いた。
たしかに変わっている?
意図はないのではないでしょうか。
その仮説ももっともであると思いますが、
学習院大学などでも同様のことが言えると思いました
結局偶然なのではないだろうか
戦後60年を経て所属階層の固定化が再び強まっていると思います。政治家や芸能人だけでなくあらゆる職域で親の仕事を継ぐ方が増えているのではないのでしょうか?極端な例ですと宮内庁の楽家などは何十代も同じ家系の人が務めています(例:東儀秀樹)また官僚の方(私の知る限りでは自治官僚)も変わった苗字の方多い気がします。
昔(明治以前)は学問をする人は特別な家系(≒特殊な苗字)で、その家系の血を引く人が親と同じ職業を選択した結果、東大の教官に特殊な苗字の人多く存在するのではないのでしょうか?
なるほど。絶対的に数えれば、じつは多くないのもしれません。
ここでお尋ねしたかったのは、相対的な人数のことです。日本人の苗字の分布と東大の教官の苗字の分布が異なっている(希少な苗字の人が比較的多い)気がする、ということです。
そして、その理由は何か、それはなぜなのか、ということをお聴きしています。
これまでのところ、錯覚であるという説や、実態として珍しい苗字の人が多いことを前提として、言われのある名家の出身であるという説、それから、本人の性格が変わっているからという説が出ております。
何か他の説明がありましたら、どうぞお聞かせください。
苗字は、原則、自分の意思で変えることができません。(養子縁組、婚姻などの手段をとる場合を除く。) ですので、本人が堅物だとか変わり者だから苗字も変わっているという理屈は、ちょっと理解が難しいです。。
たしかにその仮説は正しそうに思えるのですが、そうすると、教官以外の職業でも著名人が輩出されるなどして、特定の苗字が非常に目立つはずです。しかし、現実にはそうでないように思えます。いかがでしょうか。
やっぱり教授ぐらいになる人はたいてい堅物な人が多そうですし変わった人が多いからじゃないですか。
昔からの旧家で学者を多く輩出する由緒ある家系の人が、当然のように東大に入り修士、博士を取りそのまま教官になると思う。
冷静に考えると、その説は説得力がありますね。
日本に多い苗字、鈴木、佐藤、高橋などでしょうか、の確率を計算して、教官の人数と一致する傾向があるかを検討できるとよいのですが。(サンプルが小さいので、偏りが出てしまって一致する傾向が確認できるか分かりませんが。)
決して多くはないと思われます。
印象として、珍しい名前の教授が数人いたら
「この組織は珍しい名前が多い」と
思ってしまうだけでしょう。
他の組織も同じようなもの。
トヨタの張さん、キャノンの御手洗さんも
どちらかといえば珍しい名前ですよね?
質問者の意図らしきものは感じますがね。
日本人の多い苗字「田中」「佐藤」もいる、いる、いる。
ご先祖様が外国人だものね(笑)
田中二郎先生ですね。今まで意識しませんでしたが、よーく考えると、姓名ともに平凡すぎて逆に目立ちますね。(笑)