日本はなぜ労働組合が発達しないのだと思いますか?


短い質問をしておいてナンですが、短い淡白な回答じゃなくて詳しい解説をお願いしたいと思います。ポイント配分にはメリハリをつけようと思っています。

回答の条件
  • 1人2回まで
  • 登録:2006/03/26 23:31:43
  • 終了:2006/04/02 14:44:04

ベストアンサー

id:TomCat No.2

TomCat回答回数5402ベストアンサー獲得回数2152006/03/27 00:52:10

ポイント40pt

過去の日本においては、労働組合はなかなか大きな勢力を持っていました。

特に総評系組合は当時野党第一党だった日本社会党の有力な支持母体で、

同党が野党第一党としての数を確保できていたのは、

そのまま総評の勢力を示すものだったと考えていいと思います。

 

ひるがえって今の社会を見渡してみると、ご指摘のように、

労働組合は非常に小さな勢力になっています。

これは「育たない」のではなく、

大きかったものがしぼんでしまったんですね。

 

この理由の大きな一つが、ソ連崩壊による「体制選択論」における敗北でした。

日本国民は「社会主義」というものを見限ったんです。

それだけでなく、組合そのものも社会主義支持路線を捨てることとなり、

どんどん「政治離れ」をはじめていったわけです。

 

これは正しいことでした。

元々、働く者の権利を守る組織である労働組合が

政党活動のために使われたり、

特定のイデオロギーの運動体となって活動することは

おかしなことでした。

 

しかし、政治から距離を置いたことで、

組合は今まで手にしていた政治力も失ったわけです。

組合出身の政治家を多数抱えてその利権を労働者に還元する、

といったやり方は通用しなくなりました。

ここで組合は求心力を失っていきました。

 

そしてもうひとつの無視出来ない理由の一つが、

国鉄、電電分割民営などを通して行われた、

有力組合解体作戦に飲み込まれてしまったことです。

 

中曽根元総理は、当時の国鉄分割民営を、

国労・動労解体を意図したものだったと語っています。

そしてその日本を代表するような大きな組合の解体の流れは、

全国の組合の最高指導部とも言えるナショナルセンター、

総評を直撃していきました。

 

政治的課題を掲げて強く闘う総評も瓦解し、

代わりに労使協調路線を取る穏健な連合が成立しましたが、

労使協調路線が悪いとは言いませんが、

組合が会社の都合の代弁者になってしまっては、

労働者の権利を守る運動はできません。

ここでまた求心力を失っていくこととなりました。

 

こうした組合凋落の流れを見ていくと、

要するに役に立たないから人が集まらない、

という現実が見えてきます。

 

正しい正しくないは別問題として、

とにかく大きな勢力を誇っていた頃の組合は、

たくさんのOB国会議員を持ち、

国や公共団体や企業といった労働者を雇う側に対しても

非常に大きな力を持っていましたから、

とにかく労働者の立場としては、

組合こそが労働者の権利や暮らしを守ってくれる

心強い「盾」だったんですね。

 

その魅力が失われ、ただ会社の言い分の代弁しかしない、

組合費だけ取られて何のメリットもない、

といった存在になってしまえば、もう人は興味を示しません。

 

これを根本から立て直していくためには、

まず組合は働く者の立場を守るためにあるという路線を、

イデオロギーとは無縁の所で再確立していく必要があります。

過去においては労働者の権利確立を社会主義革命に求めていた。

ここで大きな失敗をしたわけです。

さして、さらに大きな失敗として、社会主義への希望と一緒に、

働く者の権利を守るという基本も捨ててしまったこと。

この二重の失敗を取り戻さない限り、

再び組合が大きく成長していくことは困難でしょう。

 

続いて、働く者の権利を守るという一点で一致した組合同士が

広く連帯していく必要があります。

 

今も労働者の権利擁護に熱心な組合は少なくありませんが、

それは往々にして、依然イデオロギーによる

労働者の権利確立を目指しています。

イデオロギーというものは対立しますから、小組合群立。

それがどことも連帯出来ずに小さく弱く活動しているに過ぎません。

これでは広がりというものが生まれません。

 

さらに言えば、いわゆる闘う組合はいまだに人民革命における前衛の取り合い、

つまり旧態依然とした社会主義革命運動体に特有の

大衆に対する「指導権」の奪い合いをしているわけです。

これでは、せっかく働く者の「盾」となれる組合も、

けっして大きくはなれません。

 

