以前フジ「めざましテレビ」とテレ朝「やじうまワイド」で
星座占いの結果が違っていました。
1.チャンネルによって(つまり、占う人によって)
占いの結果は変わるものなのですか?
所詮、占いごときに、化学実験のような
「誰が行っても結果は完全に同じ」のような再現性を期待すること
自体がナンセンスなんでしょうか?
2.となると、占う人によって結果が異なるのであれば、
「よく当たる人」「当たらない人」というのが存在する?
占い的中確率によって、テレビ局が占い師に払うギャラが変わるのかな?
3.そもそも、↓のように、誕生日付で決める星占いにどんな意味がある?
出産が2日に跨る場合は?
海外出産の場合、日本時間、現地時間、どちらで占う?
http://itaru-m.hp.infoseek.co.jp/shukyo/2.htm
おっしゃるとおりです。
ただし、占星術については、それ自体聖書やコーランに劣らない歴的な価値があることを忘れないでね。そうでないと古代文明理解できないよ。特に古ければ古いほど天体観測との関連性は重要な研究対象でしょうね。
おっしゃるとおりでしょう。
しかし、これは、近代科学以前の占星術のことではなく現在の占星術を名乗る得体の知れない占いのことですね。
一般の占いと占星術の違いはやはり農耕の展開と関連して理解するべきであり、食物の「獲得」というより「生産」でしょうか。
歳差運動なんか導出できるような観測精度を持っていなかったということでしょうね
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp...
にあるように歳差運動などを無視しているのですでに実際の星の位置とは全く関係ないです。
大昔は、生存のための食べ物(米、肉等)の獲得のために、自然界の動きを敏感に察知できる占い師(動物的感覚に優れた)が、重要視されたように思います。その後、そのような人が減りまた論理的でないと排除されつつあるような気がします。一部、超能力者と言う人はいますが。そして自然界と人間の運命?を論理、統計的に把握しようとして、自然の状態(天体の動き等)や時間(出生、現時点)等を関連づけたのが、占星術等ではないでしょうか。
テレビでやっている占いは、ある個人が自分の経験や過去の占い師たちが残したデータ(ノウハウ?)に、自分が自分で決めた判断基準(ここが怪しい)で、言っているので、占い師によって占いの結果が違うのは当然です。
細木さんは、占いは統計学と言われますが、ある程度納得いく点もありますが、その統計学がどのような内容の統計学かは、あやしいと思います。
占星術が主題ではないのですが、発言に触発されて一言。
森田何某なる、テレビによく出る高名な天気予報士が、気象図(等圧図?)を書くには、何百枚も書かないと達人とはいえないのだと書いていました(自分は書いたといっていました)。
こりゃあ科学じゃないなと思いました。観測点のデータを入力するとアルゴリズムによって自動的に気象図が生成される、そういうアルゴリズムを自慢するんなら、賞賛できますかど、お習字じゃないんだから・・・・・・・・
確かに占星術にも似た傾向はあります。まず基本が体系的で一応の科学の体裁を持っていること、それでいてほんとに当たる(ホンマカイナ)占いができるようになるには熟練が必要なこと。
すいません。自己レスです。訂正します。
誤:星座の位置
正:星座と惑星の位置
ですよね、どう考えても・・・・・・
占星術は科学です。ただし過去においては。この点他の占いとは一線を画す存在感があります。
ここで、科学を、論理的な整合性を持った知の体系と定義しましょう。このように定義した場合、占星術は科学とみなしておかしくないと思います。天体観測という実学に基礎を置いていることも重要です。古代においては、暦、農耕にも応用され(根源的にはこちらが起源?)まさに現代の「科学技術」の地位を占めていましたからね。
さて、そんな体系的なものが何故、占う人によって大きく答えが異なるかっていわれると、自分で占星術を習ったこともないし(ただし通俗的な本を若い頃たくさん読みましたハイ)そのテレビ見てないので、確かなことはいえないですが、要するに
推測1)現在では占星術も衰退して他の占いと変わらないレベルに成り下った。
推測2)視聴率を意識するあまり、本来あやふやな内容まで突っ込んでコメントするので、そこの部分で判断が異なる。
なんてことが予想されますが、根源的には以下のことです。
つまり、本来占星術で人を占うためには、その人の生まれた時の星座の位置をなるべく正確に把握しなければならないので、何月何日の何時頃まで情報が必要なのですから、おとめ座とかふたご座とかいうレベルで正確な占いなんぞもともとできるわけがないということでしょう。
星座の位置で決めますから現在の日付の認識の仕方とかは副次的なものと思われます。
なお、いくら占星術を擁護しても、現在ではたかが占いではありますが。
1.たとえば、大地震が起きたときに、本当に占いが当たるのであれは、星占いであれば12星座全部が「命の危険がある」という結果にならなければならないのに、誰かがそんな占いをしたなんて話聞いたこともありませんよね?
