説明できない・いけない理由はない・ケースバイケース、という類の回答はご遠慮ください。
アドレスはダミーです。命は,自分のものではないからです。自分の命でさえ,然り。命を奪う権利はどんな人間にもないからです。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%8Eg%96%BD&je.x=21...
国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書
以下、思いついたままに。
「この世に生まれてくる人は、みんな何らかの使命を持っているのです。それをあっさりと断ち切ってしまうことは許されるでしょうか。いいえ、決して許されません。」
上のコメント同様。
設問の趣旨が理解でき、回答できそうであれば、再回答をお願いします。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4314005564/qid=11287856...
Amazon.co.jp: 利己的な遺伝子: 本: リチャード・ドーキンス,日高 敏隆,岸 由二,羽田 節子,垂水 雄二
倫理的な説明は必要としていないようなので。
人間とは遺伝子の「生存機械」です。遺伝子が生き延びるために作り出した機械なのです。
遺伝子はなぜ生き延びようとするのか。理由はありません。とにかく自分の複製を後世まで残そうとするのです。
さて、この考え方でいけば、そもそも遺伝子は自分を守ってくれる体には死んでもらっては困るのです。
人を殺すケースは、この限りではないことはお分かりですよね。他の遺伝子などどうでもよいのです。
この本を一読していただければ、さらに分かりやすく遺伝子の「生存機械」の意味が分かっていただけるかと思います。
遺伝子に気を遣って自殺を取りやめる、というのは、どうなんでしょうねぇ。(飛び降りの説得に使うのは難しそう)
人間は自殺ができる、という時点で、利己的遺伝子説にはなんらかの問題があるのではないですか?
(本にはそのあたりを回避する説明が書いてあるのでしょうか)
あと、それだと「自分以外の遺伝子を、自分の生存をおびやかさない程度に減らす」のは、アリになってしまうわけですよね。
うーん。
http://www.msn.co.jp/home.armx
MSN Japan
アドレスはダミーです。
人には生きる義務があると思います。
沢山の犠牲の上で今の自分があるのですから(食物にしろ、生活の上での事にしろ)死ぬまで生き抜くべきです。
「人には生きる義務がある」も、その後の説明も、「だから、そういう人を殺してはいけない」と言えてしまいます。
すみませんがNGとさせていただきます。
Yahoo! JAPAN
アドレスはダミーです。
う~ん、結構難しいですね。再度お願いします。
自分を否定して死ぬ事がおかしいからではないでしょうか。
この世に存在している自分自身が嫌なら、自分を変えてみれば良い訳です。
自分自身なら変えられるじゃないですか、住む場所も話し方も顔だって整形すれば。
自分以外の人は嫌でも変えられませんから。
病気での自殺は説明できませんが…。
“自分を否定して死ぬ事がおかしいから”
これは「自殺はおかしいからしてはいけない」と言われているように聞こえます。
なぜおかしいのか?
続く説明は「しないで済む方法」のようで、「してはいけない理由」ではないですね。
http://happy.ap.teacup.com/kusanotom/21.html
(V.E.フランクルと)ある若僧の思想日記 - 自殺してはいけない理由
URLはダミーです。
自殺や殺人を不可として抑止するのは社会を成立させるためのルールなり法律なので
この質問の場合には、回答を先に提示されてると思われます。
強いてあげるならば、
自殺の場合には、事後処理をする人に迷惑ですよね。
殺人の場合には、他人の生存権を無視して自己の勝手で生存権を奪う行為ですよね。
ってことで、それぞれだめなんじゃないかなと思います。
それぞれ、誰にも迷惑が掛からなくて、嘱託殺人であればアリなんじゃないですか?
(法的にはもちろんNGですが→これは社会成立のためなので別な話)
殺人も、事後処理をする人に迷惑だと思いますが。
ってことでNGとさせていただきます。
それにしても、ルールやら法律やらは、グッときませんね。
「お前が死ぬと、社会が成立しなくなるんだよ!」
……混乱して一瞬くらいは思いとどまるかもしれない。
ちょっと、屁理屈っぽいですが....。
例えば、遺書無しで発作的に自殺して、遺体が変死体状態の場合、自殺か他殺か判断できず、警察や保険会社は処理判断に苦労します。
特定の業界&特殊な事象の場合の「自殺はいけない」理由ですがどうでしょうか?
うーん、かなり変化球ですね。
でも「判断できない」のですから、他殺の場合でも「変死体になると苦労する人がいるからヤメロ」なわけです。
上の方同様、NGとさせていただきます。
とは言え「なるべく人に迷惑をかけないこと」を心がける姿勢は、アリと思います。
(おそらく、そういうのを思いつかないのを「発作的」と言うのでしょうが)
はてなアンテナ
ダミーURLです。
なぜ自殺してはいけないのかを考える前に、自殺を全肯定したならばどうなるか、という結論を導く必要があるでしょう、
ここでは第一に生物として、第二に経済活動を営む者としてというテーマを自分なりに設定して追っていきたいと思っています。
まず人間も、当然生物の一種です。当然、防衛本能もありますし、種の保存を行おうとします。種の保存ということは、生物的に繁殖することです。自ら命を絶つということは、繁殖を否定するものです。また、本来は死にたくない意思表示が防衛本能であるはずなのに、これを否定することになるでしょう。
この世の生物に、故意的に自殺する生物は人間しかいません(ただし本能的に自殺する生物は若干います)。
従って自殺を肯定するということは、生物の持つ防衛本能と種の保存に反する事であり、そこに自殺してはいけないという、生物本能からの根拠を求めることが出来ると考えます。
次に、社会経済的な根拠を求めていく必要があります。
人は、他の生物と異なり、経済活動により種の保存をはかってきた一面があります。
明治維新の前までは、むしろ特定の場合における自殺というのは武士の美徳として認められた風習がありました。
しかし、これによって結局、生産力が減退していった結果、武家社会は衰退していきました。
経済活動には、生産活動を伴います。
生産活動には人的なリソースが不可欠となります。自殺の肯定により、それが著しく不足します。
結果、経済活動が停止し、社会の生い立ちからは「ヒト」という生物の保存がままならくなるのです。
私の考えは、こんなところですが如何でしょう?
まず、社会経済的な理由のほうは、すぐに殺人禁止にも適用できることがわかります。これはNGですね。
そして、「種の保存」も同様にNGです。殺すことは種の保存に反する。
残る「防衛本能に反する」もわかりにくいですね。
「痛くても我慢する」「疲れてるけどもう少し頑張る」「可愛い子だけど襲わない」など、
本能に反することが良しとされる場面はいくらでもあると思いますが。
あるいは、その個体の死が種全体の防衛本能の結果であるケースも、あるかも知れません。
URLはダミーです。
実行者本人の利益・不利益のみに観点をおいた回答です。何故殺人がいけないのか、を外すと無機的な回答になりますね。
行為だけをとれば、殺人の場合、(一時的かもしれませんが)殺人者に物質的、若しくは精神的な利益を生み易いです。そういう状況だから殺人をするのです。打算のない殺人においても、殺人者は不利益を負いません(法は殺人を防ぐために後付されたものです。行為自体は実行者に不利益を生まないのです。)。
それに対して自殺の場合、実行者は確実に損をします。蓄積したエネルギー・情報などを全て破棄してしまうのですから。確実に実行者が損をする行為を行うことは愚かなので行うべきではありません。
これは、どうなんでしょう。
自分の生に「不利益>利益」という判断を下しているからこそ、自殺するのではないですか?
また、「蓄積したエネルギー・情報などを全て破棄してしまう」も、殺人者には関係ないですが、社会にとって不利益であり、
したがって殺人禁止の理由として通用してしまいます。
よって、すみませんがNGとさせていただきます。
「家族・友人が悲しむ」これにちょっと近いのでダメっぽいですけど一応。
自殺が生きていることにあらゆる価値を見出せなくなる、ということだとするとつまりその人に関係する全ての人の価値の否定、に繋がりえます。
そうだとすると自殺はダメという禁止なのではなく「嫌」なんです。自分がする分にはともかくとして。
こういった全ての価値を否定するような殺人、もありえますがそれは例外だと考えられるので、「自分の価値を否定されるのが嫌だという感情」を元にいけないとされている、という事かと思います。
面白い回答ですね。たしかに自分に関係する人に自殺されるのは「嫌」です。
しかし、関係ない人ならいいのか?という問題もあります。
(また「自分がする分にはともかくとして」も、「人には否定されたくないが、人を否定するのはよい」ということで、やや問題?)
しかし「つながること」は、ことの抑止力としては有効と考えます。
この類の説明を必要とするという陥りやすい考えだと思います。「なぜ自殺してはいけないか」を考える前に「なぜ人は自殺するのか、なぜ人間以外の動物は自殺しないのか」を考えた方が分かりやすいのではないでしょうか?何故か人は人間以外の動物にとっては些細なことで自殺するものであるような感じがします。私にとっては「なぜ自殺してはいけないのか」ではなく「なぜ自殺する必要があるのか」に対しての答えがほしいくらいです。
はてなで質問されてはいかがですか?(「答えが欲しいくらい」と言うほど、ご自分で考えたことがおありならば)
自殺した人には聞けないので、ほんとうの回答は得られないかも知れないですが。
検索デスク SearchDesk スタートページ
URLはダミーです。
…他人への『人を殺してはいけない』という言葉に説得力が無くなるから、とか。
例えば、日ごろから自分に『人を殺してはいけないよ』と言っていた人に自殺されちゃうと、その人の言っていた『人を殺してはいけない』という言葉が、なんかうそ臭くなっちゃうというか、納得していたにも関わらずすごい疑問に思えてしまうんじゃないかなぁと思いました。
日頃から「人を殺してはいけないよ」と言っていた人が殺人しちゃうと、
やっぱりその言葉が嘘くさくなったり疑問に思えてしまうんじゃないか、と考えられます。
殺人禁止の理由としても使えそうなので、NGとさせていただきます。
一度で回答せずにすみません。以前の質問にあったもので気になり追加します。「なぜ人を殺してはいけないのか」の答えは先ほどの私の回答からすると答えはありません。つまり、動物の世界では、共食いもあれば、喧嘩をして最終的に殺してしまうこともあるからです。倫理や法律的な答えはNGともことですが、はっきり言ってそれ以外に解答が考えられません。殺人を可とすると、先ほどの動物でのルールからすると、無法状態になるのは、明らかではないでしょうか。この回答には、ポイント不要です。
いただいた回答にはコメントしポイントを割り振るのがわたしのマキシムなので、ポイントは届くと思います。
殺人や自殺を禁止するものは、倫理や法律しかないのでしょうか。
nadecさんは、自分の知り合いが自殺しようとしていたら、倫理や法律(…はないか?)を持ち出して説得するのですか?