話をまとめます。

組合が大きくなれない端的な原因は、働く者の役に立っていないから。

そして働く者の役に立とうとする組合も往々にして縄張り争いにばかり熱心で、

広く小異を捨てて大道につく連帯を求めないから。

 

体勢選択論による敗北で捨ててはならない物まで捨ててしまった反面、

捨てるべき物をいまだに持ち続けているというジレンマ。

これが労働組合運動発展の足を大きく引っ張っています。

 

これからの単位組合は、組合があったからこんなにいい職場が作れた、

といった実例をいくつ作れるかが勝負です。

そして単産やナショナルセンターは、

どれだけ多くの組合と手をつなげるかこそが、

これからの勝負になってくることでしょう。

 

またこれからは、従来は組合という枠からはじき出されていた

派遣労働者であるとかフリーターであるとかといった人たちも

旺盛に歓迎していく組織体質の改善も重要です。

ここにおいて、職場単位だけでなく、

地域単位で構成されいく組合の存在が欠かせません。

id:uranary

非常に興味深いお話をいただいて、大変満足しております。ソ連崩壊と、組合(或いは社会主義体制を奉じる人たち)の主導権争いによる自縄自縛的な行動様式が要因、といったところでしょうか。

私、学生闘争や大型間接税(現消費税)の時に見られた大規模でもが、ある時期を境に途端に見えなくなったのはどういうわけなのか長い間疑問でした。単に学生闘争の敗北に原因があったのかと何となく考えていたのですが、ご指摘にあった「総評解体」を期に変わったと考えると非常に得心がいきます。

イデオロギーに依存していたということを考えると、日本では組合らしい組合というものは戦後なかったのかもしれませんね。現在の日本で、仰るような「こんなにいい職場を作れた」組合が、どれだけあるのか、また、具体的にどのような活動をしているのか非常に興味をそそるところです。

どうもありがとうございます。

2006/03/27 20:34:52

その他の回答(7件)

id:aoun No.1

aoun回答回数276ベストアンサー獲得回数92006/03/27 00:02:36

ポイント40pt

 日本の歴史において、武士の台頭が著しい歴史もありこれら武家文化を除き、農耕・村社会が長年培われてきました。徳川時代には”親方日の丸”的な精神も社会的に普及したと思います。労働関係の動きの西欧との差の本当の根本はここにあるのではないでしょうか?。

 現実の会社社会は、社員の高齢化を防ぐ為に常時リストラが行われているのが実情でして、他社へ出向転籍、嫌がらせ、村八分、酷い扱い、等と無数の労働事件がそれを物語っていますし、市町村や国等の役所でも、無理やり辞めさせる目的で、嫌がらせ村八分等の行為が長年常時行われており、これも、膨大な裁判例が積みあがっています。通常これらは個人を対象とした行為でして、加害側はしばしば労働組合員でもあります。つまり、個人と村との関係です。もともと労働組合とは、会社という巨大な力から弱い個人を守るために、個人が多数集まって対処する趣旨だったのですが、日本の農耕村社会の場合は、そういう西欧的な個人主義に根ざす対応は得意でないし、さらに村が安全で個人が被害という場合の対応も遅れる傾向があるかもしれません。

 日本の労働組合の歴史は長く、いろんな状況はあまりに複雑でとても一括して語れる量ではありませんが、村社会(農耕・村社会)特有の性質が、西欧諸国との労働組合の動きの差ではないでしょうか?。

 西欧諸国は、当然農業も盛んですが、一方では歴史的に牧畜民族ですから、個人主義が発達したと言われています。

 ちなみに私は外国の労働組合の知り合いはいませんが…。

id:uranary

加害者が労働組合側である、というご指摘は興味深いですね。また、膨大な裁判例という言及にも興味を覚えます。できましたら、その出典のURL等があると助かります。何せ、労働争議のこととなると一般的な報道ではまずお目にかからないでしょうから…。

