まずは自分を受け入れることでしょう。
「今の自分でいいんだ」と思えるようになる事。
つまり、前向きになれないことがあっても「まあ、時々は前向きになれないことがあっても仕方ないし、それが自分なんだからそれでいい」と思えるようになる事です。
つまり無理に前向きに生きる必要はないということです。
なんだか矛盾しているようですが、一般的に「前向きに生きられない」と悩んでいる人の多くが陥っているのは「前向きになれない自分が嫌い」→「ますます前向きになれない」という悪循環です。
後ろ向きになりそうな自分がいたとしても、「まあ、今はそういう時期」と思って、そういう自分を受け入れましょう。
よく昔「プラス思考」という言葉がもてはやされましたが、これにも限界があります。
下記URLは少し参考になると思いますので貼っておきます。
目標を持つってことに限るんじゃないでしょうか?
それも身近な、すぐに達成できそうな目標を持てば、それを達成して、達成したら次の目標を持って、というふうに段階的にやっていけばいやにならずに、前向きに、なにごとも続けられると信じてやっています。
前向きに生きるとき、一番必要なのは力強い行動力と深い思慮分別のバランスだと思います。
だから、心構えとしては、「思い立ったが吉日」的に行動的だが、「立ち止まって考える」分別を持とうとする、ことが必要でしょう。
また、方法としては、日々是吉日として一日一日を自分なりに懸命に生きようと努力する、ことが必要だと思います。
といっても、たまには後ろ向きだったり、下向きだったりしてもいいし、くよくよするのもまた人生ですね。
小さな事にもくよくよぜず
困難な問題が起きても立ち向かう勇気を
持てば前向きに生きることができますね。
要はずうずしく生きることだす。
頑張ってください。
http://blog.goo.ne.jp/takabow314/c/038f8961ab22aaf012e347b41...
前向きに生きようとすると、心は明るいほうがいいでしょうね。
楽観的にものを考えようと努めるというのが方法としてはいいかも知れません。
明るい心で、楽観的にものを考えると、なにかにつけて、自分で行動するのに、おなかの底から、勇気というか、何か力が沸いてくるような、そんな気がします。
http://anime.tv.yahoo.co.jp/meisaku/pollyanna/
「反省」を楽しむことでしょう。
人は失敗した時、挫折した時、
その原因を自分の外に探そうとします。
でも、たいていの場合、本当の原因は自分の側、
自分の非や欠点、過ち、未熟さ、といったところに
あったりするんですよね。
それを見つめることを避けてしまうと、
原因が取り除かれませんから、いつまでたっても
失敗や挫折から立ち直れません。
出口のない悶々とした悩みをずっと背負いながら、
過ごしていかなければならなくなってしまいます。
だったらもう、最初から「反省」を楽しんでしまうこと。
些細なことでも日々是反省。
「もしも」や「あの時こうしていれば」なんていう
普通は「後ろ向きだよ」なんて言われてしまいそうな考えも、
反省という目的のためなら、かえって好ましいんです。
つまり、日々反省を繰り返し、自己の成長を図っていこうとする限り、
過去を振り返っていくことも「前向き人生」の一環、
ということなんですよね。
大切なことは、日々成長を目指していくこと。
今日の自分は昨日の自分より確実に経験を豊富にし、
学び成長したという実感の持てる日々を過ごしていくことです。
そのためには「反省」を恐れず、むしろそれを楽しんでしまうこと。
自分の欠点や過ちや未熟さを発見したら、
お、ラッキー、これを克服できれば一歩また成長だぞと。
いいものを掴んだぞと、喜んでしまうこと。
これを積み重ねていけば、無理に気負わなくても、日々是前進です。
ある意味、ポリアンナの「よかったさがし」と似てますね。
「失敗は痛かったけど、おかげで一回り大きくなれたわ、よかった♪」
って感じです。
反省を、楽しみましょう(^-^)
1.無理にがんばらないこと。
2.悩みたいときは、別にとことん悩んでもいい。
3.本当に大変なときは無理に立ち向かわず、とりあえず休んでみて、ゆっくり考える。
4.無理な目標を持たない。自分のできる範囲の目標を立てる。
5.失敗したら必ずそれをプラスにしなければいけないというわけではない。プラスにできたときはそれはそれでラッキーだけど、うまくプラスにできないときは無理しないでそのままにしておいても別にかまわない。
・・・・こんなところでしょうか?
