いわゆる「読書感想文」を書いてください。


・重要:著作権を主張しないこと。
・重要:原稿用紙(20行×20字)で3枚または5枚。字あまりは禁止。2.5〜3枚または4.5〜5枚でお願いします。
・原稿用紙1枚(400字ではありませんので要注意)につき一律で140ポイント。
・1人でいくつ書いてもかまいません。
・どの本の感想かは必ず明示。
・他の回答者と同じ本でもよい。
・型破りで弾けた内容でもかまいません。

回答の条件
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  • 登録:2005/07/17 00:28:59
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回答(20件)

id:R30 No.1

R30回答回数17ベストアンサー獲得回数02005/07/17 01:28:54

http://www.ne.jp/asahi/ymgs/hon/index03_kansou.htm

�Y�߂����N�ɘN���I�Ǐ����z���͂P�s�ǂ߂Ώ������I�@�ڎ��y�[�W

読書感想文というのはですね、本についてではなく自分について書くものなのです。

だからあなた以外の人が書いたらそれはあなたの読書感想文ではないことがばれてしまうのです。

http://dokkan-id.hp.infoseek.co.jp/index.html

���쌠�t���[!![���R�Ɏg�����Ǐ����z��]

それでもどうしてもコピペだけで切り抜けたい、ということであれば、

こちらのサイトから「坊ちゃん」でも「羅生門」でも「蜘蛛の糸」でも、

好きな感想文を好きなだけコピペしてくださいな。

id:hkt_o

私は社会人であり、単に大人が書くいわゆる「読書感想文」を読みたいということです。ただし、回答を転載したいので著作権を云々しないでいただきたいということです。これでご理解いただけましたか。

2005/07/17 01:32:26
id:elixir No.2

elixir回答回数429ベストアンサー獲得回数12005/07/17 01:56:55

 原稿料or謝礼が一枚140円ってのはいくらなんでも馬鹿にしていませんか。

id:hkt_o

別に仕事を頼んでいるわけじゃないから。

ブログに書評を書いても1円にもならないでしょ。「読書感想文」風に本の感想を書いたらポイントを出しますよ、といっているわけです。私の意図はご理解いただけましたか。

2005/07/17 02:20:59
id:tacn_nontan No.3

tacn_nontan回答回数511ベストアンサー獲得回数12005/07/17 02:04:03

ポイント378pt

風と共に去りぬ / ミッチェル[著] ; 大久保康雄, 竹内道之助訳

世界文学全集 ; 86-88(3冊分)


「風と共に去りぬ」を読んでの感想文。

(1000字以上あります。2.5~3枚に相当)


入学試験、就職活動、恋愛、賃金、名誉、家族や、自分が属する団体・国への愛着。

私たちには、常に人よりもより優位に立ちたいという気持ち・本能があります。

それは、より確実に自分の生命を維持し繁栄させていくことに繋がるからです。

そして、その生存競争は常に厳しいものです。

現代・過去・未来、どんな時代でも、その競争の厳しさは同じなのでしょう。

どう生きるのか、本当の人間の強さ・女性の強さとは何か?考えさせられる物語でした。


スカーレット16歳~28歳までの人生においての

社交界、大儀、南北戦争、結婚、出産、子供と大人、生と死、貧困、餓え、金、経営、家族、虚栄、真実、嘘、裏切り・・・そして儚い愛の夢を、人生のすべてを現実的・心理描写豊かに描いた壮大な物語でした。


私には、スカーレットの心、そのものが悲しい戦争に感じられました。

社交界で礼節と戦い、戦時中は兵士と戦い、

戦争後も餓えと戦い、結婚してもその夫・男性と戦います。

自らが女性であることとすら戦っていました。

相手を傷つけ、自分で自分を切り刻み、休まる時も知らなかったのでしょう。

彼女は女戦士で、彼女には戦うことしかなかったのです。


戦うこと、常に他人より優位に立つこと、競争に勝つことがすべてでした。

そして、さらに彼女は戦うときに最大の魅力を発揮します。

果敢に戦う彼女は、本能をむき出しにした野性動物のようなキラメキがあるのです。


しかし、女は戦うには非力すぎました、フェアに戦えば、負けるのは目に見えています。

だから、彼女は、計算された卑怯な手段を使います。

女性は非力だから、卑怯にならなければ、男性や社会に勝つことはできません。

彼女は愛する家族や自分を傷つけることさえ、やってのけてしまいます。

すべては、常に自分が優位に立ち、競争に勝つためにです。

傷つけ、傷つきながら痛みに耐えて、いつか勝ちさえすればいいのでした。

すべては、戦争だったのです。


しかし、戦争は何も得られず産みだすことはできないのです。

勝っても、負けても・・・、残るのは破壊と自らの幸せの破滅だけでした。

全てを失い、戦い疲れた女戦士は、タラの大地に帰っていきます。

故郷で、再び戦うための鋭気を養うのではなく、

本当の強さ・幸せをきっと故郷で見つけることができると祈らずにいられません。


人間の本当の強さとは、生存競争に勝つという、本能だけでなく、

自分の弱さを認めたり、他人の弱さを受け入れる、理性にあるのだと思います。


→ちなみに私は既婚の20代女性です。

妊娠してヒマだったので2月ごろに読みました。

id:hkt_o

どうもありがとうございます。20字×54行 で3枚弱、378ポイント差し上げます。

読書感想文らしさ、って何なんでしょうね。「いいこと」を書くとそれっぽくなるのかな? 書き方指南のサイトはいくつかありますけど、「読書感想文らしさ」を解説したサイトを私は知りません。

某所で本の感想を書くサイトをやってた時期があるのですが、毎日原稿用紙1〜5枚分程度の感想を書けてしまうわけです。昔、読書感想文を書くのには、あんなに苦労したのに。じゃあ今なら簡単なのか? と思ったのですが、やっぱり「読書感想文」は書けませんでした。何を書こうとしても、どこかひっかかってしまって、言葉が出てこない。イメージにとらわれているだけなのかもしれませんけど、やっぱりウェブサイトに書く本の感想は読書感想文にはならないような気がするんですよね……。

なんでかなー、というあたり、考えていきたいな、と思っています。

以下、使えそうにない感想文の例(私が書いたもの)。

「母さん」28行

私は冷たい昔から両親に何かプレゼントするということがなく、誕生日も結婚記念日も、そもそも覚えていない。薄情なものだ、と思う。小学生の頃は、私が何も腕白なことをしないので、私の母はよその男の子のお母さん方からさんざん羨ましがられたというが、いいことばかりではないのだった。

そんな私が、今年は珍しく母の日のプレゼントをした。164さんの人気サイト「母さん http://mother.cside.com/」から生まれたフォトブック、「母さん」(洋泉社)をあげたのだ。内容は164さんの傑作集で、つまり他愛のないお笑いの本なのだけれど、母がとても喜んでくれたのでよかった、と思う。

「新 フリテンくん1」50行

植田まさしの「フリテンくん」は、「かりあげクン」「コボちゃん」などと異なり、固定キャラものではない作品集です。固定じゃないといったって、あの絵柄だから一定数のキャラクターで話を動かしているといってもよいわけですが。

ところで、本書の奥付を見て驚きました。2002年2月18日とあります。へ〜、続いていたんですねえ。読売新聞の「コボちゃん」が植田まさし作品だということをすっかり失念していたわけですが、あれももう7700回を越えている……私が生まれた頃に始まったということでしょうか。

産経新聞の「サラリ君」は8000回を越えていますが、西村宗は「サラリ君」しか仕事をなさっていない。しかも「サラリ君」の単行本は4冊きりしか出ていないんですね。いいご身分ですね、というか、さすがにそれはないだろうというくらいのサボりっぷり。西村宗の一日という特集がいつだったかにあったのだけれども、毎日毎日、1作ずつ書いているのだとか。書きだめはできないのだそうで、毎日バイク便で新聞社へ送っているのだとか(この辺はちょっと記憶が曖昧/違ってたらすみません/でも「書きだめができない」というエピソードははっきり覚えています)。

これと比べると植田まさしは凄い。Amazonで調べてみたら、「コボちゃん」はもう60巻にもなっているとか。平成の「サザエさん」という呼び名は伊達じゃない。私の実家には「サザエさん」の第1巻がありますが、べらぼうに面白いですよあれは。中学高校の学校図書館には「いじわるばあさん」が全巻そろっていて、これも自習時間に笑いを堪えて読むことがついにできなくって、先生に睨まれたものでした。「コボちゃん」がそこまで面白いかどうかはともかくとして、毎日毎日書いているものが、全部単行本になって売れるだけのクオリティーを維持しているというのは見事なものですね。

ふつう、ギャグ漫画家は続かないといわれていて、とくに4こまなんてのは効率が悪いものだから、そうそう本が出るものじゃないんです。植田まさしはAmazonで取り扱っている商品だけで218点というから、いやはや、化け物ですね。

「化石の森」61行

新潮社は数十年前より不定期に純文学書下ろし特別作品を刊行している。箱入りの上製本で、本体が布で装丁されているのが印象的。いかにも高級な感じなのだ。私は純文学にあまり興味がないので、筒井康隆「敵」くらいしか読んだことがない。ひょっとすると、文庫化された作品のどれかが特別作品の出身だったかもしれないけれど、文庫になってしまったらもうわからない。

1973年に石原慎太郎が世に問うた「化石の森」は、純文学書下ろし特別作品だった。現在、新刊書店では買えないのだが、新潮社オン・デマンド書籍の販売で購入することができる。上下刊で6300円はさすがに高いと思って、近所の古書店へいって100円で買ってきた。多少、箱に疵はあるけれど、本文を読むのに支障はない。特別付録の江藤淳と石原の対談(話題はもちろん「化石の森」)もついていたので大満足。

しかし気になるのは、高級な造本だというのに、箱につまらない宣伝文句が印刷されていることだ。芸術選奨受賞なんて書いてある。調べてみると、1973年の芸術選奨文部大臣賞受賞を受賞していて、石原のあまり多くない受賞歴の中でもひときわ重要なものであるらしかった。しかし「化石の森」は平気で人を殺す人間を主人公とし、その人間性を肯定的に描く作品である。文部大臣の名を冠する賞を授賞したのはブラックユーモアの香りがするけれど、じつは反道徳的な文部大臣賞受賞作は世の中にごまんとあって珍しくもないらしい。

石原は1968年に参議院議員選挙の全国区で史上最高得票当選を果たした。その後、初期の作品に目立った政治青年的主張が抜け、文学作品としての質が向上したといわれる。「化石の森」の執筆には5年を費やしたというから、まさに政治家・石原慎太郎の最初の5年間と表裏をなす重要な作品なのだ。

もうひとつ、「篠田正浩監督・東宝映画化!」なんて文字も刷り込まれている。ご丁寧にもゴシックの赤字だ。今時なら、帯で済ませるだろうに。30年前には勿体無いことをしたものだ。(ふと、今年はじまったミステリーランドの箱にも宣伝文句を印刷したシールが貼られていて愕然としたことを思い出した。たぶん、そういうことをする人とは「何に潔癖になるか」という感覚がずれているのだと思う)

「映画化!」で気付いたのだが、この箱、全面が映画の広告になっている。表も裏も、画質を落としてパターンに擬態しているが、素材は扇情的なスチールなのだった。ううむ、と唸った。香月泰男という装丁家の名前を覚えておこうと思う。この人の装丁には要注意。

「日常茶飯事」98行

いくらなんでもこういうマンガまで読まなくてもいいんじゃないかと思った。こういうのはやっぱり、そういう趣味の人が読めばいいんであって、私が読んで感想を書いても一種の冷やかしにしかならないというか何というか。まあ、やっぱり面白かったんですけど(そればっかり)。

