霊が見えるという人がいますが、
何故か、見える霊は、
現代人が多く、次いで戦時中、せいぜい武者・着物姿程度です。
例えば、大昔の平民や、更には、弥生、縄文、原始人の霊が見えるという話は聞きません。
(平安時代の名所で平安貴族の霊など特殊な状況は除く)
何故でしょうか?
霊にも寿命があって、時と共に消滅してしまうのでしょうか?
それとも、単に人口比の問題?
それとも、文化発達度が低い人間(原始人など)は霊を生じにくい?
昔の人の方も、食糧不足などで、十分、想いの強さは強いと思うのですが……
できるだけ合理的説明をお願いします。
(単なる意見でも、しっかり書いてくれるならOK。
ポイントは気分次第で。)
以前フジテレビに毎週出ていた霊能者の方が
ある刑事さんを霊視及び除霊した際のお話です。
その方には弥生時代と思われる時代の男性がいて
その男性が一言発したせいで一族全員殺されるという
悲劇があったらしいです。
悪いことを言った訳ではないのですが
その一言を逆手にとってはめられたとの事。
この話を聞いたとたんに霊視してもらった男性は号泣。
霊能者の方は『もう昔のことだからね』と慰めていました。
私も少し視えますし、この方ともお会いしたこともありますが
その時に同じような疑問を持っていましたので話しました。
霊の寿命:
あまり長く(2000年前とか)なると
そこまで恨むような意識がないのでは?との事。
せいぜい1000年ほどであきらめるかなんらかのチャンスを得て浄化してる。
原始人とかになると、素直?だから次へのステップに進むと。
確かに視えるのはやはり現代人と数百年前の方が多いです。
1000年こえるほど前の方になると霊というより神に近いか怨霊というか妖怪?に近い・・・です。
ちなみに向こうの時間は、10年経っても数日くらいの感覚らしいです。
上手く回答になってないですね(^^;
とりあえず昔の人は一応霊でもいるようですよ。
基本的に、日本人は「輪廻転生」を信じています。
したがって、死して霊になるなら、
その霊は時が経てば再びこちらによみがえってくるわけです。
ですから、原始人なんていうのはもう、
一旦あの世に行ってから、さらにまたこちらに生まれて、
またあの世に行って、と何回も行ったり来たりしているわけですね。
ある時は戦国時代に生まれ、ある時は江戸時代に生きたりしながら、
死してはその時々の時代の霊魂になっていたりするわけです。
あまりに古い時代の霊がいないのは、おそらくそういう理由でしょう。
もちろん日本の仏教では、魂が高まって成仏すると、
そういう輪廻のループを抜けて浄土に行けるということになっています。
そこで晴れて、こちらに生まれてくることも、
死してこちらの世で霊だオバケだと言われることも
終わりになるわけですね。
あまりに古い霊は、そろそろそういう「卒業」を迎えていても
おかしくはないでしょう。
でも、宗教によっては「新生霊」などという
あの世で新たに生まれる命なんかも想定しているのがありますから、
いくらたくさん成仏して浄土に行っても、
この世でもあの世でも、人口はどんどん増えていく仕組みになっています(^-^;
僕の理解だと、
よく、霊能力者などが、「見える」とのたまってる霊は、
その輪廻転生の回転から外れてしまったものだと思っているのですが。
輪廻転生からいったん外れてしまっても、
霊というものにもやはり寿命があると考えて、
そのうちまた輪廻転生の枠に戻るということなのかなあ?
成仏しない霊はいつまでも成仏しないと仮定すると、
例えば、500年前より今の方がずっと霊が多いし、
新人類の誕生から今までの人口でいけば、原始人不浄霊も結構いるはず、と思うのですが…
やっぱり、時間と共に、何故だか浄化されていって、
そのうち輪廻なるものに組み込まれちゃうと考えるのかな?
