人生について、「美しく生るためには死をも厭わない」という考え方と、「どれほど醜くとも生き延びる方がよい」とする考え方があります。それぞれなるべく有名な作品を例にあげた上で、あなたが理想とするのはいずれか、ご回答ください。なお、どっちつかずの作品の提示と、ダブりはなるべくご容赦を。

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  • 登録:2005/02/12 01:20:11
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回答(11件)

id:kurupira No.1

kurupira回答回数2369ベストアンサー獲得回数102005/02/12 01:35:47

ポイント15pt

罪と罰 (上巻) (新潮文庫)

罪と罰 (上巻) (新潮文庫)

  • 作者: ドストエフスキー
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • メディア: 文庫

私は後者の考えに同意します。

この本を読んで、人の考える罪と罰というのは

あやふやな物なのではと思いました。

そう考えたら今まで自分がした悪いと思ってたことに対して、

あまり深刻に考えなくても良いんじゃないかと。

でも真剣に考えることはもちろん必要ですけど。

id:hkt_o

「それぞれ」とお願いしたつもりです。つまり、あなたの理想と異なる価値観を奉じた作品もご提示いただきたい。なぜ両方をご提示いただきたいのかといえば、私の質問文に対する回答者の解釈を、両極端の作品を結んだ「線」として掴み取りたいからです。

さて、「罪と罰」ですが、私は未読です。残念無念。「なるべく有名な」としたのは、私が知らない作品では回答を理解できないから、なのでした。

2005/02/12 01:42:54
id:keii-i No.2

keii-i回答回数206ベストアンサー獲得回数42005/02/12 01:55:22

ポイント20pt

ええと、こちらが美しく…のほうで

こちらが醜くても…

後者は有名かどうかは、質問された方の生きてきた年数によるのかも知れませんが、私にとっては、ということでご勘弁を。理想とするのは後者です。多感な高校生のころに前者の「かもめの〜」と後者の「四畳半シリーズ」に出会って、とにかく生きる!という基本方針が決まりましたねぇ。生きていれば、美しくもあれ、好きなこともでき…だと思ったりするわけです

id:hkt_o

前者が「かもめのジョナサン」で後者が「元祖大四畳半大物語」ですね。ご心配の後者、運よく既読でありました。

予想通り、「生きる」ことを重視する回答が連続しているわけですが、私自身は「美しさ」を重視する立場です。生きることが、どれほど醜い行動を人に強いるか、という問題は無視できないと思うのです。

> 生きていれば、美しくもあれ、好きなこともでき…

なるほど、そうであるとして、後に美しくあるために、今、醜悪でよいのか。それでも生きてしまう、というのはともかくとしてですね、それを肯定的に考えるか、否定的に考えるか、というのは大きな違いだと思います。

「精神の死を回避する手段」として非行に走る中学生・高校生を描いた小説など、無数にあるわけですが、私はそれらについて賛同したことがありません。大人が、こうして「生きることを全肯定してしまう」からいけないんだ、なんて、中高生の頃には強く強く思っていたものです。

さて、私は単に思ったことのメモとしてコメントを書いているだけなのであって、以降の回答者はこれを気にせず回答に専念されることを期待します。

2005/02/12 02:31:18
id:mimibukuro No.3

mimibukuro回答回数1299ベストアンサー獲得回数32005/02/12 02:19:00

ポイント20pt

魁!!男塾 (20) (集英社文庫―コミック版)

魁!!男塾 (20) (集英社文庫―コミック版)

  • 作者: 宮下 あきら
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • メディア: 文庫

モンテ・クリスト伯 痛快世界の冒険文学 (15)

モンテ・クリスト伯 痛快世界の冒険文学 (15)

  • 作者: アレクサンドル デュマ 村松 友視
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • メディア: 単行本

うーん、漫画も大丈夫でしょうか。特に指定がなかったので両方小説で揃えようかと思ったんですが、どうもイマイチがつんとインパクトがあり、かつ有名なものが思いつかず…漫画ダメだったらゴメンナサイ。

男塾→見た目は、カナリ濃いですが、友情やらなにやらのために命がけです。日本男児の生き様(塾歌にもある…というかそれもはっきり覚えている自分に愕然としました)ってやつです。何かのために命を落とすことが美しいのではなく、「命をかけるだけの何かがある」ということが美しいと思いますし好きです。

