真剣に考えてます。芸術とは社会性とか商業性とが地位と名誉と無縁であり、ただただ、魂の叫びを音、絵、動画、活字その他諸々の手段であらわした者であると思っているのですが、それで、生活できている、あるいは魂の叫びの活動を続けられている本当の芸術家はどこにいるのでしょうか?

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回答11件)

id:mugipan No.1

回答回数124ベストアンサー獲得回数4

ポイント13pt

自分の描いた絵が好きだから作品は絶対に売らないらしいですよ。

テレビでもたまに出演しているのをみますが、コメントを聞いてもただ単に絵を描くことが好きな人なんだなと伝わってきます。


親と同居しているらしいので、生活は出来ているようです。

id:Manami2005

あ、これは理解できます。売らないのですか…

知らなかった…

2005/05/09 23:12:55
id:inthegroove No.2

回答回数768ベストアンサー獲得回数6

ポイント13pt

http://www.nagabuchi.or.jp/

長渕剛 OFFICIAL WEB SITE <LIVE ON>

長渕剛さんなんかは該当しないでしょうか?

id:Manami2005

彼は社会的成功を収めてしまっているので、私的には商業主義に流されている気がしない事もありませんか?

2005/05/09 23:14:38
id:speedster No.3

回答回数767ベストアンサー獲得回数16

ポイント13pt

芸術家を志す人が、一般の人と同じようにやがて成人して家庭をもち生計を立てねばならなくなると芸術の純粋な部分を保持する事とのギャップに苦悩されるのでしょう。そうなるとそのような煩わしさ持たずにいられる人は幼い子供だけ、その幼い子供の表現する絵や歌だけがそれに当てはまるような気がします。

id:Manami2005

ある意味正論ですね。

2005/05/09 23:15:36
id:TomCat No.4

回答回数5402ベストアンサー獲得回数215

ポイント13pt

映画監督の槙坪夛鶴子さん、ご存じですか。

きっとたいていの方がご存じないでしょうね。

でも、この人はすごいですよ。

30年以上のリウマチ歴を持ちながら、

車椅子でメガホンを取り続けます。


作品も、生き方も、輝きまくっています。

魂どころか、全身全霊で映画に取り組む、

希有の映画人のお一人と言えるでしょう。

id:Manami2005

これは知らなかったです。作品も生き方も輝きまくっている。機会があれば、見に行くことにします。

2005/05/09 23:18:06
id:emmet No.5

回答回数192ベストアンサー獲得回数14

ポイント13pt

http://www.infoseek.co.jp/

【インフォシーク】Infoseek : 楽天が運営するポータルサイト

商業性と無縁で、生活が出来てる


Manami2005さんの提示された条件がすでに矛盾してます。


本当の芸術家 というカテゴリをManami2005さんがどうとらえるか?ではないでしょうか?


社会性と無縁というのも良くわかりませんが...仙人みたいな生活をしてることが条件なのでしょうか。


ある人は村上隆をアーティストといい、

またある人は彼をアーティストではないと言う。

それだけのことだと思います。


別に誰かに右へならえ、とするものじゃぁないですものね。

id:Manami2005

商業主義にながされる作品がはたして、芸術といえるでしょうか?それは、例えば、単なるプロパガンダに利用される第三帝国のヒトラーの偽なる芸術、まがいものではないでしょうか?確かに本当の芸術家というものを定義できる事なぞは不可能だとは思います。しかし100人につんくは芸術家か?と聞いたら80人がNOというでしょうね。

2005/05/09 23:24:13
id:PaulYamamoto No.6

回答回数113ベストアンサー獲得回数2

ポイント13pt

http://u-air.net/kanagawa/newsletter/sakai1.htm

�����h���A���I���ۂɂ‚���

僕が20世紀最大の芸術家だと思っている

モンドリアンと、ウォホールを紹介します。


彼らの絵に「魂の叫び」を感じますか?

http://www.campbellsoup.co.jp/ourcompany/himitsu_03-main.html

�L�����x���̃q�E�~�E�c

芸術が「魂の叫びである」というのは不純です。

芸術は美しさのためだけ、もしくは何かの新しい表現のためだけにあるのです。


http://www.momat.go.jp/Honkan/Gogh/

東京国立近代美術館:ゴッホ展 孤高の画家の原風景

ゴッホは生涯、孤独と貧困に苦しんでいたのは有名ですが、

同時に浮世絵やミレーなど数々の芸術を相当研究していたようです。


ゴッホの「魂の叫び」が彼の絵を見る人の心うつのではありません。

というより彼が純粋に絵画技法を研究したからこそ、

自分の「魂の叫び」が画面から伝わるようになったのではないでしょうか?


