以下の3点を書いてください。
1, 選んだ歌
2, 自分の言葉による訳(←ココ重要!)
3, 好きな部分や、興味深い点のポイント
通説や学説とは違っていたとしても、自分のイメージや想像を交えた訳や、面白く曲解した訳などもお待ちします。
http://www.h7.dion.ne.jp/~turedure/main/waka.htm
�a�̂̕���_���q�S�l����
わびぬれば 今はた同じ 難波なる
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
元良親王(20番・後撰集
あなたを好きなあまり、どうしたらいいのかわからなくなってしまいまし。
こうなっては、どんな事をしても、あなたに逢いたい・・・。
ちょっと自分の境遇と重なるので思い入れがあります。
なりふりかまわずってのもいいかなぁ、と最近悩み中です。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bb%b0%b3%de
三笠とは - はてなダイアリー
1「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
2 夜空を見上げて月を眺める。すると見えるのは私の故郷の春日の三笠山に出る月と同じ月なのだなぁ。そう思うと懐かしい故郷が近く感じられる。帰郷はもうすぐ…ってこの句を詠んだ時はまさか帰れなくなるとは思わなかったなぁ(哀)
3 最後の一言明らかに余計なつけたしです(笑)安部仲麿が唐から帰る送別の宴に詠んだ句。こんだけ故郷のこと思ってるのに結局、船難破して帰れてないし。つくづく哀れな人です。個人的に、十八番の札なのですが、探す時に「みかさ・・・みかさ・・・」と呟いていると、無性に同名の和菓子が食べたくなります(笑)
>最後の一言明らかに余計なつけたしです(笑)
いえいえ、そんなのもっといっぱいつけてください。モクモクと勝手に想像しちゃったストーリとかも入れて欲しいです。
故郷の月と今見ている月が同じであるよ、ということを発見したということは、
普段の月は故郷の月とは違う月だったという視点もありかもしれないですね。
みかさはどら焼きと、ほぼ同義。ですか、へー。
みかさの方が上品な響きがしますね。
1.「君が為 春の野に出でて若菜つむ 我が衣手に雪はふりつつ」
2.あなたの為に若菜を摘みます。
雪は降っているけれど、全然平気!
だって、「あなたの為」なんだもの、この寒ささえも幸せ。。。
3.…どうしてでしょうね?何故だか、昔から好きでした。
「君が為」という言葉が一番最初に来ているから・でしょうか?
丁度誰かを好きになったりした時代に勉強していたからかな…
高校時代の百人一首大会では絶対他人に譲れない一首でした。
2.の訳は少しdisseminatemoonさんの感じ(?)がでていていいですね。
>絶対他人に譲れない一首でした。
というのもいいですね。
何で「若菜」なの?ってところが非常にいいです。調べたら「若菜」は七草で相手の健康を願ったのかもしれませんね。
普通、摘むんだったら「野の花」とかだろと思いますけど、「若菜」の後では不純にさえ感じますね。
「若菜」は相手のため
「野の花」は自分の気持ちを表現するため
かもしれないななんて。
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする[89/恋/式子内親王/新古今集]
魂と身を結ぶ絆よ、絶えるというなら絶えてしまえばいい。
むなしくひきのばされたように生きながらえて、
このかけがえない秘めた思いが薄まり、弱まってしまうくらいならいっそ。
たの頭韻とえの脚韻、刹那の情熱が相乗効果を出していると思います。
魂は天に憧れ、身との絆からはなれて飛翔しようとし、その激しさは身を焼き尽くす。
その激しさをうしなって抜け殻のようにいきるくらいなら、と。
訳いいですね。
頭のなかにイメージが自然にできます。
なるほど、韻もいいですね。それによるリズムも絶妙です。もう身が千切れてしまいそうにまで持ち続ける忍ぶ気持ち、いっきに刹那の情熱で歌に昇華したようです。
ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川
からくれないに 水くくるとは
by 在原業平
「とんでもない神代の昔から聞いたことがない、竜田川がVermilionの模様染めになるなんて!」
http://www.pointshop.com/Mall/Catalog/Product/ASP/product-id/494...
Cadmium Vermilion Red Light
「からくれない」というとどういうわけかVermilionという色(上記URLみたいな色)が頭に浮かんだですよ。
紅葉の葉っぱが水に浮かんでる情景を詠んだものなんでしょうが、その水面をすごくアップで覗き込んで、もう一面真っ赤な世界を目の前にしてるようなイメージがして好きですね。
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/chihayafuru.html
東西落語特選 ちはやぶる千早振る
ちなみに有名な曲解例(笑)。
「からくれないに…」の語感、なんてかっこいい色の表現なんでしょう。
落語では竜田川が人間(相撲取り)でしたが、この歌でも擬人化された使いかた、倒置も使ってスマート。かっこいいです。
http://homepage2.nifty.com/kahi/2627komatikahi001.html
2627小野小町(山梨県、三重県)
1.花の色は移りにけりな徒に 我が身世にふるながめせしまに(小野小町 作)
2.お花がきれいなのって短いなあ 私も知らない間におばあちゃんになっちゃたよ トホー
3.絶世の美女とうたわれた小野小町でさえ老いちゃったのなら、
一般人の我々は避けられないものであるに違いない。
仕方ないったら仕方ない。 と、達観できるようになるので好きです! トホー
トホーに凝縮されてます。
桜みたいに、季節変わってもう一回くらい咲くといいんですけど。人生に2,3回くらい、肌が若返り、きれいでスマートになるなんてことになると、世の中変わる気がします。2回目に向かってがんばろ、とか。
############################################
できたら、
・もっと鋭い切り口
・深い考察
・独特の世界
を盛り込んでください、その方がポイント高いです。
1.君がため 惜しからざりし 命さへ
長くもがなと 思ひけるかな
2.お前のせいだぜ
命なんぞ惜しいと思ったことはなかったこの俺が