「モンテ・クリスト伯」→岩窟王ですね。児童文学選に入っているものを何度も読みました。復讐のために生き長らえる彼の生に対する執念には敬服します。

が、せっかく生き延びても復讐が目的なのはむなしい。復讐する相手にも愛する人がいて、家族がいることを考えると複雑な気持ちです。殺すために生き延びる?そんなの、終わらない憎しみの連鎖を生むだけなような。理解できなくて何度も何度も読みました。私にも人を憎んだり嫌ったりする気持ちはありますが、それでも、何だかちょっと受け入れらない生き方です。

オープン済みの回答を見て、いろいろ考えました。

やっぱり私は前者です。

生き続けることだけを目的とはしたくないと思います。

あ、男塾、ダメでしたら、ポイントお返しします。

id:hkt_o

漫画でもまったくかまいません。ただ、小説にしろ漫画にしろ、かなり有名な作品にしていただかないと、未読の可能性があります。未読だと困るんですね、私が回答を判断できないので。

さて、「魁!!男塾」ですが、これは既読でした。

> 「命をかけるだけの何かがある」ということが

> 美しいと思いますし好きです

なるほど。実際のところ、近年は「生きる」ことの価値が非常に高く見積もられるようになった結果、「生きるため」という言い訳がジョーカーのように万能で通用する傾向があるように思います。

一方、唯一それに対抗しうる価値観として広く通用しているのが「子どものため」であって、子どもも面倒なもの背負わされちゃって大変ですよね。「人生の目的」の自家発電というか、「生まれてきた意味」を自ら作り出す構造、なんだか歪だと思うのは私だけでしょうか。

ちなみに動物は、子どもを殺しますからね。自分は死んでも子どもは生かすなんて、例外なんです。子は死んでもまた作れる。親が死んだら子は生きられない。親が死んでも社会が助けるなんて、ふつう動物のすることではない。

「モンテ・クリスト伯」……実は私も、児童文学としてリライトされたバージョンしか読んだことがありません。元の本は長過ぎます(笑)

> 殺すために生き延びる?

この手の話は、かなり多いですね。作者はたいてい、一方に肩入れするわけなのですが……。

私が納得できないのは、大ボスをやっつけるために、関係者をドンドン殺してしまう作品があること。物語の展開上、そうしないと大ボスに復讐できないわけなんですが、そうして殺されてしまうキャラクターだって、やっぱり人間でしょう? と疑問に思わないわけにはいきません。

映画「椿三十郎」では、主人公がきちんと「無益な人殺しをしてしまった」と反省しているのですが、水戸黄門とか、そのへん、どうなっているんですかね。

2005/02/12 02:58:43
id:komasafarina No.4

1500曲を突破♪回答回数1662ベストアンサー獲得回数42005/02/12 02:26:46

ポイント30pt

堕落論 (新潮文庫)

堕落論 (新潮文庫)

  • 作者: 坂口 安吾
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • メディア: 文庫

葉隠

葉隠

  • 出版社/メーカー: ニュートンプレス
  • メディア: 単行本

葉隠入門 (新潮文庫)

葉隠入門 (新潮文庫)

  • 作者: 三島 由紀夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • メディア: 文庫

後者の代表格が「堕ちよ生きよ」というメッセージを持った坂口安吾の「堕落論」、ほかにもこちらのリーグには加盟選手が多いようですね、あんまり読んでないですけどサルトルとかカミュなんかがそうだと思います。

美も醜も何をもって美と醜するかは分かちがたいですからね、例えばジャン・ジュネとか、

だから、生きるか死ぬかの問題となれば、

死ぬ死ぬリーグの方には「武士道とは死ぬこととみつけたり」というメッセージだか結論だかの「葉隠」というのがありますね。三島由紀夫の「葉隠入門」というほうしか読んだことないですけど、中身、忘れちゃいました。

