱い人物という感じがしました、ありがとうございます。
彼の辞世の句は彼の生き様の激しさを物語ってますよね。ありがとうございました。
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はてなのライバル?
オーケイウェブの兼元 謙任さん。
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ここにはかかれていませんね…。
公園生活をしてた時期もあったようですよ…。
近藤さんもチャリンコレーサー時代があったそうで。
なかなかにみなさん波乱万丈です。
ちなみに今月読んだ雑誌で、
ホームレスから年商100億へでも取り上げられていました。
年商100億は別の会社ですが、夜逃げで家族を捨てて逃げてホームレスしながら中古家電を…なんていう波乱万丈っぷりが披露されていました。
波乱万丈っぷりすぎます。
ちなみに駅前の姓名占いで、波乱万丈な人生を送る人のところに私の名前が… orz ....
激しい人生を送って後に成功する人っていうのは、かなりの「挫折」を味わうという共通点があるのかなと思いました。
波乱万丈は良い未来ですよ。諦めなければ。
元参議院議員、辻政信氏。
1902(明治35)年10月11日生。
陸軍士官学校を首席で卒業し、
陸軍大学校でも優秀な成績を修め、
その後はほぼ一貫して参謀の任務に就き
第二次大戦末期には最前線で
ガダルカナル島の戦闘を指導。
自らも負傷し帰国、内地勤務の後、
再び南方戦線に転じビルマ防衛戦などを指導。
敗戦後も帰国せずそのままタイ、インドシナ、中国などに潜伏。
帰国後参議院議員選挙に出馬して当選、国会議員となるが、
インドシナの戦争を終わらせに行くと言い残して再び出国。
そのまま行方不明。
後にゲリラに射殺されたなどの噂が流れるが
その事実はまだ確認されていない。
1968(昭和43)年7月20日、
民法の規定により東京家庭裁判所において死亡宣告。
命かけてますね〜。「潜伏」のあたりにすごさを感じます。
そうきたか〜、やられた〜〜ってかんじです。激しいですね。そして強いですね。今度本読もうかなって思いました!
ありがとございます!
アルチュール・ランボーという天才詩人を紹介しましょう。フランスはシャルルヴィルに生まれたランボーは、幼くして詩才を発揮、持ち前の反逆精神から首都パリで起こった市民たちの内乱武装蜂起に加わるべく未成年ながら家出してパリ・コミューンに駆けつけるが、当局に補導され故郷に送還、その後も詩才に磨きがかかり、パリ中央の詩壇の大物に自作をアピール、再度、故郷をあとにしてパリへ。首都にて時の花形詩人ヴェルレーヌに認められ、詩壇の注目を集めるが、ヴェルレーヌとのホモセクシュアルな感情のもつれから拳銃で撃たれるスキャンダル。「地獄の季節」「イリュミナシオン」の2冊の詩集を残して、キッパリと詩を断念、アフリカに渡り、一転、奴隷商人や武器商人として暗躍、病に倒れ、右足切断の憂き目にあい、フランス本土に帰還、ほどなくして死去。その凄まじい生涯と凄まじくも研ぎ澄まされた言葉のアートの威光は遠く日本にまで及び、中原中也や小林秀雄、komasafarinaなどに強い影響を与え、いまも若い魂を邪悪な道に誘い込んでいる。
この人の生涯は激しいとともに面白いですね。少し笑ってしまいました。鉄道料金不足で捕まるあたりがおちゃめです。ありがとうございました。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C3%DD%C6%E2%B5%C1%CF%C2?kid=50446
竹内義和とは - はてなキーワード
ちょっと違う方向ですが
この人も激しいですね。
竹内義和さん。なんというか業の深い人というのは、えてしてそういう生き方になるのかも。
公式
ちょっとこの人の激しさは私には分からなかったです。
http://www.asahi-net.or.jp/~BH3H-SMJY/zuiso/d264.htm
