http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%9F%E3%83%BC%E5%A4%A...
ジミー大西 - Wikipedia
自分の描いた絵が好きだから作品は絶対に売らないらしいですよ。
テレビでもたまに出演しているのをみますが、コメントを聞いてもただ単に絵を描くことが好きな人なんだなと伝わってきます。
親と同居しているらしいので、生活は出来ているようです。
彼は社会的成功を収めてしまっているので、私的には商業主義に流されている気がしない事もありませんか?
芸術家を志す人が、一般の人と同じようにやがて成人して家庭をもち生計を立てねばならなくなると芸術の純粋な部分を保持する事とのギャップに苦悩されるのでしょう。そうなるとそのような煩わしさ持たずにいられる人は幼い子供だけ、その幼い子供の表現する絵や歌だけがそれに当てはまるような気がします。
ある意味正論ですね。
映画監督の槙坪夛鶴子さん、ご存じですか。
きっとたいていの方がご存じないでしょうね。
でも、この人はすごいですよ。
30年以上のリウマチ歴を持ちながら、
車椅子でメガホンを取り続けます。
作品も、生き方も、輝きまくっています。
魂どころか、全身全霊で映画に取り組む、
希有の映画人のお一人と言えるでしょう。
これは知らなかったです。作品も生き方も輝きまくっている。機会があれば、見に行くことにします。
【インフォシーク】Infoseek : 楽天が運営するポータルサイト
商業性と無縁で、生活が出来てる
Manami2005さんの提示された条件がすでに矛盾してます。
本当の芸術家 というカテゴリをManami2005さんがどうとらえるか?ではないでしょうか?
社会性と無縁というのも良くわかりませんが...仙人みたいな生活をしてることが条件なのでしょうか。
ある人は村上隆をアーティストといい、
またある人は彼をアーティストではないと言う。
それだけのことだと思います。
別に誰かに右へならえ、とするものじゃぁないですものね。
商業主義にながされる作品がはたして、芸術といえるでしょうか?それは、例えば、単なるプロパガンダに利用される第三帝国のヒトラーの偽なる芸術、まがいものではないでしょうか?確かに本当の芸術家というものを定義できる事なぞは不可能だとは思います。しかし100人につんくは芸術家か?と聞いたら80人がNOというでしょうね。
http://u-air.net/kanagawa/newsletter/sakai1.htm
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僕が20世紀最大の芸術家だと思っている
モンドリアンと、ウォホールを紹介します。
彼らの絵に「魂の叫び」を感じますか?
http://www.campbellsoup.co.jp/ourcompany/himitsu_03-main.html
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芸術が「魂の叫びである」というのは不純です。
芸術は美しさのためだけ、もしくは何かの新しい表現のためだけにあるのです。
http://www.momat.go.jp/Honkan/Gogh/
東京国立近代美術館:ゴッホ展 孤高の画家の原風景
ゴッホは生涯、孤独と貧困に苦しんでいたのは有名ですが、
同時に浮世絵やミレーなど数々の芸術を相当研究していたようです。
ゴッホの「魂の叫び」が彼の絵を見る人の心うつのではありません。
というより彼が純粋に絵画技法を研究したからこそ、
自分の「魂の叫び」が画面から伝わるようになったのではないでしょうか?
芸術は、社会性とか商業性とか地位とか名誉とか「魂の叫び」とかとはまったく無関係です。
「魂の叫び」であっても醜いものは醜いし、
商業的であっても芸術的なものはたくさんあります。
なるほど…この視線からは私はゴッホが真なる芸術家ですね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334781888/250-8215010-...
Amazon.co.jp: 芸術と青春: 本: 岡本 太郎
失礼ながら、ご質問の前提= 芸術とは社会性とは無縁 =というのが、ちょっと極端というか、誤解を含んでいると思います。
20世紀最大の「芸術家」パブロ・ピカソは、「芸術家として成功する秘訣は、なるべく若いうちに社会的に成功することだ。そのようにして私は自分の好むように創作しつづけることができた。」という言葉を残しています。
また、一見下種なようでも名声と芸術も必ずしも無縁とは言えないと思います。ポップアートなどはその典型かと。(長くなるので省きますが。)
一見、矛盾するようでも、社会性、商業性と自己の為す創作活動を両立させてこそ、芸術も本当に成り立つのではないでしょうか?少なくとも、成り立たないことを始めから目指すのはただの自己満足に過ぎない気がします。
例えば岡本太郎さんの「芸術と青春」をぜひ。
芸術というのが決して浮世から足を離したことではないことがよーく伝わるかと思います。
無礼がありましたらおゆるしを。
いえ。異論反論が聞きたかったもので。ポップアートは芸術か?と問われると?な部分もあります。それと、商業主義に迎合するものが、果たして芸術と認めてしまったら、例えば現代のJ−POP界で売れているものが芸術となってしまいませんか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/芸術:detail]
社会性も商業性も地位も名誉とも無縁な芸術なら、それは誰の目にも触れられないというのとほぼ同義だと思うのですが。
なぜなら作品が発表されれば、どんな形であれ、社会とのつながりが出るので、社会性が生じるのです。
また、その作品が例え少数の人間にでも売れるのなら、商業性が無いとは言えなくなります。
したがってそんな芸術家がいるとするならば、山奥や地下室に閉じこもり、あらゆる集団から孤立している人だと思います。
当然、作品を発表しないので、それでは生活できません。
活動した結果が、結論として商業的成功にむすびついているのであれば、そんな芸術もありだなと思いますがはなから、商業的成功を目指して作成されたものが芸術とは思えないのですが…
読んだことあります。彼女の作品は好きではないのですが、芸術に値するものだと私は思います。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/worst/spaceman/plan9.html
最低映画館〜プラン9・フロム・アウタースペース
もう亡くなりましたが彼は真に芸術を目指していました。
しかし恐ろしいほど才能が無かった。
彼の言いたいことはまったく伝わりませんでした。
しかし彼ほど映画を、芸術を愛する人間はいなかったのです。
彼の生涯は「エド・ウッド」という映画になりました。ぜひ見てください。
あなたとどこか共通点がある気がします。
そうですか。才能とは果たして何なんでしょうね?大衆性ですか?
http://toriyamac.hp.infoseek.co.jp/
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私の今まで知っている限りでは、生活の糧とし
商業的に芸術活動している人しか知りません。
名を知られていると言うことはそれで生活していると言えます。
たぶん無名の人の中に、本当の芸術家と言える人が
居るのかもしれません。
そういう人を支援する非営利団体があればいいですね。結論;芸術家たるもの、自分の生活はさておき先ずは心に響いたものを表現するもの。それが商業主義に流されないという前提であれば、自分の信念を貫く限り、自分の心に表現したいなにかが心にある限り、それは芸術家と呼ばれる、そう解釈します。
あ、これは理解できます。売らないのですか…
知らなかった…