労働力のためですか?
親(自分)の面倒を見させるためですか?
自分にできなかった事を実現させるためですか?
敬意がほしいからですか?
行為の代償ですか?
「種の繁栄のため」(「国力」等も含む)以外のお答えをお願いします。
「子供を持つ意味」というものを考えた時に、まず多くの夫婦は「子供が欲しい」と言います。私の友人の40代夫婦で、もう既に子供が2人も居るのに「まだ子供が欲しい」と言います。何故、子供をそんなに欲しいと思うのでしょうか。
1、「育てる」という事は、子供が居ないと出来ないからです。
恋人が居れば、自分の分身のように最高に可愛いと思うでしょう。子供も同じで、自分の分身のように可愛がる(育てる)ことが出来る存在が居る事が、自分が生きていると感じる事である気がしますね。
2、「家族」を増やすという事ですね。
家族を増やしておくと、自分が孤独になる確立が減るわけです。もし伴侶しか家族が居なければ、伴侶を失えば自分は1人です。しかし、家族が多ければ多いほど「助け合い」は深まります。自分ひとりじゃないという思いは、困難な時になればなるほど、自分を励ますパワーとなるのではないでしょうか。
新米の母です。
それほど強く望んだわけではありませんが
(つまり、それほど深く考えたわけではありません。
自分は結婚したら子供を持とうとするものと
昔から漠然と思っていました。
つまり、社会的な慣習だから、でしょうか)
結婚してすぐに子供ができました。
子供が産まれてみたら、
子供は自分にとって想像以上に特別な存在でした。
かわいいんです。
また、今までずっと、理性重視で生きてきたつもりでしたが
子供には母親としての本能を刺激されます。
本当に、子供を守るためにいろいろなホルモンが出て
脳がそれまでとは違う働きをしているのがわかります。
また、子供一般に関する感度が高くなり
これまでとは違った自分のアンテナがどんどん育ち
視野が広がっていくのを感じています。
特に子供好きではなかった私ですが、
子供は1人のみならず、2人目以降も欲しいと思うようになりました。
きっと私の子供は、私の世界を広げ、私の人生を精神的に豊かにしてくれるでしょう。
私がこの先、新たに子供を持つとしたら、私自身のそういう確信によります。
まずはご出産、おめでとうございます・お疲れ様でした。
ホルモンですか・・・それは「産む」ことによって得られるものですか?
ありがとうございました。
私自身は、何が何でも子供が欲しいとは考えていません。
それでもやはり将来設計像としては、
妻がいて、子がいて、という姿を想像してしまいますよね。
つまり、憧れる家庭像というビジョンの中に、
デフォルトで子供の姿というものがあるわけです。
多くの人が、この標準的な家庭像のあり方を望むということ。
各論的な理由ではなく、総論的な理由として、
標準的な家庭像に憧れているということ。
これが、多くの人が子供を持とうとすることの
理由の根本ではないかと思います。
むしろ、何が何でもこれこれこういう理由だから子供が欲しい、
という人は少数派でしょう。
とりたてて具体的な理由はない。
しかし、憧れている家庭像の中に、常に子供の姿というものがあった。
だから子供が欲しかった。
そして子供に恵まれた時、そんな漠然とした夢が形になった。
そこから、夢が叶った幸福感と共に
子育ての苦労が始まって苦笑い・・・・と。
世の父親母親の大多数は、そういうことだろうと推察します。
>憧れる家庭像というビジョン
外付けのビジョンという事ですね。
>標準的な家庭像
でも、実際は違うことが多いですよね(家庭に限らず)
「標準的家庭のやり直し」にあたるのでしょうか?
