『なぜ人は人を殺してはいけないのでしょうか?』という問いは結局何だったのでしょうか?

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  • 登録:2006/03/20 19:11:31
  • 終了:2006/03/27 19:15:02

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少し見方を変えてみては如何でしょう tiberius2006/03/24 01:04:19

なぜ人は人を殺してはいけないのか.その問いを,なぜ人は人を殺してはいけない事になったのか.そう問い直してみては如何でしょう.答えになっていないかもしれませんが.

そもそも人が社会という共同体をつくって生活するようになったのは生き残る,あるいはより豊かな生活をするためだと思われます.そのような共同体内において,個々人が自分の意見を通すために,あるいは気まぐれに相手を殺してしまうような状態は,共同体としては不利益です.構成員は減ってしまいますし,おちおち安心して寝てもいられません.

そういう事情から,「人殺しはやってはいけない事にしよう」という発想が生まれたのではないでしょうか.言わば,共同体の利益を守るためのお約束ですね.ただ,そう言ってしまうと身もふたもありませんから,倫理や道徳,宗教という衣をつけて刷り込んでいったのではないでしょうか.人殺しは理屈なしに良くないことだ,と.

ところで,人が人を殺しても仕方ないとされる例があります.代表的なところで,死刑と戦争ですね.非常に凶悪な人間がいた場合,共同体全体の利益を損ねるのは問題だから,その人には死んでもらおう,というのが死刑.自分と価値観の異なる共同体との間で,自分達の利益を守る(あるいは伸張する)ために,人を殺すのが戦争.いずれも共同体の利益が人を殺してはいけない,という倫理を超える例です.

これも,倫理ができた背景を考えてみれば理解しやすくなります.共同体全体の利益を守るために倫理を作ったわけですから,共同体の利益を著しく損ねる存在があった場合には,倫理が必ずしも優先されない.どちらがより,共同体にとって得なのか,が判断基準になるわけです.いくら倫理を声高に叫んでみても,共同体の利益を損ねてしまっては倫理が生まれた意味がありません.

こう考えてみると,人が人を殺してはいけない,というのは共同体の利益を守る実利上の要請から始まった価値観,または約束のように思われます.ただ近年は,この約束が非常に重くなってきているのも事実です.難しいですね.

人は一旦,ある事を信じて込んでしまうと,なぜそれを信じるようになったのかを考えなくなるものだ.そんな箴言を思い出しながらつらつらと書きました.

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