無性に明日が欲しいと思うようになっちまったぜ
Oh my baby イェイ♪
3.「思ひけるかな」は、後拾遺集の古写本では
「思ひぬるかな」ですね。
どちらかというと語感的には後者の方が好きです。
若くして病没したと伝えられている藤原義孝の
この歌に込められた恋に、ちょっと思いを馳せてしまったりします。
そうですね、比べると「ける」だと少しつっかかる感もあります。
若人の恋は激しくも儚いですね。
1.人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける
(紀貫之)
2.あなたとのことはもう終わりですね。あんなに気にしていたあなたの心の中も、もう悲しいくらいどうでもよくなって…。でもあなたと昔一緒に歩いたこの街で、あの時と同じこの道で、あの頃と同じ花の匂いがしています。
3.私は前からこの二句切れの「知らず」が、何かを思い切ったすっきりした気持ちに思えてなりませんでした。そしてこれが恋歌だとしたら、これは未練の歌でも、まして心が離れかけた人の気を引く歌でも無いと考えます。
私には匂いというものは、いつも文字や映像よりも直接に深いところにある記憶を呼び起こすものでした。だからこそこの歌は、思い出は思い出としてゆとりをもって懐かしむことができた人の、新しく生きていく気持ちになれた晴れやかさが表現された歌に思えます。
昔付き合っていた人の「結婚しました」葉書が来た時に、素直に喜べた自分の心境にちょっと似ています。
まあ、宿屋の主人云々とか、そこらへんは捨象して好きに解釈しているだけですけど…
とっても良いです。
解釈はいくつもあるけれど、自分にとってはこの歌はこういう意味なんだという感じ。なんというか、歴史的事実を突きつけられるより、素直にリアリティを感じます。
そうですね、匂いは人間のより原始的な機能で、深部の記憶や感情と結びついている気がします。
少し引いて受けると気障な感じにもなりがちですが、花の匂いを思い出しながら歌を味わうとしっくり心に入り込みます。
ありがとうございました。
1.いにしへの奈良の都の八重桜けふここのへににほひぬるかな
2.かつての都、奈良に咲き乱れた八重桜。今日はここ京の都で、昔以上にうつくしく咲き匂っているようですね。
八重桜の九重の香りというところと、今と昔の都が出てくるあたりに、宮中の式典のために作られた歌ならではの巧妙さとゴージャスさを感じます。
というのもありますが、本当は一番最初に暗記した和歌の一つだからです。
うまいですよね。
「式典」の「巧妙でゴージャス」な歌。ひとつふたつ捻ったくらいじゃ、へーうまいねとその場でおわりますが、ココまでくると歴史に残っちゃいますね。昔の人はすごいなぁー。
その分、もう少し力入れて訳してくれるとよかったです。
【インフォシーク】Infoseek : 楽天が運営するポータルサイト
しのぶれど いろにでにけり わがこひは
ものやおもふと ひとのとふまで
誰にも言わずに内緒にしていたのに、
「なんかあんじゃないのー?」「いい人いるんじゃないのー??」
と言われちゃうほど、分かりやすいみたいだわ(汗)
中学生の時に百人一首に興味を持って、その時に、なにも解説を読まずにすぐに判ったこの句の平易な表現。
いまでもこの句を読むと、当時好きだった男の子の顔が出てきます。
片思いのままでした。
判りやすかったんだから、思いを伝えりゃ良かったなぁ...。
女の子の歌というイメージが湧きやすいですね。
でも実は男の人の歌というのが、私的に面白いです。敢えて「ものや思う」から恋の意味合いを除いて「何か思案しているのですか?」と問われたとしてイメージすると、「はっ!私があの人を想っていたことが…。いつのまにこんなにも想いが積もってしまったことか」と、忍んでいる「我が恋」の高まりが感じられます。
でも、今まで出てきた他の歌に比べると、すっきりし過ぎちゃって、凡庸にさえ感じるのは私だけでしょうか。他にも解釈の仕方あるのかな。
>思いを伝えりゃ良かったなぁ...。
まだ間に合うかもよ...。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/youzei.ht...
�z���@(�z���V�c) ���l����
1 筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
2 筑波山の頂上から流れる滴が集まり、みなの川の淵になっているように、私の想いも心から溢れ出るくらいに深まってしまいました。
3 みなの川が実は男女川と書かれる所がなんとも。
小さな想いがつもりつもって、というのが奇麗な感じがして、小学生の頃に初めて読んだときから好きです。
でも淵って泥がたまった淀みなんですね・・・さっき知りました。勝手に美化しすぎでしたね。
>泥がたまった淀み
とは限らないでしょう。辞書に載っていたんでしょうか。だとしたら場所を示そうとして書いてあるのかも。
「深い。水を深くたたえている所」という意味も。
実際、常に落ちる滝の下では泥は溜まりにくいのではないでしょうか、以前淵などもぐって見るたことありますが、石がいくらか溜まっていましたが泥はありませんでした。
自分の勝手な美化も、自信を持ちましょう。
男女川はなんかイヤ。「水無乃川」とも書くようでこちらの方が好きです。
水のない川が作った深い淵、恋のつもりもさぞ深かろうと察します。
峰から落ちて淵へとつもる、急降下がダイナミック。
逢ひ見ての 後の心に くらぶれば
昔は物を 思はざりけり
(権中納言敦忠)
あんたに逢うまでは、
なんも考えとらんかった。
今は、あんたのことばっかり
考えとる。苦しい。恋しい。
恋って、なんでこんなに苦しいんやろか。
強引な訳です。
好きな部分は
恋する前と後の対比?
昔をふりかえっちゃうところです。
逢ひを(1)出会う(2)会う(3)Hする(4)結婚するのそれぞれで(インチキ?)解釈を試みたことがあります。
(1)あなたに出会ってから世界は変わってしまいました。前世の意識がなくなってしまうかのように、私はあなたと出会って初めてこの世に生まれたのです。
(2)会ってしまったことで、想いはいよいよ焦がれます。今に比べれば、会う前の自分など何も考えていないのと同じなのです。
(3)(´-`)y━・~~ Hする前は、なんであんなに(;´Д`)ハァハァしてたんだろ?動物みたいに、なんにも考えないんだなぁ(笑。
(4)結婚する前は、よかったなぁー。でも、お互い相手のイメージを妄想しあって勘違いしていたわけで、現実的に通じあっていたかどうかは分からないんだけどね。
>恋する前と後の対比?
