座禅をしていて「悟る」事と幽体離脱をする事、または死ぬ事との違いって何ですか。座禅をしていてあるところまで行き着くと体から抜ける感覚とかに似ていたりします。死ぬ感覚もこういうものなんじゃないかなぁと思い質問してみました。まじめな質問ですのでちゃんとした回答をお願いします。

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  • 登録:2005/10/16 23:19:01
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回答(10件)

id:lucifer07 No.1

lucifer07回答回数179ベストアンサー獲得回数02005/10/16 23:32:39

ポイント5pt

http://www.hatena.ne.jp/だみぃ:detail]

座禅をして悟ることを”a”

幽体離脱を”b”

死ぬことを”c”とします。


まず、bとcの違い。

幽体離脱は一部の例外(そのままぽっくり)を除いて、また元の肉体へ戻ります。

死ぬ、は、一部の例外(瀕死からの復活。まれにある)を除いて元の肉体へ戻ることはまずありません。次にa。

これは、100%体に戻ります。

つまり、以下の図のような関係式が成り立つと思うのです。

体に戻る=t、体に戻らない=sとおいて、両者の比率を”比”で表すと、


a(t:s=100:0)

b(t:s=99:1)

c(t:s=1:99)


つまり、”体の有無を大雑把な統計による”比”で表した時の上記の図による比率の違い。”

これが答えだと思います。


いかがでしょう。

id:sharpie

あるがとうございます。うーん、という事は座禅で悟るという事はやはり体に戻れるか否かを別として幽体離脱と同じという事になるのでしょうか?

2005/10/16 23:36:06
id:booboo_002 No.2

booboo_002回答回数352ベストアンサー獲得回数142005/10/16 23:36:30

ポイント10pt

座禅は忘我の境地を目指している、座禅=悟る、ではないと思います。日常からはなれ、客観的な態度、岡目八目に視点をもって行こうとするのが座禅、すなわち自分が置かれている立場からはなれた視点を持つこと。多角的な視野を得ることを目指すかと思います。

反して、死んでしまうと、得られた物を教訓として生かすチャンスを失います。

id:sharpie

ありがとうございます。

座禅を長くしている時に感じられる感覚というのは何なのでしょう。例えば夏目漱石の夢十夜の第二夜。このお侍さんは座禅をしていて無の感覚を得たと同時に「悟った」と受け取っているようですが、これは違うものなのでしょうか。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/799_14972.html

2005/10/16 23:47:29
id:minor-sweet No.3

minor-sweet回答回数93ベストアンサー獲得回数02005/10/16 23:44:43

ポイント10pt

http://park2.wakwak.com/~zen/zazenkai.html

�S�����T��X�g

座禅:アレは「悟る」とゆうこととはまた別モノのような気がします。 精神統一による、天地との一体感云々…とゆうだけで。

幽体離脱:未経験です。 ただ、実際に経験された方の話に拠ると、(少し感覚的に似た部分もあるが)全然違うとのコト。 無の境地とかとは別っぽいですネ。

死:未経験です。 わかりません。

id:sharpie

ありがとうございます。やはり悟るという事とあれとは違うものなのでしょうか。

この質問をしてみ理由は実は長い間座禅をしていると体が抜ける感覚と似てきて怖くなってしますことがあるからです。

2005/10/16 23:48:52
id:jyouseki No.4

jyouseki回答回数5251ベストアンサー獲得回数382005/10/16 23:45:29

ポイント25pt

現代科学では霊魂の存在を認めていませんが、それではこの疑問は解けないと思うので「ある」ということにします。

・「悟る」は霊魂が人間の中にある。

・「幽体離脱」は生きている人から一時的に霊魂が抜けている状態。

・「死ぬ」は肉体は滅び、あの世に霊魂が行った状態。

わかりやすく述べるとこういうことではないでしょうか。

id:sharpie

ありがとうございます。なんだかシンプルでわかりやすいです。

その悟るというのは本当に魂が人間に中にある状態なのでしょうか。

2005/10/16 23:52:13
id:miharaseihyou No.5

miharaseihyou回答回数4505ベストアンサー獲得回数5602005/10/16 23:58:48

ポイント3pt

http://www.tenki.jp/

【tenki.jp】日本最大級の天気・気象情報サイト

自分自身の感覚をあまり信じないでください。あるがままに物を見る。特に見えにくいのが自分自身です。感覚よりも理性を優先させるべきだと私は思います。自分に引きずられてなかなか実践できないことも多いのですが。きちんとトレーニング受けての座禅三昧は快楽の極致とは思いますが優雅ですね~。

id:sharpie

あるがままに物を見る・・・。難しいです。感覚よりも理性ですか。難しいなぁ。

2005/10/17 00:21:01
id:hhosono No.6

hhosono回答回数104ベストアンサー獲得回数02005/10/17 00:32:12

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http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/406181883X/

