経済について、ちょっとしたことを思いつきました。

内容は拙ブログのエントリを見てください。
http://d.hatena.ne.jp/gushoukuuron/20060331
このような発想が与太話に過ぎないものかどうか、批評をお願いしたいと思います。ただし、論拠は示してください。
また、他にもどなたか似たような考えをお持ちの方の書籍・HP等ありましたら紹介してください。

回答の条件
  • 1人3回まで
  • 登録:2006/04/02 07:29:38
  • 終了:2006/04/03 20:31:13

ベストアンサー

id:TomCat No.1

TomCat回答回数5402ベストアンサー獲得回数2152006/04/02 08:52:05

ポイント30pt

大変共感できるご意見です。

この考え方が公共事業などにも適用されれば、

環境アセスメントは予算が決定する時点で

完了していることになりますから、

自然保護と開発のバランスが自動的に取れることになってきます。

 

また、「エン」を稼ぐことと同じように

「エコ」をより多く保有するということに

企業の目標や人の生き甲斐が設定されるようになると、

企業は自然を回復する手段として土地を求めるようになり、

環境対策のための設備投資が「エコ」で評価される資産となり、

個人の生活は省資源に努めることによって

「エン」の節約と「エコ」の取得という二重の励みになり、

「エコ」を保有しやすい農業や林業が

青年の憧れの職業になってきたりします。

 

これで過疎の問題も解消に向かいますし、

もとより「エン」には恵まれていなくても「エコ」には恵まれている

山間部などを多く抱えている地域が豊かになります。

 

ただ一つ気になったのは、「エコについてのルール」の

  1. 「エコ」は「エン」と違って稼ぐものではない。誰も無条件に同額与えられる。

という点です。

実施初期の「エコ」はそのようにあるべきでしょうが、

環境というものは努力により回復できるものですから、

その努力に応じて「稼ぐ」ことも可能とすべきであると。

つまり、企業努力によって環境回復の実績が上がれば

その環境影響評価によって相応の「エコ」が取得できる。

あるいは個人生活においても省資源率の確定申告を行うなどすれば

それに見合う「エコ」が還元される、といった仕組みが

望まれるところだろうと思います。

 

なんにしても、このアイデアは実際の政策にまで高めていける

現実的な展望がありそうです。

経済学者、政治学者、法学者、生物学者、林学者、農学者・・・・。

ネットには様々な叡智が集まっています。

どこかにフォーラムでも立ち上げて、

ちょっと真剣に研究してみるといいかもしれません。

 

うまくいくと、これは「環境資本主義」といった

新たな経済の潮流になっていける可能性があります。

大切なのは、これを単なる「制度」として考えていくのではなく、

科学的な論理性のある「経済学」として

この考えを高めていくことでしょう。

面白くなってきそうです。

id:gushoukuuron

TomCatさん、お待ちしておりました、と思う間もないほどのすばやい回答ですね。ありがとうございます。

拙ブログのコメントにも記した通り、着想をしたのはいいけれど、その着想の評価もわからず、あまつさえ着想を生かす術などまったく私にはありません。ですから、

>どこかにフォーラムでも立ち上げて、

>ちょっと真剣に研究してみるといいかもしれません。

となればいいな、とは思うものの...

着想を生かすにはどうすべきかという方法を伺いたいと思いますが、それ以上に私の着想を生かしてくださる方がいれば、と思っています。もちろん、TomCatさんご自身なら大歓迎です。

2006/04/02 10:47:51

その他の回答(7件)

id:TomCat No.1

TomCat回答回数5402ベストアンサー獲得回数2152006/04/02 08:52:05ここでベストアンサー

ポイント30pt

大変共感できるご意見です。

この考え方が公共事業などにも適用されれば、

環境アセスメントは予算が決定する時点で

完了していることになりますから、

自然保護と開発のバランスが自動的に取れることになってきます。

 

また、「エン」を稼ぐことと同じように

「エコ」をより多く保有するということに

企業の目標や人の生き甲斐が設定されるようになると、

企業は自然を回復する手段として土地を求めるようになり、

環境対策のための設備投資が「エコ」で評価される資産となり、

個人の生活は省資源に努めることによって

「エン」の節約と「エコ」の取得という二重の励みになり、

「エコ」を保有しやすい農業や林業が

青年の憧れの職業になってきたりします。

 