やっぱり恋をすると人はかわるんでしょうかね。
それまで自信満々でアグレッシブな人が恋した人の前では、右も左もわからない幼子のようだったり。
1.君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
2.本来の意味は「あなた(に会う)ためなら惜しくもないと思っていた命ですが、(あなたと会った今は)長生きしたいと思います。」のようです。しかし、省略されている部分を自分なりに付け足すと、「あなたのためなら惜しくもないと思った命ですが、あなたの無事を知った今では、あなたの為に長生きしたいと思います。」家族を思うお父さんの気持ちと読むこともできます。
私は関西在住ですが、先日の北九州の地震の際、妻と子供が福岡に行っていました。
阪神大震災も経験しており、新潟の地震の記憶も新しかったため、本当に心配しました。
携帯はかけてもつながらないし、NTTの震災ダイヤルをネットで調べても、まだ解説されておらず、アセりましたが、携帯のメールであっさりと連絡が取れ、無事を確認できました。
歌自体に時代背景が描かれていないため、現代でも通じる歌だと思います。
3.「君がため 惜しからざりし 命さへ」の部分です。
タンスの下敷きになっている2歳の息子を想像し、代われるものなら代わりたいと思いました。
オリジナルイメージ、良いです。
たしかに、愛する人を思う普遍のテーマかもしれません。
この歌は2回目です、初めてダブりました。
http://f19.aaa.livedoor.jp/~hard/data/details.php?choice=043
百人一首詳細 - かるた一病息災
1.逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり :権中納言敦忠
2.前からグッときてたんだけどさ、昨日の夜は最高だったよ。いままで躊躇してたんだけどさ、思い切って行ってよかったぁ、ああ、もう逢いたくなっちゃった。今晩も行っていいよね?
3.当時は通い婚が普通で気にいれば夜這いOKという自由な雰囲気がイイですね。高校の古文の時間に「逢う」ってなあ「ヤル」ことだとお爺さんの教師が熱弁してたのが思い出されます。
この歌も2回目ですね。
「逢う」=「ヤル」こと、ってのが古文の世界での常識でもあるらしいのですが、全くのイコールだと決め付けてしまうのは面白くないです。
なので12. のコメントのように4通りの解釈付けてみたんですよね。
言葉ってもともと意味の多重性があって、とくに限られた文字数の中で如何に拡がりあるイメージを求めたりする俳句や短歌の世界ではいろんなとり方があっていいと思います。
>夜這いOKという自由な雰囲気
ですかねぇ。意外と形式とか、和歌とか覚えないと断られちゃったりしてめんどくさいかも。
所謂「夜這いOK」的イメージに疑問符です。
http://homepage1.nifty.com/kasen-e/h062.htm
�S�l����62��(by����)
夜をこめて 鳥の空音は はかるとも 世に逢坂の 関はゆるさじ
清少納言
このサイトの清少納言がなんかネガティブ
なパワーを放ってて素敵です。
とても、口説かれた後のムードじゃないのがよいです。
浮ついた気持ちで誘おうとしても
私は心を開けませんよ
函谷関の関守は
鶏の鳴きまねに騙されて
門を開けました・・・・けど・・・・ね・・・・
↑というサイトの訳もいい味出してて、ステキですが、
私の訳としては、
私のこと落としたいならもっと気の利いた歌でも、詠みなさいよ。関守は鳥の鳴きまねにだまされたけど、私そんなバカじゃないし、そんな歌じゃ、関守だってだませないんじゃないかしら。出直していらして。百年早いんじゃ!!(このボケー!!)
という風に訳してみました。
下手な訳でごめんなさい。
> このサイトの清少納言がなんかネガティブ
> なパワーを放ってて素敵です。
そんなところを素敵に思うあなたが素敵です(笑。
夜明けの鳥の鳴きまねで誘われる短歌を歌われたら私は落ちてしまうかも、、って私は男だった。落ちない落ちない。
筑波嶺の みねより落つる みなの川 戀ぞつもりて 淵となりぬる
(13番 陽成院)
筑波山って、実はそんなに高い山でもないのだが、
広大な関東平野の中では唯一と言ってもいいほどの山である、
だから、そんな大きな山の上から流れてる川の流れを見ていると、
私の積もり積もった恋もその流れが溜まっちまったなぁ。。。
だったら伝えりゃいいのに。。。って、それが出来ないから想いが重くなっちまって、深い淵になってしまったのだろうなぁ。。。
いい加減、あの人に告白せねば。。。
自分の想いが醒める前に。。。
・・・と、解釈は、もうほとんど句のままなので、自分の訳もそんなに曲解できないワケですが(って無理に変えなくてもいいか(笑))、この句、小学生の時に無理矢理百人一首好きの教師に教わった最初の句なので、記憶が鮮明でございます。まあ、自分が生きている土地が筑波山のある茨城、というのもありますが。
好きな部分は、そうなるとやはり「筑波嶺」ですかね。「淵となりぬる」の「ぬる」という部分に何か言葉の響きの爽やかさ、を子供ながらに感じていたのを思い出します。。。
こんなんでどうでしょう?
訳は「思うように伝えられなくて」にひとつ独自な焦点がありますね。
曲解したのを教えてもらえるとうれしいですが、常套の訳でもいいのです。でも曲解や強烈な思い込みを書いてくれる人があまりいなくて少し残念。
ここで「筑波嶺」ですが。
「古代には、春と秋に男女が集まって神を祀り、求愛の歌を歌いながら自由な性行為を楽しむ「歌垣」として知られていました。」なあんてことも書いてあったりします。
歌のイメージ変わっちゃいますよね(怒、なんちゃって)。
http://www.ogurasansou.co.jp/hyakunin/013.html
でもだからこそ、その落差で「淵となりぬる」の「ぬる」が一層爽やに響くということで。
1,吹くからに 秋の草木(くさき)の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ
2,その風が吹いていくと、見る見るうちに吹かれた秋の草木がしおれていく。
その様はまるで、嵐の後の庭を見るようだ。
あぁ、成る程。
だから「山」の「風」と書いて「嵐」と読むのだな。
3,率直さと単純さがたまりません。
今でもちゃんとある漢字が、こんなにも昔からちゃんと成立していたんだなぁ・・・と。
過去と今を繋ぐ、変わらぬものを垣間見る思いです。
過去と今をつなぐ漢字の文化。
1.ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花のちるらむ
(紀友則/33番歌)
2.永遠に続きそうな光あふれる穏やかな春の日だね。
それなのに、どうして、そんなにソワソワとして、君は散り急ぐんだい?