生きてる分には汚れてしまうのはあたりまえで、その汚れが醜く映るかどうかという問題ですね。そのへんは(恐ろしいことに)顔に出てしまうようですね。

美醜は、おそらく角度を変えると善悪というふうに見えてくるかもしれないし、そうした美醜や善悪を超えたひとつの彼岸といった地帯(=ゾーン)があって、そこではたぶん生死もごちゃまぜのようですね。毎日生きることが毎日少しづつ死ぬことあったりと、結局、人間ほっといても(というか)ほっとけば死ぬわけですから、それまでにどうれだけ生きるか、そのときにどう生きるか、そこにご質問者の美醜の問題があるのでしょうね。どうとどれだけも渾然一体になってるわけですけど。陰陽とか深くて広くてカラッポでわけわかんなくなりますね。

id:hkt_o

「葉隠」は、常在の死の中で生きよ、という話だったはずで、つまり武士は死を覚悟するというより、もともと死んでいるものであると。そのつもりで生きれば、信念が鈍ることもないというようなことをいっていたんじゃなかったかなあ。死ぬのは素晴らしいことだとか、死に方が大切だ、とかいっているのではなくてですね。

> 「堕ちよ生きよ」というメッセージを

> 持った坂口安吾の「堕落論」

そういう話でしたっけ? あのエッセイ。まあ、「そうだ」といわれれば、否定もし難いのですが。記憶の中のイメージと違うのですが、

> 渾然一体になってるわけです

というわけで、今晩はココまで。続きは明日。

2005/02/12 03:24:45
id:kugenumac No.5

kugenumac回答回数52ベストアンサー獲得回数02005/02/12 04:27:26

ポイント30pt

ドリアン・グレイの肖像 (新潮文庫)

ドリアン・グレイの肖像 (新潮文庫)

  • 作者: オスカー ワイルド
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • メディア: 文庫

イリアス〈上〉 (ワイド版岩波文庫)

イリアス〈上〉 (ワイド版岩波文庫)

  • 作者: ホメロス
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • メディア: 単行本

ユリシーズ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

ユリシーズ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

  • 作者: ジェイムズ ジョイス
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • メディア: 文庫

すぐに思いついたのは「美しく生きる」ために死んでいったドリアン・グレイです。

あと、『イリアス』に登場するアキレウスも自分の死期を知らされながらも、

あくまで戦いに勝つことにこだわっていたので、

美しく生きるために死をも顧みず戦いつづけ、死んでいったといえそうです。

もうひとつは、20世紀の最高傑作『ユリシーズ』の主人公ブルーム。

とにかく平凡、家に帰ると妻がベッドで眠っている。

でもその妻はついさっきまでそのベッドで浮気をしていた。

その相手もわかっている。だがブルームは妻になにも言わない。

そして眠る妻の顔を見て、すべてを受け入れ、許してしまう。

妻の不貞を許してしまう優しい男ブルームは、

どれほど醜くとも生きるほうがよい、

という土台の上に生きている代表的な人物だと思われます。

id:hkt_o

妻の不貞を許すのが醜い生き方かどうかは判断のわかれるところであって、作者がそのことについて否定的に扱っているかどうかが作品としてはポイントになろうかと思います。つまり、醜いことは承知で、しかし生きるためなら……というのが私の求めた事例であり、多数派の判断とは関係なく、作者がその行為を美しいと判断しているのであれば、話は違うというわけです。「ユリシーズ」がいずれであったか、思い出せません。

私が読んだ「ユリシーズ」は図書館の単行本でした。2年も前に文庫になっていたとは。買って再読してみたいですね。

「ドリアン・グレイの肖像」は未読。残念無念。「イリアス」はリライトされたバージョンしか知りませんが、まずまず納得です。

申し訳ありませんが、以下、コメントは儀礼的なものにとどめます。

2005/02/12 17:37:16
id:sami624 No.6

sami624回答回数5245ベストアンサー獲得回数432005/02/12 07:01:42

ポイント15pt

醜いあひるの子・他―アンデルセン名作選 (南雲堂=英和対訳学生文庫 PPL=〈New〉 (1))

醜いあひるの子・他―アンデルセン名作選 (南雲堂=英和対訳学生文庫 PPL=〈New〉 (1))

