すみませんが、明治時代に大本営を広島に作った理由がわかりません。①山陽本線が開業したこと。②呉が開港したこと。は分かりますが、明治天皇が統帥権を持っていたので、明治天皇、国会議員まで広島に移住して、一時首都になったのですが。なぜ日清戦争とはいえ、広島にしたのですか?是非教えてください。

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  • 登録:2005/10/15 18:43:52
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回答(4件)

id:morimori_68 No.1

morimori_68回答回数334ベストアンサー獲得回数42005/10/15 18:52:18

ポイント20pt

戦争において大事なのは補給で、戦場に近く、なおかつ交通の便利な場所に拠点を置くのが原則です。

id:toitaiki

それはわかりますが、国会毎広島に行く理由が分かりません。

2005/10/16 04:33:17
id:k_turner No.2

k_turner回答回数119ベストアンサー獲得回数02005/10/15 18:57:05

ポイント20pt

まず大本営は陸海軍の最高統帥機関という位置づけで、これが置かれたからといって「首都」というわけではありません。

日清戦争時、広島に大本営が置かれたのは宇品港(現広島港)が最も重要な軍港であったことが最大の理由でしょう。

こちらも参考までに。

id:toitaiki

いいえ、明治維新後首都機能移転の初めての事例です。

2005/10/16 04:35:46
id:k_turner No.3

k_turner回答回数119ベストアンサー獲得回数02005/10/15 19:06:44

すみません。先ほどの回答に一部補足、訂正します。

首都の定義は一般的に皇居のある場所という解釈が有力ですが、行在所のある場所という解釈もありますので、日清戦争時の約7ヶ月間、最高司令官である明治天皇が移った広島が首都であったという解釈も成り立ちます。

この回答に対するポイントは不要です。

id:toitaiki

そうですね。

2005/10/16 04:36:10
id:try100 No.4

try100回答回数467ベストアンサー獲得回数22005/10/15 19:20:08

ポイント30pt

ここに明快な説明があります。理由は4つ。引用すると、

-----

1. 補給拠点と司令部は前線に近い方が望ましい。

2. 国内輸送に必要な鉄道が開通している。

3. 補給物資の積み出しが可能な近代港湾が整備されている。

4. 物資の生産や貯蔵に必要な土地がある。

------

とのこと。

もう一つ。

id:toitaiki

これも全部読んだうえでの質問ですが、これしかなしですかね?

2005/10/16 04:38:12
  • id:sdkfz
    あー、もう終わってる。

    大本営は天皇の輔翼機関です。天皇を補佐して作戦を立案する組織であって、命令そのものは天皇の名によって発令されます。
    もし天皇が東京にいた場合、なにか命令を出さなければならないときはそのたびに参謀長が命令書をもって東京に出向き天皇の裁可を受けなければならなくなります。これでは何のために大本営を広島に前進させたのかわかりません。

    一方、立法府たる帝国議会も明治憲法第6条に「天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス」と書いてあるとおり天皇がいなければ法律を施行することができません。
    法律ならそんなに急がなくてもいいから広島まで裁可を受けにいけばいいだろう、わざわざ議会を移動させることもないんじゃないかと思いになるかもしれませんが、戦時ともなれば臨時軍事費や人材物資の徴用に関する法案など速やかに通さなければならないものが多々あります。
    というわけで議会も広島で開かれました。
  • id:try100
    広島に大本営を置いた本当の理由(憶測)

    4の回答をしたものです。「広島に大本営を置いた理由」が何か他にもあるのでは?というtoitaikiさんの疑問について考えてみました。可能性があるのは、地元有力者の誘致などではないか?と考えました。しかし、ウェブ上を検索してもそのような事は見つかりませんでした。広島出身の有力者が政府機関の重要な位置に居たわけでもなさそうです。当時の総理大臣伊藤博文は山口出身だし。....ところが。下記リンク(http://www.eonet.ne.jp/~kazusin/bakumatu4.htm)に示したページに驚くべきことが書いてありました。「1894年9月2日 伊藤博文 参内し大本営を下関に進めることを奏上、明治天皇まず広島にと言われる」。結局、下関には大本営は置かれなかった訳ですが、伊藤博文に支持者や縁者の多い下関に大本営を誘致しようという気があったのかもしれません。
    web(http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/war/nisshin.html)にあるように「川上操六参謀本部次長」が「本土決戦」を想定していた....というのも何らかの関係があるかもしれません。地理上の要地を攻守の拠点として軍隊を集め、政府を守るという意味もあったのかもしれません。

    http://www.eonet.ne.jp/~kazusin/bakumatu4.htm
  • id:yokikotokiku
    明治維新は

    薩長による日本侵略だった、というのはかなり当たっている見方だと思うのですが、
    日清戦争のころだと政府は完全に薩長主導ですし、首都そのものをムリヤリ長州に移して、日本の中心を西日本にしたかったのではないかと思います。
    そのための第一歩としての大本営設置だったのではないでしょうか。
    でも長州あたりはかなりイナカで、仮とはいえ首都機能は果たせそうにない、だからまあまあ都会な広島あたりに、とりあえず設置、みたいな感じではないでしょうか。
    まあ、300年かけてインフラ整備した江戸と同レベルのものを作れるわけないから頓挫したんだと思いますが。
    (すみません東京人です、いまだ薩長ゆるさん)

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