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私もあの映画は大変好きな映画なので少しだけ…
三の城の青具足勢が小勢ながら、赤具足二郎勢の率いる大軍と、野戦において正面衝突した野戦の合戦シーンにおいて、周辺の山頂に陣取る藤巻勢等が、三の城青具足勢が勝利を収めたのを遠望して、勝どきの声を上げたシーンのことでしょうか?。
乱は、熊本、姫路城、御殿場で撮影され、三の城の炎上シーンは御殿場だったと記憶していますが、、、、
もし上記のシーンであれば撮影地は、
大分県玖珠郡九重町飯田高原、と予想します。
予想ですが。根拠は以下抜粋。
前半のセット撮影を終了した黒澤さん達は、6月30日に姫路入りし、姫路城ロケに臨んだ。その後黒澤さん達は熊本を経て大分県玖珠郡九重町飯田高原へ向かった。飯田高原は「乱」の主要なロケ地で、エキストラ1000名を動員した大合戦シーンなどが撮られることになっていた。
7月になってまた突然井関さんから電話があり、ロケを見に行かないかということ。ヘラルドが費用を出してくれるということなので、喜んで行くことにした。7月16日(月)、熊本空港に着くとマイクロバスが待っており、出演者である植木等さんと田崎潤さんが乗っていた。植木さんは秀虎の隣国の領主である藤巻信弘、田崎さんは同じく隣国の領主である綾部政治の役であった。これに三十騎の会の青年が加わり飯田高原へ向かった。この若者は、リハーサル中に足を痛めて治療していたが、完治したので復帰するとのことだった。2時間の道中は植木さんと田崎さんの掛け合い漫才のような話を楽しませてもらった。
九重観光ホテルにチェックインすると休む間もなくロケ現場に向かった。その日はシーンナンバー55を撮るということで、広大な飯田高原を背景にした岩場の一角で撮影が行われていた。黒澤さんは櫓の上に乗り、その周りを何百人もの人々が忙しそうに動き回っていた。シーンナンバー55というのは、太郎と次郎から城を追い出された秀虎が放浪の末行き場を失い途方にくれているという場面である。秀虎には重臣である生駒勘解由(加藤和夫)と道化の狂阿弥(ピーター)他少数の郎党が従っている。そこに、以前秀虎に三郎と供に追放された重臣の平山丹後(油井昌由樹)が現れ藤巻のところに身を寄せている三郎のもとへ行こうと言う。それに対して、後に秀虎を裏切ることになる生駒は、藤巻の陰謀だとして反対する。
高原ではあるが日差しは強く、乾ききった白い砂場で演技をする役者達はご苦労なことであった。特に、厚いメークをした仲代達矢は皮膚呼吸が出来ているのか疑わしかった。
当時同映画の撮影時私の友人達が、3の城の城内に乱入する騎馬隊のエキストラとして1週間泊りがけでアルバイトとして出演に行っていました。場所は御殿場だと言っていました。馬に乗れる為、狩り出されたのですね。城内に突撃する騎馬の役です。全員東京ですから、私は「安いバイト代で御殿場までアルバイトに行ったのかあ、物好きなアルバイトだなあ、なんで?」と言うと、「…やっぱ黒澤だしなあ」と彼らは言っていました。当時私はお恥ずかしい話ですが、黒澤監督という存在を知りませんでしたので、「??」でした。
というわけですので、3の城の焼き打ち場は、御殿場です。
ありがとうございます。
俺も、映画のエキストラのバイトを今受け付けているので、こういうお話は、いつか自分にもこんな素敵な映画の出演への御鉢が回ってくるんじゃないか、と、わくわくします。
残念ながら、黒澤明監督は、ご逝去なされてしまいました。
黒澤のビックネームを引き継ぎえる、スケールのでかいカリスマ監督を、まだ見つけられません。
その監督がいずるまで、待つ必要があるみたいですね。
梓野は阿蘇の砂千里での撮影だったと記憶しています。
次郎と三郎が対峙した八幡原は大分県飯田高原のやまなみハイウェイから脇道に入ったところにある放牧場のような場所でした。
映画では八幡原の左右にある山から藤巻、綾部両軍が見下ろしているようになっていますが、実際は別々の場所で、綾部軍は牧の戸峠という所にある山の稜線に沿って綾部軍が並んだ状態で撮影されました。
また、藤巻軍は牧の戸峠から南に下った熊本県側の三愛レストラン近くの小高い丘での撮影です。
尚、映画冒頭のシーンは熊本県阿蘇市の大観峰付近を中心に撮影されています。あの頃甲冑を着て走り回っていました。懐かしい思い出です・・・
いいですね、俺もあの甲冑着て、走り回りたいです。ただ、時代が合いませんでした。
なるほど、ありがとうございます。
今、乱が一番、映画の中で私の記憶に残っています。
強烈なので、あまりのインパクトとスケールのおかげで、ロケーションに使われた3の城の焼け跡を見てみたい、と、思いました。
今もあったら、そこはどんな所なのかと、創造するのですが、やはり実物を見ていないから、創造の域を出ない次第で、少し悔しいのです。
あったら、すぐに急行するな。