皆さんは『格差』についてどうお思いですか?
私的には、、アンケートの対象がほぼ“中流の上”家庭に対してであったのではないか?
小泉政権下で会社も家庭も壊れたブルーテントの人たちは含まれてないのではないか?(彼らは日本国民でないということなのでしょうか)
彼らこそ、外国人の安い労働者や、政府の経済政策(為替、米国財務省証券を買って国債を発行する、、など)の失敗というより、国民を犠牲にした悪政の結果ではないのでしょうか?
昔から、、人間社会でバクテリア的な大切な役割を担った弱者が、大阪の中小零細企業の周りで地味ですが活躍されてたのを思います。。
大阪人が弱者に理解があるのは、彼らの役割を評価してきたからです。。
バブル時、日本橋や中小小売店らが集まってる街には、自然界のバクテリア的な役割、、資源リサイクルにもなってる人々が共生してらしたのをよく目にしたものです。。
バブル時の彼らは誰もしたがらない利益率の良くない、だけど、、お店の人も彼らの生活の為に、同時に人間として使い捨てを嫌う大阪商人精神として、、上手く共生関係が出来てるのを感じました。。
バブル時、利益効率の良い仕事をしていた人が、倒産などで、元手の要らない?彼らの仕事を奪ったのではないか?
バブル時のこういう仕事をする人は、性格的に環境に埋もれ、自己主張もせずバクテリア的なパーソナンリティを感じたものですが、昨今ではとてもやり手の人々がトラックを使ってしてますよね?!
つまり、一番下層にありながら、人から奪うことをしない人々の生存権?が社会の何かの秤になってるのを思うのです。
他国のように、嫉妬でスラム化して悪事を働く【下層】の人とは違うのが、10年前までは健在だった日本社会の文化特長の一つに思うのです。。日本には人間でありながら、バクテリアのような非攻撃的で大きな意味の環境や社会に貢献してる人がいた?
彼らが老人や子供、動物らを育んでいた環境の隅っこに居て、困った時そっと助けてくれたのを思い出します。。
ブルーテントでもバブル時美味しい思いをした人たちの所は、糞尿の匂いがしてたりするのではないか?とかね・・かつての【浮浪者】ではないこういうバクテリア系の人々は匂いもなかったのを思います。(子供時分の怖いもの見たさより)
今より格差が小さかったときがあるのでしょうか。バブル時期は格差が大きかったと考えられます。その後国の借金をかさね、公共事業でその場をしのぎました。この時期は格差が小さかったともいえるかもしれません。このつけが今に回ってきていると思う。
社会への貢献度によってその人が認められる社会であれば、格差は問題ありません。そして、細かい政策論を抜きにすれば、がんばれば報われる社会だと思う。ただ、課題は格差が親から子へ定着しないようにしなければならない。
アンケートというのは統計学的にみればいろいろ文句はつけられますから、参考程度にしたほうがよい。