(結局、霊にも寿命があるってことか…)
おそらく雰囲気が出ないというのと、現実味が無い為だと思います。
例にあるような原始人の霊では面白くないんです。
霊が見える人もオーディエンスがいて成り立ちますので、
(一人でやってたらちょっとアブナイ)
やはりウケが良い霊が生き残ります。
あー、すいません。
そういう意味での合理的ではなく、
出来るなら、心霊学的な合理性でお願いします。
(そういう意味での合理性は、併記って形で。)
1.霊に寿命がある説。
霊にも寿命があり、数百年程度で消滅・成仏してしまう。
2.霊の見え方に個人差がある説。
実際の霊は、ぼんやりとした白い塊など人間の形をしていないが、強い恐怖や思いこみにより人の形として認識してしまう。
3.脳内で霊が作成されている説。
霊そのものは実際には存在していないため、人間の歴史認識の範囲内によってしか創造出来ない。
日本で発見された書物は古いものでも奈良時代頃からであるため、それ以前の出来事についてはなんとなくはわかっていても、細かい人間関係などはまったくわかっていない。
最古の物語は平安時代の竹取物語なので、創作という面においてもそのあたりが限界のように感じます。
このいずれかですね。
3が一番合理的な気はしますが、霊の存在自体立証されてないので難しいところです。
ああ、これこそ、僕の求めていた回答の一つの形ですね。
ところで、1についてですが、一般的にそういう説は"霊能力者"の方々には主流なんでしょうか?
僕的に考えても、霊については、存在がそのまま保たれ続ける、というのが一般的な思想な気がします。
2は、確かにあり得ますね。
ぼんやりとしか分からないものを、
何となくで、あれはきっと武士の霊だとか、(実は縄文戦士の霊だったり)
言ってるのかもしれませんね。
だとしたら、ほんとに霊が見えていたとしても、
詐欺だ!!!
かつての“シスター・ボーイ”は、つねづね前世が“キリシタン”の
生まれかわりと自称しています。その家来だったと云われた永 六輔は
「父は浄土真宗の住職なんだけど」と首をかしげています。
天草 四郎 時貞 1622‥‥ 肥後 肥前 16380412 15 /寛永15.0228 18
美輪 明宏 歌手 19350515 長崎 /籍=丸山 明宏/~《メケメケ》
永 六輔 作家 19330410 東京 /籍=永 孝雄/~《上を向いて歩こう/大往生》
現代人が、パスワードを忘れたとき再発行を申請すると“本人認証”
のキーワードを要求されます。たとえば「母の旧姓」とか「ペットの名」
などです。前世の霊を唱える人たちは、これに答えるべきですね。
霊魂は不滅ですが、共通の言語をもつ時代に限られるはずです。
ところが霊能者によっては、アメリカ大統領の霊が降って、日本語で
質問すると日本語で答えたりします。
あるいは西洋人の霊能者が、日本にやってきて、被害者の声を聞くと
外国語でお告げが聞こえるらしいのです。
ぜひ彼らにも「ペットの名」とか「母の旧姓」を聞くべきですね。
わたし自身の経験では、だれかに夢の中で誕生日を聞こうとしても、
いつもうまいぐあいに、はぐらかされてしまいます。
つまり、わたしの知らない情報は、夢の中の他人も知らないのです。
http://q.hatena.ne.jp/1149960115#a547853
ありがとうございます。
しかし、この質問では、
そんな霊能者側の立場に立って、(あるいは現役霊能者の意見として)
どういう権威付けられた回避方法があるのかを知りたいのです。
おっしゃるような疑問はもちろんいいんですが、
霊的合理的回答を一応述べた上で、併記って形でお願いします。
どうして縄文時代の人たちが登場しないのかというと、霊能力者だと言う人が縄文時代の情報を余りインプットしていないので、イメージができないので、ひとまず時代劇で得た情報ならイメージできるので、その時代劇が実際とは違っていても、誰も「それはテレビ番組が作った架空の世界で、実際は人々はそんな服を着ていなかったし、そんな語り方はしていませんでしたよ」と指摘されることも無かったのではないかと思えます。
人によっては「魂は3年ほどでこの世から消えるという人もいれば、怨念のエネルギーはすさまじく供養されない魂はづっとこの世をさまよい続け、生きている人を不幸にする」という人もいます。
一番すごかったのはマリリンモンローを呼び出した霊能力者がいたのですが、その呼び出されたマリリンモンローは東北弁だったんです。
タレントが「英語で答えてください」と言っても東北弁の日本語が返って来るのです。
それで霊能力者はその矛盾を「霊は国籍を越え、憑依した体を使って語るのです」と説明していました。
霊が見えるとなるものにシャルルボネ症候群というものがあります。
もう一つあるのはテンカンとか統合失調症によっても、幻覚が起こることがあるそうです。
それを病気による幻覚だとわからなければ、幽霊を見たとなるかもしれません。
だからーーーーーーーーーーーー
前にも書いてるように、そういう回答は承知していますので、
否定派でも賛成派でもどっちでもいいんですが、
とりあえず、霊能者側に権威付けられている合理的な回答というものを知りたいんです。
疑問に疑問で答えたり、
霊なんて見えてない
というのは無しの方向でお願いします。
霊が見えるというのは、霊感のある人になら自分のことをわかってもらえると感じて霊が現れると考えます。
霊は成仏していないということで、現世に何らかの心残りがあるか、自分が死んでいるということに気付いていないかなどですね。
なので誰かに気付いてもらいたい。
誰かにわかってもらいたいという念が霊という形で残っているということになります。
霊感のない人というのは霊自信が自分の無念さをわかってもらえないと感じられている人だと考えられます。
寿命があるかどうかですが、無念さの度合いによると思います。
最近なくなった方の場合には、霊になってから時間があまりたっていません。
なので無念さが忘れられていない霊が昔なくなった霊に比べれば断然多い。
逆に大昔になくなった方の念は長い時間とともに風化し、現代までその念が残っていないと考えるのが自然だと思います。
そう考えると、現代風の霊が多いことが説明できると考えます。
ありがとうございます。
霊寿命説ですね。
霊の寿命は怨念ってわけですか。
再回答です。
>>ところで、1についてですが、一般的にそういう説は"霊能力者"の方々には主流なんでしょうか?