3.枕詞「ひさかたの」が大好きなんです。
「光」に掛かるのは、すごく珍しいので印象的な和歌です。
しかも、この和歌は口に出して見るとわかりますが、とても言いやすいんです。
このリズム感が気に入ってます。
名残の桜の時期になると思い出す一首です。
散っちゃうんですよね。
でも、いつまでも散らない花じゃ惹かれない。
http://homepage1.nifty.com/kasen-e/h080.htm
�S�l����80��(by����)
1.長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ
2.この幸せが、ずっと長く続いてほしい。
そう願う私の思いとは裏腹に、私の黒髪はひどく絡みあってひどく乱れています。
朝櫛を通すたびに、それがこの恋の行く末を暗示しているようで、憂鬱になってしまいます。
3.色っぽいところが好きです。
なんだか、ため息をついている平安美女が目に浮かんでくるような生々しいところが好きなのです。
さほど色っぽい訳にはなってない感じですセーブしました?
絡み合う恋と、すんなりストレートな恋はどちらが良いのでしょうね。
http://www.hatena.ne.jp/1116335657#
人力検索はてな - 百人一首でいちばん好きな歌、思い入れのある歌を教えてください。 以下の3点を書いてください。 1, 選んだ歌 2, 自分の言葉による訳(←ココ重要!) 3, 好きな部分や、興..
君がため 惜しからざりし 命さへ
長くもがなと 思ひけるかな
「君のためなら命すら捨ててしまってもかまわないと思っていたけど
今は君と一緒に少しでも長生きしたいと思っているよ」
上の句のように求愛されて
二人で生きていくことを決めたら
下の句のように言われたいです。
まさに結婚する時に歌う歌ですね。
この歌は3回目、人気ですね。
「君がため」ってつかみがいいですもんね。
訳はまんまな感じです。
http://www.hatena.ne.jp/ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しづこころなく はなのちるらむ:detail]
1.ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しづこころなく はなのちるらむ
2.(冬休み明けの百人一首大会で)久しぶりに友則君に会って、心が静まらないよ~。
3.百人一首って小学生の時に覚えるでしょう?
好きな男の子が「友則」という名前で、この和歌の作者が「紀友則」だったので、当時はコレが読み上げられるたびにドキドキしていました。
今考えると、笑えますね。
http://www.hatena.ne.jp/おおえやま いくののみちの とおければ まだふみもみず あまのはしだて:detail]
1.おおえやま いくののみちの とおければ まだふみもみず あまのはしだて
2.「生野」に帰りたいけど、嫁いできたからには簡単に帰れない。大きい山があるようで、近いのに遠く思える場所だこと。
3.おばあちゃんが好きな和歌です。
おばあちゃんは「生野」(和歌の中の場所とは違って銀山のある方なんですが)の出身だから気になるんだそうです。
戦後、苦労したおばあちゃんの気持ちが少し解るような気がするので、私にとって特別な和歌です。
また、うちの家が「生野」を通り過ぎて天の橋立にいける場所なので、余計に親近感が沸くんだと思います。
>ひさかたの…
訳ってか自分の心の呟きですね。いいですね、好きです。
友則くんにドキドキしていた自分、少し恥ずかしいけど大事な自分。
>おおえやま
歴史的な歌の前後の文脈では、お嫁さん的ストーリとは随分違うようです。
でも、十分そのような訳をイメージできますよね。銀山っていうと「おしん」の?を思い出します。
「赤とんぼ」好きなんですが、その3番が近いですかね。
http://www.interq.or.jp/japan/k3j/children’s%20song/autumn%20song/akatonbo.htm
http://dir.yahoo.co.jp/Arts/Humanities/Literature/History_and_Th...
Yahoo!カテゴリ - 百人一首
1.わが庵は都のたつみしかぞすむ 世を宇治山と人は言ふなり ――喜撰法師
2.俺っちの家ってばさあ、都会の東南のずっと端っこだから鹿なんか出ちゃうわけ。俺的には静か―ここ駄洒落だからね、鹿にかかってるからね―で、いい暮らしだと思ってるんだけど、俺の事を引きこもりのウジウジ山なんて呼ぶ輩もいるわけだ(笑)。
3.まず「わが庵は」という冒頭が好き。なんてことのない自己紹介にも関わらず、厭世と自虐とロックの魂を感じます。
短い分の中にも、飄々とした風来坊な人柄がうかがわれて、センチメンタルな歌が多い中では新鮮に感じます。
訳は感じでてますね。
孤独?ではあるけれど自由人な感じがいいですよね。
1.しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで
2.今まで貴方への思いは必死に隠していたのだけれども、いつの間にか周りの人に知られてしまっていたようです。誰が好きなの?と人に聞かれてしまうほどに。
3.昔この歌を使ったおまじないがあったので、実践してみたことがあります(苦笑)好きな人とすれ違う時に心の中でこの歌をつぶやく、というものでした。効果は無かったんですけど。これで強く印象に残りました。男女関係ばかり(偏見ですが)の平安時代で想いを隠していたというのもなんか親近感が湧きますし、人に分かるほど顔に出てしまうのが微笑ましいです。一途で。私自身も恋愛感情が顔に出やすいのでこの歌に親しみを持っているのだと思います。
2件目です。
知らぬは本人ばかりなり、なんて。