芸術は、社会性とか商業性とか地位とか名誉とか「魂の叫び」とかとはまったく無関係です。


「魂の叫び」であっても醜いものは醜いし、

商業的であっても芸術的なものはたくさんあります。

id:Manami2005

なるほど…この視線からは私はゴッホが真なる芸術家ですね。

2005/05/09 23:26:45
id:honeyaudio No.7

回答回数5ベストアンサー獲得回数0

ポイント13pt

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334781888/250-8215010-...

Amazon.co.jp: 芸術と青春: 本: 岡本 太郎

失礼ながら、ご質問の前提= 芸術とは社会性とは無縁 =というのが、ちょっと極端というか、誤解を含んでいると思います。

20世紀最大の「芸術家」パブロ・ピカソは、「芸術家として成功する秘訣は、なるべく若いうちに社会的に成功することだ。そのようにして私は自分の好むように創作しつづけることができた。」という言葉を残しています。

また、一見下種なようでも名声と芸術も必ずしも無縁とは言えないと思います。ポップアートなどはその典型かと。(長くなるので省きますが。)

一見、矛盾するようでも、社会性、商業性と自己の為す創作活動を両立させてこそ、芸術も本当に成り立つのではないでしょうか?少なくとも、成り立たないことを始めから目指すのはただの自己満足に過ぎない気がします。


例えば岡本太郎さんの「芸術と青春」をぜひ。

芸術というのが決して浮世から足を離したことではないことがよーく伝わるかと思います。

無礼がありましたらおゆるしを。

id:Manami2005

いえ。異論反論が聞きたかったもので。ポップアートは芸術か?と問われると?な部分もあります。それと、商業主義に迎合するものが、果たして芸術と認めてしまったら、例えば現代のJ−POP界で売れているものが芸術となってしまいませんか?

2005/05/09 23:32:59
id:yaguchi_m No.8

回答回数98ベストアンサー獲得回数12

ポイント13pt

http://ja.wikipedia.org/wiki/芸術:detail]

社会性も商業性も地位も名誉とも無縁な芸術なら、それは誰の目にも触れられないというのとほぼ同義だと思うのですが。


なぜなら作品が発表されれば、どんな形であれ、社会とのつながりが出るので、社会性が生じるのです。

また、その作品が例え少数の人間にでも売れるのなら、商業性が無いとは言えなくなります。


したがってそんな芸術家がいるとするならば、山奥や地下室に閉じこもり、あらゆる集団から孤立している人だと思います。


当然、作品を発表しないので、それでは生活できません。

id:Manami2005

活動した結果が、結論として商業的成功にむすびついているのであれば、そんな芸術もありだなと思いますがはなから、商業的成功を目指して作成されたものが芸術とは思えないのですが…

2005/05/09 23:35:36
id:shampoohat No.9

回答回数347ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

http://comic.2ch.net/comic/kako/1002/10024/1002432874.html

�����ꖟ���ƁE�R�c�Ԏq��

id:Manami2005

読んだことあります。彼女の作品は好きではないのですが、芸術に値するものだと私は思います。

2005/05/09 23:36:58
id:yoyan No.10

回答回数178ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/worst/spaceman/plan9.html

最低映画館〜プラン9・フロム・アウタースペース

もう亡くなりましたが彼は真に芸術を目指していました。

しかし恐ろしいほど才能が無かった。

彼の言いたいことはまったく伝わりませんでした。

しかし彼ほど映画を、芸術を愛する人間はいなかったのです。

彼の生涯は「エド・ウッド」という映画になりました。ぜひ見てください。

あなたとどこか共通点がある気がします。

id:Manami2005

そうですか。才能とは果たして何なんでしょうね?大衆性ですか?

2005/05/09 23:37:46
id:kurupira No.11

回答回数2369ベストアンサー獲得回数10

ポイント12pt

http://toriyamac.hp.infoseek.co.jp/

激安・格安パソコン!お得ネット

私の今まで知っている限りでは、生活の糧とし

商業的に芸術活動している人しか知りません。

名を知られていると言うことはそれで生活していると言えます。

たぶん無名の人の中に、本当の芸術家と言える人が

居るのかもしれません。

id:Manami2005

そういう人を支援する非営利団体があればいいですね。結論;芸術家たるもの、自分の生活はさておき先ずは心に響いたものを表現するもの。それが商業主義に流されないという前提であれば、自分の信念を貫く限り、自分の心に表現したいなにかが心にある限り、それは芸術家と呼ばれる、そう解釈します。

2005/05/09 23:42:43
  • id:emmet
    なんで〜?

    商業主義か、否か の二択しかないの〜?
    さらにヒットラー...

    そんなにハッキリ区別できるものではないでしょう?
    ...(苦笑)
  • id:shampoohat
    Re:なんで〜?