ありがとうございました。
面白そうだから。
まだ子供はいないのですが
自分の人生以外で、他人の人生に強い影響が与えられるのは
非常に面白い経験になると思います。
それとは別に
私の親は非常におもしろい考え方の持ち主で
私は親をとても尊敬しています。
私が彼等に直接恩返しを出来ることは
彼等が私にしてくれたことに対して非常に少ないし
彼等もきっとそれほど喜ばないでしょう。
彼等が私にしてくれたことを私の子供にすることが
彼等への恩返しだと思っています。
誰かに影響を与えたい、からですね。
ありがとうございました。
私の場合は 自分の分身として 欲しかったんです。 そしてその子が 何処まで 自分に似ているのか 見たかった。
やはり 子供は大変です育てるのが でも 孫が出来ると ヤッパリ 孫は 別物で 自分で手間を掛けなくて 済む分可愛いです。
孫もやはり 似ているところが有りますので、遺伝は受け継いでいるんです。
もっとも重要な事は「遺伝」(血のつながり)という事ですね。
ところで「自分の分身」であるお子さんご自身は、分身である事についてどう思われているのでしょうか?
ありがとうございました。
2人子どもがいますが、正直「何のために子供を持つのか」ということはあまり考えなかったです。
目的ではなく、「自分の子どもという存在が欲しい」という本能的なもののような気がします。
本能ですか、ありがとうございます。
欲しかったからです。
本能です。
子供はとてもかわいいです。
子供がいない生活など、もはや考えられません。
経済的に可能なら、合計3、4人は欲しいところです。(実際は2人)
ありがとうございます。
「自分が強くなるため」じゃないですかね。
守るものが出来ると、精神的に成長する。
生きていくうえでそういうのが必要だから、守れる何かが欲しくなるんじゃないかな。
結局は本人のエゴなのかもしれない。
守るものができなければ成長できませんか?
また、それは子供でなければなりませんか?
精神的な自己実現のため、という事でしょうか。
ありがとうございました。
自分のできなかったことを託すため。
人生で一番楽しかったことを教えるため。
相手との確かな結晶を世の中に誕生させるため。
自分ができなかった事を、子供が達成しなければなりませんか?
ありがとうございました。
それが分からないからですよ。
子供に代わりに考えさせようって事じゃないでしょうか?
その子供がまた分からないから、またその子供に考えさせて、でそのまたその子供が・・・
無限ループですね。
ありがとうございます。
生きていく為のやりがいじゃないでしょうか?
仕事でやりがいを見つけた人は子供は要らないんじゃないかとも思います。
仕事も安定して、次なるやりがいを求めた時に子供が必要になってくるのじゃないでしょうか、、、
やりがい、ですか。
ありがとうございました。
何ででしょうね。結婚はしてますが、子は作っていません。
私は、若い頃から“自分の子供”が欲しいと感じたことが一度もありません。もっとはっきり言えば、自分の遺伝子を受け継ぐ存在を残したくないという生物とは思えない感覚です(というわけで、子を残すというのは、本能でないことだけは確かでしょう。本能なら、私にも備わっているはずですからね)。
でも、“養子を取って育てる”ことは、若い頃から考えていました。種々の事情により実現はしていませんが。なぜ、“自分の子供”は欲しくないのに、“養子を取って育てる”ことを考えたのか?
血の繋がりばかりを強調する社会への反発なのか、単純に淋しいのが嫌なのか、老後の面倒を見て欲しいのか……、よくわかりません。
(書いていて、質問の趣旨に合っていないような気がしてきました。済みません)
いえいえ、ありがとうございます。
私の趣旨としては実子・養子ともに「子供」です。
なんとなくですが、お気持ち分かります。なぜ「こども」なのでしょうね。社会が求めるからか、自分が求めるのか。。。
答えて下さってありがとうございました。
「子どもに自分の生き様を見せるため」です。
なぜ生きているのか?の問題とも繋がると考えています。
なぜ生きているのか?皆さん様々な答えを持って生きていると思いますが
共通している部分として、自分の生き様を残す事への欲求があると思います。
例えば、死ぬ間際には「自分の事を忘れないで欲しい」と大多数の人が思うように、誰もに、いずれ死んでしまう自分自身を残しておきたいという願いがあります。
その方法は様々あります。
音楽をやる人は、魂を曲に残します
建築をやる人は、思いを構造物に残します
教員をやる人は、生きるすべを子どもに伝えます
・
・
ある意味、いかに「社会」「人の心」に自分自身の存在を残す事ができるか?が、ポジティブな人生を送る人にとっての目標となっている。
そして最も強力に「自分を残す方法」が子どもをつくる事だ。
一番、自分の精神を残す事ができ、一番、自分を理解して心に留めてもらえるのが、自分も子どもだ。親はある意味自分の分身となってもらう為に、思いを託して死んでいく面もある。
種を残すというのにも繋がりますが、親を亡くした自分の、自分の子どもへの思いから書きました。
子供が求めない生き様だった場合はどうしたら良いですか?