本作は4こまマンガ集です。小学館キャンパス文庫に挿まれた「しおり」に連載されたものをまとめて、それだけではページが足りないので小説JUNEに連載された旧作をセットにし、Palleteに掲載された小説もオマケにつけたという豪華(?)な本。

興味深い趣向だなあと思ったのが、旧作のマンガにいちいち「それをいっちゃあおしまいよ」みたいなコメントが添えられていたこと。連載当時にもついていたのかもしれませんが、ありそうでないですよね。一種のネタばらしであり、作品世界を相対化して茶化す反則技でもある。で、私が思うに、やっぱりこういうのは「あったら面白いよね」という冗談にとどめておくべきだったんじゃないかな、と思いました。打ち合わせの段階ではバカ受けしても、実際にやってみたら白けてしまう趣向というのはたしかにあって、これもそのひとつではないかと思いました。

ついでにオマケの小説について。「放浪のプレゼンター」というタイトルで、内容は長く苦しい修行を続けてきた16歳のサンタクロースが、初めて実践に臨むというお話。深夜、誰にも気づかれずに枕元にプレゼントを置いてくるなんてのは、一流の忍びであるサンタクロース一族にしかできない芸当なのだ! という世界設定。

例によって異様な世界観にありがち価値観が持ち込まれて、ようするにふつうの展開になります。両親は仕事が忙しくて、子供は寂しい思いをしています。「物」の贈り物を拒絶されたサンタクロースは、親子の絆を回復させるために一肌脱ごうと決意し……。

ふと思うのは、このお話では子供は非常に幼いという設定になっているわけですけれども、そうではなくて、例えば小学生とか中学生の場合にもこういうお話を書く人がたくさんいますよね。でも、ちょっと考えてみると、親が思うほど子供って、精神的に親を必要としていないと思いませんか?

私は物心ついた頃には「お父さんって、なんだか苦手だな」と思っていて、子供と関わりを持とうとする父親から逃げ続けていたように思います。キャッチボールとか、将棋とか、父親は基本的に週末は仕事だったんですけれども、たまに私と休みが重なると、何かと遊びの相手をしようとしてくれるわけです。これがどうも嫌だったんですね。いつもというわけじゃなくて、たまにはそれが楽しいこともあったけれども、基本的には迷惑だなあと感じていた。

母親は子供の遊びの相手をしようとかそういうことはあまりしない人だったので、父親よりずっと好きでした。ブロックやプラモデルみたいなもので戦争ごっこやっているのを、「**しよう」とかいって邪魔しなかったから。もちろんそれだけの理由ではないのだけれど、それもひとつ重要なことだったよなあ、と思う。

親子の会話なんてことをいうのだけれど、だいたい親の話したいこと、聞きたいことと子供それは食い違っていて、身勝手なことを書くならば、子供が話したいときに話を聞いてくれること、子供が聞きたいことを話してくれることが大切なのであって、親側の都合でコミュニケーションをとろうとしたってうまくいきっこない。無口な子は、じつは本当に無口でいたかったりするわけで、それを無理に話させようとしたってダメなんじゃないのか。

家庭のことを省みなくてごめんよ、みたいなことを父親がいって、メデタシメデタシとなる物語は少なくないのだけれど、かつて「お父さんの休日」が憂鬱だった私は、なんだかなあと思うのでした。

「ハッピーマニア」45行

何でも読みます、というのが身上だといっても、実際にはかなり偏っているわけで。とはいえ、ときどきふいに違うものを求めたくなるんですね。で、まあ、たまにはこういうのも……。

読後の感想を述べると、うはは、やっぱり面白かった。いつも「面白かった」「楽しかった」と書いていて、我ながら節操ないなあと思うのだけれども、そこそこに定評のあるものを読んでいるのだから、そんなにおかしなことでもないような気がする。でもまあ、こういう本は続けてたくさん読む気にはなれなくて、結局そういうのが読書傾向に表れてくるのだろうな。1冊ごとの感想と、全体の読書傾向の対応は今ひとつはっきりしないところがある。好きなジャンルの作品ならクズ本でも「いい」と思う、というわけでもないしなあ。

ところでこの作品、表紙のどこにも「第1巻」とか書いてないから、これで完結しているのかと思ったら、どうもそうではないらしい。でも、これで完結でもそれはそれでいいような……。物語も一区切りついていることだし。

本作のあらすじは、彼氏がほしい重田カヨコはイケメン男に遊ばれてばっかりで、ちっとも振り向いてもらえない純朴青年タカハシの心痛が絶えない、というもの。全編、そういうエピソード。重田は「幸せになりたい」と願っているのだけれど、たぶんふつうの読者は「だったらタカハシと仲良くなればいいじゃん」と思うのではないか。露骨に、そういう構造を強調しているように思う。つまり、何だかんだいっても結局はこうなるんでしょ、という落としどころがあからさまになんですね。

続刊を読むつもりは今のところないのだけれど、これで結局、イケメンの誰かとうまくいってメデタシメデタシという展開になるのだとしたら、ちょっと読んでみてもいいかな、と思う。

2005/07/17 02:58:38
id:HARU_in_sheep No.4

HARU_in_sheep回答回数202ベストアンサー獲得回数32005/07/17 02:30:04

ポイント266pt

リンクはダミー。物凄く頑張りました。


詩人・崩袈裟固柔良著 「詩集 あのウエディングベルを聞けたから・・・」を読んで。


この詩集と出会ってからどれくらい月日が過ぎ去って、いや流れてしまったのでしょう。固さん、いや柔良さん(と呼ばせて頂きます)は天使、いや駄天使、いや惰天使、いや堕天使といえます。今度から五時、いや誤字には気をつけます。


第2の詩「それでもフランスのチャペルで」は私の心を砕きました。あなたは自らをさらし者にする事にレゾンデートルを見出し、天使へとメタモルフォーゼしたのでしょう。それが「とりあえず短足は記憶野の嫌箱にしまい込んで」に表れていますね。


その後の詩「ズルズル」では「世間体」というテーゼから「少女の頃からの夢」のアンチテーゼへと、そして「ウエディングドレスは引きずってこそ」とアウフヘーベンするのです。それでも二の腕は気にしていましたね。そこが処女性です。


彼女はそもそも第1の詩「指輪のサイズ」で勝ち得た物があります。「~夫と同じ~」のくだりです。もうマウントです。ホースライディングポジションです。そして・・・、崩袈裟固めです。野犬の世界では立場上位を意味します(出典;漫画「銀牙」)。


そして最後の詩「連続中断なんて怖くない」でこの詩集は結ばれています。何故なのか?何故堕ちてしまったのか?それは「世間の常識」を打ち破った天使でも「ドクターストップ」には適わなかった事を表しています。それが「自分的にはイケるかもと思ったが」の「が」の部分に現れています。その後「チェンジマインド(気が変わって)~サドンデス(突然出るデス)」のくだりには彼女らしさが戻ります。


どの詩も意味深い人生を謳い上げていますが、題名「あのウエディングベルを聞けたから・・・」の「・・・」の部分に全てが現れている、そう思います。

id:hkt_o

どうもありがとうございます。途中までは「これって読書感想文なのか?」という感じでしたが、終盤で急にそれっぽいまとめになっていて、面白かったです。

20字×38行ですから2枚弱ですね。「最低でも」238ポイント差し上げます。この質問、回答があまりつかないようであれば、予算に余裕があるので、お礼を適当に上積みします。

質問文で「一律に」と断っているのは、感想文の出来については基本的に云々しない、というスタンスだからです。

私の「読書感想文」ではない感想文をさらに紹介。

「第三の時効」86行

一昨年の大傑作「半落ち」が映画になってまた評判がいいそうですが、昨年の横山秀夫もまた凄かった。「クライマーズ・ハイ」は文藝春秋から出した本でもあるし、癇癪を起こさなければ直木賞も今度こそ取れたろうに(いい加減な予想ですけれども)。週刊文春の2003ミステリーベスト1に輝いたわけで、いやはや勿体無い話です。

直木賞は、売れている作家が受賞しても、さらに売れるようになるというのが定説。実際、宮部みゆきも船戸与一も、もともと人気作家だったのに、またグンとよく売れるようになりました。逆に、パッとしない作家が受賞した場合、その後もそれなりにしか変化がないという話もちらほら。でも少なくとも最近は、ベテランの方の受賞が目立ちますよね。芥川賞がアグレッシブな展開を見せているから、直木賞が逆にそうなっているという傾向はちょっとあるかもしれませんけれども。

さて、このミスで「クライマーズ・ハイ」をしのぐ票を集めたのが本作「第三の時効」でした。横山秀夫が初めて全編で刑事部を舞台にした連作短編集です。短編といっても全6話で300頁強ですから、1話平均50頁程度あります。以前、私は記憶力に難があるのでショートショートはあまり頭に残らないと書きましたが、これくらいの長さがあれば大丈夫です。しかも本作は連作ですから、微妙に各話が関係してきます。北森鴻「メインディッシュ」のように最終話で大きな謎が解かれるといった趣向はありませんけれども、これはそういう本じゃないので。

そういえば、本格推理の連作集は、最終話で大きな謎が明かされるというスタイルの作品が多いですよね。多いですよね、といいつつ、具体的なタイトルが思いつかないんですけれども。えーと、猫丸先輩ものの某作品(失念)とか、加納朋子「ななつのこ」「ガラスの麒麟」、光原百合「時計を忘れて森へいこう」(←とても好きな小説。たいへん寡作な方なので、値段が高めなのは生活費と思って許してあげてください)など。頑張って具体名を挙げてみて思ったのは、案外、「大きくない謎」が明かされているような……。まあ、いいんですよ、謎の大きさなんてのは。連作集に仕掛ける謎にはパターンがあって、基本的にできることとできないことってのがあるわけですから(意味不明)。

閑話休題。本を読んだ記憶が残るのは嬉しいことで、やっぱりそういうお土産がないと寂しいので、私は短編集を読むなら、こんな感じにある程度の長さのある作品をまとめた本がいいですね。なんていいつつ、阿刀田高の短編集も大好きだったりするのだからいい加減。阿刀田先生の短編集は、各話20〜30頁であることが多いのです。

本作はよく売れたようで、Amazon の紹介ページなどを見るとたくさん書評が載っています。私が付け足すような言葉がないですね。困った。他人の書評を19も読んで、もうおなかいっぱいです。平均的な感想になってしまいますけれども、表題作と「密室の抜け穴」がとくに印象深いです。あと好きなのは、連作集としてみたときに「囚人のジレンマ」「モノクロームの反転」がいい味を出しているなあ、ということ。ぎすぎすした職場として描かれているF県警刑事部強行犯捜査1課が、じつは得点争いに明け暮れるばかりの世界ではないことを示して、いろいろな意味で救いになっていると思います。

それにしても、同じ舞台を描いても、高村薫と横山秀夫ではこうも違いますかね。それをいったら大沢在昌とだって全然違うわけですけれども。なんというか、昨年秋に読んだ「マークスの山」と年末に読んだ「照柿」における、高村薫の「地味な手順をいちいち書く」という手法が印象に強くて、横山秀夫の書く捜査1課はカッコよ過ぎるよなあ、と思うわけで。読者としては、それもまた大歓迎なんですが。

「象と耳鳴り」66行

恩田陸は面白いよ、という人が多いので、学生時代には何度も図書館から借りてきたのだけれども、ついに1冊も読了できなかったことを思い出す。最初の2〜3頁でなぜか嫌になってしまうのだ。何が嫌だという明確な理由があるわけではない。とかく興が乗らないのだった。しかし、この手の食わず嫌いは、いつも後で後悔することになる。では恩田陸の場合は、どうだったか。

