トラウマであるか、ないかという観点からは外れますが、私の父親はどうしようもなく女性にも、だらしなく、そして、上からモノを押し付けてくるような正確で、とても嫌いですが、しかしながら、父親と同じような、女にだらしなく、どうしようも無い男性に惹かれ易いです。
よく、自分の父親に似た人を好きになると聞きます。
それがあなたは、お兄様だったのではないでしょうか?
忘れるのではなく、お兄様に似つつも、どこか包容力のある男性にめぐり合うことができれば、必ず幸せになる道もあります
以上ご参考程度にどうぞ☆
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jacs2/
日本カウンセリング学会
私も、性的なことは含みませんが、トラウマ持ちです。
私自身は、カウンセリングはうまく機能しなかったので、克服は別な方法を模索中ですが、性的なこと、或いは男女の愛情に関するようなコトの場合、うまく行く方が多いように聞いています。
具体的には、色々な手法があるようですので、一概に言えませんが、まずは、相性のいいカウンセラーを捜すことから始めたらいかがかと思います。
ストックホルム症候群
http://www.angelfire.com/in/ptsdinfo/crime/crm3gsto.html
という症状があります。
ある意味では、時間が経つにつれて、その肉親によってもたらされたつらい体験を、自分の中で処理するウチに、このような心理の働きがあった可能性もあります。
一般的なDVの暴力のあと、ものすごく反省して優しくなる、その優しさを愛情と感じて離れられないというような症状より、可能性はストックホルム症候群の方が近いような気がします。
その当時の自分を再体験して、正しく認識し直す、というようなセラピーも今は沢山あるので、これからの幸せのため、そしてなくなった方を許し、人はみな弱いところを持っている、ということをしみじみ感じたりすると、きっと普通の肉親の愛情に戻っていくと思います。
あなたには、あなたのための、あなただけの幸せが必ずどこかにあります、幸せになってください、
と、はてなのおばさんが言っていたと、伝えてください。
今は幸せになる準備をするときだよって...
ご参考になれば幸いです。
ご本人様もトラウマをお持ちでいらっしゃるのですね。本人へご意見を見させてたいと感じます。ありがとうございます。
ちょっと長くなりますが読んでください。
それはトラウマとは違うと思います。幼少期の虐待体験がマゾヒズムにつながるというのは物語ではよくありますが、そんなに簡単に、虐待という過去を快感に転ずるなんて、できっこありません。私の友だちにも家族からひどく扱われていた子がいますが、その子は今、暴力的なことをものすごく嫌います。まるで砂糖菓子をさらにお砂糖で煮詰めたような愛情をほしがります。それが普通のトラウマの出方だと思います。
この人のお兄さんに対する気持ちは、本当に愛だったんだと思います。虐待されていたという過去があったとしても、それはもうお兄さんとの死別で、無意識にせよ許しているんです。だから今は恨みもなく、ただ愛情だけが残っているんだと思います。
亡くした肉親の面影を恋人に追い求めることは、これは仕方のないことだろうと思います。それは心の病気でも何でもないし、当たり前のことと考えていいと思います。それより、もしかしてトラウマ?なんて思うくらいのひどい仕打ちを受けた過去を持ちながら、それでもそのお兄さんを許せるという心の綺麗さを、自分で誉めてあげていいくらいだと思います。
マゾヒズムは、女なら誰でも少しは持っています。この人に支配されたい、この人に従順についていきたい、こんなひたむきな私って好き!!みたいな気持ちは誰でも持っています。それがちょっと過激にサディスティックな愛情表現に憧れる形に出ているだけだから、何も心配ないと思います。
トラウマというより、この人は、理想の兄妹関係になれなかった今は亡きお兄さんへの思いが強いんでしょう。その思いをこえて好きになれる男性が現れれば、それで全部解決すると思います。気にしすぎると、そのことで頭がいっぱいになってしまって、トラウマでもないものをトラウマだと思いこんで、心の中に定着させてしまいますから、今はその方を気を付けた方がいいと思います。
URLはダミーです。http://www.hatena.ne.jp/
お返事ありがとうございます。読ませていてもらって、かなり共感しています。本人にもご意見を読ませてみます。ありがとうございました。
兄への愛なのかどうかは分かりませんけれど、もしかしたら、幼い頃、虐待されることの辛さを自分の存在価値を確かめるものだとすりかえていたのではないでしょうか。
どんないきさつで虐待が起きていたのか想像できませんけれど、「兄が虐待するのは自分だけ」「自分だけが兄の虐待を受け止めて上げられる」と思うことで、虐待に対して苦痛ではなく、自分が必要とされていると思い込んでいたのかもしれません。
または、虐待する人ははっと我に返ったとき、「ごめん」と許しを乞い、自分の行動を正当化するために「自分がこんなことを出来るのはお前だけだ」と特別であることを植え付けようとします。
植えつけられた方は、虐待に耐えればまた優しくしてもらえると思ったり、虐待は自分を特別に思ってくれているからだと思ってしまいます。
(これがDVの悪循環なのですけどね)
もしもそうだった場合、優しい人に触れると、安心は出来るけれど、不安な気持ちも比例して起こります。
愛されるバロメーターが虐待だという図式が出来上がっているからです。
つまり、虐待されることで相手の愛を感じられる=自分が必要とされていると感じるのです。
このことから逃れるには、虐待されていた事実に向き合うことが必要だと思います。
苦痛から逃れるためにポジティブに考えていたものをすべてなくして、きちんと愛される事が自分の存在価値を確かめられる術だと理解できるようにならなければなりません。
心の底から信頼でき、愛すると思える恋人ができた時、自分でそういったことを告白し、相手に受け止めてもらえたら、少しずつ気持ちが変わるかもしれません。
けれど、虐待などを受けたことのない人は、そういう話を避けようとします。
楽しい話ではありませんし、自分の体験ではないから実感が持てないのでしょうね。
話す事で避けられたり受け入れてもらえず、逆に傷つくこともあります。
虐待されいてたことをカミングアウトするのはきっと勇気がいるし、少しだけ精神的に強くならなければと思います。
とても難しい問題ですので、自己開示するためと過去を受け入れられるようになるために専門医に相談された方が良いですよ。
私の場合は、病院の治療よりも、心から信頼できる人のおかげで向き合う事ができるようになりました。
お返事ありがとうございます。貴女さまのご意見も同感として感じます。病院の治療以前に信頼がやはり大事かなと思ってもいます。ありがとうございました。
それはお兄さんを無理に忘れる必要なないと思います。
どんなに虐待をされても、この女性の方は気持ちが優しい方なのでしょう。
お兄さんのことをそれでも、愛というよりも兄弟として「お兄さん」と認めていらっしゃったのではと思うからです。
(ようするに恋愛ではなく、家族愛だと感じます)
その女性は突如として自分の前からいなくなった
兄への気持ちの整理がまだついていないのではないでしょうか?