ありがとうございます。

2006/03/27 20:25:54
id:TomCat No.2

TomCat回答回数5402ベストアンサー獲得回数2152006/03/27 00:52:10ここでベストアンサー

ポイント40pt

過去の日本においては、労働組合はなかなか大きな勢力を持っていました。

特に総評系組合は当時野党第一党だった日本社会党の有力な支持母体で、

同党が野党第一党としての数を確保できていたのは、

そのまま総評の勢力を示すものだったと考えていいと思います。

 

ひるがえって今の社会を見渡してみると、ご指摘のように、

労働組合は非常に小さな勢力になっています。

これは「育たない」のではなく、

大きかったものがしぼんでしまったんですね。

 

この理由の大きな一つが、ソ連崩壊による「体制選択論」における敗北でした。

日本国民は「社会主義」というものを見限ったんです。

それだけでなく、組合そのものも社会主義支持路線を捨てることとなり、

どんどん「政治離れ」をはじめていったわけです。

 

これは正しいことでした。

元々、働く者の権利を守る組織である労働組合が

政党活動のために使われたり、

特定のイデオロギーの運動体となって活動することは

おかしなことでした。

 

しかし、政治から距離を置いたことで、

組合は今まで手にしていた政治力も失ったわけです。

組合出身の政治家を多数抱えてその利権を労働者に還元する、

といったやり方は通用しなくなりました。

ここで組合は求心力を失っていきました。

 

そしてもうひとつの無視出来ない理由の一つが、

国鉄、電電分割民営などを通して行われた、

有力組合解体作戦に飲み込まれてしまったことです。

 

中曽根元総理は、当時の国鉄分割民営を、

国労・動労解体を意図したものだったと語っています。

そしてその日本を代表するような大きな組合の解体の流れは、

全国の組合の最高指導部とも言えるナショナルセンター、

総評を直撃していきました。

 

政治的課題を掲げて強く闘う総評も瓦解し、

代わりに労使協調路線を取る穏健な連合が成立しましたが、

労使協調路線が悪いとは言いませんが、

組合が会社の都合の代弁者になってしまっては、

労働者の権利を守る運動はできません。

ここでまた求心力を失っていくこととなりました。

 

こうした組合凋落の流れを見ていくと、

要するに役に立たないから人が集まらない、

という現実が見えてきます。

 

正しい正しくないは別問題として、

とにかく大きな勢力を誇っていた頃の組合は、

たくさんのOB国会議員を持ち、

国や公共団体や企業といった労働者を雇う側に対しても

非常に大きな力を持っていましたから、

とにかく労働者の立場としては、

組合こそが労働者の権利や暮らしを守ってくれる

心強い「盾」だったんですね。

 

その魅力が失われ、ただ会社の言い分の代弁しかしない、

組合費だけ取られて何のメリットもない、

といった存在になってしまえば、もう人は興味を示しません。

 

これを根本から立て直していくためには、

まず組合は働く者の立場を守るためにあるという路線を、

イデオロギーとは無縁の所で再確立していく必要があります。

過去においては労働者の権利確立を社会主義革命に求めていた。

ここで大きな失敗をしたわけです。

さして、さらに大きな失敗として、社会主義への希望と一緒に、

働く者の権利を守るという基本も捨ててしまったこと。

この二重の失敗を取り戻さない限り、

再び組合が大きく成長していくことは困難でしょう。

 

続いて、働く者の権利を守るという一点で一致した組合同士が

広く連帯していく必要があります。

 

今も労働者の権利擁護に熱心な組合は少なくありませんが、

それは往々にして、依然イデオロギーによる

労働者の権利確立を目指しています。

イデオロギーというものは対立しますから、小組合群立。

それがどことも連帯出来ずに小さく弱く活動しているに過ぎません。

これでは広がりというものが生まれません。

 

さらに言えば、いわゆる闘う組合はいまだに人民革命における前衛の取り合い、

つまり旧態依然とした社会主義革命運動体に特有の

大衆に対する「指導権」の奪い合いをしているわけです。

これでは、せっかく働く者の「盾」となれる組合も、

けっして大きくはなれません。

 

話をまとめます。

組合が大きくなれない端的な原因は、働く者の役に立っていないから。

そして働く者の役に立とうとする組合も往々にして縄張り争いにばかり熱心で、

広く小異を捨てて大道につく連帯を求めないから。

 

体勢選択論による敗北で捨ててはならない物まで捨ててしまった反面、

捨てるべき物をいまだに持ち続けているというジレンマ。

これが労働組合運動発展の足を大きく引っ張っています。

 

