※私の気に入った回答にはこっそりポイント送信もしようかと思っています。
owlさんのテーマで思いついたのが、キリスト教文化では自殺は大罪で、この論理は、神から与えたもうた命の絶対的肯定、、死と誕生だけが絶対的な真実とする大前提なんだろうな、、って思ったりします。。でも、、一方、共生社会で育まれた武士道や恥の文化での切腹や自決、、これも、自分の最終的自己実現の手段として見てもいいのでしょうか。
現、小泉竹中経済政策で、多くの経営者、家庭を支える人たちの自殺、又、自分でなく特に自分に直接被害を与えたのでない相手に一種の『腹いせ』で弱い者の命を絶つ事件が目立ちました。。
日本の文化にアメリカの論理でできた社会を押し付けた結果とは言えないか。。
責任を放棄する自由。
自殺の自由なんかが割とそれに近いような気がします。
自殺に伴う「責任」も定義できますが、かなり詭弁に近いものになりそうですよね。