1、戦後考える暇がなかった
2、援助してくれた。「自由と民主化」をくれた。
3、白兵戦が少なかったから
4、武士道精神のため(ラストサムライみたいな)
5、気が優しい
6、教育戦略が成功した
7、日本政府にも不満があった
8、昔は中卒が多かったのでそんなこと考えない。
9、白か黒で、はっきりできない。もっと複雑。
10、時間が解決した。
11、政府は気に入らんが個人的にはやさしくて立派なアメリカ人のおかげ
など。理論より伝聞や実体験でお願いします。実際アメリカの空爆等で親族を亡くされた方のご回答などお願いします。
2、援助してくれた。「自由と民主化」をくれた。
5、気が優しい
個人的には、この2つが強いと感じています。
今の日本の周りにある製品はアメリカで発明された物が非常に多く、文化というよりは技術力に圧倒されています。
あとやはり、日本人は世界の中では優しい民族です。最近非常に物騒になったようにいわれていますが、それでも外国から比べたら治安はいいので。
http://www.hatena.ne.jp/1131638864#
人力検索はてな - 日本人はアメリカに対してなぜ恨みをもっていないのでしょうか。 1、戦後考える暇がなかった 2、援助してくれた。「自由と民主化」をくれた。 3、白兵戦が少なかったか..
戦後徹底的に民主主義と先の大戦は侵略戦争であったということを教えられたためだと思います。日本が悪かったんだ、ということを徹底的に叩き込まれたというべきですかね、実際には開戦せざる終えない状況にあったともいえると思いますが、表面に出さなくてもどちからというと嫌いって人も結構いると思います。
「アメリカ政府」を嫌っている人は若い世代でも多いですね。戦災に会った方は感情的な恨みは持ってないのでしょうか。教育で変わるものなのでしょうか。
http://www.bandsjapan.com/sa.html
SA Official Web
戦争を経験した親族の意見なのですが、日本人の多くは敗戦直後、天皇がアメリカ人と日本国民の仲介役をしたことで盲目的にアメリカを受け入れた節がある、といっていました。「仲介役」というのがよくわかりませんでしたが、あの有名なラジオ放送などのことかと理解しています。他にも、これは戦争を良く覚えていない私の意見ですが、中国のように教育で反米感情を煽るようなことをしていないから、というのもあるかと思います。
愛する人を失っても教育で人は変えられるのですかな。。でも戦前は恋愛結婚は皆無に近いですから自我とか個人の感情を優先する方があまりなかったのでしょうか。日本アメリカという区分でなく「時代」が悪かったという方も多いかもです。
水木しげるは、憎い上官を敵国のアメリカが倒して複雑な気持ちと書いてました。
http://plaza.rakuten.co.jp/cinemaopensaloon/diary/200408160000
「終戦」と「敗戦」 - 映画と出会う・世界が変わる - 楽天ブログ(Blog)
リンク先はほぼダミーです。
私の祖母は日本が負けたとき、山に逃げたそうです。鬼畜米英が何をするかわからないというわけですね。
でも実際は何でもなかった。(むろん米兵の犯罪が皆無だったわけではないです。新聞はGHQの検閲を受けていましたから、「背の高い男がうんぬん」といった「わかる人にはわかる」ように報道していたようです。)
祖母は「農地改革で土地を取られた」でも「戦争に負けた時代が変わったから仕方がない」と意味のことを言っておりました。
勝てば官軍という言葉があるように、戦争の結果によって既成事実ができてしまうことを受け入れる心のありようは、いうなれば日本的なのかもしれません。
女性はそうなのかもしれませんね。。
戦後の政策は寛大だったとも感じています。
靖国の方々の必死の抵抗のおかげだとおも思います。
http://blog.mag2.com/m/log/0000138823?page=2
『まぐまぐ!』 エラーが発生しました
恨みを持っていないというより、恨まないような教育をしてきたというのが実際ではないでしょうか?