それに、仮にそんな占いがあったとしても、被災地にいない人にとっては当たらなかったことになりますよね?
つまり、占いってある人には当たっても、他の人には当たらないってことですよねえ。その当たる人と当たらない人って自分はどっちのなか知る必要があるけど、どうやって判るの? でも、はっきり言えばこういうのは普通は「結果論」と言われてることでしょ?
もう1つ例えれば、日本で1日に相当の人が死んでると思うのですが、今日はしし座の日、明日はさそり座の日、なんていうふうに死ぬ日が決まってるんでしょうか?
決まってなけば、12星座全部について「あなたは今日死ぬかもしれない」と言わないと、死んだ人にとっては占いがはずれたことになりますよねえ? でも、これって既に「占い」ではなくて「可能性」とか「常識」っていうものですよねえ。
それとも、占いって運命を言い当てると言っておきながら、人の生き死にのような重要項目は当てることは出来ず、恋愛運とか金銭運とか、はるかに優先度の低いことしか当てられないもんなんでしょうか?
2.上記のように、占いって「当たるか当たらないか」ってものではなく、「信じるか信じないか」であって、信じたい人が誰を信じるかを決めることです。
はっきり言えば「宗教」そのものですね。
3.宗教ということだと、例えば聖書やコーランを都合のいいようにバラバラに解釈するなんてことは当たり前なので、これもどう解釈してどう信じようと個人の自由でしょう。
予報士・予報会社によって予想結果が異なることがあるのは、御存知ですよね?
占いと一緒にしたら怒られるかもしれませんが、農業・倉庫業・小売業・イベント興業…といったような業種の一部企業では、大枚をはたいて、TV でやってる占い…じゃなかった、予報に頼らず、気象予報会社に独自の予報を出してもらったりしているわけです。
占われた人が「この人は当たる!」と思わせるには、それなりの修辞学的文章力、推理力、発想力などの「素質」と「鍛錬」が必要です。勿論、占い好きの人達は、プラス、非科学的な「素質」や「鍛錬」も必要だと主張することでしょう。
小笠原まさやが TV ではっきり言っていましたが、「ラッキーアイテム」は「連想ゲーム」だそうです。例えば「金色」「丸い」「栄養」などという形で出てくるキーワードから、今日日の流行りっぽさを加味してアイテムを決めるわけです。因みに、上の 3つからは何がふさわしいと思いますか? 例えばメロンパンなんてどうでしょう。(20年前だったら「コインチョコ」とかなっていたかもしれませんね)
といいつつ、占いをやっている人達も商売ですから、自分なりの方法を研究したり、一子相伝の秘策があったり、独自の解釈を付け足したり、別の占術の要素をミックスしてみたり、と、いろいろやっているわけです。当然、結果は違ってきます。人気の高さに応じて、ギャラも違ってきますよね。極端な例で言えば、「あの細●●子が占う!」っていえば数字が取れるでしょう。
人気がある人がイコール「当たる」かというとそれは言えません(個別にみる場合と星座別にみる場合とで見方が違うだろうし)けど、「あの人は当たる」という評判が人気を呼ぶのは事実でしょう。
TV や web の占いが当たるか当たらないか、ということでは、以前にこういうことがありました。
http://d.hatena.ne.jp/owl/20050708/day
http://d.hatena.ne.jp/owl/20051117/fortune
お茶の友にでも読んでいただけると幸いかと。