子供とは、自己の存在証明である。という事でしょうか。
ありがとうございました。
本能です。
しかし、生まれてみれば、無条件の愛情を与えてくれる子供が愛おしくなります。
人間の本能意外の何者でもないのです
それは「産む」(産んでもらう)ことで感じる愛おしさ、ですか?
ありがとうございました。
妻は言いました「あなたの子供が欲しい」と。
私は思いました「自分の子供が欲しい」と。
要は理屈抜きに愛情を捧げられる存在と欲しいということではないでしょうか。
育児というのは小さいときはとても可愛いけれど、色々と世話がかかって大変で、大きくなって手がかからなくなると今度は、親から離れたがるので、頼もしさと同時に寂しささえ感じるものです。
親からすれば子供というものは、決して見返りを期待して作るものではないと思います。
質問者さんが挙げている例は、今の時代となっては後付の理由か、第3者が分析した理由で、子供を作る時に最初からそう思う人は少ないでしょうね。
※ちょっと昔までの農家・商家は「労働力のため・後継者作り」というのは当然あったでしょうが。
「あなた」と「わたし」の「子供」ですか。
>子供を作る時に最初からそう思う人は少ないでしょうね。
うーん。私の場合ですが、なぜ子供を持つのか?なぜ「子供」なのか?(なぜ子供を持つ事を求められるのか?)ふっと疑問に思う事がしばしばです。
子供がいないからかもしれませんね。
ありがとうございました。
誰かと一緒にいるという安心感を得るためではないかと思います。
一生添い遂げようと思う相手でも、所詮は他人です。(悲しい言い方になってしまいますけれど・・・)
他人とは些細なきっかけで別れが生じるかもしれません。
一人で生きていくのは心の中に不安が生じると思います。
それを埋めるのが、「子供」という存在なのかもしれません。
もちろん、恋人などに気持ちを満たされていて子供も欲さない人もいるでしょうし、自分を最も信用し「自分は一人で平気」と思う人もいるでしょうから一概には言えません。
けれど、シングルでも子供は欲しいと思う人はまさにこれでしょうし、仲睦まじい夫婦が子供を設けるのは家族というつながりをより強めるためなのだと思っています。
まさに子はかすがいですね。
ですが、子供は一生を添い遂げてくれますか?
それとも添い遂げさせるのですか?
ありがとうございました。
父と母が、「人生で一番幸せだった時は子供(私と姉)が幼かった頃」と言っているので。
無条件に愛しい、守るものが出来るというのは、幸せなことではないでしょうか?
なので私は、子供ほしいです。人生豊かになりそう。
>子供(私と姉)が幼かった頃
・・・大きくなってしまったら?
ありがとうございました。
(この場をお借りして)
※ここまで皆様のご回答を読んで・・・
子供、と指した場合
「幼く、真っ白で、かわいい」
存在なんだなぁとふと感じました。
だからなんだと言われると、それだけなのですが、大きくなった子供は・・・?
育てたいからです。(私はまだいないけど)
例えば部活やなんかで、自分が教えているうちにどんどんうまくなっていくのを見ているのはなんともいえない嬉しさがあります。
自分の血が流れている、自分の子供を育てていくというのを、味わってみたいです。でも育て方でその子の性格やらなにやら決まってしまうことを考えると、「子供を育てる」というより「子供を作り上げる」、という感覚かもしれません。そう考えると、勝手ですね;
育てることですか。
やはりそれは部活の後輩、仕事の後輩、ではなく「子供」である事が重要なのですね?
ありがとうございました。
一緒に楽しい時間を共有したいから。
家族を作るのって楽しそうだから。んで、一緒に苦労もしたいから。
子供は苦労したくなかったら?