義務教育では、単に事実を教えるだけで、心情に訴えるようなことは言わないですよね。(逆の例えだと、中国とか朝鮮半島の国が、歴史の授業で徹底的に日本を敵視するように、生徒達を「洗脳」しますが)。せいぜい、沖縄や原爆や東京大空襲のエピソードを紹介して、それを行ったアメリカではなく、戦争というものが悪いのだという論調で国民を洗脳していると思います。
それに加えて、これだけアメリカ発の製品や文化が日本で溢れかえっていれば、憧れを持つことはあっても、恨みなんて起こらないのではないでしょうか。
私自身も、そういう風にアメリカが大好きな一人でしたが、遅まきながら成人してから、戦争のこととか歴史を勉強しなおして、アメリカを恨みこそしませんが、大嫌いになりました。少しは私自身にかかっていた洗脳が解けたのだと思います。
結論を言いますと、教育という名の(親米)洗脳が原因だと思います。
教育は人を変えるのですね。日本的な教育が世界に浸透すれば世の中平和ですね。
やっぱり戦争の時代を知ってる人の話を聞くと、とにかく戦争に負けてよかったというのが日本人の多くの人たちの気持ちだったようです。終わってよかったよりも、負けてよかったです。つまり、もうこれで空襲もないし、言論の自由とか贅沢は敵だとか、非国民とか。軍人が威張る世の中も終わるということで、負けた口惜しさみたいなものはなくてホッとしたようです。
だから、アメリカの占領は大日本帝国の圧制からの解放軍として迎えられたのではないでしょうか。恨みよりも歓迎だったのかも。
それと勝者アメリカが圧倒的に物量豊かで科学的に進歩していて、しかもカッコよくて、こりゃかなわないという思いが恨みの生じる余地をふさぎまくってしまったのでしょう。
戦争中、国のためとか言いながらも、大人の日本人はしかたなくいやいや戦争を受け容れていた人がほとんどで、若い人も軍国主義教育などで天皇陛下のために命を捧げて戦うにしても、べつにアメリカが憎くて戦ったつもりもないし、どうしてアメリカと戦争するのかもきちんと説明されてなくて、上官の命令は天皇陛下の命令でやってたので、憎くて戦争したわけじゃないから恨みは残らなかったのでしょう。そのへん韓国や中国は日本に対する恨みは残りますでしょうなあ。
昭和になるまでは、日本もけっこう豊かだったのが、それを維持するための大陸との戦争でだんだん無理が来て、挙国一致体制という国を挙げての軍国主義になってエリート軍人が多い罵詈、あ誤変換、大威張りの時代で、恨むのはアメリカよりも日本の軍人だったのでしょうか。
あとソ連とか中国とか共産主義への脅威があったので、その恐怖に対しては、恨みよりもアメリカに親しさを覚えるのもあったかもしれませんね。
1、戦後考える暇がなかった
★ (とにかく働けば働くほど豊かになってけっこう自由にやれた、これはアメリカに感謝)
2、援助してくれた。「自由と民主化」をくれた。
★★★★★★★★★★★★★★★
(これが大きいですね。占領支配よりも啓蒙解放開化だったですからね)
3、白兵戦が少なかったから
★★ (そのためアメリカ軍に対する恐怖心もなかったでしょうね)
4、武士道精神のため(ラストサムライみたいな)
★ (これはない。サムライは死んで、下賎な百姓や商人が生き残った。)
5、気が優しい
★★★★★★★★★★★★
(優しいという言葉が適切かはわかりませんが、そういう呑気なわけのわからん国民性、長いもの、強い者には巻かれろ的な下卑た習性によるところが大きかったのは事実でしょう。コロっとかわれる。)
6、教育戦略が成功した
★★★★★★★★★★★★★★★
(精神論だけじゃなくて、実際にアメをいっぱいの教育だった。アメリカも正面きっては威張らなかったし。)
7、日本政府にも不満があった
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
(これがいちばんですね! )
8、昔は中卒が多かったのでそんなこと考えない。
(中卒とかそういう人たちのほうが戦前の政府の宣伝にのせられて天皇陛下バンザイで右翼になったでしょう。中卒というより中学生とか本気で軍人憧れた厨房ですね)