「霊は成仏させない限り永遠に居続ける」というのが霊能力者的にも一般的だと思います。
神霊のように、神社に奉られているような良い霊もいるわけですし。
ただ、もし寿命があるとしても最低千年以上はあるでしょうから、霊能力者でも確認しようがないというのが現実だとは思います。
そしてもう一つの説として、
4.過去に一度、全国的に除霊されている説。
1000年以上前に誰かが日本中のほとんどの霊を成仏させている。
ただ、1000年も前に除霊師が日本全国をすべて歩いて回るのは物理的に不可能に近いので、例えば全国の神様が集まると言われている出雲大社でなんらかの大規模なイベントというか除霊式のようなものを行ったとか(出雲大社の元となる神社は2000年以上前からあるそうです)。
一度成仏させればもう二度と過去の人の霊は発生しないでしょうから、一応理にかなってはいると思います。
ありがとうございます。
しかし、
4の説の根拠になるような史実とか欲しいなあ。
僕が知りたいのは、可能性ではなくて、
権威付けられている"可能性"なので。
以前フジテレビに毎週出ていた霊能者の方が
ある刑事さんを霊視及び除霊した際のお話です。
その方には弥生時代と思われる時代の男性がいて
その男性が一言発したせいで一族全員殺されるという
悲劇があったらしいです。
悪いことを言った訳ではないのですが
その一言を逆手にとってはめられたとの事。
この話を聞いたとたんに霊視してもらった男性は号泣。
霊能者の方は『もう昔のことだからね』と慰めていました。
私も少し視えますし、この方ともお会いしたこともありますが
その時に同じような疑問を持っていましたので話しました。
霊の寿命:
あまり長く(2000年前とか)なると
そこまで恨むような意識がないのでは?との事。
せいぜい1000年ほどであきらめるかなんらかのチャンスを得て浄化してる。
原始人とかになると、素直?だから次へのステップに進むと。
確かに視えるのはやはり現代人と数百年前の方が多いです。
1000年こえるほど前の方になると霊というより神に近いか怨霊というか妖怪?に近い・・・です。
ちなみに向こうの時間は、10年経っても数日くらいの感覚らしいです。
上手く回答になってないですね(^^;
とりあえず昔の人は一応霊でもいるようですよ。
肯定派の方としては十分な意見です。
ありがとうございます。
科学っ子ですがオカルトに染まりつつ答えてみます。
人間の霊なるものが見えるというということは。
思念の塊が残渣物として見えるということと解釈します。
魂という形が霊となって残留しているのが見えるというのであれば、同様に動物やあまたの昆虫などが見えなければ矛盾するからです。そこで「思念」というか現世への未練という思考が残ったと解釈するのが合理的ですが、これらの思念を汲み取るにはそれらの思考形態とそれを感じる人が似ていなければならないと思います。
残留思念にシンパシーを感じるということはある程度思考形態が似ていなければならないので現代人の「見える霊」というのが近代以降になるのではないでしょうか。
古代の人や動物であってもその思念が憎悪とかそういう単純で強いものであれば現代人もシンパシーを感じるので見えるのではないでしょうか。
次は、霊というものが何かその場におこった出来事をその場所が記録しているというだけと解釈した場合。
これはその場所で多くのことが起こるたびに出来事が混ざり合い、霊という存在そのものが時間の経過とともに混ざりあって、希釈したものになるか、もしくは、なにか違う異形のものになるかしてしまい過去のものであればあるほど曖昧模糊としたものになってしまい明確な像を結ばないのではないでしょうか。
次は、それら霊の存在を「感じる」のではなく「見える」と表現するその人の「見え方」を考察してみます。
目から入ってきてそこに存在しないものが「見える」という以上、そこにはおおまかに二通りの解釈が存在します。