ありがとうございました。
本能的に子孫を残したいというのは有りますが、それよりも子供は可愛いですよね。自分の子供であればさらに愛情もわきますからなおさらです。全く自然なことだと思います。
可愛くなかったら、その前提は崩れますよね。
ありがとうございました。
人間も含めてすべての生物は製品ではありません。
炊飯器や洗濯機のような製品は、かならず「達成すべき目的」をもって作り出されます。
炊飯器はおいしいご飯を作るため、洗濯機は洗濯をするため。
でも、生物は何かの目的を達成するために作られた訳ではありません。いつの間にか存在して、いつの間にか増える性質を備えてます。
川が目的もなく川上から川下に流れるのとおなじ感じです。
なんのために子供をもつのか?という問いには
「なんのためでもない」と考えます。
歌にあるように「川の流れのように」ということです。
詩的な答えをありがとうございます。
>いつの間にか存在して、いつの間にか増える性質を備えてます。
ですが、現代の日本の場合「作りたい」と思って作る(または養子を迎える)・結婚など作ってもよい環境を整えてから作る、という場合が多いですよね。
ありがとうございました。
多分、自分を成長させたいからではないでしょうか?
結婚した当時(平成5年)、僕は子どもを持つ自信がありませんでした。それは父親になる自信がなかったからです。ただ、カミサンが子どもを欲しがっていて、悩んだ末、覚悟して子どもを産んでもらいました。
月並みな言い方ですが、子どもを育てる事は子どもから教えられる事が多いです。子どもを育てる事で、親も親として、もしくは人間として、ものの見方が変わり、成長して行くということを実感します。子どもに何か期待したり、何かさせたいという事よりも、子どもを持つというシチュエーションの中で親として子どもに恥じない生き方ができるように自分を高めたい(そうなれるかどうか自信がなかった)という気持ちで子どもを持つのだと思います。
自分自身を成長させるためですか・・・
ありがとうございました。
ガンバレ!お父さん。
私は子供が欲しいとは思いません。自分にそっくりな子が生まれてくると思うとぞっとします。でもあえて子供を持つ理由を考えるなら。
自分の愛する人との愛の結晶みたいなものなんですかねぇ?
子供をもつ人もいれば、当然もたない・欲しないという人もいらっしゃいますよね。
ありがとうございました。
結婚して子どもをつくるのが一般的という社会に育ったからじゃあないですか。
最近では人それぞれいろいろですけど、一番主流の生き方な気がします。
一般的だからですか。
ありがとうございました。
他人には見えない、見せないものを、見る見せるため。
ですから、この場合養子にも可能です。
養子は、契約に近いものですから、破棄、消滅も考えられますが・・・。
実子は、法的という意味でなく、痕跡はのこるものだと思います。
DNAなど、何かしら受け継いでいるという、お互いの気持を持続させていることです。
引き継ぎたくない、と思ってもそれは誰にも叶いません。
<から>に閉じこもりたい、そのような感情でしょうか。
昨今の家族内の殺生事件には、ついていくことができません。
自ら離れて、生活をすればよい、赤の他人が援助するものだと思う。
>他人には見えない、見せないものを、見る見せるため。
具体的にはどのようなものでしょうか?
「DNA」のように一族(血?)として継いでゆくことが重要なのですね。
ありがとうございました。
自分の子供が10代後半まで育った今思うことは、育てなければ絶対分からなかったであろうことがたくさんあります。大げさに言うと、子育てして人間が完成されるみたいなところですが。もちろん子供を産み育てる前、若い時はそんなことは分かろうはずもありませんので、前の方がおっしゃっているような、種の保存のために遺伝子に組み込まれているもの(本能?)ではないかと思います。
>子育てして人間が完成されるみたいなところ
子育てをしなければ完成されませんか?
