『山本権兵衛が観艦式で何気なく彼の奥さんの履物をそろえてみせ、それ以降奥さんの前職をとやかく言うものがなくなった。』

 伝記小説「海は蘇る」に登場するこのエピソードが実話であるか創作であるか判断できる材料を教えてください。

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id:hamao No.1

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最近出版された本ですが、山本大将の項で夫人の出自の話の部分もあるのですが、半藤氏と秦氏が遊女であったという話自体を事実ですかねぇなんて言っているくらいですから創作である可能性が極めて高いと思います。

id:toshi_nishida

 半藤、秦とやらの御両名が「事実ですかねぇ」と言ったかどうか知りませんが、奥さんが遊女であった件はブリタニカ国際大百科事典で「山本権兵衛」を引くと『1878(明治11)年5月帰朝した権兵衛は、12月津沢鹿助三女登喜と結婚した。登喜は越後の貧しい漁民の娘で、品川の遊郭に遊女として売られてきたのを足抜けさせて結婚したのである。』とあります。また「桜花文芸 60号 桜花文芸会 山本権兵衛首相夫人越後女津沢トキ小伝」(神田竹雄著)という小冊子には、遊女に売られた事情、親が受け取った金額、その後の実家と山本家の往来、現在の実家の様子、など詳しく調べて具体的に書かれています。この小冊子は図書館の検索装置で「山本権兵衛」で検索すると出てくるのです。また、「山本権兵衛」(山本英輔)という本では『この結婚については、つぎのような逸話がある。山本が海軍兵学校の寄宿舎にいたとき、近くの品川青楼に新潟の漁村から売られてきたばかりの可憐な少女を、弟や同僚と力をあわせ、脱出させたことがある。この娘が未来の山本登喜子だったのである』とあります。著者は山本権兵衛、登喜子夫妻の甥に当たります。奥さんが遊女であったかどうかについてはすでに結論があります。

 私の質問の件に戻ります。「海軍経営者山本権兵衛」(千早正隆)は、奥さんの出自については「肯定する資料も否定する資料もない」と慎重ですが、p.14には『新婚の夫人を乗艦に案内し、艦内の見学を終わってタラップを降りてボートに乗るとき、権兵衛が夫人の履物を持って先に降り、降りてくる夫人の前に揃えた』とあります。著者は元連合艦隊参謀ですが、巻末に『同クラブのメンバーに権兵衛の直系の孫の満喜子さんがいたのも幸いであった。私は彼女から祖父権兵衛の逸話等を聞くことが出来た。また、私の家内の父が権兵衛の長男清氏と少年時代からの友達であったので、権兵衛のことを調べるのに何かと好都合であった』と書いてあるので、あるいはこの本が出典のようにも思われます。

2005/07/09 16:56:37

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