本作は恩田陸唯一の本格推理短編小説集だという。約300頁の本に10作品くらい入っているから、本当に短い作品ばかり並んでいる。これは、私が一番挫折しにくいパターンだ。ショートショート集だと、作品数が多すぎて、かえって途中でだれてしまう。長編は勢いがつけばいいが、そうなる保証はない。1作品20〜60頁なら挫折しかけても頑張って読み進められる。今回は借りた本ではなく買った本だから、もし読めなければ部屋にどうしようもない置物が増えることになる。今度こそは読むぞ、と決めて、必勝シフトを敷いたのだ。

ところが、本作の読了には予想以上に時間がかかった。買ったのは昨年12月の初め。なんと1ヶ月もかかってしまった。実際に手にとって読んだ日だけでも5日を数える。といっても、5日間も本作にかかりっきりだったというわけではない。

私は飽きっぽい性格なので、同時に5冊以上の本を読み進めている。ちょっと手を出して積読にしてしまう本も含めると、それこそ無数の本を同時に読んでいることになる。現在、読み進めているのは「黄金を抱いて翔べ」「現代アメリカ短編選集2」「奇遇」「幸福という名の不幸」「続 白い巨塔」「翼のある闇」「幻の祭典」「危険な童話」「ドッペルゲンガー宮」「きみとぼくの壊れた世界」といったあたり(なんだかずいぶん多いなあ)。

週刊の小説誌を講読している人に感覚が近いんじゃないかと思う。ただ、私の場合は毎日5冊全部を読むわけじゃない。5冊のうち2〜3冊を手にとって、とくに興が乗ったものを重点的に読む。すると、結果的に1日0.8冊ペースで読了していくことになる。これは最近の傾向で、以前は仕事が忙しくなったら週に1冊も読み終えないことは珍しくなかった。

さて本作の場合、ひいこらいいつつ短編を1〜3作読むと、もう勘弁してくれと思って他の本に逃げる。その繰り返しだった。いったん逃げたら何日も放っておくから、長期間にわたって「現在読み進めている本」の中に入っていた。つまらないどころか、非常に興味深い作品ばかりといっていいのだけれど、どういうことなんだろうね。とにかく疲れて疲れて仕方がなかった。

本作の主人公は恩田陸のデビュー作の父親。この元判事の老人が、快刀乱麻、事件を解決していくというストーリイ。2000年のこのミス国内編第7位。

2005/07/17 03:10:03
id:Kumappus No.5

くまっぷす回答回数3785ベストアンサー獲得回数1852005/07/17 04:03:23

ポイント525pt

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101100012/249-2630629-...

Amazon.co.jp: 小川未明童話集: 本: 小川 未明

小川未明童話集より「殿さまの茶わん」。

あまり知られていない話なのでストーリーを簡単に述べます。

殿さまが有名な陶器師に茶碗を焼くように依頼する。「軽くて薄手なのがよい茶碗だ」と

いうことでそのような茶碗を収める陶器師。ところがあまりにも薄いので食べ物を入れる

と持つ手が熱くてしかたがない。でも殿さまなので我慢しなければならず殿さま、すっかり

つらい日々を送ることに。ある日、殿さまは百姓屋に泊まり、そこでごく普通の茶碗が熱く

ないのに感動する。そして陶器師を呼んで諭し、陶器師も自分の誤りに気付く。

私はメーカーに勤務しているのですが、この話を読んで我が身を振り返ってつまされるも

のがありました。つまり、メーカーというものは常にユーザーの目線でものを見て、時には

ユーザー自身も気付いていない問題点を改善していかねばならないのではないかというこ

とにです。

現在のメーカー(企業)というのは、扱う製品が複雑化し、多数の人間・会社が関係しないと

製造できなくなり、また商品のライフサイクルも短くなっているためともすればこのユーザー

目線を忘れて企業の論理でものを作る傾向があります。そして近年、いろいろな事件やトラ

ブルが起きていることはニュースでよく目にするとおりです。

例えば雪印事件。あれはユーザーの最も基本的な要求である「安全でおいしいものを食べ

たい」ということを完全に無視し、むしろその絶対条件の上に乗っかっている「できれば安い

ほうがよい」(=それでも利益をあげなければいけない)という点にだけ集中してしまった結果

でしょう。薄い茶碗ほどよいと思った陶器師と同じように。

また、これは現在のある製品がたまたま売れると猫も杓子もその類似品を出すという傾向と

もリンクしているかもしれません。これは場合によってはユーザーをミスリードさせることにな

ります。殿さまの部下の役人が「薄い茶碗ほどよい」と思い込んでいたように。これはメーカー

にとっては一時的によくても結果的に市場を荒廃させ、自分で自分の首を絞めることになる

でしょう。デジカメの画素数競争なんかそういう例ではないかと考えます。あれは画素が多く

なるほど画面が暗くなるし、データが膨大になるので取り扱いが面倒になるのに…。

話の最後で殿さまは陶器師に「おまえは、陶器を焼く名人であるが、いくら上手に焼いても、

しんせつ心がないと、なんの役にもたたない。俺は、おまえの造った茶わんで、毎日苦しい思

いをしている」と諭します。このおはなしの中ではこのようにユーザーが貴重なクレームをくれ、

メーカーは対処し、ハッピーエンドになります。

現実の世界ではどうでしょうか。ユーザーは自分の目線からはずれた商品は使わなくなるだけ

です。さらにそういう商品を売ったメーカーから離れていくだけです。こういう率直な意見を述

べる「殿さま」はいない場合が大半です。メーカーはどうすればいいんでしょう?このおはなし

から得られる希望のキーワードは「しんせつ心」なのではないかと思います。もちろん、こんな

にことは簡単ではないんですが、少なくともメーカーに関わる人間の気持ちの中にはそういう

心が常にあることが大事なのでないかと。

最後に。

この童話集には一見さらっと読めてしまうのに読んだ後に不思議なもやもやとした気持ち、

何か考えずにはいられない気持ちになる童話が多数あります。それぞれの短いおはなしが

実は人間の本質、それも嫌な面を突いているからではないかと思います。


ここまで。


うーむ、なんだかレビューか試験の小論文モドキになってしまいました。

感想文なんて書くの何十年ぶりだろう(笑)

確かにあの頃のピュアーな気持ちでは書けないかもしれない…。

(すんません、ちょっと改行位置とかいい加減で、文字数も中途半端かも)

id:hkt_o

ありがとうございます。20字×75行ですから4枚弱ですね。525ポイント差し上げます。行数は、エディタを半角40字折り返しに設定して書くときれいに決まります。たいてい規定枚数は3枚か5枚なので、このように4枚弱で終ると困ってしいます(笑)

さて、仰るとおり、この作品は、どちらかというと小論文ですね。ただ、曲がりなりにも読書感想文として通用する内容だと思います。優等生的な結論へ落としこんでいくあたり、うまいですね。

2005/07/17 10:08:12
id:palookaville No.6

palookaville回答回数6ベストアンサー獲得回数02005/07/17 05:04:26

ポイント350pt

http://hotwired.goo.ne.jp/original/shirata/050607/index.html

意思主義とネット人格・キャラ選択時代 : Hotwired

白岩玄「野ブタ。をプロデュース」


 第百三十二回芥川賞候補に選ばれたことで有名なこの作品ですが、他の候補作と比べるととても文体が軽く、読みやすい印象をもちました。


「野ブタ。をプロデュース」というタイトルにもあるように、この小説は高校生である桐谷修二が転校生の小谷信太、通称野ブタ君をプロデュースし、学内一の人気者に仕立て上げようとする一連のはちゃめちゃを面白おかしく書いたものです。私は作者との年齢が近いせいか、彼ら二人を中心に高校の仲間たちと繰り広げるドタバタ劇をすんなりと想像でき、とても楽しく読むことができました。


 ところがこの楽しいひとときの最中、私の頭の中では以前読んだニュースサイトのある記事が常に引っかかってもいたのです。

 

 上記アドレスはホットワイアード内のコンテンツである『白田秀彰の「インターネットの法と慣習」』に載せられたコラム「意思主義とネット人格・キャラ選択時代」です。このコラム内に出てくる言葉「仮想的キャラ」「キャラリング」がこの小説のテーマと似ているのではないかと私は読書中ずっと思っていたのでした。


 主人公である桐山修二は自分のクラスメイトのキャラクターの割り振りを理解し、そして自らの立場もキャラリングによって作った仮想的キャラで操っています。彼はクラス内では「桐山修二」という明るく陽気な、でも時にはかっこいいところも見せるキャラクターに徹して本心を他のクラスメイトに見せたことがありません。これは彼が意識的にキャラリングを行っていることを表しています。


 私も意識的にキャラリングを行うことがあります。自分のグループの輪を乱さない為にも、そして自らをグループから否定、追放されない為にも仮想的キャラ作りは必要なことなのだと考えています。私や桐山修二はその場の空気に応じた役割を演じることで自らを周りの攻撃から身を守っていると言えるでしょう。


「野ブタ。をプロデュース」は野ブタ君が人気者に導かれてクラスのキモイ存在=底辺からスクールカーストを駆け上っていく爽快な成功談です。それと同時に桐山修二が己の「暑すぎず、寒すぎない、丁度良いぬくいところ」を守る為のノウハウを、仮想的キャラ作りに苦心している私のような読者へ教えてくれる、そんな作品であるように感じました。


読書感想文書くのって何年ぶりだろ…

文章を書く為に本を読み返したりして、結構楽しかったです

id:hkt_o

どうもありがとうございます。20字×50行ですから2枚半ですね。343ポイント差し上げます。

「上記アドレスは」「キモイ存在=底辺」で大笑い。最近はそういうのもありになっているんでしょうか。まあ、学校に提出するだけなら、事実上、書けば書かないよりいいってことになっているのだと思いますけれども。

さて、全体として論旨明快で、わかりやすい感想文ですね。一部、微妙な表現はありますけれども、読書感想文のフォーマットをよく押えているような感じがします。まあそのフォーマットというか、「読書感想文らしさ」が分かっていない人間の印象として、ということなんですが。

