・真実 ・現実 ・事実 ・表象 ・具象
※『広辞苑 第五版』『LONGMAN Advanced American Dictionary』『goo 国語・新語辞典』『法律学小辞典』を一応確認していますので、辞書や用語集の単なる抜粋や要約はご遠慮ください。
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真実
1 うそ偽りのないこと。本当のこと。
また、そのさま。
まこと。「―を述べる」「―な気持ち」
2 仏語。絶対の真理。真如。
本当に。
確かに。「―情けない思いをした」
現実
いま目の前に事実として現れている事柄や状態。
「夢と―」「―を直視する」「―に起きてしまった事故」 理想。
事実 既成事実
すでに起こってしまっていて、承認すべき事柄。
表象 集合表象
個々人の意識において形成される個人表象と質的に異なり、個人に対して拘束力をもつ。宗教・道徳・思想・知識など。表象。社会表象。
具象
1 はっきりした姿・形を備えていること。具体。「―画」 抽象。
2 わかりやすく、はっきりと示すこと
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4882022974/249-5776791-...
Amazon.co.jp: 逃走の力―フーコーと思考のアクチュアリティ: 本: ジェイムズ・W. バーナウアー,James W. Bernauer,中山 元
URLはダミー
たとえば、ビンラディンの指導するアルカイダによる「9・11」の世界貿易センタービルの事件を考えてみましょう。
あれがアルカイダによるテロ攻撃であったことは「事実」です。そして、あの事件についてアメリカ合衆国の政府首脳がその攻撃の事実を事前に知っていたということがマスコミなどでよく言われることがありますが、それが「真実」かどうかはわかりません。しかし、結果として多くの犠牲者が出たことは否定しようのない事実であり、いまもその遺族たちが深い悲しみにとらわれ、心の痛手から癒えずにいることもまたどうしようもない「現実」です。
しかし、アルカイダが敢えてかくも残虐なテロ攻撃に走ったその背景には、米ソ冷戦体制終焉後のアメリカとイスラム圏との根深い対立という「現実」があるのもまた「事実」です。そしてアルカイダをはじめとするイスラム原理主義過激派集団による自殺攻撃は、パレスチナ人民をはじめとするイスラム教徒たちの怒りと抑圧をある意味で表象したものともえいるでしょう。青空の中、ジェット機がち超高層ビルに突入していくジェット旅客機のあの映像は、まさに衝撃の「事実」そのものを映した1個の具象としての映像ではありますが、TV画面などで繰り返し映し出されるその映像は、まさしく21世紀というこの困難な時代の幕開けをいやがおうにも象徴する1個の表象として、わたしたちのこころをとらえてはなさないのです。
わたしたちは人としての真実を見失うことなくその事実をよく現実をふまえて具象的なわかりやすいかたちで表現し伝達するとともに、わたしたちのそう行為自体が、すでにして何らかのかたちでこの時代の困難な現実を表象したものであることをしっかりと見極めることなしにはけっして真実をとらえられるものではないことをよく肝に銘じていかなければなりません。とかなんとか・・・・
長いたとえ話をありがとうございます。しかしながら、私の国語力では残念ながら理解できませんでした。しろうと考えですが、このたとえ話では、たとえば「事実」と「真実」を交換できる(とりかえる)ことができそうに思えます。この点をどのように説明されますか。
表象文化論 Culture and Representation
URLは参考程度です
2回目です。
それでは別の角度からたとえ話をしてみましょう。
「事実」は起こった事柄の身体です。
「真実」は(その事実という身体の)魂です。
そして「現実」は、その体や魂が置かれた状態や境遇全般を言います。
そしてその(実際に目に見える)(蝕知できる)身体の具体的なかたちが具象です。そして(その目に見える体から発しているオーラのようなものや、あるいはその体から感じられる何ものか、雰囲気が(「顕われ/表れ」という意味での)表象です。
ということで、先のわたしの長文御免の回答をお読みいただくと「事実」と「真実」が交換可能ではないことに思い当たっていただけるのではないかと思います。
まとめてコメントさせていただきます。
http://www.gengokk.co.jp/thesaurus/
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反意語を考えると判りやすいと思います。
事実⇔虚構
真実⇔虚偽・うそ
現実⇔空想・理想
表象⇔心象
具象⇔抽象
説明しやすいのは事実・現実・真実の違いで、その裏にあるのがウソ・虚構・理想によって使い分けることができますが、曖昧なままだと使い分けることができません。
①2番目の回答の例文であれば、9・11で貿易センタービルにジェット機が衝突したのは「事実」ですが、アルカイダの犯行であるかはまだ証明されていません。
②事前に政府首脳が知っていたかというのは「真実」なのかどうか判断が分かれるところです。
③世界の国々がイラクの復興を支援していますがまだまだ充分でないと言うのが「現実」です。
①で他の単語を使っていないのは、
①’世界貿易センタービルは世界有数の高層ビルとして現在もニューヨークに建っています。(明らかな嘘と判ります)