これからの単位組合は、組合があったからこんなにいい職場が作れた、

といった実例をいくつ作れるかが勝負です。

そして単産やナショナルセンターは、

どれだけ多くの組合と手をつなげるかこそが、

これからの勝負になってくることでしょう。

 

またこれからは、従来は組合という枠からはじき出されていた

派遣労働者であるとかフリーターであるとかといった人たちも

旺盛に歓迎していく組織体質の改善も重要です。

ここにおいて、職場単位だけでなく、

地域単位で構成されいく組合の存在が欠かせません。

id:uranary

非常に興味深いお話をいただいて、大変満足しております。ソ連崩壊と、組合(或いは社会主義体制を奉じる人たち)の主導権争いによる自縄自縛的な行動様式が要因、といったところでしょうか。

私、学生闘争や大型間接税(現消費税)の時に見られた大規模でもが、ある時期を境に途端に見えなくなったのはどういうわけなのか長い間疑問でした。単に学生闘争の敗北に原因があったのかと何となく考えていたのですが、ご指摘にあった「総評解体」を期に変わったと考えると非常に得心がいきます。

イデオロギーに依存していたということを考えると、日本では組合らしい組合というものは戦後なかったのかもしれませんね。現在の日本で、仰るような「こんなにいい職場を作れた」組合が、どれだけあるのか、また、具体的にどのような活動をしているのか非常に興味をそそるところです。

どうもありがとうございます。

2006/03/27 20:34:52
id:sami624 No.3

sami624回答回数5245ベストアンサー獲得回数432006/03/27 08:05:34

ポイント40pt

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/27/rn1955-356.html

かつて日産は労働組合が勢力を持ちすぎて敗退したとまで言われた。要は、労働組合が勢力を強め、労使が労働紛争解決に多大な労力を費やした場合、当然同業他社と比較し、主業務への人員配置が手薄となり、業務遂行能力の低下、顧客サービスレベルの低下により、当該企業の製品の市場シェアの低下、更にはブランドイメージの低価につながる。よって、このような事態を未然に防止するため、労使が相互理解を深め、相手側のニーズを事前に察知し、歩み寄りをすることで、市場競争力の維持を図っているためです。

また、日本においては単一民族国家であるため、所詮は皆で仲良くという思想が強く、労使で激しい衝突をしても高賃金というような思想を持っている人間が少ないこと、貧富の差が目立たないことなどの外部要因も多いといえるでしょう。

id:uranary

ご紹介いただいたURLを参照しました。随分猛烈な文言が並んでいますね。これほど強烈な争議が行われていたら、なるほど紛争解決のため本業へのエネルギー配分が足らなくなるというのも首肯できます。

どうもバランスが極端なのでしょうか。この労組の主張はあまりにも経営者側への配慮を欠いた要求が多すぎるように見受けますし、さりとて現在の勝者が一人勝ちして総取りするというのも分別に欠けている気もします。

回答いただいた指摘にもあり、またよく巷間で言われていることですが、日本が単一民族で協調を重んじ、他者同調圧力の中で回りの空気を重視する傾向があるということ。これは本当なのでしょうか。

組合にせよ経営者側にせよ、今見てきた中で私が受けた印象は、双方とも独善的に過ぎるということです。協調を重視する人間が、独善的な態度を取りうるでしょうか。単一民族だから仲良くする気持ちが強いという言説は今まで何となく首を傾げていたのですが、お話を伺う限り、何というか、あんま仲がいいから今の日本があるとはどうにも思えないような気もします…。

蛇足でした。

ご回答どうもありがとうございます。

2006/03/27 20:48:11
id:Baku7770 No.4

Baku7770回答回数2832ベストアンサー獲得回数1812006/03/27 13:11:19

ポイント40pt

労働組合の現代的課題に関する研究委員会

視点

元気出せ 労働組合 RIETI 経済産業研究所

 私は3つの理由があると考えています。

①欧米に比べて歴史的に日本の労働者は恵まれていた

 確かに、農家は歴史を通じて貴族や武士階級から虐げられてきました。しかし、工場労働者はそれと比べるとまだましだと考えられてきました。野麦峠で有名な長野の製糸工場ですら、ご飯とみそ汁はお代わり自由であったと聞きます。