ありがとうございました。
自分のためだとは思いますが、ん・・・労働力のためでもないし自分の面倒を見てもらうためでもないし自分の出来なかったことをさせるためでも国のためでもない。だって労働力のために生むのであれば経費と自分の人生の時間を費やさなきゃいけないし、自分のできなかったことをさせたいがために生んだとしても大抵は無理でしょう。ましてや自分の面倒見てもらうために生んだのならば、自分自身が自分たちの親を面倒見ている姿を見せなきゃ面倒見るってことを覚えないだろうし。 自分が育てたいって思うから生むんだと思うな。 作るのは意志がなくとも生むのは自分で選択しないと生むことなんて出来ないんだから。
>自分のためだとは思いますが
率直なご意見、ありがとうございます。
>作るのは意志がなくとも生むのは自分で選択しないと生むことなんて出来ないんだから。
確かに。
ありがとうございました。
子供が欲しいと思う人は、相手(男性なら女性、女性なら男性)との間に何かしら自分との愛(?)の形を残しておきたいと思っているのではないでしょうか。つまり、愛の結晶が子供なのです。と僕は思います。
相手あっての子供、ですね。
ありがとうございます。
>その「夢」は子供の「夢」ですか?親の「夢」ですか?
親の「夢」。
でも、親のしたかった事をさすのでなく、「成長を見る事その物が夢なんです」
家で、猫が産まれた時も、「夢」を感じました。
私の父親の布団で産まれ、同じく父親の布団の上で、20年の生涯を終えました。
私のゲストブックを読んでください。
>親のしたかった事をさすのでなく、「成長を見る事その物が夢なんです」
先のご回答での読み違え、失礼いたしました。
ありがとうございました。
私個人の例で言うと
1.私自身が子供が好きでありほしかった
2.子供を作ることにより人間関係を安定させることを意図しました。
私と妻は8年間交際しましたがこの長さは両人が結婚への決断ができなかったことによるものではなく、妻の実家が私を娘の結婚相手として認めてくれなかったことによるものです。
交際そのものは邪魔されなかったので、8年で実質的な蜜月は享受しており、何とか結婚にこぎつけるとすぐ子供を作ることを意図しました。もちろん8年の間に双方とも30歳に近づいていましたから、複数の子供を考えると、初産は急がねばなりませんでした。
ハネムーンべイビーではありませんがその1ヶ月後に授かりました。
この子供のもたらした影響は非常に大きく、初孫を獲た妻の両親は相好を崩し、まるで私を激しくこき下ろしたことなど忘れたように、孫に夢中になりました。まさに「子はかすがい」の爺婆バージョンです。
3.このような行動の負の側面というか、得るためにあきらめたことですが。私は大学院への進学を望んでいましたが、所得のない状況では結婚にこぎつけるのは上記状況では困難であり、進学を捨て妻をとりました。
孫はかすがいですね。
子供は「家」と「家」との繋がりでもあるんですね。
ありがとうございました。
一般的には、愛の結晶ですよね。
2人の遺伝子を残すことが、幸せを感じる行為なのでしょう。
子供を育てる楽しみもあるでしょう。
愛する対象を持つ楽しみもあるでしょう。
私は、相手に恵まれないのと、金銭的に難しいのと、子供を育てる責任を負えないために、子供はもてないと思いますが・・・
標準的家庭像という枠組の中で、子供をもてるという事は「まずパートナーがいて(モテ?)、金銭的に都合がついて、精神的にも成熟している」というステイタスになるのかもしれませんね。
ありがとうございました。
30番 弐通目
幼い頃は、鼻が詰まったり、う〇〇が出なかったり、ほとんどが肉親でなければ治してくれません。口を使ったりして、通じをよくしてくれます。
少し大きくなれば、トイレの粗相もみてみぬふりをしてくれます。
痴ほうになれば、どんなに無理難題でも、きいてくれます。
最後に、死の別れのときも離れずに、じっとそばにいてくれます。
最後の顔は、見せたくない。
でも、見ないでは居れないでしょう、子どもですから。
ありがとうございました。
子供,正直言って嫌いでした。
しかし,年老いた両親を見て,もう一度何か,生活上の楽しみを味わって欲しいと思い,子供をもうけました。
孫をかわいがる両親を見て,これも一つの親孝行かなと思っています。
子供嫌いですが,すっ飛びました。
子供ってかなりかわいいです。
神様からの贈り物,とも言われますが,まさにその通りと思います。
自分もこのような経緯を経て成長してきたんだな,と謙遜に振り返るとき,学ぶものが多くあります。
親孝行ですか、ありがとうございました。
2度目の回答です。この質問、いろいろな方の価値観を垣間見ることができ、楽しく拝見しています。
>ホルモンですか・・・それは「産む」ことによって得られるものですか?