2005/07/17 10:16:24
id:komiyatakun No.7

komiyatakun回答回数910ベストアンサー獲得回数02005/07/17 05:31:34

ポイント322pt

http://sports.yahoo.co.jp/

Yahoo!���ݡ���

村上春樹 「ノルウェイの森」


 私は、日本一の作家と呼ばれる作家の村上

春樹の代表作を読んでみて、色々考えました。

この話は主人公の「ワタナベ」の生と死を若

者の葛藤を交えつつ、描くをコンセプトにし

てるらしいですが、がっかりしました。

 色々指摘する点はありますが、まずタイト

ルです。村上氏が、わざとつけたのかはわか

りませんが、ビートルズの本曲は家具屋の意

味ですし!!それか、楽しかった頃の友人の

一人の「レイコ」さんが弾いてたってことで

しょうか?上巻を読む限りでは、森ってこと

だけらしいです。

 次に、内容の不審点です。まずは、「ワタ

ナベ」の親友の「キズキ」が死にます。それ

を「キズキ」の彼女の「直子」と「ワタナベ」

が、傷つきながら生きていく話です。ここま

では、さすがトップ作家と思わせる文章力だ

と思います。そして、立ち直れない「ワタナ

が、男の先輩の「永沢さん」や女友達の「

緑」

と学生生活を送り、精神的にやられた「直子

」が療養してる先で、患者であり、直子の友

の「レイコさん」と過ごしながら、大人にな

っていくって話なんですが、ストーリーはい

いのですが、それをぶち壊してるのが「セッ

クス」です。とにかく「ワタナベ」はやりま

くります!!「直子」をはじめ、熟女の「レ

イコさん」一夜限りの女とかと!!一人を愛

し、友人もほとんどいない「ワタナベ」がや

りまくるのです。高校生の私は正直引きまし

た。これは「有害図書だな。」と、思いまし

た。いや、もしかしたら、俺がガキなだけか

も。と、思いました。それから月日が流れて

大学生になった今、読み直してみると、あの

時の俺が正しいと、思いました。「ワタナベ」

みたく、高尚な考えの人などいません。いや、

もしかしたら、東大とかにはいるのかもしれ

ませんが。なぜ、私がケチを散々つけながら

も、フォローするかというと、「ノルウェー

の森」が大好きだからです。私が一番疑問な

のは、なぜこれほどヒットしたかということ

です。ブームに流されたのか、はたまた、本

質を見極めた読者なのか、わかりませんが、

名作をちゃんと味わってるのか?っていうこ

とです。もっと年齢をとったら、理解できる

ようになるのかなあ?と思わせるような、一

生私の中から、離れないであろう名作にであ

えて良かったです。

id:hkt_o

ありがとうございます。禁則処理を考えると46行でしょうか。282ポイント差し上げます。あ、えーと、コメント欄に書いた数字は計算間違いがあるかもしれないので、目安というか、多分こうなるという風に解釈してください。

さて作品についてですが、まあ、この内容は学校には出せそうにない。ん〜、というかですね、私が思うに、いわゆる「読書感想文」らしさというのは、学校という空間が生み出していたのかな、と思うんですよね。

なるほどこの回答は、文体や前半の流れは、いかにもそれっぽい。あまりうまくはないけれど、たいていの生徒の書く感想文はこんな感じだろうな、という妙なリアリティもあります。

ただ、やっぱり「読書感想文」らしさ自体を破壊してしまっているように思うんですよね、この回答の中盤の展開は。最終的に、ベタなオチをつけてごまかしているあたりは非常にうまいと思いますけれども、これは果たして許容範囲なのか否か。

型破りな、と私は書きましたけれども、前提条件自体をひっくり返すのは無しなんです。だって、それを認めたら、読書感想文という縛りが無意味になってしまうから。とりあえず回答としてはこれでいいんですけれども、いわゆる「読書感想文」としてはボーダーラインだなあ、と思いました。

2005/07/17 10:27:13
id:ShinRai No.8

ShinRai回答回数476ベストアンサー獲得回数202005/07/17 08:30:54

ポイント350pt

http://www.hatena.ne.jp/1121527739#

人力検索はてな - いわゆる「読書感想文」を書いてください。 ・重要:著作権を主張しないこと。 ・重要:原稿用紙(20行×20字)で3枚または5枚。字あまりは禁止。2.5〜3枚または4.5〜5枚で..

加藤廣著「信長の棺」(日本経済新聞社、2005年6月刊)


 帯に「まったく新しい謎と展開。ここには今までに誰も見ることのなかった信長がいる! 驚異の新人による、本格歴史ミステリー」とあったが、本当に織田信長について今更なにか新しい話があるのだろうかと半信半疑で購入して読んだら、あまりの面白さに仰天した。400ページ以上の小説を読むのに、一日しかかからなかった。すらすらとページが進むので、もったいないなと思ったほどだ。

 こなれていて読みやすい文章、なによりもストーリーがわかりやすい。織田信長の家臣であり、実際に「信長公記」の著者であった実在の人物太田牛一の視点、時間、空間にもとづいて書いてあるから、話の展開についていくのがものすごく楽だった。太田牛一とコンタクトをもった人物に限られているから、登場人物も少ない。

 明智光秀が信長を殺したとされる本能寺の変は、なぜ行われたのか。本能寺で死んだはずの信長の遺骸は、どうして見つからなかったのか。桶狭間の戦いについての史料は、どうして少ないのか。

 著者が、これらの大きな謎を、きわめて説得力のある仮説を提示したことに対して、「天晴れ!」といいたい。

謎解きの種明かしは、あえて言わないことにするが、日本史上の謎であったこれらの疑問を、著者は、本能寺ほかの現場を自分の足で歩いて、自分の頭で解いていき、それを再構成して小説にしたのだと思う。だから、謎解きに少しも無理がない。ひとつひとつの謎が、実にわかりやすく、明らかにされる。すべての謎も、事実はひとつしかなく、その事実は、丁寧に解析すれば自ずと見えてくるのだということなのだろう。

 著者は、今年75歳になるという。政府系金融機関に長くつとめ、その後経営コンサルタントを続けておられるという。だから処女作といっても、おそらくは人生の酸いも甘いもすべてご存知で、人間というものの良いところも悪いところもわかった上で小説を書いておられるのだろう。

 著者はおそらく、信長や秀吉や光秀についてこつこつと時間をかけて調べたのだろう。経営コンサルタントの目がとらえた戦国の経営者たちの人物像が、ストレートに伝わってくるのは、戦国の経営者たちに向けられた著者の愛情の賜物なのだろう。

 これまでに出会ったこともないような、実にエキサイティングな歴史小説だと思った。

id:hkt_o

ありがとうございます。50行ですので350ポイント差し上げます。

これはお見事。ブログに書くような感想メモと「読書感想文」をシームレスにつなぐ自然な文章、それでいて「いかにも」なポイントも押えている高等芸。大げさな表現とか、高揚した雰囲気はじつにうまい。

「謎解きの種明かしは、あえて言わないことにするが」はお笑いポイントですね。昔、塾で教えていた頃、こういう文章を書いてはダメだしされる生徒が必ずいたものでした。リアリティたっぷり、という感じ。

2005/07/17 10:35:49
id:toshi_nishida No.9

toshi_nishida回答回数519ベストアンサー獲得回数362005/07/17 10:16:30

ポイント406pt

http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%c0%c5%a4%b1%a4%b5%a4%e4%b...

Yahoo!検索 - 静けさや岩に染み入る蝉の声

「静けさや岩に染み入る蝉の声」を読んで

         中年暇組 としにしだ

 読んでまず思ったのは、音や声は岩に染み

入ったりはしない、ということです。「染み入

る」と言うのは浸透して残留することですが、

蝉の声は岩に対して、大部分が反射して、一

部が透過する、それだけで、染み入ったりは

しません。だから芭蕉はこの句で現実にない

ことを言って、実は、人を煙に巻いて、良さ

そうな句だと勘違いさせようとしているんじ

ゃないかと思います。この句が近所の中学生

の句だとしたら、小器用な俳句だという以上

の評価はあり得ないんじゃないでしょうか?

 「ああ松島や」もそうですが、芭蕉という人

の句は、ちょっとうたがってかかったほうが

いいかも知れません。いや、芭蕉はまじめに

決まってるけど、芭蕉を評価してきた人たち

が危ないのかもしれませんね。

 ただ物がそこにあることを示すだけで、あ

とのことは読み手に任せる、という俳句のあ

りかた(実はこれはサリンジャーが言ってい

るのですが)からは、松尾芭蕉という人は、

ちょっとはずれたテクニシャンのようです。

この句を機械的にサリンジャーの基準に合わ

せると、

静けさと岩と蝉の声

となります。字足らずは許されないのだそう

ですから、なにか付け足す必要があるのでし

ょう。

静けさと岩と芭蕉と蝉の声

なかなかじゃないですか? これが秀作だと

は言いませんが、芭蕉自身の作と近いレベル

にあると私は思います。

 静けさや我が田に引く水の音(字足らず)

 誉めようと思って書き始めたのに、句聖に

けちを付けるだけの感想文になってしまった。

翻って考えると、静寂、岩、蝉の声、という

三つを持ち出した段階で発句はほとんど終わ

っているので、芭蕉の才能の大部分もここに

あり、その後の仕上げ部分だけを取り上げて

あれこれ批判すること自体が、勘違いかもし

れません。

静けさや岩に染み入る蝉の声

確かにこれは、格別に意地悪な目で見ない限

り、美しい句です。と言いながら、見れば見

るほど、私には意地悪な感情がわき起こって

きます。蝉の声を持ち出すことで静けさを強

調したいんだ、とか言いたいところなのでし

ょうが、なぜ「夏草や」ではいけないのでし

ょう?

夏草や岩に染み入る蝉の声

この方が、あの、皆さんご存じの、ブヨが飛

び交う夏の草むらの蒸すような感じがよくで

ているとおもいます。

静けさやたまに降ってくるトビの声

いかがでしょう? なぜ静けさを強調するた

めに蝉の声なのか、分からなくなります。や

っぱり芭蕉の評価については、ちょっと警戒

した方が良さそうです。

id:hkt_o

どうもありがとうございます。58行なので406ポイント差し上げます。

で、作品の感想。あはははは。この屁理屈が、なんというか無性に昔の生徒たちを思い出させます。不思議と、自分や同級生の書いた作文は思い出しません。自分のことは分からないものなんですね、多分。

いやー、こういうのを平気で書いて提出する子がいるんですよね。成績はいいけど作文は苦手、というタイプの子。頭はいいけど、学校提出用の作文が、どんなものを求めているかに気付かない、あるいは、それはわかっていてもどうしても書けないっていう子がいて、こういった感じのを書きます。で、誉められもしないけど、再提出はさすがに求められないわけです。作文を書くのに子どもがどれほど苦労するか、先生もわかっているんでしょうね。

この作品がセーフだと思うのは、子どもの中の基準で、これは「提出できる」と思うからです。構成も内容も破格なんですが、「こんなんでいいのかな? でもこれしか書けなかったんだから仕方ないよな」となって、結局、提出すると思う。いくつか前の回答をボーダーライン、あるいはアウトじゃないかといったのは、アレは出せないだろうと思ったから。

「読書感想文コンクール」というのはよい子ちゃん大会であり、あの白々しい言葉の沼は奇怪な笑いの宝庫なんですけれども、そういうものを生み出すのが日本の戦後の教育だったのだし、そしてそれを支持した「ご家庭」の良識だったわけです。いわゆる「読書感想文」というのは、奇々怪々、魑魅魍魎の棲む領域ですよ。大学生や社会人の方々に書いていただいた感想文を読んで、この面白さってのは何なんだろうなー、と、改めて考えさせられます。

さて、以降の回答者の方は、なるべく段落の切れ目以外の改行は無しでお願いします。エディタで下書きして、コピペでしてください。1行字数を指定しておけば、いちいち改行しなくともきちんと狙い通りの行数になりますので、よろしくお願いします。だいたい、20字ごとに改行したら推敲できないでしょう。いや、したくないかもしれませんが。

それにしても、昔、読書感想文のために1週間も地獄の苦しみを味わったのは、一体なんだったのか。白紙の原稿用紙の恐怖!!! 今なら半日で書けちゃう。やっつけ(変な感想文)だけど、再提出は求められないレベル。1時間はアーウーと白紙のまま呻吟することになるのですが……。いつの間に、「適当に処理する」ことができるようになったのかなあ。とまあ、いろいろ考えることは尽きないのであります。