これで過疎の問題も解消に向かいますし、

もとより「エン」には恵まれていなくても「エコ」には恵まれている

山間部などを多く抱えている地域が豊かになります。

 

ただ一つ気になったのは、「エコについてのルール」の

  1. 「エコ」は「エン」と違って稼ぐものではない。誰も無条件に同額与えられる。

という点です。

実施初期の「エコ」はそのようにあるべきでしょうが、

環境というものは努力により回復できるものですから、

その努力に応じて「稼ぐ」ことも可能とすべきであると。

つまり、企業努力によって環境回復の実績が上がれば

その環境影響評価によって相応の「エコ」が取得できる。

あるいは個人生活においても省資源率の確定申告を行うなどすれば

それに見合う「エコ」が還元される、といった仕組みが

望まれるところだろうと思います。

 

なんにしても、このアイデアは実際の政策にまで高めていける

現実的な展望がありそうです。

経済学者、政治学者、法学者、生物学者、林学者、農学者・・・・。

ネットには様々な叡智が集まっています。

どこかにフォーラムでも立ち上げて、

ちょっと真剣に研究してみるといいかもしれません。

 

うまくいくと、これは「環境資本主義」といった

新たな経済の潮流になっていける可能性があります。

大切なのは、これを単なる「制度」として考えていくのではなく、

科学的な論理性のある「経済学」として

この考えを高めていくことでしょう。

面白くなってきそうです。

id:gushoukuuron

TomCatさん、お待ちしておりました、と思う間もないほどのすばやい回答ですね。ありがとうございます。

拙ブログのコメントにも記した通り、着想をしたのはいいけれど、その着想の評価もわからず、あまつさえ着想を生かす術などまったく私にはありません。ですから、

>どこかにフォーラムでも立ち上げて、

>ちょっと真剣に研究してみるといいかもしれません。

となればいいな、とは思うものの...

着想を生かすにはどうすべきかという方法を伺いたいと思いますが、それ以上に私の着想を生かしてくださる方がいれば、と思っています。もちろん、TomCatさんご自身なら大歓迎です。

2006/04/02 10:47:51
id:gettoblaster No.2

gettoblaster回答回数290ベストアンサー獲得回数142006/04/02 09:44:51

ポイント15pt

拝見しました、面白いですね。

エンとエコの交換市場が成立するとすると、エコも一種の通貨となり、エコをエンの裏付けなくに世界中に供給すれば、世界中の通貨供給量が増し、世界中でインフレが起こると思います。

また、発行量が決まっていると、ある種の金本位制に近い形になり通貨政策のようなものが取れないため、景気変動の調整が難しくなるかもしれません。

また、エコに課税がない場合、実効税率が下がることになるため、課税をした方がいいでしょうし、利子を付けないと貯蓄のインセンティブがなくなり、逆に限界まで資源を消費することになりそうなので、機能面ではほとんど通貨と一緒になるのではないかと思います。

発行量が固定されておりレートの調整機能を持たないのでエン交換レートはボラティリティが高そうなので、先物市場もあったほうが、エネルギー産業がヘッジしたりする上でよいのではないかと思います。

でも環境インセンティブと所得の再分配(新分配?)が同時になされるのはいいですね。通貨との交換がないと、配分されても使えない人が多そうですし、通貨と交換すると難しいことも色々出てきそうです。

金のある国から金を取って、その裏づけの上でエコを発行し、公平に分配する。ということにして、総通貨供給が増えない形がよさそうな気がします。そうすると政治的には導入がより難しそうですが。

id:gushoukuuron

回答ありがとうございます。けれど、正直言いまして、私にとってはすぐには理解できかねる内容です。勉強してみます。

もとより「政治的」なことを私は考えていません。また、着想には政府の役割りというファクターが抜けていることも自覚しています。TomCatさんの返答ででも記したとおり、これ以上は私の手に余ります。