  • 作者: H・C・アンデルセン 来住 正三 佐藤 若菜
  • 出版社/メーカー: 南雲堂
  • メディア: 単行本

周囲が醜いといっても本当に醜いのか、醜いの定義は何かと考えたとき、自分が真っ当に生きていくことで、何時の日か自分の真の姿を実現する時がやってくる。それまでは、ただひたすら一生懸命生きるのみ。

id:hkt_o

私がいっているのは、自らも醜さを自覚しているケースであります。つまり、生きるためには真っ当でない道を歩まざるを得なくなるケースがある。それでも生きていれば云々というのか否か。「生きる」ことを至上価値とすれば、前記の状況において、どんな悪逆も最終的に実行してしまうことになります。

生きることについて倫理的な葛藤のない作品を挙げられても困るわけです。

2005/02/12 17:39:56
id:db3010ss No.7

db3010ss回答回数599ベストアンサー獲得回数112005/02/12 08:31:30

ポイント20pt

利己的な遺伝子 (科学選書)

利己的な遺伝子 (科学選書)

  • 作者: リチャード・ドーキンス
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • メディア: 単行本

死の壁 (新潮新書)

死の壁 (新潮新書)

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • メディア: 新書

リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」

生物は遺伝子の乗り物であって、生物は自分と似た遺伝子がより多く生き残るように行動するべくプログラムされている、と主張しています。

同胞がよりよく生きて子孫を繁栄させることができる可能性が高いのであれば、自己犠牲的に行動に出るのが遺伝子にとっては合理的であると考えるのです。

「美しく生るためには死をも厭わない」というのは、この考え方から派生すると解釈できます。

家族はあとに残るものがしっかり面倒見るから心配しなくていい。同胞が窮地を脱するために、美しく生きて自己を犠牲にしよう、ということですね。

養老孟司「死の壁」

「Q.なぜ人を殺してはいけないか」

「A.もとに戻すことができないからです」

自殺も一種の殺人です。

前者の意見にも説得力はありますが、自分の意見は後者ですね。

id:hkt_o

自殺はいけないのである、とする。では自分が生き延びるために他者を殺すのはどうか。

7回答まできて、「ひかりごけ」などの作品が出てこないことには、少し驚いています。

2005/02/12 17:41:44
id:nachtzug No.8

nachtzug回答回数65ベストアンサー獲得回数12005/02/12 12:25:56

ポイント30pt

奉教人の死 (新潮文庫)

奉教人の死 (新潮文庫)

  • 作者: 芥川 龍之介
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • メディア: 文庫

羅生門・地獄変 (小学館文庫―新撰クラシックス)

羅生門・地獄変 (小学館文庫―新撰クラシックス)

  • 作者: 芥川 龍之介
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • メディア: 文庫

「奉教人の死」

「羅生門」

どちらも芥川の作品ながら、質問中の前者と後者の設定にばっちり当てはまっていると考えます(「ろおれんぞ」が「死をも厭わず信教を貫いた」ところを、「美しく生きるために死をも厭わない」と解釈するのは拡大解釈でしょうか?)。

さて、理想とするのはどちらかということですが、質問中の「前者・後者」の設定ではどちらと明言することができません。しかしながら、この両作品には私の理想とするところが描かれています。それは、「死を厭う、厭わない」ということを超えて貫かれている意志、というところです。

まさに「俺も生きるためにはこうするしかない」と老婆の服を奪って走り去る下人、そして、「死」だけでなく、何をも厭わず神に殉じたろおれんぞ、どちらもきっぱりと、自らを貫く姿が描かれています。

「(醜くても)生き延びよう」「(たとい死のうとも)美しく生きよう」とする意志そのものが美しいのであって、結果死のうが生き延びようが、そんな違いはあまり本質的ではないと思っています。

逆に嫌だと思うのは、「(たとい死のうとも)美しく生きよう」と言っておきながらそれを守らない、守れない。中途半端に意志を曲げてしまうことです。

id:hkt_o

質問への回答としては満足です。なので、以下はお気になさらず。

私は「徹底する」ことの理不尽について、様々な場面で考えさせられてきました。中途半端はいけない、という意見は、総論賛成、各論反対となりやすい。それはなぜかといえば、徹底すればみなが傷つき、そして実りも少ないことがあまりに多いからであります。都合よく「頑固」だの「独裁」だのとレッテルを貼ってごまかす方が多いのですが、不徹底なら「中途半端に意志を曲げる」といわれるわけで、じつにつまらない。「中途半端はダメ」は万能の批判用語。この手のマジックワードには気をつけなければいけないと思っています。