9、白か黒で、はっきりできない。もっと複雑。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★
(日本人の不思議な微笑ですね)
10、時間が解決した。
★★★★★★★★★
(これもあるでしょう。時間とともに間違いが明らかになった。負けるべくして負けた。)
11、政府は気に入らんが個人的にはやさしくて立派なアメリカ人のおかげ
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
アメリカ映画もアメリカ音楽もアメリカ野球もすばらしい。
ご丁寧にありがとうございます!!原爆落として
うらまれない国というものをもう少し探ってみたいのでもう少し回答を募集します。
http://snsi-j.jp/boyakif/diary.cgi?start=4&pass=
今日のぼやき 会員および会員予定者用ページ
URLは副島氏のHPです。
やっぱり戦後すぐに米国の洗脳があり、反米の知識人を取り締まったり、親米中心の政権をつくらせたことが大きいのだと思います。
さらに、米国文化をメディアを使って流し米国に対する憧れを若年層にも浸透させた。
その他方、米国中心の国際裁判による日本軍人の処罰、日本人左翼層の台頭(その後日教組として子供たちも洗脳)があり、日本嫌い米国好き層が増加したからだと思います。
ただし、恨みを持っている人が今でも多くいるけれども発言できる場、取り上げられる場が著しく少ないのが現状だと思います。
アメとムチですね。言論封鎖もあったわけですね。
そりゃもうアメリカの徹底した洗脳しかないでしょう。特にマスメディアを利用した洗脳にはすっかりやられていますね。
我々は生まれた時から、白人が一番偉くて、有色人種は劣っていると洗脳されてきましたから。
でも最近はだんだんそう言ったアメリカ至上主義の考えも払拭されつつありますね。嬉しいことです。
感情は教育で変わるのですね。怖いです。
商品先物デイトレ日記→オイルとか貴金属とかの鞘取りで生活しているブログ
これは常々ボクも不思議に思っているところですね。同じ敗戦国でもドイツは割りとアメリカのことは嫌いですな。
日本には親米派が多いから、世界の人も似たようなものだろうと思いがちなんですが、世界的にはむしろ、反米的な人も多いですね。
そういう人からすると、「日本人は原爆落とされたのにどうして?」と思うだろうね。
思うに、地上戦を経験した人が少ないからではないでしょうか?
日本でも沖縄は割りと根に持ってますね。
広島には住んだことがあるけど、あの原爆の破壊力を見たら反米になるのは当然だと思うね。
ありがとうございます。世の中難しいですね。
やはり戦後教育の影響は大きいでしょう。
教育とは、どんなリベラルな方針であろうと、どんなに公平な内容であろうと、所詮は国家による国民の洗脳に過ぎませんから。
文部省が「これこれこのように教育するべし」と定めたものに従って学校教育がされている以上、これは仕方ありません。
中国や韓国に反日感情を持った人間が多いのも、彼らは学校教育で「日本人は大戦中こんな酷いことをした」と子供の頃から植えつけられているせいらしいですから。
と、同時に日本が巨額な資金援助をしていることは一切知らされてないとか。
人間てよくない方にはすふ染まってしまいますね。
http://www.hatena.ne.jp/1131665268#
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親戚のおじさんが、サイパンから、学徒で行って何とか帰ってきました。
「国とかの感覚は無い、自分とアメリカ人」終戦になれば殺されることも無いし、食べてゆくのでせいいぱい何処の国は!!」とか、そんな感じなかったそうです。
また何処の国と戦っても同じでしょうねと、たまたま遠い国だったから良かったのかも、近い国は、チョッと感情的になりやすい??