質問をしておいて不真面目だと思われたらお詫びしますが、私の望みは、私の着想が皆さんの思索の刺激になれば、というところにあります。

2006/04/02 10:55:58
id:seble No.3

seble回答回数4678ベストアンサー獲得回数6172006/04/02 11:33:11

ポイント30pt

この発想は現在のCO2取引とあまり変わる部分がないように思えます。

結局のところ、国家による総量規制を個人に広げただけであり、アメリカのようなGNPの多い国が第3世界の貧困国家から排出権を買い取るように、金持ちが貧乏人からエコを買い取り、好き勝手するだけのように思えます。

全体量を規制する考え方も同じなのですが、現在の排出量では環境的に良くない事から、削減されるだろうと思います。

となると、売ってしまった貧乏人には生活に必要なだけのエコは残らない計算になります。

つまり、冬になっても暖房を使えず、電気の使用も制限されるでしょうから、豊かな生活などほど遠いという事になってしまいます。

とにかく、問題点は、現状の化石燃料使用量があまりに多すぎる点にあります。

日本レベルの使用量は極端に多すぎるのです。

ですから、全体を減らすには、日本の水準を大幅に落とすか、他国(日本だけを基準にすれば1億3千万人分)の水準を今よりさらに落とす以外にないのです。

つまり、全体のパイ自体があまりに少なすぎるために、全世界でそれなりに平等に分配する事自体が不可能な状況にまでなっています。

総量規制などの考え方が、産業革命以前に確立していれば話は違ったかもしれません。

しかし、現在では完全に後手に回っています。

たぶん、ほとんど手遅れ状態であろうと思われます。

今後、よほどの発明でもされてエネルギー革命が起こるか、本当に石油が枯渇しない限り、CO2削減はままならず、どんどん環境破壊が進むものと考えられます。

そして、状態が破滅的になって、初めて強力な規制が可能になり、その時点から徐々に環境が回復していくように思います。

少子化も自然の摂理なのです。(日本だけのようですが)

現在の科学水準で40億からの人間が豊かに生活していく事は不可能なのです。

中国がちょっと経済成長して石油を使うようになっただけで、ずいぶん影響が出ています。

それだって、その恩恵を受けているのは数割程度でしょう。

これが中国全土に広がり、さらに他国も成長するような事になれば、国家でも個人でも総量規制など、全く不可能になります。

id:gushoukuuron

回答ありがとうございます。

>この発想は現在のCO2取引とあまり変わる部分がないように思えます。

>結局のところ、国家による総量規制を個人に広げただけ

その通りです。けれど、単に個人に広げただけではありません。TomCatさんが指摘されている通り、個人のレベルにまでもってくることで、個人個人の省エネへの動機付けがなされるのではないか、と考えたわけです。

現在、エコロジーな社会への移行が叫ばれていますが、その訴えかけは個々のモラルに対してという面が大きい。けれど、モラルへの働きかけでは不十分だということは明らかだと思います。

人は所詮は個々の欲で動く生き物です。エコロジー社会へ移行するのであれば、その欲を利用しない手はないと考えます。

>売ってしまった貧乏人には生活に必要なだけのエコは残らない計算になります。

そういう事態は想定されると思います。けれどこれは、エコとエンの交換レートによると思います。エコが希少なものになると当然円に対する交換比率は上がる。そうするとエン持ちが身勝手にエコを消費するためには多くのエンを支払う必要が出てくる。そうなれば貧しい人々は少ないエコで多くのエンを手に入れられる...。市場メカニズムとはそういうものだと、私は単純に理解していますが、この理解に誤りがあれば指摘してください。

総量規制については、その必要があるとは思うものの、それ以上のことはよく分かりません。仮に実現するにとして、非常に難しいものだということを察することができる程度です。過大な期待かもしれませんが、エン・エコの論議が総量規制へのインセンティブになってくれればと祈るばかりです。