わからん人にはわからん話ばっかりですみません
あんまり知っている人もいないでしょうし、かっこよくもないのですが、岩野泡鳴という私小説家を紹介します。
かれの代表作は泡鳴五部作という私小説で、その小説は、小説を書くために妻子がいながら妾をつくり、さらに小説を書くために妾を捨てて、北海道に渡って事業を興そうとし、失敗して借金をつくりまくるというもの。本人にはまじめなのかもしれませんが、どう考えてもギャグのような展開。
そしてその小説の中で、「おれは宇宙の帝王だ。否、おれが宇宙そのものなのだ」と宣言しています。
ネットの名言集にも彼の言葉がありました。
苦痛があればあるだけ
その苦痛にモッと深入りしたいと
もがくのが生命だ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061983520/hatena-q-22
Amazon.co.jp: 耽溺・毒薬を飲む女 (講談社文芸文庫): 岩野 泡鳴: 本
彼の小説。ちなみに僕はこれじゃなくて新潮文庫の『泡鳴五部作』(絶版)を読みました。
不思議な人ですね。成功してたらどんな小説が出来上がったんでしょうか、気になります。ありがとうございました。
http://www.microsoft.com/japan/essays/haruyama/
マイクロソフトの企業市民活動 - ホーム
2回目ですが、存命の方では、「ハンディネットワーク・インターナショナル」の社長、春山満氏。著作『僕にできないこと。僕にしかできないこと。』には教えられました。
静かながらも激しさを持っている、そんな人ですね。ありがとうございました。
確かに激しさを感じますね。ありがとうございました。
高橋是清はすごいですよ。
留学のつもりでアメリカに渡るが、実は奴隷として売られた→帰国語、英語教師→芸者のヒモ→また英語教師→相場で失敗し、無一文→官僚(専売特許局長)→ペルーの銀山開発に失敗、大借金を抱える→日本銀行に入行→その後、日銀総裁・首相に就任→大蔵大臣のとき、二・二六事件で陸軍青年将校に暗殺される
私もこの人は出そうだな〜ってひそかに考えてました。ありがとうございます。
http://www.webkohbo.com/info3/oomura/oomura.html
幕末歴史探訪 大村益次郎
大村益次郎
村田を氏とし、家は世々医を営んだ。父と共に吉敷郡秋穂村に移った。天保13年(1842年)防府宮市の梅田幽斎に医学と蘭学を学び、翌年豊後の広瀬淡窓の門に入り、弘化3年(1846年)大坂の緒方洪庵に学び塾頭に進んだ。嘉永3年(1850年)帰郷して四辻で医業を開いたが、6年(1853年)伊予宇和島藩に招かれて蘭学・兵学を教授し、安政3年(1856年)江戸に赴いて鳩居堂を開塾、また幕府の蕃書調所教授方手伝となり、翌年講武所教授に任ぜられた。万延元年(1860年)萩藩に抱えられ、藩の蘭学に貢献し、文久二年帰国し、西洋学兵学教授となって山口普門寺塾で兵学を教えた。ついで藩の兵制を改革し、元治元年(1864年)下関外艦和議の応接掛を勤め、慶応元年(1865年)軍務掛となり、2年(1866年)の幕長戦に石州口の総参謀として連勝ののち、山口明倫館兵学寮に帰り、兵学の教授に当った。明治元年(1868年)討幕軍進発に世子に従って出兵上京し、2月太政官から軍防事務局判事加勢を命ぜられて軍政改革に尽力、親兵を編成し、東北平定のため江戸へ進軍、5月江戸府判事を兼任した。ついで上野の彰義隊を討伐、さらに奥羽・北越の平定に尽し、10月軍務官副知事となり、2年(1869年)箱館を鎮定して6月永世禄1500石を賜わった。同年7月兵部省新置の時、兵部大輔に任ぜられ、兵制の大改革を企て、東京を発して大坂・兵庫を巡回し、9月京都の三条木屋町の旅宿で暴徒に襲われ重傷を負い、10月大坂鈴木町の病院に入院したが、療養中に死亡した。年46。嗣子寛人に至り、21年先功により子爵を授けられた。
激しかったです。
天才系ですね。天才の中でも決闘に斃れたのはこの人ぐらいかもしれません。ありがとうございました。