らしいです、でもそのおじさんあまり戦争のことは、話したがらなかったです。
今年4月に亡くなられました。
以上
貴重なお話ありがとうございます。体験談がなくなり理論だけで語ると危うい方向にまたいってしまうと思います。
http://c-cross.cside2.com/html/j00sa009.htm
+++サバービアの憂鬱 第5章 アメリカン・ファミリーの出発点+++
やはり、20世紀最大の成功を収めた「アメリカ」への憧れが大きいと思います。
これは日本のみならず、同じ敗戦国の(西)ドイツや戦勝国ながら斜陽を迎え始めたイギリスでもそうだったようです。
キャデラックや冷蔵庫・テレビといった圧倒的な物質文明、ハリウッドに代表される映画や、ニューヨーク・ナッシュビルの音楽等、文化的な側面....。
これらをベース(基地)を遠くに眺めながら、当時自由主義陣営だった国の多くに「アメリカ人の様な生活」を望んでいた人が多かった....。
これも大きい要因だと思います。
悪くても強くてかっこいいと、そうなるのですね。ありがとうございます。
【tenki.jp】日本最大級の天気・気象情報サイト
URLダミーです。
原爆のきのこ雲を畑で見、戦死したじいさんを持つ実家のばあさんの意見ですが、
終戦当時は悩んでいろんな事を考えたが、恨んでもしょうがない、恨む事は結局何の解決にもならないと結論。
戦争中も戦後も生きていくのがたいへんで、うんざりする思いをし、もはや正しい、まちがっているは解らない、考えたくないとの意見。
「ボケる」、「忘れる」という事が和の美徳?というような事になるのでしょうか。
辛かったといいつつつも、それほどでもなかったの如く昔話に笑いつつ喋りますが、曖昧にごまかすのも生きる為の知恵と解釈します。
また、旅行したりテレビを見るのが好きで、戦後しきりに進んでいく日本の技術と経済社会に関していつも驚愕していましたので、敗戦の後ろをみるより成長する日本の前方をみていたかったのだとおもいます。
補足ですが、ばあさんは、若くに未亡人になってますが、おやじが生計を経てる為、中卒ですぐ働いており、国から恩賜を貰ってたんで生活の金銭でばあさん自体は特に苦労はしてはいません。また、おやじは、父親(私のじいさん)をなくしたというよりも、あまり欲のない勇ましいいタイプで仕事を好きなコンビナートの技術屋なので、海外との協調も普通にあったようで、単純に優れた技術に対してはアメリカでも日本でも差別ナシにみています。
イデオロギーや文化にはあんまし興味ないって事か。同様にややこしい部分は関わりたくないということか。
大変貴重なご意見ありがとうございました。
そこが女性の強さなのかもしれませんね。
考えを突き詰めていったも、わからないものですし。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%b8%a5%e3%a5%ba
ジャズとは - はてなダイアリー
(曽祖父に電話をして議論した結果)↓
「国・民族・個人…見方によって感じ方は違ってくる」:
アメリカ合衆国が嫌い!?、米国人全員を恨む!?、ジョニー(仮名)が憎い!?…etc.
「誰か(他国)の所為にしないで、自分(自国)を責める(反省する)」:
戦争に参加した(言い訳無用)、日本人に生まれた運命、成るように成った…etc.
「過ぎたコト(過去)をゴチャゴチャ言っても始まらぬ」:
(当時)そんな余裕は無かった、今を『生きる』コトだけ考えた、明るい未来に希望(~云々)etc.