ちょっと調べてみました。
http://www.ikutama.jp/archives/000639.html
赤ちゃんが襲われたり、事故に遭ったりした際、母親が自らの危険を顧みずに救おうと行動できるのは、出産後に恐怖心を生じさせるホルモンが少ない状態になるのが一因であることが、米ウィスコンシン大学のスティーブン・ガミー助教授らが行ったマウスの実験で分かった。
……だそうです。
誰にでも必ずこういう現象が起こるかどうかはわかりませんが(ホルモンの分泌量が変動しやすい人もいれば、しにくい人もいるでしょう)、私自身、子供を守ることについては、確かに「本能」を感じます。
寝ていても子供が泣けばすぐに目が覚めるし、手を離せない用事をしている最中、子供が心配のない理由(しゃっくりなど)で泣きだした時、理性では「泣かせておいても大丈夫」と判断しているのに、母親ホルモンがそれを許さず、放っておくことができません。理性(用事を片付けたい気持ち)と母親ホルモンの間で葛藤があり、ときどき疲れます(笑)
子供の存在を介して、普段意識することのない自分の本能に触れることができるのは、なかなか面白い体験です。
ちょっと話がずれてきたでしょうか? もし、回答として不適切だとお感じになったら、失礼いたしました。
いえいえ、とんでもない。
私自身は経験したことのない本能が垣間見えて興味深かったです。
ありがとうございました。
私は両親を尊敬しています。
さして立派な功績をのこしていませんが。(笑
また、祖父母も尊敬しています。
できれば、この先も遺伝子を残してゆきたいと思っています。
また、
まだ私は結婚していませんが、結婚する相手の遺伝子も残していきたい。
それが祖先が生きてきたことへの恩返しじゃないかと思います。
すごいしんどいと思いますが、生めるだけうみたいなと思ってます(笑)
祖先の遺伝子を残すこと、ですね。
ありがとうございました。
大人になって父母の愛を知った時に、自分もああいう親になってみたいという願望が現れてくる。私の場合はそういう理由です。親に対する恩返しを子供に向けていくという気持ちと、自分が親から受け継いだものをどれだけ子供に伝えていけるかという自分を試してみたい気持ちと、あの親の元で受けた愛と同じ愛を自分も子に注いでみたいという願望と。色々な気持ちが入り交じります。うまく説明できませんし、もしかして全部後付けの理由なのかもしれませんが、親から受けた影響が自分も親になってみたいという気持ちを形成していたことは確かだと思います。
親孝行、でしょうか。
>父母の愛を知った時に、自分もああいう親になってみたいという願望が現れてくる。
父母の愛が十分でなかった場合は?
親にはなれませんか?
