年が 変わらないといった感じですね。
もっとも不思議なのは、クレヨンしんちゃんです。
妹のひまわりが 生まれる前から、生まれたあとでも
しんちゃんは 5歳です。
コナンの場合は、全体的な時間の流れが ゆっくりのような感じがします。
「もし、X歳のコナンやその仲間達が20XX年にいたら…」
とか言うif設定にしてしまえば、永遠に作れそうな気がします。
もし坂本竜馬が現代にいたら…とかと似た思考じゃないかなぁとか思います。
のび太はコミカルな世界の住人だから、どんな設定だろうと許せますが、コナン君には・黒の組織との対決、・蘭を待たせていること、・高木刑事たちの恋の進展などのキーフレームとなる時間進行があるにも関わらず、年を取らないことをどうやって説明している(作者が自分を納得させている)のか。
ドラえもんが過去、小学館の「小学○年生」(1年~6年)の連載では進級時期になると最終回が設けられていたようですよ。
一年でリセットかけてたんでしょう。
それはグッドアイデアですね。
というか、「小学○年生」なら毎年同じ漫画を載せていても誰も気づかないような気もしますが、小学館も律儀ですね。
えっと、コナンは作者が「季節物のエピソードは1回しか扱わない」と決めていると聞きました。
私は数えた事がありませんが、原作を数えると全部1回しかやっていないと思います。
でも、あんまりシリアスじゃないけどこち亀なんかは年が変わるキャラと変わらないキャラが混在していたり、
(子供は大きくなったりしてます…。部長の孫達とか…)
最近ではもう既にそれをネタにしている節があります。
「季節物のエピソードは1回」とはいいことを聞きました(今度、友達にトリビアしよう)。きちんとした態度ですね。
こち亀にはオリンピックの年に登場する人がいるじゃないですか。だから確実に、しかし歪んだ形で、時間は進行していると思う。
1の回答者さんと同じく、年が変わらない、に尽きるのですが、名探偵コナンの場合はバレンタインやクリスマス、文化祭というイベントが割と描写されていますよね。
例えばこれがサザエさんやドラエもんのような「昨年と今年ではあまり大差ない」のであれば「以前のこと」という曖昧な処理ができますが、コナンの場合、昨年はコナン->工藤新一であり、繰り返せません。
で、ここがポイントだと思うのです。
やたら長いコナンの一年は、それこそ3000日くらいありそうですが、その中でバレンタインやクリスマスが何度訪れようとも、比較対照は「新一であった以前(昨年)」が固定されています。
だから、読者も長い一年をシリアスなまま繰り返せるのです。
コナンのシリアスな部分はあくまで人物関係にあるのですから、「新一<->蘭」と「コナン<->蘭」で終息しているのではないでしょうか。
ただし、単発の事件はさておき黒の組織関係は時系列がそれなりに大切なので、わずかづつ小出し…という感じではないでしょうか。(それでもやや苦しくなりつつ…)
なるほど。
時間軸を相対的な流れではなく、常にコナンが新一であった絶対的な「去年」と比較していると。
まだ消化し切れませんが、この考え方は魅力的な気がします。
シリアスな作品例になるかどうかは微妙なところでしょうが、高橋留美子の「うる星やつら」では映画版の「ビューティフル・ドリーマー」が一種の決着をつけていましたね。
映画のネタバレをどこまで書いて良いのか迷いますが、「うる星~」の舞台になっている友引町のみが毎日学園祭の前日という一日を繰り返していることに、友引町の外の町に下宿がある温泉マークが気がついて……というところから話が始まります。
SFの論理と不条理を共に武器にして、毎年の学園祭や、お正月・節分から始まってお花見夏休みクリスマスその他諸々の年中行事を繰り返している理由そのものがテーマになっている映画でした。
宇宙人のラムが、日常の友引町に非日常のSFをもたらしている、と捉えて良いのではないかと思います。
「うる星やつら」なつかしいです。
SF的作品に通用する解釈ですね。「犬夜叉」も。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%A...!%E5%A5%87%E9%9D%A2%E7%B5%84
シリアスな漫画からは外れるのですが、例えば新沢基栄氏の
『ハイスクール奇面組!』では、高校三年間を終えて
進学する際に、タイムマシンを使って
過去に戻らされるという展開が見られます。
つまりその分、高校生活が長引くわけです。
何というか、作者の誠実さを感じさせられます。
『じゃりん子チエ』ではギャグで祈祷師が
「この界隈は時間が曲がっておる」と祈るシーンが
あったことも(曖昧ですが)記憶しています。
まじめな作家(というのかな?)は悩んでいるんですね。
有閑倶楽部のコミック版1にメイキングが載っています。
そこで作者の一条ゆかりさんが「今は時間軸は見て見ぬフリ…ただ季節感だけは大事にしているの…」と書かれていましたよ。
作者も読者も見て見ぬフリかな。
最初から長寿化を予想していたということですか。すごいですね。
うっかりしてました。「ゴルゴ13」。
http://cgi3.tky.3web.ne.jp/~aja/cgi-bin/golgology.cgi?md=tv&...