でも、正直そのおまじないで相手に「私はあなたが好きだ」と伝わったところで、対処に困りそうですね。
なにか切欠も出来ればいいんでしょうけど。
http://www.pref.nara.jp/narakoen/
奈良公園へようこそ
古の 奈良の都の 八重桜 今日九重に 匂ひぬるかな
伊勢大輔
昔、奈良の平城京にあった八重桜が、今日、この京都の平安京にまで匂ってくるようだ
八重桜と九重との対比、そして京と今日をかけるという技法が好きです。
2件目ですね。
ポリフォニック感もいいですよね。
1、しのぶれど いろにいでにけり わがこひは ものやおもふと ひとのとふまで
2、誰にも気づかれないように心に秘めてきた想いなのに、閉じ込められなくなった想いが身体から溢れ出したかのように人から聞かれてしまうよ、「誰か想っているのか?」と。
3、昔読んだ本に出てきて、この歌を百人一首で初めて覚えました。その後学校で習い、歌合せで選ばれた歌、というエピソードも興味深いと思いました。
忍ぶ歌、というのは特に優れた歌が多いと思いますが、これは特別素晴らしいと思います。
3件目。
秘められた何事かというのは、何らかの理由があるんでしょうね。そこにアイデンティティや思いが隠されているようで惹かれます。
>想いが身体から溢れ
っていいですね。
体の中にとどめておけないほどに増してきた”気持ちの液体?”がもう満ちてしまう、なんてイメージです。
※URLは夕゛三ーです※
【歌】『田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ』 by山部赤人
【訳】太陽も月も雲も、富士の前では否定され、唯一肯定さるるは、白き雪のみ。
【ポイント】『えっ。訳なんか変やねぇ?!』と思われると思います。ですが、この歌、元々は
―――天地の分れし時ゆ 神さびて高く貴き富士の高嶺を 天の原 振りさけ見れば渡る日の 影も隠らひ照る月の 光も見えず白雲の い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける 語り継ぎ 言い継ぎ往かむ 富士の高嶺は―――
と云う、長歌に対する反歌です。私は反歌とは、長歌があってこそ深みが出てくると思っています。そんな想いから、敢えて↑のように訳しました(^-^*)
ちなみに長歌の訳は
――天と地が分かれるときから、神々しく高貴な駿河にある富士山の頂上を 仰ぎ見れば 渡る太陽の姿(影)をも隠し、照る月の姿(光)も見えない。白い雲も(太陽も月も)(富士の頂上を)渡るのを遠慮している。途絶える間もなく語り継いで行こう、(高貴な)富士の頂の事を・・・――
ガッチリした感じでいいですね。
ある種の信仰も感じます。
長歌の訳もありがとうございます。
長歌の末に、その内容を要約したり深みを持たせる対句としての反歌(短歌)。長歌にしても既に内容が凝縮されているが、さらにそれを凝縮したものとして短歌が成立した、的なことを教えてもらったことがありあます(内容、記憶違いしてるかもしれないけど)。
より深い深みを持たせる一つの方法として”長歌から読み解く”や、歴史的事実を考証するなどあると思います。
でも、その短歌のみからイメージできることは人によって色々あって、それも間違いではない。つまり、短歌という物凄い短縮形の詩により普遍性を増し、逆にもう一つのひろがりを見つけることもできると思います。
千年以上経っても、多くの人が歌を身近でリアルに感じることが出来る、とても素晴らしい財産ですね。
日本の象徴としての富士山に関連してこんなHPもありました。よろしくドーゾ。
①これやこの行くも帰るも別れては、知るも知らぬも逢坂の関/蝉丸
②正当な理由なくして関所を越えるため、行きも帰りも別々に行動をし、そこが大阪の関所であるということすら知らないという寂しい感じの内容の歌
③昔は県境を超える場合は、相応の理由がなければならず、理由がない場合は、このように離れ離れに行動せざるを得なかった。
グローバルとは程遠いですね。
でも、実はそれがそれぞれの土地で独自の価値を生み出していたのかも。
蝉丸さんの琵琶を聞いてみたいな〜。ベンベン♪
1.誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに
藤原興風
2.知り合いは皆さん向こうだよ。私を知る人なんぞ、もう、ここにはいやしない。
風に吹かれる砂のように、波に臨む砂のように、誰もが移ろい去りゆく中で、何故か私だけ・・・いや、この松の木か。
でも、こいつは奴らじゃあないからね。友ではないんだよ。
3.この質問をきっかけに、改めて百人一首を読み返しました。そして、あまりに現在の自分に重なる歌があることに驚きました。
意訳は多分に私情を込めております。私はまだ若いものの、人は世の中は変わりすぎる。かけがえのないものさえ、別離という未来を含んでいます。
でも、歌をよむ心は変わらないんだなあ。
返歌は「花ニ嵐ノ例エモアルゾ、サヨナラダケガ人生ダ」
ちなみに、実在の筑波山の男女の川は、ひっそりとして情感溢れる場所ですよ。
自然なリズムでしっくりと読み込める、よい訳だと思います。
松を友としてもよさそうなのに、しないんですね。おまえじゃあ、あいつの代わりにはなんないんだよなぁ、みたいな。
世は変わり人は離れても、変わらないものは何でしょう。記憶かな。
年取るにつれ(私もまだ若いですが)得るスピードより失うスピードが増してきた気がします。勘違いだといいんですけど。
いつかひっそり、みなの川でもぶらついてみますか。
一.
きみがため はるののにいでて わかなつむ
わがころもでに ゆきはふりつつ
二.
今日は突然の雪でびっくりしたね。季節は春だっていうのに。
でも春らしいものを見つけたよ。七草。
まだ寒い日も多いと思うから、七草粥でも食べて体あっためてね。
三.