2005/02/12 17:49:10
id:morningrain No.9

morningrain回答回数824ベストアンサー獲得回数22005/02/12 13:11:05

ポイント40pt

新・平家物語〈1〉 (吉川英治歴史時代文庫)

新・平家物語〈1〉 (吉川英治歴史時代文庫)

  • 作者: 吉川 英治
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • メディア: 文庫

野生の棕櫚 (新潮文庫)

野生の棕櫚 (新潮文庫)

  • 作者: フォークナー
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • メディア: 文庫

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

  • 作者: カミュ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • メディア: 文庫

前者、後者の考えが出ているものに『平家物語』があると思います。前者の代表例として、もっとも美しく描かれているのが平知盛。個人的には、平家物語の中では知盛が一番かっこよく、次に義仲、たいしてどうでもよいのが義経、という感じです。知盛の壇ノ浦で「見るべきものは見つ」といって死ぬ姿は平家物語のクライマックスといってよく、もし知盛が宗盛と同じように助かってしまったら、『平家物語』という物語がこれほど多くの人の共感を呼んだとは思えません。知盛の死に様は平家の栄華を美しく締めくくってみせた、という気がします。

同じ平家物語でも頼朝はやはり死なずに生き延びて正解ですし、常磐も清盛の愛人になるというのも、立場を考えると仕方がないですよね。

ですから、人の立場によってどちらがよいかというのは変わって来るという気もします。海老沢会長も頂点まで上り詰めた人だからこそ引き際も肝心、ということではないでしょうか?

後者の考えで印象に残ってるのは。フォークナーの『野生の棕櫚』という作品。2つの話が交互に語られる小説でその一つの「野生の棕櫚」では、医学生と人妻が駆け落ちし、やがて人妻は妊娠。医学生は堕胎手術を試みるが失敗して人妻は死に、医学生は逮捕される。そこに人妻の旦那がやってきて医学生に毒薬を渡し自殺を勧める。医学生は悩んだあげく、自分が死んでしまったら、彼女の記憶もなくなってしまうではないか、と思い、「悲しみと無の間にあって俺は悲しみを選ぼう」(このセリフの訳はここであげた文庫版ではなく、フォークナー全集のもの)と生き延びる決意をします。生きることによってある種の責任を果たそうとする態度です。

前者の作品でもう一つあげるならカミュの『異邦人』ですね。ムルソーは司祭の懺悔のすすめを断り、自分の一貫した態度を貫いたまま死んでいきます。ある種、自己に対する責任を貫いたと言えるでしょう。

個人的な理想としては前者です。「ただ生きている」ということにはあまり価値はないと思います。できれば自分なりの価値観を貫いて死にたいものです。ただ、他者に対する責任が残っているような状態(例えば、小さい子どもがいる)とかだったら、後者を選ぶかもしれませんし、その方が正しいのかもしれません。

id:hkt_o

「平家物語」はリライトされた短いものしか読んでいないんですね。もったいない。「野生の棕櫚」は知らなかった作品。気になる本のリストに入れておきます。「異邦人」は既読。

さて、ここまでご紹介いただいた作品群を見ると、たいてい、「生きる」ことに何か別の価値を付加しているようですね。そして主人公が生き残るのは、「生きる」場合のプラスと「死ぬ」場合のマイナスを比較して、前者が勝ると判断しているから、のように見えます。案外、「生きる」こと自体を至上の価値とする作品は少ない?

2005/02/12 18:01:13
id:maisov No.10

マイソフ回答回数18ベストアンサー獲得回数02005/02/12 13:51:59

ポイント20pt

海嘯 (中公文庫)

海嘯 (中公文庫)

  • 作者: 田中 芳樹
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • メディア: 文庫

馮道―乱世の宰相 (中公文庫)

馮道―乱世の宰相 (中公文庫)