それは自分としっかり向き合う必要があると思います。
虐待されていたときの気持ち。
それに対しての兄への気持ち。
その時本当は自分はどうしたかったのか。
そして今、自分はどういう人間になりたいのか。
このことを考えることによって明確になってくるかもしれません。
トラウマというよりも、失礼かもしれませんが相手に自分で
補えないものを相手に頼りすぎるという点にあたるのかもしれません。
私も今、絶縁中の兄がいますが私が感じていた兄の印象は最悪でした。
ですが、それでも兄弟という見えない深いものがあるのだなと
常々感じます。どんなに恨みたくても心の底から恨むことは難しい
物でした。
恋愛はお兄さんが原因ではなく、ご自分に原因が隠れているかと
感じますよ。
ご自分と好きな人の本質の部分と両方を考えて自分の気持ちを
まず整理させることが必要だと思います。
的がはずれていたらすみませんが、その女性にどうぞお伝えください。
私の意見はあくまで参考程度にとどめてくださいね。
実際に考えて行動するのはご自身なのですから。
参考程度によろしければこちらを試してみてください。
お返事ありがとうございます。本人も自分と兄の間にある何か、を常に頭の中で考えてしまっているようです。本人にご意見を読むようにさせます。ありがとうございました。
私は男性ですが、コメント失礼いたします。
ご本人の相談ではないという事ですが、あなたの言葉から私が感じとったイメージをお話しさせていただきます。
(これ以降、私自身ややこしくなるので、彼女の事をあなたと書きますが)
あなたは暴力振るうお兄さんが大嫌いだったと書かれていますが、心の奥底ではその時からお兄さんが好きだった。
ただ、その好きという気持ちは愛や恋とはまた違い、兄を慕うような気持ちがあったはずです。
しかし、その当時はお兄さんから虐められたので、その気持ちは封印されてしまった・・・。
そして
『私はお兄さんが好きなのに、なぜお兄さんは私を虐めるんだろう?』
という答えを得られないまま、お兄さんは他界・・・。
あなたは暴力を受ければ、その答えがやがて分かるかもしれない・・・という気持ちに縛られているだけのように感じます。
そして「トラウマを受けた人達はそれを繰り返すのか?」という話しついてですが、結論から言えば私の答えは「No」です。
確かにそれが起因となりえる事はありえますし、それが継続されたり、突然フラッシュバックのように思い出し、虐待の連鎖という話しにも結びつくこともあるでしょう。
しかしながら、それはあくまで後付けの論理に過ぎず、一言で片付けられるような問題ではないと思っています。
もう少し書かせていただけるのなら、では逆に過去に虐待を行なわれた人たちがそのような行為に走らなかったというデータはどれだけあるかというと、私自身、こうしたまともなデータをこれまで見た事がありません。
少し堅苦しい話をしたところで、私自身の経験も少しだけ書かせてもらえるなら、私は幼い頃、親に言葉の暴力を受けた事もありますし、「死ね」と言われて何度も首を絞められたことがありますが、そういう私が虐待の連鎖を繰り返しているかというと答えはNOです。
すみません、話は少しばかり脱線してしまいましたが・・・。
こう書いていくと誤解して欲しくないのは、私はトラウマを持った人が必ず解決に向かうと書いているわけではありません。
一つの側面からしか物事を見てはダメだし、心に万能薬はないという事です。
ただ私自身の経験から言うと、あなたがその呪縛から解放されるためには、ここでは書けないような事や、親しい友達にも話せない心のうちや、あなた自身だけでなくお兄さんがなぜ暴力に走ったのかも含めて、その一つ一つを紐解いていかねば、本当の意味での解決にはならないだろうと思います。
以上、ご参考になれば幸いです。
ダミー
御返答ありがとうございます。本人にご意見を読むようにさせてみます。やはり紐解かないといけないと思いつつもなかなか 向き合うことを拒むので・・とても難しいですが・・ありがとうございました。
ご回答ありがとうございます。これは私の知人よりの代理質問なので、本人にあなた様のご意見を見させてみます。私自身も同感ですので・・ありがとうございました。