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 座禅をしているとき、長時間同じ姿勢を保ち、五感をある一定の状態に保つため、ときに幽体離脱をしている「かのような」感覚を得ることがあります。(ここでは、魂、幽霊の存在の有無は措いておきます)

 禅宗では、そのような感覚を「魔境」と呼び、悟りとは区別します。

 悟りとは「ある到達地点」ではなく、生きることの大いなる肯定で、悟った後の修行も重要視されています。

 禅宗では「山川草木悉有仏性」「狗子仏性」という言葉があります。大雑把に言えば、前者は「あらゆる全ては悟る可能性を持っている」という意味で後者は「犬の子は悟りを得る可能性を持っているが、そのことに気がつけないので悟りを得ることはできない」という意味の教えです。

 現代医学では、個体の生命活動の停止を辛うじて定義していますが、大脳や心肺が活動停止した後でも、他の臓器はある一定期間(心肺停止以前に供給されていた栄養が尽き、他の臓器との神経接続が不和を起こすまで)は活動しています。この点から考えると、肉体は徐々に死んでいくとも言えます。死ぬときの意識は、肉体の状態や脳内物質などによって規定される部分と、それだけで規定できない部分があり(健康な人間の意識と同じように)、死ぬときの意識や肉体の状態を特別視することはできないと思います。