ありがとうございました。
http://d.hatena.ne.jp/jyouseki/
私の父の場合は自分が1流大学に行けなかったため、自分が果たせなかった夢を子供に押し付けるために生みました。
「勉強さえできれば他のことはどうでもいい」
と何度も言いました。
私は友達と遊ぶことも、家族と話すことも、笑うことまで禁止されて育ちました。
夏休みが40日あって、1度も家から出たことがないという年もありました。
成績が前より少し落ちただけで、命に危険が及ぶ程の暴行を受けることは日常茶飯事でした。
母は1度として助けてくれたことはありません。
家族同士のプレゼントのやり取りは一切禁止でした。その理由は、
「お互いにやらないことにすれば、やったのと同じことだ。やるだけ金の無駄だ」
ということだそうです。
これはもはや家族でなく、単なる同居人です。
私は1流大学に行けませんでした。
父は私に「早く死ね」と断言しました。
父にとって子供は自分の欲を満たすだけの存在でしかなかったのは明らかです。
現在、私自身は結婚したいし、子供も欲しいです。
理由は既出の回答者がおっしゃっているのと同じ、「子供から教わることも多い。子育てにより、自分自身も成長する」と考えているからです。
でも、もう精神科に15年程前から通院し、定職に就いていないという状態で結婚相手を見つけるのは極めて困難です。
まだ希望を見失ったわけではないので、前向きに生きて行きます。
つらい体験の中、回答して下さってありがとうございました。
私には何もできませんが(近くにいられたら、ギュってできたのですが←変態ではなく)、ネットの向こうの遠くからですが応援しています。
ありがとうございました。
昔から子孫を増やして一族を繁栄させるというのがあったと思いますが。
今のところ個人的には、自分が古くなってきたと感じているので、更新しなくてはというくらいのささやかさです。
まるでクローンですね。
ありがとうございました。
子供がほしいというより家族がほしいという気持ちです。家族っていいものです。世の中で、何の理由もなく一緒にいて当たり前の存在といったら家族しかありません。そんな家族がほしいという気持ちに、何のためという理由をつけるのはちょっとむずかしいです。
子供をもって家族を作る、ですね。
ありがとうございました。
たしかに自分の親の希望としては家のため、子孫を残すためという願いがあると思います。
でも当事者としての自分の気持ちとしては、欲しいという漠然とした気持ちはあっても、何のためと聞かれたら『わからない』と答えるしかありません。
強いてあげるとすれば『うらやましいから』。子供が出来て人生変わったよ、などという話を聞くと、そうか、いい人生だなとつくづく感じさせられます。
分からないけどうらやましい、ですか。
「標準的家庭像」願望に近いのでしょうか?
ありがとうございました。
2回目の回答です。
「何の為に子供を持つのか」という問いに答えは出しにくいように思います。
「なぜ子供をつくったのか」という質問のほうがそれぞれ納得できる答えが出せるのではないでしょうか。
体験談以外のご意見も伺いたいからです。
ありがとうございました。
“憧れ”です。中高校生の頃彼女が欲しくてたまらなかったのと同じで、大人になると結婚したくてたまらなくなって、結婚すると子供が欲しくてたまらなくなります。年代相応の憧れの形の一つと言えると思います。
その憧れはすべての人にあてはまる訳ではありませんよね?
ありがとうございました。
42番の者です。
>父母の愛が十分でなかった場合は?
>親にはなれませんか?
実際には深く愛されているのにそれを感じ取ることができない人は、そうかもしれません。私もそういう人間でした。でも、ある時それが突然変わりました。自分は愛されていたと知ってから、急に自分も親になってみたいと思うようになったのです。それで42番のような回答を書いたわけです。
でも全ての人に親が居るとは限りませんし、親が居てもその愛情を受けて育ったとは限りませんから、親の愛を全く感じられなくて当たり前の人も少なくないと思います。そういう人はきっと、伴侶となる異性に愛されることで、その愛を子供にも注いでみたいと思うようになるのだと思います。そしてそこから、父母の愛を代々受け継いでいくスタートになるのだと思います。
ありがとうございました
私の場合、家族が欲しかったからですね。
割と、恵まれた環境で育って、自分も結婚して、
自然に親と同じような、家庭を築きたいと思うようになりました。
子供が親孝行するのは、生まれてから3歳までというのを、
以前聞いたことがあるのですが、当たってると思いました。(~_~;)
子供を授かっても、親の思いどおりになるのは、3歳が限度でしょうね。
でも、その3歳までで、親は、一生をかけられちゃうんですよね。
不思議です。話がそれちゃいました。すいません。
家族ですか。
>その3歳までで、親は、一生をかけられちゃうんですよね。
幼くて、真っ白で、かわいい時期ですよね。
しかし、こどもと関わる時間はその3年よりももっともっと長いですよね。
その後はその3年間をよすがに過ごすのですか?
その3年のために多くの人たちは子供を望むのでしょうか。
ありがとうございました。
三番目の理由は二番目の理由にも係りそうですが、なんとなくこういった理由です。
親(自分)の面倒も見てくれたら嬉しいですし、自分にできなかったことを、と思わないわけではないですが、彼らは彼らですので。
子供がご自身の”分身”とされる事に苦痛を感じた場合や拒否した場合はどうされますか?