現在60歳半ばらしいです。超人ですから。
http://www.square-enix.co.jp/magazine/gfantasy/story/paniponi/
:::: GFantasy Website :::: -月刊Gファンタジーオフィシャルサイト
この作品は5年ほど続いてますが(一部を除き)作中ずっと7月のままです。
7月のままですが異常気象の所為でクーラーをがんがん炊いてもまだ暑い日や猛吹雪の日なんかもあります。
「ずっと7月のまま」ってすごい設定ですね。潔よいって言うか、突き抜けているというか。
一年中ハロウィンなハロウィンタウンみたいなものですか。
じゃりン子チエ―チエちゃん奮戦記 (1) (アクション・コミックス)
じゃりん子チエの場合、チエと同級生だけは全く年が変わらないのに、他のキャラがどんどん年を取っていくという面白い構成でした。例えば先生が結婚して、子供が出来、その子は赤ちゃんから幼児へと変わっていきます。
猫の小鉄とアントニオジュニアはそれを知っており、矛盾を時折ツッコんでました。
著者も矛盾を承知で自分で笑ってたんでしょう。
> チエと同級生だけは全く年が変わらない
それもすごい。しかも猫だけが真実に気づいているというのが、ピリっとした状況です。
http://www.saito-pro.co.jp/saitotakao/
さいとう・たかをプロフィール
長寿化した作品は、その作品ごとに作者も編集者も苦笑いしながら、模索している様が見られ
必ずしも「こうすればよい」というセオリーがあるものでもないと思います。
コナンも、連載スタート時すでにラストシーンは決まっていたそうですが
あんまり人気が出てアイデアも膨らんできて、予定していたキャラクターの登場が大幅に遅れだした
(蘭の母・英理が10巻、灰原が20巻くらいでしたっけ?)ということでした。
特に青山剛昌さんの中では、コナンの時間軸ってずいぶんゆっくり流れているように見えます。
がっちりしたストーリー構想はあっても、その隙間にどんどんエピソードを描き足していってる感じ。
シリアスといえば、ゴルゴ13については世界情勢がリンクするので年齢の矛盾は避けられないはずですが
以前さいとうたかを氏が、ある日を境に年齢についてはきっぱり考えることを止めた、とか言われてました。
もともとは、自分と同世代、自分の世代を代弁するキャラクターとして描いていたそうです。
特にルーツ編と呼ばれる、ゴルゴの出生にまつわるエピソード群が作者は好きだったそうで
日中戦争のさなかに大陸で生まれ激動の少年時代を過ごしたゴルゴ
(毎回、結局別人だったというオチがつくのですが)の話も結構な数に登りますが
最近はリアリティを損ねるからか、全然描かれなくなりましたね。
年齢を考えなくなったその時というのが、これで最後にしようと決めた、最後のルーツ編だったのかなぁ
とも今思います(私の記憶では92年頃だったかなぁ…)。
じゃりん子チエ、こち亀なんかも特殊な例ですね。確かに、たまに出てくる人に限って時間がちゃんと経過してます。
矛盾はあるんだけど会話とか物語の世界観を逆にリアルにさせています。演劇的な手法ともいえそうです。
紀元前ギリシャの演劇世界では、神々と人間たちとの情交、死者と生者との交流(祖母とひ孫との間に生まれた子供とか平気で出ます)など
時間観念については実に大らかというか独特の許容空間が存在してカルチャーショックを与えてくれますが
そういった独特の芝居的約束事を認め合う文化が、日本の漫画界にも存在しているのは確かですね。
っととと
なんだかつい、全然脱線してしまいました。ポイントは結構です。
このスレッド、楽しみに読ませていただきました。これからも刺激的な話題をお願いいたします。
> 年齢についてはきっぱり考えることを止めた
さすが、さいとう先生、潔い。もうルーツ物は書かれないのですか。残念です。
ゴルゴは常に時代とともに存在しますよね。回顧的なエピソードとかあっても良さそうなのに、時代を遡ることはしない。そんなところにも男気を感じます。
作者が意図せざるタイムギャップ、というのが「沈黙の艦隊」。
作品内の時間は1年も経過していないと思いますが、その間に
「ソ連」がいつのまにか「ロシア」に説明なく変わっていました。
連載当初は「ソ連」が消滅するとは思ってなかったのでしょう・・
パタリロはギャグマンガ?