【結論】:
…個人々々のココロの中では、それぞれに(様々な)感情があり複雑でしょう。勝った国の人も同じだと思います。※死んだのは日本人だけではナイ…。
恨むべきは「戦争」と言ってしまえばそれまでですが、国によっては違う印象(考え方)の国もありそうです。 やはり日本人の「国民性」とゆうトコロに落ち着いてしまうのでしょうか…。
※ハッキリと確信を持った回答でなくて申し訳ナイ。 考えてもキリが無い…(ポイント不要)
おお。わざわざありがとうございますです。
昔の人たちは平均的にかなりの人格者が多いと思います。
ここが変だよ日本人で、おじいさんたちとの対談があったのですが、すげー悟った人たちで全然変ではありませんでした。
日本は西洋文化を多く取り入れてきたので、
アメリカに対しては憎しみ以外に憧れ・目標に似た感情が有るのだと思います。
今有る文化に、その影響が色濃く出ています。
あと、戦後は恨みなどが強く会ったかもしれませんが、
年月を経て友達感覚になっているのだと思います。
あと戦争の歴史を忘れていると言っていいのかもしれません。
ありがとうございます。自分だったら一生かかって復讐しようとしてできないで、アル中にでもなっていたかもしれませんね。
http://www.hatena.ne.jp/1123005288#a5
人力検索はてな - 政治的なイデオロギー・信条で分からないことがあるのですが、 親米・反米、親亜・反亜(中国・韓国) という軸を考えた時に、 太平洋戦争の歴史問題を基にすると、 反米・反..
わたしが親族を亡くした、というにはかなり微妙なんですが、
戦後直後、わたしの叔母にあたる人が幼児の内に栄養失調で亡くなっています。
親の実家は、空襲で店が焼失してしまい、バラック生活した時期もあったそうです。
財産焼失・女児を失う等を経た親の親族達も、「アメリカを恨んでいるか」「嫌っているか」というとそれも違いまして、
「要注意視」しているのだと思います。うちの親も、中卒〜大卒者も含めて。
この感覚はわたしも幼少から大いに持っていますし、「日本人として」必要だと考えています。
育った環境の影響からか、政治学や社会学等の本も好きでよく読んできました。
一方でわたしは音楽はジャズが好きだしキューブリックやコッポラの映画もポップアートも大好きですが、
それら深い芸術を生むアメリカの懐の深さをわたしは愛している、という事と、
米国や米市民一般を「要注意視」しているわたくしらのアメリカ観との間には、矛盾はありません。
実は、過去に少し似た質問(上URL)があって、そこで5番目と9番目に回答を寄せたのですが、
ここでわたしが薦めてた本を読むと、参考になると思います。
分厚い本でハッキリ言って高いので、図書館でお借りになってもいいかと(笑)文は大変平易で一気に読めます。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4788508192/qid%3D112306...
Amazon.co.jp: 〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性: 本: 小熊 英二
ありがとうございます。ご紹介の本、読んでみます。体験者でないと、いくら言葉を尽くしてもわからないかもしれませんね。
まず、以下個人的に1-11に触れてみます。
1.戦後大変だったかもしれませんが、「考える」暇がなかったというのは、何かの言い訳にしか聞こえないです。考える気がなかった・考える状況がなかった。(教育的なところか、政治的方針か)
2.個人的に定かではないですが、そういう印象があります。(教育からか?)
