子じゃなかった、事故だと思いたい。でもそれは本人にしか
わかりません。お葬式は田舎で身内だけということで
参加できません。お墓も田舎(かなり遠く)になるそうです。
私はどうしたらいいんでしょうか?仕事も何も手につきません。
人と話すのも嫌です。彼女は天国へ行けるのでしょうか、
私には何もできないんでしょうか、この気持ちにどう整理を
つけたらいいのでしょうか。経験のある人、教えてください。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/browse/-/1094430/250-6042...
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心中お察し致します。
高名な 精神医学者の野田正彰氏は、肉親や友人が死んだとき残された者は「ショック」「死亡という事実の否認」「怒り」「回想と抑鬱状態」「死別の受容」という5段階の過程を経る、と分析しています。
しかしながら、難しい小話よりもまずはあなた自身が気持ちを落ち着けることが必要だと思います。時間はかかるけれども、いきなり気持ちの整理をしようとはせず、自分自身のことを考えた方がよいでしょう。
時間が経てば亡くなった友人のことを少し離れた視点で見ることができるようになります。その壁を越えた先に安らぎが得られるように思っています。
友人のご冥福をお祈りするとともにまずはご自愛のほどを。
上記URLはダミーです。
自分の祖母でしたが、朝に笑顔で見送ってくれたのですが、帰宅時にはもう他界していました。突然死でした。
お仕事が休めるようでしたら、じっくり休んで、心の底から泣いてください。
また、彼女との関係のあった場所などに行ってみるのも良いかもしれません。
とにかく、彼女の事を無理に忘れようとせず、真正面に向き合う事が後々にも良いと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
私は祖父母もまだ健在で、身近な人を失ったのは初めてなんです;
心の底から泣く、っていってもまだ実感ないし、なんか認められなくて。
でも何も手につかず・・・;はてなで気を紛らわせている状況。
彼女と一緒に行ったカラオケでも行ってくるかな。
真正面から向き合うかぁ、なんか写真も見れないよヽ(`Д´)ノウワァァン!!
http://www.hatena.ne.jp/user?userid=yacy
はてな プロフィール
URLはダミーです。
このような質問をされるということは、その友人はあなたにとって決して軽くない存在感を持つ方だったことと思います。
自殺だったのかどうか、その友人が天国へ行けるのかどうか、そもそも天国があるのかどうかすら誰にも分かりません。「分からない」ことこそがyacyさんの今の気持ちを生み出している原因だと思います。
今は仕事が手につかなくてもいいと思います。整理する必要すらないのではないでしょうか。彼女との記憶を思い出しながら、泣けるだけ泣いてはどうでしょうか。
それでも「何かしたい」というのであれば・・・
例えば、あなたの友人(彼女を知っている人でもそうでなくても良いと思います)のうち、話を聞いてくれそうな人に今の気持ちや彼女との思い出を話してみると良いと思います。できればあなたの話に対してあれこれ意見をいう人よりも、聞き上手な人だといいかもしれません。ただ「話を聞いてもらう」というだけでも素晴らしいカウンセラーとしての役割を果たしてくれることがあります。
また例えば、あなた一人でお葬式を上げても良いでしょう。思い出の品を埋葬して(埋葬する場所が泣ければ、思い出の品を箱に入れて封印するだけでも良いと思います)なくなった彼女に思いを馳せてはどうでしょう。擬似的なものではありますが、あなたが彼女のことを思って行動を起こしたことには変わりないと思います。
私がこれまで経験した大きな死といっても母方の祖母くらいのもので、その際も多少ショックだったとはいえ「何も手につかない」という状態まではいきませんでした。
そういう意味ではyacyさんの気持ちを理解することはできないかもしれませんが・・・
ほんと。天国なんてあるかどうかもわからないんですよ。
私は無宗教な人間ですし。でも一般的に”天国”っていい場所らしいので?