これも30年近いお化けマンガですが、パタリロもバンコランも
歳を取らない。
マライヒは「子供」を産みましたが・・
「ガラスの仮面」はそれなりに歳を取っていくマンガのハズですが、
作者遅筆のため、年齢が実社会とズレまくっている。
マヤは国際障害者年(1981年)で18~19歳だから、
もう40代のオバサン・・
ところで、コナンといえば、新一がコナンに薬で変えられた時、
服はダボダボになっていなかったのか?
逆のシーン(コナンが新一に変身したシーン)では、どうやって
大人用の服を調達したのか・・
「沈黙の艦隊」は当時読んでいたはずなのですが、気がつきませんでした。
なるほど、登場人物たちの時間とは別に外界の時間がずれる場合があるのですね。実世界の出来事を盛り込むのは気をつけないといけないですね。
> 服はダボダボになっていなかったのか?
なってたような気がします。私はどっちかっていうと灰原が大きくなったときのことが知りたいです。あらかじめ服を脱いでおいたのか、それともきつくなってから脱いだのでしょうか。
「うる星やつら」が出てましたが、同じ高橋留美子の「めぞん一刻」はしっかりと時間が流れています。主人公が浪人生から大学生、社会人と成長していきます。作中のあふれる季節感と物語の展開から、当初から時間の流れと登場人物が年を取ることを意識して執筆されていたと推測できます。
それに対して「ちびまる子ちゃん」では、原作者のさくらももこが何かの媒体で「サザエさんと同じで年を取らない永遠の小学3年生」というようなことを言っていたのを見た記憶があります。登場人物が年を取ることは初めから考慮していないようです。
「ドラえもん」も同じく年を取ることはありません。
「ドラゴンボール」を考えてみると、登場人物がしっかりと年を取っていることが見て取れます。
ジャンプ作品つながりで「幽々白書」を見てみると一応登場人物は年を取ってますね。
ここでコナンを考えてみると先にもあったように、新一→コナンという流れがあって、確実に時間は流れているように感じられます。
挙げた例が少ない上に偏っていますが、「ちびまる子ちゃん」や「ドラえもん」のような、ストーリーの展開をする必要のない漫画においては、時間が流れる必然性がないのではないかと思います。ということは「ストーリー展開」をそのまま「時間の流れ」に置き換えられるのではないでしょうか。このような漫画に対しては読者も違和感は持ちつつも「時間の流れ」を重視していないのである程度自然に受け入れられていると思います。
それに対して例に挙がった「めぞん一刻」や「ドラゴンボール」、「名探偵コナン」のような「時間の流れ」を必然的に内包しているような漫画においては登場人物が年を取らないと違和感バリバリになってしまいます。その点で「めぞん一刻」と「ドラゴンボール」はうまくクリアしています。「コナン」も違和感がたまってもやもやしてきた頃に黒の組織などを登場させてうまく解消しているように見えます。
なので、一般的にシリアスな漫画では連載の長期化に伴って生まれてくる違和感を、多少ストーリーを進めることでその違和感に一定の折り合いをつけているのではないでしょうか。
その証拠というかなんというか、他の回答者様も触れられていた「奇面組シリーズ」は時間を進めてしまった結果、不可解な展開が起こっていますね。
これは結果的にゴルゴ13にも当てはまるのではないでしょうか。
シリアスな作品かそうでないかという分け方で考えると袋小路にはまってしまいそうな気がします。
作風がシリアスかどうかと時間の流れは強く関係していないということですね。なるほど。
ちびまる子ちゃんは永遠に同じドジを踏み続ける「まるこ」が主人公ですから、いわばまるこが時間をゆがめているのかも知れません。
