── 若宮啓文《風考計 20060529 朝日新聞》
http://www.asahi.com/column/wakamiya/TKY200605290146.html
61 :名無しさん@6周年:2006/05/29(月) 13:00:20 ID:Hxiun3kF0
── 朝日新聞殿 「社長ご子息の麻薬愛用の件、社説で語れますか」
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1148874331/
わたしのひとこと
拝啓 北野 武 殿 芸大でフライデー事件を教えてますか?
あなたのひとことをどうぞ
1963年、元々フランスが力入れていたベトナム戦をアメリカが本腰を入れ、1971年ベ戦で米国対外国債務$400億超、金保有量:$90億、とプラザ合意に至るニクソンショックが起こります。。
その日本が世界経済に冠していた1971年、佐藤首相のもとで、「沖縄返還」。
当時の沖縄にはソ連の沿海州や中国を射程に置く「メースB」という中距離核ミサイル基地がありましたが、すでに核戦力の主力はミサイル原潜(ポラリスミサイル)に移行して、地上核基地は時代遅れだし、沖縄県民の「核基地撤去」運動も高って、日米間の(日本)貿易黒字(年$25億)「貿易摩擦」で「繊維製品」が使われたようです。。
国内では【糸】を【車】の犠牲にしたと批判された協定です。(車関連工業技術:世界最高の高張力鋼技術は日本だった⇒は米軍にも技術協力しますでしょ?)
アメリカは「基地機能は堅持しつつ、沖縄問題を繊維問題解決のカードとして使う」ことにします。
この問題は第二回佐藤・ニクソン会談(1970.10)、田中角栄通産大臣・ケネディ特使との「了解覚書」仮調印(1971.10)、「日米繊維協定」正式調印(1972.2)という経過を経、対米輸出規制をする代わりに、【譲歩】という取引の見返りに沖縄奪還を実現します。
それ以降、角栄さんはアメリカ日本属国戦略ロックフェラーグループの父ブッシュ氏らの目障りタンコブで、中国との国交やイラクへ石油の件で直に!(アメリカの許可無しで!)出かけたり、、、ついに、ロッキード事件とやらで、日本国内の大国日和見主義の中曽根氏のもとで、押し切る。。
日本暖簾政権、中曽根首相で受諾した【プラザ合意】は【譲歩】という取引ではなく、【隷属】の道を選択したのを思います。。その後は、急坂を転がる如く・・
西山 太吉(元毎日新聞記者)は「密約があったからこそ、わたしは
有罪になったのだ」 実在した密約をスクープして、なぜ有罪なのか、
という堂々めぐりですね。
わたしのブログにも取りあげています。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19720515
APPEARANCE ~ みせかけとすりかえ ~
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/appearancejapan
これは大スクープだ!
北海道新聞社公認の完全記事転載です。