最後の疑問については、TV でやっている占いの場合相当簡略化してますからどっちでもいい、どちらかといえばどっちに入るか、で考える、ということになります。西洋占星術を略式でなく本気でやると、生まれた時刻、場所、占っている時刻、現在地、まで考慮するようです。…じゃあ、本気でデータを投入すれば当たるのか? …それはどうか知りませんが、「来週の日本の天気は?」と訊かれて「晴」と答えることができるのと同じような発想でもって結果が出されている以上、境界領域を厳密に考えてもあまり意味がないという感じです。しばらく見て「当たってるっぽいほう」に自分は属している、という見方がいいのかな、と思います。
っていうかそもそも占いが当たるものか、どうなのか、私にはわかりませんけど。
星占い自体が科学的にどうこう、というのはおいといて。昔、おもしろがって結構いろいろな本を読み漁ったのですが、最終的に内部的に矛盾してるなーと思いました。
1.星占いで得られる結果の読み取りはあくまでも占い師のセンスにまかされている。
おおざっぱに言うと、何月何日に12星座のどこに惑星がいて、それらがどのような角度の配置になるか、というのが星占いの原理みたいなものです。例えば火星は戦い、男性的、情熱…というようなイメージを持っているので火星がほげほげ座の区分に入るとほげほげ座のひとは戦いに巻き込まれます…というようなことを占います。ただし、解釈によっては「情熱的な恋をします」かもしれませんし、「男性的な判断をするのでものごとをすぱすぱ決めがちです」かもしれません。さらに星との角度が90度、180度(これはマイナスの影響があるとされる)、60度、120度(これはプラスの影響があるとされる)のどこにいるかで違うし、そういう星が水星、金星、火星、土星、木星、天王星、海王星、冥王星(後の方はあまり使われないかも)とあるのでどのようにも読み取れてしまいます。
ましてや「ラッキーメニューはカレーライス」なんてのは占星術の本のどこにも出てこないのでそれこそ「木星は黄色…黄色だからカレーだ」みたいにセンスで(適当に)決めていると思います。
2.当たったかどうか曖昧な占いが多いし、また、当たる当たらないを検証するシステムがない。
大体において12星座で分けてしまうので、当たる人当たらない人がいるのは当然。しかし、それで「当たらなかった」とテレビ局に文句を言う人はほとんどいないでしょう。また、「友達とけんかをしてしまいそう」という占いだったとして、ちょっとでも言い争いになったとして当たり、と判断する人もいれば、あれはけんかのうちにはいらない(はずれ)と判断する人もいるし、全く言い争いにならなかったとしても「それは気を付けていたから回避できた」と判断する人もいるので正しかったかどうか判定のしようがない。
もちろん、地震がいつどこで起こる、とか誰それがいつ死ぬ、みたいな占いをすれば当たり外れの判定はできますが…それすらチェックされていませんからね(例:細木数子がほりえもんにライブドアの株価は今年中に倍になるとこの正月に言ってましたね…もうなかったことにされているかもしれないけど)。
3.本来的には生まれた場所と時刻で占う。
星占いはもともとは日々の運勢というより生まれた瞬間(…おぎゃあと生まれた…実際には医者が何時何分生まれ、と書いた時間になると思いますが)のその場所での星の位置を調べてそのひとが一生を通じてどういう運勢を持っているかを調べるものだった。国内でも緯度経度の補正が必要です。御指摘のURLの反論のところに書いてあるのが「占星術のお作法」的には正しいです。
だから本当にお作法的に正しくするなら一人一人毎日の運勢は変わるので、テレビで「ほげ座の人はラッキー」というのはほとんど意味を持ちませんね。
もっとも1.のように解釈が占い師ごとに変わるからなあ…それって占いといえるのかどうか…。一種のカウンセリングだと思うべきなんでしょうね。
歳差運動などを発見していたら、これこそこってりとした奥義というか秘儀を、それに関連付けて語ったことでしょう。