 それと比べて欧米で労働者はかなり虐げられてきたといえます。例えば炭坑では、体の小さな子供のみを採用されるため、その稼ぎで親が食っていたということがあったようです。

②労働組合=共産主義と考えられ嫌悪されている

 本来自由主義社会であるから組合活動が許されるのであって、共産主義とは異なります。米国では労働組合の委員長はそれなりに尊敬されています。

③少なくとも単独で政権を取っていない

 イギリスの労働党、米国の民主党共に政権を握っています。日本の社会党は浅沼委員長が刺殺された不幸もあって政権を握っていません。村山さんが連立政権で首相になりましたが、役立たずであることを露呈しただけで、労働組合の政治を理解させないまま終わっています。

 これに日本的なぁなぁ主義が加わって期待される組合像と乖離してしまったのが原因です。

id:uranary

恵まれていた、という指摘は?と思いながらも、欧米のそれと比較すると、そうなのかなあという気もします。労働条件の劣悪さ、というのはなかなか想像がつきませんもので…。私の勉強不足をお許しください。

2番目のご指摘、まさしく私がそのステレオタイプにはまっていました。言われてみれば、組合活動って自由主義社会だからこそ存在するものですよね。共産主義と混同されるからどうもおかしいのかと言う気もします。更に付言すると、ご紹介いただいた一つ目・二つ目のURLは、問題意識を持っていることはようく分かるのですが、その言葉があまりにも何というか、私の気持ちに伝わってこないというか、意識を共有したいと思わせるような文章が皆無なことにがっかりさせられます。なぜ共産主義と混同されると嫌悪されるのか、という問題の一端がここにあるような気もします。3つ目のURLの方がまだ普通に読める文章ですね。

政権は難しそうですね。イデオロギー的な議論ではなく、もっといい仕事しようよとか、もっといい職場環境を作ろうよ、という観点で政策争点として論議されると良いのではないかと個人的に思ったりしました。

どうもありがとうございます。

2006/03/27 21:02:43
id:hamster009 No.5

hamster009回答回数3431ベストアンサー獲得回数502006/03/27 14:51:15

ポイント40pt

日本でもまったく発達しなかったわけではないですよ。戦前や戦後すぐは相当なものでした。ただ、戦後だんだんに弱体化していったのです。アメリカもそうです。

これは、ヨーロッパなどとはちがって社会構造が変わっていったからです。

マルクス主義的な労働組合運動は、もちろん階級社会を前提としています。

いわゆる階級はヨーロッパにはまだあるので、共産主義国家はなくなっても、労働組合も今もって健在です。階級社会というのは、おおなたわりで、3つくらいに社会身分が分断されています。プロレタリアート、プチブル、ブルジョアジー。この構造を再生産しているのが主に教育制度です。

まず、一律試験を経た大卒か否かによって、プロとプチブル、ブルが別れます。そして、さらに有産階級かどうかでプチブルとブルがわかれます。

こういう階級社会を背景として、はじめて階級闘争や労働組合運動が成り立つのです。労働組合は、主にプロと一部の専業プチブル、そしてこれに同情的なプチブル大衆によって支持されていました。


こうした構造は日本にも明治から戦前までは厳然としてありました。

帝国大学に代表される高等教育は一律とされ、これを経ていないとプチブルにはなれなかったのです。あとは全部プロレタリアートです。

戦後のアメリカや日本では、一律の大卒システムは廃棄され、大卒か否かではなく、どの程度の大卒かによって、社会的ヒエラルキーが細かく細分化されました。つまり階級としてまとまれなくなったのです。同じ大卒の会社員であっても、等級によって立場が異なり、利害が異なります。互いに同族意識もありません。大卒プチブルという階級社会の中核が崩れたことにより、中卒の労働者から有産階級までが連続的に無限の差異によって数千に等級化されることになったのです。このいわば*等級社会*が招来され、つくられたことによって、階級闘争理論は、日米では通用しなくなったのです。会社や労働組合内だけでなく、労働組合同士も企業ごとにこり固まって、連帯することなく互いに差別し合っているのです。これでは強力な産業別労働組合など到底不可能です。一方で、ブルジョアジー側の団結は崩れていません。