それとも「止める理由はない」ですか?
Yahoo! JAPAN
一度自殺ないし殺してしまったら、生き返らないからです。
自殺してからあの世で死ななければ良かったと後悔しても生き返ることはないし、殺した相手に殺してから、あれは間違いだったと後悔しても、死んだ人は生き返らないからです。
生きているうちだったら、時間が経過するにつれて考えが変わることもあります。
でも、死は肉体的にも生命的にも終わりを示しているので、その先はないからです。
設問がわかりにくかったでしょうか?
NGとさせていただきます。
http://keiba.yahoo.co.jp/hl?c=horse&a=20051008-00000005-nks-...
Yahoo!���ݡ��� ����
卑怯だから。他人のことを考えず
命を失う、奪うことは自分の権利だけの
主張で卑怯なことで、現実の社会に
例えれば通用しないことだからです。
まるで中国政府、北朝鮮政府がしている
ことのようです。
あなたが、この2国の自己中にムカつく
なら説明した通りに理解していることに
なります。理解できないのなら
一生理解することはできません。
そういうことをお訊ねしているのではありません。
自殺してはいけない理由をAとし、人を殺してはいけない理由をBとします。
ここでは、AとBの差を教えてください、と言っています。
自殺の特徴として、人間はいずれ必ず死がやってくるのに、自らがその時期を決めてしまう点にあると思います。
いけない理由としては、その判断は現時点での判断であり未来の判断は考慮していなく、また生死は非可逆的であるからというのはどうでしょうか。
本能的な欲があるという前提ですが・・・
殺人も、行為者が対象の死の時期を決めてしまいます。
「いけない理由」のほうも、殺人の場合も適用できそうです。
NGとさせていただきます。
「してはいけない」なんていうのは、何か守るべき絶対のものの存在が前提となっているのでしょうね。
そういった絶対のものは何か? という質問なんだとすれば、結局はその当人の問題だと思います。
当人が、「守るべき絶対のものはもうない」と判断すれば、それで自殺は「してもいい」ってことになるんじゃないですか?
まぁ、「してはいけない」ってことの定義から話しなきゃいけないでしょうけどね。
こういう回答求めてらっしゃらなかったらごめんなさいw
いえいえ。「してもいい」って回答が、フッと風が吹くように心地よい、ということもありますよね。
「してはいけない」ばかりでは息苦しいですから。
すみません、9の回答者です。拙い日本語で、分かりにくくて申し訳ありません。
私の回答では、実行者の生が利益・不利益という話ではなく、「行為自体が実行者本人に利益を生むかどうか」を問題としています。自殺の理由に対してではなく、自殺という行為に異論を唱えているのです。
「蓄積した…」を殺人禁止の理由と読む場合には、仰るとおり社会的不利益の話になります。しかし、「蓄積した…」は自殺をしていけない理由ではなく、実行者が損をする理由です。自殺という行為は実行者に不利益なのでしてはならない、ということです。
自殺を止める場合、実行者本人の利益・不利益を社会の利益・不利益に優先させて話すのが良いのではないでしょうか。
「自殺は実行者本人にとって必ず不利益になる」というのが、jmpiさんの中では自明の前提になっているようです。
ほんとうに、そうなのでしょうか?
というか死んだ時点で本人には利益も不利益もない気がしてきました。
「死んだら損」の説得力が、「死んだら損も得もない」を上回れるかどうかですね。
・肉体と精神は別である。
・現実での死は肉体の死である。
この二点を前提とすると、自殺はすなわち自分に対する殺人と考えられます。そうすると自殺した場合、生きているうちに殺人を犯してしまったという罪悪感に苛まれることがなくなってしまいます。なので罪をつぐなうことができないから自殺はいけない、と思います。
その2点を前提とすると、現実での死後も精神は残る、ということですよね。
「罪をつぐなうことができない」と「自殺はいけない」の間に飛躍があるように見えますが
(=罪をつぐなわなくてよいなら、どちらかと言えばプラスではないか?)
ここは「ゆえに死後に後悔をするから」でしょうか?
それとも「ゆえに地獄行きだから」ですか?
まず死後の世界の実在を示せないと、自殺をしてはいけない理由そのものとして有効でない、と感じました。
Yahoo!
「なぜ自殺してはいけないのか」については、まずその自殺する人にはいろいろな人に対して少なからず責任があると思います。ナシとする例でもあるように「家族・友人が悲しむ」ということもこの責任の中に含みます。他には、人と人との関係です。そのつながりに少なからず影響を与えていると思います。その責任をこの世に残して自分だけいなくなるということは最も無責任かつ周りの人の立場になって気持ちをよく理解していない人のすることだと思います。だから「自殺してはいけない」と考えています。
殺人の場合にも、殺人者は殺される人が「周囲に責任があり、人と人との関係を持つ」人であることを理解していない、と言えますね。
また、殺人者自身も周囲との関係を壊してしまう、とも言えるでしょう。
自殺だけでなく、殺人を禁ずる理由として充分と考えますので、NGとさせていただきます。
http://www.hatena.ne.jp/1099494192
人力検索はてな - 「およそ人間は、自殺をしてはならない」って主張があったとして、どうして自殺をしてはならないか、説明しているurlをお願いします。 宗教は、カンベンです。 ..
多くの人が引き込まれる良い質問ですね。
基本的には3の利己的遺伝子説に賛成。
人の存在意義は次世代、次々世代に自らの遺伝子をより多く伝えることなので、
Q「なぜ自殺してはいけないのか」
A「自殺したら自らの遺伝子を新たに次世代に残すことができなくなるから。
人はその為に生きているのに。」
と答える。
ただ、この利己的遺伝子説で「なぜ殺人をしてはいけないの」
に同様に答えることもできる。
(全く同じでなく、「自殺していけない」が前提である点に注意。)
Q「なぜ人を殺してはいけないのか」
A 「殺人をすると、他の人間に脅威を与え、社会から抹殺されるか、
もしくは死刑として殺されてしまい、
自らの遺伝子を新たに次世代に残すことができなくなるから。
人はその為に生きているのに。」
殺人が結果として自殺となりうる訳で、これが世の中の真実では。寂しいけど。
ただ、以上の説明では、今まさに飛び降りようとしている人に対して、
まったく「ぐっとこない」。
こんなのはどぅ。
1「あなたは何のために生きてきたの!
死ぬためじゃなーいだろぉ!」
(「遺伝子を...」は略)
2「あなたの中にはまだ生きたいという気持ちが必ずある!それを殺しちゃだめだ!」
(「だって遺伝子は..」は略)
とか。
コメントにあった、
> 人間は自殺ができる、という時点で、利己的遺伝子説にはなんらかの問題があるのではないですか?
について少し考えるに。
「自殺:死にたいという欲求」について考える。
「死にたい」という欲求はガン細胞と同じではないかと。
ガン:自らの細胞であるのに自らの個体を滅ぼそうとする。
自殺:自らの欲求なのに自らの個体を滅ぼそうとする。
他に生きたいという細胞、欲求はあるのに。
「生きたい」と「死にたい」が戦うのだ
.......。
負けるな、「生きたい」、と僕は思う。
・「死にたい」と思う人は、全体にとっては「ガン細胞」に相当するのではないか?
・ガン細胞自身は、ただ「生きたい」と思っていただけなのではないか?
という、割とひどいツッコミを考えてみましたがどうでしょうか。
利己的遺伝子については、ちょっと気になってきたので、調べてみようと思います。
urlはダミーです。
これだと「社会が成立しなくなる」に該当しますかね…一応書いてみます。
まず殺人と自殺の違いから。
殺人は何らかの理由で他人の命を絶つのに対し、自殺は自分の都合で自分の命を絶つこと(他人の都合でなら殺人と同じ)。
問題は「自分の命を自分の都合で」というところ。
自殺する理由はさまざまでしょう。
いじめ・嫌がらせなどで生きているのが嫌になった、借金で首が回らなくなった、失敗をして責任を感じた、などなど。
それで死ぬのはなぜいけないのかを考えれば、かなり明白でしょう。
自殺の理由は、死ねば済む問題ではないからです。
自殺する本人は、死ねば済むと思っているから自殺するのです。
いじめや嫌がらせなんて、するほうからすれば標的が変わるだけ。
借金だって自殺で保険金が出ない場合もあり得るし、それで借金清算の手段にされたら保険会社が破綻します。
失敗の責任が死ねば取れるというのは自己満足で、世間的には単なる責任放棄と取られます。
本人が考えつめているほど、問題の解決にはならないのです。
つまり「死ねば済むと思っているのは死のうとしている本人だけ」。
だからいけないのです。
もっとも端的な例としては、池田小学校の殺人犯、宅間被告がそうでしょう。
彼は自分が死ねばいいと考えていた。
そのとおり死刑は執行されました(殺されはしたが実質は自殺と同じ)が、それで問題は解決するものではありません。
いかがでしょう。
まったく正しい気もしますが、その一方で「そんなの私になんの関係が?」と言われたら終りとも思います。
たしかに、死んでも社会的には問題は解決しませんが、死んだ本人には「無関係になる」という方法で解決する、とも言えます。
「死ねば済むと思っている」ではなく、本人は実際は「死ねば済む」のです。
解釈の差かも知れません。
しかし、多くの人は、自分と社会、どちらを優先させるでしょうか?
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/17/05/05053104.htm
児童生徒の心に響く道徳教育推進事業−命を大切にする心をはぐくむ教育の推進に関する研究−について
※URLはダミー。
別段、自殺しても問題はない。人生に悲観し、自ら命を絶つのは人間のみに可能な行為。
ならば、なぜ「してはいけない」のかと言うと、
「もったいない」の一言につきると思われます。
「失いたくもない命を奪われる事もあるのだから、無駄に捨てずに有効につかいましょう。」っというの発想。『他の人の為に生きてください』とも言い替えられる。
「もったいない」は殺人にも(ry
NGとさせていただきます。
http://www.hatena.ne.jp/1102402685
人力検索はてな - 練炭自殺等がニュースで多く取り上げられられていますが、あなたは自殺という行為についてどう思いますか。 何でもかまわないのでお聞かせください。 【参考】 http://dail..