2006/04/02 12:40:04
id:komap2 No.4

komap2回答回数362ベストアンサー獲得回数122006/04/02 13:34:32

ポイント15pt

面白いですね。

現在進行されている環境税のような形とは違う新しい発想です。

実現出来れば理想通りの世界になるのではないかと。


ですが、共産主義と非常に似ており、あくまでも理想論だと思います。


>>1.「エコ」は「エン」と違って稼ぐものではない。誰も無条件に同額与えられる。

まず大前提として、算定が非常に難しいということ。

石油の量でさえ、あと20年とかあと100年とかほとんど推測出来ていない状態で、一人当たりのエコの量を決定するのはまず不可能です。


そして、エコを他の人よりもたくさん使わざるを得ない人がいます。

例えば、首都圏に住んでる人は車に乗らなくても電車や徒歩で生活をすることが出来ますが、田舎に住んでいる人は車無しでは生活が困難です。

そう言った人達がエコを出来るだけ使わないようにするには、都会へ引っ越しをするしかありません。

過疎地域は今以上に過疎地域となり、過密地域は今以上に深刻な問題になることは間違いないでしょう。


「必要エコ量」は人によって違うのです。

足の不自由な人が毎日車に乗らなければいけない状況。

医学の研究をしている人が実験で廃棄物を生み出す状況。

これらを制限していいものか、疑問です。


ですから、誰でも一定の量ではなく、場所や状況によって変動する必要があります。もちろん日本以外であってもそうです。

しかしながら、あれもしょうがない、これもしょうがないと言ってエコ量を変えていくのでは現在の状況となんら変わりはありません。


おまけに人口はどんどん増えていく(=エコの量だけ増える)わけですから、明らかに「資源」より「エコ」の量ばっかり増えていきます。

となると、常に個人のエコの量を減らしていくしかない。

『比率で減っていくのなら、先に使っておいた方が得』という論理的な考えが発生し、余計環境汚染が進むとも考えられます。


>>廃棄されることになるモノは、「エン」での価値は0になっても「エコ」価格は残存する。

物体として残るゴミならいいですが、二酸化炭素となった石油にエコ価格をつけるのは不可能です。

そして、ゴミに見合ったエコ価格にならなければリサイクルは成立しません。

だからといってエコ価格を高額にしてしまってもリサイクルとして成立しません。




と、いうように、現状ではあまりにも現実とは離れている案です。

しかし考え方としては理想的ですので、改良を重ねることで現実的な案に変えることも出来るかもしれません。

id:gushoukuuron

回答ありがとうございます。

>しかし考え方としては理想的ですので、改良を重ねることで現実的な案に変えることも出来るかもしれません。

私が回答者の皆さんに期待しているのは、まさしくこの点です。私とて、私の乱暴なアイディアがそのまま実現可能とは思っていません。改良すべきは改良する。もしくはどう改良しても使い物にならないのなら、それをはっきりさせる。その評価をお願いしています。

>「必要エコ量」は人によって違うのです。

もちろん、その通りです。ですが議論の出発点をそこにおいてしまうと、何ものも生み出せないのではないでしょうか。この点については、

>しかしながら、あれもしょうがない、これもしょうがないと言ってエコ量を変えていくのでは現在の状況となんら変わりはありません。

としっかりご指摘いただいていますが。

2点、ご回答に違和感を持ったところを指摘させていただきます。

>過疎地域は今以上に過疎地域となり、過密地域は今以上に深刻な問題になることは間違いないでしょう。

私自身過疎地域に暮らしていますが、その感触からするとこれは違うと思います。過疎地域にはエコを重視するインセンティブは存在します。ただそれは埋もれているのです。エンを重視するインセンティブの下に覆い隠されてしまっています。たとえば田んぼで自分の家族が食べるだけの米を生産するとして、それを損得勘定(エンとエコでいえばエンの尺度で)でいけば、、現下の日本の状況では

明らかに損になってしまいます。けれども、自分の食べる米を自分で作るというのは、エコロジカルな行為なのです。このようなエコロジカルな行為が損得勘定で、得になるような制度を設けたい。エンによる損得勘定に対抗できるインセンティブを与えることができなたなら、過疎地域が本来持っている地力が発揮される。私はこのように考えています。

>まず大前提として、算定が非常に難しいということ。

これはその通りです。けれど、エンエコ社会を目指すという方針がもし仮に固まれば、許容量を算定するというインセンティブは大きなものになるはずです。ここらは期待するとしか言いようがないことですが、ここに期待できないようでしたら人類の未来はないのではないでしょうか。