同じようなことは、すでにインドのカースト社会にもありました。あそこもえらい不平等な社会なのに、社会闘争がありませんよね。

カースト制度では、やはり何千と細かく別れたカーストごとに互いに差別し合い、団結するということがありません。そして、そのカーストの勤めを現世においてよく果たしたものが、来世でよりよきカーストに生れかわるのです。つまり救済(幸福増進)そのものがカーストを前提とし、強化しているのです。

こうした細かいカーストに対するこだわりは、欧米に暮らす日本人駐在員の社会にも見られます。彼らはなんと異国でも会社ではなく卒業大学ごとに固まって、わずかな差異をもとに他を受け入れないのです。まったくインドのカースト意識と同じことです。


また、インドの生れ変わり(転生)思想についても、日本やアメリカの等級社会に似たような傾向を見い出せます。つまり、よりよく分に甘んじ、等級としてのつとめを果たしたものは、自分自身は生れ変わらないが、子供によりいい教育をつけて、よりよい等級に上げる(いい学校にいれる)ことを夢見ることができたのです。よって、日本の代表的な等級社会、サラリーマン社会では、子供への勉強圧力がつよかったわけです。おれが勤めを果たした分、おまえがよりよきカーストに生まれ変われというわけです。

こういうのが子供の発達にいろいろ問題を起こしてきたわけですね。救済を実現するのが大人自身ではなく、子供の役割だったのです。

ま、さいごはちょっと余計だったかもしれません。

id:uranary

階級闘争の考え方は私はよく分からないし、あまり積極的に理解しようとも思わないのですが(不躾な言い方でしたらすみません)、等級社会が逆に細分化した排他的な仲間単位を作り出して連携することなく孤立化させている、とのご指摘はううむ、と唸らざるをえないところです。チョムスキーが、個人がバラバラに解体されていると指摘したことをふと想起しました。

救済を大人が子どもに求めるというのは、明らかにこどもの発達に問題を起こしますよね。仰る通りだと思います。それが等級社会が引き起こすことなのかどうかは、もう少しいろいろと考えてみたいと思います。

どうもありがとうございます。

2006/03/27 21:13:39
id:ryo_zin No.6

リョウヂ回答回数253ベストアンサー獲得回数42006/03/27 22:03:49

ポイント40pt

原因はざっと考えただけでも(団体交渉権に関わるものだけでも)、三つほどあります。


  • ユニオンショップ制度の弊害

日本の企業の大半がこの制度を採用しています。(正社員は労働組合に強制加入、管理職になると外れる仕組み)

団体交渉を経営側と行う労組のリーダーが管理職を目前にしているので、どうしても交渉の席で強気にならない(なれない?)点。


  • 組合潰しの後遺症

かつて労働組合の運動が激しかった1960年代以降によく見られたのが、経営側による

“組合潰し”

です。

これは経営側が元々あるA組合という自社の(経営側に敵対的な)労働組合に対抗するために、B組合という経営寄りの労働組合をでっちあげて、B組合にA組合員を引き抜くことで、敵対的なA組合を弱体化させるというかなり強引な手法です。

さらに経営側はB組合を正式な労働組合とし、団体交渉も事実上B組合としか行わない、昇進・転勤・勤務評定に差をつける…等々の手段を講じてA組合を少数派に追い込みます。

(B組合は元々経営よりですので、“御用組合”とも呼ばれます。)

で、結局、残っているのはB組合だけになり、経営側とはなあなあの関係になってしまって現在に至る、、、という点。


  • 労働組合が企業毎に独立(孤立)している

最後は労働組合が原則的には企業毎に独立(孤立)していることが大きな原因の一つだと考えられます。

労働組合のありかたとしては大きく分けると英米型・独仏(欧州)型の二つがありますが、どちらにしても企業毎ではなく、同業同種の会社全部が一つの組合になっていたりするので、ゼネラルストライキ(全面スト)を起こしたときに同業のライバル企業に顧客を奪われる等の心配が少なくてすみます。

(その代わりに全面ストの際には広く国民的影響が出ることもあります。)

日本の場合ストライキも企業毎ですから一企業の労働組合が単独で全面ストを起こすと優良顧客を奪われる可能性が高いので、中々ストをちらつかせての強気の交渉とは行かないようです、、、という点。


