日本史のコラム的な内容で、「へえ~そうなんだ。」と感心できるような、過去の偉人たちの苦労話、そしてそれを解決したというエピソードを教えて下さい。


モノが発明されたという話でも構いません。

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  • 登録:2006/06/26 22:29:08
  • 終了:2006/06/27 17:55:30

回答(7件)

id:fumikazu No.1

fumikazu回答回数79ベストアンサー獲得回数12006/06/26 22:32:09

ポイント18pt

ごめんなさい、ちょっと違うんですけど、

発明つながりで。

こんなに好きなのかよ、と笑ってしまいました。

http://www5.big.or.jp/~hellcat/news/0311/11a.html

id:hanamiyabi No.2

hanamiyabi回答回数2359ベストアンサー獲得回数12006/06/26 22:39:02

ポイント17pt

http://www.sengoku-expo.net/person/J/055.html

織田信長に関連するコラムです。

id:aiaina No.3

aiaina回答回数8179ベストアンサー獲得回数1312006/06/26 23:20:49

ポイント17pt

http://purple.ap.teacup.com/igozaru/

こちらどうでしょうか

id:suikotei No.4

suikotei回答回数283ベストアンサー獲得回数22006/06/27 00:26:22

ポイント17pt

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E6%98%AF%E6%B8%8...

高橋是清

ペルーで銀鉱事業を行うが失敗し、その時、負債を負った

知り合いのために、「自分の責任」だといって、自宅などを

売り、資金援助したとか。

今の政治家とは、違いますよね(笑)。

id:hamster009 No.5

hamster009回答回数3431ベストアンサー獲得回数502006/06/27 02:55:55

ポイント17pt

幕末に薩英、長英戦争で、日本側は大敗したわけですが、その原因は日本側が使っていた大砲が青銅砲であったことにあります。鉄製でないと火薬をたくさん入れることができず、飛距離が短かったようです。ですから、イギリス艦隊は日本の砲弾が飛んでこないところから、思うさま砲撃できたのです。

日本には日本刀などの小さい鉄をつくる技術はありましたが、溶鉱炉を使ってでかい鉄をつくる技術がありませんでした。すぐに九州の諸藩が鉄製大砲の製作にとりかかりましたが、結局これは明治になってから、ドイツから反射型溶鉱炉を輸入し、技術者も呼んで、実地に学ぶことに結びつきました。それがかつての八幡製鉄となり、今の新日鉄となっています。

http://www.yahoo.co.jp/

id:takeshi_kur No.6

takeshi_kur回答回数33ベストアンサー獲得回数12006/06/27 09:16:29

ポイント17pt

吉田茂氏が首相になる前、食糧危機打開のための陳情にGHQへ出かけて行った。 

 吉田は、農林省が用意した統計数字をもとに、最低何百万トンの穀類を援助してもらわないと困る、この冬国内で餓死者が続出する、百万人単位の日本人が飢餓に直面していると、切々と訴えた。

しかし、GHQが実際に輸入放出してくれた食糧は、吉田が要求した額の何分の一かしかなかった。

そして春になってみたら、日本のどこを見渡しても餓死者が出た気配などなかった。 

 「数字がまるっきりデタラメだ」と、怒ったマッカーサーから釈明を求められた吉田は、「いやあ、わが国の統計がそんなに正確なら、あんな戦争を始めてませんし、たとえ始めたとしても負けてませんよ」

http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/re5.htm

id:goldwell No.7

goldwell回答回数502ベストアンサー獲得回数612006/06/27 17:45:09

ポイント17pt

有名ですが、海軍関係のお話を。

日露戦争における日本の勝利のきっかけでもあった日本海海戦。

当時の連合艦隊長官・東郷平八郎の参謀・秋山真之は、ロシア海軍のバルチック艦隊を迎え撃つに当たって、是が非でも完全勝利を達成しなければならないということで、古今東西の兵法書を調べ、村上水軍の海賊戦法を参考にしました。

そうして編み出されたのが、有名な丁字戦法。

一列で進んでくる敵の先頭艦に対して、ずらりと横に並んだ味方の集中攻撃が成功、完全とも言える勝利を掴んだのです。

司馬遼太郎『坂の上の雲』にも載っているエピソードです。


日清・日露戦争の頃、脚気の流行によって、兵士が戦う前に次々と健康を損ない死亡していくのを憂慮した海軍が、カレーを始めとする英国海軍の軍隊食を取り入れたところ、死亡者が出ることもなくなったという。

以来、カレーが国民に広まり、現在の海上自衛隊まで伝統の料理として残っているわけです。

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