憲法第十五条に「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」とありますが、この条文を元に公務員を罷免する法的手続きをとることは可能なのでしょうか?できないといっている人がいるのは知っていますが、もし本当にできないとすればなぜなのでしょうか?また、憲法を改正することなく、法律の改正により公務員の罷免は可能になるのでしょうか?


参考までに、以下のブログの記事程度の知識はあります。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/02/post_9.html

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回答3件)

id:Reformer No.1

回答回数147ベストアンサー獲得回数5

ポイント30pt

憲法15条 and 罷免 で検索して下さい。


H14. 6.14 東京地裁 平成13(行ウ)302 公文書非開示決定取消請求事件


憲法15条が「公務員を選定し,及びこれを罷免することは,国民固有の権利である。」とする趣旨は,あらゆる公務員の終局的任免権が国民にあるという国民主権の原理を説明したものであって,必ずしもすべての公務員を国民が直接に選定し,罷免すべきことを意味するものではなく,憲法が,国民が公務員を直接的に選定すべき場合(43条,93条2項)及び罷免の権利の認められるべき場合,あるいは独自の選定罷免権者を規定している場合(6条,67条,68条,79条,80条)を別とすると,公務員について,国民の選定罷免権をいかに具体化するかは,法律により定められるべき事柄である。


 #第43条 国会議員

 #第93条 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員



H14.10.30 東京高裁 平成14(行コ)188 公文書非開示決定取消請求控訴事件(原審・東京地方裁判所平成13年(行ウ)第302号)


憲法15条に関する控訴人の主張について理由がないことは原判決(12頁8行目から13頁初行目まで)の判示するとおりであり,


 #控訴するも原判決通りの判断のままです。

 #控訴を失当として棄却されています。


よって、裁判所の判断は、15条は「あらゆる公務員の終局的任免権が国民にあるという国民主権の原理を説明したもの」となります。とすれば、単なる基本原理の説明である15条に基づいての選定罷免権というのはおかしな話で、この条文を元に公務員を罷免する法的手続きをとることは、最高裁判所による憲法判断でもされない限りは、可能とは思えません。


判例にもありますように、実際上は具体化するために別途定めてあるべき法律に基づいて「公務員の罷免権」を行使することになるのでしょう。例えば、特別職地方公務員たる地方公共団体の長に対しては、地方自治法にリコールの規定があり、それに基づいて解職等を請求することができます。ある公務員の身分等を定めている法律等に直接請求権が規定されていなければ、その法律の改正又は別途制定することができれば可能になるかと思われます。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%A...(%E8%87%AA%E6%B2%BB%E4%BD%93):detail]

id:hihi01

ありがとうございます。やはり、個別法がなければならないということなのですね。

2005/10/20 07:25:04
id:sami624 No.2

回答回数5245ベストアンサー獲得回数43

ポイント30pt

①そもそも憲法は国家と私人との規定であり、私人間の規定をしているものではないわけです。

②よって、公務員の選定・罷免は直接国民に権利が委ねられているのではなく、それを規定する法律を決定する議員を選挙で選任する権利が与えられているわけです。

③実際に選定・罷免をするのは、国家公務員法や地方公務員法に基づき、行政機関が執行するわけです。

id:hihi01

「行政機関が執行する」ことになるのでしょうか?国会または地方自治体の議会、首長ではないのですね?なぜなのでしょうか?

2005/10/20 07:26:00
id:ymty No.3

回答回数32ベストアンサー獲得回数1

ポイント30pt

国家公務員法第89条

において、

第33条第3項において、

「職員の免職は、法律に定める事由に基いてこれを行わなければならない」と定めている。

http://www.jinji.go.jp/rinri/rule/rule_1.htm

人事院規則二二−一(倫理法又は同法に基づく命令に違反した場合の懲戒処分の基準)

人事院規則。

ここで定めている理由以外では公務員は免職できない。

憲法第15条第1項で規定されている「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」ということは、あらゆる公務員の終局的任免権が国民にあるという国民主権の原理を表明したもので、必ずしも、すべての公務員を国民が直接に選定し、罷免すべきだとの意味を有するものではない

id:hihi01

やはり、憲法に基づく法律次第ということなのですね。結構細かく懲戒規定があるのですね。これって、例えばいま話題のヤミ年金とかには適用されないのでしょうか?

