「親にも出来ない愛の鞭」というのは人間不信の表れですね。文体にも出てます。
信頼関係あってこその愛の鞭なのです。そうじゃなきゃ、「愛の無知」ってね。
お大事に。
文体に表した「不信感」は、この発言がもしや
自分の加虐願望を戸塚に重ねてバーチャル的に満足させる
異常性を誇示したものではないかとものではないかという危惧を
表現してみたものだ。
もしそうなら痛烈な皮肉に取れるように書いたわけだな。
「親にも出来ない愛の鞭」というのは、愛の鞭を放棄した親たちへの言葉だ。
戸塚に頼った時点で親は子に対する信頼を喪失している。
この親にしてこの子ありの現実を認識せず戸塚にすがる親たちにこそ
猛省を促すべきという考え方の表明と受け止めてくれ。
本人は愛の鞭と思いこんでいるが所詮偽善だから不幸な結果がおとずれたわけだ。
親にも出来ない愛の鞭を他人が出来るという思い込みがそもそもの間違いだな。
この区別もつかんのなら、暴力がどうの、体罰がどうの、と書くのは偽善の極みです。
念のため・・・「愛の鞭」は妖しいものじゃない・・・このくらいは分かってる?