②’米国政府首脳は9・11の計画を知っていながらイラクの石油利権欲しさに故意に見逃した。(事実なら組織的な虚構です)
③’世界各地が復興支援の手を差し延べた結果イラク国民は平和で優雅な暮らしを送っている(これが理想)
まとめてコメントさせていただきます。
※urlはダミーです。
客観というものが自分の外に存在するという立場ならば、それを指し示すのに一番適当なのが「事実」です。
事実(fact)は主観(視点・立場)によらず、見えるとか見えないとかはあるかもしれませんが、たとえ誰にも知られなくても「客観的に」そこにあります。
例:「それでも地球は回っている」というのは事実を表明しています。他者の主観によらず、客観的にそれがあるのだという確信の表明だからです。
「現実」という言い方には、何かを見る(直面する)ものの主観が含まれています。「誰それにとっての現実」という使われ方・捉え方が本当は必要なのだと思います。
現実(reality)は客観だけではありませんので、理想などという主観的な言葉と並べても違和感がありませんし、感覚器官に信号などを送って「仮想現実」は作り出すことができます。ここまでいくと、客観の存在を前提にしなくても現実が認識されている状態と言えるでしょう。「仮想事実」という語は存在できません。
例:「専業主婦には働く女性の現実が見えていない」などというのは、立場の違いによって見える世界が違うということを言い表す言葉でしょう。各々の「主観的な捉え方の違い」以上のものではない気もしますが…
真実は、事実と現実のどちらとも重なる用法があると思いますが、それぞれと違う旨が述べられる場合もあります。真実と事実は違うという時は、真実に「客観性」以上の価値判断、人々が肯定せざるを得ないもの、真理とでもいうべき意味付けが密かになされているのでは?真実と現実が違うという時は、真実が主観を排した冷厳な客観として捉えられているときだと思われます。
真実(truth)を現実の対義として使う場合には、それは事実と重なってきます。また真実を事実の対義として使う場合には、それは価値判断を含むという意味で現実に近い用法であるとも言え、さらに現実を超えて万人に通用する(宗教的な意味に近い)真理を前提にする場合すらあるのです。
例1:「真偽判断をしなければならない」という用法での真実は、単純に客観的な真(事実)と重なるでしょう。
例2:「平和を求めるならば、非暴力による抵抗でなければならないという真実に気づく」などという言い方では、何か真理のようなものが前提にされていると思います。
具象とは、形のないものが形を取って具体的に現れている様を表します。本来的にはこれは転倒したものの言い方です。我々が目にするのは、まず何か客観的・具体的存在として現れているもののはずです。その「もの・客観」に対して、その由来・背景を考え、ある意味主観的に「形のない背景の何か」が形をとってこういうものになったのだと考えるのですから…。具象それ自体は客観的なものしか指せません。その意味で観念の対義語として使われる場合もあります。
具象という言い方が指し示すのは(何らかの背景に関する主観的な意味付けが暗黙のうちに前提されている)具体的な事物なのです。
これに対して表象(representation)は、背後にある「何ものか」が心の中に現れるさまを示しています。その意味では主観的・観念的なものを指す語です。哲学の「表象主義」では、心の扱う直接的な対象を表象(や観念・現象)と捉え、外的実体・もの自体には直接届き得ない心が、それらの写像として表象を用いていると考えます。
表象は、背後にある何ものかが心の中に表現されているという状態を言いますので、それ自体は観念的なものであり、主観の中にだけあるものです。
例:「平和という言葉で表象されるものを具象化して平和の像が造られた」ここでは表象が頭の中のもの、具象化されたものは外在する像という関係がおわかりになるかと思います。
※私は自分の用法として上記をまとめました。これを「客観的」に証明付ける(もしくは権威付ける)urlを探すことはちょっと…。その意味では「根拠なきあなた自身のご感想やご意見」ではないと言い切ることはできません。どれだけ説得力を感じていただけるかですね。
ありがとうございます。「真実」、「現実」という単語の用法に価値判断が含まれる、というのは私が期待していた答えです。しかしながら、もう少しすっきりとした、中学生でもよくわかるような定義であればよいとは思いました。わがままで申し訳ありません。
いちおう、原則的に翻訳語であって日本語としての、といっても西欧語の文脈を参照する必要があることをおさえておきたいと思います。
定義::
真実:まやかしや覆いの奥にある本当のことです。隠されているもの、発見されなければならないものだから、価値的に求められるものでもあるわけです。見出されるべきもの、という概念が基本です。ギリシャ語のアレーテイアの文脈なんかもあります。漢語の文脈でも、充填の真ですから、中身のことです。
現実:侵入してくるもの、降りかかってくることです。つまり、逃れられないこと、どうしようもなく向こうからこちらを規定する、外的条件のことです。
真実との対比で言うと、真実はこちらから求めるものですが、現実は外からたち現れるものです。
事実:実際に起きたということ、そしてその起きた事柄の内容が確定している物語が事実です。基本にあるのは、確定した、という「完了形」の意味合いです。確定した事柄だから、対象として語ったり、それをモノのように生活の中で行為の「対象」にすることができます。つまり、現実と違うのは、距離を置いて、主体と切り離した対象として、ひとつのまとまりを持たせたもの、という面です。、つまり、事件、事案、案件という行為や思考の対象という意味があります。