それにすがるしかないような感じ・・・。。
誰かに話すのはやはり効果的ですよね。昨晩、夜中まで
共通の友人と話していたんですが、思い出話をするよりも、
二人でどよーーんとしてしまって;彼女のことを知らない人のほうが
いいのかもしれません。一人でお葬式もいいなぁ。ありがとうございました。
もしかしてこれでしょうか?
男性のほうは私の知人のお兄さんのようです。私はその肉親である知人のほうが心配でなりません。
私も数年前に友人が自殺しました。非常に未だに不可解です。落ち着いてはいますが、思い出すと何も考えられなくなります。時間をかけて心の整理していくという感じです。でも未だに信じられません。
ポイントは必要有りません。
いえいえ、違いますが、最近練炭やらなにやら流行ってますからねぇ・・
ほんと不可解。残された者は辛いです。
エイプリールフールは終わったので嘘ではないと思うけど、嘘であって欲しい。
URLはダミーです。
何か想い出を残すよいサービスでもご紹介できればよかったのかもしれませんが。
私も高校時代の親友を22歳のときに亡くしました。
私の場合、お葬式には参列することができ、最期のお別れもできたので心の整理ができたと思います。
最期のお別れができないと、お友達の死を受け入れるのはすぐには難しいと思います。
でも無理に忘れようとしたり亡くなったと思わないようにするのではなく、今はお友達のことをたくさん考え思い出し泣いてあげてください。
感情を抑え込まないように自然に徐々に気持ちの整理をしてください。
時間が解決してくれると思います。
私もそのときはたくさん泣きましたが、今は良い思い出としてことあるごとに友人のことを思い出します。
今生きていたら何してたかな・・とか。
そしていつか天国で会えたらいいなと思ってます。
やっぱりお葬式、っていうのは1つの区切りになるんですかね。
実は今朝、始発で行けば彼女に会えたらしいんですが、行く勇気がありませんでした。
行った方がよかったのかな・・・・
思い出を残すサービスかぁ、そういうのあるのかな。探してみようかしら。
無理に忘れるつもりも、亡くなったと思わないようにしているつもりも
ないんですが、実感わかないんです。でも色々考えてしまう、みたいな。
自分でもよくこの気持ち、説明できません。
天国で会えるかな・・それまで待っててくれるかな。
http://www.hatena.ne.jp/1112606062
人力検索はてな - 昨晩友人が死にました。死因は薬物中毒、でも自死するような 子じゃなかった、事故だと思いたい。でもそれは本人にしか わかりません。お葬式は田舎で身内だけということで..
URLはダミーです。
とても大切な人だったのですね。
心中お察し申し上げます。
今は何も手に付かないご様子、その気持ちはそのままにし、身近で手を合わせられる場所(自宅の仏壇や神棚・近所のお寺等)に行き、彼女のご冥福をお祈りしてください。
仕事が忙しくても、家庭の用事が忙しくても、今は心休める行動が必要です。
少しでは有るかもしれませんが、あなたの心は癒されると思います。
彼女のお身内の方々も、今は嘆き悲しまれ悲観に暮れている状態と思います。
早急に行ったりすることは避けた方が良いでしょう。(あなたと彼女とのお付き合いの程度は分かりませんが・・)
ただ、様子を見て、いずれ彼女のお宅とお墓参りには行ってあげてください。
きっと彼女は喜んでくれると思います。
今回のことは、あなたにとって人生の中でかなり大きな出来事だと思います。
自分と他人をよく見つめる機会が与えられたと思ってください。
そして、今後あなたは一回りも二回りも大きな人になっていけるはずです。
優しさや思いやりを忘れることなく、、、
今は、ただ祈るばかりです。
わずか一年の間に愛する二人の人を失った者より
近くに神社があります。そこに行ってくるかな。少しは何か変わるかな。
落ち着いたら、彼女のお宅には伺う予定です。彼女の好きなCDを持って。
彼女はどうしたら喜んでくれるんでしょう?「何で死んだんだよ」って泣いたら喜ぶ?
