人が人と接する(攻撃する)時その相手の弱点のみに目をやり利点を無視する態度を取るのはどういう心理でしょうか。教えて下さい。

回答の条件
  • URL必須
  • 1人2回まで
  • 登録:2005/01/10 12:45:38
  • 終了:--

回答(8件)

id:AROA2005 No.1

AROA2005回答回数399ベストアンサー獲得回数02005/01/10 13:13:58

ポイント12pt

http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news/hannzai2.html#anchor309532

犯罪心理学入門:犯罪心理学2(淳君は9番目の犠牲者)(心理学総合案内こころの散歩道)

境界例(あるいは境界性)

性格障害:自分が人から見捨てられるのではないかという強い不安を持っています。

そのため、いろいろな方法を使って、周囲の人を操ろうとします。

また、感情が激しく、爆発的な怒りを抑えることができません。

このことでしょうか?

あなたが記載した行動を取るタイプの人間は自分が他人より劣っているとわかっていても、それを認めたくなくて自分より優れている人に対して攻撃することが多いようです。

もちろん周りから「敵」だと思われていることが多く、孤立することが多いようです。

id:takay

面白い回答でした。

2005/01/10 13:21:21
id:komasafarina No.2

1500曲を突破♪回答回数1662ベストアンサー獲得回数42005/01/10 13:15:36

ポイント12pt

http://www.h-web.org/misc/19980516.html

浜下武志氏のアジア交易圏研究2

(URLは示唆的にダミー)

人と人との関係を(最終的には)支配と被支配の関係にしなければ気がすまないような精神に育てられてきてしまった人なのでしょう(ここでは理由はともかくとします)。したがって、そういう関係にもっていくために相手の弱点を見据えて自分を優位に置こうという心の働きが起動してしまうわけです。

相手との対等な関係というのは、いろいろと難しく面倒なものですが、それに比べれば支配と被支配の関係は(いったん確立してしまえば)そのかたちにしたがうことで機能します。すなわち命令と服従を原型とした上下関係です。

対等の関係というのはさまざまな駆け引きや機略などでより有利な立場に立とうとするなど相互に研鑽され関係自体も相手あっての自分というかたちで洗練され高度で複雑なものになり人間も繊細な優しさと神経症的な不安(定)感にさいなまれはしますが、人間や関係(ひいては社会)の進歩はそこから生じます。支配被支配型の基準で動いてしまう攻撃型あるいは追従型の人間は、これからの世界は生きにくくなるでしょう。そういう人が肉体関係という閉鎖的な関係を核とした閉じた小さな世界ですら思うように生きることができず、そのことかららすぐに暴力が発動しつぃまうのがDVなのではないかと思います。

関係を流動的、フレキシブルなものではなく、固定的なものと考えたい怠惰で無能な人間が相手の弱点に着目し、攻撃し、支配=被支配、命令=服従の威力的秘められた暴力的な関係にもっていこうとするのでしょう。

id:takay

どうも有難うございました。

2005/01/10 14:51:06
id:kamisama No.3

kamisama回答回数549ベストアンサー獲得回数112005/01/10 13:54:07

ポイント12pt

自己暗示(autosuggestion)

他人の利点を見ないようにすることで、あたかもそれが本当に無いものだと(無意識に)自分に思い込ませ、相手に対して優位に立とうとする行動。

自分に自身が無い人がよくやってるのではないでしょうか。

id:takay

どうも有難うございました。

2005/01/10 14:52:29
id:kurupira No.4

kurupira回答回数2369ベストアンサー獲得回数102005/01/10 14:28:29

ポイント11pt

相手の弱点ばかり見てしまうのは自分に自信がないからなのでは。

弱点を見つけて、自分が相手より優位だと思うことで

安心感を得るのだと思います。

id:takay

どうも有難うございました。

2005/01/10 16:08:15
id:sami624 No.5

sami624回答回数5245ベストアンサー獲得回数432005/01/10 16:07:30

ポイント11pt

考え方はディベートに似ていますが、これはあくまでも議論で相手を説得するためのものであり、相手の弱点を暴くものではありません。

あえて言うならば、自己中心主義ですね。自分以外の考え方は全て誤っており、自分の考えに会わない者は、相手の不足している部分に付け込み、批判をすることで、自己実現を図ろうとする。