3.これは人間心理に影響すると思います。沖縄でどういう状況であったか恥ずかしながら知りませんが自分の学校教育では突っ込んだところは学ばなかったと思います。
4.これは少なくとも現代日本人からはほとんど感じないです。
5.これは全く関係ないと思います。
6.戦略かどうか定かではないですが、確かに教育から恨みを持つようなことはきかなかったと思います。
9.ある意味どうでもよいという風潮を感じます。
10.時間はどこにでも関係することでしょう。
以上考えて感じたことは、戦勝国は正当化される。(もし日本が勝っていたら原爆投下に対しての考え方、教育は違ったものになっているように思った。)
国際感覚・政治感覚に乏しい。(教育、地理的要因)
例えばフランスxドイツとかにおいては地続きなため、人x人の交わりが生まれ教育で知らされないとしても個人的に過去のことを考えてみる機会が生まれる気がしますが、日本のちりを考えると学校教育がまずあって、そこから個人的興味が生まれないと教育をそのまま信じるような結果になりと思います。
個人的には教育から原爆投下についての倫理観とか学ばなかったように思います。
祖父・祖母関係で戦争での犠牲者の話を聞いても私が受ける印象は米国が悪いというよりは戦争自体が悪いという感じでした。思うに(東南)アジアでの戦争は人によってはどこの国と戦ったかの認識も薄いかもしれないという印象があります。
(アメリカ映画は観るのに問題ないけど戦争映画は決して観なかった)
長々書きましたが、戦勝国の正当性、教育・メディアのあり方、国民性(歴史・政治的関心、愛国心)白兵戦(生々しい人殺し)を後世に伝えるほどなかったというところを大きな理由と感じます。
以上です。
余談:個人的経験ですが知り合う機会があったフランス人の範囲でですが、戦争に絡んで歴史に関心がなかった人ほどドイツに悪い印象を持っていた感じでした。
丁寧な回答ありがとうございます。
外国の方はどう思われているのでしょうか。。
関係ないのですが
今日の会見では記者は忌憚のない質問してましたね。すばらしいと思いましたが、あれも仕組まれているのでしょうか。
質問の中では
6、教育戦略が成功した
7、日本政府にも不満があった
が大きいと思いますが、一番の理由は
戦後、アメリカの支配下にあった時代で、
日本人が自分たちのいいなりになるように
アメリカがしむけたからだと思います。
私の出身は広島ですが、社会科の授業では
天皇に戦争責任がないとするページは
やぶって捨てろと教師に言われましたし、
国歌は中学を出て、他県に住み始めてから
覚えました。原爆で家族を失った人たち
や被爆者・および被爆2世・3世の人たちは
今でもアメリカに少なからず恨みを持って
いると思いますよ。
広島・長崎・沖縄など、軍人でない国民が
多数なくなった地域では「日本人はアメリカ
に対してなぜ恨みをもっていないのでしょうか。」
という問いすら恨みの対象になるかもしれません。
両国民が両政府に翻弄されたということですね。
恨みが残っていることを聞けたことをありがたく思います。それは正常な感情だと思います。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4624300041/qid=11321225...
Amazon.co.jp: 現代政治の思想と行動 増補版: 本: 丸山 眞男
16番目の回答者です。追記を2点。
一つめに、戦後直後の逸話は、親戚の間で話題にしたことはありましたが、
今回で改めて分ったのが、
親族がかつて空襲で財産を失った、子供が栄養失調で死んだ
という話を他人にするのは、別に自分が直接体験した事でなくても、それでも正直本当に、いい気分がしないものだということ。自分の親ですら、はっきり記憶しているわけでもないのに。
今まで生きてきて「実体験として戦争を振り返る人の気持ちとはこういうものだったのか」を初めて実感することになりました。
念のために言えば、もしわたしに対して「ここで辛い悲しいお話をしてくれて…」と思うのなら、それも大きな誤りですね。
60年も前の事で情緒的な思考停止するつもりは毛頭ないです。これは親族にとってもきっと同様なはずです。
もう一つ目。
日本の戦中戦後史なり思想史なり戦中戦後社会の概観なりについて、
それなりの深さと厚みのある考えをちゃんと持つに至るには、
