A)政治にたずさわる者の責任について皆さんはどうお考えですか?



B)対アメリカを含む外交についてどうあった方が良いとお思いですか?

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回答19件)

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命を懸けてやるべし かすよんよん2006/06/18 23:11:22ポイント3pt

A.政治家の責任。

 国民から選ばれたのだから失敗した場合は責任を取るべき。税金横領など言語道断。(特に辻本清美、田中真紀子、などなど)

 文字通り、命がけでやれ!といいたいです。

B.外交

1.亜米利加合衆国

 中華人民共和国の侵略を抑えるために軍事的に連携すべき。(今そうしているけど)ただ、もう少し独自路線を貫いた方がよいと思う(アメリカに反対されて常任理事国入りを断念する、イラク戦争に賛成する(理解をするにとどめるべきだった)など)

2.中華人民共和国

 ジャンジャン押さえつけるべき。援助、賠償は一切してはならない。

3.中華民国(台湾)

 武器を提供した方が良いと思います(退役した潜水艦など)まだ60年前の潜水艦を使ってるし。

 


こんな所です。

中国に敵対する根拠は何でしょうか? takokuro2006/06/21 22:34:53

昔からソ連との関係で中国との緊張感があるようですが。。

私も若い頃、ロシア嫌いでしたが、、突き詰めた理由が無いのを思います。。

一方!アメリカは日本に落とさなくても既に陥落してしまってる日本に対し、ソ連に取られる前にと、あわて二度も原爆を投下しました。

ベトナムでは枯葉剤を散布し、その為に頭も体もくっついた人や、奇形がたくさん生まれました。。

そして、、イラクイラン戦争です。。

本音において、ナチスとどこが違うのでしょうか?

おまけに!殆どの国民が反戦を唱えてるのに、全く無視して戦いを正義の名の元に続ける理由は何でしょうか?

アメリカさえOPECでの石油利権を手放せば、彼らの生活の虐げられた感が緩み、元々、ユダヤ教はキリスト教と共存してる文化ですので、、又、、貧しい人へ労働で得た報酬の一部を貧しい人に与える習慣がある文化ですので、、これ程まで憎しみ合うことは無いように思います。。

【公であること】への熱く“深い”思い。。 takokuro2006/06/20 02:20:31

政治家が一個人より一企業、一社会、一国・・の利害へと“相対的”に理想郷?『ユートピア』目指してキリスト教の発展とともに奮闘してきた歴史を欧米史などで学んだように思います。。

が。日本の文化では、一個人vs絶対的視点での【公であること】(=国でもあり、世界でもある)を強く感じることがあります。恐らく、その視点が他の東洋と違い、鎖国して未文明であったにもかかわらず、いきなり西欧の文明の先端に行っても、臆することなく吸収し、又、未分化人というレッテルを張られることも無かった。。それが!! 社会エリートでけでなく!庶民においてもそうだったことに感慨を覚えます。(こっそり船に乗り込んだり、漂流の末辿り着いた話は多いですよね)

どうしてなのかな?って考えるのですが、徳川300年の武士道精神で社会、国体、政治がされてきたからこそ?ではないでしょうか?

多文化、多民族という多くの価値基準を一まとめ(政治?)にするには、究極の共通基準=経済(利害)にしぼめられるのを思います。。数えられる物、掴める物、貯め込み、他の価値(時として命?戦争、医療、美容、、労働力という時間、、を購入??)との交換もしようという視点。。で共通認識を確認するしかない政治哲学。。

一方!日本文化、かつての社会を思い返すと、、自己主張の前に自然と社会への思い遣りが義務感や権利意識でなく、自分の拠り所、生甲斐になって、、それが政治家という社会を引っ張っていくリーダーらもそうですが、人々、民一人一人の生活がそういう共通社会の中で大抵の場合は自覚されることさえ無く、実現され、又社会が評価してたのを思います。(反対に、個愛は利己主義といって、軽蔑されてた。。表裏一体で、、『自己責任』と言う『発想そのものが必要とされてなかった)

例えば・・・つい20年ほど前でも!!某公立大の外科系?だったか教授が暴走族?の若者に仕事(手術は外科医として若い頃から築き上げた生甲斐の殆どでしょうに)復帰できないほどの事故をおい、しかも相手は保険非加入で、、、昨今なら、若者を裁判に訴えて、取れるだけ取ろうとするでしょうに、、将来ある若者の人生を優先されたと聞いたものです。。

宗教で言うと、、キリスト教(昨今は聖書さえ手段に加えれば、全てキリスト教になるので、誤解の危険を排する意味で、まずは近代でのカトリック教会?)的な広い【隣人愛】に近いかもしれませんが、、そこには、、やはり、、【自己愛】が先ず在っての【他愛】、強い両者の葛藤に打ち勝った上での隣人愛、それだからこそ、又社会に大きな意味や意義をくっきりと浮き上がらせるというような気がしますが。。

日本文化では、政治家、指導者?も、フツーの民一人一人も、生甲斐そのものが“無意識、無自覚!”のうちに【自己】ではない、、例えば、親、兄弟、『祖先』(日本文化では、天皇という生きたシンボルで究極家族に結ばれてる?文化)の為に献身を厭わない、生甲斐であったり、、同じ同胞東洋の他国でも、、自己を意識することなくと言う点で、他民族には理解が出来ないところのようです。。

無自覚だから、言葉で表すことが不得手で、ディベート術でアメリカにいつもしてやられるのでしょうが。。ま。昨今の政府は少なくとも国内向けには達者なようですが。。

でも、、地球環境そのものが一個人、一社会、一企業、一国の利害でダイレクトに脅かされ、子孫の将来へ打撃を与える昨今、、実は日本文化の『共生社会』視点が確実に!必要、必然されてるのを思います。。

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