それに何も厳密に算定する必要はないのです。算定量は「お約束」であっても一向に差し支えありません。そのお約束の中でうまくまわればよいわけです。現在の通貨供給量にしても「お約束」ではないでしょうか。必要な通貨供給量の厳密な算定など不可能でないですか? 必要な通貨供給量を厳密に算定しなくても、経済はまわっていきます。

このように書くと、通貨量は変動するから良いのだ、という回答が帰ってきそうですが、考えてもらいたいのは、それは人間社会の勝手な都合でしかないということです。その人間の勝手な都合にもはや地球環境が耐えられなくなりつつある。ですから、固定量としてのエコの導入が必要だとの発想になるわけです。

2006/04/02 20:09:32
id:sami624 No.5

sami624回答回数5245ベストアンサー獲得回数432006/04/02 14:50:16

ポイント30pt

1.かなり前提条件が複雑な理想社会ですね。

2.先ずエコに違反した場合の法的措置を明確にしないと、今以上にゴミの不法投棄が増加し、環境破壊に収拾が付かなくなるでしょう。

3.そもそもの前提として性善説が根源にあるようですが、このように個人に負担がかかるような政策は、脱法行為が横行するので、厳しい処罰の法制化並びに取り締まり方法の徹底をしないと実現は困難となります。

4.エコを必要とするのは、個人よりも企業のほうが圧倒的に多いでしょう。この場合は企業が個人からエコを購入しようとする行動が発生しますが、そもそも企業が自社の労働者から強制的にエコを回収した場合や多大な従業員を雇用している企業が、従業員から強制回収したエコを不当な金額で売却することで利益を得た場合など、どのように取り締まるかと言う問題が発生するでしょう。

5.考えの前提として、個人行動を主体に考えていること、性善説を根底に考えていることから、法人の対応・違反時の罰則対応、と言ったことを整理しないと実現は困難でしょう。発想は面白いのですが、全体像を見る必要がありますね。

id:gushoukuuron

回答ありがとうございます。

私の考えの前提が個人行動であるのはご指摘の通りです。ですが、性善説が前提ではありません。

性善説に立つならば、環境問題への対応は人々のモラルに訴えればそれで済むわけです。けれど、モラルだけでは環境問題は解決し得ないのは明らかです。そこでむしろ性悪説に立ち、人間は所詮は自らの私利私欲を優先するという前提で、環境問題および富の再配分の問題を解決するためのあらたな物差しを導入しようというのが、私の発想の趣旨です。

>厳しい処罰の法制化並びに取り締まり方法の徹底をしないと実現は困難

罰則のことについて触れられていますが、どのような社会であれ、規範に逸脱した行動を取る者はいるわけで、罰則の必要としない社会は私の掲げる理想以上に理想の社会でしょう。ただ、私の掲げる理想が罰則の強化でしかもたらされないというのであれば、もうこれは私の理想ではありません。

>エコを必要とするのは、個人よりも企業のほうが圧倒的に多いでしょう。

この点は、私は違うと思います。企業の目的は消費者に消費してもらうことです。経済の流れの途中経過で企業がエコを必要とする場面はあるでしょうが、それは最終的には消費者に還元されていくものです。エンならびにエコの会計計算は企業にとっては非常に複雑なものになるでしょうが、IT技術の進展を考慮に入れるならば、複雑な計算もクリアできると期待を持ったとしても過剰な期待とはいえないのではないでしょうか。

2006/04/02 20:22:49
id:kuippa No.6

くいっぱ回答回数1030ベストアンサー獲得回数132006/04/02 16:52:38

ポイント30pt

>使おうにも使いきれないほどの財産

数超兆円を超える資産を持つ場合それは財産という有形なものを超え信用というものに成り代わります。

これはちいさな一国の経済力と同等で、これがつまり何を意味するかというと、

その人の資産の使い道は国家の財政の使用用途と同様な制限を同義的に負うということです。

同義的に負うということではないとしても、結果責任はついてまわります。

一兆円の資産を円からドルに一時期に集中させ移動させただけで、為替相場は大荒れです。

短期的には10円程度の変動があるでしょう。つまり使いきれなかった資産は、国が発行する通貨と、市場という流動性の前に一瞬にして資産を溶かしこむことができます。

相手は国家という印刷所ですから、財産という価値はある一定度を越すと国の政策と沿うようになるとお考えください。


もし、そのような人物が・・・(実際には大勢いますが( ,_ノ`)