興味深い内容ですね。
極端に言うと「殺人はいいけど自殺はダメ」ってことですよね。
僕の考えでは、善悪は他人が決めることだからだと思います。
世の中に必要無いと思ったり、
故意でも事故でも人を殺したり過ちを犯してしまった償い、
とてもつらい思いをしたり、、等
自殺する人の理由は色々あるでしょうが、
自分が死ぬべきだと決めるのは他人が決めることだからです。
最終的に生き物は死ぬわけですから
自殺にはなんにも意味が無いということです。
絶対に他の方法があるということです。
僕はこのように思いました。
再回答を希望されるなら「のっかりはてな」にてポイントを送ってから回答します。
ポイントは、不要と書かれた人にも送ってますが、いただいたら返さないかも知れません。
さて、回答は興味深いですね。
“自分が死ぬべきだと決めるのは他人が決めることだからです”
ちょっと、おお?と思いました。考えてみます。
あと、「最終的に生き物は死ぬのだから自殺には意味が無い」には、
「最終的に生き物は死ぬのだから今死んでも構わない」という反論があるわけです。
ゆえに「最終的に生き物は死ぬ」ということは、自殺の是非にはあまり関係ないのではないかと思います。
あっちこっちケイイチ
“自殺”=“途中放棄”だからではないでしょうか?
最後まであらゆる手段を講じて生き抜く(目的に向かって行く)のが人生だと思います。
それを“途中放棄”するのは“放棄してない人(まだ生きている人)”から“ずるく”感じるからではないでしょうか?
でも故人にたいして、正面切って「あんたずるいよ」とはなかなか言えませんね。
URLはダミーで、私のブログです。
自殺ずるい説。面白いです。
しかし、自殺がずるい(=周囲を出し抜き、ひとりで利益を得ている)のであれば、
いっそ全員で自殺すれば?ということも言えそうです。そしたら平等です。
自らの意志による途中放棄であること。これはたしかに自殺と殺人を分けるポイントのひとつかもしれません。
殺されて死んだ人に対して「途中放棄できてずるい」とは(ふつう)言いませんからね。
では、自殺志願者が殺されたケースは、ずるいのかずるくないのか? 途中放棄なのか違うのか?
BIGLOBE
NG覚悟でお応えします。
そもそも「自殺してはいけない」や「殺してはいけない」ということにそのものがすでに社会的法則であり、それに対する疑問も然り。
よってこの設問の本質に人権云々、人の感情云々など無用なのであれば、答えはただひとつ。
「善し悪しの問題ではない。選択の問題だ」としか応えようがありませぬ。
決して悪気はないのですが、天の邪鬼な回答なら何卒ご容赦下さいませ。
いえいえ。回答ありがとうございます。
しかしそれがほんとうにryu1207さん自身の答えなのですか?
13番の回答へのコメントをご覧ください。
http://www.yahoo.co.jp/ダミー:detail]
法律的に禁止されてない自殺を止めるには殺人のように人からの抑止力はあまり意味を持たないと思う。
殺人なら罰を受けるが、自殺なら罰を受ける自分がもう死んでるんですからね。
ぶっちゃけこれから死のうとしている人にこうゆう訳だからいけないとか言っても
「死んだら関係ないですから」
と言われればそれまでの話で、実際そんな抑止の呼びかけというのは自分のためにやるもんなんですよ。
恋人が死のうとしてたら止める。じゃあ関係ないヤツならどうか。でも止めるやつは出てくると思う。やたら正義漢ぶったヤツが。自分の周りで死なれると気分が悪いですから。
でもこれがせっかく踏みとどまった恋人、知り合い、無関係者を無差別に殺しまくったヤツが最後に自殺しようとしていたらどうか。私は止めない。むしろ殺そうとするね。でもそいつが自殺するにしても、死ねば爽快感はあると思う。
たとえが長くなったけど、自分に不利益をもたらすヤツなら止める必要もない。
自分に利益をもたらしてくれる存在には死んでもらっちゃあ困る。裏を返せば「お前は私にとってはまだ有益だ」ってことだよね。
まぁ、自分の存在に意味を見出せなくなった人とかを止める理由にはなるんじゃないかな。
http://www.hatena.ne.jp/ダミー:detail]
イジメ、虐待、借金etc...とかの痛みからの解放を求めての自殺についてはよくわかんない。
まあ死ぬほどの痛みだから死んで楽になろうとするんだよね。でも逆にさ。
死ぬほどの痛みならほっといても死ねるんじゃないの?
わざわざ自殺する必要もないと思うよ。
まさにぶっちゃけで、気持ちよい回答ですね。
綺麗事を持ち出さずにこれに反論するのは難しい。
でも最後の「ほっといても死ねるからわざわざ自殺する必要もない」は、
やっぱり、少しでも早く楽になりたい、とは思うんじゃないですかね?
人力検索はてな
22の回答者です。
おっしゃる通り、「死んでしまえば私には関係ない」と言われてしまえば、どんなに「自殺はいけない」という理由を立て並べても、自殺をしたがる人を止めることはできません。
それは、「自殺することによって全ての関係を断ち切ること」が、本人にとっての「至上の利益」だからです。
死後の世界や輪廻転生が明確に証明できない限り、その「至上の利益」は否定できないでしょう。
よって、この質問の結論は、建前としての「なぜいけないか」は得ることができても、自殺したがる全ての人を止めるオールマイティな決定打は何もない、ということになります。
「自殺したがる人を止めたい」のが質問の目的ならば、NGとして挙がっている「ケースバイケース」になります。
ほとんどの人には、何か「落としどころ」があるはずです。
個別にそれを探るのが最も適切な行動と言えます。
したがって、もし「特定の人の自殺を止めたい」のなら、この質問は適切な行動とは言えません。
自殺を止めたいのなら、まずは「なぜ自殺したいの?」と理由を聞くこと。
なぜなら、オールマイティな決定打はないから。
どうですか?
「自殺したがる人を止めたい」という場合は、わたしも個別に対応すると思います。
でもそれはもう、対応として後手に回ってしまっています。
そこまでいく前に、多くの人に「自殺はいけない」と感じさせられる説明はあるのか?
あれば、ベターだと考えています。
で、さらに、今回の質問は「殺人の禁止にも使える理由以外で」とお願いしています。
「自殺の禁止理由」は「殺人の禁止理由」にほぼ含まれるのではないかと考えており、
かつ「なぜ人を殺してはいけないか」は過去に質問したことがあるからです。
http://www.hatena.ne.jp/1128784395#
人力検索はてな - 「なぜ自殺してはいけないのか」を、「なぜ人を殺してはいけないのか」でも使える説明“以外”で説明してください。(例:「家族・友人が悲しむ」「社会が成立しなくなる」..
『自分で自分を殺してはいけない』という意味での自殺禁忌の倫理規範の根拠は、他律的なもので『社会の生産能力の単位の保持』です。
よって、社会の存続や生産力など自分には関係ないと考え本当に自殺する決意を固めている人、自分をこの世界から抹消したいと考える人にとって『自殺をしてはいけない』という自殺禁忌自体が前提とはなりません。
その人にとって『死ぬことが生きることよりも好ましい』と功利的に判断された結果、自殺してしまう場合には、倫理的な善悪(~してはいけないという規範)は通用しません。
一般的な道徳として『自殺してはいけない』と語られる場合には、人間の生存本能が前提されている為、多くの人にとってそれは自明な道徳律として受け入れられています。
しかし、少し思索を深めていくと、その道徳は『他律的なもの(社会→私・あなた→私)』であることに気づくと思います。
つまり、他者(社会)との相互的な関係性を考慮して、『私はあなたに死んでもらうと不利益を受けるから自殺はしてはならない』という他律的な根拠によって自殺は禁止されているということです。
死者には苦痛も悲哀もありませんから、自殺禁忌の根拠は宗教理念を前提としない限り、絶えず『生きている人間の側のなんらかの利益・感情・情動』にあると考えられるでしょう。
『恋人・家族・配偶者に死んで欲しくない。私は孤独感に襲われ、寂しさに打ちひしがれ、人生に苦悩するから』というのが、自殺禁忌の原型でしょう。
社会機能の維持存続まで拡大すれば、それが一般的な自殺禁忌になりますし、『生命の尊厳』の観念(ある種の幻想)に私たちの価値規範(弱者を助けなければならない、生命はモノより尊いという原則など)の大部分は規定されています。
自殺を容認することは、人間社会の秩序や規範を論理的に否定することにつながるからこそ自殺は(建前上ではあれ)禁止されるのです。
私が私に対して『私は自殺してはいけない』という倫理規範を有効にできるときには、以下の3つのケースしかありません。そして、この場合のみ『自律的な自殺禁忌が内面化』していると考えられます。
1.私が自分の生命を尊重し、人生を肯定している場合(大多数の人は死にたくないので、自然に自殺禁忌を受け入れます)
2.私の死を惜しみ悲しむ人に対する共感や配慮がある場合。つまり、他者に迷惑を掛けてはいけないという道徳を守っている場合。
3.死後の世界や最後の審判など、死んだ後に自殺に対するペナルティが科される宗教教義を信奉している場合。
よって、上記3つのケースに当てはまらない人が、人生に徹底的に絶望して生きる意欲を喪失した場合、実際に自殺を決行すれば死ぬでしょうし、それが良いか悪いかを云々しても手遅れでしょう。
最終的に、自殺決行者を思いとどまらせることができるのは、『私の死を悲しむ人の存在やその人の心の傷をどれだけリアルに感じられるか』にかかっていると考えます。
あらゆる他者との関係を持たず、徹底的に社会から孤立している人で、自分が生きることに絶望した場合には、宗教的な規範や教義などを信奉していないと自殺をしてはいけない具体的根拠はないでしょう。
『社会の存続への期待・他者の悲哀への共感・自己の生命の尊重・死後の罰則への恐怖』、これらが自殺を悪いとする人の価値観には必ずありますが、自殺を実行する瀬戸際にある人には『私があなたの死を看過できない、私はあなたが死ねば絶望的に悲嘆し続けるしかない』といった論法でしか説得できないでしょうね。
以前の質問(http://www.hatena.ne.jp/1124114353)で大変詳細なご回答をいただいたcosmo_sophyさんですね。
今回もありがとうございます。
「自殺したい」と言い出すような人は、既に上の1・2(・3)を飛び越えてしまっているわけだから
その先はもうこちらのエゴでもって止めるしかない、ということですね。
(愛おしい結論だと思います)
自殺禁忌と殺人禁忌の関係については、今回の回答と以前の質問の回答を比較してみることにします。
この地球に生命が誕生したことは奇跡的なことです。
月や火星等の荒れ果てた地表の写真をみてください。
それに比べて地球の景観は何と美しいことでしょうか。
現代科学では、人間は原始生物から進化したとされていますが、これも100パーセント証明しされたわけではありません。
外国では進化論と創造論を両方並べ、自分が信じる方を選びなさいという教科書を作っている国もあります。
いずれにしても、今この世に生を受けたということは、非常に幸運で素晴らしいとなのです。
その命を自ら絶つなんて、そんなに惜しいことは絶対にするべきではありません。
殺人によって殺された人は、本人の意思で亡くなったわけではないので、自殺の方がよりもったいないことをしていると思います。
「その命を勝手に奪うなんて、そんな酷いことは絶対にするべきではありません」と書き換えられますね。
そこまではNGとさせていただきます。
あとは「もったいない」ですか。
「自殺は殺人で死ぬよりもったいない。だから自殺してはいけない」は理由になり得るでしょうか?
