http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/midorinosanga.html
日教組は1950年、当時の天野貞祐文相が、
学校の祝日行事には日の丸を掲揚し君が代を斉唱することが望ましい、
との談話を発表したのを受けて中央闘争委員会を開き、
「君が代」を国歌として学校で歌わせることには絶対反対し、
新しい国歌の制定運動に取り組むことを決定しました。
そして作られたのが「緑の山河」(作詞:原泰子、作曲:小杉誠治)です。
しかしこれは全く浸透せず、同じ君が代反対勢力であるはずの
いわゆる「うたごえ運動」の中ですら歌われることは稀だったようです。
その後、小規模な国民歌を作る試みはあったようですが、
全国的に国歌として新しい歌を作ろうという動きはない、
と見るのが妥当でしょう。
ちなみに60年、70年代の左翼運動華やかりし頃にも
新国歌制定の動きは全く見られなかったようで、
当時の左翼は旗は赤旗、歌はインターナショナルが
ほとんどの党派に共通していたようです。
おそらく当時の感覚としては、革命後の日本の国旗と国歌は、
そういうものになるという考えが
漠然とながら存在していたんでしょうね。
赤旗とインターナショナルがセットになった儀礼は、
今でも社会主義政党や労働組合などが
新春に「旗びらき」という行事を行う形などで継承されています。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1339289
代替案、出ているようですw
君が代じゃなくて、「民が世」にしよう、という流れもあるようですね。
要は、歌詞が悪いんだと。
http://www.ne.jp/asahi/manazasi/ichi/syakai/tamigayo9908.htm
早速ありがとうございます.
替え歌ですか...
精神性も何もない,どうしようもない代替案ですね.
http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/midorinosanga.html
日教組は1950年、当時の天野貞祐文相が、
学校の祝日行事には日の丸を掲揚し君が代を斉唱することが望ましい、
との談話を発表したのを受けて中央闘争委員会を開き、
「君が代」を国歌として学校で歌わせることには絶対反対し、
新しい国歌の制定運動に取り組むことを決定しました。
そして作られたのが「緑の山河」(作詞:原泰子、作曲:小杉誠治)です。
しかしこれは全く浸透せず、同じ君が代反対勢力であるはずの
いわゆる「うたごえ運動」の中ですら歌われることは稀だったようです。
その後、小規模な国民歌を作る試みはあったようですが、
全国的に国歌として新しい歌を作ろうという動きはない、
と見るのが妥当でしょう。
ちなみに60年、70年代の左翼運動華やかりし頃にも
新国歌制定の動きは全く見られなかったようで、
当時の左翼は旗は赤旗、歌はインターナショナルが
ほとんどの党派に共通していたようです。
おそらく当時の感覚としては、革命後の日本の国旗と国歌は、
そういうものになるという考えが
漠然とながら存在していたんでしょうね。
赤旗とインターナショナルがセットになった儀礼は、
今でも社会主義政党や労働組合などが
新春に「旗びらき」という行事を行う形などで継承されています。
緑の山河自体が暴力的な開発によってなくなっている現在ではなんとも皮肉なものですね.
政治的な主張とは趣を異にしますが、村上春樹は下記の著作の中や、自身のHPの中で「上を向いて歩こう」をワルチングマチルダ(豪州)のような第二国歌にしてはどうか、という主張をしています。
なるほど.そういう主張もあるのですね.
「上を向いて歩こう」は大好きです.
「国家」のわけないでしょう。
「国歌」でしょう。
あなたは歌詞の内容をご存知なのですか?
あの内容があなた国の国歌にふさわしいを思うのですか?
私は私の国の国歌としてあれはふさわしいとは思いません。愛国心からそう言い切れます。
国歌制定国民会議といった組織をつくり、その中で数曲作曲して、アンケートで人気投票して決めるといった方法で決定するのがふさわしいと思います。
<下記はダミー>
> 「国歌」でしょう。
ご指摘大変感謝します.
現在の人間がどう感じるかは置いておいて,国歌として定着した時代の背景を忠実に現していますし,それほどグロいわけでもないので,私としては国歌としてふさわしいと感じたりもするわけですが.
緑の山河自体が暴力的な開発によってなくなっている現在ではなんとも皮肉なものですね.