自由気ままに石油を買い付けようとしたならば…、その大金持ちのお金がなかったことにされて終わりでしょう。

だから、国や数名の財産家同士がいまだに世界をうごかしてたりなんだり、ごにょごにょごにょ。




>世界中の石油を買い漁り、燃やしてしまう

当然、買い付ける先から石油相場が天井突き抜けで変動して、アラブの王様がお金持ちになるだけかと……

そんなこんなで結局、「お金」がいくらあっても石油を独り占めするのは無理なのですが、もし独占できたらという妄想で話をすすめます。

(使おうにも使い切れない資産が軍事力に姿を変えてブッシュになったとしましょう・・・。)


>稼ぐことができない通貨エコ

つまり、ひらたくいってしまうと環境税ですよね。

富の再分配といわれますが、結果、エコロジカルな営みをしている人に、近代工業を営んできた人たちのお金が流れる構造のような気がします。

日本の存在価値がw


>政府は小さくなる?

政府は富の再配分を本業としているのではなく、人がどこまでバカか見極めて法律を定め施行することにあるように思います。

なので、誰が「エコの構造を守らせるのか」を考えたら、政府という構造はより強固なものではなくてはいけないような気がします。


>地産地消

ほんとにグローバルな視点で考えると、、、日本人お米しかくえなくなっちゃいますよね・・・。

みんな田舎に帰って農家だ。





>おまけ、二酸化炭素の大気中への排出が地球温暖化

近年の研究動向によると、この前提は怪しいのではないかと思っています。

なので、もし違っていた場合、このエコ政策は人類と環境に多大なるダメージを残して終わることになります (゚ロ゚ノ)ノ

id:gushoukuuron

回答ありがとうございます。

わたしの与太話の中でも、妄想の部分にコメントを寄せていただきましたが、これはホントに妄想です。ゴメンナサイ。

>>おまけ、二酸化炭素の大気中への排出が地球温暖化

>近年の研究動向によると、この前提は怪しいのではないかと思っています。

私自身も、二酸化炭素の温室効果の話を100%信用しているわけではありません。もし仮に、現在言われている温室効果の話が科学的に正しくないと立証されたとしても、地球環境が有限であることにはなんら変わりなく、環境が有限である限りはそこにかける負荷も有限でなければなりません。配分されるエコの算定に二酸化炭素の温室効果は大きな影響があるでしょうが、環境負荷規制の本質には変わりないと考えます。

2006/04/02 20:29:43
id:komap2 No.7

komap2回答回数362ベストアンサー獲得回数122006/04/02 22:12:30

ポイント15pt

4の再回答です。


>>過疎地域にはエコを重視するインセンティブは存在します。ただそれは埋もれているのです。

住んでいる人のほとんどが農業に関わるような小さな村なら別ですが、例えば鳥取県民で普通に大学に行き、企業に就職しようと思っている人。

東京の人となんら変わりはありません。生活スタイルも同じです。

ただ店や会社までの距離が遠く、道路以外の交通機関が整っていないというだけです。

田舎にはエコロジックが埋まっているとおっしゃっていましたが、田舎の人はエコロジックなことをしなければいけないという半強制的な状況を作ってしまうことになります。

田舎の人が自然に出来る要素であれば東京の人にもある要素。

なのに鳥取県民はそれを掘り起こさなければならず、東京都民は掘り起こす必要が無い。

これでは不公平が生じ、田舎より都会に住むメリットが大きくなってしまいます。

また農業に関しても、材木を利用する仕事は反エコなわけですから、田舎に住んでいてしかもエコも無い彼らはどうやって生活するのでしょう?


エコロジックな行為に損得勘定を与えるのは私も賛成ですが、それだけであれば国からの金銭的な援助が成されればじゅうぶんではないでしょうか?