→要は、相手が屈することで自己実現を図ろうとしているので、相手の弱点ばかりを批判し、屈するのを待っているだけでしょう。

id:TomCat No.6

TomCat回答回数5402ベストアンサー獲得回数2152005/01/10 16:16:21

ポイント30pt

http://www.hatena.ne.jp/1

人力検索はてな

以下は別質問「個人攻撃は何故いけないのか」

について書いてみたものなのですが、

書いているうちに終了してしまったので、

まずそれをお目にかけておきたいと思います。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

個人攻撃の発生機序は、おそらく攻撃者側の「被害妄想」、

そしてそこから誘発される「自己防衛本能」に由来します。

たとえば人は、何かに追いつめられる、

強いストレスにさらされる、

といった状況に追い込まれると、

周囲の全てが自分を攻撃しているような錯覚にとらわれます。

するとそれは強い「劣等感」につながっていきますから、

自分すらが「自分に対する攻撃者」となっていきます。

どこにも逃げ場のない閉塞感に襲われます。

ここで「自己防衛本能」が働きます。

その閉塞感を打破しようと、

外部に対して「窓」を開こうとするわけです。

そしてまず、自己に対する「敵」を特定する作業を開始します。

自己の中の「劣等感」を否定し、

それに代わる「外敵」を探し出し、

自己が自己を攻撃するという

逃げ場のないループを断とうとします。

ここで見つけ出される「仮想敵」。

現実には敵でも何でもない、

たまたまターゲットにされてしまった人物。

それが「個人攻撃」の被害者です。

ですから、攻撃者は、攻撃の相手に対して、

現実的な感情は何も持ち合わせていません。

というよりも、攻撃の相手は自己の劣等感の投影、

すなわち自分の一番嫌な部分を映す「鏡」ですから、

自分に対して感じていた「劣等感」に対する

恐怖と嫌悪そのままの感情がぶつけられていきます。

人は社会生活を営む上で様々な怒りを感じるものですが、

正常な状態なら、その怒りをもたらす原因を追及し、

それを取り除くことで快適さを保とうとしますから、

その怒りの対象は人物ではなく、

多くの場合、環境に向けられているものです。

たとえばどうしても仕事がうまくいかない、

仕事の流れが悪い、全然効率が上がらない、

といった時、正常な状態なら、

それは今のチーム構成が良くないからだ、

一人一人の役割が明確化されていないからだ、

といった制度に怒りが向いてきます。

するとその怒りは、

それぞれの役目を仕事の流れにそって明確化させよう、

といった具体的な改善提案にもつながってきます。

意見が建設的な方向に向いていくわけです。

しかしここで強いストレスにさらされ

状況の認知に障害が発生すると、

心は不安をおぼえ、劣等感に苛まれはじめますから、

自分が悪いんじゃない、と責任を転化できる

相手を探しはじめます。

ここから建設性も論理性もない、

果てしのない「個人攻撃」の泥沼が始まります。

議論においても、自分の意見が通らない、

自分の意のままに周囲が動かない、

といった状況が積み重なってくると、

劣等感の裏返しの個人攻撃、人格攻撃が始まってきます。

しかし、「個人攻撃」は「自虐妄想」そのものですから、

それがエスカレートしてしまうと、

攻撃者本人の精神と人格が崩壊してしまいます。

これが「個人攻撃は何故いけないのか」の答えになると思います。

攻撃を受ける側は、攻撃をマジ受けして

周囲から「ケンカ両成敗」のような

誤解を受けないようにだけ注意していれば、

たいして被害はありません。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

このように。個人攻撃は自己の劣等感の裏返しですから、

当然攻撃相手に対しても、

相手の劣等感たるところを突こうとするわけです。

弱点の多い攻撃者ほど、

相手の弱点を必死になって探そうとします。

id:takay

御丁寧にどうも有難うございました。

2005/01/10 17:02:39
id:adlib No.7

adlib回答回数1983ベストアンサー獲得回数1232005/01/10 17:17:05

ポイント11pt

http://www.excite.co.jp/world/english/

英語翻訳 - エキサイト 翻訳

(↑)偏頗(へんぱ)→ Unfair and partial → 不公平で部分的。

 

 交通違反に例をとれば、お巡りさんは違反者の都合には耳を傾けず、

違反事実だけを咎めてキップを切ります。問答無用なのです。

 しかし多くの違反者は、つぎの理由で反論をこころみます。

 

A.個人的に急いでいたので、見のがしてほしい(三分の理)。

B.いまのところ、だれにも迷惑をかけていない(未遂の理)。

C.ほかの違反者も、例外なしに摘発してほしい(公平の理)。

 

 これを三段論法にすると、公平と不公平が混在して矛盾します。

 死刑囚が「他の殺人者もすべて処刑しろ」というような理屈です。

(個人的な都合や別件から切りはなして、犯罪は個々に立件されます)

 

 お巡りさんは公務を執行しているので、プライベートな人間関係では、

もっと柔軟な対応をしているはずです。相手の弱点だけを非難するのは、

警官でもないのに検察官のような権限をふりまわす行為なのです。

 

 相手の利き腕をねじりあげ、あちこち噛みついて、なかなか離そうと

せず、やがて論理的にも優位だと錯覚しはじめると、とても厄介です。

(家族が、たがいに非難するような家庭生活が、耐えがたいように)

 

 こうなれば、土俵を割って仕切りなおすしかありません。

 友人や小集団で友好的に議論するには、逃げ道を設けて最後に和解し、

誰でもリセットできるようなルールが必要です。

id:impetigo No.8

impetigo回答回数2545ベストアンサー獲得回数82005/01/10 20:19:05

ポイント11pt

URLhはダミーです

そりゃそうでしょう、攻撃する時は眼を開けるでしょう、後は防御ですからガードを固めますね・・

コメントはまだありません

この質問への反応(ブックマークコメント)

トラックバック

「あの人に答えてほしい」「この質問はあの人が答えられそう」というときに、回答リクエストを送ってみてましょう。

これ以上回答リクエストを送信することはできません。制限について

絞り込み :
はてなココの「ともだち」を表示します。
回答リクエストを送信したユーザーはいません