2005/10/20 13:08:30
  • id:sptmjp
    これで納得ですか?

    >できないといっている人がいるのは知っていますが、もし本当にできないとすればなぜなのでしょうか?
    1,3番の回答に挙がっている判例は正解ですがその判例の根本を支える理由は「国民主権(憲法前文)」にあります。
    (誰も「国民主権」について触れていない)
    >また、憲法を改正することなく、法律の改正により公務員の罷免は可能になるのでしょうか?
    可能とする説もあります。「国民主権」を理解すればおのずとわかります。
  • id:hihi01
    Re:これで納得ですか?

    sptmjpさん、こんにちは、はじめまして、

    ありがとうございます。私のように法律に無知なものの疑問にコメントをいただきうれしいです。素人の疑問で恐縮です。

    ご指摘いただいた始めてわかったのですが、「国民主権」って前文にしか書いていないのですね?しかも「国民主権」がなければこの憲法は根拠を失うようにできているわけですよね?しかし、前文のほかの部分は各条文との整合性がかならずしも担保されていない気がしていますが、前文の実行性というのはどのようなものなのでしょうか?

    もし「国民主権」があるなら、その執行については法律によるとしても、国民に奉仕する立場にある公務員に対する「罷免権」を国民が全体として持つという理解でよろしいのでしょうか?

    なんとなく英文の憲法の「public officials 」という言葉と公務員というのがつりあわないような気もしますが、これは直接関係ないですかね。

    http://list.room.ne.jp/~lawtext/1946C-English.html
  • id:sptmjp
    おまたせしました。

    スルーされなくてよかったです。

    >「国民主権」って前文にしか書いていないのですね?
    前文と第一条にあります。
    >「国民主権」がなければこの憲法は根拠を失うようにできているわけですよね?
    うーん、いきなり難しい話になってきた気がしますが、ごめんなさい、「根拠を失う」の意味がよくわかりませんでした。
    >しかし、前文のほかの部分は各条文との整合性がかならずしも担保されていない気がしていますが
    それは非常に問題です。そうあってはならない。しかし実はそのようにいわれている部分があります。私もそのように認識しています。
    大変興味深い点ですが論点がずれるので今回はとりあえずパスしますね。
    >前文の実行性というのはどのようなものなのでしょうか?
    憲法本文の各条項と同じ法的拘束力を持ち各条項の解釈の基準となり単なる「政治的宣言」ではありません。
    更に将来における憲法改正の限界を画するという意味での法的拘束力もあります。


    国民主権とは「主権」が「国民」に存するということです。
    なぜそのようにしたのか。
    それは「基本的人権」を最も効果的に守る為の方法として最適だと考えられたからです。
    基本的人権を究極且つ最高の価値としよう、それを守り抜くには人権保持者の国民自身が自ら主権を保持すればいい、そうすれば自ら自分の主権を侵害する事はないだろうとの考えからです。

    「主権」が「国民」に存する、これは2つの側面を持ちます。
    1つは「国家権力の正当性の根拠が全国民に存する」という「正当性の契機」。
    もう1つは「国政のあり方を最終的に決める権力は全国民と同視される有権者の総体である」という「権力的契機」。
    この「正当性の契機」と「権力的契機」が密接に不可分に結びついたものと考えられています。

