大学進学時に上京してビックリしたこと。
北関東・東北の公立進学高、例えば「浦和高校」とか「仙台一高」とか、
いずれも男子校なんですね。
一方で公立女子高の進学高もあります。
関西出身の私から見れば、私立はともかく「公立」で男女別学なんてのは、
日本国憲法的(?)に「常識外れ」「封建的」という印象を受けます。
1.なぜこのエリアだけ、男女別学の公立高校が生き残っているのでしょうか?
2.これら高校で、男女共学にしようという動きはいかがなものなんでしょうか?
3.これら公立男子高(女子高)出身(在籍)の方がいらっしゃれば、
どういう校風なのかとかをフリートークして下さい。
教育基本法第五条(男女共学)
男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであつて、教育上男女の共学は、認められなければならない。
と記されており、男女の共学が認められるべきだということにとどまっております。ゆえに義務教育では男女共学である必要はありません。国公立大学で男子のみの入学を規定しているところもありますが、それ自体に合理性があれば必ずしも違憲ではありません。
直接的な回答ではありませんのでポイントは結構です。
関西出身と言うことですが大阪の北野高校は修学旅行は男子生徒だけでした。(実話)
多謝です。
不合理な性別による区別がなされていないのならば、私はそれほど男子校が常識外れとは考えていませんでした。ただ男子校が存在してもいいともおもっています。他の共学の同等の高等教育機関が存在しているなら男子校というのは不合理でない許される多少の差異だとはおもうのですが。
なるほど家政や工業の専門教育までは考えてなかったです。難しいですね。
確かに難しい問題ですね。
例えばその地域から通える「工業高校」が男子校で女子が入学禁止だとしたら、たとえ仮に工業系の作業が男子向きだとしても、女子を禁止にするのは明らかにその女子生徒の将来の可能性や学ぶ権利を奪った事になりませんか?
私の地域には実際に数年前まで男子生徒が通える家政科のある高校はありませんでした。(今は家政科自体がなくなってきている)
そもそも家政科に進みたい男性がいない思っている人なら「不利益をこうむっている男性なんていない」と思うでしょうけど、わが県の教育学部の家政科に男子学生が結構いることや、男性の家庭科の教員も最近増えている事を考えると、目に見えないところで疑問を感じたり違和感を持っている人は多いと思います。
地域に1~2校程度の別学というなら選択の余地はありますが、選択の余地もないほど別学校の多い北関東~東北では、中には不利益をこうむらざるを得ない人もかなり出てくるのかも知れませんね。
でもgustav5さんが疑問に思うのも無理はないし、同じ疑問で共学化に反対しているかなりたくさんいるので、そういう方がいても不思議ではないですよ。
私自身もあまり不利益を被らなかった立場なので「別にいいじゃん」的な他人事のような感覚を持っていたときもあります。
しかし実際に不利益を被った人間が存在している事を知れば色々考えさせられる問題でもあります。
難しいですね。
「実際に不利益を被る人間」というのは実はかなりの少数派で、「不利益を被らない人間」のほうが圧倒的多数派なのです。
共学化がなかなか進まないりゆうはここにもあるのかもしれませんね。
貴重なご意見が聞けてよかったです。
戦後、GHQが教育の民主化を推進したのですが、その管轄が東日本と西日本で別れていたらしいです。それで、西日本の方は所謂高校3原則(小学区、総合化、男女共学)の推進を熱心に行なったが、東日本はマアマアという感じだった。その名残りだそうです。そんな風な話を自分が高校生の時代に聞きました。
今回、その話って正しかったのだろうかって不安に思ったので調べてみたら、ありました!一応下記のページで裏付けの記載があります。「河北新報2004/01/13」の記事をご覧ください。
男子校等の存在のどこが憲法的に常識外れで封建的なのか、というのがなんとなく判りません。
性別の差異によって特権を有したり、特別な不利益をこうむった、というなら、確かに憲法的に常識外れであり、憲法違反といえるとおもうんですが?