再回答も歓迎しますので、どうぞよろしく。

2005/07/17 10:54:44
id:masasan No.10

masasan回答回数143ベストアンサー獲得回数22005/07/17 11:03:27

ポイント413pt

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062087375

Amazon.co.jp: ミーム―心を操るウイルス: 本: リチャード ブロディ,Richard Brodie,森 弘之

小学校時代しか、読書感想文を書いた記憶がありません。

その頃自分でさえ、文章が下手だなと思っており、実際下手でした。その頃を思い出し文章のタッチを残しつつhkt_o先生に感想文を書く気持ちで書いてみたいと思います。


 この本の掴みは、マイクロソフト会社の中の会話から始まったと思います。

 作者のリチャード ブロディさんは、いつも新しい言葉や概念に敏感で大抵のことは知っていて、なかなか新しいものに出会うことが出来ないのです。ワードというソフトの初バージョンの開発者だそうなのですが、周りの人を面白く観察する視線がちょっと面白かったです。周りの人が何か話し始めると大体「ああ、それは~だろ」とすぐ分かってしまうそうです。

 そんなある日、ブロディさんは聞きなれない言葉を聞きます。それがこの本の主題の「ミーム」という言葉です。そんな言葉を始めて聞いて、それからしばらくして本を書いてしまうなんて、すごいと言うか積極的な生き方をしている人だなと思いました。


 実を言うとこの本の発売当事に読んだので、ずいぶん時間が経っていて細かいところは忘れてしまいました。でも、この本を読む前に自分が考えていたことと似ていた部分があったので内容がよく分かりました、なのでよく覚えているところもあります。

 そのまえに、ミームとは何かというと、意味や考えの単位です。単位というのは違うかもしれないけどかたまりです。

 意味や考えは、会話や本やTVで人から人へと伝わります。伝わったものがまた他の人に伝わります。それを指して意味のウイスル・心のウイスルと言ったりします。

 この本は、その伝わり方などを通してミームというものの形を浮かびあがらせます。でもどちらかというと、基本書的・普及書的に全体をみわたしている感じで、深く踏み込んでいっているわけではないのでそういう面では物足りないかもしれません。

 さっき「心のウイスル」と書きましたが、人間の遺伝子を援用して「意味の遺伝子」といったりすることもあります。でも、遺伝子はあまり変わらないけど、ミームは人の脳を通り抜ける度によく変わると思います。でも、本とか映像とかの媒体なら変わりにくいと思います。でも、遺伝子はデータにはっきり還元できそうですが、意味は人によって違うし明確ではないのでデータに還元し切れないと思います。でも情報単位としてのミームは電子化できる部分について扱うのかもしれません。

 hkt_o先生は知ってると思いますが、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』の「人間は遺伝子を乗せるマシーンだ」的な考えがあるそうです。さらには、そのマシーンの脳をミームを伝える媒体として捉えるようなのですが、そんな一種の勝ち誇った感が鼻につきます。別に、遺伝子にもミームにも意思はないし、生き残ろうという目的なんてないと思います。ただ、そこにあるだけで擬人化して目的感を持たせてるのが、なんか屈折してるように思います。


なんだか書いてみたら、ほんとゴチャっとして下手な文章になってしまいました。書き始めは構成はまともにしようと目論んでいたのですが、文体に引きづられた(と言い訳)ようです。でもそういう意味では、昔の自分の文章に近くて満足です。

書いてみて面白かったです、ありがとうございました。

id:hkt_o

どうもありがとうございます。途中の空行は意図的なのかミスなのか判断つきかねたので省きまして、59行ですかね。413ポイント差し上げます。

謙遜されていますけれども、けっこう凝った文章が得意な生徒さんだったのでは? じつはけっこう先生に誉められたりする方だったのではないでしょうか。

笑えたというか、面白かったのが「hkt_o先生は知ってると思いますが」ですね。あはは。学校提出用となると、ついやってしまう書き方。「これはダーメ」と教えても、ついつい書いてしまうんですね。夏休みは長いので、どこかで忘れてしまうのでしょう。「そのまえに」「さっき」もお笑いポイント。いや、私もブログの文章では平気で使うのですが、作文然とした文章の中にあると、和みます。癒し系。違うか。

この感想文、内容的には小中学生の書くものじゃないのに、文体とある種の抑制によって、いかにもそれっぽい感じになっているわけですね。そのあたりを、もうちょっとどうにかして掴み取りたいなー、と思っております。

もう子どもに教える立場にはないし、自分が感想文を書く機会もないと思うわけですけど、夏休みを前にした今、これがマイブームなんです!

2005/07/17 11:14:10
id:neoarcheologist No.11

neoarcheologist回答回数776ベストアンサー獲得回数02005/07/17 13:21:58

ポイント329pt

http://www.yahoo.co.uk/

Yahoo! UK & Ireland

多和田葉子 カタコトのうわごと


 多和田はエクソフォンな作家だ。エクソフォンとは、母語の外へ出た状態を指す。大学卒業後ドイツに移り住み、数年後にはドイツ語作家として作品を発表した多和田は、その後、日本語でも創作活動を展開する。本書は、言語の越境という自らの体験に思いをめぐらせる 。最初のエッセイ「すべって、ころんで、かかとがとれた」からは、ドイツに移り住んでまだ間もないころの多和田の言語体験がうかがわれる。母語の外へ出るということ、エクソフォニーとは一体何なのか。

 多和田が母国を出て、日本語を話さなくなり半年も経つと、日本語が自分から離れていくことを経験する。徐々にぴったりする日本語の表現が見つからなくなっていく。その時期、インドで撮った写真を実家に送った際のエピソードがエッセイに綴られている。送った写真の解説に<野良犬>と書いてあったので、受けたった家族は彼女の意識の混乱をたいそう心配したそうだ。なぜなら、その写真に写っていたのは、誰が見てもあきらかに、通りを歩く豚の姿であって、犬ではなかったからだ。<犬>と<豚>という漢字を取り違えたのか、<犬>という言葉の定義がずれてしまったのか(例えば、犬とは、通りをうろつく動物のこと、と定義したのか)、それとも犬のような豚という言い方の<のような>が抜けてしまったのか、それは今では多和田にもわからないという。

 外国語の中に入り、母語から出ることによって、母語の自明さ、母語として、慣習のうちに無意識に身につけた紋切り型の表現が揺らぐのだろう。言葉と概念の間にある結びつきが弛緩し、解体され、それは任意なものに取って代わるのではないだろうか。そのようなとき、母語とは意味の抜け落ちた、言葉のサラダでしかないのだ。言葉と概念の関係は、本当は自然なものではなく、人工的かつ恣意的に規定されたものではないのか。母として 、自然なものとして、ある種の自明さの中で 慣れ親しんだ母語。それが自分から離れていくというのはある種の恐怖であるのは確かだ。しかし、母語は0へと還元され、一から組み立てなおされる。その組み立て直しの過程によって新たな、創造力のあふれる言葉が生まれる。言語の越境体験が、多和田の創作活動の源になっていると思うのだ。


The End


ところで、感想文ってなんですか?上の人のリンクを読んだところ、生活体験がどうのこうのって書いてありますが、自分の体験を語らなくてはいけないのが感想文だったら、ちょっと違うのかもしれませんのう。自分について語るな、客観的に、と教えられているので。ちなみに、転載する際は、どこに転載するのか教えてくだされ。

id:hkt_o

どうもありがとうございます。47行なので329ポイント差し上げます。

えーと、私はいわゆる「読書感想文」を書いてほしいな、と思って質問しました。小中学生が、夏休みの宿題として、学校に提出するものです。あの独特の雰囲気が出ていれば、別に何でもいいと思います。

転載ですが、現時点で明確にどこと決めていないので、「著作権を主張しないこと」という形で漠然とお願いしております。ご了解ください。基本的にはオフラインを考えています。私は出版関係者じゃないので、本にして売るとかではありません。が、とにかく紙に印刷して、集まりで回覧するくらいのことは十分ありえます。

さて、ご回答いただいた感想文ですが、うーん、私にはちょっと高級すぎたかも、です。

2005/07/17 15:03:16
id:morningrain No.12

morningrain回答回数824ベストアンサー獲得回数22005/07/17 13:53:40

ポイント595pt

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062125684/qid=11215759...

Amazon.co.jp: 好き好き大好き超愛してる。: 本: 舞城 王太郎

 舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』


 私はこの本を読んでとても衝撃を受けた。それは、ふつうの「感動」というようなものではなくて、胸に直接突き刺さるような感じだ。

 この小説は、女性の名前をタイトルにしたいくつかの物語で構成されていて、すべてが「死」をテーマにしている。皮膚のすぐ下で体を食い荒らす虫に苦しむ少女、戦闘機のような存在として世界を襲う「神」と戦う少女、病気で死んでしまった女の人、それらの人の恋人であるこの小説の主人公たちは、そういった「死」に直面し、痛めつけられる。文字通り痛めつけられるのだ。


 誰も他人の痛みを肩代わりすることはできないし、ましてや他人の代わりに死ぬことはできない。そして死んでしまった人はもう帰ってこない。死んだ人はすでにいなくなってしまっており、死んだ人にしてあげられなかったことは、もう二度としてあげることはできないのだ。

 こんなことは頭で考えてみれば当たり前なのだが、私たちはこのことをなかなか実感できない。例えば、私はこの本を読む前に、大ヒットした映画『世界の中心で、愛をさけぶ』を見たが、そのときはこれほど強烈に「死」というものを感じることはなかった。確かに病気のアキをサクが助けようとする姿や二人の純粋な思いには感動はしたが、物語がサクが十分に大人になった視点から語られているせいかアキとの日々やアキの「死」が「いい思い出」となっている気がするのだ。


 確かに、時間というものは喪失の痛みを癒してくれるのだろう。多くの人が、時間によってそうした痛みを乗り越えているはずだ。ただ、「死」とは決して取り返しのつかないものであり、やはりどうしようもできない後悔のようなものが残るはずだ。そうした後悔と、それが胸に引き起こす痛みを舞城王太郎は執拗に描き出す。喧嘩に巻き込まれて病身の恋人のもとを一時離れてしまった後悔、無駄だとわかっていても「死なないで欲しい」と言えなかった後悔、そうしたさまざまな後悔が、「死」の痛みというものを常に呼び覚まし続ける。

 そう、『世界の中心で、愛をさけぶ』では、ほぼ「運命」として片づけられていた「死」といものが、この小説では「ひょっとしたら防げたのでは?」、「もっと愛せたのでは?」という疑問によって常に「今」の問題として問われつづけているのだ。

 

 『世界の中心で、愛をさけぶ』では、主人公が恋人の残した文通代わりのカセットテープを聴きながら彼女との思い出が語られていく。それを聴きながら大人になったサクは、アキとの美しい思い出を思い返すのだ。一方、この小説に登場するのは「死後、恋人からこれから100年に渡って毎年一通届くという手紙」というものだ。この手紙によって主人公は常に「柿緒(彼女の名前)意外の人はもう愛さない」というロマンティシズム的な思いと、現実の時間の経過と記憶の風化という板挟みに毎年直面することになる。彼女の記憶というのは『世界の中心で、愛をさけぶ」のテープに閉じこめられた安全な思い出ではなく、死者から届く手紙として主人公の記憶と心を刺激しつづける。「彼女の死」というものは 、安全にパッケージングされることなく、常に現在の人生を揺り動かし続けることになるのだ。


 「死」をテーマとするのはある意味安易なのかもしれない。「死」というわかりやすい喪失は、誰の心にも悲しみをもたらすからだ。そして、ドラマや映画などでは、たいした必然性もなく、「感動」のために人が死んでいく。本当は、もっと「死」を描くことに禁欲的になるべきなのかもしれない。けれども、舞城王太郎は、あえて、「死」を執拗に描くことにより、「死」の痛みというものを、私たちに思い起こさせた。そして、その「死」の痛みを知ることによって、私たちは自分たちの人生や大切な人との関係についても考えさせられる。