1.触ることはできないがなんらかの光学的偏差が存在している。
2.本当はそこには何もないが脳内の視覚野で幻視をつくりだしている。
1.については心霊写真やなにかでも認知できる形での霊です。これは光学的に捕らえられる以上、なんらかの質量があるものと考えられます。霊なるものが質量を持つ存在である場合、時間とともに分散してしまうのもうなずけます。
2.については麻薬やなにかでも確認できる完全なる幻視です。
ただ、動物も植物もそうですが、危険因子伝達ホルモンなどということで、(たとえばある種の植物は動物に食べられることによりホルモンを空気中に放出し、他の仲間に危険を伝達します。)このような科学的残渣物がこれらのレセプター感受性が豊かな人がキャッチし、その科学的作用によって脳内に像を結ばせるという考え方ができます。たとえば地べたにながれた血液反応などは分子レベルで残っていればいいので数十年経ってもキャッチできますが、さすがに限度年数があります。これを霊の見える仕組みとした場合、霊の風化も経年劣化するものと思われます。
もしくは、同様に危険因子を認知することはできるがそこに時代背景を盛り込むことはできないので、それを解釈するその「見える人」が「イメージできる限界」というものもあると思います。
あとは・・・
生活圏の問題でたとえば東京なんていっても、今人がいっぱい居る地域はいままで人が住んでいなかった場所だし、かといって人が昔から人が住んでいたような場所はオフィス街にはなってたりするけどこれも江戸時代~戦後の話だし。
江戸時代以前の「昔」から、同じ場所に多くの人があつまり居住地域を形成していた場所なんて日本を探してもそんなにないと思いますよ。また人口の増加もおおきな要因です。どこに行っても人に合うなんという社会は食糧問題が解決し爆発的に人口増をした近代以降の話です。
ああ、本当は、権威付けられた、心霊側の意見が聞きたかったのですが、
ここまできちんと分析されているなら、それはそれで良しとします。
面白かったです。
霊というのは一種の説明の仕方だと思うので、言う方も言われた方もよくわから
ないような原始人では、説明にもならないし納得しないからではありませんか。
受けがよくない。お姫さまとか武士の方がよろこぶわけで。
あなたに憑いている霊は、5万年前にナウマン象を倒し損ねて、氷河に落ちて
死んだ原始人なのです、そのときの氷河の温度はマイナス150度でした、と
言われても、う〜ん。ロマンとか歴史、物語性がないですよね。なんか
理科になっちゃうですよね。
理科になっちゃうと、霊とかそういう説明にはまずいんではないですか?
歴史性とつながれないような説明は、心理療法でも心霊学でも使わない。
あまりにも遠くて、物語を構成しない時代のものは歴史というより、
物質的な世界になるから、科学の対象になっちゃうんですよねー。
うーん。
霊能力者的な意見が聞きたい質問なのです。
科学的な意見や商業的な意見は予測が付きますから。
あんまり霊を信じている人はこういう質問には答えてくれないのかなあ?
霊が見えるという現象は、電磁波に近いノイズ(エネルギー)が脳に働きかけ幻視像を創り出す、という仮説があります。どんな霊なのかという情報は、その周波数にあたるものの違いにより、霊が見える人、見えない人がいるのは、この受信機にあたる能力の性能の違い、としています。
その未知の電磁波(霊波?)が、水面に起きた波紋のようなものであれば、強弱による違いがあってもいずれ消えてしまうのではないでしょうか。また、いくつもの波があると互いに緩衝し打ち消しあい、強いもの・新しいものが表層に現れる、という解釈はどうでしょうか。
確かに、霊は電磁波だと誰か胡散臭い人が言っていたのを思い出します。
そうなれば、まさに、Shadoさんの言う通りですね。
この辺で終わりにします。
肯定派の方としては十分な意見です。
ありがとうございます。