すみません。皆さんの言ってることと相反しているかもしれませんが、実際にがんばりすぎる人や、無理な目標を立てたりむりにプラスに持っていこうとする人が、うつ病にかかってしまったり、後ろ向きな思考に陥っている現状を知れば、こういう結論になるんです。
一般的に思い込まれている事が、実は逆だったということもよくある話ですね。
1.先ず趣味を持つことですね。
2.下手の横好きではないですが、趣味があればより上手くなりたいとか、綺麗にできるようになりたいとか、スムースに出来るようになりたいとか思うので、努力をするようになります。
3.人間は上達しようと言う気持ちを持つことで、前向きに生きることが出来るようになります。
人生を前向きに生きたいとのことですが、それにはまず「人生を楽しむ」ということが大切なのではないでしょうか?
例えば私の場合、苦手な人であってもそれをどう克服していくか、もしくは、その相手はどんな良い部分を持っているのだろうか探してみよう、のように悪いことを「マイナス」ととるのではなく、それをどのように楽しもう?と常に考えています。
前向きに生きるって、なんだか素敵な言葉ですよね。
まず、「前向きな生き方」とはどんな生き方なのか
自分の中に定義があるかどうか確認することから始めたらよいと思います。
以前にこの質問の
http://q.hatena.ne.jp/1139557024
回答としても書かせていただきましたが、
「幸せ」とか「前向き」とか少し漠然とした言葉は
自分の中でしっかり意味付けないとなかなか自分のものにならない気がします。
「誰かの前向きな生き方」と「私の前向きな生き方」は同じではないことが多いからです。
参考にならないとは思いますが
私の「前向きな生き方」は
「ものすごい向かい風の中でも顔を上げて、背筋を伸ばして立っていられるような生き方」です。
ものすごい向かい風は、人生の中の乗り越えなければならない(と、判断した)様々な困難です。
風は冷たくて、砂埃もひどくて、本当は目を閉じてうずくまってしまいたいような風に真正面から向き合って、風の正体を見極めようとする姿勢が前向きだと定義しています。
自分の前向きさが何か分からないときは、何が自分にとって後ろ向きだと感じるかを考えると見つかりやすいです。
後ろの逆は、だいたい前ですから。
長くなってしまいましたが、まとめます。
・心構えは、自分の「前向きさ」を明確に言い表せること。
・前向きに生きる方法は、自分で今前向きかどうか評価しながら生きること。だと思います。
人生の中には、「前向きな生き方」と同様に
「幸せ」や「充実」や「癒し」など満たされたいキーワードがいくつもあります。自分の中にそのどれもを満足するような生き方の指針があればいいのになぁと思いながら、うずくまって風をやりすごしたりもしています。
「前向き」は時になかなかハードです。
無理をなさらず、自分を大切に頑張ってくださいね。
何があっても悪いほうに考えないのがいいのではないのでしょうか?例えばテレビが壊れても新しいのが買えるようになった。ころんでも、これから先、そういうことを意識していけってことだとおもったり。考えようによってはいくらでも先のことに活かせるし、マイナスのことをマイナスに考えれば考えるほど、ストレスは溜まるし、別のことも手に付かなくなりまた失敗することになりかねません。
自分の場合、できるだけ笑うようにしています。お笑い番組を見たり面白いサイトを見たり、とにかく悪い事を忘れるようにしています。また、めちゃくちゃ悩んでいる時、鬼束ちひろさんの曲の歌詞にある「自分が自分を見失ったり絶望に潰れそうな時、思い出すだけ、何も失くしてない」という言葉を思い出して元気を出しています。
思いっきり楽しめる、そして打ち込める趣味を一つ作って、それを生きがいにするというのも一つの手です。
目的をもつことですね。
それも普通の目的ではないです。使命といっていいほどの目的でしょうか。
昔は正義という名の使命感を得やすかったのですが、今は色んな正義があるので使命感を探し出すのが難しいです。
いえ、多分昔もそんなもんでいろんな正義があったのを今の視線でまとめてしまって単純な正義があったように感じてるだけかもしれません。
まず自分なりに世の中を観察して、世の中に対して自分なりの意見や立場を固めると、正しい筋道を立てやすくなります。
そうすれば達成すべき目的が見出せ、目的に向かって前向きな気持ちになれるでしょう。
ただ、自分の考えにこだわりすぎて狂信にならないよう時には後ろ向きになってみるのも大切ですけど。
何に対しても、暗く考えずに、明るく考えるようにしてください。
例えば、コップに少しの水が入っているとします。
水がこれしかない と考えがちですが、
まだ水がある と考えるようにしてください。
愛されているのだ、と気づく事です。
恋人以外でも、例えば、親。例えば、友達。例えば、先輩や後輩。
たまにうっとうしく思っても(思われても)、それでも傍に居る人というのは、どういう形であれ、自分を愛してくれています。
全てを愛してくれる人が見つからなくても、一部分でも人に愛されえている事を認識すると、自分の居場所があるということで、自分に自信が付くと思います。
自信の積み重ねで、段々と楽しくなってくると思いますよ。
また、「どうしても前向きにならなければ!」と思う必要もないと思います。
辛いときは辛いし、ネガティブに考えてしまうときは何をしてもネガティブになってしまいます。
「なにかキッカケがあれば運が開けて前向きになるだろう」くらいで生きていれば、段々とポジティブになっていくと思います(^^
がんばってください!!