    この概念の発祥はフランス革命にまで遡ります。
    君主主権を打ち倒したあとどのような政治体制を打ち立てるべきかが問題となった。

    有産階級の上層ブルジョワジーは普通選挙なんてとんでもない、当然制限選挙を主張するわけです。
    それを正当化するのが「正当性の契機」だったのです。
    「確かに政治は主権者人民の意思に従ってなさねればならないがその場合の人民の意思とはすべての人民の利益に適った意思、その意味で「真の人民の意思」のことであり、それはその時々の熱情に流されたり利己的利益により歪曲されたりしている個々人の意思の総計たる人民の意思とは異なる。
    国民の意思が何かを判断しうるためには個別的利害の立場を離れて問題を考察しうる能力が必要であるがそのような能力を養うには生活のゆとりが必要であり、そのためには、一定程度の財産が必要である。故に財産に基づき参政権を制限する事は国民主権の原理に反するものではない。
    また代表者は選挙民の意思に拘束されてはならない。選挙民よりも優れた能力を持つはずの代表者は選挙民の意思に拘束されるのは理に合わないからである。」

    これに怒ったのは一般庶民。
    「確かに現実問題としては直接民主政治は困難であるから日常的政治については代表者にゆだねざるを得ないだろう。
    しかし最終的な決定権は常に人民に留保されなければならない。故に代表者に委ねる場合にも代表者が行う政治が人民が直接行う政治と同視しうるように、第一に代表者の選出には人民すべてが参加し、第二に代表者は選挙民の意思に拘束される」
    これがいわゆる「権力的契機」です。

    この権力的契機は一見いいように見えますが実は問題がある。
    それは直接民主主義的制度は多数者による政治支配の側面があるのでどうしても多数者の少数者に対する人権侵害が起こりやすいということです。

    いろいろ紆余曲折があり今では、「二つの側面が密接不可分に結合している、しかしわが憲法が代表民主制の原則を採る以上『正当性の契機』を中核とすべき」と考えるとする説が通説となっています。

    ちなみに国民主権の「正当性の根拠」の表れとしては43条の「全国民を代表する」、51条の「免責特権」などがあります。

    国民主権の「権力的契機」の表れとしては79条の最高裁判所裁判官に対する国民審査、95条の地方特別法に対する住民投票、96条の憲法改正に対する国民投票などがあります。

    そして国民主権の「正当性の根拠」と「権力的契機」のどちらをより強調していくかによって解釈が分かれてくるのです。
    正当性の根拠を強調すれば代表民主制的側面が強くなる。
    権力は国民自らが行使するのではないということになりやすい。

    前述の最高裁判例は正に「国民主権」の「正当性の根拠」の側面を強調したからあのような結論に至っているわけです。
    その理由は前述の理由から展開すれば、「公務員に対して直接民主的な制度を認めると国民の名の下に多数派の罷免権による牽制により人権侵害がなされる危険がある」ということになるわけです。

    以上の理由から一般には立法、行政府に対する直接民主主義的制度は認められていません。
    例えば「国会が法律案を国民投票に付すことはできない」「といわれるのもこれが理由です。
    また総理を始めとする大臣に対する国民による直接罷免の制度も「国民に罷免権を認め、内閣に直接国民の基盤を持たせると、国民の名の下に独裁が行われる危険があるので、代表機関たる国会を通じた民主化が妥当」とされています。
    それに対して最高裁判所裁判官に対しては国民審査がある。これは国民の民主主義的基盤から最も離れていているからだと説明されたりします。

    一方で一般公務員。これは今いろいろ議論されています。
    ここでも「国民主権」の「権力的契機」の面を強調すれば公務員に対する罷免が可能となるわけです。
    ただその場合「多数者による少数者に対する人権侵害の弊害」の側面に気をつけなければならない。ここをどうクリアするかが課題となってくるわけです。

    (奥平・憲法ⅢP402)「憲法は(一般公務員に対する)罷免制度の導入・樹立を準備していないだけで国会が適切な判断の元に憲法43条1項51条そのほかの関連憲法規定と矛盾抵触しない形で立法をおこない15条の罷免権を制度化するのを禁じているわけではない」。
  • id:hihi01
    なるほどぉ!