http://www.mainichi-msn.co.jp/
MSN毎日インタラクティブ
URLはダミーです。
自殺は自殺を呼びこむから、というのはいかがでしょう。自殺のニュースや自殺者が年間3万人というニュースを見て、「みんな自殺してるから、自分も・・・」というように自殺のきっかけにする人もいると思います。
少なくとも殺人のニュースを見て「では自分も」と思う人はいないような気がします。そこが自殺と殺人の違うところであるように思います(もちろん、だからといって殺人をしてもいい理由には全くなりません)
呼び込むというのはあるでしょうね。
しかし「呼び込まれる人」は、もともとそういうことを考えているからこそ呼び込まれるわけで、
殺人の場合も、それは起きるのではないですか?
(「〜という事件をヒントに」という言い回しを時折耳にします)
http://d.hatena.ne.jp/http?//hatena.ne.jp
はてなブックマーク - はてな
親が一生懸命お金を注ぎ込んで
育ててくれたものを
ここで、台なしにするのはもったいない
から。殺人の場合はもったいないとか
そういう感情は働かないと思うので
この回答は有効だと思うんですが・・・。
NGでしたらすみませんm(__)m
殺人は、自分と相手と両方台なしにするので、2倍もったいなくないですか?
“殺人の場合はもったいないとかそういう感情は働かないと思うので”とありますが、
殺人の場合と自殺の場合に、その感情を働かせる力の源は、おなじものであるはずです。
ごめんなさい、NGとさせていただきます。
http://www.hatena.ne.jp/だみぃ:detail]
”人を殺す”と”自殺する”は、”死ぬ”という点でリンクしています。
違いは”自分”が死ぬのか”他人”が死ぬのかです。
違いがあるとすれば、ここだけです。
倫理的な回答を求めていないのでしたら、自殺と殺人の最大の違い。”遺書”についてだと思います。
私なりに遺書の意味を踏まえた結果、遺書を書いた場合のデメリットが殺人にないものだと思います。
となると次に述べるのは遺書のデメリット。しかし遺書にはデメリットはない。
となると、両方とも否定できる回答が求められるのではないでしょうか。
死んではいけないなんて、相対的なものです。
となると、しなれて困る理由は、相手に被害を与える時ですね。
最大の違いが遺書! 不意を突かれました。
(しかし「遺書でもめるケース」も多々あると思います)
わたしの質問のほんとうの趣旨は15番の回答のコメントにある通りで、
「そういうものはない」という結論なら、それはそれでいいのです。
(趣旨をはずれた回答も、考える上でのヒントとさせていただいてはいますが)
http://www.big.or.jp/~isaacrc/superscience/chiyoshima/thermo.0.h...
1-0 : $B%(%s%H%m%T!<$NK!B'(B
物理学で「エントロピーの法則」という法則があります。
URLをお読みください。
わかりやすくいうと、「高エントロピー状態 (均一なぬるま湯)」→「低エントロピー状態 (氷 + 熱湯)」は起こり得ないということです。
この法則が正しいなら、「無から有は生じない」ということです。
つまり、この宇宙も地球も人間も、万物の全てが存在しないはずです。
でも、現実にこの世は存在します。
人間がこの世に存在することは、物理学上ではあり得ない現象なのです。
現代科学ではとても説明が不可能である高貴な「命」という存在を
自らの意思で絶ってはならないのではないのでしょうか。
それは自分・他人の両方の命について言えますよね。
殺人禁止の理由としても通用するので、問いの趣旨から外れるため、NGとさせていただきます。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BD%FE%A4%A6&kind=...
国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書
殺人と自殺の違いから少し考えてみました。
殺人であれ自殺であれ、人為的な人の死は周囲に多大な迷惑をかけてしまいます。
周りに迷惑をかける行為は慎むべきですし、もしも迷惑をかけてしまった場合には
償うべきだと思います。
殺人の場合、殺した人は生きています。生きていれば、反省し、更生して残りの人生を
社会貢献に費やすことで、(殺人という罪の重さに比べればちっぽけなものかも
しれませんが)償うこともできます。しかし、自殺の場合は償うべき本人が死んで
しまっているため、償いの機会は永遠に失われてしまいます。
ということで、「人の死は、多かれ少なかれ、必ず誰か、あるいは何かに迷惑をかける。
自殺は、その迷惑に対する償いの機会を自ら放棄する行為だ。だから自殺してはいけない。」
という答えはいかがでしょうか?
ただし、決して「後で償えるから人殺しはOK」と言っているわけではないことはご了承ください。
うーん、なにかがおかしく感じます。
「自殺は人に迷惑をかける。そしてその償いができない。だからしてはいけない」
「殺人は人に迷惑をかける。そしてその償いはできる。しかししてはいけない」
ふつうに
「自殺は人に迷惑をかける。だからしてはいけない」
「殺人は人に迷惑をかける。だからしてはいけない」
で、充分なんじゃないでしょうか。
償える・償えないは、殺人と自殺の差ではあるけれど、禁止理由ではないんじゃないですか?
「いま刑務所がいっぱいだから、犯罪をしてはいけない」とか、ヘンですよね。
説明は出来ません。
人には 自殺をしないという能力が備わ
っているからです。この能力が見失われ
た時 自殺に向かうということかも知れ
ません。
ですが 存在を否定しないという能力と
表現すれば 他殺禁止の説明に重なります。
その限りで 説明し得ないように思います。
また公理だという言い方を持ち出したわ
けですから その分でも 説明できてい
ないのですが そのあたりに 焦点が当
たっているようには思えます。
説明できない、という回答はご遠慮いただいているつもりですが、
自殺禁止の説明と他殺禁止のそれに差はない、という要旨であれば、承ります。
【インフォシーク】Infoseek : 楽天が運営するポータルサイト
こんにちは。URLダミーです。
私は、気まずさ、だと思います。
たいていの自殺の理由は、
今の世界が嫌で、そこから逃げ出したいから、だと思います。
だとすれば、その原因は、自殺した人の周囲のどこかにあります。
本当の原因は、本人にきいてみないと分かりませんけど。
なのに、本人にきく手段はありません、死んでしまっていますから。
そうすると、残された人たちは、それぞれ予想をたてざるを得ません。
…ということは、残された人たちは互いに疑いの目を向け合う、ということです。
これは残された人たちにとっては、かなり気まずい事態です。
これが嫌なので、自殺はすべきでないということにしてしまえ!
と、だれかが言い出したのではないでしょうか?
最後がいいですね。「と、だれかが言い出したのではないでしょうか?」
そういうケースに当てはまる自殺は一部なのではないでしょうか。
明確に誰かに責があるなら遺書に書いておけばよいですし、
残された人も、疑いの目を向け合うというより、(思い当たる節がないか)自分を責めるのではないですか?
自殺を「自己の否定」「自己の肯定」の2つの場合に分けて考えてみます。
①自己の否定の場合(例:私なんていらない子なんだ!!)
自己を否定した場合、「自殺をする・考える」自分自身も否定することになります。結果、自殺は成立しません。
②自己の肯定の場合(例:私は次の場所へ行くんだ!!こんな社会、さよならしてやる!!)
自己の肯定の場合、自殺後も自己が保たれる事を証明しなければなりません。まず、この証明が客観的かつ論理的に成立させられない場合、自殺も同様に成立することができません。
また、自殺後の自己が保たれる事が証明された場合であっても、「自殺後>自殺前」である事を最低限「試算レベル」ででも明らかにしなければ自殺は成立しません。
少なくとも以上の2つが成り立たない限り自殺は成立しませんし、現状ではそれを証明する手立ては無いと思います(もしあるのであれば教えて頂きたいです)。
それでも、現実には自殺が起こっているようです。しかしそれは単に、「高いところから落ちたら肉と骨がバラバラになった」「薬飲んだら身体機能が停止した」というだけの話で、本質的に自殺が成立したことにはならず、実際にはただの事故(いや、事故だって大問題なんでしょうが)と大差がないのではないかと考えられます。
1番について。「否定することになります」と「結果、自殺は成立しません」の間に飛躍があるように見えます。
なぜ、成立しないのでしょうか。
自己を否定している人を殺した場合は(殺された本人にとっては)殺人は成立しませんか?
2番。“この証明が客観的かつ論理的に”は“主観的かつ論理的”であれば充分なんじゃないでしょうか。
(1番だって、客観的に見れば、自殺は成立しています)
で「自殺後>自殺前」ですが、たいていの人は、100%確実じゃなくても、勝てると思えば賭けるでしょう。
「自殺前」が充分に小さければ、「これ以下はない」と思うのではないですか?
とりあえず、一般的な「自殺」の定義とかなりズレたものをお持ちなのかと感じました。
http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20051009&a=20051...