彼女のことを思い出すと喜ぶ?彼女にとって何が一番よかったんだろう?
もう全然わかりません。
一年間に二度もこんな思いをするなんて。Sweetさんもご自愛下さい。
Yahoo! JAPAN
URLはダミーです。
兄が突然事故死に近い形で死にました。気持ちの整理にはとても時間がかかりました。あまりにも突然で死に目にもあえなかった。
ゆっくりと時間をかけて整理して行きました。目の前のことをよくやっていくことで、誤魔化しました。残された人間が自暴自棄になったり、悪い方向に行ったとして先に逝った人間のせいにはできませんから、と思いつつ過ごしてきました。そのうち、時間が経ってきて気持ちの整理ができてきました。
自分の事だけですが、参考になれば。
そうですよね、先に逝った人のせいにはできない。もっともです。
やはり誤魔化しつつ、整理しつつ、時間が経つのを待つしかないんですかね。
誤魔化していいことがわかって、少し安心しました。
ありがとうございました。
人力検索はてな
人生には、日々の積み重ねの重みがあります。
たった一瞬の「死」という出来事ではなく、
その人の生きてきた積み重ねの方を見つめてください。
死に方を見つめるんじゃない。
生き方の方を見つめてほしいんです。
今はまだ、マイナスの彼女しか見えないかもしれません。
でも、彼女にもきっと色んな幸せがあり、
色んな喜びがあったはずなんです。
終わりの方でそれがマイナスの側に傾いてきたとしても、
それはおそらく長い人生の中での
短い期間であったに違いありません。
何か、彼女の足跡から、受け継いでください。
死後の世界が本当にあるのか、
天国があるのか、
それは誰にも分かりません。
でも、何かを受け継いでいく人がいる限り、
彼女の存在が無になってしまうことはありません。
もし本当に天国があるなら、
彼女はきっとそれを見て喜んでくれることでしょう。
私も去年、友に先に逝かれました。
一年経って、そう思うに至っています。
彼女が生きてきた道を振り返ることにします。
彼女が残してくれたもの、それは私たちに生きろということ
なのかもしれません。彼女ができなかったことを沢山して、
私たちが生きることで、彼女も喜んでくれるのかな。
私も昨年友人を亡くしました。
一番つらいのはご家族の方々です。
死因が死因だけになおさらでしょう。
ご家族の方が落ち着くまでは、そっとして
おいてさしあげることが何より大切です。
慌てなくてもいいではありませんか。
いつの日か、ご家族の方が落ち着いた折を見て、お墓参りに行きましょう。
気持ちの整理をどうつけたらいいのか。
ごめんなさい。難問過ぎて私にもわかりません。
ただ私はこんな風に考えました。
友人にとって一番大切だったご家族のこと、夢中だったこと、やり残したことの1つひとつを、その友人になり代わったつもりで、思いやってあげようと。
どうすればいいかはきっと友人の方があなたに教えてくれるはずです。
在りし日の思い出や天国のお友達に向かって質問してみてください。
そうすればおのずと道が開けるはずです。
つらいでしょうが、何とかそう思い込みましょう。
つまらない回答ですみません。
私が代わりにできることは、やっぱり生きることですかね。
それくらいしか思いつかない。
どこに声かけたら、届くのかな?って考えています。
私も若い頃、親しかった友人を亡くしています。薬物中毒ではなく病でしたが、その時は何故あの若さで死ななければならなかったのか、としばらく悔しい思いをしました。
その後、友人の家の近くに行った時には必ず線香をあげています。20数年経った今でも変わりません。
貴方もこれから彼女のために供養してあげることが大切だと思います。貴方が苦しいのは分りますが、それ以上に彼女は苦しんでいたはずです。
彼女の苦しさからすれば・・・。 供養して彼女を天国に導いてあげてください。
悔しかったり悲しかったり寂しかったり。
供養ですか・・それも大切ですね。