    >スルーされなくてよかったです。

    こんなおもしろい議論をいただいているのに、スルーする手はないです(笑)。

    私は法律関係にとんとうといので、自分が自分の主人であると感じられることが最も多くの人々が幸せを感じられる状態なので、民主主義であり、主権は国民にあるのだと素朴に考えておりました。法律的な解釈では、はるかに厳密でないといけないのですね。また、主権というときにその根拠がポツダム宣言にあることもはじめて知りました。

    http://homepage2.nifty.com/and-/barexam/souron%5B1%5D.txt

    某所でロバートソン議事法というのを習ったことがあるのですが、この議事進行こそが民主的であり、こういう形の議論をきちんとできるのが民主主義国家なのだ、という程度に考えておりました。

    http://www.asahi-net.or.jp/~pr3y-od/p5.htm

    まぁ、法律用語の「契機」の意味すら分かっていなかった私ですので、ここにすんごく違和感を感じました。

    >国民主権の「権力的契機」の表れとしては79条の最高裁判所裁判官に対する国民審査、95条の地方特別法に対する住民投票、96条の憲法改正に対する国民投票などがあります。

    なんつうか、逆に言えば国民側としては自分の権力を行使する方法として、これ以外ないということなんですよね?やっぱり、あくまで間接民主主義だから、公務員を直接罷免するということはナンセンスだと...?

    うーむ...(この間、質問の回答などを読み直して長考しました[笑]。)

    ある私の友人が言った「市長でも、首相でも、代議士でも、地方公務員一人クビにすることはできない。まぁ、日本をひっくりかえす覚悟がないと無理だろう。」という発言が私の疑問の原点にあるのですが、まぁ、直接公務員を罷免できないまでも、地方自治体の首長、代議士、議員にはこうした権利が付与されていてしかるべきではないかなとつねづけ感じております。一応、彼らは選挙という国民主権の正当性の契機の行使を通して(あれ、違うかな?)現在の地位と権力を付与されているわけですから、その監督下にある公務員の職務遂行を監督するためには、罷免権があるべきだと思います。来るべき地方自治体の財政危機を前に、この罷免権の行使の方法があきらかになっているかどうかはかなり大きいと思っているのは私だけでしょうか。

    あの一気に憲法議論から格調の落ちる議論へ移行してしまいますが、人事院規則も読み直しましたが、そんじょそこらの企業の就業規則よりはるかに甘い!なぜ?!多分、私も含めて普通の人々は、政治家や公務員により高い倫理性を期待しているのだと思うのですね。それは昔のサムライのイメージにすぎないのでしょうが、civil servantであらせられる方々にはより高い倫理を実行してもらってこそ、パンピーも倫理性を持ちうるのではと感じてしまうのも、私がオールドタイプであり、民主主義、法治国家という概念をきちんと理解できていないからかもしれません。

    いずれにせよ、この意味ではどの本に載っているのかわかりませんが、

    >「罷免権を制度化するのを禁じているわけではない」

    という解釈はとても救われるものを感じます。
  • id:sptmjp
    Re:なるほどぉ!

    修正です。

    「正当性の契機」とありますが「正当性の根拠」の間違いです。すみません。
    後半部分ではちゃんと書いてるのに。。○| ̄|_
    (他から突っ込まれる前に訂正)

    またよろしくお願いします。

  • id:hihi01
    正当性の根拠

    あれ?そうなんですか?

    国民主権で「権力的契機」と「正当性の契機」について書いているサイトがあったので、納得しておりました。

    http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1503/kokuminsyuken.html

  • id:sptmjp
    Re:正当性の根拠

    >あれ?そうなんですか?
    >
    >国民主権で「権力的契機」と「正当性の契機」について書いているサイトがあったので、納得しておりました。
    >
    >http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1503/kokuminsyuken.html
    今確かめたら「正当性の契機」でいいですね。これがきっかけで勉強になりました。
    >「国民主権の原理には二つの要素が含まれていることである。一つは国の政治のあり方を最終的に決定する権力を国民自身が行使するという権力的契機であり、他の一つは国家の権力行使を正当付ける究極的な権威は国民に存するという正当性の契機である」(芦部P41)

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