Yahoo!���ݡ��� - �˥塼��
URLはダミーです。1回目はNGでした…。再検討してみましたのでよろしくお願いします。
『自殺』って、『人殺し』よりもかなり異常な行為のように思います。自殺って、強烈な『全否定』なんじゃないかなぁと。
もう、何もかも否定。『自分』って、その本人にとっての全てであり、『世界そのもの』じゃないですか。それを否定しているわけですから。
対して、『人殺し』はその相手を否定?することだから、『自殺』とは全然意味合いが違うんじゃないかと思います。
で、自殺とは世界そのものを否定する行為であるとすれば、それは我々自身も否定されているってことなんじゃないかと。
つまり、我々自身が生きる・生きていくということは、我々はそれ(自殺)を否定“しなければならない”んじゃないでしょうか。
あぁ、でもみんなで死んじゃえばいいのかも…。
それに、こんな理由じゃ自殺を思いとどまらせるどころか逆効果ですね…。
仰っていることには同意できます。
わたしも、たとえなんだかんだ文句を言っていても、「現に生きている人」は世界を肯定していると考えています。
そこは自殺と殺人の差かもしれません。
そうですね。残された人たちは、「自分や他人や世界が否定されたように感じる」のが嫌なんでしょう。
ただ、これは「してはいけない理由」には結びけることができません。
(「わたしが嫌だから」と言う以外の方法では)
実際にこの世界を、「誰もが生きていく価値があると思える場所」につくりかえるしかないですね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150307725/
Amazon.co.jp: 西城秀樹のおかげです: 本: 森 奈津子
はじめにことわっておきますが、この回答はNGです。長々と書いたあげく、自殺と殺人の差を見出せていないからです。まあ、参考として。
自殺しようとする人にとって、世界の価値とはどんなものか?
1.過剰にプラス
2.マイナス
3.ゼロ
マイナスがいちばんわかりやすい。生きることがつらく、そして無理して生きるほどの価値をこの世界に認めていない場合、人は自殺する。どんなにつらくても、誰か悲しむ人がいる、ということに価値を認めていて、総合的にプラスとなれば、ふみとどまる。
過剰にプラスとは、自分の命よりも世界のほうが価値が上の状態。自分が死ねば生命保険がおりて家族が助かる、など。自爆テロもおそらくこれに相当する。ただし、自分の命を軽く見積もっているのではない。むしろ、自分の命で自分にとって大切な世界が無事存続する、助かると信じられるほど、自分の命は重い。なので、「自分の命よりも」、よりも、「自分の生よりも世界のほうが価値が上」、といったほうが正確。
ゼロとはどんなものか? それは、朝起きて、「そうだ、死のうかな」、と思いついてそのまま実行してしまうような、そんな状態です。思いつかなければ、わざわざ死なない。世界に対して、プラスにもマイナスにも価値を持っていないとは、そういうことだと想像しますが、私の想像上だけでなく実在するのかどうかはわかりません。世界にはほどほどの価値があると感じている人に、「世界の価値ゼロ」の人は見えない、確認できないのではないかと思います。プラス、ゼロ、マイナスと表現しましたが、そうやって数直線上に連続して存在する点ではないように思う。ただ、どんな自殺者も、死ぬ瞬間――というか、飛び降りる瞬間、拳銃の引き金を引く瞬間、手首を切る瞬間には、その「ゼロ状態」になっているのかもしれない、とも、想像する。
過剰にプラス状態かマイナス状態の人ならば、説得できる(この理論上は)。しかしゼロはいけない。無理。というか、説得する機会すらない。なにしろ、そういう人、そういう状態は「見えない」のだから。ここまで、殺人でも同じことです。――ただ、過剰にプラスの場合、その「自分の生よりも大切なものがある」という価値観そのものを揺るがすことが「正しい」ことなのかどうか、疑問ではある。「あなたの世界を守るための最善の手段はあなたが死ぬことではない」、というのはいいが、それで説得できない場合……というか、説得者自身が、その自殺しようとしている人(行為者)が死ぬほうがその人の世界を守るために最善だと判断できてしまった場合、説得するためにはその価値観そのものを壊さなければならないが、それは「正しい」か? ……ここで、殺されようとしているのが「自分」か「他人」かの違いが出てくるのかもしれません。説得者が殺されようとしている人ならば(そして説得者が殺されたくなければ)、殺そうとしてくる人(行為者)の価値観を壊すことは、「正しい」(価値観を壊す前に、「あなたの世界を守るための最善の手段は私を殺すことではない」という説得が可能かどうかがある)、が――ここで行為者自身以外の視点が入ってくるのもおかしな話。ここまで、「自分」と「世界」――いや、「自分の価値観」と「世界」かな?――の二項で行為者の『世界』を考えてきているので。説得者の事情や動機は、行為者にとっては「世界」の側にある。もちろん、説得者の命も。そして、行為者にとっての「自分自身の命」も。その意味で、「自分の命は自分のものではない」というのは、まったく正しい。自分のものではないからこそ、自分の価値観によっては自由に「使えて」しまうものになってしまうのだが。
――と、こう考えてみたとき、自分の価値観に基づいて行動して自分の目的が達成されたとき、自分が生きているか死んでいるかにはたいした違いがないように思う。つまり、その意味(行為後に自分が生きているか死んでいるかの価値)では殺人と自殺に差はない。
……途中で話がずれています。自殺しようとする人を説得できるか、というのから、説得してもいいのか、というのに。私自身の価値観によって偏向しました。この質問で求められている答えは、「社会が、社会の成員『みんな』に対して自殺してはいけないと言う理由」ではなく、「『あなた』が自殺してはいけない理由」なのだと思いますが、私は、「『私』が『あなた』に自殺してはいけないと言う理由」を考えようとして、つまった……のかと。半端ですみません。
URLはエロバカSF短編集。人類が滅亡しかかっているのに自分の快楽を優先する人たちの話とか、究極のマゾヒストにはどんな刑罰も快楽になってしまう話とか。この質問を考えながらなんとなく思い出したのですが、関係あるのかといったら微妙です。おもしろいですが。
何度か話が出てきているように、結局は、止めるとしたらそれは「止める側のエゴ」でしかないのかも知れません。
それを直視したくないため「理由」を作り出して擬装するのではないか?と思えます。
…という言い方に納得できない人は、ずっと納得しないでしょうね。
根本が崩れたら、立て直すのは面倒ですし。
究極のマゾヒストは放置プレイも楽しめるのでしょうか。だとしたら完璧ですね。
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単純です。どんな人間でも死ねば、必ず悲しむ人間がでるからです。ときには、その人の人生をむちゃくちゃにすることもあります。自分の命はその人のものでも誰かしらの運命とかを背負って生きてるんです。だから、自分から命を粗末にするのは間違ってます。
既出というか、既出の回答の一部でしかありません。
別に、回答群すべてに目を通すのが義務でもないですが。
言われているのと同じ理由で、他人の命を粗末にするのも間違っている、と言えます。
従ってNG。
京都大学ホームページ
19. rg7-421さんが
・肉体と精神は別である。
・現実での死は肉体の死である。
と書かれていましたが、私はこの表現にある程度同意します。ただし、精神は肉体が滅んでも存続するとは思っていません。自殺しようとする人においては既に健全な精神は残っていないはずだからです。いわば精神は肉体より先に死んでいます。
端的に私の考えを述べると、自殺する本人にとって死ぬ理由はないと思います。自殺する人は極限的な精神状態に置かれている(例えばうつ病であれば、理由もなく非常に落ち込んだ感情がわきあがって止まらない)ことを無視してはならないと思います。つまり、自殺する本人にとっては自殺しようとする瞬間に(私たちが普段行っている)理性的な判断はありません。あるのは(自殺経験のない私たちは体験したことのない)異常な精神状態のみです。したがって、自殺する人を指して「苦しい状況から逃げたかったんだ」と言ったとしてもそれは誤りです。もちろん自殺する精神に追い込まれる過程で様々に苦しい状況があったことは確かでしょうが。
当然ですが、死ぬのは苦しいことなのです。普通に健全な精神を持って生きている人は決して自殺しません。死にたいと考えることと実際に死ぬことの間にははるかな隔たりがあります(もちろん生きている私は未経験ですが)。まして自殺する人に遺伝子の話をしても無意味でしょう。人は遺伝子のために生きているのではありません。遺伝子という概念自体最近になって生み出されたものです。人は遺伝子が発見されるよりずっと昔から代々生きながらえてきています。仮に進化論の視点に立つならば「人(や他の全ての生物)は遺伝子を守るために生きる」と言えますが、それは第3者の視点です。私たち自身が頭の中で「遺伝子を守ろう」と意識して行動するのとは別の次元の話です。
健全な精神の人が、自殺する人は「死にたい」と思っていると考えてしまうところに問題があります。健全な人でもつらい目にあえば、死にたいと思ったことはあるでしょうから、そう想像してしまうのも仕方のない話ではありますが。
では、「なぜ自殺してはいけないのか?」
私の考えでは自殺しようとしている人に自殺するかどうかの選択の余地はありません。既に正常でない精神状態にあるのです。従って、「自殺してはいけない」とか、「自殺してもよい」とか第3者の視点で述べることは本人の自殺の遂行にあたっては意味がないのです。
そこで、13.でのmichiakiさんのコメント
>自分の知り合いが自殺しようとしていたら、倫理や法律(…はないか?)を持ち出して説得するのですか?
>それとも「止める理由はない」ですか?
