ドラマ「義経」(平家物語)の時代の経済についてお尋ねします。


【質問1】
作戦中の武士は、軍資金をどう持ち運んだのでしょうか?

【質問2】
作戦中の武士が一般農民から食料を調達する場合、きちんと対価を支払うとすれば、どのような手段があるものでしょうか?
・農民は身分不相応な宝物(武士の身の回り品・武器など)を受け取らず、
 流通性の高いモノ(貨幣・江戸時代なら米など)しか受け取らないという想定でお願いします。
・武士は領主、土豪の類と接触できないというのが前提条件です。


(質問1と質問2の関連)
質問1の「軍資金」が、質問2の「対価」に直接回せるかどうかは問いません。
質問1と質問2は、バラの質問としてお考え下さい。

(質問の背景)
平家の落人に関するフィクションを書いています。

(考えてみたこと)
・武士たちが銅貨をジャラジャラ持ち歩くのは苦しそうです。
・農民が銅銭、不定形の金銀を持ったとしても困りそうな気がします。

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回答(2件)

id:ishiji No.1

ishiji回答回数13ベストアンサー獲得回数02005/08/02 04:30:48

ポイント60pt

質問1,2の双方に関することですが、上記のサイトの中の2ページ目右下に「荘園などの年貢を奪い取って戦場に赴いた」旨の記述があります。

同じ部分に平家物語からの引用として「都へ年貢を払う運送人を襲って」兵糧を奪ったという部分もあるので参考にならないでしょうか。

上記のサイトには、足軽(発生自体は応仁の乱の頃です)が兵站任務を負っていた事が書かれていますので、彼らに兵糧を運ばせていた部分もあると思います。

上記のサイトには後半に「源氏が東国から兵糧を持参し」という記述があるので、先ほどの部分とあわせて考えると、①足軽に兵糧を輸送させた、②現地等で略奪したの二つなのではないかと思います。

id:sisikawa

素早い解答ありがとうございます。

調達の制度がこのようなものだと、遠征中に軍資金的な(公式の)財産を持ち歩くことはなさそうですね。

【質問1】については、終了ということでお願いします。

【質問2】については「公式に対価を支払う」のではなく、

「徴発するけど、個人的にお礼がしたい」場合として、質問を続けさせていただきます。

2005/08/02 04:52:38
id:nattan No.2

nattan回答回数60ベストアンサー獲得回数02005/08/02 05:51:55

ポイント30pt

http://www.kanazawa-kankoukyoukai.gr.jp/

金沢市観光協会ホームページ

北陸の温泉旅行をしているとき、加賀百万石の「百万石」が、どれぐらいの経営規模か疑問になって「武家の給与制度が知りたい」と、上の窓口に訊ねに行ったことがあります。

歴史関係の教員を引退した方が対応してくださり丁寧に教えてくれました。

このような相談窓口がありますので、遠慮なく質問を申し込んだほうが、整合性の高い歴史時代の資料が得られると思います。


これから下に、ご質問に対して私が上のような聞きかじりで得てきたことを動員して答えさせていただきます。


【質問1】のA:「石高」や「禄高」という語句がありますが、武士の身分保証をする為の概念だということはご存知だと思います。その制度が定着し武士と主君の関係付けがシステムとして確立された時代以降、武士はその身分を得ると、剥札(はぎふだorはくさつ)という、管理方法で給料と任地を支配者に管理されます。それは、一種の帳簿であって、武士には札に対応した券が配布されます。券は「お米券(場合によっては別の穀物の事もある)」です。お米券は、一石が玄米二俵半に当たり(一俵の重さは現代と同じ)、その券は「五公五民」といって、通常半分を支配者に差し戻さなければなりません。


ですから、コインや貴金属を背負って任務をしているのではなく、券(トラベラーズチェックを想像すると近い)を懐にして移動して戦っていたということになります。


【質問2】のA:一般の民についても、領主が居て、その収益を半分差し出さなくてはならないのです。通例、「五公五民」と考えられますが、圧制を科す支配者は「6公4民」や、酷い取りたてのときは「7公3民」と、支配者への納入分を増やして搾取する事が時々あり、支配された民の反抗を受けて領主が討たれるという事態も珍しくありません。