1.まず、今あるものを守ろうと思わないことです。
守るものがあれば、人間、その分、保守的になります。
「保守的」という漢字を見れば一発で分かるでしょう。
2.その上で、できれば、未来は常に明るい、と思うことです。
今の自分は10年前から今をやり直すためにやってきた未来の自分だと考えればポジティブになれます
今の自分の行いが未来の自分のためだけでなく、他人のためになるかもしれない。
夢を追いかけている本人は自分のために頑張っていますが、それを見た周りの人にも勇気を与えていることもあります
なにがあっても、辛いことも、すべてプラスに考え自分に言い聞かせてみてください。
そして、笑顔を絶やさないこと。泣きたいときは家で泣き次の日の朝には、また笑顔で出発って感じ。笑顔でいることは周りの人をひきつけます。自然と前向きな人が自分の周りに集まりパワーアップできます。
そしてそんな周りの人にたまに弱音を吐きながらも、笑顔をたやさなければ、自然と気持ちも前向きになるし、運もアップしますよ。私は今実践しています!最近明るくなったとか、前向きになったと友達に言われてます。
是非、だまされたと思って1ヶ月だけでも続けてみてください。
まずは人生を楽しむこと。
これは既に出ている答えなので。
もう1つ。
何があっても「人生、何とかなるっしょ」と考えてしまうことです。
世の中生きていれば、嫌なことがたくさんあります。
どうしたらいいのか分からないことも・・・。
でも。
どんな状況であれ、最終的には「何とかなる」ものなのです。
・・・いきなり言われても「そんなはずがない」と思うでしょうけど。
実際、今まで「ここで死ぬのかな・・・」と思うような状況があったのですが。
結果的に、今こうやって生きているわけで。
もし何とかなっていなければ、今頃わたしは生きてないのです。
あとは・・・そうですねぇ。
あせらないこと。ですかね。
よく「自分から歩かなきゃ、状況は変わらない」と言いますが。
あせって動き出すと、かえって躓いたりしてしまうものです。
まずは、何があっても落ち着くことです。
そうすると、自分の歩くべき道が見えてきます。
もし、見えなければ歩かなきゃいいんです。
見えてくるまでその場に止まって。
見えてきたら、その道を歩き始めればいいんです。
と、わたしは思うのですが・・・。
まず他人をありのままに受け入れることでは
その人は自分ではない(自分とは異なっている)
自分の思う通りにはならないしそうさせるべきでもない
という現実を受け入れるということで
次いで世の有様をありのままに受け入れることでしょうか
(理想や夢を持つことはとても大切ではありますが
悲観し過ぎるのはもしかしたらまだ感情的なのかも
そこまでひどくない、どん底ではない、見るべきものもある
という場合がほとんどなので
最後は他の皆様が仰っておられる通り、
自分をありのままに受け入れることなんでしょう
(至らないところは日々改善に励めばいいということで
前向きに生きる=ありのままを受け入れる
#21世紀日本でありのままをすべて受け入れると
かなりシビアになりますが
後ろ向きになる(後ろ向きにさせられる)必要はないかと
もっとも人間は弱いので
自分のことを真に気遣ってくれる友人は必須でしょう
大阪の豊中でカウンセラーをやっているものです。
どんな逆境でも、どんなに苦しくても「面白い」とまず一言いって、その逆境を分析して楽しむことです。自殺さえ乗り越えることができる究極のポジティブ思考です。とうとう私はそれを仕事にしちゃいましたが。
生きている人間の一念って結構強いと聞きます。
自分がイメージしたことが良い事でも悪い事でもいつの間にか現実になったりして、これってどっかで見たこと有るとか、体験したことがあるとか思ったこと無いですか?デジャブーって思ったり。
だから、まず、自分に良い様に何でもイメージするように自分の意識革命をしてみては?