 「愛は祈りだ。僕は祈る。」。この小説の書き出しの部分が、読み終えたあとに再び私の頭の中に響いてくるのだ。


これは、前に書いた文章

http://www.d4.dion.ne.jp/~yamayu/20051kansou.html

を読書感想文風に書き直したものです。

読書感想文風というのを意識したら、なんだかませた女子学生が書くような文章になってしまったような気もします。

ちなみに最初書いたときに字数が1350文字くらいで、規定からすると半端だったので少し書き足しました。そのせいかやや冗長かもしれません。

id:hkt_o

ありがとうございます。ただ、問題は字数ではなくて行数なので……。85行ですから、4枚+5行。ちょっとおかしな感じですが、とりあえず気にしないことにします。595ポイント差し上げます。

さてご回答いただいた感想文、うますぎる、という感じもします。書評にシフトしつつあるというか、感想文の筆者がどんな人であってもとりあえずオッケーというか、これなら著作権フリー感想文とかいったら人気出そうだけど、でもうますぎて使えないとか、そういったことが一瞬にして頭の中をグルグルしました。

「ませた女子学生が書くような文章」とは言い得て妙。女子学生に限りませんけれども、とにかく私事を脇においてしまう生徒がいないでもありません。中学生くらいでは非常に珍しいですけれども……。というのは、結局、3枚という長さなんですね、問題は。作品の分析を中心に作文を組み立てようとしても、とても字数が足りない。だから、個人的な思いでなり体験なりで膨らませるしかないのです。

3枚なら、この手のが得意な生徒なら、クラスで1人や2人はこの手が使えるとしてもですね、5枚という設定だとまず無理ですね。

200ページある本を読んで、なぜたった原稿用紙5枚を分析で埋められないのか、という話なんですけれども、やっぱり中学生くらいだと枝葉末節を落として、1文で言い尽くせるくらいの主題しか手許に残せないんですね。それをいくら修飾語で固めていっても、原稿用紙5枚にはならない。ある意味当たり前のことなんですけど。

2005/07/17 15:15:27
id:a_anpan No.13

a_anpan回答回数236ベストアンサー獲得回数02005/07/17 15:18:53

ポイント360pt

http://www.hatena.ne.jp/ダミー:detail]

「アルバイト求人誌を読んで」

            2年C組 a_anpan

 僕はこの本を読んだ時目に入った「初心者

大歓迎!誰にでもできる簡単なお仕事です!

」という甘い言葉に惹かれ、軽作業スタッフ

に応募しようと考えました。しかし、最初の

特集ページを読むと「どんな仕事も楽ではあ

りません。しかし楽ではないからこそやりが

いがあるのです」と、芸能人がインタビュー

に答えていました。僕はその時危うく求人誌

の生ぬるい言葉に騙される所だったと気がつ

きました。何故なら僕は楽で簡単な仕事以外

をやる気は全くなかったからです。楽ではな

いのに「誰にでもできる」と書くなんて、嘘

ハッタリもいい所です。そもそも誰にでもで

きる仕事なんてある訳がないのです。学生に

定番のコンビニの仕事でも、昔とは違い今は

覚える事が沢山あります。

 僕は考えを改めました。次は「暇な時間が

多くて時給の高い仕事」を探そうと決意しま

--------------------------------------20

した。そこで候補として、オフィスワークや

警備スタッフを挙げてみました。何故ならオ

フィスワークは机に座っているだけなので疲

れる事がなく、警備スタッフは立っているだ

けなので暇だらけだと考えたからです。しか

も両方とも、特にオフィスワークは時給が高

いのです。誰にでもできる簡単な作業の時給

が時給850円なのに対し、オフィスワーク

は時給1500円~3000円にもなるので

す。しかも各種保険完備とまで書いているで

はありませんか。僕は興奮しました。この仕

事を始めた3ヶ月後の自分の姿を想像しまし

た。僕はフェラーリを乗り回し、モデルのよ

うな付き添いを3人程連れ、吉野家の隣にあ

る焼肉店に毎日通っているでしょう。吉野屋

の隣のあの焼肉店は、僕のような貧乏人に対

する嫌がらせかのようにそこに存在しており

長年の恨みがあります。今こそその恨みを晴

らせると考えると、少し涙腺が弱くなりまし

た。僕は上機嫌で求人誌をパラパラめくって

みました。すると今度は「ナイトワーク」と

--------------------------------------40

書かれたコーナーが目に止まりました。そこ

にはフロアレディやバニーガール等の求人が

募集されていました。時給も相当な値段でし

た。しかし僕はレディではないし、バニーガ

ール姿も似合わないと考え、その道は断念し

かけたその時、「ホスト」という仕事が募集

されているのに気付きました。僕は「これな

らいけるかも」と考え、手元にあった鏡を手

に取り自分の顔を見て、諦めました。

 僕は「オフィスワーク」の中の「プログラ

マー」という仕事を応募しようと考え、受話

器を手に取りました。と、その時その求人の

欄に「1年以上の実務経験者」と書かれてい

る事に気付いたのです。こんなの詐欺です。

僕はプログラマーの言葉の意味すら解らない

初心者です。「とてもグラマーなプロの人」

という程度の認識しかありません。僕は落胆

しました。求人誌にここまで人を落ち込ませ

る力があるとは思ってもいませんでした。気

力を少々無くしてしまった僕は、求人誌を平

手でバチバチ叩き泣き崩れました。 終わり

--------------------------------------60


・・すみません。

普段本を最後まで読み遂げないのでこんなんしか書けませんでした・・

これでも頑張りました(笑

内容は完全にフィクションです。

お気に召さなかったら1ポイントで・・

id:hkt_o

ありがとうございます。60行で420ポイントなんですが、少しだけ引かせてください。というのは、私自身の体験からいうと、いわゆる「読書感想文」は非常に書きにくいスタイルでありまして、相当に苦労するのです。制約があまりに多く、好き勝手に書けないからです。300ポイント以上は差し上げますので、それで納得してくださいな。

それにしても、ご回答のような作文を生徒が持ってきたら、私なら少し驚きますね。非常によくまとまっていますので。私もそれなりに本を読んできたつもりなので、ネタも個々の描写もとくにオリジナリティが高い素晴らしいものだとはさすがに申しませんけれども、読み物として完成されているものを中学生はまず書けない。書けるのは一部の才能ある生徒だけなんですよね。そうそういるものじゃないです。

中学生だから? というとそうでもなくて、じつは高校生だろうと大学生だろうと、書けない人はどうしたって書けない。「なーんだ、この程度」という人がいるかもわからないけれども、「じゃあお前、書いてみろ」といってみて御覧なさい。どんなメンバーを集めているかにもよりますけど、平均すると8割の人は書けないと思います。あ、適当にいってますので、数字は忘れてください。

2005/07/17 15:35:07
id:neoarcheologist No.14

neoarcheologist回答回数776ベストアンサー獲得回数02005/07/17 20:26:02

ポイント392pt

http://www.yahoo.com.tw/

Yahoo!�_��

さっきのは、高級すぎましたでしょうか。。。??そうですかね。


では、別の感想文を書きましたので、お願いします。感想文っぽく、文体をかえました。


サリンジャー 『ライ麦畑でつかまえて』


 名門寄宿学校の高校生である16歳のホールデン少年は、成績不良で学校を中退になってしまいました。それで、行く当てもなく、都会をさまよいます。放校処分になってからの数日間を、一人称で語り、世の中の矛盾や欺瞞を少年の目でとらえます。特にストーリーというのはありません。日常の観察と描写、社会や大人への苛立ちと悪態、妹フィービーや幼き者たちの純粋さへのあこがれ、それらがひたすら記述されています。


 こんな少年は、将来、ライ麦畑の捕まえ手になりたいな、といいます。ライ麦畑で遊んでいる子どもたちが、危ないところに行きそうになると、捕まえる役割をしたいというのです。The Catcher in the Rye(ライ麦畑の捕まえ手)という本のタイトルは、if a body meet a body coming through the rye..っていう、ロバート・バーンズの詩から由来しています。しかし、この少年はなぜか勘違いして、if a body catch a body coming through the ryeという歌詞なのかと思っていました。大人が誰もいないライ麦畑で、ゲームにのめりこんでいる何千人もの子供たちを見守って、子供たちが狂った崖に走って行きそうになると、捕まえてやりたいなぁ、などというのです。「そんなの狂っているのはわかっている、だけどそれが唯一オレのやりたいことなんだ」などと言うのです。子どもの純粋さを、社会の危険や汚れから守ってあげたい、というホールデン少年の正義感と優しさの現れでしょう。


 これを読んで思ったのは、ホールデン少年は幼年時代を美化しすぎている、ということです。幼き者は、いつの時代も無邪気さの下に邪気を隠し持っているのではないのでしょうか。たしかに今5、6歳ぐらいの子たちを見ると、その無垢な表情に「かわいいなぁ」なんてつい微笑んでしまいそうになるのだけれど、でも私の幼稚園時代、小学生時代を思い出すと、周りはみんな陰険なガキでした。大人の前では、かわいい子を演じ、どうすれば大人を喜ばせることができるかを知っている一方、大人の見ていないところでは同級生をイジメている、そんなことを平気でやっていました。子どもは大人に媚びている。それこそが、子どもの世界の矛盾と欺瞞ではないでしょうか。幼い時代、私を苦しめたのは、そんなガキたちだったのです。そして、 私はそんな子どもたちを告発したい。私は、「純粋な幼年時代」というのは、忘却に陥った大人の幻想であると思うし、16歳という、まだ幼年時代からそれほど遠くない少年にとってはリアリティーを感じられるはずもない幻想ではないか、と思うのです。やはり、この小説は、本物の16歳が書いたのではなく、大人の書いた陳腐な小説です。


THE END

id:hkt_o

どうもありがとうございます。56行ですので392ポイント差し上げます。

ご回答いただいた感想文の構造と構成、ようやく判った気がします。いわゆるあらすじ中心の内容だったんですね。本の紹介文にひとつの大きな感想を添えてまとめた、と。

なるほど。今回の感想文は、感想の部分が庶民感覚まで「降りて」きているので、文学者が書く文庫本の巻末解説のような高等な雰囲気が落ちて、スッキリ読めました。ではこれが「読書感想文」的か、というと、どうもやはりそうではないような気がします。というのはつまり、こういう感想文を私がたまたま読んだことがないから、そういっているのですけれども。

ただ、第3段落、とくにラストの突き放し方には雰囲気があるというか、まあ、こうやって自分の中の漠然としたイメージを元に語るだけでは、私は全然新しい発見をしないのでだめだ、ということにもなっていきそうな……。なんてね、思うままに書くとこんな悪文になってしまう私が大学入試まで国語を最大の得点源にしていて、しかも二次試験も小論文で通ってしまったんだから世も末です。話が錯綜してきたのでこの辺で切り上げます。

いただいた感想文は非常に整然としているのですが、それを読む私の方にまだ混乱がありますね。もうちょっと時間がほしいです。

2005/07/17 21:21:56
id:aiguo No.15

aiguo回答回数242ベストアンサー獲得回数32005/07/17 21:18:14

ポイント100pt

http://portal.nifty.com/cgi-bin/kanso/bun.cgi

@nifty:デイリーポータル:別れの手紙ジェネレータ

課題作品:こころ

この本はわかいうちに絶対に読んでおいたほうがいい、人生の教訓を含んでいると先輩に言われました。近所のTSUTAYA に行ったらなんか表紙がつるつるしてて触ると気持ちのいい本があったので買ってきました。それがこの本です。