を参考にして回答させていただきます。私も今にも自殺しようとしている友人をみたら絶対に止めますから(^^ もちろん法律だけが理由ではありません。それは自殺する人の精神が、異常な精神状態だからです。もし自殺せずに生きながらえて健全な精神に戻れたら、必ずや自殺しなくてよかったと思うでしょう。決して自殺した方が良かったとは思わないでしょう。もちろん、健全な精神に戻るということは容易ではありません。異常な精神状態は、本人のみならず、本人をとりまく複雑な社会環境から生み出されるものだからです。
ちなみに、他殺をしてはいけない理由として、同じく「異常な精神状態だから」と答えることが可能に見えますが、言葉のあやで同じ表現が答えになるにすぎません。内容は違います。「精神状態」の内容が違います。自殺は私たちには想像できない苦しいのに比べて、他殺は全く痛みもかゆみも伴いません(もちろん、健全な精神の持ち主なら心は痛むでしょうね笑)。従って、自殺してしまう精神と他殺を犯してしまう精神とが異なる性質を持つことは容易に想像できます。
一部の、そして数多くのケースについては当てはまる回答と思います。かなりの説得力がある。
ただわたしは「冷静に検討し判断した結果、死ぬことが最善と理解できた」という場合もあるのではないか、
と考えますが、それは人によっては「異常な精神状態」と見なされるでしょうし、現に死ぬことで異常とされがちでしょう。
“必ずや自殺しなくてよかったと思うでしょう”
ここは、難しいですね。生そのものが至上の善である、というのでない限り。
自殺を止められた人のその後の人生を、誰が保証するのでしょう。
自殺を止める人は、止めることによって自分にも責が発生することを意識しないことが多いようですね。
(まさか止めておいて「自分でなんとかするしかないんだ」とは言わないですよね)
この世に生まれた限り、自分を殺めたり
苦労をして生まれてきた人を殺生しては
いけないのです。
たとえ、法律で決まっていないとしてでも
何万の中から選ばれた生命体で授かった命
神にも作られして授かった命
その努力を無駄にしてはいけないのです。
たとえ生きるのが嫌になっても
そこで死んでしまったらそこで負けです
何かと人には不幸はつきものなのです。
くじけずに進んでいけば
必ずしか、幸があるのでぃす。
URLにも行ってみてください
仰っていることとリンク先の内容の落差が面白いですね。
そして、多くの人は、この2つの思想の中間にいるのじゃないでしょうか。(偏りはあるにせよ)
生まれた時から世界を信じてない人はいないと思います。
徐々に、自分の思うままにならないことがあるのだ、と学んでいくのでしょう。
それがある限度を超えてしまっている人に、もう一度そういう「美しい教え」を信じさせるのは、とても難しい。
その方法を考えてみるのも、また興味深いですけれど。
Amazon.co.jp �z�[��:
少し視点をずらした答えです。
私は生きているのが楽しいです。運動したり、美味しいものを食べたり、性行動をしたりという野生的な意味あいにおいても。悩んだり、仕事をしたり、本を読んだりなどの人間的な側面においてもです。こうやって、問答をするのも自殺していないから出来るのではないですか?
つまり、自殺はもったいなくありませんか?
この理屈は殺人にはあてはまりませんよね、他人の愉楽は想像できても、体感することは出来ませんから。
“他人の愉楽は想像できても、体感することは出来ませんから。”
まさにその通りで、自殺を考えているような人に、
musigny2001さんの感じているような楽しさを体感させることはできませんよね。
そして、現に体感できていれば、そもそも自殺なんて考えないでしょう。
「もったいない」という考えは、「楽しい人」の考えで、
「自殺を考えているような人」からは、すごく遠いのかもしれないと感じました。
URLはダミーです
自殺してはいけない理由、それは「問題の解決にならないから」だと私は考えます。
人間は自らが「快適に生きるため」行動をします。
何故人が自殺をしたいと思うのか、細かい事情は様々ですが、「少なくとも今よりは快適になる」という考えがあるはずです。
「死」という全く想像の出来ない、しかも二度と帰れない状態と「現状」を比較して、「死」の方が魅力的に感じられてしまったとき、人は自殺を選ぶのでしょうが、死んでしまえば少なくともコチラの世界での「問題解決」は不可能になります。アチラの世界に行ったからと言って「今より快適な状態になる」保証もありませんし。
問題を解決するための行為であるのに、実際は問題の解決にならない。そして現状より「快適になる」保証がない。だから自殺をしてはダメなのだと思います。
ただ、死語の状態がどうなっているかなど分かりません。あるいは今よりもずっと快適かもしれませんし、今よりずっと苦痛かもしれません。「戻ってきた人がいないのだから楽しいに決まってる」なんて冗談めかして言う人もいますね。
あくまで死語の状態が分からないから自殺はダメなのであって、死語が「快適である」という保証が得られれば自殺がダメだと言うことは出来なくなるのかもしれません。
でもそんなことはあり得ないのでやはり自殺はダメですね。
“問題を解決するための行為であるのに、実際は問題の解決にならない”
ここにワナがあるように感じました。
例えば問題が借金であるなら、「解決する行為」は自殺ではなく借金の返済です。
つまり自殺は「問題を解決するための行為」ではなく、「問題から離れる行為」なわけです。
問題から離れたい人には、問題解決なんてどうでもいいんじゃないでしょうか。
死後の世界が快適だとわかったら、みんな自殺しちゃって、残った人はどんどん問題を押しつけられてしまいます。
だから死後の世界の存在は隠されているのです……ってのもありましたね。
http://azoz.org/archives/200411051318.php
AZOZ: 「あなたの死体が腐敗していくのを観察させて下さい」とテレビ局が今にも死にそうな人募集中
自殺をしてはいけない理由、自分が思うには後片付けが大変だから。
だと思います。
誰が好き好んで赤の他人の死体を片付けなくてはならないのでしょうか?
特に不敗の進んだ死体、血や内臓、排出物などが出ている死体、これらは健全な人はとてもではないけれど片付けれるような代物ではありません。
では、樹海等に入り込んで死ぬとしたらまた、行方不明者として保険会社の方々が書類を一杯書かなくってはなりません。
もし、本気で死を考えるならば生きていく上で重要な器官全部摘出してみてください。
そして臓器移植用として臓器を売って下さい。
臓器のお金は恵まれない子供達にでも寄付してあげてください。
生きてるうちにも迷惑をかけ、死してなお迷惑をかける位なら死んで一つぐらいは善行を行いましょう。
殺人でも後片づけは大変ゆえNG。はおいといて…
もし「眠っている間に無痛で死ねて、臓器は移植で有効活用されます」という公認の施設ができたら、
そこで死ぬことを希望する人は、それなりにいるような気がしますねぇ。
http://www.hatena.ne.jp/1124114353#a18
人力検索はてな - 倫理・宗教・法律を持ち出さず、かつ情に訴える以外の方法で、「なぜ人を殺してはいけないか」を説明してください。 説明できない・いけない理由はない・ケースバイケース..
35の回答者です。少し補足させていただきたいとおもいます。
ポイントは不要です、と言いたいところですが、michiakiさんは「いただいた
回答にはコメントしポイントを割り振るのがわたしのマキシムなので、」と
おっしゃっていますので、少し変更します。
ポイントは、オープンポイント分差し引いていただければ幸いです。
michiakiさんは以前、「なぜ人を殺してはいけないか」と質問された際、
上のURLで、「死体が粗大ゴミになってじゃまだからでないでしょうか?」
という回答に、「確かに。…」と一応肯定の返答されていました。これを見て、
私は、「michiakiさんは、どんな人をも説得できる万能の回答だけではなく、
限定的であっても構わないから多様な観点からの回答も求めている」と思いましたので、
今回は、「自殺は人に迷惑をかける。だからしてはいけない」という一般的、かつ題意に
背く回答ではなく、「償うことができるかどうか」という、ちょっと変わった観点から
回答させていただきました。
確かに私の回答は、他人に迷惑をかけてもなんとも思わない人にとっては自殺の
禁止理由にはなりません。しかし、「他人に迷惑をかけたら償うべきだ」という
倫理観の持ち主に限定すれば、1つの禁止理由になると思います。病死のような本人の
望まない死と異なり、自殺は『自ら』償いのチャンスを放棄しているわけですから…。
> 「いま刑務所がいっぱいだから、犯罪をしてはいけない」とか、ヘンですよね。
とおっしゃっていますが、ちっともヘンではないと思います。これも1つの立派な理由では
ないでしょうか。ただしこの場合、『犯罪をしてはいけない』理由として、michiakiさんは
上の回答より遥かに重要なものが他にあるとお考えなので、ヘンと感じているのでは
ないかと思います。もしそうであれば、『償い』というのはmichiakiさんにとっては
「いま刑務所がいっぱいだから…」と同じぐらいちっぽけなものなんでしょうか?
それは生きている人の価値をあまりにも軽んじてはいませんか?
まず、今回の質問と以前の質問は趣旨がまったく違います。
今回は、「自殺禁止理由のうち、殺人禁止理由としては通用しないものを述べよ」と言っています。
で、cryoさんの回答である、
“人の死は、多かれ少なかれ、必ず誰か、あるいは何かに迷惑をかける。
自殺は、その迷惑に対する償いの機会を自ら放棄する行為だ。だから自殺してはいけない。”
を見たとき、わたしはなにか不自然さを感じたのです。直感的に理解しにくいというか。
そしてよく考えてみると、
“自殺は、その迷惑に対する償いの機会を自ら放棄する行為だ。”
の1文を省いても成り立つことがわかったわけです。(そして、省くことで殺人禁止理由ともなる)
ここでいう償いは、迷惑に対する償いであって、迷惑がなければ償いはいらないわけです。
で、迷惑をかけてはいけない、で充分禁止理由として成立しているのだから、償い云々は蛇足と思ったのです。
万能とか一部にしか通用しないということは、今回のcryoさんの回答については問題にしていません。
最後の段落は誤解されているようです。(誤解されても一向に構わないのですが)
償いより重要なものがあるからヘンと感じたのではありません。
cryoさん自身が「後で償えるから人殺しはOKと言っているわけではない」と仰ってますよね。
ならば、自殺が仮に「後で償える」ものだとしても、やっぱりOKではないですよね?
(たとえば、来世があって、そこで修行やら功徳やらを積むと償えるとか)
わたしは「償える償えないは禁止理由とは関係ない」と考え、ヘンだと感じたのです。
「刑務所がいっぱいだから犯罪をしてはいけない」
空いていたらしてもいいわけじゃないですよね?
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別に自殺はいつでもできる事ですね。ただ見てたら助ける・・・みたいな。なぜ人を殺してはいけないか?別に誰でもできる事ですが、法律で決まっている事なので、殺してしまったら、それなりの罰があるわけで・・・。
この短い回答を何度読み直しても意味がわからなかったのですが、
もしかして、「自殺は法律で禁止されていないが、殺人はされている」って言ってます?
この分だと、自殺を法律で禁止しても効果があるのではないか?という気がしてきました……。
(例:自殺者の墓石には刑務官が毎年ヤカンいっぱいのお酢をかけにいく)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872336445/250-7498257-...