なぜ好きなのか、まず一つ目の理由は、目に浮かぶ色彩がとても綺麗だからです。
ふわふわと大きくふくらんだ春の雪と、雪の下に透ける若い緑…雪の眩しい白や、
重なる色の微妙な変化、植物の緑、どれも大好きな色です。
二つ目の理由、この歌が恋愛の歌ではない(恋愛の歌とは限らない)からです。
私はまだ恋愛というものが良く分からないので、百人一首にも多い恋愛の歌は、
なんとなく馴染めない歌が多いのです。(小説やドラマなどの恋愛ものも楽しむ
ポイントが分からなくって…)
その中で同じように誰かを思う歌であっても、恋愛というよりは、ただ相手を思いやる、
気遣う歌があるのが嬉しくって好きだなぁと思います。
-----------------------------------------------------------------------------
既に挙がっているので遠慮しておこうかと思ったのですが、前のdisseminatemoonさんとは
違う理由(ある意味真逆・笑)ですし私がこの歌を大好きだということに変わりはないので
書き込ませてもらいます。
百人一首は学校で習うまで、まともに見たことが無かったので(坊主めくりで遊んだくらい・笑)
訳も同時に習ったので、自分なりの訳、という風にはなりませんでした。
そもそも言葉遣いも内容も分かりやすいですしね。
せめてものオリジナリティを!と普段メールで使うような文体にしてみました。
しかし旧暦・気候の変化・季節感の変化を考えると、ちと違う気もします…。
4件目。
同じ歌でいいんです、むしろ人によって違うので楽しいです。
訳を読んで、七草と手紙を頂いた気持ちになりました。
「春の雪」っていいですね。うっすら積もって、なんだか暖かみを感じます。
きっと、re_kiさんの恋愛は、そのような相手の健康を願うような自然な気持ちから始まって、恋愛の後にもまたそんな気持ちが残るのではないか…。というより残って欲しいという希望なのかも。
「恋愛は人生の秘鑰なり…」というほど強い力を持っていて、時に全てを押し流してしまいかねないほどですから。
1,めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな
紫式部
2,ときのめぐり合わせでせっかく会えたのに、本当にあなただったの?それとも私の幻?
それすら判らない間にあなたの姿は見えなくなってしまった。まるで雲に隠れる月のように。
3、『めぐり』『月』の縁語が綺麗なところ。
字余りにしてでも「めぐり逢いて」の「て」は重要ですね。余韻が断然違います。
ふむふむ。「て」で一旦止まってそれから、さらっと最後まできれいに流れるあたり、見事ですね。
相手は幼友達であるようですが、女性というのが定説なんでしょうか。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~heian/kenkyu/murasaki-sikibu/kas...
http://toriyama.main.jp/ocnet/
404 error
ひさかたの 光のどけき春の日に しず心なく花のちるらん
正確な約は忘れてしまいましたが、春の暖かい日に
人の気持ちも知らず桜の花が散ってしまうことを
もの悲しく歌っていると解釈しました。
好きな理由はこれしか知らないということもありますが、
歌全体が春の暖かい陽気と桜の花をイメージさせ、
音の感じも気に入ってます。
訳がないですね。
どんな「人の気持ち」で、なんで「もの悲しい」と感じているのか周辺が浮かび上がってくるような訳を期待しているのですが。
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
花の色が変わる。そして散ってしまう。
その時の流れがわからないほどになるのが恋愛。
花の色は うつりにけりな いたづらに
「いたづらに」という単語が好き。
この世の中はいたずらに何かが起きるから。
深いなぁ(笑)
2件目です。
恋をすれば、実際時間の流れも変わるんでしょう。同じ、1分1秒も自分の意識の持ちようで全く違うものになりますから。
切欠は「いたづら」でも結果は現実。
眺めているだけより、いろんな、いたづらを見つけると面白いかもです。
長雨に、お部屋の中で居たい気持ちも嫌いじゃないけど。
1春の夜の 夢ばかりなる 手枕(たまくら)に
かひなく立たむ 名こそ惜しけれ
2短い春の夜の、夢のようにはかない、たわむれの手枕のせいで
つまらない浮き名が立ったりしたら、口惜しいではありませんか。
3あまりみんなが覚えない歌っていうのが
一番大きいですが
語感と濁音が少ないやわらかい感じがすきです。
ソフトいちゃいちゃ感と羞恥心みたいな物も感じます。
語感はやわらかい感じですが、内容はストレートな感じもします。
みんなが覚えない歌に魅かれるのもいい趣味です。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C9%D9%BB%CE%BB%B3&...
国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書
たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきわふりつつ
田子の浦の波打ち際に出てみると真っ白い富士山の絶景が目の前にあった。
私は古語が苦手ですが、これはわかりやすく理解できるから好きです。
2件目です。
なんか、まんまですね。
もっとイメージを膨らませたりしてもらえるといいんですけどね。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/yrkmshrd/itigen.htm
�S���ꌾ�i���e�j
・筑波嶺の峰より落つる男女の川、恋ぞ積もりて淵となりぬる
・筑波山の峰である男体山と女体山からしたたる滴は男女の川となり、やがて深い霞ヶ浦となるように、私の許されぬ恋も、思い続けるうちに容易に抜け出られない苦しい境遇になってしまったのですよ。
・男女の川というのがポイントです。
因みに、男女の川の上流の湧水で栽培している北条米を食べてます(笑)あんなに細くて綺麗な川が霞ヶ浦につくとアオコだらけです。なんか現代だと恋愛のドロドロした感じが・・・って歌の趣旨が違ってきますね
3件目です。
>男体山と女体山からしたたる滴
ってなんかイヤだなー。個人的で申し訳ないですけど。
北条米おいしそうだな〜。
恋愛を川に例えるのは、結構いけそうですね。
恋愛は初め、細く清らかな清流から始まり、ふと山を駆け下るような急流の流れ。少し落ち着くと川幅も少し広がり曲がりくねりながら、浅瀬や三日月湖。水量増す下流では川によってはドロドロ、時に大雨のちに氾濫して周囲を巻き込み大災害、全てを押し流してしまう。最後は海に流れ込んでめでたしめでたし(?)。
とんだ趣旨違いでした。
全日本かるた協会
1。なげきつつ
ひとりぬるよのあくるまは
いかにひさしきものとかはしる
道綱の母
2。
あなたはこないと悲しみながら
一人しとねで寝ていたら
とうとう夜が明けました。
どれだけながく感じたことか
わかっていらっしゃるのでしょうか
(メロディは中島みゆき風に)
3。
私事ながら百人一首競技歌留多二段です(よわ!自慢できない!)