わたしが好きな「ごんぎつね」に比べるとちょっと長いかな、と思いましたがおもしろかったです。

この物語の主人公の気持ちがわかる気がしてました。「うんうん」と心のなかでなんどもうなずきました。実はわたしにもこの物語に似た経験があるのです(詳しく書くことは紙面の都合で割愛しますが)。だからそう思ったのかもしれません。

この物語に似た状況はいまの日本でも起きています。作者のメッセージは今を生きるわたしたちにも示唆に富んでいると思いました。

自分が主人公の立場だったら、と考えました。そう思うと読み終えた直後の感想にも納得がいきます。

とは言うものの、文学史上「ごんぎつね」と肩をならべるといわれているこの作品です。きつねに相当するのが主人公なわけで、その点では感情移入しやすかったです。

だが、わたしたちには主人公と決定的に違う点があると思う。それはこの物語を読んだものなら必ず感じる点だと思うのであえて書かないでおきます。

この本を読む前とあとではわたしのものの見方が変わりました。主人公のように生きてゆきたい。(そしてこの本を読んで以来、主人公のようになるためにネット上の掲示板に書き込むときの名前をこの物語の主人公の名前にしました。)

でも、果たして完全にそういうことができるのだろうか。それは日本人独特の倫理観からそう思っているにすぎないのかもしれない。または、それはわたしがアイスを食べながら読んでいたからそう思っただからかもしれない。アイスが本にこぼれてべたべたになってしまった。

よくわかんないんだけど、そう思った気がします。でも、どっちでもいいです。その日の晩ごはんはカレーでした。

改めて考えてみると、まんがじゃない本を1冊最後まで読めるなんて、自分で自分が信じられません。これを糧にもっと本を読んで利口になりたいです。

ここまで書いておきながら、実はこの本を読んでいないのです。読もうと思ったんだけどいとこと花火をしてしまいました。ごめんなさい。(おわり)





感想文ジェネレーターを使って書いてみました。

id:hkt_o

まだ使い物にはなりそうにない……というか、それって一応、方向性としてはお笑い系スクリプトですよね。まあ、ある意味、これでもいいんですけど。53行で100ポイントでよろしいでしょうか。

ただ、この内容がまるで役に立たないかというと、そんなことはないですね。読書感想文の万能フレーズの宝庫。詳細は略す、という部分をちゃんと書けば、とにかく格好がつきそうな感じがします。実際にはそれがなかなか簡単じゃないのでしょうが。

読書感想文ジェネレーター

http://portal.nifty.com/special03/08/30/

2005/07/17 21:31:23
id:mimibukuro No.16

mimibukuro回答回数1299ベストアンサー獲得回数32005/07/18 02:23:41

ポイント441pt

「うつくしいこども(石田衣良)」


もしも、或る日突然自分の家族が殺人事件の犯人として逮捕されてしまったら、私はどうするんだろう。

この本を読んで真っ先に考えたことが、それだった。この小説の主人公「ジャガ」と同じ立場になってしまったら、私や、私の家族はどうするんだろう。たぶん冷静ではいられない。喚いたり泣いたり、責め合ったりしてしまうに違いない。どうして止められなかったのか、どうして気がつかなかったのか!!それはおそらく我が家だけではなくて、どこの家族も同じような反応を示すに違いない。普段は誰も想像すらしないに違いない。余りにも非現実的すぎる。

いろいろ辛いことや悲しいこともあるけれど、大抵の場合は毎日の生活は平穏で、殺人や強盗なんて遠い遠いテレビの向こうの話でしかない。痛ましい事件には顔をしかめるし、切ない思いをすることだってあるけれど、でもやはりそれは自分の世界の話ではないのだ。

突如起こった残忍で凶悪な殺人で、町はあっという間に大騒ぎになってしまう。そして、犯人は弟。この物語には過剰な犯人探しや推理は殆どない。あっという間に犯人が明らかになる。そして主人公は犯人でも被害者でもなく、「加害者の兄」。兄であるジャガは、自分の置かれた環境に立ち向かおうとする。弟をかばったり責めたりはせず、ただ彼を殺人へと駆り立てた原因を突き止めようと動き始める。

でも、何かが少しおかしいような気がした。

ジャガは一体何のために原因を探すのか……読み進むうちにそれが、「弟のため」ではなくジャガ自身のため」であることに気がつく。弟を理解するためではなく、弟が起こした事件を自分が理解するための調査。数人の理解者を得てジャガは真実に進んでいく。けれど確信に近づけば近づくほど、物語は悲しさを増してしまう。そこに登場する人々の澱んだ心が、美しい自然描写と余りにも対照的だ。ジャガへ手を差し伸べる友人たちもまた、それぞれに問題を抱えている。思春期特有の普通の悩みだけではない「特殊な悩み」。事件が起こるまでは気がつかなかったそれぞれの本当の顔に彼らは戸惑いながらも絆を深めていく。彼らの会話を読むうちに、懐かしい感情が蘇り、更に切なくなった。親や兄弟よりも友達を信じていたころの気持ちを急に思い出した。ジャガと同じ年代の頃、私もそんなふうにして様々な悩みを友人と相談しあったものだった。友情が永遠だと固く信じていた。

 実際の殺人事件では、加害者の家族はきっとこれ以上につらい思いを強いられるだろうし、その苦痛は想像もできない。この物語は余りにも美しすぎて、その点ではリアルさに欠ける気がする。あの有名な事件をモチーフにして描かれた物語だと思うと、どうもこの美しさに釈然としない。しかし、私たちの心から痛ましい事件を消さないためにはやはりどんな形でも記憶に留めておくのは間違いではないように思う。

 読み終わったあとも、ふとした拍子に思い出す。非常に印象に残る物語だった。


うーん、12年ぶりくらいですね。

高3のときが最後でした。

久々に書くと難しいもんですね。

id:hkt_o

多忙につき、以降、コメントを控えさせていただきます。すみません。

63行で441ポイント差し上げます。

2005/07/19 08:58:59
id:EX777 No.17

EX777回答回数5ベストアンサー獲得回数02005/07/18 06:21:44

ポイント420pt

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334735282/250-8629641-...

Amazon.co.jp: 江戸川乱歩全集 第4巻 孤島の鬼: 本: 江戸川 乱歩

「孤島の鬼」 江戸川乱歩


 私がこの本を読むきっかけとなったのは、


ある知人に薦められたからです。「今、あま


り持ち合わせがないから、先に読んでいいし


、君が読みたがっていた京極夏彦の本を貸す


から、この本を買ってくれ」と彼があまりに


も、熱心に薦めてきましたので、京極夏彦の


本が手に入るならという下心もあり、本屋で


買うことにしました。


 季節が夏ということもあり、江戸川乱歩の


世界観は元々好きだったので、読んでいる最


中は、読み終わるのが惜しいような、それで


いて続きが読みたくて仕方ないような楽しい


矛盾をかかえながら、江戸川乱歩特有の怪し


い世界にひき込まれて、あっという間に読み


終わってしまいました。


 この本を読んで一番印象に残ったのは人間


の業の深さです。「業」とは理性によって制


御できない心の働きのことで、「孤島の鬼」


では、登場人物の業の深さによって、事件や


悲劇を巻き起こしていくさまが描かれていま


す。「業」の深さを恥じ入るものもあれば、


開き直ったり、業の深さを省みず、悪行を重


ねてしまう鬼のような人物もいます。誰にで


も、こういった「業」というものはあるもの


ですが、ただ、普段はそのことを忘れていて


、他人の罪深い「業」には容赦なく糾弾する


のが人間というものだと思います。


 私も、兄が悪行を行ったときに、激しく糾


弾したことがありました。でも、母から、「


人間にはどこかに逃げ道がないと追い詰めら


れてしまう。逃げ道を作ってやらないのはか


わいそうだ。あなたの言葉は、厳しすぎる。


正しいことをいっていても、それはいってい


いこととは限らない。言葉は凶器にもなる。


あなたは言い過ぎるきらいがあるから、相手


を傷つけることがある。言葉で受けた傷はな


かなか治りにくいものだから、よく考えてか


らものを言いなさい。」と叱責されました。


私はこの言葉を理性ではうけとめることがで


きましたが、私も「業」が深い人間ですので


、感情ではなかなか受け止めることができず


、心の中では兄をなかなか許すことができま


せんでした。


 あのときは、兄にとって私はまさしく「鬼


」だったのかもしれません。誰にでも「業」


というものはある。この本はそれを私に教え


てくれたように思います。


 少し不純な動機で手に取ったこの本ですが


、私にとっては思いがけず、過去を振り返り


、自分を律するきっかけとなった一冊でした


。また、この本の素晴らしさを彼に語った結


果、最初は一冊だけの予定だった京極夏彦の


本を何冊か借りることができました。そして


、その結果、物事の見方を変えることによっ


て、世界は変わり、自分の見ている角度だけ


ではなく、色々なものの見方をしようと考え


るきっかけになり視野が広がったように思い


ます。一冊の本から得られるものは少なくな


いと思いますので、普段本を読まない人にも


おすすめしたい一冊です。(終)


 


ちょっと、ダメなレビューになってしまいま


したが、私の文章力ではこれが限界です。


読書感想文って奥が深いですね。

id:hkt_o

60行で420ポイント差し上げます。

2005/07/19 08:59:34
id:HARU_in_sheep No.18

HARU_in_sheep回答回数202ベストアンサー獲得回数32005/07/18 06:39:13

ポイント742pt

http://www2.odn.ne.jp/hosokawa/bikyuna.htm

ビキューナ(ヴィキューナ・ビクーニャ)のコート地・細川毛織

2回目の投稿です。前回の感想文(4番目の回答)の前半は私の書いたファンレターからの引用でしたので、感想文らしくなくて申し訳ありませんでした。今回は気をつけます。今度もマイナーな作家さんの詩集ですが、この方は作品の転載、利用を許可してらっしゃいます。感想文中に詩の一部引用がありますが、それがあっても転載可能だと思われますのでご安心下さい。


詩人 リン・タローイ作 「詩集 ビキューナのチャンチャンコ」を読んで。


作中に説明はないが、題名にある「ビキューナ」は「B級な」の捩(もじ)りである。リン氏の作品群はどれも「庶民」の「人生の幸せ」をテーマとしているが、第25作品にして突然「ビキューナ」が出てくる。「ビキューナ」とは最高級の布地で、コートを作れば数百万円を下らないと言われている代物。「ビキューナ」と「庶民」これは相容れない。何故「ビキューナ」を題名にしたのか・・・。


詩集は「ありがたやアリガタヤ教のススメ」から始まる。「~教の~」は氏の作品名によく採用されている。これまでの25週125作品の実に103作品がこれにあたる。氏は宗教家でもないし、宗教自身に興味はない。この作中にも「キリスト教の洗礼で食べてる丸いの何?旨いのか?」「禅宗といえば粥にお新香」と全て食に関する言及に留まっており、その意義とか哲学に触れる事はない。氏の信念は「食」にあって、その信念が全てを浄化させている。「のり弁の重たく感じる日」は「戦争があってもシアワセ」。「苺が思いの外に甘い日」は「近所で殺人事件があってもシアワセ」。「特売で肉が安ければ」「特にシアワセ」なのである。「食」とは「生きる」事。「生きる」事とは「苦難」を歩む事。「苦難」を歩み、しかして「食」す。氏の信念である。かつて芋煮を食してばかりで名刹を潰した僧がいた。氏はその僧であり解脱の極みにある。「生きる」それは「食」すのみ。そう教えられた。