領主に納入された、穀物や食料はその量目に対応した券で管理しますので、それが回っていって、武士に配布されます。

それで、券に信用を付与している領主や主君のネームバリューが各地に知られて通っていれば、券と食料や物品と交換ができるというシステムを構築していたようなのです。領主に支配された民は、食料を納めるのに代えて券を納入して良いので、信頼性の高い券を持っていれば、武士が領主や土地の支配者たちに処遇してもらう面倒な手順は省くのが当然です。


以上が、私が「大化の改新」以後の日本の律令体制で、武士や侍が出てその身分制度がシステム化され、登場してくるストーリーを読んだり観覧するときに、彼等の背景として踏まえていることがらです。

どうぞ時代考証の為の資料を、観光協会や博物館などに求めて、多くの人々を感心させる、シッカリした背景の読み物を執筆してくださいませ。

こちらでも、いろいろ教えてもらいました。

id:sisikawa

解答ありがとうございます。

「大化の改新以後の日本の律令制度で、武士や侍が出て・・・」とお書きになっていますが、ちょっとくくりが大きすぎます。

平家物語の場合、「藤原摂関政治を模倣した平氏の崩壊」〜「最初の武家政権が確立した初頭」の時代です。

ご解答の内容は、武家政治がキチンと確立した以降のものではないでしょうか。

【質問2】についても、いったん終了とさせていただきます。

平安〜鎌倉の経済史(貨幣制度史?)について調査してみて、それでもなお不明な点が出てきた場合には改めて質問させていただこうと思います。ありがとうございました。

2005/08/03 02:10:15
  • id:nattan
    問題は、札差両替の制度史かも?。

    「大化の改新以後の日本の律令制度で、武士や侍が出て・・・」これは、おお〜くくりですよね。

    さて、運送と便による諸国交易と信書の送達は、人々動きの骨格ですよね。

    「便に往復送賃を支払い信書を託して、消息をやりとりする。」というかたちの情報のスタイルは、1220年頃ではもう確立しているんです。
    便に支払う送賃が、物々交換で成り立っているなどという課金イメージは、到底有り得ません。
    そこに、札差両替が介在して小口の券を利用できる環境がなければ、支払いも出来ないですし、交易を担う便も動きがとれません。
    これは貨幣制度ではないのです。あくまで、物々交換を「お米券や穀物券」という代物で行っているのですが、制度として広くコンセンサスを得ていたものだと考えられます。
    これを、源平が確立したとはいえないでしょうね。考えにくいです、武門として一時代を築いたとしても、札差両替の制度に改革的に関わったというのは、ないのでは…?。

    そうすると、藤原摂関政治のどこかでかたちになって来ましたか?。
    判らないのではありますが…。
    藤原摂関政治の開祖といえるのは誰でしょう?。藤原鎌足で間違いないでしょう。藤原鎌足は中臣鎌足ですから、大化の改新が何らかの始まりなんでしょう。

    と、話が、おおくくりになっていくのが、「P.S.」に「大化の改新」が出て来てしまった訳なんです。
    「木簡」から「帳簿と券」への移行期…。 動産管理が、朝廷直属の役所でなされていたのは平城京だったろう…。
    動産の価値裏付けに、朝廷直属の機関から、各地領主や各国主君のネームバリューが、どの時代から立つようになったか…?。

    言い訳が散らかって、ご迷惑おかけします。
  • id:sisikawa
    完成しました。

    脚本(戯曲)を書いていたのですが、なんとか完成しました。
    平家の落人〜のくだりは、分量の関係上多くの紙幅を取れませんでした。
    ですが、「当時の経済状態を説明すると大変な分量になる」ということがわかり勉強になりました。
    あらためて感謝します。
    http://www18.ocn.ne.jp/~sisikawa/

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