Amazon.co.jp: 自殺のコスト: 本: 雨宮 処凛
コスト面でのリスクが大きい。
全てがそうという訳ではないが、
保険金が下りないことも多いし、
死体処理にかかる費用は残された家族の大きな負担になる。
そういう意味で、残されたものに多大なる迷惑をかけるので、
自殺してはいけない。
迷惑を理由にする回答は、既にここまでにいくつか出てきていますので
NGというか、無効とさせていただきます。
http://nihon.matsu.net/nf_folder/nf_koramu/nf_jisatu_kimihe.html
院長のコラム/今、自殺しようとしている君へ
人は、愛するものに生きて欲しいと願います。
みんながそう思うからこそ、「自殺してはいけない」という主張が常識となり、また社会の中のルールとして形づくられています。
「人は自殺してはいけない」という言葉自体は、幻想です。
むしろ、死にたい人間はのんべんだらりと生きている必要はありません。
人が生きるということは、無数の命を自分のために奪っているということであり、いやいや生き続ける人間は、それでも生きるために命を奪い続けるからです。
前半はごく一般的な考え方ですね。誰もが「聞くまでもない」と思うような。
(それがなぜ「ないがしろ」にされているのかは、考える意味はあると思いますが)
後半は…「自殺したい奴はしろ」って言ってますよね?
無駄に他の命を奪ってまで生き続ける必要はない、と。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AB%E7%90%86%E5%AD%A6
倫理学 - Wikipedia
michiakiさん、前回の回答を覚えてもらっていたようで恐縮です。関心ある領域の質問なのでつい回答したい欲求を抑えられずに答えています。
とりあえず『自殺禁忌と殺人禁忌の差異』という観点から、前回の回答に若干の補足をしたいと思います。
自殺と殺人の禁止にある共通価値……『生命の尊厳・苦痛と絶望の伝播の回避・社会秩序の維持』
自殺の禁止のみに見られる特徴……自分で自分の生命を奪うことを禁じる。
殺人の禁止のみに見られる特徴……ある人が別の人の生命を奪うことを禁じる。
ここで注目すべきは、他殺の身体への実質的被害は他者に及ぼされ、『他殺を容認すれば、私が殺されるかもしれない』リスクを背負わなければならないということです。
一方で、自殺はその関係者に精神的被害を与えたり、社会的機能(労働単位としての機能)を損耗しますが、『自殺を容認しても、私が殺される』リスクを背負う必要はありません。
故に、殺人禁忌が『相互契約的倫理(私も殺さないから、あなたも殺してはならない)』である一方で、自殺禁忌は『自己信念的倫理(私は、他者との人間関係・社会的義務・生命の尊厳など種々の理由により生きなければならないから自殺はしてはならない。)』に過ぎないと言えます。
つまり、殺人禁忌は『殺す主体の生命と幸福』のために『殺される他者の生命と幸福』を奪う行為ですから、殺人に対しては法定刑を科して懲罰し、社会的な制裁を与えることがありますが、自殺禁忌は『殺す主体の生命と幸福』を自分自身(主体者)で奪いとる行為ですから公的な罰則や制裁を科すことはできず、その必要性もありません。
殺人禁忌は『相互契約的倫理』ですから、強制的に守らせられる善悪ですが、自殺禁忌は『自己信念的倫理』ですから、自分が自分の生命と人生を肯定するか、親愛なる他者の為に嫌々ながらでも生きることを選択するかしなければ強制力を持ちません。
殺人も自殺もその禁止の究極的根拠は『社会・共同体の存続維持を図る為』であることに疑いはありません。ただ、それら両者には質的な差異があります。
殺人は『怨恨と復讐の連鎖』を止めるために禁じられますが、自殺は『悲哀と虚無の連鎖』を止めるために禁じられるということです。
殺人禁忌は『積極的な利己主義者が、他者の権利を侵害する行為を禁じるもの』であり、自殺禁忌は『消極的なニヒリストが、社会全体に「生きていることは苦痛ばかりで無意味だから死んだ方が良い」という空虚な価値観を飛散・流行させる行為を禁じるもの』といえるのではないかという暫定的な結論に達しました。
こちらこそ大変ありがたく思っております。
ほとんど完璧に近い回答を、質問者のレベルに合わせて噛み砕いて書いていただいている様子を
ひしひしと感じています。
さて、今回いただいた回答ですが、かなり有力な考え方に感じましたので、
この質問を閉じたあとで、じっくり考えてみたいと思います。
少々気になったのは、以下の2点です。
・『他殺(自殺)を容認すれば』の“容認”が“遂行”の意味なら、確かに自殺の場合はリスクを背負わないが、
文字通り“容認”を表明することには、やはりリスクを伴うのではないか?
・自殺禁忌も、必ずしも自己信念的倫理とは言い切れず、相互契約的側面もあるのではないか?
(「私も死なないから、あなたも死んではならない」 実質的被害はなくとも精神的被害は及ぶので)
とはいえ、禁忌とする理由に何らかの質的差異があることは、疑い得ないようです。
いただいたヒントを基に、さらに考察を深めてみたいです。
「なぜ人を殺してはいけないのか」でも使える説明“以外”で説明してください。という理由が良く分かりません。これだとなにか都合の悪い事でもあるんですか?
普通は単純に痛くて苦しいのが嫌だからじゃないですか?生存したいという欲求を持っている限り人は生きようとし続けると思います。
しかし、何らかの理由で自分が生存する事が嫌になって諦めた時に自殺をかんがえるんだなあ。
安楽死や江戸時代の切腹などは別として、私は自殺は麻薬中毒と同じだと思います。現実から逃避したいという気持ちがそうさせるわけです。そんなことを考えてしまう人は非常に生命力が弱く、悲観的に思い詰めて自殺中毒になってしまうのかもしれません。結論、現実逃避だから悪い。逃げずに乗り越えられる人が幸福な人。
実際には死ぬ勇気があればなんでも出来ると思うのですが。
URL2つは以前、似たような質問のあったときに自分の日記に書いた回答です。この質問はあのときの質問のパクリかな?
「自分の日記に書いた回答」と仰ってますが、7/29のほうは「池田先生の本からの引用」しかないのですが。
(まさか?)
自殺は殺人の一形態(自分が自分を殺す)に過ぎないのではないかと思い、
もしそうであるなら、殺人を禁止する理由で自殺も禁止できるだろうと考えました。
それを検証したいので、仮定に反するケース(自殺禁止にのみ有効な理由)はありますか?と聞いたのです。
ですので、痛くて苦しいから嫌とか悪だとか、いけない理由そのものに興味があるのではありません。
MOTTAINAIを理由にする回答は、既にここまでにいくつか出てきていますので
NGというか、無効とさせていただきます。
http://www.kongoshuppan.co.jp/dm/0888_1.html
薬物依存の理解と援助:「はじめに」より
なぜ、覚せい剤やったり、麻薬やったりしてはいけないのでしょうか?
法律に触れなくても最近は煙草なんかもうるさくいわれてますよね。
その辺のところを考察してみると、この質問の答えもみえてくるのではないでしょうか。
それともそれは構わないとおっしゃるほうでしょうか?
薬物依存は慢性の自殺とも言われてます。
私自身の考えとしては結局のところ、人は自分の身を滅ぼすようなことをする人を見るのが恐ろしいからだと思います。
今は大丈夫でも明日はわが身になるかもしれないですしね。
想像力のある人ならそれだけでふるえあがって「やめろ」というのも仕方の無い事なのでは。
わたしは別にそういう人たちを見ても「明日はわが身」とは思いません。
事件や事故に巻き込まれるのと違い、そういうのは自分を律することでほぼ避けられるからです。
(想像力のある人っていうか、既にありすぎなんじゃないでしょうか)
うっかり包丁を持つと、これで刺してしまうかもしれないと思いますか?
http://www.hatena.ne.jp/1128784395
人力検索はてな - 「なぜ自殺してはいけないのか」を、「なぜ人を殺してはいけないのか」でも使える説明“以外”で説明してください。(例:「家族・友人が悲しむ」「社会が成立しなくなる」..
殺人と自殺の違いは誰が誰を殺すのかということだけだと思いますが、
自殺では、実際に殺したのは本人なのに殺されたのも本人なので、
残された人たちは本人以外にも「誰か」「何か」が
その人を殺してしまったのではないかと感じると思います。
「誰か」は本当は私かもしれない、「何か」の原因は本当は私にあるのかもしれない、
と身内や近しい人は考えると思います。そして、遺書があったとしても
真意は本人とともに眠ってしまいます。
私は殺人より自殺の方が直接的ではないのだけれど、
残された人から考えた加害者(加害者かもしれないと感じる人を含めて)が
ふえるのではないかと思います。
「あなたに死んで欲しくない」=「あなたを殺したくない」なんだと思います。
問題の趣旨からは外れた回答ですが、仰る内容については正しいものだと思いました。
One for all, All for one. みたいですね。
「わたし」は周囲のすべての人に少しずつ責任を持ち、逆も然り、ということですか。
最後の1文はちょっと解釈に悩み中です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%8...
キリスト教 - Wikipedia
宗教的な側面からの考えです。
キリスト教の教えでは、
「人は神が土から創り出した」という一説あります。ここから発展して、
・自殺は自分を壊すこと。
・自分は神が創り出したモノ(神のモノ)。
・神のモノを人が壊すことは許されない。
上記を三段論法風に変形すれば、
「自殺は許されない」
となります。
「許されないが、可能である」というところに、神の深遠なご配慮を感じるのですが、
そこはキリスト教的にはどう説明されているのでしょうか?
とりあえず、他人も神が創ったので壊しちゃダメ、ということで、
回答的にはNGとさせていただきます。
Juner’s Weblog
↑はダミーです。
『なぜ自殺をしてはいけないのか』については、『生』という生物の根本的目的からの逃避をしているからです。つまり、自殺=逃避であるが為にそれは根本的な解決にはなっておらず、立ち向って行くべきだからだと言う事だと思います。
『なぜ人を殺してはいけないのか』としては、その者を食べる訳でも、其の死体を利用するわけでもないので殺す事は必要ないと思います。
言葉足らずですが、自分の考えとしてはこんな物でしょうか…。
ひじょうにコメントしづらいので
パスさせていただけますか。
自殺してはいけない理由と、人を殺してはいけない理由の違いに特化した回答です。
自殺者=A、それ以外の人=Bとします。
Bにとって、自殺という行為は、(Bが)生きて/属しているこの社会が、(Aにとっては)くだらない、つまらない、価値のない社会であると宣告されることに相当します。Bは、様々なことを耐え、我慢を重ね、歯を食いしばってでも、現に生きているこの社会で生き続けようとしていますから、そこで誰か(例えばA)の行為によってこの世界にそんな価値はないと気が付いてしまうと、それを続けることが出来なくなってしまいます。そこで、その社会を続けるためには、それを否定するような自殺という行為を許してはいけない「ということにしておかなければならない」のです。
同様の回答はいくつかあったように思いますが(探す気力が…)、説得力のある禁止理由に感じます。
「ということにしておかなければならない」 しかも、そのことに気づいてはならない。
でも便利なもので、上の文章を読んでさえ、何を言われているのかわからない人には、わからないのですよね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4783502188/250-9447769-...