これから新しい環境税的な法案が次々と出てくると思いますが、おそらくそろそろ「ゴミ(袋)税」なんかも出来るでしょう。

ゴミをたくさん出すほどお金がかかる。

つまりエコをお金で買っているわけです。もちろんこれは通貨に依存していて、エコ量は一定ではないわけですが。


現状では、個人のエコロジーへの関心は高まるでしょうが、それは環境税でじゅうぶん出来る範囲だと思います。





で、もう一つ、エコロジーそのものへの意見です。

たしかに環境汚染を止めるのは大切です。しかしそこまで過剰になる必要は無いと思っています。


一つの『人間も自然の一部』論として受け止めて頂ければと思いますが、


例えば、「石油が無くなれば別の資源が開発される」ということ。

現在、かなりの国が石油に頼って生活しています。

しかしそれは、「石油があるから」です。

最も多くの石油を消費している車でも、電気カーなど開発されていますが、いまいち開発が進みません。

なぜなら、石油(ガソリン)を上回る効率を出せないことと、電気カーの必要性があらゆる国家にあまり認識されていないからです。


しかし、石油がもし無くなったら。


各国で今まで石油を買っていた何千億、何兆円という金額をかけ、石油に変わる資源を開発することが出来ます。

もちろん現在でもしていますが、研究にかける金額が莫大なものになれば、電気カーの効率化などが大幅に進むことになるでしょう。




もう一つ、二酸化炭素による温暖化の問題。

年々気温は上昇しています。

一番懸念されているのは、海面の上昇と生態系の変化。

しかし、温度が上昇することで沈没する陸地もあれば、今まで住めなかった寒冷地で住めるようになる陸地もあります。

陸地が沈没するといっても100年で数センチというレベル。

人が飲み込まれることはありませんし、数百年に1回の大きな引っ越しならほんの些細なことにも思えます。

日本のような島国は辛いですが、地球規模で見ればそれほど問題にはならないのではないかと。

人間がいなかった時代にも氷河期などあったわけですし、生態系の変化が必ずしも悪いこととは限りません。

そして石油が無くなれば気温の上昇も止まることになります。



このように、すべての動きが自然の枠の中に収まっているような気がしてならないのです。

id:gushoukuuron

再度回答ありがとうございます。

私とkomap2さんとでは、拠って立つ価値観、価値を測る物差しが違っているようです。

この言い方を高飛車なもののように受け取られるかもしれませんが、お気を悪くなさらないでください。komap2さんのようなものの見方のほうが一般的だとは、私自身も思います。

私が過疎地の生活で目の当たりにしているのは、エンという尺度で価値が測られ、ソロバン勘定にあわなくなったものがドンドン切り捨てられていくという現状です。けれど、切り捨てられたものは本当に無価値なのか? という素朴な疑問を私は持っています。

今の人間社会は自然のそのものの価値をカウントしていないと私は考えています。少なくとも経済的な価値としてはカウントしていない。人間の都合によってのみ自然物の価値を測り、経済に繰り入れているだけです。

こういう反論はあるかと思います。例えば景観の良い土地は、そうでない場所よりも地価が高い。これは自然の価値をカウントしているのだ、と。

もしそうお考えならば留意していただきたいのは、「景観が良い」というのは人が勝手に付けた価値だという点です。

人間が勝手に価値をつけるという点について、もうひとつ例をあげます。ここに樹齢100年の木が2本あるとします。人間はこの2本の木に価値をつけます。一方は真直ぐで人間にとって都合の良い木。もう一方は曲がりくねって人間にとっては価値のない木。当然真直ぐな方に高い値がつきますが、これはあくまで人間の都合。自然がかけたコストは100年という年月とその間に降り注いだ太陽光や水など、双方の木とも同じです。

エコという尺度を導入しようというのは、上の例でいうと、100年の木には100年の木の価値を、人間の都合とは無関係で、測定しようということです。あらたな尺度を付け加えることによって、それは交換可能なものとなる。そういう価値観の地平で何が見えてくるか? 私はそこを問いたいのです。