自分のことより、供養が先かもしれません。
でも実感わかない・・・認めたくない・・・
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URLダミーですみません。
あなたの筆跡からやり場の無い苦しみとお友達への気持ちが伝わるようです。
気持ちを整理しようと考えず、
感情を抑えず、まずは泣き疲れるまでなくことじゃないでしょうか。
あなたの心を癒すこと、そして、亡くなったお友達へ思いつく限りの手向けを考えていきましょう。葬式などは儀礼です。気持ちがあれば、お墓へ花を供えてあげることや、無宗教だとしてもお祈りを捧げることも出来ると思います。辛い出来事です。時間しか心を癒すものはないと思います。時間がたてば心は多少、癒されます。人はいつか死にます。その一緒に同じ時間を共有した人と合流する時がくるまで、忘れないであげてください。そう思うことにしています。
人はいつか死ぬんですよね。
それを忘れていました。
自分だっていつか死ぬんだし。
事故にあって、明日死ぬかもしれないんだし。
時が経つのを待つしかないですね。
その間に私も色々経験しながら、学んでいくんでしょうし。
ありがとうございました。
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URLはダミーです。
心中お察しします。
気持ちの整理のつけ方というのは、私も何年経ってもよくわかりません。
ひとつ言える確かなことは、あなたがお墓参りに行ってあげれば、たとえそれが今でなくて1年後でも、命日でもなんでもない日だとしても、ご家族は喜んでくれるということです。
亡くなられてから日が浅い間はご家族もきっとあなたに落ち着いて対応できないこととは思いますし、ご家族に無理にご挨拶をなさる必要もないかとは思います。
それでも、お墓にだれかが来たというのはお線香などから気配でわかるものですから、肉親以外の誰かが今でもその人を覚えていてくれていて、わざわざ足を運んでくださる。それだけでもとても嬉しいものです。
もし可能ならご自宅へ伺って仏壇に手を合わさせていただくのも良いかとは思います。その場合も、お話することが辛ければご焼香だけさせていただいて帰ってきても大丈夫だと思います。
また、お葬式や法事といったものは、残されたもののためにある儀式なのだなぁ、ということを肉親を亡くして初めて知りました。
ふしめをつけていくことで、現実となんとか向き合って折り合いをつけていかなくてはならないということが実感できるような気がします。
一昨年亡くなった友人のお墓は、私には少し行きにくい場所にあるのですが、なんとか時間を作り交通費を工面して、片道3時間強かけて、毎年お墓参りへ行っています。
やはりその日が近くなるといろいろと思い出して落ち着かない気持ちになりますし、行くまでは行きたくない気持ちも強いです。ですが、行くことで自分のなかで気持ちの整理がついていっていると思います。
行き帰りのあいだ、彼女の生まれ育った町を歩いているあいだ、ずーっと彼女のことが心から離れません。お墓の前に立つと、不思議と彼女に会えた気持ちにもなります。
なんだか長いだけの文章になってしまってすみません。
今はとにかく辛いと思いますが、少しでもお気持ちの整理がつくよう、お祈りしています。
そうですね、落ち着いたらお墓参りにも行くつもりです。
新幹線か飛行機じゃないといける距離じゃないっぽいんですが。
ご自宅にも伺う予定です。
残されたもののためにある儀式、ですか。
確かにそうなのかもしれません。
もう誰も失いたくないです。
みなさま、ありがとうございました。
少し落ち着きました。
「ショック」「死亡という事実の否認」「怒り」「回想と抑鬱状態」「死別の受容」
ほんとそのまんまです。。でも身内の方はもっと辛いんだろうなぁ、と思います。
バカっ、なんで逝っちゃったんだよ・・DVD返せよ!!
安らぎかぁ・・・いつになることやら。