第2詩「オロロンのひよっこどもが!」は問題作である。これまでのどの詩集にも同様の詩があり、正確な意味を見出すのは困難を極める。「オロロンオロロンロンロンロン」「ひよっこひよっこひよっこひよっこひょっとこ?」「ピーチクパーチクピーチクナ」「ぱちぱちぱっちんぱちぱっちん」。挿絵とあいまって、幻想的で可笑しな感覚に見舞われる。しかし庶民的というか、どこかで聞いたフレーズの繰り返し。これは言葉遊びにすぎず、つまり人生は遊びにすぎないという氏のもう一つの信念の具現化だろう。氏自身が楽しければそれでよい。読む人も楽しければなおよし!という事なのか。この詩を書く時の氏の笑顔が見えるようだ。


第3の詩「ピヒョイクルショイ教はパナポった」は意味不明な題名群の一つで、例によって題名と内容に関係性が無い。題名で奇妙だ、面白そうだと思わせる氏の手法だが、もう何十作品と同じ手を使っていて、その効果のことよりも氏自身がこれを好きになってしまったからというほかない。「テレ屋の恋愛は見てる方がテレる」「腿照り焼きの照り」「チロルでテロル」「キテルキテール」「寺の坊主、複数形はボージィズ」とテラ・テリ・テル・テレ・テロの言葉遊びの句が本編の合いの手になっていて、本編の重たい、苦悩に満ちた咆哮を緩和している。本編では「金が敵(かたき)の人生だから」「銭銭銭銭~銭也」「米米米米~米くれよ」「肉肉肉肉~肉は贅沢」(※括弧と~は筆者)と「金」と「食」がテーマとなっている。「食は人生也」という氏のテーマに新たに「金銭」が加わった新傾向の作品である。氏も25集にしてようやくお金の大切さが身に沁みてきたのか。


第4詩「ぱすてる教の夢の国」はどの詩集にも1編含まれる、女性ファンを獲得しようとして失敗している詩である。失敗している事自体を氏は楽しんでいて、読者もこの傾向の詩に最も惹(ひ)かれている。出だしの「今日はおでかけ」から笑みがこぼれる。「雨がやんでお空は真っ青」「みずたまりにお日様が写って」の後に「こんなアンニュイな日に限って母を思い出す」「自らを殺す罪を神は罰するというが、そんな神を俺は罰する」と続く。氏の朗読会に参加した際、氏は声色を変えていて可笑しみを倍増させていた。最初は高い声で、そしてたおやかに、やがて低く脅す様に。氏の角ばった顔でこれをやると実に可笑しい。氏が哲学者ではなくエンターテナーである事の一つの証拠である。


最後の詩「ビキューナのちゃんちゃんこ」でこの詩集は結ばれている。「女が男と歩いている」「男は高そうなコートを」「女の為に」「水溜りにそっと」「女の笑顔」とありがちなシュチエーションを説明的に語る。続いて「俺はちゃんちゃんこを」「女の為にそっと肩にかけるてやる事はしても」「またいだだけで」「ぶん殴る」と氏らしい句が続く。氏の吐露は、何であろうが誰かが作った物には思いが宿るのであり、お金が全てではなく「思い」が全てである心の表れである。「ちゃんちゃんこ」を氏は持っていないそうだが、詩に「ちゃんちゃんこ」がよく登場する。朗読会の質問コーナーで「ちゃんちゃんこ」を「ちゃんこ鍋」と勘違いしていた人が質問していたが、その人は氏の詩をかなりサイケデリックな物と勘違いしていた事だろう。「それはそれで一つの楽しみ方」と氏は援護していたが、本人は顔を真っ赤にしていた。蛇足だが「ちゃんちゃんこ」は「綿入り」の事で、古くからある防寒着である。氏はそれを「母の愛の具現化」といっていた。「思い」の代表的存在なのであろう。「ビキューナ」つまりB級な物に価値がある。つまり「思い」は「重い」のであると。

id:hkt_o

106行で742ポイント差し上げます。

2005/07/19 09:00:46
id:ShinRai No.19

ShinRai回答回数476ベストアンサー獲得回数202005/07/18 11:26:37

ポイント763pt

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4907818475/n08-22/ref%3...

Amazon.co.jp: はだかの起原―不適者は生きのびる: 本: 島 泰三

おほめにあずかりありがたく思います。

調子にのって、もう一本書いてみました。

お気に召せば光栄です。


島泰三著「はだかの起原 不適者は生きのびる」(木楽舎)


 通勤の途中、近所の公園に住む野良猫を見ながら、「おまえらみたいに毛皮があれば、洋服を買う必要もなければ、家もいらない。ローンもなければ、生活費もいらない。そもそもお金を稼ぐ必要がない。うらやましいなあ」と何度思ったことだろう。

 人間にはどうして毛皮がないのか、サルにも、イヌにも、ネコにも、スズメにも、カラスにもあるものが、どうして人間にはないのか。あったほうが楽に決まっているのに。

 そんな疑問を常日頃からもっていたものだから、「はだかの起原」という本の存在を知ると、一目散に本屋に向かった。

 ところが、この本、そんじょそこらの本屋には置いていなかった。そこそこ大手の書店を10軒近く覗いて店頭在庫を確認したが、どこにもなかった。もちろんネットで買えば、すんなり買うことができたのだが、なぜか書店で買わなければいけないという心の声が聞こえて、なんども無駄足を運んだのだった。結局池袋の超大手書店ジュンク堂で見つけ、同じ著者の「親指はなぜ太いのか」(中公新書)といっしょに購入した。新書をぺらぺらとめくって、購入を決心したのは、店頭に行ったおかげである。

 著者は、マダガスカルの珍獣アイアイの生態研究についての世界的権威である。アイアイの前は、日本の林野をかけめぐって野生のニホンザルの生態を追跡研究していたそうだ。

 20年ほど前の台風の日、暴風雨の吹き荒れる房総半島の山林の中、観察していた野生ザルのこどもたちが、風に揺れる大木の枝の上を、いつもよりも楽しそうに飛び回って遊んでいた姿を見て、著者は衝撃を受ける。そして、毛皮があれば、台風の中でも平気で暮らすことができることを理解し、「どうして人間は毛皮を失ってしまったのか」という問いに目覚める。

 問いに目覚めることそれ自体が、すでに答えを知ることである、といったのは鈴木大拙だったか。我々は、さまざまな不思議の中を生きているにもかかわらず、なんら疑問をもたずに生きている。人間に毛皮がないことに疑問を抱く人はそれほど多くはない。

 これまでにこの問題に取り組んできた専門家としては、「種の起原」、「人間の起原」を書いたチャールズ・ダーウィン、「はだかの猿」を書いたデズモンド・モリス、「人間海中起原説(アクア説)」を説くエレイン・モーガンらの学者がいる。しかし、著者は、野生観察にとくに重きをおく動物生態学者である。ものの見事に、ダーウィンやモリスやモーガンの立論の誤りを指摘して、科学的に論破して、議論を振り出しに戻す。

 それから、ご自分の博物知識を総動員して、裸の動物の一覧リストを作り、それぞれどうして裸になったのか、どうして裸で生きていけるのかを、分析する。クジラ、ゾウ、サイ、カバといった体重1トン以上の大きな動物から、ハダカオヒキコウモリ、ハダカデバネズミといった小動物にいたるまで、もれなく考察対象にするところは、小気味いい。実にダイナミックな科学の本である。

 結局、著者は、人間の裸化は、一種だけの突然発生として理解し、説明する。ほかに裸の猿はいないのだから、そのように説明するほかはない。その裸の猿が、火と家と着物を持つことによって、体温を維持し、体の水分の調節を行えるようになったので、世界のどこでも暮らしていけるようになったのだ。

 その突然発生は、おそらく南アフリカのクラシーズ河口洞窟で、起きたのであろう。63億人といわれる人類すべては、南アフリカの洞窟で生まれた裸のサルを共通祖先とするというのが昨今の人類学の共通認識であるらしい。

 人間は、裸になって、裸の不利な点を補う仕組みを作ることを覚えた。その時以来、人間は自らを環境に適合させて生きる野性生物であることをやめて、周囲の環境を自らの生存環境として改変していく動物に変わった。

周囲の環境を人間が生きやすい環境に改変する集団的行為が、文明(Civilization)であり、文明を拡大し、文明の中で生きていくために個々の人間が身につける術が文化(Culture)である。

 文化的生物となった人間は、地球上で優越的な立場にたつが、同時に自らを文明と文化の奴隷とした。つまり、文明の中でしか生きていくことができない生き物になってしまったのだ。

 著者が心を痛めながら観察しているように、人間によってマダガスカルの原生林は、次々と伐採され、野焼きされて焼失していく。そこを生活の場としていた野生のサルは今絶滅の危機にある。しかし同時に、野生ザルを絶滅に導いている人間たちも、結局は自分たちの作り出した文明と文化の力によって、砂漠化、温暖化、海洋汚染、水質汚染、その他もろもろの形で地球環境に壊滅的打撃をもたらし、自らを滅ぼしつつある。

 類人猿が毛皮を失ったところから、地球の文明化がはじまり、現在の地球的な環境問題が起きてしまった。どうしようもない文明と文化の時空間の広がりが、地球というサイズにいよいよおさまらなくなりつつある。人類文明の暴走を、野生動物と人間と、両方の立場から眺めている著者のドライな悲しみが伝わってくる本である。

id:hkt_o

109行で763ポイント差し上げます。

2005/07/19 09:01:31
id:aiguo No.20

aiguo回答回数242ベストアンサー獲得回数32005/07/18 22:43:50

ポイント322pt

感想文ジェネレーターの補助を借りながら、オリジナル風に書きました。100ポイントではさびしすぎる。


Go 金城一紀


この本は映画化されました。それをみたことがこの本との出会いのきっかけでした。映画と同名のこの文庫本をTSUTAYAで手にとりました。 表紙がつるつるしてて触ると気持ちのいい本でした。


一言でいえば、この本はおもしろかったです。在日、恋愛、友の死、進学。青春はさわやかです。


この物語の主人公の気持ちがわかる気がしてました。「うんうん」と心のなかでなんどもうなずきました。実はわたしにもこの物語に似た経験があるのです。在日日本人として日本で暮らし、恋愛、ペットの死、進学を経験しました。だからそう思ったのかもしれません。自分が主人公の立場だったら、と考えました。そう思うと読み終えた直後の感想にも納得がいきます。


だが、わたしたちには主人公と決定的に違う点があると思う。それはこの物語を読んだものなら必ず感じる点だと思うが、あえて書くとすると、それは主人公が在日コリアンであり、わたしたち読者のほとんどが在日ジャパニーズであることだ。


この物語に似た状況はいまの日本でも起きています。 韓国や北朝鮮と衝突が起きると、在日コリアンに日本人の矛先が向かいます。日本の中の他者として生きるコリアンを描いた作者のメッセージは今を生きるわたしたちにも示唆に富んでいると思いました。


この本を読む前とあとではわたしのものの見方が変わりました。主人公のように生きてゆきたい。在日コリアンとして生きていきたい。


でも、果たして完全にそういうことができるのだろうか。それは日本人独特の倫理観からそう思っているにすぎないのかもしれない。結局彼はコリアンでわたしは日本人。まったく違う人間なのです。または、それはわたしがアイスを食べながら読んでいたからそう思っただからかもしれない。アイスが本にこぼれてべたべたになってしまった。


改めて考えてみると、まんがじゃない本を1冊最後まで読めるなんて、自分で自分が信じられません。これを糧にもっと本を読んで利口になりたいです。そしてもっともっとうまい感想文が書けるようになりたいです。

id:hkt_o

46行で322ポイント差し上げます。

みなさま、ご回答ありがとうございました。

2005/07/19 09:04:25

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