    自分的には、
    > なるほど…この視線からは私はゴッホが真なる芸術家ですね。
    が、回答者の述べた内容を汲み取っていないように見えて、???でしたが、emmetさんのご指摘:

    >商業主義か、否か の二択しかないの〜?
    >さらにヒットラー...

    で、吹きそうになりました。

    >そんなにハッキリ区別できるものではないでしょう?
    >...(苦笑)

    たぶんですが、「社会的困窮」と「芸術家の姿」を重ね合わせることをしたいのだろうと感じました。
    # 自分の回答は、ふと気づいたタイミングで、質問文をみて想像したものをいれてあります。

    でも、好意的に受け取れば、ですが、彼が「考えることの練習」を一生懸命しているのではないかという気もしました。仮に考えることが、まず、知っている単語をつむぎ合わせて作られる喃語のような文をつむぐことを原始段階として発達するのであれば、彼は少なくとも考えることの初期段階には、いるのではないかと思うのです。

    # 「ポップアート」は、その言葉を知らなかったようです。
  • id:yoyan
    Re:なんで〜?

    彼にとっては「売れているもの」「認められるもの」は商業主義なんです。
    言い換えれば「認められないもの」「売れないもの」こそ真の芸術であり、自分はそれであると言いたいのでは無いでしょうか。

    「才能とは大衆性ですか?」にお答えします。
    認められなければ、伝えられなければそれは芸術ではありません。
    技術のない独りよがりの作品は嘲笑されるだけです。
    ただ、救いが有るとしたら、それでも何年かしたら誰かがその「良さ」をわかってくれる代物もあるということでしょう。
    ほんの一握りにも満たないでしょうが。
  • id:emmet
    芸術と言うモノを語るにあたり

    認められなきゃ、芸術ではないですよね。
    芸術かどうか、は第三者の目から観ての評価であって、本人のひとりよがりではない。

    だから、認められりゃ芸術になっちゃうということもあります。

    商業的作品であっても魂の叫びはありますもの。
    クラシックの楽曲にもたくさん、そういう作品がありますでしょう?
    書でもそうですし、詩もそうですね。
    魂が叫んでるとおもわせるチカラがあるもの...といいますか...

    いわゆるヘタウマな絵とか歌とかってありますけれど、アレは本気で下手なのではないところがミソなのであって...
  • id:libraria
    それらの条件を満たすには・・・・

    芸術に没頭するあまり困窮と生活苦の果てに亡くなり、死後認められるしかないのかな。
    ゴッホとかモディリアニとか。
    探せばいっぱいいるでしょうね。

    2へのレスで
    >彼は社会的成功を収めてしまっているので
    といういい方をしているのが気になります。
    結果的に成功を収めてしまってもいけないとは、厳しい。
  • id:shampoohat
    Re:芸術と言うモノを語るにあたり

    下記では、考察対象が「質問者」ではなく、「芸術」です。

    芸術という概念[art]が、原始的には「技巧」であったという事実(よくたしかめてないですごめんなさい)から、明白な「何かしら」はありますよね。

    誰だったかが、ラスコーの壁画について何か書いていたんですよね、多分バタイユじゃなかったような気がするんですが。うろおぼえの孫引きで、私が下記に記述するのがでたらめになっている可能性がありますが、
    ・直接生活の役に立つものではない
     → 水をためる、防寒をするなどの作用はない
    ・「感情を呼び起こす」ための作用をする
    がポイントだったような。

    >認められなきゃ、芸術ではないですよね。
    >芸術かどうか、は第三者の目から観ての評価であって、本人のひとりよがりではない。

    ここで、原始的な形態の芸術においても
    ・「感情を呼び起こす」ための作用をする
    ことに対して、感受側の存在が必要になるんですよね。

    >商業的作品であっても魂の叫びはありますもの。

    「色彩が叫び声をあげたエピソード」は有名ですしね……。
    彼を絵の下手な人だと思い自分と同一化しようとする人がいたら怖いですが、いるのかもしれないです。

    >クラシックの楽曲

    完全な蛇足ですが、「ワグナー」はどうするんだとか、突っ込みどころは多いと思うのですが、いえすみません。
  • id:teru2g
    Re:なんで〜?