表象:なにか表されるものの代わりに、それに似たものとして、現われるものです。代わりである、というのが基本です。
具象:感覚的な「形」をもつ、目に見える、手で触れる、というのが基本です。感覚に訴える外的な姿かたちをもつ、ということです。
簡潔にまとめると、真実は発見されるべき本当のことで、現実は逃れられない条件で、事実は対象として捉えなおされ確定した内容を持つ物語で、表象は何かを代わりに表すもので、具象は目に見え手で触れられる形のあるものです。
使い分け::
真実はそれを知るために努力が必要で、それを知ることに価値があるときに使います。
現実はそれが避けられないことで、それを知ることで有利になるときに使います。
事実は何かの行為や考えの対象としてあつかったり利用したりするときに使います。
表象はそれが何か表には出ていないものの代わりをし、それを指しているときに使います。
具象はそれが考えや言葉だけではない感覚に訴える形や姿を持っているとき使います。
「事実」だけほかより未消化かもしれませんが、だいたいこんな感じではないでしょうか
↑ parodic dummy
真実:ぼくらが見てないもの「女ごころと飽きる頃」
現実:ぼくらが信じないこと「努力すれば報われる」
事実:ぼくらが知ってること「娘は強く、母は強引」
表象:ぼくらが思いつくもの「ヌード写真集の表紙」
具象:ぼくらが忘れないもの「ストリップ・ショー」
ユニークな回答ありがとうございます。
http://www.hatena.ne.jp/1118258555
人力検索はてな - 【日本語の使い分けについて(2)】つぎの単語について、平易な使い分けの例と、誰にでもよくわかる定義をお示しください。 ・真実 ・現実 ・事実 ・表象 ・具象 ※『広..
事実と真実について。
AちゃんとBちゃんがケンカしました。
Aちゃんは、Bちゃんが自分のおもちゃを使っていたので取り返そうとし、抵抗されたので叩いた と言っています。
Bちゃんは、置いてあったおもちゃで遊んでいたら、Aちゃんが横取りしようとしたので抵抗したら叩かれた と言っています。
二人とも嘘はついていません。
つまり、二人とも真実を述べているということです。
このように、真実とは見方や捉え方、立場によって如何様にも変化するものだと言えると思います。
また、この場合の事実とは、
・Bちゃんがおもちゃで遊んでいた事。
・Aちゃんがおもちゃを奪おうとした事。
・Bちゃんが抵抗した事。
・AちゃんがBちゃんを叩いた事。
だと言えます。
つまり、誰が見ても明らかな出来事です。
真実=主体
事実=客体・・・?なのではないかと。
すみません、なんだか書いてるうちによくわからなくなってきました・・・。
※根拠なきあなた自身のご感想やご意見の回答
にあたってしまっていたら申し訳ありません。
ちゃんと授業で聞いたはずなのですが(汗)
ありがとうございます。
(日常的な語彙のなかにも、丁寧に考えてみるとよく分からないものがあるもので、その点をご理解いただけたことに感謝いたします)
URLはダミーです。
私の答えられる範囲でですが、
定義としては、こんな感じでいかがでしょう?
真実:映画学における”焦点化0”、つまり、”何にも焦点を合わせない、意識を集中しない状態”で、
かつ、すべてを知った者のみが見知ることができるもの。人には手に入らないもの。
現実:現に起こっている事実や状況
事実:起きた事柄
具象:意識や思想を投影しないで見た、見たままの様子
例えば、空間の中に無数の点があると仮定したとき、
真実は、空間全体
現実は、点のなかで、より観測者や対象に近い集まり
事実は、点
具象は、観測者が、点の集まりの中から、特定の点に集中したり、他の点を仮想したりしない状態
表象は私はあまり使わないのでよく分かりません。
ありがとうございます。
とくに「真実」の定義がユニークですね。
Yahoo!辞書 - Yahoo! JAPANの辞書サービス
URLはダミーです。
・真実
話し手が正しいと思っている事。
・現実
目の前で起こっていること
・事実
目の前で起こったこと(過去の現実)
あるいは、何らかの形で客観性を持つ真実(証明された、観測されたなど)
・表象
直感的にわかる心の中のイメージ
例;赤い丸いリンゴ等
・具象
直感的である必要がない、あらわすことの出来る心の中のイメージ
例:ざらざらした味。褪せた青色等
真実、事実については話し手によって語彙が重なる点がありますので、上記の定義が完全に通用するわけではありません。
このような回答で宜しかったでしょうか? それでは。
類似の質問(1118258297)を終了したばかりですが、「※無関係なURLの回答、匿名掲示板の投稿のみに依拠する回答、想像、根拠なきあなた自身のご感想やご意見の回答はおことわり」します、と明示しているにもかかわらず、このような回答が続くのはなぜなのでしょうか。
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回答がこれ以上付かなそうですので、残念ですが終了させていただきます。皆様、ありがとうございました。
質問に「『広辞苑 第五版』…を一応確認していますので、辞書や用語集の単なる抜粋や要約はご遠慮ください。」と書きましたが、ご覧いただけましたか。