ありがとうございました。
私の勝手な考えですが、私は次の考えに納得しています。
結婚するのはSEXをするためである。
よって、その2次的なものとして子供が出来るわけですから、私の答えは、SEXをするための結果である。というものです。
もっといえば、動物的に子供をつくる。と思っています。
こんなレベルの答えでいいでしょうか?
ええ、もちろん。
大変率直なご返答、あっぱれです。
ありがとうございました。
ポイント結構です。私も同じ様な質問をしたかった所です。子供を産んで育てても、年取って死んでいきますよね?この世に「必ず・確実」って断言できる事はあまり無いと思いますが、生まれたら死ぬ・ってゆ~のだけは「必ず・確実」だと思うんですよ。一昔前の戦中、戦後とか、生きる事に必死だった頃ならな~んも考えずに産めよ増やせよで当り前に一生を終えたと思いますが。今のご時世、育てた我が子が学校で他人に殺されたり、立派に成人して海外で働いててもテロに遭って死んだり。殺されないまでも、老いて病を得て死んでいく。先が見えるというか・・・。昨今の親殺し、子殺しのニュースを見るたびに「私も親がボケたら・・・ど~しよ~!早めにヘルパーの資格取っとこう!」って思います。子供は、自分の体質とか性格とか遺伝したら哀れ。同じ思いはさせたくない、+絶対虐待するだろうな~っていう変な自信があるので生む気はありません。ごめんなさいね。回答になってなくって。生んだ人を見ていて思うのは、避妊に失敗したからか、その人自身の人生が幸せだから生きる辛さとか分からない、もしくは辛さ苦しさを幸福が上回っているから。後は相続させなきゃならない程の財産等があるから。ではないでしょうか?
じゅうぶん回答になっていますよ。
ご回答ありがとうございました。
幸福だから子供を持つ人もいらっしゃるのだとすれば、逆に辛いから子供をもった人もいらっしゃるのでしょうか?
家族っていいモンですよね。一人や2人よりも大勢の方が楽しいですし、それが血のつながったものであればなおさらでしょう。
家族によって苦しんだという人にも当てはまりますか?
「楽しさ」と人数・血のつながりは比例しますか?
ありがとうございました。
哲学的というか禅問答のような答えですが、答えたいと思います。
子供を作りたいと思うから、作ります。作りたいと思う理由は、人それぞれだと思いますよ。
SEXしたいと思うのは、遺伝子情報に書き込まれてる本能です。
でも、子供作りたくない、と思う事もありますよね。これは、理性というか意思。自己の意思、でしょう。
人間は考える葦である、という言葉があるように、動物と人間を区別するものは、動物が本能だけで動くことに対して、人間は、本能と理性で動く、ということでしょうか。
回答になっているでしょうか(笑
はい、もちろん。
ありがとうございました。
子供を持つと多々問題が発生します
それを解決して初めて大人です
独身貴族はまだ子供です
自分の事しか考えていません
楽な生き方ですね
質問とは違うようです。
私が聞きたかった事はそうしたお答えではありません。
ごめんなさい。
私はできちゃった結婚で子供を持ちました
ですが「なぜ」と聞かれると「欲しかった」としかいいようがありません。本能かもしれませんね。
私には8歳年下の妹がいるのですが、彼女が生まれた当時、とても嬉しく、ミルクを飲ませたり、離乳食を食べさせたり、オムツを替えたりした記憶があります。
おそらくそのときの経験が、「子供ってすばらしいなぁ…」と思わせているのかもしれません。
子供がいる生活というのは、経験してみなければわからない素晴らしさがあります。
ただ「いちどやってみようかな!」みたいなノリでは始められないものですけどねf^^;
ありがとうございました。
まあ、本能なんでしょう。学生の頃から幼児の面倒を見ることが多かったからかもしれませんが、純粋に全面的に依存されると言うのは、なかなかの快感であります。
乳幼児と密に接する事が少なくなったので、この手の感覚が分からないまま結婚する人が多いので(うちの女房がそうでした)理屈が先行してしまうのかもしれませんね。
1、「育てる」という体験によって自己確認を得るためですね
2、ひとりになる事を避けるためですね。
ありがとうございました。