  • 作者: 砺波 護
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • メディア: 文庫

 民政のエキスパートとしてどの王朝にも等しく仕え、その一生を自己肯定して恥じることのなかった代表が馮道。どうせ滅びる宋のために元と戦い抜いたのが文天祥。

 ちょうど私も(私が、というより職場が)煮詰まっていて、似たようなことを思うんですよ。で、私は馮道派。

 殉教するのはいいんです。でも発言の機会すらない周囲の人を、その人(たち)は巻き添えにするんですよ。美しいとうぬぼれていて実は醜い。それが私はいやでたまりません。

 これを貫くためなら私はどんな恥でも受ける、と言い切れる天職の立ち位置が、一番欲しいですけどね。

id:hkt_o

「海嘯」は既読、「馮道」は未読。

> でも発言の機会すらない周囲の人を、

> その人(たち)は巻き添えにするんですよ。

これは難しい指摘ですね。元に宋が滅ぼされても漢民族は滅びませんでした。被差別民となり、下層民族となったけれど、とにかく生きていくことはできたのだし、生活レベルについていえば、決定的な変化はなかったかもしれない。ローマ帝国に滅ぼされて奴隷となった国々の民とは違ってですね。

さてそうであるとして、元と戦って兵を無駄死になどさせず、さっさと国を明け渡してしまえばよかったのか、という話。あるいは現代世界についていえば、コソボでもボスニアでも東ティモールでもチェチェンでもいい。独立して何になる、何にもなりはしない。あるいはイラン革命をどう考えるか。なぜ世俗体制が打倒され、厳格な宗教政治になったのか。イラクと戦争まですることになったのか。そのために大勢が死んだのだけれど、私が一番気になるのは、果たしてそれが「巻き添え」だったのか、ということ。

これは重要なことだと思います。この質問の趣旨からはだいぶ外れてしまっていますが、気になったのでメモ。

2005/02/12 18:17:04
id:Stephan No.11

Stephan回答回数16ベストアンサー獲得回数12005/02/13 00:25:05

ポイント30pt

夜と霧 新版

夜と霧 新版

  • 作者: ヴィクトール・E・フランクル
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • メディア: 単行本

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)

  • 作者: 三島 由紀夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • メディア: 文庫

知と愛 (新潮文庫)

知と愛 (新潮文庫)

  • 作者: ヘッセ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • メディア: 文庫

「前者」の方が理想です。

(ただし、もしも「前者」が三島由紀夫的な意味の美しさでしたら、賛同できませんが。)

「知と愛」は、模範的で善に生きた男と、自由奔放に、悪をも経験して生きた男を対比した小説です。

悪に生きた男の方を「どんなに醜くとも生き延びる」という例として、この作品を思い出しました。

二人は互いに惹かれ合っており、どちらの生き方が

良いのかということをこの小説は示しませんが、

どっちつかずの作品という訳でもない気がしました。

どちらを「美しい」と感じるのかは読者の主観にゆだねられているので。

(ただ、一読者として私は、どちらか一方だけが100%美しい、とか、

片方は100%醜いとは思えませんでした。)

***

蛇足ですが、もし犠牲的精神や利他行動にご興味がおありでしたらば、

人生や価値観とは別の枠組みでの考え方ですが、「進化生物学」で

そのような研究があります。

ジャーナリスティックな本ではありますが、ダーウィン・ウォーズ(青土社)で紹介されている

George Priceという理論生物学者の話と研究は興味深いです。

利他主義を貫くあまり、自分の財産は人々にあげて

しまい最終的には貧乏と孤独の中で自殺します。

自殺の原因を知ることは出来ませんが、彼は、

利他主義の公式を導きましたが、それは人間の理想主義

に遺伝的根拠があるかもしれないことを示唆しており、

そして、我々の最善の努力も結局は幻想に向けられているという

ことを決定的にしたものだといわれています。

(利他主義が、「本当に」利己的だったり「本当に」

自分のためになるという通俗的な意味での利己主義の

反対ではないというのが、彼にとって悩ましい点で

あったようです。)

「利他行動」の研究は、進化ゲーム理論という手法により、

理論社会学でも研究が行われています。

もちろん、これらの研究で得られた結果と、人間の価値観は

別モノだと思いますが、非常に興味深い分野です。

なんだか、まとまらなくなりましたが、すみません。

id:hkt_o

なるほど。たいへん参考になりました。

以上で閉じたいと思います。

2005/02/13 09:03:33

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