Amazon.co.jp: 人が人を殺すとき―進化でその謎をとく: 本: マーティン デイリー,マーゴ ウィルソン,Martin Daly,Margo Wilson,長谷川 真理子,長谷川 寿一
アドレスは、「人が人を殺すとき」という本です
希望の回答方法は、ある規範が、(よい・悪い)ではなく、なぜそのような規範があるか?というように理解しました。
45番の方と似ているかも知れません。
あと、同じ回答が、前にあったら、ごめんなさい。で、私の答えは、次のとおりです
自殺した人が負っていた責任は、自殺した人の周囲に及ぶ。
だから、自殺する人の周囲の人が、自己利益(保身)のために、自殺を阻止する、って事だと思います。
話の前提として、好きで自殺する人などいません。
普通の人は、自分の未来が、世間並より、バラ色である事が、心理学の実験で明らかになっています。
(ちなみに、バラ色の未来を想像できない人を「うつ病」といいます)
ここで、自殺したい人をAさんとします。
いま、Aさんは、50歳で、1億円の借金を、債権者Bさんにしました。
Aさんの年収が100万円で、平均余命が50年だとしたら、一生分の収入5000万円です。しかし、収入の殆どは、債権者Bさんの物です。
彼の余生は、どんなに貧乏生活したとしても、報われそうにありません。
とすると、50年先に寿命で死ぬのも、今死ぬ自殺も、Aさんにとっては同じかもしれません。
Aさんが、自殺をしない理由などなくなります。
だとしたら、自殺がダメと言うのは、お金を取りはぐるかも知れない債権者Bさんや、
借金の連帯責任を負うかもしれない、Aさんの家族や兄弟、連帯保証人です。
彼らは、自己利益にねざして、Aさんに
「絶対自殺はするな。人生逃げちゃあダメだ。逃げるなんて、卑怯者のすることだ!
生きてりゃ、そのうちいいことあるよ!人生カネじゃない」
って、硬軟織り交ぜながら、説得する気がします。
例が極端ですが、こんな所で、どうでしょうか?
事実として、たしかに世間はしょーもない不良債権でいっぱいであり、
誰かが死ぬことによって、自分の支払い分も、わずかとはいえ増えますよね。それは嫌です。
しかしリアルすぎる。もうちょっと美しい回答もないものか?って夢みてしまったりするわけですが。
UTU-NET うつ病、パニック障害、強迫性障害(OCD)情報サイト
「ホントは死にたくないくせに~」ということでしょうか。
私の見聞・経験している範囲内ではありますが、基本的に人間は「生きていたい・死にたくない・死ぬのが怖い(痛そう・苦しそう)」と思っているんじゃないかと。
幸せ・順調な時には、死んでも構わないと思う人はいても、わざわざ死ぬ人はあまりいないですよね。
敢えて自殺するというのは、うつ病や、厳しい環境(失業・伴侶の死)、あやしい宗教による洗脳(=集団自殺)、社会的規範(=切腹)のような(不自然な)圧力が内外から加えられているからであって、本意ではない。本意じゃないなら、やらないほうがいいんじゃないの?という話なのかなぁと思います。(本意という言葉がちょっと微妙ですが…)死にたいなんてウツだからそう思ってるだけなんだよ、うつ病ならうつ病を治せば?とか。逃げたいって思ってるだけで、死にたい訳じゃないんだよ、とか。
真剣に死にたいと思っている人に「それは本来のあなたの意思ではない」と言ったら怒られそうですが、それが私にとっては「いけない理由」に一番近い回答に思えます。
ご回答は質問の趣旨からは外れていますが、コメントします。
ではそもそもが普段生きてるのは、そのうちどれだけ「本意」なのかとか、
そもそも「本意」で生まれてきたのか?ということも言えてしまうんですよね。
「好きで生まれてきたんじゃない!」って言い回しもあります。
気づいたら勝手にこの世界に投げ入れられていたのに、なぜ続けなくてはいけないの?
本意で参加したゲームじゃないのに。…って人もいるかなーと。
自分で選んだのを忘れてるだけ、っていうと宗教になっちゃいます。
(なんか屁理屈臭いですが←いつものこと)
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URLはダミーです。
とても考えさせられる質問ですね。
私は「自殺は自然の摂理に反する」からだと思います。(このとき、病死や事故死などを「自然死」と考え、私たちにはコントロールできないものと考えます)
何度か挙がっていますが、人間以外の動物は自殺をしないと考えられます。そうなると、自殺をする人類は全地球的に見ると「自然の摂理」に反した生命であると言えるのではないでしょうか?
また、この「自然の摂理」で言うと、動物は同種でも縄張り争いなどで他を殺したりするので、「殺人も自然の摂理に反する」とは言えないと思います。
でもやっぱり、難しいですね。
自殺は自然の摂理に反するが、殺人はそうではない、と。
ちょっとなかなか刺激的な主張だと思います。
(そして、法廷では通りそうもない)
しかし、そもそも「自然の摂理」ってなんでしょう?
この単語、かなりその内容を恣意的に選択可能な気がします。
アドレスはダミーです。
自ら死を選ぶ『自殺』は『癌』と同一である。
それが精神的なのか、物理的なのかと言う問題に過ぎない。
『癌』とは病である。
自殺は『自分で自分の命を終わらせること。』では無くなり、『精神病で命を終えること。』となる。
周囲の環境によって精神病を発症し死亡したという事だ。
つまりは『自殺は病死』となる。
一般的に、病死は自殺と言わない。
すなわち、自殺と言う言葉の本来の意味自体が矛盾である。
結論:自殺と言う定義が成立できない。ゆえに自殺は出来ない
通称が“自殺”である精神病は、周囲の環境による他責であると仰るわけですね。
では自殺者が出た場合、法律によりその周囲の人たちに罪を負ってもらうのはどうでしょうか。
(そういう社会もあったような)
【価格.com】 賢者の買物 - 価格比較・クチコミ・レビュー
もしも××という理由を度外視できるなら人を殺しても自殺をしてもやむを得ないけど、それでも○○が大事だと思ったら自殺だけはしてはダメ、という○○が存在するかどうか、という質問と解します。
「もしも自殺をしなければならないほど自分が弱い人間だと思ったら、間違ってもそんな遺伝子が後世に引き継がれてしまうことがないよう、早々に自ら処理すべき!」
もしも、このような考え方に反対の意見があれば、それが○○に近い答えだと思います。
すみません、質問の解されかたがちょっと違うみたいです。(どうも質問文に難があったようです)
それ、殺人に置き換えたらホロコーストの正当化みたいですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD%E5%8B%99%E4%B8%8A%E9%81%8...
業務上過失致死傷罪 - Wikipedia
「自殺禁止理由のうち、殺人禁止理由としては通用しないものを述べよ」とのことですので、
あえて倫理に無視を決め込んで、いやらしい考えをして見ましょう。
一言で言ってみます。
自分自身の命は、他人の命の何倍も価値があるからです。
(恋人の、わが子のってのは、ナシです。それはあなたの感情移入の対象であり、
すでにあなたを構成する一部といえます)
例えば、私が誰かのものを損なったら、その欠損は私の持ち物で補うことが求められます。
人のものをとったなら、罰金(金品)で、懲役(時間)で、つまり私の財産を奪うことによって、
その代償に当てられます。その究極が、自分の命ということになります。
今の日本で、何人の命を奪ったら死刑になるのかわかりませんが、よほど残忍な殺人でも、
人一人を殺して死刑ということはないでしょう。普通に考えて数年以上の懲役、過失致死で程度によったら
罰金刑もありえます。尊い命、地球より重いといったところで、第三者にしてみれば
金銭などの物理的な対価に換算されてしまうわけです。
つまり、他人の命は金で買えるのです。もちろん、自分の命は金で買うことはできません。
他人の命は世界に60億もありますが、自分の命はひとつしかないんですから。
そうした価値判断で見るならば、自殺は個人の最大の財産の全放棄と見ることができます。
別にわざわざそんな大事なものを捨てなくても、辛い現状をどうにかしたいというならば、
命より先にもっと捨てるものがあるでしょう。
(辛い仕事逃げちゃえーとか、夜逃げしちゃえーとか。自分の良心と他人の命を捨てて(殺して)乗り切るというのさえ、
相互の価値判断によっては選択肢に上るはずです)
「物心ついたときから死ぬことについて考えてます」という方にはお目にかかったことがないので、
人間はプレッシャーがなければ生きようとするのがデフォである、という前提に基づいての話ですが、
自殺っていうのは、そういう価値判断ができないくらいに追い詰められられた結果じゃないかなと。
それならば、一時の気の迷いかも知らんのに、全部捨てるなんてもったいない…
NGワード出しちゃいましたが、やはり一番しっくり来るので。どうでしょう?
お気に召さないようでしたらオープン分お返しします。
ぶっちゃけ系の答えで、わたしは好きなのですが、もう死のうと思ってる人には通用しなさそうです。
(「もったいない」は他人の目で、本人はそう思ってませんから)
そしてそうなる前に教える・普段から説くには危険すぎるかと。(説く人自身が)
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さて、多数回答をいただきましたので、ここらで〆とさせていただきます。
ありがとうございました。
今回「ポイント不要です」という方が何人かいらっしゃいましたが、あんまり考えずに送る予定です。
「いらないのに受け取った」と感じる方は、送り返すのではなく、コンビニの募金箱に投入してください。
設問をちゃんと読んでますか? わかりにくいかもしれませんが。
「命は自分のものではないから」は、殺人を禁ずる説明にも使えるので、NGです。