以上のように“団体交渉権”に焦点を当てただけでも原因は複数あり、

それらが絡み合って労働組合が発達しにくい環境を作っていると自分は考えています。

id:uranary

恥ずかしながらユニオンショップという言葉を始めて聞きました。全くの勉強不足なのでなんともいえないのですが、会社に睨まれた時のデメリットをカバーしてくれなくては組合なんて機能するわけないですよね。それにしても今ユニオンショップで検索してみたのですが、読ませる文章が少なすぎます。人に届く言葉を使っていないことも原因の一つじゃないかなあと思いました。

組み合い潰しとちょうちん持ち組合のお話はTomCatさんもご指摘なさってましたね。これじゃあ魂を無くした抜け殻もいいところです。

単独で行うストもご指摘のとおりやりづらいですよね。なるほど、聞けば聞くほど???なことがたくさん出てきます。本当、情報が不足してますよね。っていうか、私の勉強不足が原因ですね(^^)色々情報を探してみようと思います。

問題点の指摘、どうもありがとうございます。非常に参考になります。

2006/03/30 13:59:53
id:gustav5 No.7

gustav5回答回数78ベストアンサー獲得回数62006/03/28 21:03:24

ポイント40pt

欧米においては職種や職業別の如何を問わずに同一産業に従事する労働者を熟練未熟練の区別無く組織する労働組合である産業別組合が主流です。それら産業別組合が賃金等労働条件の団体交渉を行います。関連して、団交以外の問題ではその職場の組合が会社と話し合います。

日本の場合はゼンセンとか金属労協とか産業別労働組合はあるんですが、実質は企業別組合の産別連合体でしかありません。産業別労組が産業別使用者団体との間でその分野に関する労働条件について欧米のように団体交渉をすることは少ないです。企業ごと例えば東レの組合員が東レに対して労働条件について団交を持つのが普通です。

実は、わが国の労組法や憲法上は団体交渉について明確な定義ってありません。また団交の補完的な役割として日本の労使の間には、頻繁に労使協議がもたれます。この労使協議が、事実上の紛争回避のための意思疎通の場になっていて、例えばトヨタの場合は雇用を守るために会社に提案をしたりします。

労使協議制度自体は雇用を守る、といった点では非常に有益なのですが、そのかわり戦闘的な労組は少なくなったとおもわれます。また同時に労組を極めて内向的に向かわせてしまった気がします。極端な話、自企業さえよければ済みますよね。ただ私は労使協調路線が悪いものとは思えませんし、労使協調路線が無ければ円高を乗り切れなかったでしょう。

外国の労組と比較してなぜ日本の労組が弱いのか、と、質問されてると(勝手に)推測してますが、欧州の場合、どう働いて、どう生きるか、ついでにどう遊ぶか、というのが文化の根幹であって、そこらへんから労働条件等について企業や政府と闘う労組をみな支持します。どちらかというと賃金闘争や雇用について内向的に動いてきた日本の労組や、労働と文化が簡単に結びつかない日本人の国民性が労組をダメにしたのかもしれません。

id:uranary

内向的とのご意見は興味深いです。協調の範囲が極めて限定されてしまうわけですね。ただ、ご指摘にあるように、それがいいか悪いかには一長一短がある、と。

たくさんの情報をいただいて考えるべき問題が増えるたびに、付け焼刃のコメントが出来なくなってきました(^^)奥が深いです。

どうもありがとうございます。

2006/03/30 14:16:48
id:Baku7770 No.8

Baku7770回答回数2832ベストアンサー獲得回数1812006/03/29 11:28:08

ポイント40pt

American Folksong Project 第1部: パイオニアソング

 #a4で回答した者です。私宛コメントについて回答します。

>恵まれていた、という指摘は?と思いながらも、欧米のそれと比較すると、そうなのかなあという気もします。労働条件の劣悪さ、というのはなかなか想像がつきませんもので…。私の勉強不足をお許しください。

 紹介したURLは歌の紹介です。実状を紹介するようなページがあればよかったのですがご免なさい。

 恵まれていたという意味には3つあります。一つは先の回答でも申し上げたように、欧米の炭鉱労働者は本当に劣悪な環境で子供の頃からこき使われていたんですね。そういった時代が長く続いた。