わたくし旧姓に「川(がわ)」が入っているため、
きまり字にg音がくるこの歌と
「なげけとて」「ながらえば」「ながからむ」
のセットはカモの札でした。
また、それと前後して新井素子さんの
星へゆくふねシリーズで感情移入したヒロインが
この歌を例にあげてしかし待つばかりでなく
行動するツマになる!という決意表明にしていました。
つまりいきなり反面教師として入ってきたベタな歌なのですが、
当時は中島みゆき的に、べたべたはべたべたのよさで流行ったんじゃないかと思われます。
どの歌もないと困る歌ですがmy歌留多道への導入のひとつということで思い入れがあります
>きまり字にg音がくるこの歌と
自分の名前に対する反応性ってやっぱり高いのですね。競技かるた有段者さま、思い入れもひとしお。
待つばかりでは嘆くばかりということでしょうか。
http://contest2.thinkquest.jp/tqj2003/60413/index2.html
���q���S�l����
久方の光のどけき春の日にしづ心無く花の散るらむ
春の日の光って、こーんなにのどかなのに、
何で桜の花は、こーんなにさっさと散っちゃうのかねぇ…。
もうちょっとゆっくりしてくれたっていいのに、
落ち着きがないったらないよねぇ?
毎年、年度始めで忙しくしているうちに、桜をのんびり見るまもなく、
散ってしまってるので(泣)、共感してしまいます。
恋愛の苦悩ものが多い百人一首の中で、少数派の「のほほん系」なとこも好きです。
3件目。
自然を歌ったものも良いですよね。
かささぎの 渡せる橋に おく霜の
白きをみれば 夜ぞふけにける
かささぎが渡したという天の川にかかる橋
その橋のようなこの階段に降りた霜の白さを見て
夜も更けてしまったのだと気がつきました
夏の神秘的な風情に心打たれました。
余談ですが、中1、2年と百人一首大会で1位をとったのですが、
結構忘れています・・・(´ヘ`;)
ちなみに現在高1です
「この階段」ってどの階段かちょっとわかりにくいかも。
千年以上もの昔から、空を見上げかささぎの羽ばたく姿をイメージしたものが歌に込められ残っていることも神秘的ですね。
この歌を読み、きっといくつもの時代の何人もの人が同じように空を眺めたのでしょうね。
1.春すぎて 夏来にけらし 白妙の衣ほすてふ天の香具山 持統天皇じとうてんのう
2.中学時代 唯一覚えものが、百人一首大会でとることができたから
3.春はかわいい色の服が着れるなーと思い、衣がすぐに浮かんだので、唯一覚えることができた。
百人一首大会出身者多いですね。わたしは大会経験なしです。
2、3が両方好きな理由になっちゃってますね。
季節の移り変わりに、色の変化が映えることがありますよね。今年の梅雨は何色かな。
1.春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山
2.
いつの間にか 春が過ぎて、夏が来たんですね。
蝶たちが その白い衣に陽射しを浴びようと
羽をいっぱいに広げて
新緑の香具山を輝かせていますよ。
3.
「てふ」は「ちょう」と発音するが「という」の意で、「干すちょう」は「干しているという」
と言う意味であって、
香具山で禊をした乙女たち事を歌ったというのは、知っているのですが、
私にとってはずっと、輝く新緑と、真っ白い羽を広げたちょうちょ達のイメージです。
子供のころ、姉達の遊ぶ百人一首に、見よう見まねで混じって、なにやら難しい歌のなか、
この歌だけ、頭に鮮明にイメージが浮かんだのを覚えています。
虫って、夏が好きだと思っていたので。
羽化したばかりの羽を乾かすため、日の光をいっぱいに浴びようとしている蝶や
夏の日差しを白い羽に反射して、舞う蝶
そして新緑
こんなのが頭に焼き付いて、それ以外の解釈がしっくりこなくなってしまいました(w
図らずも連続しましたね。
「真っ白い羽を広げたちょうちょ達」
いいですねー。こういうの待ってました!
新しい季節を感じて、白い羽をひらひら乾かす蝶の姿が、新緑に浮かびますね。
なかなかしっくりいって、強烈なイメージなので私もこの歌見るたびに思い出しそうです。
それにしても、お姉さん達と違い、一人頭の中に白いてふてふを飛ばしながら札を探す様子が、とてもかわいいです。
http://homepage1.nifty.com/kasen-e/h041.htm
�S�l����41��(by����)
1.恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか
2.恋をしてるらしいよ、な~んて噂がもう立ってしまった・・。誰にも知られずに、あなたを好きになった気持ちを抱きしめてるつもりだったのに。
3.平兼盛の「しのぶれど 色に・・」に負けた歌としても知られているところ。
判官びいきです(笑)
でもそんな地味さにも惹かれます。
私も、地味に良いものとか大好きです。
歌の内容も、言葉具合もよく考えられていると思うんですけど、一般受けはしにくい感じなのでしょうか。
自分がうすうす感じ始めたことを、他人にずばっと指摘されたりすると腹立たしくなります。それも恋の初めのやわらかな感触ことともなれば、ずかずか踏み込まれたならショックでしょうね。
クリック募金 _ クリックで救える命がある。
『大江山
いくののみちの遠ければ
まだふみもみずあまの橋立』
大江山のむこうの生野の道に行くには、遠すぎて、
かよわい私の足では天の橋立なんてとても踏めません。
だから母に会いに行くこともできず
母からの手紙も見ることができませんのよ。
あらあなた、私をからかおうとするくらいお暇なのね。
それならば…せっかくだから私をおぶって
大江山を越えて母の所へ連れていってくれませんか?
