SNSがブレークしていますが、ご存知の通りSNSは
「招待されないと閲覧すらできない」という
中世のギルド・フリーメースンのようなシステムです。
当然、Google検索でも引っかかりません。
従来、自分の公開ブログやHPに日記等を執筆していた人が、
執筆場所をSNSに移行した場合、
従来なら全世界に公開されていた知識等が「非公開状態」になってしまい、
現在のウェブ利用者のみならず、後世のウェブ利用者にとっても
「損失」だと思います。
SNSは、
「全世界の人が等しく発言して膨大な知識のアーカイブセンターを作り、知識革命を起こす」
という「Web2.0」のコンセプトとは
真っ向から対立していると思うのですが、いかがでしょうか?
(フリートークお願いします)
Web2.0かどうかについてはちょっとよく分からないのですが……
匿名性による弊害を排除することで安心して利用でき、
なおかつインターネットの便利さも亨受できる、
というのがそもそもの SNSの利点だと思います。
そして、このことが私たちの社会に与える影響は大きいでしょう。
私は SNSもブログも使っていますが、使い分けています。
たとえば、友人(だけに、ネット経由で、手軽に)に近況を伝えたり、
不用品・欲しいものリストを掲載しておき、
気が向いたときに見てもらって物品の授受をする
……といったことはSNS以前では非常に難しいかめんどくさい作業だったでしょう。
オークションで起こるようなトラブルも遙かに少ないでしょうし。
一方で、公開した方がいいと判断した情報はブログに書くようにしています。
ITmedia
「オタ」「きもい」──スタッフのブログ発言、企業を巻き込む騒動に http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0508/23/news037.html
こういうニュースを見ると、
「何も知らないで流行に乗ってブログやるより SNSにしときなさい」
とも言いたくなりますし……。
象徴的なニュースですね。
知の蓄積・共有とプライバシー保護、それと利便性の兼ね合い
といった問題はやはり中学だか高校だか大学だかで
ひととおりのリテラシー教育がなされるべきかなあ、と。
技術論だけではなくてWebリテラシー論とセットで語られるべきではないでしょうか。
あまり急激な社会の変化が起こっても大変だなあと思うので
(もしSNSが損失を生んでいるとして)
個人的には SNSが Web2.0的でなくてもいいと思います。
「全世界の人が等しく発言して」というのも
強要はできないと思います。
無頓着にSNSに公開することで世界が被る損失も多少はあるでしょうが、
亨受できる利益とを天秤にかけたら利益の方が大きいと思います。
「密室の会議」についても、技術論ではなくて
組織論とか経営論的に論じられるべきではないでしょうか。
まとまりなくてすみません。
>私は SNSもブログも使っていますが、使い分けています。
>たとえば、友人(だけに、ネット経由で、手軽に)に近況を伝えたり、
>不用品・欲しいものリストを掲載しておき、
>気が向いたときに見てもらって物品の授受をする
>……といったことはSNS以前では非常に難しいかめんどくさい作業だったでしょう。
>オークションで起こるようなトラブルも遙かに少ないでしょうし。
本当の友人のみのSNSでしたら、利用価値はあるんでしょうけど。
ミクシィのような、会員数が数百万人というメガSNSというのは
「友達の友達の友達の・・・は、みんな友達」という「フィクション」の上に
成り立っています。
実際には「友達の友達の友達の友達」辺りになると、相当に素性の怪しい人間が
紛れ込んだりして、実際問題、ミクシィを舞台にしたネット犯罪も
発生しているようです。
タモリの「笑っていいとも!」の友達紹介、あれは事前に番組側が
「友達」に出演交渉しているから「安全」なのであり、
もし事前交渉なしでガチンコで素人の友達を紹介していったら、
やっているうちに犯罪者とかも紹介されるかもしれない。
※そういうガチンコ友達紹介番組を見てみたい気もする(笑)
私は、BblogもSNSも使っていますが、使い分けの問題ではないでしょうか。
たとえば、読者の意見が聞きたい内容をSNSで公開することはいい方法ではないですし、日々の愚痴をblogで公開しても多くの読者はそれほど興味を示さないでしょう。
現在は、その使い分けするコストが非常に大きいため、対称的なモノに感じるかもしれませんが、そのコストが下がったときには良い共存関係になるのではないかと期待しています。