 日本が恵まれていると申し上げたのは、炭坑労働が必要とされたのは早くて江戸末期から明治初期です。大体ペリーが日本に来るまで自国の輸送手段や軍用としても石炭のエネルギーは必要ありませんでした。製鉄と言っても歩兵用の武器と農耕具ぐらいしかなかったのが現実です。

 欧米は産業革命により大量の石炭エネルギーを必要とし始めましたから、ここで150年という歴史の差があります。これが恵まれている2つ目。

 ここで欧米の労働者は自らの手で権利を獲得しなければなりませんでした。ところで日本は労働者と経営者の闘争ではなくて、権力者同士の闘争やら、外圧によって得ることができた。これは異論を唱える方の方が多いとは思いますが、私はそうとしか考えられない。例えば労働運動ではありませんが自由民権運動の板垣退助も征韓論に敗れたからそっちに走ったのであって、そうでなければ権力者側にとどまっていたと考えます。

板垣退助 - Wikipedia

>ご紹介いただいた一つ目・二つ目のURLは、問題意識を持っていることはようく分かるのですが、その言葉があまりにも何というか、私の気持ちに伝わってこないというか、意識を共有したいと思わせるような文章が皆無なことにがっかりさせられます。なぜ共産主義と混同されると嫌悪されるのか、という問題の一端がここにあるような気もします。3つ目のURLの方がまだ普通に読める文章ですね。

 仰るとおりですね。少なくともベルリンの壁が崩壊して以来共産主義は崩壊しているのに連合はしがみつき過ぎですね。自由経済下の社会主義はまだ崩壊していないのでそちらにシフトするなり、考えればいいのにと思います。

>政権は難しそうですね。イデオロギー的な議論ではなく、もっといい仕事しようよとか、もっといい職場環境を作ろうよ、という観点で政策争点として論議されると良いのではないかと個人的に思ったりしました。

 同感です。例えばライブドアの問題でも経営側と労働側がそれぞれの立場で経営を監視・立案という一部の組合が進めている考えに従えば発生していないと考えます。

 最後に過去の組合という観点で回答しましたので、これから労組が発展するためにはという内容をお伝えしていませんでしたね。

イギリス労働運動事情

 上記はちょっと気になった程度の論文ですが。

 最近聞かれるようになった言葉にCSR経営や従業員満足度という言葉があります。これは経営側だけで実現って無理だと考えています。労働組合の躍進ってここだと考えます。

 談合事件でも結局社長が逮捕される例って少ないですよね。これが社員の監視が甘いからって社長が逮捕され懲役食らう世の中に近づいてこないといけないと考えます。

 そうすると労働組合が頑張って内部告発者の保護だとか、コンプライアンス違反の指摘を行うなども含めて経営に参加できるようになります。

 時代に合わせて進化や変化しないと駄目でしょう。

id:uranary

再回答フォローどうもありがとうございます。

確かに、日本の労働者が爆発して奮起し、組合を作った!っていえるようなエネルギッシュなムーブメントはなかったですね。そのエネルギーの元が、ご紹介いただいた劣悪な環境だと。また工業社会の経験が150年の差がある、と言われると何かちょっと意外な驚きがあります。私はそれなりに歴史を勉強したつもりですが、こうして組合とか労働っていう側面から歴史を眺めてみると、また違ったものが見えてきて大変面白いですね。

しかし3つめに紹介してただいたこの論文、教授が書いたにしては随分くだけた表現が多くてすごく面白いですね。これくらいのウィットを組合の人たちが持ってくれるだけでも変わるように思うんですが。この論文の指摘にある「組合員が経営したら大赤字」っていうのがマズいように思えます。経営者の気持ちを理解できない要求なんて通るはずないと思います。経営者に文句を言うなら、せめて経営者の立場に立ったものの考え方はしておかなくちゃ単なるわがままですよね。

ベア要求よりも、仰る通り従業員満足度の向上を組合の重要課題に持っていけば、共感する人も少なくないと思います。

どうもありがとうございます。

コンスタントに回答が集まっているので、設定した10件が集まるまで締め切りギリギリまで回答を募集したいと思います。よろしくお願いします。

2006/03/30 21:23:47
  • id:uranary
    時間がきましたので質問終了しました。
    本当にみなさん詳しく、興味深いお話をたくさんしていただいて大変満足しています。みなさんどうもありがとうございました。m(_ _)m

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