宮城県仙台第二高等学校(今も男子校)の出身です。
http://www.mmjp.or.jp/pacs/miyaforum/siryou20031001.htm
にあるよう、県が共学化を進めようとしていますが、同窓会の主力は反対(別学保存)です。私は個人的には共学賛成ですが。
なお、昔は(宮城県の中でも仙台市)では、私立も別学で、スケートの荒川選手(女性)で有名な東北高校は、私のころは男子校でした。そして、
http://www.tohoku.ed.jp/info/info.htm
を見る限り、全てのコースが共学化されたのは、実に今年のようです。
こちらに高校の共学・別学問題についての新聞記事が集められています。
埼玉、東北の状況についてもかなり詳しいです。是非ご覧下さい。
http://transnews.at.infoseek.co.jp/kyogaku.htm
1、地元住民、卒業生、在校生の反対がかなり強いようですね。10代の現役の高校生にも反対の意識があるようです。
2、その動きはあるようです。受験生の選択肢を拡げるという意味で、個人的には良いことだと思います。
田舎ですと、通える範囲内にある学校の数がもともと限られています。
男子校、女子高というくくりがあると、さらに数少ない中から進学先を選ばなくてはなりません。
それに、そもそも社会は男女両方が存在するものなので、一緒に学ぶのが自然のような気がします。
3、私は茨城県出身です。茨城の公立高校は「一高」がつけば(元)男子校、「ニ高」が(元)女子高です。
「一高」はほとんど共学化されていると思います。
私は女性で「一高」に通いました。共学化されてから長いので、ごく普通の共学校でした。
女子トイレは狭かったような気がしますが。
10年ほど前、家の近所の「ニ高」が共学化されました。
伝統のある学校でしたので、やはり地元で「共学化は残念」という声はあったようです。
参考
性別によって教育の機会を差別することは、日本国憲法、教育基本法に反します。
国立大学の「お茶の水女子大学」をはじめ、全国各地に女子大学・女子短大がありますが、厳密に言えばやはりそれも憲法・法律に違反しています。
ただ、他にたくさんの共学の大学・短大があり、国民には教育機関の選択の余地があるという理由で、その存在を許されているのだそうです。
と、学生時代、学校の法律の授業で習いました。(受売りです……。)
以下は、「お茶の水女子大学を共学にすべきである」という演題の、お茶大のディベート演習の記録です。参考まで。
http://www.hss.ocha.ac.jp/psych/socpsy/sakamoto/class/dibate...
群馬も公立の進学校はほとんどが別学です。
そもそも昔男尊女卑が激しかった頃、女性の高校進学率も低くあえて女子にも学ぶ機会を与えるために女子高を設立する意義は大いにあったのでしょう。
群馬や東北地域は結構男尊女卑の激しい地域でしたからね。
さて、もちろん今の時代は新しく設立される高校はもちろんみな共学です。
わが群馬県でもだいぶ共学化が進んでおります。
しかし一部の伝統校では(ほとんどが100年近く続く伝統校)、共学化が進まないのはやはり卒業生が反対をしているというのが一番の理由ですね。
例えば女子高はほとんどが「●●女子高校」という名前(前橋女子、高崎女子など)なため、共学化によって自分の母校の名前がなくなります。
群馬でも「群馬の公立高校の共学を進める会」のような会もできたらしいのですが、別学校卒業生からものすごいバッシングや嫌がらせを受けたという話も聞いています。
でも着々と、桐生高校(元男子高)、太田西女子高校なども共学化しております。
結局「合理性があれば必ずしも違憲ではない」ということは、
別学の存在自体がどうこうという問題ではなく、
存在している別学校自体に、正当な合理性があるかどうかという点が重要になってくるということなんですね。
納得です。
しかし結局解釈の問題で、合理性があるかないかは微妙な問題ではっきりとどっちとは言えないのではないでしょうか?
ほかのところで書かせていただいたのですが、例えば女性が差別されている時代に女性の学ぶ権利を保障するために、一時的な積極的差別是正措置としてあえて女子校を作ったという歴史もあります。
そういう時代であればなるほど立派な合理性が存在した事になりますよね。
今の時代、その意味合いが薄れてきたのであればやはり合理的な理由はなくなった事になると思います。
例えばアメリカの大学の入学で、黒人と白人を別枠にしている大学もあったそうです。
もともと教育の機会が黒人の方が少なく(貧しさや差別などで)、黒人にも一定の学ぶ機会を保障するため別の枠にしたわけですが、結果的に黒人のほうが低い点数で入学できる事になります。
そのため「黒人を優遇している」と批判の的になったわけですが、これもそもそも当時、一時的な積極的差別是正措置の一環であったわけですがら、これは合理性はあったと考えられます。
同じように、今でも見た目は共学の高校で「男子150名、女子150名」などと別枠にしているところがあります。(群馬県にはありますよ。しかもクラスは男女別クラスなので、結局男女別学とほぼ変わらない)
そうすると結果的に、女子のほうが男子より低い点数で同じ高校に合格できる場合が出てきます。(今でも親が「男の子は将来働くけど、女の子だからそんなに一生懸命勉強させなくても」などと言う親がいたり、男女で教育費のかけ方が違うデータも実際出ており、男女の教育の機会が必ずしも平等ではないらしい)
さて、自分より低い点の女子が合格したのに自分は落ちたという男子生徒がいたとしたら、どう思うでしょうか?
「不合理である」と思うでしょう。
しかし本当にそれが不合理であるか、合理的な理由があったのかどうか、それを判断するのはかなり難しい問題となってきます。
多少差はあるにしろ、昔ほど男女の教育の機会に差別はなくなってきてきる、とは言え、昔の名残もある微妙な今の時代。
本当に「男女別学」や「男女別枠」に合理性があるのか?
本当に難しいです。私には答が出せません・・・