「○○になってやる!」「○○を実現してみせる!」
って強く心に思うことが大事だって聞いたことありますよ。
そうすれば、現実にそうなるって。
頑張ってね。
自信が持てれば、前向きになるでしょう。
幸せは他人との関わり方にあります。
1.自分を知り、周囲が自分をどう見ているかを知る。
2.自分の生き方を知る。
3.自らを磨き、自らを活かす。
いま、現在を考えてみます。
いま、あるもので、満足できないか、想像します。
写真、アルバムを見るのが、好きですか。
カメラは、普段どんな時でも持ち歩いています。
撮るものは、「いま、しか見られないもの」を撮るつもりでいます。すると、ほとんどのものは、<明日も生きれるかわからない>と思った時、<いま、撮っておきたい>と思ったりします。
自分を基準にした時、永遠に続くとは限っていないわけです。
過去の写真は、反省するというよりも、その時に<もう、見られない>と、感じたからこそ、撮ったわけです。
その時は、その時の思いで充分感じ、次の時はつぎで感じればいいのではないでしょうか。
反省は、それほど貴重だとは感じていません。
>人生をできるだけ前向きに生きようとするにはどういう心構えを持てば良いでしょうか。また前向きに生きる方法を教えて下さい。
前向きに生きるためには、まず自分を知って、その真の自分を受け入れ、そして自信を持つこと、これが大切であり必要不可欠であると考えます。
前向きに生きる上で障害となるものは、
①他人の評価を気にする
②自分を必要以上に美化(理想化)し、真実の自分を見ようとしないこと
③他人に依存してしまうこと
④人のせいにし、自分の責任にできないこと(責任転嫁)
⑤反省できないこと
⑥反省した中で、しっかり原因を追求しないこと
が、挙げられます。
【①について】
他人の評価というものは正直、当てになりません。人は、人の評価ばかり気にしてしまい、日々戦々恐々としたり、人の評価を得る為に無駄な努力をしますが、これは愚かしい諸行としかいいようがありません。
人が、相手の評価を下す時には、どういった観点で評価を下すのでしょうか?自分の都合であったり、損得勘定であったり、好き嫌いであったり、今日の気分で決めてしまったり、と、とても客観性あるものとは言えない理由で評価しているのが実状です。自分が他人を評価する時を考えてみれば分かりますが、ほんの些細な理由で評価している、評価してきたことが分かるかと思います。今日評価されたことが、一週間後には真逆に覆る時さえあるのです。つまり、他人の評価というのは、全く当てにならないわけで、その評価に対して一喜一憂して自分を見失うなどという事は愚の骨頂であることが理解できると思います。
【②について】
人には、不浄なものを浄と見たい妄念があります。言い換えれば、汚いものをキレイなもの、と見たいという事です。自分に対しても、「もっと自分は素晴らしいことができる存在に違いない。」とか、「自分はもっと優しい人間で、清らかな存在に違いない。」とか、徹底的に自分を美化したい、という妄想を抱いてしまう動物、それが愚かな人間そのものなのです。
これが、外に向けられると、「あの人は素敵な人だし、人を裏切るようなことはしないはずだ。」みたいに、人を美化しようとすることになります。こういった思いを持ち続けると、得てして裏切られた時に、落ち込み、苦しむことになります。
自分はキレイな存在ではない、不浄である、との見方をしっかり持つことが大切です。人というのは、人を蹴落としたい心、人を妬む心、隣の家の隆盛を羨む心、自分だけ得をしたい心、見返りを求める心、等々、心の中は醜悪極まりない、悪々しいものしか持っていません。その本心は汚くて、自分の心とは思いたくないのは山々なのですが、その真の自分としっかり対峙し、見つめ、受け止め、受け入れないと、いつまで経っても、夢(理想世界)の中を生きていかなければなりません。夢想世界では、当然生きていけないので、真なる世界に根を下ろし、厳粛なる真実の自分を認めることが必要なのです。
【③について】
人は、自信がない、前向きに生きれない、との思いに支配されると、他人に依存する傾向にあります。しかし、人生は所詮、一人旅であり、誰を当てにすることもできないのが現実です。ですから、自分に自信を少しずつでもいいので、付けていき、そして、自分を当てにする生き方をすることが大切です。