とはいっても、後にまるこが”さくらももこ”となり、夢を実現したのだということを読者が知っているところに(←知ってるんだろうか、最近の視聴者は)安堵と救いがあり、いつか時は動き始めるのだと安心してみていられるのですけど(長谷川健太も立派になって…)。
つられて長くなってしまいました。
ところで、私はこの質問で何が知りたいのでしたっけ?なんだかわかんなくなってきましたが、みなさんの情報が大変面白いのでしばらく続けさせていただきます。
よろしかったら、他の作品の情報もお寄せ下さい。
名探偵コナン (Volume24) (少年サンデーコミックス)
12.で回答したhantenna7000、再投稿です。
今回はさらに輪をかけて脱線問答モードなので、やはりポイントは結構です(笑)。
13.itarumurayamaさんが『沈黙の艦隊』を挙げておられましたが、劇中時間はなんと二ヶ月!
週刊モーニングでの連載は1988~96年に渡り、この間ペレストロイカ、ベルリンの壁崩壊、
旧ユーゴスラヴィア内戦、ソ連解体など、第二次世界大戦以降半世紀に及ぶ東西冷戦構造が怒濤の変化を迎えました
(蛇足ながら日本では88年末から昭和天皇の病状悪化が連日過剰報道され翌1月より平成時代に移行)。
沈黙の艦隊は当初、在日米軍に頼り切っていた日本の国防・政治問題に焦点を当ててか
(ちなみにかわぐちかいじ氏自身がもっとも感情移入していたキャラは深町だそうです)、
海江田の反乱も「(米国に対する)日本の完全なる独立を支援する」という目的で展開していたはずです。
ところが世界情勢が非常に予断を許さなくなり、日本でもバブル崩壊とともに万年与党だった自民党が分裂したり
連合政権が誕生したりして、その間には日米関係にも若干の変化がありました。
現在でこそ、小泉=ブッシュ両政権の間で昔以上に日米の主従関係は強く戻ってしまいましたが
連載後期頃には海江田の当初の主張が非常に古臭く思えてきていたのは事実です。
国連への期待感も、今より遙かに大きくて、作品からはその当時の世風を懐かしく感じ取れます。
私自身は当時、一回完結させて、仕切り直して新連載にして始めたら?なんて思ったりもしましたが
今では、矛盾と戦いながらも連載し続けたからこそ、この作品が時代の証言者となり得ているのだと思います。
たとえばKC版4巻あたりでソ連原潜スコーピオンとの素潜り競争をするところでは
いかにもソビエト連邦ならではの官僚制度と理想主義が唱えられますが、
20巻すぎてサミットでマレンコフ大統領が世界平和を理想としてベネットを牽制するのを見ると
その三年ほどの間に起きたロシアの変化をしみじみと感じ取らずにはおれません。
新しい読者には適度な解説が必要だとは思いますが、いずれにしても
あの時代がこの長編漫画の中に物語として凝縮されているのはすごいことだったと思います。
さて話変わりまして、コナンの単行本を確認してみたところ、第一話で初登場したコナンの服はちゃんとダボダボでした。
保護された医務室を飛び出して自宅に戻り、そこで子供の頃の服に着替えたのがトレードマークになるあの蝶ネクタイ+半ズボンです。
原作では定期的に、新一にもどる話が用意されていたのだと思いましたが(キッド登場回も規則性があるんですよね確か)
最初にパイカルを飲んだ話の巻が今ちょっと見あたりませんでした。
また、24巻で灰原が大きくなった回では、その部屋(酒蔵)にピスコが変装用に清掃員のツナギを持ち込んでおり、
大きくなった瞬間は描かれておりませんが、そのツナギを着てから脱出と、一応スジは通しています。
他の作品の話。
めぞん一刻などのリアル系は比較的楽ですよね。
特に平成何年、とか劇中に数字を出さない限りは、学園もの以外はスムーズに行きそうです。
年号を入れない、というのは沈黙の艦隊なども含めて、漫画界では一種のセオリー化してるようです。
あとファンタジーであれば年号を設定したとしても、季節さえも縛りから自由にさせやすい。
