スギ画伯の作品を、ワダ教授がコピーして(自分の署名で)売れば、
誰がトクして誰がソンしますか? つぎの循環だと矛盾しませんか。
1.スギ画伯の売上げが減って、ワダ教授の売上げが増える。
2.スギ画伯の名前が知られて、ワダ教授の評判が悪くなる。
3.スギ画伯の売上げが増えて、ワダ教授の売上げが激減する。
gakuyo さんは正論ですが、このたびの疑惑は謎のまま終りそうです。
はたして「盗作・偽造・剽窃」として立証されたのでしょうか。
まず、財産権については、損得の結果が一目瞭然です。
スギ画伯は有名になり、新しいファンや顧客を獲得したはずです。
ワダ教授は名誉を失い、従来のファンや顧客も激減したはずです。
人格権については、芸術家が模倣されることは名誉でもあるのです。
もちろん、勝手に真似されたり改変されることは不愉快だとしても、
誰にも模倣されなければ、芸術作品としての存在感に欠けるのです。
とても面倒な議論ですが、自由と独立こそが芸術の本命と考えるか、
あるいは古代からの歴史的成果だと捉えるかによって、異なります。
(後者において、数学や音楽が、公式や楽理の累積に依存しています)
文化庁は、匿名の告発状をもとに、被害者と自称するスギ画伯からの
事情聴取もせずに、ワダ教授を呼びつけ、受賞を取消してしまいました。
選考当時のいきさつや、担当者の説明責任もないままです。
── 和田氏は4日深夜、賞を返上する意向を毎日新聞社などにファク
スで明らかにした。併せて文化庁にも返上を文書で申し出た。盗作の有
無を判断する文化庁の審査会が5日開かれるが、和田氏は取材に対し
「賞が取り消される可能性が大きく、非常に不条理だ」と疑惑を重ねて
否定した。(20060604)
専門家ではありませんが、著作権について注意を受ける機会があったので(違反をしたのではなく、違反をしないようにという注意です)。
私の理解した範囲では、著作権には、財産権(損得の話)と人格権(心が傷つく・心を傷つけるという話)があって、財産権は移譲したりできるが、人格権は本質的に移譲できない。
そして、勝手に真似されない、勝手に発表されない、勝手に改変されないというのは、人格権の柱ということです。
つまり、今回の和田氏がやったことは、財産権での侵害がなかったとしても、スギ氏の人格権を侵害したことになる、こういうことだと思います。