【④について】
人は何かあると、人のせいにしたり、親のせいにしたり、環境のせい、社会のせいにしたりして、自分の責任としない傾向にあります。ところが、自分に降り懸かった災難というものは、必ず自分に責任があるものなのです。0.001%でも自分に責任があるのなら、それは他人のせいにするのではなく、自分の責任として認め、自分の非を認めるべきなのです。
自分の言葉遣い、自分の表情、自分の態度、自分の出しているオーラ、等々、相手にとって気にくわない部分というものは、己が知らないうちに様々な形で発しているものなのです。それを縁として相手があなたに対して仮に怒り露わに攻撃したとするならば、それは相手も悪いには悪いが、その災難の原因は、自分にある、と捉えるべきなのです。それを、相手が勝手に怒り、勝手にもめ事を起こした、自分には非は全くない、相手が悪いのだ、と捉えていれば、それは恨みとなり、苦しみを己が享受することになります。
【⑤について】
④に絡みますが、人はなかなか心から反省することができません。表面上は、ごめんなさい、をしますが、心の奥底では見えないことをいいことに、あいつのせいだ、と逆の思いを抱く場合が大半です。心から反省し、自分の責任と認める人は、確実に人として成長していきます。自分の悪いところ、自分の至らないところを、反省という行為が確実に発見してくれるからです。その悪い点を知っているのか、知らないのか、では、その後の成長が進むのか否かが違ってくることは、言うまでもないと思います。
【⑥について】
反省した中で、しっかり原因追求していくことは大切です。全てがすべて、原因が見つからないかもしれないのですが、毎回毎回追求する姿勢、そして実践が非常に大切です。人は、原因が分かると、それを今後しないように注意しながらの行動をするようになります。ですから、中途半端に原因追求したり、軽く原因追求したり程度では、次の行動には当然活かせないので、しっかり刻印するがごとく原因追求することが必須です。腹底から唸るくらい、原因を追求できたなら、その時、間違いなく成長が約束されることでしょう。
②でも述べましたが、人は不浄な存在です。その真の自分を知っていくことで、少しずつですが、自信を持つことが可能です。
自分は何を思い、何を考え、何を伝えたくて、そして自分は何者であるのか、という疑問に対して即答できる人は、恐らくこの世の中で、なかなかいないのではないかと思います。これが分かれば、もしかしたら自信が持てるかも、と思うのはないでしょうか。
その為には、人と接触する中で、自分は何を腹底で考えている人なのか、というものをしっかり見つめる必要があります。本音と建前の本音の部分です。様々な場面で人との関わりはありますが、その瞬間瞬間に、自分というものは、色々と思ってしまうものです。その思いの良い悪いはあまり関係ありません。なるほど自分は、相手に対して、そんなえげつないことを考えてしまったのか、等々、を逃げずに見つめ受け入れるという事が大切です。
また、日々自分が善いと思うことを実践することが必要です。電車の中で席を譲ったり、ゴミを拾ったり、人に親切を施したり、をしていく中で、よ~く自分の心を見つめて下さい。見返りを求めている心が出てきてはいないか、等々、醜悪な心が発生していることに気づけるはずです。
電車の中で、老婆が目の前に来たので、席を譲りました。その老婆がムスッとした表情で何事もなかったように座ってしまったなら、あなたならどう思うでしょうか?「この婆さん、せっかく譲ったのに、礼の一つも言えないなんて、どういう生き方をしてきたんだ!」というふうに思ったならば、これは礼という見返りを求めている事になり、浅ましい心が出てきているという事になります。席を譲るという善をしておきながら、見返りを求め相手を罵るという悪い心を持つ、これでは善をしているのだか、悪をしているのだか、分からなくなってきます。
善をしてもしてもできない自分というのが徐々に分かっていき、それでも善をしていくことで、自分の醜悪極まりない心、真実の自分が見えてきます。そうなれば、自信も付いてきて、人生に対しても前向きに生きられるようになれると考えます。
何か良い本や参考書ご紹介下さい。