    そもそも人に認められてこその芸術だと思うが・・・
    人に認められなければただのオナニーだよ
    浮世絵師として名高い葛飾北斎は、自分の作品を自分でプロデュースして成功を収めるという稀有の才能の持ち主で、商業主義の芸術家といって差し支えないと思いますが、誰も彼の芸術性を疑う人はいないよね?
  • id:croam
    Re:芸術と言うモノを語るにあたり

    >認められなきゃ、芸術ではないですよね。
    >芸術かどうか、は第三者の目から観ての評価であって、本人のひとりよがりではない。
    >
    >だから、認められりゃ芸術になっちゃうということもあります。

    そうなのかなあ、芸術というのは、作者本人が美なりを表現したか
    どうかという、活動の部分に尽きるわけではないのですか。
  • id:Kumappus
    一番最後のでちょっと笑ってしまいました

    無名の(自称)芸術家の非営利支援団体って…。
    一般のファンからお金をもらうのはイヤで団体からもらうのはいいのか…。それって単なる生活保護みたいなものなのでは。
  • id:Manami2005
    彼というのは私の事ですか?

     そんなことないですよ。大衆性だけが、商業主義に屈る事は商売であり、芸術ではないよ、と、こういいたいわけです。基本的に芸術なんてものは独りよがりのものであり、だが、それによって、人は救われたりする。元はとあるイラスト事務所で働いていた事がありまして、あまりの商業迎合主義にうんざりしたこともあります。まあ、これは、芸術でもなんでもなくてイラストレーターという商売であり芸術家とはまったく異なる職種なのですが…今は芸術でもイラストでも書く気になりません。書く気にならないときにかいた作品なんて屑同然なのですから。
  • id:Manami2005
    やはり反響が大きかったようです

     このことについて真剣に考えてはいるものの、所詮は言語ゲーム、この話で盛り上がりたかっただけです(失礼)。いわしの方にも良性のレスばかりなので、ほっとしました。時に才能=商業的成功には結びつけるのはどうかなと思います。「栄光なき天才たち」読んだことありますか?読んで字のごとくな漫画なのですが、社会に認められない才能もある事もあります。これを才能がない、と解釈するのはどうかと思うのですが…まあ、いろいろ参考になったし、自分のマイナス思考もある程度プラスのほうに傾いたので質問してよかったと思ってます。
  • id:tebas1970
    芸術はオナニーでもいい気がします

    アウトサイダーアートとか見てると
    完全に自己満足で誰に伝えようとしているでもなく作っている感じがしますが
    だからこそあんなに素晴らしい作品が出来るのかもと思います。
  • id:kekeke401401
    質問から12年ほど経っていますが、僕なりの意見を書かせてもらいます。
    もうこの問題について解決されているのかもわかりませんが。
    現在高校生です、僕もこのことについて深く悩んでいます。芸術とは何か?分野も様々ですが、根本的に自分が考えていることを追求していくもので、何か人に訴えていくことが根底にあるのか、はたまた自己満足の世界なのか、そこの区別も難しい問題だと思います。今の社会、ある程度の社会的な保障を受けて生きていくためには最低限のお金はないといけないことも少しずつ分かってきています。しかし商業的な意味を理解し出すと、そのために自分の感性を動かす、適切な言葉が思いつきませんが、そのための作品作り、の方向に走って行ってしまうような気がします。逆転です。しかし、有名な洋服ブランドでも、商業的な作品と、いわば大衆に受け入れられるモノと、本質的にいいモノ、コアな人に受け入れられる、商業的に得たお金で自分の追求したいものを作り出していることは在ります。
    日本人はバンドマン効果、大衆が良いと思っていること、人気のあるものに扇動されやすく、それがいいものだ、とする価値観を形成しています。したがって本当に良い本質をついているものはなかなか大衆に分かられない、違うものが素晴らしいと思われる世の中になっています。
    12年経ったいま12年前とは更に変わった世界になっています。
    SNSが発達し、誰でも芸術と一口に簡単に言える世の中、世の中になんでも発信しやすくなっている世の中、フォロワーが多いとすごい、要するにその価値観を助長しています。
    尾崎豊が叫んだように、この支配からの卒業。
    本当の意味での闘いをしていた人だと思います。
    彼も自由を手にしたかったんだと思います。
    少し話がずれていますが、本質的な心の持ちようは同じようなことだと思います。
    この世の中に疑問を持ち出したらキリがないところもあります。
    考えすぎないで、うまく生きていけたらいいのかなと思います。
    諦めたらダメなのはわかりますが、自分のキャパの中で身近なところにわかってもらえるようにすること。
    楽しいと思えることを増やす。
    恋愛をする。
    こんな当たり前が当たり前にできるといいのかなと思います。
    是非まだ回答していただけるのであればよろしくお願いします。
    人の意見を気にしない、ということは難しいですが、自分が満足出来ること、周りを気にしない、その世界で追求するものが芸術なんだと思います。
    生きてるうちに評価を得ようとするから疑問が生じます。
    偉大なものは没後にわかられることが多いのもそのためかと思います。
    自己満足がキーワードだと思います。
    https://youtu.be/tWTm5YuCn_A

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