これを裏付けるような考察をしているサイト/反論をしているサイトを紹介してください。
なお、今回は2chなどは無しの方向でお願いします。
http://www.asvattha.net/soul/index.php?itemid=441#more
Asvattha.net | Asvattha | Income Tax Filings | Dallas Tax Preparation | Tax Expert
おたずねのような仮説に関しては、社会学者の鈴木謙介氏がちょっと似たことをいっています。単に反マスコミといったことに限らないのですが、上記のBlogの
そうじゃなくて、僕がいつも気になるというか直裁にムカつくのは、こうした「反対派の反対派」が表明する、結局のところノー対案であり、ある考え方に対してバランスを取ると言いつつも、その実は、お上だか専門家だかに全てをお任せにして、どこにもコミットしないという態度だったりする。もうちょっと言い方を変えると、要するに彼らが言ってるのは、私生活を充実させることに邁進しながら、昔の左派よろしく「みんなで一緒に何もしない」ことを要求する「やらない平等主義」の立場から、左派(という彼らの脳内妄想)を攻撃することでしかない。そしてそのことに、彼ら自身、半分くらいは気付いているのに、できる限りそこから目を背けて、自己の存在論的安心を獲得するために、また脳内妄想にコミットしていくわけだ。
という話は以前に『世界』でも書いたし、今日売りだったかの『論座』にも書いたのだけれど、僕がイラついているのは、結局どこに行っても「左派・の反対・の反対...」という「立ち位置」を巡るゲームしかあり得ないにもかかわらず、そこを離れて、何かポジティブなアクションを起こそうとするときに、途方もないほどの「めんどくささ」が立ちはだかるという、僕らの心性そのものだ。できることなら僕たちは、いつまでも政治にも軍事にもコミットすることなく、不快な他者と交わることなく、そしてそういう連中を脳内妄想的に作り上げて、「俺はあいつらとは違う」ってゲームだけに戯れていたい。
という部分などはネットにはびこるある種の形式主義をとらえていると思います。
ただ、このエントリー全体はそれほど説得力がある論旨でもないと思うので、ここで紹介されている「論座」などの文章をお読みになることをおすすめします。
http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/research/symposium/past_sympo_isics...
第二章:「2ちゃんねる」における反マスコミ主義
2ちゃんの反マスコミ主義の分析に関しては、北田暁大氏のこのページでの分析がおもしろいと思います。ここで分析されている2ちゃんならーの一種のマスコミに対する距離の取り方は、形式主義といえるものかもしれません。
http://blog.livedoor.jp/f_117/archives/13279293.html
カレーとご飯の神隠し:◆今の反権力と昔の反権力
こちらのBlogでは「反マスコミ=反権力なんだ」という主張が素直にされていて、「形式主義だ」という主張に対する反論と読めるかもしれません。
回答ありがとうございます。3つ挙げてくれると嬉しいです。
鈴木氏が寄せた「論座」の記事も北田氏の近著も読んでいるのですが、2番目のシンポジウムの様子なんかはとても参考になりそうです。
鈴木氏もご自身のブログ持っていたのですね。はじめて知りました。
3番目もおもしろいと言えばおもしろいのですが、求めているのはそのブログの言うところの「現代の若者の反権力への情熱が第4の権力=マスコミに向った」プロセスではなく、そういった現状をふまえての上記の仮説に対する反論です。そういった意味では有効であるとは言いがたいですね。