個人の体験とともに、政治学、社会学などの観点からも多くの量と幅のリソース(文献、知識、論理、燃料、)というものを、
積極的にわざわざ好きこのんで求めなければ決して出来ない事なのです。そうした知的訓練を経ずして、
「今我々は何だかんだ言って快適な近代生活を享受してるから」ということで、
やっぱり考えてもキリがない、考えてもしょうがないと軟着陸してしまうのは、ごく当たり前の結論です。
これは別に戦後史でなくても経済でも科学でも何だろうと、すべての分野で、ごく当たり前の話です。
どんな「特殊な体験」をしたとしても、リソースがなければ充分な表現にはなかなかなりえません。
その人が、たとえ空襲で家が燃えても子供が死んでも、どんな苦難の体験をしたとしても、
結局日常に流されて「考えてもしょうがない」という発想に軟着陸せざるを得なかったのだとしたら、
あえて冷淡にいいますが、それは「考えを充分に深められるだけのリソースを得なかったから」だと言えると思います。
そのために最も重要なのは、それについて書かれた本をたくさん読んでノートをつけていく事、です。ネットワーク化が進んだ今でも。
それで5年10年関心を深めて、やっと何か概観を掴むものなのです。
「考えてもキリがない」に至るかどうかは、どこまで関心が持続してきたかどうかの問題に過ぎません。
遅まきながら質問に対する個別の回答を述べますと、
「1.戦後考える暇がなかった」
わたしからすれば、「やらなかった理由」をつらつら述べることそのものに、あまり意味があるとは思えません。生活が多少困難だったとしても。極めて困難だった場合を除く。
「2、援助してくれた。「自由と民主化」をくれた。」
快適である、というのはある種のコントロールを受けている結果でもある。というのは、現代の哲学や社会学では常識。
「3、白兵戦が少なかったから」
原爆も空襲も、空から勝手に振ってきた事なので、結局多くの日本人にとっては災害のようにしか受けとめてないとよく言われていますね。
「4、武士道精神のため(ラストサムライみたいな)」
武士道、というのもよくわかりません。過去質問でこういうのがありました。
http://www.hatena.ne.jp/1122506467
人力検索はてな - 1900年以前に「武士道」は存在しましたか?
「5、気が優しい」
こういう結論は、てんで非現実的でお話になりません。屁の突っ張りにもならない。
「6、教育戦略が成功した」
成功とは何についての成功でしょうね。昔の戦争に関する教育は、一貫して大失敗していると思います。情緒に浸るだけで。
「7、日本政府にも不満があった」
戦前戦中を大人として生きた人の多くに、こういう政治観を持ち得たとはあまり思えません。前回回答で出した過去質問にも書きました。
「8、昔は中卒が多かったのでそんなこと考えない。」
これは正直、あるかと思います。例外もあるでしょう。しかし広い視野を獲得しないと。
「9、白か黒で、はっきりできない。もっと複雑。」
白黒というのも何についての白黒かというところ。思考停止の言い訳かも。
「10、時間が解決した。」
快適な生活、というのが何にも勝ったのだということだと思います。
「11、政府は気に入らんが個人的にはやさしくて立派なアメリカ人のおかげ」
かつてのアメリカ政府が日本より何枚もうわてだったことに、どうしてもっと知的好奇心が生れないんでしょうね。
ありがとうございます。
ここでいう武士道とは「お互い生を全うした。敵味方という因果な縁だったが、良い悪いではなく
お互いするべきことをした。」という考えです。
格闘技の後に握手する見たいな。。でもその境地には普通はなりませんね。。
自分の中や人の心に発生し、残る、恨みというものをプラスに転化する方法を先人に学べないかという点でも、深く探求したいです。
マニュアル通りの「やってやり返すのはよくない」という意見に対してもいつも懐疑的で、やった人はもっと裁かれるべきではないのか…という
考えもありまして、質問しています。
そして裁かれた人にも平和な心をともすにはどうしたらいいかも考えたいです。
なんだか現実を知らない夢想家の域ですが。。
また戦争の生の情報をもっている方がもうご老体ですのでたくさん直接の戦争の話を聞きたいとも思って質問しています。
実際に米兵に殺されたらどうなんでしょうかね。。広島の方に聞くと驚くことに米兵への恨みではなく幼いころから平和教育を叩き込まれるそうですよ。そこまでできる民族はいません。。