お前は母親に頼り切ってんだろー!!と言い残して逃げるイヤーな男の袖をつかみ、このような傑作を残した小式部内侍。
いじめようとしかけた奴を高度な技術で叩いた彼女に乾杯であります。
2件目です。
訳の最後の2行はしてやったりの駄目押し感がなんとも言えませんね。
古来より機知に富んだ日本女性に乾杯であります。
1. 音に聞く たかしの濱の あだ浪は かけじや袖の ぬれもこそすれ
2. あなた様も高師浜の仇波についてはご存知でしょう? それと同じように、色事では随分とご高名なあなた様のお情けには、決してわたくし、心惹かれたりなどいたしません。
だってそんな事になってしまえば、浮気なあなた様に泣かされて、それこそ仇波をさぶりとかぶったかのように、袖が涙でぐっしょり濡れてしまうことになりかねませんもの…
3. 歌い手の祐子内親王家紀伊は70歳にして、(当時としては天然記念物級のお歳)29歳の当時の名だたるプレイボーイでもあった中納言に歌合で艶歌を送られ、こちらの歌を返したんだそうです。
元々歳を取ったら『イキ』なお婆ちゃんになりたい、そんな風に考えている自分にはこの先歳を取っていく上での理想をぎゅっと凝縮した歌だと思います。
全体的に年上女の余裕が漂っているところなんか、もうたまりませんね。
「仇波」について相手が知っている事を前提としているところも、相手を袖にしながらもちゃんと立てているところが伺えます。
男女のやり取りを排した読みで、歌を鑑賞しても見事に成立しています。すごいですね。
その当時、もっとも頭が切れ教養ある人々が集まり会している様が、一つの舞台を見るように目に浮かびます。
1,いまはただ 思ひ絶えなむとばかりを
人づてならで言ふ よしもがな
2,
僕はもうあなたの前に現れません
あなたへの想いを絶ちきります
このことだけでも伝えたい
会うことができなくても
メールでもいいから
伝えたい…
3, 平安時代の文のやりとりと、今のメールのやりとりって似ているよなぁと思ったのです。
歌の訳としては「直接会って伝える…」ことを願っている、とするのが正統かもしれません。
似ているのは、縁の切れ目に思うことでしょうか。でも、いろいろな程度の差がありそうですが。
家の反対で別れる二人という舞台装置は、ロミオとジュリエットに共通点が見られるかもしれません。不幸な別れと、不幸なその後。
埋め合わせることの出来ない喪失って、あるよな〜。
1.長からむ心も知らず黒髪の
乱れて今朝はものをこそ思へ
2.夕べこの髪を他の男に乱させてしまったのは誰のせいだと思う?
あなたが愛なんて言葉を簡単に口にするから、私は乱れてしまった。
永遠なんてないことを知っているから
自ら壊してしまいたくなったの。
他の男に抱かれれば
あなたへの愛が軽くなると思っていた。
でも、それは間違いだった。
現にこうやってあなたの事を考えている
私がいるから。
3.実体験を元に訳しました。
その日の朝にこの歌と自分を重ね合わせ、
髪を乱した男と心を乱した男は実は別だったのでは?なんて相当勝手な解釈をしてみました。
(未だかつてそういう解釈をみたことはありませんが。)
女の執着心が髪の毛のように男に絡みついてしまわないように
男の気持ちが離れたときに取り返しがつかないことにならないように、
自分を抑制する女性のが目に浮かぶ気がします。
少し重い解釈ですが、女性の影の部分を歌っているこの歌が好きです。
2件目です。
力作ありがとうございます。現代にあっては、むしろこちらの解釈の方がリアリティがあるのではないかと私は思います。
経験をしてはじめて、皮膚感覚で感じることがありますよね。
そういう個人的な皮膚感覚は、なかなか他人に直接的に伝えることが出来ないけれど。
【春すぎて 夏来にけらし 白妙の
衣ほすてふ 天の香具山】
春が過ぎてどうやら夏がきたようだ。
夏になると白い衣が干されるという天の香具山に真っ白な衣が干されていることだよ。
季節の移り変わりをしみじみと歌っているこの歌が好きです。今の季節にぴったりなんじゃないかな?
3件目。
そろそろ梅雨のこの季節、「白妙の衣」は私的にはぴったりって感じじゃないですね。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sutoku.ht...
崇徳院(崇徳天皇 崇徳上皇) 千人万首
1.瀬をはやみ岩にせかるゝたき川の われてもすゑにあはむとそおもふ
2.どんなときも一緒だった、、今の分かれはわずか、またすぐに一緒になれる、まっててね、
3.もちろん恋の歌だろうけど、流罪になり、
京に帰ろうと思いながらも、せめてと、一所懸命に書いた経典すら受け取ってもらえなかった、、今となると京都に帰りたかった、と言う歌という風に思えてきます。今の大河ドラマ義経も当時の人は、崇徳院の怨霊のための異変となっていたんだろうなーと思います。
激しい流れを塞き止めるほどの激しさは、恋の歌の形をとった、恨み節にも思えます。
「またすぐあえるよ」「また次ね」なんてのは実現しない代名詞でしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/whitewood/
高校生のギモン【受験編】
URLはダミーです!
玉の緒よ 絶えねば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする
私の命よ!耐えれるなら耐えてみやがれ
しぶとく生きたら、この恋心ばれちゃうから
好きな部分:なんか純愛って感じが好きです!そして、とても読みやすい点です!!
こんなんでいいでしょうか?
2件目です。
ありです。でもまだ弱いですね。
忘れじのゆくすえまではかたければ今日を限りの命ともがな
儀同三司母
あなたが愛している(君のことは決して忘れないよ)といってくださるけれども、(人の気持ちは移ろいやすいもので)先のことまではお願いすることは難しいでしょうから、愛しているといってくださる、この幸せなときを最後に命を終わりにしてしまいたいものでございます。
==============
現代にも通じる共通の思いですね。
しかも、その頼りない先を頼りにもしてしまうんですよね~(苦笑)
永遠には続かないと分かってはいても、永遠に続くと思えてしまう気持ち。ありますよね。
もしかしたら、ほんとうに一瞬一瞬の中に永遠が含まれているのかも。
ちょっと野暮かもしれませんが数学的に、私のイメージはこんな感じの表現になります。
lim(1/t):t→0⇒∞
今この一瞬を、永遠に拡大してしまうような力が、人の気持ちや心に隠されているのかもと思ったりします。
==== ==== ==== ==== ====
私が12.のコメントで付けた訳も含めて50人分となりきりが良いので、質問を締め切りたいと思います。
回答を頂いたみなさま、ありがとうございました。ポイントは私の独断と偏見にて割り振らせていただきますが、ご容赦ください。
「3,」のポイントもわかるように書いてください。
訳がおざなりな感じで、いまいち思い入れが伝わってきません。
参考)
http://www.ogurasansou.co.jp/hyakunin/020.html
不倫発覚のときの歌のようですが、
身を滅ぼしても逢いたいというような気持ちは、あなたの文章からは感じられません。
実は、自分の気持ちがはっきりしていなくて、それに悩んでいるのではないのでしょうか?
今、立っている場所から一歩でも動いてみると、また違う道も見えてくるのではないでしょうか。