>もう一つ、二酸化炭素による温暖化の問題。

この問題がいまだ確定的な結論に至ってません。世の中はあたかも“これで決まり”という論調ですが。

>すべての動きが自然の枠の中に収まっているような気がしてならない

人類がSFで描かれているように、宇宙空間にも生存権を広げるというなら話は別ですが、それはまだまだSFの世界の話でしかない現状では、すべての動きは地球環境の枠の中に納まらざるを得ません。ただし、その地球環境がどうなるかは、未知数です。

私たちが後の世代に地球環境を引き渡していくと考えたとき、未知数のまま引き渡していくのが良いのか、ある程度安定的な状態で引き渡していく方が良いのか? この点を考えていただきたいと思います。

2006/04/03 19:17:21
id:gettoblaster No.8

gettoblaster回答回数290ベストアンサー獲得回数142006/04/03 13:28:09

ポイント15pt

2の回答者です。

ドメスティックに考えれば、炭素税(エネルギーに課税)と炭素控除(山林所有者等には税控除、農業者も藁を燃やさず、バイオマスエネルギー原料等にすれば税控除みたいな)を組み合わせれば省エネ/CO2削減という点ではかなりの部分足りませんかね。導入も簡単だし。たぶんエネルギー消費の所得との相関は低いので所得の再配分効果はないですが。

炭素税によって、軽油の値段が上がり物流コストが高くなれば、自然と地産地消が経済的にも有利になるでしょうし、重油の値上がりで電気代も上がれば、自動販売機も減るかもっと省エネタイプに改良され、たくさんの家に太陽電池パネルが付くでしょう。

しかし、地球は1つなんでドメスティックな取り組みだけではどうにもならないのですが....

究極的にエネルギー問題を解決するには頭のいい人たちが核融合を成功させることしかないのではと思います。それより先に、CO2の深海への固定化ができそうですが、それでしばらくつないでもらって。

話は変わりますが、お金持ちって、あんまり変なお金の使い方しませんよね。ビルゲイツとかはいろんな寄付しているし、バフェットはプライベートジェット飛ばしてますがせいぜいその程度じゃないですか。人間経済的な成功(これにも限りはなさそうですが)の次には社会的な尊敬が欲しくなるもののようなので、お金持ちのインモラルな行いはあまり心配しなくていいのでは?そもそもあまりにもモラルにかける人は経済的にそこまで大成功することはないのかもしれません。

id:gushoukuuron

再度の回答ありがとうございます。

化石燃料削減のマクロ的効果は税制の工夫によってもたらすことはおそらく可能だと思います。また富の再配分も税制と政策によっては可能でしょう。ただ、指摘されている通り、有機的な相関関係は作り出せないでしょうね。

話が政治の方に飛びますが、私自身は税という制度そのものに懐疑的なんです。民主主義の世の中とはいえ、税とはやはり徴収されるものです。そして税の使途は、大多数の人が他人に委託するしかないわけです。その委託の仕方が民主的に選ばれた代表者ということで、一応みなが納得しているというのが現在の政治状況だと私は認識しています。けれど、この委託の仕方が万全でないということは明らかです。現在の行政の課題は非常に多岐にわたり、政治家を選択するに当たってそのすべての政治課題をチェックして投票することなど、事実上不可能です。そうすると選択の基準は、得てして「モラル」ということになってしまいます。

私の妄想についてもコメントを頂いていますが、あの妄想で明らかにしたかったのは、今のルールでは、結局は所有するもののモラルにかかってくる、ということを言いたかったわけです。ご指摘の通り、現在の金持ちにはモラルの高い人は多い。けれどそれも「社会的な尊敬」へのインセンティブが働くから、といってしまうといいすぎでしょうか。 「社会的な尊敬」を制度的に得た人たちのモラルの程度を考えてみれば、答えは明らかです。権力は腐敗するのです。

エンエコの着想が制度的に成立しえるかどうかは私にとっても疑問ですが、もし制度的に確立し、私がイメージする通りに機能するならば、環境保全と富の再配分が市場によって有機的に結びつき、そこに「モラル」の介入する余地はなくなります。もちろん市場ルールの監視には高いモラルが求められますが、税の使途の決定に当たって代表者のモラルに頼る必要はなくなるのです。各人が自らの私欲に従って合理的に行動すればよいわけです。

2006/04/03 19:06:46

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