前者は古代進ですね。後者はシャア・アズナブル
古代は恋人の死により発作的に突っ込んでいった…(やぶにらみ的な見方ですがオート運行の宇宙船でわざわざ残って突入していきましたから)
シャアは自分の愛人のララァが自分のタメに死んでもしたたかに生き残る。
やっぱり何が何でも生き延びて次のチャンスを伺いたいですね。生きていれば何かチャンスがあるかもしれません。
作品では無いのですが関が原にて突入して戦死した小西行長と石田光成が打ち首の直前まで体を大切にしたエピソードが対称的ですが、これもやはり石田に共感を感じます。
なるほど。
> 生きていれば何かチャンスがあるかもしれません。
これ、物理的な生死をテーマにしているから、そういう話になるのかもしれないのですけれども、例えば海老沢会長にしろ、その他、社員に不祥事のあった企業では、何かというと辞任コールがかかる。海老沢さんはリストラや制作費の圧縮を実現した NHK きっての改革派だったのに、そんなことは全然、報道されない。視聴者は適当な人間を選んで叩いていい気になっている。それで社会的な死を与えてバンザイしているわけなんですが、なぜそこで「生きていれば何かチャンスがあるかも」という意見が出てこないのか。顧問だってダメだ、なんて話になるのか。
あるいは、福岡の一家殺害事件の犯人が中国で無期懲役になって、遺族が許せないといい、それを大々的に取り上げる。あれもよくわからない。みなさん適当に立場を変えているだけなんでしょうけれども、死ぬべき人、死ぬべき理由、というのはあっていいのか悪いのか。
再び例にあげると、「赤い月」はその点、徹底している。悩み始めた(元)極悪人として描かれる人物が中国軍に出頭しようというのに対して、主人公は「生きるって約束したじゃない」という。罪を償うこととかよりも、生き残ることが大切だという考え方。私はついていけませんでした。結局、その人物は主人公を舌先三寸で丸め込んで(生きるために避けられないコトなんだ、なんてことをいう)死地へ赴くわけですが……。
それはさておき、シャアがララァの後を追わなかったのは、「何が何でも生き延びる」こと自体が目的だったのか、というと、そうでもないような気がします。生きる目的があって、生き延びたのではなかったでしたっけ。迷走を続けつつも、最終的に「逆襲のシャア」に描かれるような行動へと進んでいくことでもあり……。
それともどうなんだろう、理由なんてどうでもいい、とにかく生きること自体に価値がある、と断言する方向の映画って、少ないんでしょうか。
有名どころですね。
「薔薇は美しく散る」
ベルサイユの薔薇です(曲の歌詞をご紹介したかったんでCDのほうで紹介します。オスカルは決して退くことなく戦い、その中で命を落とします。
薔薇は薔薇は気高く咲いて 薔薇は薔薇は美しく散る
「人間の証明」
こちらは余りにも有名な子殺しの物語。自分の人生を守るために我が子を手にかけ、もう一人の子供も結果的には追い詰めてしまいます。醜い、というのは人間的に醜い(容姿ではなく)ということで解釈しましたが、宜しかったでしょうか。映画自体のメッセージは「醜くても生き延びたほうが」とは違いますが、主人公の女性は生き延びる(生活を守る)ために人を殺し、また息子にも同じ人生を強要しますから、そういった人間を描いた物語と言えるかと思います。
どちらが正解かを決めることは大変難しい問題ですが、自分自身の好みとしては前者です。たとえば許されないことをしてまで自分の生活を守ろうとは思わないし、一番大切なのは「どれだけ長く生きたか」ではなく「どれだけ充実して生きられたか」だと私は思うからです。自分の貫きたい正義や美徳のために命を落としてしまうのならば、それもまた仕方のないことだと思います。
が。
もし子供でも出来て、その子を守りたいと思う気持ちが強ければ考え方も変わってしまうかもしれません。今はまだそういう対象がいないので、そういうふうには思えないのですが、周囲の人間の話を聞くと「何があっても」と思う場合もあるようです。
なるほど。「人間の証明」についてですが、自分の人生を守るための殺人としては「化石の森」という作品(映画はショーケンが主役/原作は石原慎太郎)があって、こちらはもっと露骨です。何せ完全犯罪が成立してしまう。そして、作者はその殺人を肯定してしまうんだな。石原さん、作家としては反道徳路線で突っ走っていらっしゃる。箱入りの初版本には付録がついていて、その中で石原さんは、概要「だってこれが現代の人間の真実だから、こう書かないわけにはいかない」みたいなことをおっしゃっている。70年代の現実って凄いなあ、と。80年生まれの私は、そうした時代を知らないので、ビックリしましたね。
さらに思いつくままに書けば、高村薫「照柿」はテレビ番組だか映画だかにもなったはずですが、これもまた、いかにして人は人を殺すのかという物語。いや、でも、何であの人が死ななきゃならないのか私には結局わからなかったんですけれども。
……ちょっと頭が混乱してきました。寝た方がよさそう。
結論がどっちつかずなのではなく、生きていくことを選んだ人間と醜く生きる価値があるのかを問うた人間の戦いを描いた作品と思いますので。
あ、出ましたね、この作品。じつはこの作品、主人公が**しない結末も予定されていたとか。王道の結末。でも、あえてそのオチを使わなかった。それは人間の本当の心を描きたかったからである、みたいな話があったと思ったんですけど、どこで読んだんだっけか……。DVDのコメンタリーにも、そういう話が出てきていたと思います。それにしても、ハリウッドでよくぞまあ、これがこのままの形で公開されましたよね。低予算の実験的な映画ならともかく。
えーと、回答が少し足りていない(回答者の理想が提示されていない)ので、その分は少し割り引かせていただきます。
http://www.hatena.ne.jp/1108138759#
人力検索はてな - 人生について、「美しく生るためには死をも厭わない」という考え方と、「どれほど醜くとも生き延びる方がよい」とする考え方があります。それぞれなるべく有名な作品を例に..
自分の理想についてが抜けてましたね。申しわけありません。
自分は、それでもこの醜い世界で生きていく、と呟く老刑事に共感します。
あ、どうもありがとうございます。
ネタバレになるので、具体的には書きませんが、この作品のヒロインはまさしく前者のパターンで結末を迎えます。
18禁のシーンはないくせにとても扇情的な作品なので
そういうものが好きな方にもお勧め。
I’m Human Being! という叫びで有名な作品。
醜くても人間であり生きていることで価値があり!
私は前者も理解できないではないですが、後者の方によりシンパシーを感じますね。
いずれも未見。うーん、悔しい。
「それぞれ」とお願いしたつもりです。
> でもこの主人公は醜いとは思いません。
困るんですよ、それでは。私はこの映画、生きるべき人間が必死に生きようと頑張って、その結果、見事に生き延びるという話だと思っています。
そうではなくて、例えば「赤い月」という映画がありまして、これはもう露骨に「生きる」ことを至上の価値とした物語になっているのです。で、これが感動大作なんだそうですね。原作もよく売れました。私はというと、唖然呆然、そりゃないだろう、と。
まあ私の感想はどうでもいいのですが、どっちつかずの作品をご紹介いただくのはご容赦願いたいです。