その作品内での相互矛盾(天涯孤独の老人に実は孫がいたとか)が起きない限りは、言い訳の余地があります。
ドラゴンボールの地球図なんて、そこまで変えるかと目からウロコでした。
学園ドラマといえばこれも長期連載は多いですが、あだち充さんの『タッチ』『H2』などはあくまで三年間の物語。
夏の大会だけで一年も続いたり、これはスポーツ漫画全般の宿命ともいえますが、終着点が決まっている分
かえってイレギュラーが起きにくいともいえます。ただ、あだち氏の場合キャラの誕生日とか兄弟構成とかは
その都度変わっちゃって、読者につっこまれて作中で「設定変わりましたので」と弁解するのが多いので笑えます。
(だからこんなサイトまで作られる… http://tokyo.cool.ne.jp/mukachu/birth/list1.html )
最後に浦沢直樹氏の『MONSTER』『20世紀少年』などは、エピソードを回想的に挿入する手法が独特で、
先に書いたコナンの「エピソードを隙間に詰めていく」のを時間の順序さえ気にせず埋めていくことで
外界の時間との整合性にとらわれない、希有な例だと思います。だと年号も明記できる(!)。
長々と書いちゃいましたが、いや~とっても楽しかった(笑)。
はてなの回答は二回までだそうなので、これにて失礼いたします。また寄らせていただきます (^_^)/
力作ありがとうございます。
「沈黙の艦隊」が劇中2カ月とは!
劇中の時間と実時間が大きく離れているのは、わずかでも時間が流れている分にはそんなに気にならないです。「巨人の星」とか「アストロ球団」とか。
「ドラゴンボール」で気になるのはむしろペンギン村とアラレちゃんの存在です。サイヤ人よりブウよりアラレちゃんの方が”つおい”と思うんですけど。
つられて脱線してしまった。
サザエさんっていったい何歳っておもってます
カツオォーいつまで学校通ってんだよっていいたいくらいです
あとこち亀の両さんは70歳以上はいくとおもいます
登場人物の人生が進んだことってあるのでしょうか。結婚したとか、子供が生まれたとか。昇進したとか。
今思い出したのですけど、まるこの親戚のお兄さんは物語の中で結婚したような気がします。
皆さんも言っておられる通り、サザエさん・ドラえもんなどでこの作中の人物は誰も歳を取らないパラレルワールドをやっていて、読者達はそれにもう不自然さを感じなくなってきているんですね。
だからこそ、そのパラレルワールドをネタにした押井守の傑作『うる星やつら ビューティフル・ドリーマー』が世に出てくるわけです。
そこからはもう、説明する事すら馬鹿らしいというか、読者がそれを当然のように受け入れてるんですよ。(こち亀を見て真剣にそこを突っ込む人なんていないでしょう?)
なので、人物間で成長してる・してないの矛盾があったり、シリアスなジャンルであっても、もうそれはOKになっているのです。
逆にマンガ文法が成熟していない外国の方が見たら、変に思うのかもしれませんが、日本人はこんなちっさい事は許容しているんですよ。
マンガ大国の日本は実はそういう所からも分かるんですね~。
アメコミヒーローはみんな時間止まってますね。
あまり情報がないけど、海外の漫画で時間の歪みに苦慮している作品ってあるのでしょうか。
> 日本人はこんなちっさい事は許容している
読者はともかく、そうでもないまじめな作者ががいるからこそ、あれこれ悩んでいるのかもしれません。
しんちゃん、ちえ、奇面組のお話は新味でした。
コナンの「新一絶対起点説」も興味深いです。
ではこの辺で。
先日、名探偵コナンの10周年記念番組を見ました。週刊で10年ということは単純計算で500回。1事件1日、連日発生&解決しても500日ですから、せめて1年くらいは年を取ってもらいたいものですが。
というか、季節物のエピソード(クリスマス、お正月、バレンタイン、春夏秋冬・・・)をどう処理しているのか気になってきました。