 こうした問題について、京極夏彦さんの小説は平明に書かれていて参考になります。 

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id:sharpie

ありがとうございます。とても為になりわかりやすいです。求めていた回答です。

私も禅宗ですがこの「魔境」という言葉は始めて聞きました(というか何も知らない状態です)。紹介してくださった本もさっそく購入してみたいと思います。

ありがとうございました。

2005/10/17 00:39:52
id:kurupira No.7

kurupira回答回数2369ベストアンサー獲得回数102005/10/17 00:38:46

ポイント3pt

違いは生きているか死んでいるかだと思います。

この場合死んでいるとは、精神も肉体も両方機能しなくなっていることです。

悟るとは人生あるいは人間についての意味がわかることで、幽体離脱はまだ死んでいる状態です。

id:sharpie

うーん・・・。

2005/10/17 00:41:17
id:pasosavi No.8

pasosavi回答回数761ベストアンサー獲得回数282005/10/17 01:50:49

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該当URLは特にありません…


#もしかしたら、

 冷や水をかけるような回答かもしれませんが…


> 「悟る」事と幽体離脱をする事、または死ぬ事との違い


他の方々のご指摘も既にありますが、

死は脳死/身体死/腐敗のどの段階でも、

生きている間のどの状態とも異なっています。

ごくごく簡単な言い方をすれば、

人は死ぬと、元に戻れない、ということです。

再び意識を取り戻したあなたは生きていたのであって、

決して死んではいませんでした…


※瀕死、は、死、ではありません。

 (死にそうではあっても死んではいなかった

 また、蘇生、は、実は死んでいなかったので蘇生、

 ということになります。

 したがって、ここで言及している脳死は、

 意識の回復の見込みがある植物人間の状態ではなく、

 呼吸停止後に脳に致命的な損傷が生じて蘇生できない状態、

 ということになります。

 そのような死は、生きているどの状態とも医学的に異なります。


> 死ぬ感覚もこういうものなんじゃないか

よく、臨死体験、という語が使われますが、

医学的には、これは死後体験ではあり得ません。

むしろ、死に非常に近接した状況下で、

(死んではいないがまさに死にそうな時

常態では生じ得ない脳内活動が関係しているのが臨死体験で、

これを他のトランス状態と比較することはできても、

これをもって死後体験、は医学的ではないでしょう。

死ぬ感覚を味わって生還した人は世に一人もなく、

ただ、死にかけた感覚を味わって生還した人しかいないのです…


> あるところまで行き着くと体から抜ける感覚

その感覚があるうちは死んでいません。

(死んでいないので知覚することが可能

id:sharpie

確かに死ぬという事は何かわかっています。その死ぬ感覚について知りたいのです・・・。私の説明足りないみたいで申しわけありません。

2005/10/17 09:27:10
id:yuki_o No.9

yuki_o回答回数12ベストアンサー獲得回数02005/10/17 02:58:13

ポイント3pt

禅によって至る悟りとは、物事の表面ではなく、その裏側にある因果の流れを感じる状態です。


しかし、幽体離脱は自分の身体が見えると言うだけで、第三者的な視点を持っていません。


そこが明確に違うかと思います。

id:sharpie

うーん。そろそろなんだか外れてきたみたいなので締め切ります。

2005/10/17 09:28:06
id:TomCat No.10

TomCat回答回数5402ベストアンサー獲得回数2152005/10/17 07:54:05

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http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4839700168/qid=11295011...

Amazon.co.jp: ラマナ・マハリシの教え: 本

座禅で「悟る」というのは、ヒンドゥでいう

「サマディ」という状態ですね。


ヒンドゥでは自我と神との融合を目指して

瞑想を行います。


多神教であるヒンドゥは、ある意味、

宇宙自然の全てに神性が宿ると考える汎神教ですから、

瞑想を行うと、腰の辺りにとぐろを巻くように存在している

クンダリーニというものがだんだん昇ってきて、

いつしか脳天を突き破って高く上昇し、

そしてついに自我と宇宙が融合する、

といったイメージで瞑想するわけです。

そうして得られる境地がサマディと呼ばれる状態です。


このサマディという状態と「生と死」とを

比較対照して解明していったのが、

アルナチャラの聖者と呼ばれたラマナ・マハリシです。


師は17歳の時突然襲ってきた死の恐怖を直視するあまり、

一度は人事不省に陥るまでに心身共に追いつめられていきますが、

そこから肉体と精神との関わりを深く探求するに至り、

ヒンドゥのサドゥとして瞑想を重ねながら、

やがて自我の本質は肉体を超越した不死の意識である、

と悟りを開くに至りました。


サマディと死とは何が同じで何が違うのか。

それに対する師の答えが、ご紹介した本に

詳細に述べられています。


私はそれを解説する力を持ちませんが、

簡単に言ってしまえば、死は意識が消滅していくもの、

それに対してサマディは表面的には同じようであるが、

実は極限まで活性して宇宙と融合している状態である、

ということであろうかと受け止めています。


そして最終的に肉体が滅びていく時、

意識が同時に消滅していけばそれは死であり、

クンダリーニが高く昇って意識が最大に活性していけば

マハー・サマディ、すなわち仏教で言う成仏となるわけです。


ここにおいて、悟りの極致と死は肉体的には一致し、

精神的には全く対称的なものとなっていく、

ということのようです。

id:sharpie

「死は意識が消滅していくもの、

それに対してサマディは表面的には同じようであるが、

実は極限まで活性して宇宙と融合している状態である」

なんとなく納得。この本面白そうですね。

何だかカタカナが多くてちょっと難しそうですが(笑)

ありがとうございました。

2005/10/17 09:41:13
  • id:lucifer07
    う〜む・・・。

    書いていることと全く同じことを書かれている人がいますが・・・
    説明文が難しかったかな?
  • id:pasosavi
    Re:というか

    この方の求めていた回答は、
    最後の方の回答にあるような、
    ヒンズー教的神秘主義にあろうかと

    #他の人の感じ方/考え方を広く知りたい
     というわけでは特にないような

    ※この方が恐らくされたかった質問:
    座禅をしていて「悟る」事と幽体離脱をする事、
    または死ぬ(間際の状態)との違いって何ですか。
    座禅をしていてあるところまで行き着くと
    体から抜ける感覚と…死ぬ(間際の)感覚も
    こういうものなんじゃないかなぁと思い質問してみました。
    (括弧内は小生の推断による補足)

    #↑この質問でしたらわざわざ冷や水は掛けません…
     今回はごめんなさい…
     (死を欲しておられるのではないようなのでほっとしていますが
    http://pasosavi.ld.infoseek.co.jp/

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